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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ドラゴンも種族が色々(ドルリスハイム、ドリザイム?その2)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その20

ちょっと間が開いてしまいましたが、ドルリスハイムまたはドーリザイムDorlisheimの、サン・ローラン・プロテスタント教会Eglise Protestante Saint-Laurentです。

中の続きですが、前回の記事で言及した二つ目の見るべきは、本堂の扉口です。

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上の方には、二頭のドラゴンが、一頭のライオンの頭に、両側から火を噴きかけている図像です。そんな危機的状況なのに、ライオンは、舌をペロンと出しているようにも見えるし、ドラゴンの炎は、結構ちっちぇえ…。

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ドラゴン、なんかサン・クイリコとか、ビトント、アブルッツォのいくつかを思い出したりしたんですが、ここの子は、手がしっかりしてますよね。そして、しっぽがサザエの身のようなしつこいくるりんだったり、若干ハイブリッド感のあるドラゴンです。

その下には、いわゆるグリーンマン。
両脇の柱の下も、そうなんです。

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両側なんですけど、どちらも、なんと逆さです。
こっちの子は、ちょっと動物っぽい。

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逆さグリーンマンって、記憶にないんですが、他でもあるものか知らん。いずれにしても、図像アイテムとしてはさほど好きなものではないのですが、ここのは、なんだかかわいくて好き。いや、逆さになって苦しそうな人たちを、かわいいととらえるのもどうかとは思うのですけどね。

ブドウつる等の装飾的アイテムも、せこせこしていないおおらかな彫りが好みというのもあるかもね。

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トップにいる方は、大変穏やかに正しい姿勢で吐き吐きしてます。

その他、ちょっとだけ、ひっそり系の方々います。

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これ、ロスハイムにもおられた困ったちゃん。
これって、意味分からないらしいです。

あ、ちなみに、ここを担当した石工さんは、ロスハイムを作った石工さんの弟子、つまり同じ工房で働いていた人なのかな、その可能性が高いとされているようです。

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これは、独特な市松系の装飾彫り。顔があるからパチリしたけど、ここは、このパターン系としての面白さの方が際立っているかもね。

さて、再び外へ。

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別の記事でも言及しましたが、イースター時期だったので、お花が美しいです。
外側に残された、古い時代の彫りものを見ていきます。
半円じゃなく、ペタン、となってしまった後陣です。

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石色は美しいですが、構造的な愛想はないところに、いくつか並んでいます。左側の方は、見たまんま、獣ですねぇ。
遠目には、どちらも肉食系に見えたのですが、拡大で見ると、左下のは、ウサギかな?捕食される方のやつで、右上が肉食系のようですね。

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解釈では、窓の反対側に置いてあるものとつながっているようなんですが、そちらがこれ。

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右側のフィギュアは、狩人で、角笛を吹いて、二頭の犬にウサギを狩らせているとか。右手が角笛で、左手には投石器と持っているとあります。
でも、一見したら、私は、まず天使系と思ってしまいました。狩人には絶対見えない。
でも、言われたら確かに角笛だし、投石器に見えます。形がね、ちょっと飛んでるみたいだから、勘違いしやすいよね。
おそらく、一連のフリーズみたいな感じで、スペースにはめ込むようなデザインだから、こうなっちゃった、という典型ロマネスクデザインなんでしょう。とはいえ、本当に?と疑惑はあるみたいです。

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こちらは、サン・マルコのライオンのようですが、装飾スタイルとして、ロスハイム同様、後陣には、四人の福音書家のシンボルが置かれていたと考えられているので、他の三つのフィギュアは喪失してしまったということらしいです。
残っていたら、ロスハイムと比較ができて楽しかったかもね。
少なくともマルコに関しては、この半魚人系より、ロスハイムのやったらソース系の顔の方が、圧倒的にチャーミングですね、笑。でも、どっちも体脂肪絞りまくりで、そこは同格。

最後に、雄羊ちゃんとおまけちゃん。

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南東角っこに置かれたものですが、雄羊ちゃんは、ま、ありがちな彫刻として、その下の浅浮彫。
紐をきつく結んだ編み上げ靴と小さな斧なんだそうです。これは、おそらく16世紀ごろ、つまり教会がすっかりに近い形で再建によって新しくなったと、壁に直接彫りこまれているので、古い教会から転用しているものとは時代が全く違うようです。
再建などに協力したグループのアイコン(靴屋さん組合?大工さん組合?)とか、農民や職人のシンボルとか、はたまた1525年に発生した大規模な農民一揆の象徴ではないか、とか色々言われているようです。

1525年の闘争は、Guerre des Paysansと言われていて、歴史にも残っているようで、日本語でもドイツ農民戦争というウィキ記事がありました。
時の権力に対して自発的にかどうかは分かりませんが、一旦起こったら、現在のドイツ南西部、オーストリア、スイス、アルザス地域を含む大規模な運動になっちゃって、最後は鎮圧されて処刑、という結末になる悲惨な歴史ということらしいです。
とすると、この浮彫は、若干牧歌的に過ぎるし、記念、というのも変な発想ですよね。


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  1. 2022/09/25(日) 16:58:20|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:0

創世記のゴブレットが遠いです(ドルリスハイム、ドリザイム?その1)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その19

考えたらアルザスは、結構ロマネスク密集地ではあります。ただ、後代に手が入って、ロマネスクの残り具合は一部だったりする場所も多いようなので、何でもかんでも行く必要はないっていうか、しっかり取捨選択した方がよさそうです。

この辺りは、短時間で相当回ったな、という地域だったんで、改めて地図を見直したり、自分の事前メモを見たりして、今更びっくりするくらい、印がついていたんで、あ、そうだったな、と思った次第。

最初の頃は、何でもかんでも見るべき的な思いがあったりして、重要な場所に時間をさけなかったり何なら見逃したり、ということもあったんですが、見ていくうちに、やはり、まずは著名な教会優先で、時として、まさに目の前を通過しても、マイナー教会は無視するくらいで行く必要もあるということを学びました。私の場合は、幸いにもイタリア在住なので、ミラノ近郊であれば、また、フランスのようにマイカーで行ける場所なら、再訪もかなう可能性もありますけれど、日本から来るとかなれば、事前の決めって、ほんと、大変だろうなぁ、としみじみ。
それでも、今はネット情報がかなり充実してきたから、取捨選択もやりやすくはなったでしょうね。同時に、発見の楽しみは減るのでしょうけれども。

おっと、余計なことを。
ということで、前回のRosheimから至近のこちらです。

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ドルリスハイムまたはドーリザイムDorlisheimまたは、いや、よく分からないけど、そこの、サン・ローラン・プロテスタント教会Eglise Protestante  Saint-Laurentです。

何度も同じこと言及して悪いけど、でもさ、この地域、地名のスペルはドイツ語起源のまま、というのが、厄介のもとなんですよね。つまり歴史的にはそれだけドイツ寄りなのに、フランス領である、ということになりますよね。
イタリア北東部のアルト・アディジェ地域の多くの部分は南チロルという、もともとドイツ文化圏で、今はイタリア領ですけれど、そこでは、町の名前は、ドイツ語系とイタリア語系、ちゃんとスペルも違うんですよ。イタリア語名Bolzanoはドイツ語名だとBozenだし、AppianoはEppanだし、BressanoneはBrixenといったように。私はイタリア語圏の住人ですから、やはりイタリア語の地名を当たり前のように使いますが、おそらく地元住民は、ドイツ語地名で生活しているものと思います。
イタリア領であることを意識して、後付で無理やりイタリア名をつけたということなんでしょうかね。
そういう、国境の土地の歴史というのは複雑なんだろうから、そこをテーマにした研究はありそう。言葉は文化なので、面白そうです。あ、すみません、得意の脱線。

さてこの教会、見た目がちょっとかわいくて、そしてディテールに面白さがありますね。と言っても、ちょっとしたもんでよいので解説が欲しいところ。で、例によって探したけれども、公式サイトなどでは本当にちょびっとしか書かれていなくて、ちょっと引っかかったブログみたいなところから拾ってみました。
ウィキもあまり信用していませんが、個人サイトの情報は、やはりあまり信用できないと思っているので、ネットでの情報は、基本、教会とか教会がある町村のサイトなどから得るのですが、アルザスについては本当に見つからないから仕方ないですね。ちなみに、つまり、この私のサイトも、そういう位置付けですので、ご了解くださいね。信用しない方がいいです、という意味でね、笑。

まずは、入場してみます。

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外もかなり小ぎれいにされちゃっているように、中も、全体に新しくて、古色蒼然のはずのロマネスクの雰囲気は、その構造くらいしか感じられないものとなっています。

先のサイト(一応地元の愛好家が2001年に編纂したガイド本を参照しているようです)などを参照した簡単な歴史は、以下となります。

1150年 創建(この点は、他の資料では、1165年から1180年の間とあるので、正確には分かっていないようです)
1200年 内陣の建設
1300年 鐘楼の建設(つまりゴチック様式)

今でも、三身廊後陣とか、身廊のヴォルトなど、再建も含むながら、創建当時のスタイルが保たれているものの、ゴチック時代以降、かなり手が入っているようです。
この町の位置するのが、Bruche谷の入り口、つまり、山間部を超える街道ということで、人々の行き来が激しかったようで、おそらくそういうことが、度重なるスタイルの変容などをもたらしたのではないかと想像します。
そういうの考えると、考え深いですよね。
人々の行き来の中には、当然侵略にかかわる動きというのもあるわけで、あっちに引っ張られ、こっちに戻され、という国境地域においてさらに引っ張られやすいような土地だったりするわけで、そういう色々を、この建物はずっと見てきたというわけです。
そういうことまで思いが及ぶと、たとえ今面白くもない形になっていても、軽く、つまんね!わざわざ来る価値ないんじゃね!?とか簡単に言ってはいけない気持ちにもなるんですが…、でも、つまらないと言っちゃいますね、笑。

地味な内部ですが、必ず見るべきが二つあります。うちの一つが、こちら。

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向こうの壁の、ヴォルトからのリブ構造が集中している場所に、ポチポチポチっと、何かが三つあるのが分かるでしょうか。拡大すると。

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三人の人物がいます。左側、ちょっとかけちゃっているし、オリジナルは他の場所にあった可能性がありますね。あちこち再建されているところに、ロマネスク時代の彫り物を、結構適当に置いたような様子があるんですよ。

で、これですが、諸説あるようですが、左側のおひとり様に対して、右側はお二人様、という様子であり、かつ、うち一人がゴブレットをかかげていることから、これは創世記に出てくるアブラムのエピソードとされているそうです。

なかなかそこまで覚えられないので、毎回確認することになりますが、お話としては、以下となるようです。
「ケダラオメルとその一味が一帯を荒らしまくり、アブラムの甥ロトとその財産さえも奪った。身内が捕虜になったのを聞いたアブラムは、318人の訓練したしもべを引き連れて、連合軍を追い、打ち破り、すべての財産及び女たちと民とを取り返した。その勝利からの帰路、シャベの谷で、ソドムの王ベラが迎え出てくるのを見ると、どこからともなくもう一人の王が迎え出てきた。それはサレムの王であり祭司であるメルキゼデクで、アブラムにパンと葡萄酒を持ってきた。」

つまり、ゴブレットを持っているのが、そのメルキゼデクという人になるようで、左側のおひとり様がアブラムなんですね。
ちなみに、サレムは、のちにエルサレム(平和、救いという意味)と呼ばれるようになり、メルキセデクは、正義の王という意味を持つ名前だそうで、なんかこの人たち全体を正当化するようなエピソードなわけです。

三人とも、ずんぐりむっくりの二頭身であるだけに、於かれた場所が、やはり間違ってます。二頭身だけが強調されるし、せっかくの細かい表現も、全然見えないからねぇ。メルキセデクは、なんかラクダの皮のヨハネみたいな衣ですしねぇ。

脱線ばかりで長くなってしまったので、一旦切りますね。


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  1. 2022/09/18(日) 16:20:01|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:0

ずらりと不気味さ21連発(ストラスブールとロスハイム、フランス語読みは?その2)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その18

ロスハイムRosheimのサン・ピエトロ・エ・サン・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paul、ですが、ちょっと内部を見ときましょう。

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かなり地味目です。
ただ、解説によれば、ライン流域のロマネスク建築の特徴をよく保ったスタイルで、特に注目すべきは、多角の角柱と円柱が交互に採用されている点であるとありました。

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円柱の足元の下駄ばき状態が、なんかすごいですね。特に、他からの再利用の柱、という様子もないので、この下駄ばきも、装飾の一つなんですかね。確かに、足元は、お飾り付きだしね。
柱頭も含めて、うっすらとした浅浮彫はあるんですが、デザイン的なリピート模様が多いし、あまり面白みはないのです。ただ、一つだけ、変に目立っているやつがあります。

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怖い…。
これね、聖人なのか聖職者たちに過ぎないのか分かりませんが、ベネディクト派の方々、であることはそうらしいんですが、21人の方の頭部がずらりと並べられています。顔の様子が、すべて異なるってありますし、実際そうかなと思うんですが、妙な写実性があって、怖さが先立つっていうか、綿密に一つ一つみたい、と思わせるような代物ではないです、よね?

人相学を学んだ専門家の石工の作品で、写実的、つまり、実際生きている人を写したような頭部の彫刻というのは、アルザスでは最初のもの、とありますけど、つまり、時代が下るということではないかと思うのですけどもね、どうなんでしょうか。

今更、この教会の歴史を紐解きますと、前回の記事でも一部触れていますが、この教区には11世紀に二つの教会がありました。1132年、戦争による火事で損壊を受けた二つの教会のうち一つ、このサン・ピエール・エ・サン・ポール教会が再建されます。その後、もう一つの教会も再建、どちらも地域の発展に伴って拡大されますが、1385年、大火により多くを焼失。また再建。そういう繰り返しながら、なんとか生き延びて、バロック時代には、すっかり金ぴかにもなったようですが、1859年、オリジナルの姿に戻す修復工事が行われて、金ぴかは取り除かれた、ということらしいです。

だから、どの部分がオリジナルで、どの部分が再建で、それも再建も時代が色々あるんだろう、ということなのだと想像します。
柱も、スタイルがバラバラだったりするし、どう評価したらいいのか、よく分からない、というのが正直なところ。なんてこった!

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と頭を抱えている人がいます、笑。
こういう人が、ところどころにいますから、確かに古い時代のものも生き残ったのでしょうけれどもね。ある意味、それだけ火事などの被害を受けながらも生き残った人たちの生命力、というのも石造りだから変なんですけど、でも、オリジナルで生き残ったアイテムの生き残る力ってすごいと思います。上の、なんてこった!のおじさんを見てると、なにが明暗を分けたのか、みたいな気持ちになります。

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内陣部分に、このような、これは現代作家さんの作品でしょうかね、説教壇がありました。21ずらりの頭部にインスパイアされたのかな、のっぺり系の少年少女的な様子が、これまたちょっと不気味なんですけども。不気味、というところで、非常に共通項を感じるもので、これを発注した人も、納品した人も、ある意味すっごく理解しあっている幸せな現代作品かと。いや、怖い。

では、再び外に出まして、もう一度、外側をぐるっと見てみます。

脇の扉口周辺。

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地味ですが、なかなかの装飾ぶりではあります。柱がすごいんですよ、なんだか。

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扉口の縁取りも、やけに凝っている彫り物があるの、分かるでしょうか。
向かって左側の柱は、さらにすごい凝りようですよね。

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ふと目線をあげるとこんな人たちも。

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この肉食獣系は、まるでアニメの動物みたいな様子だし、日本の和式トイレスタイルのおじさんも含めて、やはり時代が分かりにくい様子です。
上の方にいる方々は、肉眼では細かく見えないので、現地ではよく分からなかったわけですが、こうして写真で見ると、実にいろんな時代のいろんな手が混ざっているのだなぁ、と感じます。

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この、手前のおっさん二人は、とても面白いですが、意味が全く分かりません。向かって左のおっさんは、左手で、お隣のおっさんの顎をむぎゅっとつかんでいる様子です。髭引っ張りみたいなやつなんでしょうか。それにしても、やけにチャーミングなおっさんコンビだなぁ。

ここの教会については、それなりに解説を見つけたのですが、建築の詳細は多く書かれてあっても、こういうアイテムについては、何も分からず、です。残念ですね。

当時のファサード側の様子。

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今はきっとすっきり片付いていることでしょう。


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  1. 2022/09/17(土) 16:55:06|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:3

イースターのパン屋さんの賑わいが…(ストラスブールとロスハイム、フランス語読みは?その1)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その17

道順、というか、回った順番として、次に紹介すべきはストラスブールで、一応二泊もしたんですけれど、見学はスキップしてしまいました。カテドラル他いくつかの中世の教会があり、マイナーとはいえ、ロマネスクのアイテムがあるということは分かっていたのですが、事前にある程度見ても、あまり魅力を感じなかったので、ま、いいかと。
夕食を食べに中心街に行った際、カテドラルの姿は目にしましたが、ちょっと恐ろしいほどの、というか、なんだろう、夜間だったこともあると思うのですが、おどろおどろしいほどのゴチックぶりで、たまげました。

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ストラスブールStrasbourgのノートルダム大聖堂Cathedrale Notre-Dameです。
巨大な建造物ですが、周囲のスペースはさほどではないため、全体像をとらえにくい様子でした。
陰影がつくので、夜間のライトアップが、ある種の激しい効果を出しています。どの建物の隙間からものぞくその姿が、私には怖いイメージでした。

というわけで、通過しながら横目で眺めただけで、次に行きます。

次の町で、一番強く記憶に残っているのは、実は教会ではなかったりします、笑。

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例によって、早起きして早朝出発したところ、ちょうど教会がオープンするとされていた9時ごろに到着したのですが、なんとまだ空いてなかったのでした。外観を見ながらうろうろしていたら、教会のすぐ脇にあるお店、にわかには何の店かもわからなかったのですが、すごい行列ですよ。これ、イースター当日の朝だから、びっくりしました。

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よく見ると、こんなレトロな看板があり、どうやらパン屋さんです。女子が手に持っているのは、アルザスの典型的なお菓子で、確かクグロフとかいうやつじゃなかったかな。
この行列は、イースターのお菓子でも予約の人たちなんだろうかね?

以前にも書いたかな、と思うんですが、イタリアがバールの国だとすると、フランスはパン屋の国だな、と歩いていて思うんですよ。イタリアは全国津々浦々、とにかくどんな小さな村でも、バールは大抵あるし、かなり勤勉で、早朝からオープンするし、日曜や祝日でもやっていたりするんです。一方フランスでは、パン屋がまさにそういう存在だと思います。カフェがなくてもパン屋はもれなくあるし、勤勉ですね。
イタリアもパン屋さんは早起きだけど、バールのサービスにはかなわないところあると思うし、個人的には、バールの方が便利度が高いので、イタリアの勝ちなんですが、って、別に勝ち負けじゃないけどもさ。
ただ、フランスのこのパン屋さん文化、驚くわけでして、この朝は、本当にびっくりしました。ここの点では、他の多くの点でドイツっぽいアルザスも、フランス文化圏ということなのかな。もしかして、ドイツもパン屋さん文化なのかしらん。いや、なんかドイツのパンは、毎朝買いに行くようなもんじゃない気もするしなぁ。

あ、ちなみに、お菓子類の文化はドイツ系で、かなりドサドサどっかん状態で、ショーウィンドウにうっとり、ということは少ないように思いました。フランスのお菓子屋さんのショーウィンドウって、甘党じゃない私でも、ちょっとうっとりする美しさがありますけど、アルザスはね、うっとりしなかった…。

おっと、いきなり脱線しまくっていますが、この繁盛店があるのは、以下の教会の脇でした。

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ロスハイムRosheimのサン・ピエトロ・エ・サン・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paulです。

ちょっと残念だったのは、ファサード側の、教会ではなくてお向かいの建物が絶賛工事中で、ファサードを眺めることが出来なかったことです。

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通り抜けできる程度の通路はあったんですけれどもね。
解説を読んでいたら、ファサードのことも結構書いてあったけれど、写真もないと思います。

この教会、全体を一見すると、端正な様子で、なんていうのか、大きさもあるのかな、例によってだよなっていう印象もあるんですが、ちゃんとディテールを見ていくと、結構彫り物装飾も作りこまれているんです。
どこからどう見ていったらいいか悩みますが、まずは後陣から。

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半円部分が、6本のつけ柱で分割されていて、スペースが七か所となっています。その中央部分、大きな窓が開けられている部分と思いますが、丸みがなくて、平面になっているらしいです。言われれば、そうかも?と思いますが、ただ見ても、まったく気づかなかったなぁ。

ちなみにですが、この教会建築の様式は、アルザス・ロマネスクの円熟したものとされているようです。特徴として、つけ柱、軒持ち送り、ロンバルディア帯、また棕櫚モチーフとか多くの彫り物フィギュアなどは、もちろんロマネスクとして必須アイテムですが、アルザスで、そういった典型的なアイテムをこれでもか状態で採用している教会は、意外とないというか、残されていない、ということになるのかな。
主に使われた建材は、地元産の黄色砂岩ということです。

中央後陣がめっちゃでかくて、右隣にある脇の後陣とのボリューム差が激しいです。左側は、なんか四角い箱みたいな建物になってて、それも様式的には同時代な様子もありますけど、解説を斜め読みすると、オリジナルの教会の塔の一部みたいなことが書いてあったような。

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塔の基部とくっついていた部分、ということになるのかな。今ある建物は12世紀半ばのもので、11世紀の教会が元になっているということらしいので、それのことですかね。その教会は、大火により多くを焼失してしまったそうです。
この町、長い歴史で、何度か大火に見舞われているようなんですよ。

ちょっと脱線ですね。後陣に戻りましょう。

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どのあたりが再建で、どこまでオリジナルなのかは、正直不明なんですが、窓の周囲に置かれた福音書家四人のシンボルは、結構それなりの時代を経てきたもののようです。例によって、にっくき革命のときに、人の姿をしているマッテオは見事に破壊されてしまったということ。相変わらず、暴力的。
ネジリン棒とか、すじすじの入ったホースみたいな足元とか、なんか独特な様子ですが、いずれにしても端正。上部に、大好きな市松モチーフがあるんですが、それも端正過ぎて、なんかわくわく感がうすいのは、残念。

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結局私は、千年たっている朽ちた状態のロマネスクが好きなんだろうなって思います。同時代に生きていたら、どれもこれも端正過ぎたかもしれないよね。
でもね、こういうテイストだったら、多分好き。

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お口がどうなっているのか、ペロンって。
それに、お尻尾の先っぼ、この形は、これまた端正ですが、こういう風に置かれると、なんかめっちゃいいよね。全体にすごくかわいいんだけど、翼の表し方から後ろ足の方の身体の表現っていうか、かなりスタイリッシュでデザイン的な、なんていうのかな、一本の線でしゅっ、って感じでデッサンしちゃう人じゃないかと。

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この子もいいよねぇ。ひづめで本を持っているのがキュートだし、なんかこっちにしっかり目線くれているというのもすっごく愛らしい。威厳じゃなくて親しみやすさ全開のお姿ですね。

その上で、威厳はわたくしが担当します!みたいな様子で頑張っている人もいます。

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翼にしても、表現力にしても、石工さん違う?という気もしますが、どうでしょうね。

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そういう中でもこの跡は、残念過ぎます。跡がこれだけ残っているのも、かえって痛々しいし、残念感が募りますよね。

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ところどころに、こういう人たちが潜んでいますから、ここは宝探しの楽しさがある教会でもあります。
小さい脇後陣の方が、修復が行き届いていないせいなのか、もともと若干傷みが激しいせいなのか、市松帯がいい感じかも。

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ここでも、申し合わせたように顔面破壊が…。経年劣化ということかもしれませんけれど、ここ、アイテムかわいいので、不完全なフィギュア、とても残念です。

十字型の中心部にのっけられている八角形の鐘楼にも言及しておきますが、これはもうゴシック様式となっております。でも、下の方は、どうやらそれなりに古い建築のようなんですよ。
で、こんな人が下の方にいます。

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これ、どっか他の教会でもあったよね。
そうそう、Guebwiller。ここに会った四つのうち、二つがそっちにあるというんだけど、なんでだろう。そっちには、出自がこの教会、というような記述はなかったように思うんだけども。いずれにしても、これは12世紀ではなさそうですね。

続きます。

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  1. 2022/09/13(火) 20:42:48|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:2

久しぶり、赤ひげ王登場(モン・サントディール聖所)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その16

今も、見逃しあるということ、前回触れましたが、見逃しするということは、事前の調査が不足しているからなんですね。
このアルザスの時は、今も情報にアクセスできないストレスを感じるくらい、事前にはさらに情報を集められず、見逃しというよりも、そもそも何を見るために行くんだっけ、ということが分かっていないような場所が多かったです。以前記事にした、すでに当時の面影などほぼとどめていないマルバック修道院とかね。

で、今回も、そういう場所になります。

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オットロットOttrottのモン・サントディール修道院Abbaye du Mont Sainte-Odileです。一大観光地となっているので、トイレもお土産屋もありますし、どうやら、修道院内に宿泊施設もあるようです。そんなこと、まったく知らんかったもんね。
なので、到着した時はびっくりしました。

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標識にいざなわれるままに、修道院の入り口近くまで車で行ったのですが、修道院に近いあたりの駐車場はびっしりでした。こういう状況の場所であると分かっていれば驚きませんが、なんか山間のさびれた修道院、位のイメージしか持たずに行っているので、開いた口が開いたまま、笑、なんで~どうして~…でしたわ。

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しかし、相当離れた場所にもちゃんと駐車できるようになっていて、修道院までの道は、ちゃんと歩ける道もあったりして、歩くのが苦でなければ、まったく問題なし。しかし、とにかくすごい数の訪問者ですよ。超観光地。
仕方ないので、自分のメモを確認して、それだけは見ないとな、という感覚で、人の波にのっていく感じです。

最初にアクセスしたのは、サン・ジャン・バプティスト礼拝堂Chapelle Saint-Jean-Baptisteです。

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ちょっと面白い柱頭があります。四隅に顔があり、人によっては舌を出しています。一見グリーンマン風なのですが、舌を出している人とか、むっつり口を閉じている人とか、明らかにグリーンマンではないのですよね。グリーンマンの意匠が、何か伝言ゲームのような形で、違って伝わったとかそういうことなのかなぁ、とかまたらちもないことを想像しています。

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ちなみにここでも得意の見逃しがありまして、この柱頭のある柱は、「お足元注意」系でした、笑。混雑に辟易しながら、何をどう見るべきなのかおろおろしている状態で、およそ足元を見る余裕なかったのですが、基部の四隅に、お手々が彫られているようです。今後訪問される方、忘れずに見てきてくださいね。

礼拝堂がいくつか並んでいるんですけど、ほぼ並んでいる状態で、表示も撮影したものの、三年もたった今となっては、どれがどれに当たるのか…、という情けない状態です。なので、間違っていたらごめんなさい、とはなから謝っておきます。

この礼拝堂の隅っこに安置されている石棺があり、いかにも古いので、当然聖女のものかと思い、しかしそれにしては地味じゃね?と不思議でした。

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今更、壁の表示を見たら、聖女のお父さんの眠っている石棺、とありました。8世紀のものです。
聖女オディールの棺は、これも古い時代の石棺と思われますが、今ではキラキラの立派なおおいに囲まれていて、本体の様子は分からず状態に祭り上げられています。

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ちなみにオディールがどういう人であったかというと、660年ごろ誕生。当時アルザスはフランス王国内にあり、彼女の父親であるアルザス公(この人、二つ名どころか、三つも四つも通称があったようで、なんか、怪しい…。Adalrico、Cadalrico、Athalric, Ethelric, Atticus, Etichon等々あるようですが、現地では、一番最後のEtichonと記載されていました)は、娘の誕生直後、当時のフランス王と自分の妻の姉妹の結婚により、フランス王と縁戚関係になりました。っていうか、ゴリゴリ行ったということなんでしょうねぇ。
オディールの父親がアルザス公になる以前の時代、アルザスはオーストリア下だったそうで、すでに中世初期から歴史に翻弄される土地だったというのは、あきれるような事実ですね。そこで、フランス王との関係を詰める、というのは、戦略的には正しいので、お父さんはやり手だったのだと思われます。
まぁそういう人だからかな、結構悪い意味でもやり手だったようで、オディールがどういう人だったかというと、以下、大変だらだらと書かれた彼女の人生譚を見つけましたので、2割くらいにつづめてみました、笑。

「オディールは660年ごろ、キリスト教徒として生まれますが、父親は、強く息子の誕生を望んでいました。いまだ蛮族が跋扈する不安定な世の中で、自身の権力や富のすべてを引き継がせるために。しかし生まれてきたのは女子、その上盲目というハンデまで背負っており、父親の失望は尋常ではありません。当時、貴族の家系で障碍者が生まれるというのは、恥とみなされることでした。父親は、それまでの悪い行いに対する天の裁きがくだったのかもしれないとも考えながら、天に許しを請う代わりに、生まれた娘を殺すか、または誰にも見つかることにないような場所に幽閉しろ、と命じるのです。
母親が何とか夫の気持ちを変えようと努力したものの、まったく聞き入れられず、せめては、と自分の叔母が修道院長をしている女子修道院に預けることとします。
オディールは成長するほどに、身も心も美しく、信仰心に篤く、また学業にもたけていきました。しかしながら、いまだ、洗礼を受ける機会を持ちませんでした。
伝説によれば、当時バイエルンを布教中だったRatisbonaの司教であるSant'Erhardが、オディールが住まう修道院に行き、そこにいる生まれながらにして盲目の少女を洗礼せよ、オディールというその少女は、洗礼と同時に、盲目でなくなるであろう、という神のお告げを受けました。彼はお告げに従って修道院に行き、少女を洗礼し、その際、オディールという名前を与えました。オディールOdileとは、神の光、光の娘を意味する名前です。すると、その時、オディールの目が光を見たのです。
修道院長から、オディールの出生の秘密を知らされた司教は、この恐ろしい事実をどのように取り扱うべきかを悩みながら、修道院を辞去します。結局アルザス公のもとに行くものの、その時アルザス公には、すでに四人の息子と一人の娘がおり、オディールに会う気もないのでした。
しかしその後、和解して、オディールは、その家族と会う夢を果たします。ところが、そうなると、父親は、オディールの幸せを結婚に求めようとするのですが、オディールはすでに修道女として生きていくことを決めており反発します。また、しばらくすると、お城での華やかな毎日に耐えられなくなり、本来の場所に戻ります。が、父親は執拗に追い掛け回すので、逃亡せざるを得なくなります。
ところが追跡の最中、突然に岩が降ってきて、父親を直撃したかと思うと、同時に救い出すという奇跡が起こることにより、父親も、オディールが神に導かれていることを理解します。その後、父親はその城の一部を修道院として使うことを申し出て、それがアルザスで最初の女子修道院となります。」

という結構都合の良いお話でした。オディールの聖性を高めるためのものでしょうが、悪徳度の高い父親に罰が下ってなくて、オディールとも和解する様子なのは、聖人伝説としては、かなり優しいですよね。

ま、それは置いといて、オディールはここで数多くの奇跡を起こしたことで、どうやら聖地となったようですね。主に病人を治す系が多かったようですが、自らの半生から、弱者に手を差し伸べる献身が得意技だったらしく、行き倒れの旅人に水を与えたくて、杖で岩を突いたら水が湧き出てきた、なんという奇跡も起こしたようですが、ライ病患者の治癒などは、看護の賜物ということもあったのでしょうねぇ。

あ、この山は、アルザスでは最も高いらしいので、そっからも聖地になりやすかったこともありそうです。

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標高763メートルあるので、眺めは最高によいし、世俗から隔絶して、修道院としての環境は良かったのでしょう。しかし、この標高だと、冬場は厳しかったでしょうねぇ。
それだけの山ですが、おそらく古い時代から、少しずつ土地の整備もされたのだと想像しますが、広い平地に、礼拝堂などが点在しています。

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天使の礼拝堂Chapelle des Anges。

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建物は12世紀とありますが、天井や壁を覆う青いモザイクは、最近のものだと思います。建物は、風景を写した二枚上の写真にある三角屋根のものですが、ローマ時代の物見の塔だったのでは、という説もあるようです。確かに見晴らしがよく、位置的には、物見の塔や、遠距離通信用の火を燃やす場所だったりという可能性はありそうですね。

涙の礼拝堂Chapelle des Larmes。

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オディールが父親の死を悲しみ、その魂の安息を願って泣いたとされる場所に建てられた礼拝所ということです。見てないですけど、オディールが、毎日ここにきて膝まづいて祈っていたので、その膝まづいた跡がすり減っているとか、例によって、オーバーな伝説もあるようです。いや、聖人だからね、跡くらいはつけるか。
ビザンチン風のキラキラなモザイクで装飾されていますが、これも、古いものではないと思います。

また、本堂に戻りますが、ちなみにですが、教会は17世紀以降のもので、面白みありません。

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肝心の教会が面白みなくて、つながっている礼拝堂にちまちま見るべきものがあるという構造で、見逃し推奨みたいな場所です、実際、笑。
これなども、通り過ぎに、え?これは?と気付かなかったら見逃しでした。

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石彫りなんですが、1メートル24センチの高さがあるおおきなものです。なんか、通路に唐突に置かれているので、常に宝探し臨戦態勢でいないと、ほんと見逃しかねない展示ぶり。なんでこんな場所に?何だけど、もともとこの辺りに装飾的なアイテムとして置かれていたらしい、という解説がありました。
でもさ、その感覚疑う。
オリジナルに忠実って、ありだとは思うけど、今が今としてはそぐわない場所だし、なんか落ち着かない場所だし、せっかくの逸品、もうちょっと静かでじっくり対面できる場所に置くことがリスペクトではないか、と。

文句は置いといて。
上は、アルザス公、つまりオディールのお父さんが、修道院創設の覚書みたいな本を、オディールに差し出している場面だそうです。これ、12世紀の修道院創設時の彫りものらしいので、そういう内容になっているんですね。

顔がないのは、もちろんあのフランス革命の愚行の結果です。毎度腹立たしいわね。フランス人って、ジレ・ジョーン(黄色いベスト運動)もそうだけど、暴力的なんだよ、なんか。やはりフランク族に遡るのか、要は蛮族か、とか、つい思っちゃうよね。
ちなみに、蛮族か、のくだりにおいては、今でもフランス人のイメージは「手を洗わない=不潔な人々」というのが、イタリアでは行きわたっています、笑。実際、在住の友人も、その通り、と言っていたし、私自身、旅行中に、なんで手水がないの?とびっくりしたこと多数なので、イメージだけではないような…。はっ。脱線した。

戻しまして。
アルザス公は、カロリング時代、首長に与えられる長い衣を身にまとっており、オディールは、ベールと、貴族のシンボル的な長いみつあみ髪をしているようです。
12世紀の彫り物で、カロリングの風習を描くというのは、え?という感じなんですけど、そういうのってあるんでしたっけ。

側面に置かれているのは、サン・レジェ。

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司教服、そして、おそらく司教杖を持っているようですね。レジェさんとわかるのは、多分頭部の上の方に、名前が彫りこまれているからだと思います。
顔面、無残ですね。

最近思うんだけど、彫り物にしてもフレスコ画にしても、最大の数があるのはもちろんキリスト本人やマリアでしょうけど、聖人だとピエールさんとポールさんが最も多いじゃないですか。それも、識別しやすい、という強みもあるます。でね、数多く見てると、やはり共通するイメージってありますよね。ロマネスク辺りまでは、まだ描きわけが甘いとこありますけど、でも、ピエトロさんのイメージって、あるもんね。
という意味で、最近は、顔や表情に興味があって、こういうの、ほんとに腹立たしいよね。

そしてもう一面が、こうなっています。

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聖母子で、赤子のキリストは、足元にいる二人の女子修道院長に祝福を与えている、という図。
聖母子も、オディールのような長い三つ編みとなっているようですが、珍しいですよね。この高貴な女性=三つ編みって、カロリングなのかな。大体、こういう長い髪を垂らすって、ないよね?

足元にいる女性二人、頭に変なもの乗っかっているけど、拡大すると、そこに名前が入っています。正直、顔の描きわけできてないけど、向かって左がRelindeさん、右がHerradeさんということで、このお二方が、12世紀にこの修道院を大いに盛り上げた立役者のようなんです。

オディール亡き後、実は修道院は衰退激しく、盗賊に襲われたり、火事に見舞われたりして、11世紀にはかなり荒廃してしまったようです。領土的に政治的な闘争に巻き込まれたこともあったようです。しかし、赤ひげ王バルバロッサが、そういった状態に区切りをつけるため、修道院を再建することを決め、すでにほかの修道院で長となっていた、自分の親戚であるRelindeさんを招集します。
彼女は、再建にあたって、アゴスティーノ派規則を導入し、ラテン語、詩、音楽や絵画の教育を修道女に与えるという文化的なレベルアップを図りました。1153年には赤ひげ王が皇帝となり、修道院を訪れたといいますから、箔もついていったことでしょう。1167年にRelinde修道院長が逝去した後、新しい修道院長に選ばれたのがHerradeさん。
彼女は、Relindeさんの意思を引き継ぎ、l'Hortus Deliciarum(Le Jardin des Délices 直訳「悦楽の庭」)という、素晴らしい手描き本を完成させる、という偉業を成し遂げます。それは、修道女たちの教育を行うための百科事典で、合計342ページあり、うち336ページにはミニアチュールの細密画があり、およそ7000文字が盛り込まれました。
内容は、四つの主なセクションに分割されたキリスト教のアンソロジー。
旧約聖書、新約聖書、宗教的な生活、そして、救済、と言ったもので、宇宙学、天文学、地学の知識なども盛り込まれていたようです。
約50の著作から、1160もの文を抜き出したそうで、それはつまりご本人Herradeさんが、それらの著作を読み込んでいた、ということですよね。それはすごいことです。

この本、ストラスブールの国立図書館に保存されていたのが、1870年の火災で大部分消失しちゃったとか。残念なことですね。

いずれにしても、二代続いた素晴らしい修道院長のおかげで、修道院は繁栄を取り戻しましたが、Herradeさん逝去の1195年以降は、またぞろ徐々に衰退方向へ…となるようで、やはりトップになる人材で組織は変わるっていう話、というわけじゃないんですが、そういうことなんですね。で、こうやって彫り物に、それも、同人たちが生きている時代に彫りものにされてしまうくらいのすごい人材というのは、そうそう輩出するもんじゃない、ということでもあるのだと思います。

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なかなかディテールがよくて、こういうのがもっと沢山あったんだろうなぁ、と思うと、大きな変容を遂げてしまった修道院、ちょっと残念ですね。

今回は、検索したら、やたら歴史系のうんちくが出てきてしまって、ついつい読んでしまって、余計な時間がかかってしまいました。読んでしまったのは、美術的な解説を期待したkらなんですが、そちらに関してはちょびっとしか出てこなくて、残念だったのですが、面白い時代でもあり、ついつい、長文になって失礼しました。



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