2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、番外その4
そろそろ終了も近いので、最後の方のホテルを記録しておこうと思います。
まずは、在フランスの友人たちとランデブーしたスイヤックです。ここは、中堅どころの町ですが、適当なホテルが結構あったように記憶しています。
Grand Hotel de Souillac
1 Allee de Verninac, Souillac
目的地の教会へも徒歩2分くらいの場所で、周辺にレストランも多く、まぁまぁ便のいい安宿でした。部屋の様子とかは覚えていませんが、特筆すべきものもなかったかと。
ただ、車旅の場合、事前に駐車のことは確認しますが、ここは、駐車できるという話だったはずなんですよね。しかし、ホテルの住所をナビに入れて、そのまま素直に行ってみたら、確かホテルの道は抜けられないような小路だったのではなかったか。ホテルの人に聞いて、ちょっと離れたところに無料の公共駐車場があるから、ということで、結局そこまで車をもっていって、という面倒があったと記憶しています。徒歩でも5分程度の距離でしたけど、でも、ホテルの気持ちもわかりますが、もうちょっと正確に情報を記載してほしいもんです。
運転がうまくて、多少の移動などまったく問題のない運転上級者は、そういうこと気にしないんでしょうけど、もう私など、予期しないことがあるとそれだけでアセアセしちゃうタイプなんで、抜けられない狭い道とか、勘弁願いたいです。
ここに宿泊した時は、フランス語堪能な友人と夕食をご一緒したので、ストレスフリーで、地元料理を楽しめました。

Le Beffroi
6 Place Saint-Martin, Souillac
結構高級ホテルっぽいやつの前にある小さなレストランでした。例によって、名前など控えてないので、グーグルマップで探してみたんですが、ストリートビューでは、この、テラス席は空っぽのスペースになっていて、看板とかも見当たらず。ストリートビュー、Covid下に、結構撮影を行ったとか聞いたことがあるように思いますが、今は元気に営業再開されていることを祈らずにはおれません。
ここでは、フランスらしく、そしてこの辺りでも名物らしいので、カモを堪能しましたよ。

メニューを頼んだと思います。前菜とメイン、チーズ、デザートで28.50ユーロと記してありますから、そうだったのかな。夕食については、イタリアよりもずいぶん割安感があります。イタリアでは、メニューという習慣はほとんどないですし、席料だなんだで、お会計になると、なんだかすごく膨れ上がりますが、フランスはメニューに載っている金額ぽっきりだし、お水も大抵は無料の水道水で行けますから、お得感あります。
前菜は、フォアグラです。
フォアグラは、イタリアでは、焼いたものしかいただいたことなかったので、なんかレバーソテー的なイメージだったのですが、フランスではこういうテリーヌ的な?半生タイプ。レバーも好きな私は、フォアグラも大好きです。めったにいただけませんけれども。
付け合わせのサラダに、カモのハムがのってましたが、これもおいしい。かも、イタリアでは、あまり見かけませんが、逆に日本ではカモって普通に食べますよね。地元近所の、結構ダサい庶民スーパーにでさえ、カモの燻製ハムみたいのありましたんで、びっくりでした。蕎麦屋でもカモは絶対使うし、カモって、日本でも身近だったということですね。
で、フランス行くようになってから、自分がカモ好きだって知ったんです、オレ。

メインはカモのオレンジ煮。
フォアグラって、アヒルのイメージでしたけど、カモも何ですね。考えたら、アヒルは、家鴨と書きますから、カモを家畜化したものという位置にいるのでしょうか。見た目はずいぶん違うような気がするんですけど。
このお皿、見た目は、どさどさのイタリアっぽさがあり、フランスにしては、かなり家庭的な盛り付け。でも、ちゃんと付け合わせがあるのが、フランスですね。この辺りもリーズナブルな理由です。イタリアは、肉なら肉だけがお皿に乗っていて、付け合わせは別に頼む、というタイプがいまだに多いですからね。

チーズは、ロカマドゥール産。わたしが食べられるやつでした。デザートはソルベでした。

そして、ワインはカオールの赤。これは、昔誰かのエッセイに出てきて、それ以来、なんか「カオールの赤」というのが、ちょっとした遠い憧れみたいな響きを持って、私の中に住んでいたんです。
誰ですかねぇ。イタリアに住む前のような気がするので、向田邦子か、檀一雄か…。
さて、そして、最後の日に泊ったのは、かなりしょぼい宿です。
Hotel Le Luxembourg
2 Avenue Pierre Chabrie, Moissac
お値段レベルは、スイヤックのホテルと同程度なんですが、まるで簡易宿泊所のようなホテルでした。到着と同時に、支払いを求められたりして。でも、車は周辺に駐車し放題だし、受付のお兄ちゃんは英語堪能だし、必要なことはしてくれて、不足はなかったので、特に文句もなく。
この日は、目的の教会のナイトツアーへの参加も視野には入れていたのですが、最後の晩餐が勝ちまして、町の中心に数軒並んでいるレストランのメニューを検討して、前夜と重ならないような内容のメニューを選択。
こちらは、写真では特定できるものがなかったので、定かではないのですが、多分ここではないかと思います。
Le Flore
4 Rue de la Republique, Moissac
フォアグラをリピートするのも、ちょっと違うなぁ、と感じたので、前菜は、イタリアでおなじみの生ハムメロンにしてしまいました。

なんか、イタリアではありえない盛り方です。おしゃれというのか、生ハム、少ないんじゃね?というのか…笑。パプリカだかなんだか、赤い粉がかかっているのも、え?です。
そいから、メインは、またカモ。

カモのコンフィというやつです。
これは、硬くて、今一つでしたが、味はカモ肉なんで、おいしいのはおいしかったです。メニューも、フォアグラなしなので、19ユーロとかだったと思います。
お店の女の子が、少しイタリア語を話す子で、私がイタリア語スピーカーなのがすぐにばれてしまい、フランス語会話は成り立たず。
自分の得意な言葉が通じるのは、実際的でありがたいことではあるのですが、余裕のある時には、フランス語使いたいんですが、色々難しいですね。そんなわけで、フランス語は、いくらフランス行っても、会話できるチャンスが極端に(イタリアを旅行してイタリア語を使わなければいけない状況に比べると、という比較です)少ないので、なかなか実践で上達するのが難しいです。特に、初心者の場合ですね。
そして、そうこうしているうちに、まったく勉強しなくなってしまったんで、まったく忘れました。今、ブログのおかげで、時々フランス語を読むので、ほんのわずか覚えていることはありますから、ゼロではないと安堵する気持ちもあるのですが、限りなくゼロに近いです。残念。
番外編も、無事終了です。
グランド・フィナーレ、モワサックの記事、お楽しみに。
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- 2021/06/05(土) 11:57:17|
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2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)15
エトルリア関連で最期を飾るのは、今回訪れた遺跡の中で、もっと楽しめた場所です。これまで訪ねたエトルリア遺跡で、自分的に最も楽しめたのはタルクイニアですが、ここは、タルクイニアと双璧をなす遺跡と、自分の中では位置づけられました。

チェルヴェテーリCerveteriの、バンディタッチャ墳墓遺跡Necropoli delle Banditacciaです。
ここは、ポプロニア同様に、一般的に有名かつ、遺跡としても非常に価値の高いもので、エトルリア遺跡関連では、その写真は必ずトップに掲載される遺跡の一つ、という感じです。
エトルリア遺跡では、有名度からいえば、ポプロニア、タルクイニア、そしてこのチェルヴェテーリが、トップ3ではないかと思うのですが、今回、そのうち二つを同時期に訪問したこととなります。個人的な好みからいえば、だれが何と言おうと、このチェルヴェテーリが勝ちで、私の中では、タルクイニアとチェルヴェテーリが、同点一位、という感じです。
ちなみに、同点二位は、キウジとポプロニアかな。
例によって、同行者の写真しかないので、自分が撮影したかった部分が必ずしも切り取られていないため、若干寂しいですが、ご容赦ください。全体像を撮影したものがあまりなく、イメージがつかみにくいと思いますので、ご興味あれば、ネット検索してみてください。かっこいいい写真が、たくさん出てきます。

ここは、エトルリア初期のころのネクロポリとなり、お墓はこのように地上に出ているタイプです。時代が下ると、タルクイニアのように、地下に潜るタイプとなるそうです。
これは、おそらく、構造的には古墳に近いものだと思います。お饅頭型に盛り土をして、その中に石室が作られている構造です。ただ、古墳と違い、絶対権力者だけではなくて、そこそこの有力者たちが、家族単位で葬られているもの。
有力者、というか、要は金持ちですけれど、笑、そうであればあるほど、このお饅頭の規模が大きくなって、石室も何個も作られるので、このチェルヴェテーリで最も大きいお饅頭には、入り口が、確か四つあったと思います。

遺跡に入る前から、すでにこのお饅頭の連なりが見えるんで、びっくりします。
写真でも見ていたのですが、これほど大規模で、これほどの数、お饅頭とか、アパートみたいになっているタイプとか、とにかくすごくたくさん並んでいて、唖然としてしまいました。
その上、半分以上は、お金を払って入場する遺跡公園の外にあり、自由にアクセスできる状態。というより、そちらの部分は、ほとんど整備がされていない状態なんです。つまり、予算がつけば、まだいくらでも発掘したり、整備したりということが可能な遺跡なんですね。
でも、ここもガイドツアーはなく、特にこのCovid中は、週末しかオープンしていませんでした。
お饅頭のいくつかには入れるようになっているため、密空間になってしまうということかも。でも、心配するような数の訪問者はおらず、ゆったりと自由に出入りできたのは何よりです。
では、遺跡訪問。

結構立派系のお饅頭の入り口。天井がね、どれも結構凝っているんですよね。これは、石を積み上げているから、積み上げながらこういう風にしたと思うんですが、後代、地下に潜るタイプは、石をくりぬいて石室を作ることが多いのですが、こういうようなちょっとした意匠を、彫って作っています。この、石積みについては、アーチ構造的な補強の役割がありそうですが、石室の天井をほる場合は、単なる装飾的なものだと思われ、エトルリア人の装飾好きって、絶対に後の時代に影響を与えていると思っています。
この、柱頭の墳墓と呼ばれるお饅頭には、びっくりしました。
上の入り口から、すぐに石室となるのですが、石棺が置かれている奥のお部屋の前に、ホワイエみたいなスペースがありまして、そこに、なんと。

立派な柱頭の乗った柱が、ドカンと二本、ありました。
これって、中世のものと言われても信じちゃいますよねぇ。ローマ飛び越して、中世のものに近いです。
天井、このように、装飾的。

石棺の置かれた部分は、奥にあり、結構びっしり状態です。

もともとは副葬品もたくさん収められていたはずですが、もちろんすでに盗掘に合っていますから、ほとんどの場合、価値のあるものは見つからないことになっているようです。盗掘は、すでに中世とかにはじまっていたりするみたいですしね。

これが、構造です。下が入り口となり、その通路に、すでに二室、そして、円柱の立つスペースがあり、奥に三室。一族郎党が、その地位により、ふさわしい場所に葬られているものです。
墓によって、この内部構造はまちまちですが、おおよそ、この入り口と、石室、という構造。この墳墓のように、前室のような構造があるものは、規模が大きいものに限られます。

これは別のお墓ですが、前室が小さく、でも、立派な石棺がドカン、と。
ここでも面白いと思うのは、石室をつなぐ扉があるのはわかるのですが、その両脇に、わざわざ窓のような開口部が設けられていたり、その開口部はアーチ構造を使っているように見えるのですが、リュネッタみたいに見える半円は、半円の筋彫りがしてるのであって、半円がはめ込まれているとかではないんです。この、扉周りの筋彫りって、時代によるのか、石工さんによるのか、いくつかパターンがありました。

これ、わかりますかね。ちょっと鳥居的な筋彫りがあるんです。このタイプの筋彫りは、多くの場所で見られたので、一世を風靡した装飾だったのかも、笑。
実際、スタイリッシュじゃないですか?言い過ぎ?

しかしこの遺跡、広い割には、順路の表示も少ないし、迷路のようなものだし、全部を見学するのは、結構体力勝負のところもあります。階段を上ったり、道なき道を行ってみたり、人が少ないとインディ・ジョーンズ気分も味わえたりします。ただ、そうやってたどり着くところは、整備されていなくて、入り口をのぞき込むことしかできないような墓なんですけれどね。かび臭いにおいがぷーんと漂ってきたり、水が溜まっていて、いきなりカエルが跳び跳ねたり、笑。
乳母車を押して歩いているカップルなどもいましたが、いやはや体力ありますな。感心しました。

これも面白いアイテム。

大抵は、入り口の通路から石室に入った場所にあるようでしたが、椅子なんですよ、石の。
確かエトルリアって、そういえばカタコンベもそうだったかな。定期的に墓を訪れて、死者を悼む習慣があったとか、そういうことじゃなかったかな。カタコンベは、ローマでツアーの時に聞いたと思うけれど、カタコンベで葬祭を行ったので、必ずそういう葬祭スペースがあったという話だったかもしれない。エトルリアは、タルクイニア関係で読んだんだったか。
タルクイニアは、地下に降りていく通路があって、その先に石室がある構造ですが、親族等が訪ねることができるように、墓となっても、その地下にアクセスするため通路は閉ざされることがなかったとかそういう話。
もしそうなんだとしたら、ここも、この前室をたずねては、死者を悼む人がいて、そのための椅子なのかもしれないし、単に、死後の生活のための椅子なのかもしれないし。
へへ、勉強不足の分、想像力が膨らみます。
ここチェルヴェテーリにも、一つだけ、地下深くに降りていく墓があります。レリーフの墓Tomba dei Rilieviと呼ばれるものです。

ガラス越しに内部を見ることができますが、壁に、彩色された漆喰装飾があることから、レリーフの墓と呼ばれているようです。

武器とか生活用品らしいものとか、これ、写真で見たことあったんですが、副葬品が壁につけられているものだと思っていました。まさか漆喰のレリーフだとは。盛り上がっているものだから、リアルに見えたのですね。
今は、フレスコ画など残っている場所もありませんが、おそらくもともとは、もっと装飾的なものがあったのだと思います。
それでも、こんな風に、当時の世界に足を踏み入れることができる場所って、そうそうないと思います。紀元前6世紀とか5世紀とかの世界ですから、貴重です。
自分の足がないと、なかなか行きにくい場所だとは思いますが、こことタルクイニアは、多くの人に行ってほしい場所です。
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- 2020/09/28(月) 05:09:51|
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