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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

地味目のツートンカラー(グラヴェドーナ2)

(2019年10月訪問)

グラヴェドーナGravedona続です。

2020 gravedona 014

サンタ・マリア・デル・ティーリオ教会Chiesa di Santa Maria del Tiglioです。
全体に、縞々のツートンカラーとなっています。灰色の石が、Moltrasio産で、白は、Musso産の大理石。どちらもコモ湖周辺の土地ですから、地産地消と言いますか、加工できる石が豊富な土地だからこそ、コモの石工集団が発達したのでしょうね。

ところどころに、白の代わりに、ピンクがかった石が挿入されているのですが、これが、装飾的なものなのか、どうなのか。全部がきっちりと同色で縞々よりも、デザイン性が高いというのか、アクセントになっていると思います。この、違う色の挿入で、縞々感は、かなり薄まっていると感じますので、それが意図するところだったのかどうか。
それとも、あれですかね?ロマネスク建築では、度々出会う、あえての不完全性ってやつ?一辺が歪んでいたりとか、神の完全性を侵さないように、あえて不完全なものを作るっていう。

この鐘楼、35メートルもあるのだそうです。
昔は、この辺りに、背の高い建物もなかったでしょうから、ランドマークとしては、とても目立つものだったのでしょう。
でも、それなら、湖側に建てた方が、より意味があったのではないか、と思ったりもします。

2020 gravedona 015

これ、後陣側ですが、ほら、湖のほとりなんですよ、すぐに。
湖側の後陣は、こういう様子です。

2020 gravedona 016

あ、でも近いと見えない鐘楼も、湖上からは、ちゃんと見えるから、それなりにランドマークであったということかな。
後陣側も、ちゃんとツートンカラーですが、とっても控えめで、渋い縞々ですよね。
縞々というと、なんといってもトスカーナはプラートやピストイアなどの、白と緑の激しいやつを印象しますが、あれは、ああいう石があるからこそああなったということなんでしょうね。

さて、正面側に戻りますが、鐘楼は、上部が八角形となっています。段毎に、サイズの異なる開口部があるのは、ロマネスク仕様ですが、今ある姿は、16世紀前半頃のもののようです。確かに、開口部が、ロマネスクのものだったら、もうちょっとバランス均衡的ですよね。これ、一番上の二連窓のバカでかさに比べると、その下の二連窓が、ちっちゃすぎで、ちょっと変。

この、ファサード組み込みの、スタイルは、フランスのブルゴーニュ地方やアルザス地方によく見られるもの(Clocher-porche)で、この土地が、それらの地域と深くつながっていたことの証左とあります。前回紹介したPiuroも、変容が激しいとはいえ、同じスタイルでしたよね。
アルザスなどは、もっとドイツ的に、西構えの日本鐘楼ドカン!というタイプも多かったように記憶しますが(早く、アップしたいものです、涙)、ブルゴーニュあたりだと、確かにファサード鐘楼一体型、というスタイルは多かったような。
なんせ、Via Regina上にある村ですから、フランスやドイツの様式が日常的に入ってくる土地ではあるわけですね。

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白い帯の部分に、よく見ると、浮彫があるのがわかるでしょうか。
ケンタウロスとか、鹿とか。

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これらは、どうやら、この辺りで見つかったものを、はめ込んだらしいです。ローマのものがあったり、初期キリスト教時代のものがあったり。

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これなどは、おっぱい?

2020 gravedona 020

大きな切り石にポツンとある感じで、もともとどういう状態であったのか、まったく分かりませんね。軒持ち送りなどに、こういうものがあったことはありますけれど、これ、部分だけを大きな石に張り付けているのかなぁ。

では、入場します。

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ほぼ四角な感じで、上部にマトロネオ的な構造物があります。もともとは、初期キリスト教時代の洗礼堂だったと考えられており、それを基本に作られたがために、こういう四角構造。一部、その遺構が見られます。
例えば、床です。

2020 gravedona 022

かつては、床面がモザイクで覆われていたのですね。初期キリスト教時代には、よくあるスタイルです。
彫れば、もっと出てくるのか、すでに損壊が激しいのでこれだけ見せているのかは分かりませんが、いずれにしても、床面全域がこうだったことは間違いないですね。
今よりは、一回りも小さい建物だったようですが、それにしても、手間暇のかかる、つまり金のかかる洗礼堂を作っていたということです。
この床面モザイクは、1900年代の修復で発見されたそうです。

さて、マトロネオのような構造物ですが、どこからアクセスするのか。

2020 gravedona 023

これは、入り口のある西側壁となりますが、どうやら、この壁の中に、階段があるようです。それで、マトロネオや鐘楼へのアクセスができたそうです。確かに、厚みが半端ないですよね。ちょっと面白そうですが、公開はしていないので、今でも使用可能なのかどうかは不明。
実は、勝手にマトロネオと呼んでいますが、この構造の目的は、実は不明だそうです。おそらく建築学的に、石の重量を拡散軽減する技術的な必要から作られたのではないか、と考えられてはいるようですが。確かに、信者のためのスペースとしては、高すぎますし、実用性が感じられないです。

壁面にあるフレスコ画は、ほとんどが14世紀以降のもので、私はあまり好きではないのですが、ちょっと興味深い話があったので、記しておきます。
上の写真ではなくて、東側の後陣側のフレスコ画だと思うのですが、聖母子とマギが描かれています。

2020 gravedona 024

下手な写真で、判別しにくいと思いますが、これは、結構後の時代の再建フレスコらしいです。なんかマギが持っている贈り物が、浮き出しになっていて、変ですよね。
オリジナルのこのフレスコ画が、描かれた時なんでしょうか。二日間にわたって、輝き続けた、という伝説があり、この逸話は、当時の多くの史書に記されているそうです。
東側にあるとはいえ、本当にこの場所にオリジナルがあったとすると、マトロネオ的構造で光が邪魔されるため、自然に明るい場所ではないはず。今は、ライトがあてられているので、変に光っちゃってるくらい、まさに輝いているわけですが、当時は、ほとんど真っ暗だったのではないかなぁ。でも、もしかすると側壁の窓から、光が当たる時間があるのかもしれないし、そういう伝説には、理由があるような気がするんですよね。

上の方の西壁右側の壁面には、木製のキリスト像があります。

2020 gravedona 025

これは、12世紀の作品ということです。立派な彫り物ですよね。でも、実際にここにあったものかどうかは、分かりません。

植物モチーフの立派な柱頭がいくつかありました。

2020 gravedona 026

アーカンサス系は、コモのサンタッボンディオSant'Abbondioとの共通性も感じられるということですが、そちらは次回、紹介しますので、確認してみてくださいね。

つくづく、まだまだ行かねばならない場所がたくさんあることよのぉ、と感心しています。
また、昔に訪ねたっきりの教会は、写真も陳腐化しているので、再訪するべき、と感じました。そういうわけで、つい最近、サンタッボンディオにも行ってきた次第なんです。

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  1. 2020/04/05(日) 02:08:51|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:0

アトラスも真っ青(グラヴェドーナ1)

(2019年10月訪問)

おお!画面が大きいって、いいな~!
毎日、会社貸与の小さいノートブックで在宅勤務しているんで、久しぶりに自分のデスクトップのモニターに感動中、笑。

2020 gravedona 001

さてさて、コモ湖北部にある、ロマネスク的にはマストの教会が本日の記事となります。
修行を始めた頃、コモ湖地域というのは、ミラノからかなり行きやすく、また関連情報も多かったので(Romanicomoという、ロマネスクとコモをもじったサイトが、ずいぶん昔からあります)、ちょこちょこ攻めてはいたのですが、なんせ、厳しい土地なので、アクセスが怖くて、どうしても行けてない場所が、いまだにいくつかあります。
湖沿いは、対抗二車線の狭い道で、よい季節だと常にそこそこ混んでいるので、のろのろもできない状況。湖側に村がある場合と、山側の場合があるのですが、いずれも、駐車スペースは非常に限られているし、狭い道の路肩にあったところで、なかなか急に停まれるもんでもないし、また、山側だと、いきなりすごい坂道になったりして、何度も辛い修行をしたもんです。
前置き、長い、笑。

2020 gravedona 002

グラヴェドーナGravedonaのサンタ・マリア・デル・ティーリオとサン・ヴィンチェンツォ教会Santa Maria del Tiglio e San Vincenzoです。
言わずもがなですが、左の縞々がサンタ・マリアで、右がサン・ヴィンチェンツォとなります。村中ですが、湖のほとりで、大変美しい印象的なロケーションの教会です。

来て初めてわかりますが、何も怖がることはなかったです、ここは。村、というより、結構それなりの町で、教会のある一帯は、平地で、至近に無料の駐車場もありました。ドイツ人などのツーリストが多い季節はごった返して、駐車も大変かも知れませんが、訪ねた時は、すべてガラガラで、湖沿いのレストランもほとんどクローズで、リゾートさもあまりなし。

実は、この町でお昼を食べようと、楽しみに来たのですが、そんなわけで、店がない…。唯一開いていたレストランは、かなりの高級店で、メニューを見て踵を返し、湖沿いで唯一何か食べられそうだったバールにて、ピエディーナ(ロマーニャ地方のパニーニ)とプロセッコで簡単お昼といたしました。しょぼいながらも、ピエディーナとしてはおいしい部類でしたけど。

教会がちゃんと開いていることを確かめてからランチをして、満ち足りた気持ちで、ゆったりと見学開始です。

この教会が建っている場所は、古代から神聖な場所と捉えられていたようで、サンタ・マリアの、今ある建物の下には、古い時代の神殿があったものと考えられています。というのも、発掘調査により、ローマ時代の祭壇や墳墓が見つかったりしているからなのです。

古代から神殿があり、また、初期キリスト教時代の遺構も見つかっているため、延々と祈りの場であり続けたそのすぐお隣に、さらに教会を建てた理由は何か?
確かにね。
お隣のサン・ヴィンチェンツォ教会は、バロック時代に激しく変容してしまって、それ以前の遺構は、わずかなのですが、いずれにしても、創建は11世紀と考えられています。この一帯が神聖な場所だったいうこと、また村のスペースには限りもあるでしょうから、もう一つ教会を建てるなら、ここしかなかったというのは分かります。
ふたつあるのは、実は割とよくあることで、そこそこの規模の町村であれば、複数の教会があるのは当たり前ですよね。ここまで隣接していることはまれではあっても、人口比から言ったら、こんなに要らないのではないか、というケースは結構あると思います。

教会それぞれの用途が、違っていただろう、というのが、基本的な理由だそうです。一方を高位の儀式用、もう一方をデイリーユース用、とか、一方を一般市民用、もう一方を貴族用、とか、ま、そういう区別をしていただろう、ということです。

説明長し、恐縮です。
前にも書きましたが、イタリアものだと、イタリア語の資料が読めちゃうんで読まないわけにいかず、そして読むと一応まとめてみたくなっちゃうので、ついだらだらと。資料があると、写真と突き合わせてまとめるのが、意外と面倒で、それで、アップが遅くなると。
まぁ、そんなわけで、知的好奇心はいくらか満たされるのですが、アウトプットに時間がかかります。スミマセン。

まずは、サン・ヴィンチェンツォ教会から。

往時の面影は、トップの写真でも見える北側の壁面などわずかです。
壁面の下半分でしょうね、ロマネスク時代のものは。

2020 gravedona 003

浅いつけ柱にブラインド・アーチで、とてもロンバルディアしています。
でも、中は、こんな感じ。

2020 gravedona 004

建物構造は、あったものをそのままに残したものの、内部はもう見事に痕跡なしです。
ただ、説明を読んでいたら、内陣近くの壁に、初期キリスト教時代の、Musso産大理石の石板を使った墓碑が掲げられているということでした。
このあたり、墓地がたくさんあったのでしょう。今は、その痕跡もないのですが。

ただ感謝したいのは、実は、クリプタが残されているんです。

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二つの教会を撮影したトップの写真と見比べていただけると、位置関係がわかると思いますが、ここに、階段があります。
階段を降りて、クリプタの床面からは、こんな感じ。

2020 gravedona 006

半円柱のつけ柱が、組み込まれた壁が、後陣のクリプタ部分を囲んでいたようです。この壁により、本来の本堂の大きさが明らかで、後代に、後ろの方にも付け足しがされたようです。

さて、入場です。

2020 gravedona 007

ほぉぉぉ。
とってもシンプルなヴォルトの連続。柱の森。いかにも11世紀という古い時代のクリプタで、大変好みです。
漆喰は、オリジナルもこうだったのかな。石がむき出しの方が、雰囲気は出そうですが、この漆喰は、悪くないです。

中から先ほどの入り口側。

2020 gravedona 008

構造的には、もともとここに入り口があったようですね。
それにしても、しびれる床面です。オリジナルかどうか、わかりませんが、さすがに石材の産地だけあって、素敵な石が使われています。

2020 gravedona 009

何とも味のある…。度々修復が入りながらも、ところどころにオリジナルの床石が残っているという感じでしょうか。ツルツル感と言い、このでたらめな幾何学模様的な配置と言い、すっごく好きです。
奥の方に、区切られた一角があります。

2020 gravedona 010

手前側のスペースです。
中はごちゃごちゃ物置状態になっていましたが、オリジナルは、ここから、本堂にアクセスする階段があった様子です。このスペースの床面も、良い感じでしたので、メインスペースと同時代と思います。

2020 gravedona 011

一部、フレスコ画が残っていました。

2020 gravedona 012

サンタ・マリアの方でも、フレスコ画がありますが、比較的新しい時代(14世紀以降)のものが多く、こちらも同じような時代の者かと思います。が、この部分の様子を見ると、全体にフレスコ画あったとしても不思議ではないので、もともとは、柱や柱頭は地味でも、絵では見せちゃる!というタイプのクリプタだったかも、とか、妄想します、笑。

教会を改装する際、埋め込むのも面倒だし、階段閉ざしちゃえばオウケイ、そっちは扉閉めちゃえばオウケイ、という風にして、余計な破壊をしなかったのは、予算の都合か何か分かりませんが、おかげで今、ほぼオリジナルの構造を楽しめるわけで、ありがたいことでした。

2020 gravedona 013

しかし、この繊細な円柱で、重たい石造りの建物を支えてるんですから、アーチ構造って、本当にすごいもんです。アトラスが見えるような…。

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  1. 2020/04/04(土) 01:22:17|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

よくぞよくぞ待っててくれました(ピウロ)

(2019年10月訪問)

この辺りに出かけた時は、友人と一緒だったし、明日どっか行こうよ、と唐突に出かけたこともあって、あまりちゃんと調べてなかったんです。で、キアヴェンナの洗礼盤のところで、あら、こんなものがあるんだ、とびっくりして、足を延ばしました。

2020 piuro 014

アウローゴ・ディ・ピウロAurogo di Piuroのサン・マルティーノ教会Chiesa di San Martinoです。

私が気付いてなかっただけで、ロマネスク的には、それなりに有名なはず。私が愛用しているJaca Bookのロンバルディア・ロマネスクの本にも、ちゃんと出ていました。
ただ、この辺りは、いつか行かねば、と思っていたものの、いきなり訪ねることになっちゃったんで、事前に調べもしなかったんですよね。ここだけを目指すのはちょっと辛い場所なので、キアヴェンナで絵葉書を売っていたおかげで気付くことができて、本当に感謝です。さらに、とりあえず、あるものすべてチェックする自分の宝探し習慣に感謝です、笑。

実はこのあたり、山中で、小さな村が続くのですが、Piuroだけでは出てこないんですよね。今は、スマホで教会の名前を入れれば、ナビゲーションアプリが自動的に連れて行ってくれますが、ナビやグーグル・マップのない時代、たどり着くだけで大変だったろうな、というような場所です。

2020 piuro 015

道は簡単で、キアヴェンナの洗礼堂の人が口頭で教えてくれた通りで、村までは、ナビを見るまでもなかったのですが、教会の正確な場所はちょっと迷いました。

トップの写真で、奥の方に、もう一つ鐘楼が見えるのがわかるでしょうか。ピウロと思って、路肩にあった駐車場に入った村の、鐘楼なんです。鐘楼は結構古そうなたたずまいでしたが、本堂は絶対に違うし、スマホを確認したら、まだ先に進め、というので、半信半疑ながら、先に進み、結局、目指す村が、川向うということがわかりました。

美しい山々をバックに、絵画的なたたずまいで、なんでこんな素敵な場所、今まで調べてないんだ、オレ、と、大いに反省しました。
なんといっても、このロマネスク感バリバリの鐘楼は、うっとりしますよねぇ。

2020 piuro 016

それに比して、教会本体は、遠目にも、かなり修復が激しいことがわかると思います。
実はここ、1618年に、激しい土砂崩れに襲われて、かなりの損害を受けた村だそうなんです。教会は、その多くの部分が、幸いにも損壊を免れたものの、無傷というわけには、行かなかったこと、また、村人にとっては常に現役の教会であったことから、度重なる修復や改修を受けたことから、外観は、ロマネスク部分がほとんどなくなってしまったということなのですが、この鐘楼は、ロマネスク的には、ほとんど無傷ですよね。

2020 piuro 017

天辺の三角屋根まで見えると、全体にすっきりと細い感じになります。
ずっと二連窓が続いていますが、上に行くほど、ちょっと広くなっているようにも見えますが、どうでしょうか。アップで確認しても、同じサイズに見えます。
それにしても、石の質感と言い、素朴な装飾と言い、久しぶりに、美しいロンバルディアの鐘楼にあったな、と思いました。

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二連窓の中央に置かれた小円柱の、かわいらしい渦巻き柱頭。何とも愛らしいシンプルさです。シンプルながら、それぞれ微妙に違うんです。

2020 piuro 019

ちなみにこの鐘楼、ファサードに組み込まれて立ち上がっているスタイルです。

2020 piuro 020

逆光で見にくいですが…。本堂がほぼ新しくなってしまっているのが残念です。
このスタイル、この後訪ねる著名教会と同じなので、そちらで記すこととしますが、アルプスの向こう側でよく見られるClocher-porcheとなります。

思わず長くなってしまいましたが、実はここを訪ねた目的は、これじゃなかったんです。鐘楼は、おまけみたいなものだったんですが、思いっきり食いついてしまう美しさでしたから、期待が高まります。

しかし、あいているんだろうか、という杞憂がありましたが、幸い、お掃除の人がいらしていました。

2020 piuro 021

一見すごく新しいし、目的のアレがどこにあるのかもわからず、え?ここじゃなかった?と焦りました。ぐるぐる見回して、右上のアーチの上に気付きました。

2020 piuro 022

こんなところに~!これは、あれか、もともとの構造がないがしろにされて、新しい構造になっちゃったけど、フレスコ画は消されずに無視されちゃったというやつか。アオスタの教会がそんなのでしたよね、確か。
この部分は、オリジナルでは南壁に当たる場所。福音書家ヨハネのエピソードが描かれているようです。
後陣に近い方のアーチ部分。

2020 piuro 023

西側のアーチ部分。

2020 piuro 024

1700年代に作られたヴォルトで、多くの部分が隠されてしまっていますが、11世紀と考えられているフレスコ画。
最初のやつは、エルサレム入場らしいです。
二番目のやつの、左端は、文字が見えるので、ラザロの復活ぽい。
その他、姦淫の許しとか、盲人の快癒とかあるのですが、わかりますか。

ファサードの裏側部分にもあったようですが、これはもうほとんどわかりません。
人々が横並びで正面に向かって立っている様子からは、ビザンチンのイメージ(ラベンナのモザイクのイメージ)も感じられますが、どうでしょうか。

2020 piuro 025

これが、後陣側から、南壁、ファサード側の眺めです。

2020 piuro 026

今、向こう側に新しいスペースを作ってしまったために、壁が壊されて、アーチになっちゃったわけですが、オリジナルの教会は、ここに壁がある一身廊の小さな建物だったのです。そして、この壁全体に、このようなフレスコ画があったと。素晴らしいですよね。手前の方にも、わずか残されたものがありますから、壁も後陣も、フレスコで覆っていたのでしょう。
研究によれば、チヴァーテのフレスコ画と同じマエストロがかかわっているということ。確かに同時代、距離も近いですから、さもありなん。

北壁は、教会が捧げられたサン・マルティーノの生涯ということですが、かなり難しい。

2020 piuro 027

今は、石壁がむき出しとなっていますが、勿論こちらも、上にべったりと漆喰が塗られていたものです。修復で、フレスコ画見つかったので、全部はがしたのでしょうが、それでも、これだけしか救えなかったのですね。残念です。
これだけで、サン・マルティーノのエピソードだとわかったのは、この、むち打ちのシーンがあるかららしいです。

2020 piuro 028

サン・マルティーノは、カロリング時代、ロンバルディアで人気のある聖人だったようです。なぜかというと、どうやらサンタンブロージョと同時代の人で、親交があったとかそういうことらしいですが、どうなんでしょう。

2020 piuro 029

残念なところもあるわけですが、それにしても、よくぞこれだけでも残ったものだし、見つけてくれたもんです。1970年代の修復で見つかっていますから、かなり最近なんですよね。そこで発見されて修復されて、この姿ですから、今見るべき丁度よい時だったのかもしれません。

たまたま開いておりましたが、いつも開いているとは思えません。でも、お掃除されていたのは、ご近所の方っぽかったので、鍵は村にありそうです。声をおかけしたのですが、非常に迷惑そうで、ほぼ無視されました、涙。何かお話を聞ければ、と思ったのですが、インフォメーションなら、そこに冊子があるから、とすげなく…。
確か、絵葉書はありましたけど、リゾート系の冊子しかありませんでした…。

ここね、そういう土地なんですよね。近所に、立派なあれが。

2020 piuro 030

アクアフラッジャの滝Cascate dell'Acquafraggioという有名な滝があって、これは結構観光地になっているようでした。特に興味がないので、車窓から撮影したのみです。

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  1. 2020/03/29(日) 20:48:30|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

衝撃的に印象的なMezzorilievo(キアヴェンナ)

(2019年10月訪問)

そういうつもりではなかったんですが、今や世界でもトップクラスのホットな土地、ロンバルディア特集になっていて、なんだか複雑…。
ご心配くださっている皆様方には、どうぞご安心くださるようにお願いします。元気に生きております。1週間に1回、スーパーへの買い出ししか外出できない生活も3週目ですが、人間、慣れるものです。

ロンバルディアは、誰でも知ってるロンバルディア帯だったり、コモの石工だったり、ロマネスク芸術には多くの貢献をしている土地ですから、ロマネスクの遺構はたくさんあるんです。どれもが比較的地味なんですけれど。
中でも、コモ湖周辺は、宝石箱をひっくり返した状態で、小さな教会が散らばっています。どこも行きにくいので、住んでるからこそ、気軽に訪ねられるわけでもあるのですが、実は、ミラノからも、結構行きにくい。というか、遠いんです。
コモ湖畔最大の町は、ミラノ寄りのコモだと思いますが、そこまでは、車で40分程度だし、高速並みの国道ですから、快適ドライブなんです。しかし、コモ湖の北部は、湖畔の道を延々必要があり、前回記事にしたサン・フェデリーノあたりだと、2時間ほどもかかってしまい、同じ時間を南に進めば、ボローニャまで行けてしまうというような、そういった場所なんです。というわけで、このところご紹介している数々は、これまでなかなか行けていなかった場所なんです。

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訪ねたのは、キアヴェンナChiavennaという町です。アルプスが迫る山のリゾートといった風情の町となります。ここは、鉄道駅もあり、それも町中なので、電車アクセスも可能です。車であれば、鉄道駅の駐車場が便利です。

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山あいに広がる、中世の町という風情。中世の地味な塔が、ありました。
さて、でも目的はこれじゃなくて、こっち。

2020 chiavenna 003

サン・ロレンツォ教会Chiesa di San Lorenzoです。
どう見ても、中世じゃないじゃん、なんですけど、実はここにお宝があるんですよ。もうずっと行きたいと思いながら、道のりの遠さにひるんでいた場所。こんな変に半端に新しい入れ物になっているとは知らず、場所を特定するのに、ちょっと手こずりました。

イタリアだと、どうしても資料に目を通してしまうし、素通りできないので、他の国のケースと違って、饒舌になりがちですみません。今回も、だらだら書いてしまいます。

このキアヴェンナ谷Valchiavennaは、イタリアから北部へとつながる交通上の要衝だったことから、かなり古い時代から、人々の定住があったものとされています。しかしながら、キリスト教が定着した時代や状況については、詳細は不明なんだそうです。ロマネスク期に、定住者が増えたから教会も爆発的に増えたのか、その前から、同じように多くの定住者がいたのかどうか、ということなんでしょうけれど、考えるに、ロマネスク様式が広がったのは、人の行き来が盛んになったからなわけで、10世紀ころから、往来が増えるとともに、定住者が増え、町村としての体裁が整ってきたということなんでしょうね。
コモ湖の西側は、Viale Regina女王街道という古い道があり、それ沿いの村々に、ロマネスク教会があります。一方東側は、土地の関係でしょうか。西側に比べると町村が少ないのですが、立派な修道院(ピオナ修道院)が、今も残っていますね。

で、キアヴェンナに話を戻すと、このサン・ロレンツォ教会も、11世紀前半には、すでに教会があったという記録があるようです。また、12世紀初頭に洗礼堂が付け足されたという記録もあります。
しかしながら、16世紀前半に、火事で焼失、その後、後期ルネサンス様式で再建されたために、私などが行っても、感動がない外観になってしまったというわけです。

では何を見に行ったかというと、こちらになります。

2020 chiavenna 004

洗礼盤Fonte Battesimaleなんです(3月/5月および10月/12月:土日祝9-12/14-17、6月/9月:毎日9-12/14-18)。
立派でしょう。すごく大きくて、びっくりしました。

この地域で産出するOllareという石の塊から、掘り出されたもののようです。
オラーレという石は、初めて聞いたと思うのですが、まさにこの地域特産の石で、加工が容易なのに、火に強い性質を持ち、主に、オープンやストーブ、また鍋や鉄板などの調理器具にも使われるものなのだそうです。ということは、今も石切り場があるということなんでしょうね。

1699年、もともとこの洗礼盤が置かれていた八角形の洗礼堂が、新しい構造物をつくるために壊された際、洗礼盤は、新しい建物に置かれることとなりました。しかし、なんということか、移動する際に、今は、階段状になっている台で支えられていますが、本来、支えとなっていた福音書家のフィギュアが壊れて失われたしまったということです。今残っているものだけで、もうびっくりするくらい素晴らしいのですが、これが、猫脚状態で、福音書家のフィギュアに支えられていたとしたら、かわいらしくて、叫んじゃいそうですよ。残念。

円周6メートルもあり、なぜそんなに大きいかというと、イースターおよびペンテコステの際に、キアヴェンナだけでなく、この地域一帯の新生児の洗礼を実施するためだったんだそうです。17世紀になって、地域のあちこちの教会で洗礼が可能になると、この洗礼盤の役割が終わり、ここでも、より小さな洗礼盤が用いられるようになったということです。

せっかくなので、浮彫の全体を、じっくりと。
テーマは、古代の洗礼儀式を描いたものということです。洗礼の本来の主役である水、聖水を祝う儀式ということで、キリスト教と古代宗教の混ざったイメージのテーマになっているんでしょうか。お水を祝うって、ふと、お水取りとか浮かんだんですけれど、水は、どの宗教でも重要なんですね、きっと。人にとって重要なもの、という背景がやはりあるんでしょうか。人が、水から生まれてくるからでしょうか。

彫り物では、浅浮彫Bassorilievoというスタイルが多いですが、これは中浮彫Mezzorilievoというスタイル。ほとんど、飛び出す絵本状態で、彫刻との差は紙一重ですね。Mezzorilievoと明確にされているケースは、非常に少ないため、これまで、浅くないよな、と思いながら、浮彫は全部Bassorilievoと認識していました。いい加減にみているので、いつでも新鮮な学びがあります、笑。

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主人が、洗礼を受ける子供を抱き、イースターのろうそくを持つ待祭。祭司ら、助祭が支える典礼書を読みながら、洗礼の祝福の祈りを行っている。

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他の助祭が、三角帽をかぶり、司祭の十字架を持っている。

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それに続いて、火のついたろうそくを載せた燭台を持つ副助祭。この副助祭、ライトセーバー持ってる風で、イケメンですね。

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三人の使徒が釣香炉と聖なる油の入った小瓶をもって続く。

2020 chiavenna 009

儀式には、三人の儀式には直接関係ない人々が彫られています。

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城で働く鍛冶屋、塔の上で見張りをする兵士、鷹を持った優美な騎士。
これらは、当時の生まれつつある社会における階層、つまり、職人、普通の人々、貴族を表したものとも、イースターの祝祭に参加する皇帝の代理人(騎士)、キアヴェンナのシンボル的な代理人、そして自由都市の自尊心を表すフィギュア(鍛冶屋と兵士)という解釈も。

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浴槽の淵には、1600年代に彫りこまれた分があり、そこには、キアヴェンナおよびこの一帯の人々の望みで、1159年3月に、この洗礼盤ができた旨、記されています。

作品は、場所から言っても、当然コモの石工のものですが、かすかにモデナで活躍したマエストロWiligelmoの影響がみられるということです。それは、背景がすっきりすべすべで、余計な彫りこみがないことや、人物がシンプルな線を基本にして彫られていることなどだそうです。モデナの大聖堂にある素晴らしい彫り物絵巻を、改めて写真で確認してみないといけませんね。
しかしなぜ、Wiligelmoの影響があるのでしょうか。当時、コモの石工の技術は引っ張りだこでしたから、当然有名マエストロの工房には、コモ石工さんがいないわけがないですね。それで、マエストロと仕事をした経験のある石工さんが、どうやらこの彫りにも関わっていたのでは、という推測ができるのです。
コモの石工さんは、ヨーロッパ中を歩いて、その技術を伝承するとともに、各地で異なる技術を得て、融合して、どこかで実現して、ということをやっていたのかもしれませんね。それって、すごくロマンですねぇ。

2020 chiavenna 012

今は、こんな風ですが、オリジナルは、浴槽だったのでは。
一部失われたのは残念ですが、実に素晴らしい洗礼盤です。よくぞ、これだけでも保存してくださった、と感謝の念でいっぱい。

2020 chiavenna 013

ちなみに、ここは、門番さんがいますけれど、入場無料。
一方、お隣に宝物館があり、そちらは有料となります。ロンゴバルド細工的な、キラキラの聖遺物入れとかあるようなんですが、このときは、入りませんでした。
一人じゃないと、若干見学にも制約があるんですよね。でも、また行けばいいと思っています。良い季節に行けば、気持ちの良い場所だし、一度訪問済みだと、様子がわかるので、気楽に行きやすくなります。
とにかく早く、遠出がしたいです!

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インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
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  1. 2020/03/28(土) 03:17:38|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2

待って待って、出会えた喜び(サン・フェデリーノ2)

(2018年9月訪問)

さて、前回は、Samolacoの村から歩き出してすぐ、廃墟に出会いましたが、そこまでは、平坦で気持ちの良い林道でした。しかし、そこからは、徐々に踏み分け道状態となります。

2020 sanfedelino 014

岩肌に、植物が茂っていて、山奥みたいな状況になります。
ワイルドな…。

2020 sanfedelino 015

落雷でもあったのか、ぼっきり、見事に道をふさいでいます。割れた部分が、みずみずしい肌色だったので、かなり最近のことらしい。
時々、Mezzolaの湖が見えます。鉱物などが溶けているような色をしている湖です。ほとりに、砂利の工場なのか、そういったものがあったので、石があるのではないかと思いました。

2020 sanfedelino 016

左手に湖、右手に岩肌を見ながら、かなり道なき道状態となっている藪を行きます。

2020 sanfedelino 017

最後の方で、岩がゴロゴロしている登りを、もう這いつくばるようにして進みます。この辺りは、写真を撮る余裕もなしです、笑。Civateは、登りはそこそこきついとはいえ、整備された山道なので、ここを行けばいいんだな、という安心感がありますが、ここは、勿論行きつく場所は一つ、というロケーションではあるとはいえ、若干不安になるような道。これは、一人では絶対に来られないです。
炭焼き窯のあったところから、かなりのアップダウンを経て、約50分。岩場から転げだすような感じでたどり着いた、湖のほとり。
到着です!

向かえてくれる教会の、愛想のないお姿、笑。

2020 sanfedelino 018

サン・フェデリーノ小寺院Tempietto di San Fedelino。
オープンは、4月から10月末の週末、14時から17時。それ以外の時期の見学についての連絡先は、以下となります。

Agriturismo Val Codera
Localita' Giavere, Novate Mezzola
tel 333 780 7686 & 346 224 6391
www.agriturismovalcodera.it

後で触れますが、実は、歩き以外に、この民宿から船で来ることができるのでしたよ。ご興味があるけれど、とても岩山歩きは無理、という場合は、この民宿にコンタクトすれば、すっごく簡単快適に来られます。

そして、そうやってアクセスした方が、インパクトのあるかわいらしいお姿と出会えることができます。

2020 sanfedelino 019

ねね、素敵なロンバルディア様式の、ミニミニ後陣。よいお姿ですよねぇ。

さて、この教会、サン・フェデーレさんに捧げられたものですが、フェデーレさんという聖人、どういう方だったのか。
ローマ軍の兵士だったのですが、キリスト教者となりまして、同様の仲間とともに、284年(私が有する本では、298年となっていました)、迫害を逃れるために、駐留していたミラノから逃げ出したんだそうです。最後は一人となって、この辺りに逃れ込むのですが、結局追いつかれてしまい、改宗を迫られるのに、頑として拒否したことから、首切りされて、埋まられたのが、この場所だったということになっています。
その後、この地域の住民が、殉教者の亡骸を祭るために、小さな礼拝所を建てたのが、教会の起源ということです。
蛮族が押し寄せてきたころ、建物は損壊してしまいます。そんなある日、フェデーレを信仰していた近郊在の女性の夢に現れ、自分が実際に埋葬された場所を告げます。女性は、すぐにコモの司教Uboldoに知らせると、司教はすぐに駆け付け、遺骸を、コモのサンテウフェミアへと運んでいきました。それが10世紀のお話ということです。

2020 sanfedelino 020

そういう経緯のある建物ですので、今ある建物の下には、古い建造物があるそうですが、それが、実際には何に使われていたものかはわかっていないようです。
それにしても、どうして、こんな人里はなれた場所に、という疑問もわきますよね。隠遁所とかそういう性質のものだったのか?

実はここ、岩が採掘されている土地のようなのです。なので、おそらく古い時代から、石を掘り出す人々はいたようなのですね。そういう人たちの祈りの場だったり、集会所だったりするような礼拝所が、あったのではないか、ということらしいです。

今ある、このかわいらしい姿は、10世紀の後半のものとされています。

しかし、到着したのは13時半ごろ。持参のおにぎりをいただいて、カギを待ちましたが、来ません。わたしは、そういうことは日常茶飯事、慣れているのですが、同行者は、ロマネスク病でもないですし、「14時と書くなら14時に来るべきだろう!」とイライラしています。
14時半になっても現れないので、上にも書いた電話に問い合わせると、もうしばらくしたら行きます、ということでした。
仕方なしに、近辺をウロウロします。
北方角と反対側に行くと、すごい岩場が。

2020 sanfedelino 021

斜面に、延々とゴロゴロした大岩が並んでいます。これはすごい昔からこういう状態らしく、このゴロゴロの中に、歩く道があるんですよ。こちらから、岩山に登って、元に戻る道、別方向に行く道にアクセスできるということですが、登山靴でもはいてないと、ちょっと無理。

さらに林を進むと、湖に出ました。

2020 sanfedelino 022

岩ゴロゴロの道を登ると、この正面の岩山の天辺に向かう道に出て、コモ湖の方に降って行く道があるのだそうです。
青緑で、美しい湖の色でした。

まだ来ない…。
おにぎりをいただいたベンチに戻って、ぼーっとしていると、川遊びをしている若者たちが、寄ってきました。

2020 sanfedelino 023

筋肉美の美しい若者でしたが、すっごく感じがよくて、しばらくおしゃべりしました。おばさんになると、なんか変な色気もなくて、色々気楽になることがありますねぇ、笑。きれいだったんで、目がハートになっていたかもしれませんけれど。
昔、ヌードデッサンをやっていたんですけど、その時、男性のヌードも美しいものだなぁ、と気付いて以来、美しい筋肉には、純粋にぼーっとしちゃうんですよ、へへ。

そうこうするうち、もう15時過ぎですかね。鍵の御一行様がやってきました。
そう、このときわかったんですよ。船で来られることが。4、5人のリゾートスタイルのお客さんを連れて、調子のいいおやじでした。
待ちに待った入場です。

2020 sanfedelino 024

淡いパステル調で、大変美しく清潔感にあふれるフレスコ画。
かつてはほぼ全面にあったと考えられていますが、今は後陣部分とそれ以外に、ちょっぴり残っているだけ。

2020 sanfedelino 025

テーマは、祝福するキリスト。キリストの両脇に、天使の姿。彼らの手が、赤い布で隠されているのは、神に対する絶対的な信仰を意味するものです。
下の方には、十二使徒。キリストに比して、非常に小さく描かれています。中央には、聖母がいたのではないかと考えられていますが、窓になっています。ということは、この窓は、後付けのものということですね。

長年にわたる湿気と、人による損害などで、失われてしまった部分が、どういうものだったのか、残念なことです。

2020 sanfedelino 026

修復は、相当頑張ったと見えますが、傷みがひどくて、これ以上は無理だったんでしょう。
時代が下る絵も、あるような気がしました。

2020 sanfedelino 027

持っている書籍に、興味深いことが書いてありました。実は、性格にはどの絵のことなのかわからないんですが、アイルランド起源の装飾ではないかと考えられているものがあると。

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アイルランドには、ケルズの書とか、中世の美しい書籍がありますよね。そういう書籍装飾に使用された装飾的な表現様式が伝わってきたもの、とあるんです。
この場所、今では忘れられたような土地ですが、湖のほとりだし、北部との交通の要衝と言えないこともない場所ですから、いろいろな伝播を受け止めている可能性はある土地なんですね。

それにしても、この小さい空間が、全面フレスコ画だったとしたら、あたかも天国に迷い込んだような、トリップし放題、みたいな場所だったかもね。

うまくアップできるのか不明ですが、Youtubeに動画を張ってみました。

San Fedelino

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  1. 2020/03/23(月) 00:36:39|
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