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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

激しい光と影(アギア・ソフィア大聖堂 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その6

ここまでの二つの教会、早朝に訪ねたら、どちらも絶賛ミサ中だったので、ちょっとのぞいいては先に進む、という状態でこの教会まで来ましたから、三つ目ですが、時間はまだまだ早朝の9時前でした。

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アギア・ソフィア大聖堂Church of Agia Sophia(7-13/17-18時半)です。
確か手前が鉄柵になっていたと思いますが、こちらもオープンは7時ですから、しっかり開放されていました。おそらく、前二つよりは遅く着いているので、すでに早朝のミサは終了していたのだと思います。

それにしても、全体の見た目は、教会というよりはお城とでも言ったようなたたずまいで、鉄柵のところで、思わず間違いじゃないかと確認してしまいましたよ。

しかし、入場してびっくり。ほぼ暗闇なんです。

完全にお手上げ。
テッサロニキでは、有料無料を問わず、ライトアップのサービスはなかったと思います。ミサなど儀式のために、設備はありますが、通常は自然光が基本という様子でしたし、儀式以外の用途でのライトアップは許されなさそうです。厳格…。っていうか、儀式のときのギラギラの明るさと、明りが落とされたときの暗闇のギャップがすごいです。
外光の入らなさは、ロマネスクに匹敵するか、もっと入らないかもね。構造的に、小さなニッチのようなスペースが多いこともあり、とにかく陰影が激しいのです。

ただ、テッサロニキでは結構運がよかったというのか、頑張って歩きまくったご褒美というのか、実は夕方にもう一度アクセスしたら、まさに儀式、絶賛結婚式だったので、ギラギラに明りがともされていたんです。

なんかさ、今ふと気付いたけど、俺って、こういうところで、小出しに運を使っているのか?この数年、不幸続きなのは、こういう小出しの小さい運に持ってかれて、日常では運が不足しているからか?なんてさぁ、ちょっと思っちゃうくらい、この時の旅では、小さいラッキーがあったんだよなあ。

ただ、早朝に訪ねたときは、また戻る予定もなかったし午後のオープン時間は遅いので、光の具合は朝より悪い可能性もありますから、一応暗闇の中見学して、外観も見ておきましたので、まずは外から。

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トップの写真は、アクセス側、つまりファサードなんですが、なぜ、教会に見えないかというと、壁がレンガじゃないから、ということかと思います。
近くから見ると、ちゃんとレンガ造りで、どうやら上に漆喰が塗られている様子ですよね。

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周囲をぐるりと回ってみると、全体はやはりちゃんとレンガ積みです。

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それにしてもビザンチンの教会の様式は、なんだかもう常日頃見慣れているロマネスクやゴシックとはかけ離れていて、一体どこに照準を合わせればよいのか、何をどう見ればよいのか皆目見当がつかず、このあまりにも短い探訪では、レンガの面白さを堪能したくらいで、建築学的な視点を持つことはかないませんでした。特に大きな教会になると、このように箱が積み重なるような様子で、とらえどころが…。

解説から、ちょっと歴史を紐解いてみます。

「現在では、テッサロニキのサンタ・ソフィアは、690-730に建設されたと考えられている。おそらく717年に皇帝になるレオ3世紀の時代。
テッサロニキが、1430、トルコ人の手に落ちた後、キリスト教の礼拝の場所としては稼働しなくなり、1585にモスクに転用された。
1890に火事で多くが損害を受け、1907-1910に、トルコ人によって再建された。1912に再びキリスト教の礼拝の場所として修復された。」

最も簡潔に、現在の教会を物語るのは、この数行だと思います。かなり最近に火事に見舞われたとのことなので、外部は結構再建部分が多いということなのでしょうね。それでしっくいだったりもあるのかもしれません。

ただし、7世紀初頭に建設されたのは、今ある教会のもととなっている建物なので、オリジナルはもっと古いみたいで、歴史蘊蓄、実は結構あります、笑。

「テッサロニキにおける中世モニュメントの中では最も重要とも考えられるこのサンタ・ソフィアと、コンスタンティノープルにおける同名の教会はどちらも、キリストに捧げられたもの。325年最初のNicaea公会議によって、真のロゴスLogos神の言葉、理性であり神の知恵であるものとして認められたキリストである。
現在サンタ・ソフィアが建つ場所は、以前、初期キリスト教の五身廊を持つバジリカがあり、それはおそらくサン・マルクスに捧げられたもの。その後陣は、現在一部が居住用アパートとなっている建物の基部に当たり、その入り口は、サンタ・ソフィア広場の入り口にあたる。そのサイズは巨大で、おそらく163x50メートルもの広さ。
しかしこのバジリカは、5世紀前半に、618年ごろの大地震で損壊した。サンタ・ソフィアは、そのすぐ後に建設され、7世紀の半ば、古い建物の一部だけをしめるサイズだった。寺院は、ビザンチン時代には、多くの政治的な建物および宗教関係施設に取り囲まれていた。」

コンスタンティノープル、つまりイスタンブールのアヤ・ソフィアっていうことですよね。あそこはもちろん、モスクとして機能しておりますが、確か聖母の素敵なモザイク画があったと記憶しております。
ふと思いましたが、この建物も、四隅に細い塔を建てたら、そのままモスクみたいになる構造ですね。そういうこともあるからこういう形、というのがあるんですかね。
元々あったとされるバジリカの遺構などについては不明で、ただ地震による倒壊ということなので、おそらく全壊状態だったのですかね。後ほど、装飾面を考察していく中で、何かでてくるやもしれませんが。

「サンタソフィアは、ユースティアヌス時代のコンスタンティノープルのサンタソフィアよりも古いと考える研究者もいる。主な理由は、いくつかの建築的アイテムが時代をさかのぼるからである。ペンデンティブが小さく、円形というよりはほとんど平面的であること、ドームの基部が、正確な円ではなく、カーブした角を持つほとんど四角であることなど。
建築が、まだ新しいタイプの教会建築に親しんでおらず、特にドームを支えるアーチ構造についてが追い付いていなかったのであると考察されている。
現在、この建築は、ドームのあるバジリカと、多角ドームのある教会の間のつなぎ的な時代のものとされている。そのどちらについても共通の特徴がある。
第一に、そのプランは、どちらも縦長の四角ではなく、四角いこと。二番目に、ドームが、バジリカ様式にあるような狭いアーチでなく、多角形の教会のドームのようなトンネルヴォルトによって支えられていること。三番目に、サンタ・ソフィアのトンネルヴォルトは、多角形教会のケースのように、建物の外壁に届いておらず、バジリカ様式のように、分割された屋根をもって二つの側廊に届いていること。
多角の教会の特徴としても、サンタ・ソフィアは、東側の聖所の上のトンネルヴォルトがより多く用いられている。
東側に置かれた三つの後陣は、皇帝ユスティアヌス2世の時代565-578の後に建設されたもの。なぜならその統治下574に、正教の礼拝の儀式に変化がもたらされ、Prothesisがなくてはならないものとなった。それはメインの後陣の左側の小さい後陣に、東はじを接して終わっている。二番目の後陣は、Diaconiconのために提供された(メイン後陣の右側)が、それはバランスをとるためである。」

面白くもないかもしれませんが、ちょっと長めに解説を載せてみました。
現地で購入した二冊の本を参照していますが、内容はほぼ似たり寄ったりで、いずれも、建築や構造にページを割くんですよね。私の中では、ビザンチンというと金細工的なキラキラ装飾、モザイク、宝飾品、みたいなとにかくキラキラギラギラ過多的な装飾メインの印象がありまして、建築としても、建築アイテムとしての装飾ならともかく、建築技法的な話がそんなにされるとは思ってもおらず…。
でもね、ちょっと読むと分かって気になったりしてそれはそれで面白いもんですけどね。分かった気になるだけで、分かってないところがミソですね、笑。

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「教会内部は、円柱と角柱が交互に建つ二つのラインで、三つの身廊に区分されている。形は縦長の四角ではなく四角。中央後陣の両側に小さい後陣があるが、それらは側廊とまっすぐにつながっていない変わったスタイル。」

どうしても装飾に目を奪われてしまって、構造的なことが分かる写真をあまり撮影してなかったのですが、下は、上の文に書かれている、側廊の部分となります。

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側廊と中央身廊との境が、ほぼ壁みたいにどっしりしているし、どん詰まりの後陣も、開放的になっていないので、この部分が独立したスペースみたいに感じられるような。
側廊は、外光が入りやすいですが、例えば中央部分が儀式で燦然と輝く時、側廊の方は薄ぼんやりしているんですよね。なんか、ビザンチンは、光と闇のコントラストに意味があるのかしら?と思ってしまうくらいの陰影具合。

長い割に、めっちゃ地味な内容でした、笑。
次回、装飾パートに続きます。


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  1. 2023/02/06(月) 12:07:26|
  2. ビザンチン
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コメント

テサロニキへの想い

 テサロニキの探訪紀行、楽しませていただいてます。
 ギリシャへは2006年の春に行き、エーゲ諸島も含めて約一か月歩きました。
 テサロニキへも勿論行ったのですが、予定時間の計画密度が甘く、周辺のフィリピの遺跡やカストリアのビザンチン寺院群
などで時間を費やしてしまい、肝心のテサロニキは2泊しか出来なくなってしまったんです。クレタ島への飛行機の予定もあっ
て、時間が取れなかったんです。
 テサロニキでは、聖ゲオルギオス教会、聖イヨルイヨス教会、聖パンテレイモン教会、ガリレウス凱旋門、聖ディミトリオス
教会へは行ったのですが、何とも消化不良で大いなる想いが残ってしまった記憶があります。
 もう一度くればいい、などと思っていましたが、そう何度も行ける場所ではなく、ほぼ諦め状態のままです。
 コルサさんの詳細なレポートで行った気にさせていただいております。
  1. 2023/02/07(火) 07:32:26 |
  2. URL |
  3. ほあぐら #-
  4. [ 編集 ]

Re: テサロニキへの想い

ほあぐらさん
コメントありがとうございます。
とてもよく分かります。というのも、わたしもあの一帯をまとめてみたいと思うことで、逆になかなか計画が進まず、という状態だったんですよね。それで激安航空券を見つけたときに、逆転の発想で、テッサロニキだけのピンポイントというのを思いついたわけで、ピンポイントだけに、意地になって歩きまくった、という感じもありまして、笑。
今思うと、コロナ直前の時期だったので、本当にラッキーな決断でした。

ビザンチンはこの後、イタリア、特に南再訪を続ける中でも多くの出会いがあったので、このテッサロニキ訪問は、思った以上に大きな意味を持つものとなったように思っています。チャンスがあれば、テッサロニキ周辺、またそれ以外の地域も訪ねてみたいものです。
少しでもお楽しみいただければ、嬉しいです~。

  1. 2023/02/11(土) 12:13:23 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

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