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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ウンブリアその12-スポレート(2)

スポレートその2、いよいよウンブリアの旅の最後となります。
スポレートは、その町の周辺部に、ぽつんぽつんと見所があり、ガイドブックでは距離感がよく分からなかったのですが、いずれの教会も、徒歩でアクセス可能の場所にありました。

まずは、町の南側にあるサン・ピエトロです。町を抜けて、かなり激しく車の行きかう幹線道路(フラミニア街道。ローマ時代の幹線道路の一つで、紀元前3世紀に建設された、ローマから、アドリア海に抜ける道。ローマ時代も集落はあったのでしょうが、基本的に今でも緑地なので、ほとんど森の中の一本道という感じだったのでしょうねぇ)をひやひやしながら渡って、結構な石段を登った高台に聳え立っている、とても立派な教会です。


今ある教会はロマネスク時代12世紀の建造物ですが、早くも5世紀には、サン・ピエトロのレリックを収めるための、前身の教会があったそうです。ピエトロさんって、バチカンのピエトロさんなんでしょうかねぇ、やはり。ファサードにびっしりとレリーフがあって、壮観です。中身は、ピカピカきらきらになっちゃってて、面白くもなんともないのですが。

次は、南西の町外れにあるサン・パオロ(S.Paolo Inter Vineas)を訪ねます。


ここは残念ながら閉まっていました。修復中か何かで、もうずっと閉まっているそうです。
町から行くと、上り下りの激しい道なので、間違えると悲惨だなぁ、と思い、向こうから歩いてきた品のいいおばさんに、教会への道を尋ねました。おばさんは、「この道をまっすぐ行けばいいのよ。どこから来たの?へぇ、一人で、中世を、へぇ、すばらしいのね。あそこは見た?ここはどう?スポレートは見るものがいっぱいあるでしょ。素敵な町でしょ。でも地元の人はあまり関心がないのよね、あなたみたいな人が来てくれるのは、とてもうれしいわ!」とすごい勢いでしゃべられてしまいました。でもあくまで品がよく、彼女のお国自慢はほほえましくて、それがまた押し付けがましくないので、とても好感が持てました。観光客にとっての町のよさというのは、観光要素がどれだけあるかということと同じくらいに、その町の人々が、どれだけ町を愛しているかっていうようなそういうことで変わってくる気がします。このおばさんや、ホテルの感じのよい受付のために、スポレートの町の印象というのは、かなりよいものです。

さて今度は、北の郊外にあるサン・ポンツィアーノです。


ファサードは、サン・ピエトロにも通じるというか、派手目の装飾。鮮やかな色のモザイクのはめ込みがとても印象的です。残念ながら、ここもしまっていました。観光局では、隣の司祭館みたいなところに頼むとあけてくれる、ということだったのですが、呼び鈴を鳴らすと、今責任者がランチに出ているので、もうしばらくしてから来てほしい、ということでした。先の教会を見て、30分後くらいに戻ってきたら、たまたま関係者らしいおじさんがスーパーの袋のようなものを提げて、外から入ってきました。「教会?5時まであかないから、5時に来なさい。」「いやでも、さっきあそこで聞いたら、責任者がランチから戻ったらっていわれたんで…」とおどおど言うと、「いやいや、あかないから。」とにべもない対応で、意味もなくそんなとこにいないでね、という空気をみなぎらせているので、いやな気持ちになって、結局その場を去りました。
なんか虫の居所が悪かったのかしらないけど、教会関係者としてはありえない感じの悪さです。ぷんぷん。そこに行くには、結構な坂道を登る必要があるので、また戻る元気がなく、結局中は見ず仕舞い。ちくしょ~。

その先にあるのが、サン・サルバトーレ。


墓地の中にあり、とても変わった造りです。4世紀後半から5世紀にかけて建造された初期キリスト教のバジリカ様式が元になっていて、その後数多くの改築がなされたにもかかわらず、初期構造が残されているので、なんだかいろんなものが交じって、不思議な感じなんです。ローマっぽい円柱が壁にめり込んでいたり。妙に荘厳な印象です。

もう一つは、町外れ、というより、もう違う村というか。郊外の丘の上にあるMontelucoという地域のサン・ジュリアーノです。


このモンテルーコは、スポレートの人のハイキング場所という位置づけらしいです。集落があるわけでなく、この教会と、少しはなれて、モンテルーコのサンクチュアリと呼ばれる地域があります。そこにはサン・フランチェスコが祈った場所とか、澄んだ水のあふれる井戸とかあって、心の憩いの場所みたいな、そういう性質のものらしいです。
このサン・ジュリアーノは、元はやはり5世紀とかの古い建造物で、12世紀頃に今の姿になったそうです。残念ながら、ここもクローズでしたが、ファサードのレリーフなどかわいらしく、かなりの急坂かつ道なき道(歩いていく人は、多分ほとんどいないのでしょう…。あまりに道なき道なので、わたしも実際、歩き出して5分ほどで大後悔しました)を踏破したあとでは、それなりに満足感を得ることが出来ました。



スポレート自体は、結構大きな町ですが、一歩市街を離れると、見事に緑です。これらの教会の周りは、自然ばかり。この写真で、左の丘の上にぽっつり見えるのがモンテルーコのサン・ジュリアーノ、そしてちょうど写真の中心にあるのが、サン・ピエトロです(フラミニア街道が堂々と緑を縦断しています)。

さてもう一つ、スポレートで忘れてならないのは、この塔の橋(Ponte delle Torri)。


13~14世紀に建造され利用された水道橋だったらしいです。そしてスポレートとモンテルーコをつなぐ橋としての役目も持っていたということで、その橋の部分は、今でも現役です。高さ76メートル、幅230メートルで、下は深い谷。確か、自殺の名所としても有名だったはずです。実際に見ると納得。この橋の真ん中から飛び降りたら、まず助からないでしょうし、見つかりにくそうです。
いやいや、昔の人たちって、驚くものを作っちゃいますね。しかしこんな高いもの、どうやって、と思ってしまいます。そういえば、ウンブリアに地震があったときも、ここは影響を受けなかったようですね。

以上、駆け足のウンブリア・ツアーでした。いずれサイト(ロマネスクのおと )に、じっくりとまとめる予定です。いつになることやら分かりませんが、乞御期待。
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  1. 2009/01/07(水) 07:21:12|
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ウンブリアその12-スポレート(1)

いよいよウンブリアの旅のフィナーレ、スポレートに到着です。今回の旅で最も気になっていた町です。というのも、ウンブリアには、さほど多くのロマネスクが残されていないのですが、ガイドブックで見る限りでは、このスポレートだけは、異常にたくさんのこっているらしかったからです。
旧市街は、鉄道駅とはちょっと離れています。ナルニほど山を登ることはないのですが、バスで5分ほどで丘の斜面に張り付いて広がる旧市街の麓に着き、その中心地までは、さらにぐるぐると5分くらいでしょうか。それで町を抜けて、反対側の谷に出ます。
ホテルは、その旧市街の中心地で、観光案内所もある広場に取ったので、探す手間もなく、便利なロケーションでした。それにしても、旧市街の成り立ちが全然分からず、雑然とした印象で、初めてバスで中心広場に到着したときは、かなり落胆しました。旧市街といっても、別に中世の美しい町並みが残されている感じでもなかったのです。え、こんな町に二泊もするの、わたし?と大いに間違った気がしました。
でも、気を取り直して、すぐ観光です。
ここは本当にたくさん、見所があるので、二回に分けることにします。まずは旧市街にある教会めぐりです。

まずはホテルから、スポレートで最も有名な観光地ドゥオモへ向かう途中で見つけた教会からです。さすがに最後の町なので、ここに至るまでにことあるごとに読んでいたガイドブックの知識が、結構役に立ちます。この教会は、外観は全くぴかぴかの新しいものなので、気にしてないと中世好きの視界には入ってきません。でも、地下に、すごいお宝が隠されているのですから、要注意です。
上物は、18世紀のアンサーノ教会。外も中もピカピカですが、その地下には、一つは1世紀のローマ時代の神殿跡、そしてまた、12世紀のロマネスクのクリプタ、サン・イサッコが残されているのです。


クリプタには、すばらしいフレスコ画が、かなりしっかりと残されており、どのモチーフもかわいらしく、また色彩も美しく、覗き込んだときには思わず息を呑みました。だってそんなにすごいとは、ガイドブックの控えめな記述からは計りかねたので。18世紀に上物を立て直したとき、よくもここを壊さないで残したよな、とそこに感謝感激。多分、その当時は、地下におりられないように、入り口そのものをふさいでしまったのかもしれません。

いきなりトリップしました。何だよ、この町、とがっかりした気持ちが、かなり吹き飛んでいきました。このイサッコのクリプタの前には、水が湧いていて、それがまた冷たくておいしい山の水だったので、滞在中、手持ちのペット・ボトルに何度も汲みました。またこの町には広場がなくて、戸外でのんびりくつろげる場所が少ないので、その付近の石の手すりに座って、一服するのが習慣、って、たった二泊のことですが、それにしてもここは、ホテルからドゥオモに向かう道の途中だったので、何度往復したことか。

さて、待望のドゥオモに向かいます。


あ~、写真で見たとおりだ~、と誰もが思いそうな、そういう眺め。ここは教会へのアクセスがちょっとかっこいいんです。道から、見下ろすような広場のどん詰まりに建っていて、前はかなり広いスペース(スポレート音楽祭が催される場所)、そしてそこに至るまでは緩やかなスロープと階段という構造。ドゥオモの鐘楼を含むファサード全体が、とても美しく見える構造です。おそらく最近修復工事があったようで、ファサードは鮮やかな白。夏のどこまでも青い空を背景に光り輝くようでした。
このドゥオモには、たくさんの見所がありますが、わたしが最も魅力を感じたのは、フィリッポ・リッピのフレスコ画です。ここはちょっとロマネスクを置いといて、このフレスコ画を語りたくなります。


美しいです。ため息モノ。息を呑むすごさですよ。リッピやボッティチェリの描く美しい女性の肖像は大好きなのですが、これほど巨大なリッピを見たのは初めてです。内陣を覆う壁のすべて、すごい迫力です。そして最新の修復が施されているのでしょう、色彩は、まるで今完成したかのように鮮やかで、聖母の頬などつやつやです。青も赤も、すべての色に透明感があり、これだけ巨大な絵なのに、重さが全然ありません。
これまた、ドゥオモの前を通るたびに、リッピ会いたさに入る羽目になりました。ここは、このリッピのフレスコ画に再会するためだけでも、再び訪れたい場所です。

さて、ドゥオモへとおりるスロープの左手に、いかにもロマネスクな小さな教会の後陣を見ることができます。サンテウフェミア教会は、今は美術館と一体化していて、教会としては使われていないようです(でも何かイベント的ミサなどは行われることもあるかと思料)。美術館の一部としてあり、美術館を通って、中に入ることができます(本来の正面扉は閉ざされていて、教会だけ見学することは不可能)。


ここの面白さは、順路に沿って教会に入ると、そこが2階部分ということ。見せ掛けのものも含めて、側廊の上に通路のある構造は、ロマネスク教会にはよく見られますが、そこに実際に登れるところはほとんどないのではないでしょうか。全体を上から見下ろせるのは楽しいです。

今度は旧市街を鉄道駅のほうに向かいます。ちょうど旧市街と新市街を分けるところに、毎日市の立っている大きな広場があり、その一角に、こじんまりとあるのが、サン・グレゴリオ教会。


ここもまた、予想外によくて、うれしい驚きでした。町にあるロマネスクものでは、最もロマネスクらしい空気をたたえている教会だと思います。石っぽさ、柱頭、薄暗さ。ここにもまたフレスコ画があります。わりと近代になって、発見されたもののようです。クリプタもありますが、階段を降りたら、恐ろしいほどの暗闇で、何も見えず、怖くなってすぐ本堂に戻りました。真っ暗な中に、わずかにぼんやり浮かび上がる細い円柱に支えられたヴォールト構造の中の湿った空気が、とても中世でした。
地味ですが、場所が便利だし人々が行きかっているので、結構信者が来る現役教会です。

最後に、泊まったホテルのすぐ裏に、今ではナルテックスだけしか残っていないサンタガタ教会がありました。



旧市街終わり。町の観光はらくちんですね。これまでの修行行脚に比べると、冒険的な要素はほとんどなく、とても涼やかに歩いたようですが、でもとにかく歩いてます(当然迷いながら)。この町も、坂が厳しく、サン・グレゴリオ教会からホテルまでを一度歩いて往復しましたが、また後悔、疲れた身体をさらにいじめた感じでした。といいながら、結局歩いてしまうんですよね、つい何かあるんじゃないか、と根拠のない期待をしてしまって。普段ミラノにいると、ロマネスクめぐりも車でビュン!とやっちゃって、歩きで迷ったりすることもないから、反動みたいなものがあるのかも。もともと歩くのは好きだし。ちょっとやりすぎですが。

ということで、今回は珍しくロマネスク、静かに回りました。久しぶりにどっか行きたくなってきました。
  1. 2008/12/12(金) 06:43:45|
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ウンブリアその11-ナルニ

周辺をあちこち歩いた挙句、やっとナルニです。
新市街の安宿(外観は”なんじゃこれ?”って感じですが、部屋はこぎれいなビジネス・ホテルでしたけど)に宿泊した翌朝、限りなくしょぼい朝ご飯のあと、すぐ旧市街に向かいます。受付の人が親切にも、旧市街行きのバスが出る鉄道駅まで、車で送ってくれました。前夜着くなり、「駅から1キロって聞いてたけど、多分もっと遠いし、それに歩くには不向きな道でまいった」と訴えたのを覚えていたのでしょう。時々ですが、オバサン化+イタリア人化が激しく出てしまって、なんだか思ったことをすぐ口にしてしまいます。多分疲れて、頭が働いてないときだと思うんですが。
しかしせっかく送ってもらっても、旧市街に行くバスは、1時間近く先。そう、日曜日ですから、そんな近場を結ぶバスすら、そういうタイムテーブルで運行しているのです。昨日、無理やりがんばって、いけるところに全部行って、大正解です。
無人駅だし、駅前のバールもしまっているし、自動販売機で、翌日のスポレート行きの片道切符を買ったあとは、何もやることがありません。せいぜい勉強しときましょ、とガイドブックを読んで、時間をつぶしました。

さて、無事旧市街について、荷物をホテルに放ったあと、いよいよ観光です。まずメインストリートをぶらぶらしていて出会ったのが、Santa Maria Impensole教会。


狭い道に面して、立派な円柱を構えたナルテックスを持ち、中は典型的なロマネスクの小さな教会です。柱頭彫刻がかわいらしく、その石っぽさが、とてもわたし好み。特に何があるわけでもないので、こういう小さな教会は、観光客が来ても、皆一通りさらっと眺めて、さっさと出て行ってしまうので、多くの時間独り占めできるのがうれしいですね。で、この一日、通るたびにとりあえず入って、かわいらしい柱頭を眺めながら、くつろいでしまうわたしでした。
道を先に進むと、左側に立派な教会があります。San Domenico教会。


残念ながら、全体が大規模な修復工事中で、アクセス不可能です。鐘楼の工事は終わったばかりのようでしたが、まだファサードも、内部も完全に工事中。12世紀にカテドラルとして建設された教会で、後代の手が結構入っているようですが、ロマネスクの名残が十分感じられる様子なので、じっくりと見られないのは残念でした。
このサン・ドメニコの裏側に、”ナルニの地下”があります。ガイドブックを読んでいてチェックしていた観光ポイント。地下通路とか地下水路とか地下都市を観光ポイントにしている場所は結構あるのですが、どうも地下っていわれると、なんか神秘な気がして、すぐ、行こう行こう!と踊らされてしまいます…。
ここでは、地下に12世紀の教会跡や、異端審判所、そして、異端とみなされた人々に使用された牢獄があります。宣伝とオーガナイズ(ガイド・ツアー)がすごいわりには、ちぇ、これだけかよ、というのが、正直なところでした。写真も撮らせてくれないし!
最後の方には、お決まりの拷問用具の展示。ヨーロッパの人たちって拷問の展示が好きですよね。中世の大抵の町には、拷問博物館ってあるし。怖いものみたさ?それとも信仰を促す目的?理解不能です。
さて、ロマネスク的にはメインは、現在のドゥオモ。


町の入り口にあり、外見は地味ですが、中は堂々立派なものです。
もともと中世初期に墓地のあった場所に、12世紀ごろ建てられたそうです。だからそういう施設が周辺にあって、うち一つが後代に教会に取り込まれています。右側身廊の中ほどにある小礼拝堂のような場所がそれ。モザイクやレリーフで細々と飾られていて、かわいらしい場所です。
そうそう、ここでも、床を飾るコジモ風のモザイクがとても気に入りました。
さて、ドゥオモ内部をうろうろしていたら、かわいらしい聖母子の絵のついたパンフレットが置いてありました。


あら、どこにあるんだろう、と掃除をしていたオヤジに尋ねると、それはこの教会ではなく、新市街と旧市街の間にあるMadonna del Ponteという教会にあるんだよ、ということです。11世紀のフレスコ画で、もともと岩窟の中に安置されて、そこが礼拝堂になっていたその場所に、今の教会が建てられたとか。何かの記念で特別ミサがあるので、パンフレットがあったみたいでした。歩いていける場所かと尋ねると、「いやぁ、歩くのは無理でしょ。駅行きのバスに乗って、ローマ橋のあるところで降りればいいよ」ということでした。
ナルニの外を流れるネラ川にかかる、アウグストゥス時代のローマ橋があるのです。バスからちょっと見えるのですが、それが端っこから3分の1くらいのところでぼっきりと壊れていて、とても芸術的な風景になっている場所です。廃墟好きにはたまらないかも。
でも、バスは、今日はほとんど走ってないので無理。
その後疲れたのでいったんホテルに戻って、荷物を部屋に入れたのですが、ホテルの人によれば、ぶらぶら散歩で行けるよ、とまた修行(?)を促すような発言をされてしまいました。また歩けというのね…。
かわいらしい聖母子のフレスコ画も見たいし、ぼっきり芸術的なローマ橋廃墟も間近から見たいし、結局休憩もそこそこに、またホテルを飛び出すわたしなのです。
町外れまで行って、町を取り囲む壁を抜けたら、すごい急坂です。うへぇ、これを帰りは登ってくるわけ?やっぱり修行だ!やだなぁ、と思いつつ急ぎ足で歩いたら、意外とあっという間に川まで降りることができました。壊れた橋の周りには、その橋の残骸の石材がごろごろしていて、なんとも不思議な光景でした。なんせ橋は高さ30メートル、もともとの長さは160メートルもあったという壮大な建築ですから、迫力があります。残念ながら、あまりいい写真がとれませんでした。というのも、緑あふれる場所で、行きに通ったときは釣りをしている人なんかも数人いたのですが、帰りには誰もいないし、ちょっと怖くなって、のんびり写真を撮っている余裕がなかったからなのです。日暮れが近づいていましたし。


岩窟の聖母子のある教会では、ミサの最中でした。どうやら始まって間もないようで、20分ほど待っても終わる気配なし。どうも特別ミサって感じで、ミサが終わっても、写真など取れそうもない雰囲気がありありです。結局30分ほど待った挙句あきらめました。幸い、入り口の扉は開けられていて、正面に岩窟がそのまま残された内陣があり、聖母子も、照明があてられていたので、一応拝むことはできました。パルマのそばで見た、やはり古い聖母子に、ちょっと感じが似ている気がしたので、古いものかと思ったのですけど、教会の入り口の説明によれば、11世紀ということはないようでした。
その他ナルニの観光としては、町の高い方に城砦跡があって、そこでは漫画展覧会が開催されていたので、有名なイタリアの漫画オタクたちに対する多少の興味はあったのですが、時間切れ。というか、体力切れ。こんな小さい町に丸1日いたら、時間余っちゃうなぁ、と考えていたのは杞憂もいいところでした。
夜はホテルのレストランで、とてもおいしくて、またサービスもよい夕食をいただき大満足。ここでもウンブリア名産の手打ちパスタをいただき、赤ワインぐびぐび。ご飯はどこでも本当においしいのですが、ナルニでは、特においしくいただいた感じがします。
  1. 2008/12/04(木) 02:13:50|
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ウンブリアその10-アメリア

ルニャーノからナルニに戻る途中、ここアメリアの町でバスを乗り換える必要がありました。ナルニ行き最終バスまでは時間があるし、バスの営業所で荷物も預かってくれるというので、アメリアまでのバスの運転手さんに勧められて、せっかくだから観光していこうと立ち寄りました。すごく疲れているのに、こんなとこ二度と来ないのではないか、と思うと、どうしても欲張ってしまいます。
アメリアは、とても古い町で、ぐるりと3世紀起源の壁に取り囲まれています。壁の周りに新市街が広がっていますが、今でも壁は完璧に近くのこっているようです。
町は、丘に張り付いている感じで、最も高いところに、ロマネスクの塔があります。思いっきり疲れているし、あんなとこまで絶対行かないもんね!と思いながら、壁の中に入り、ぶらぶらしていると、「いや、二度と来ないんだし。あの塔がすごく美しかったら絶対後悔するし。」とむくむく貧乏性が出てきて、結局坂道をウンショウンショと塔に向かうわたしがいるのでした。
正直、すごい坂と急階段の連続なので、大後悔しましたけど、途中でやめるのは悔しさ倍増ですもんね。いやいやがんばりました。ロマネスクのためとは言え、楽しいバカンスで、何でこんなに修行状態の日々が続くんだろうって感じですよ。
ちょっと迷いながらも、息を切らせながら、到着。ゼエゼエ。


塔は一人(?)で建っているわけではなく、カテドラルの脇にあるのですが、カテドラル(後方に見えるクーポラ)は、後代に完全に改築されていて、ロマネスクのかけらもないきらきらの建物になってしまっています。塔は、カオルレのもののように、もともと教会とつながっていなかったのでしょうね。カテドラルの脇に、唐突にドスン!と建っています。八角系で、ロマネスク特有の盲アーチで装飾され、所々に古い大理石のレリーフがはめ込まれていたりします。
それにしても、塔を写真に収めるのは、とても難しいです。というのも、これ、無骨に見えると思うのですが、本当は優美さの方が目立つんですよね。実物を見ていただくしかないんですよね~。
というわけで、疲れた身体に鞭打って、汗だくになりましたが、まぁまぁ登ってきた甲斐はあったかも。


塔の向かいの建物は、元司祭館だったようですが、その入り口に、古い碑文が飾られていました。ローマ時代のもの、または中世のもの。もう解読する気力なく、写真だけ撮った次第。
写真を撮りながら、ふと見上げて気付いたのが、別の碑文。


あのコルベ神父がここに。といっても、名前を知ってる程度。この碑文によると、1918年夏、コルベさんはこの家に滞在していたらしいです。その後1941年、アウシュビッツで、他の人を救うために、自分の命を犠牲にしたと。
インターネットで調べてみたら、ポーランド出身の聖職者で、戦争中にアウシュビッツに収容されてました。そこで脱走者が出たときに、無作為に選ばれた10人が連帯責任で処刑(餓死)されることになり、選ばれた一人が、わたしには妻子がいるんだ!と叫んだことから、コルベ神父が「自分は独身だから」と身代わりを名乗り出て、餓死したということでした。法王ヨハネ・パウロによって、すでに聖人に叙されているんですね。
で、なんでアメリアかというと、学生時代にローマに留学したと。ここアメリアはローマから結構近いので、それで夏にバカンスも兼ねて滞在していたのでしょうか。彼の幸福な時代に、アメリアでのひと夏があったのですね。シーンとした気分になります。

中世に加えて近代史にも触れて、がんばって登ってきた甲斐があったよ、と満足です。
さて、帰路は、来た道と同じ道を引き返すのはつまらないので、違う道に足を踏み入れました。方向音痴の癖に、ついチャレンジャー精神を出すのが、わたしのいけないところです、多分。
そして勿論迷いました。もうそれは思いっきり迷いまして、途中からほとんどパニックになりました。あまり人が歩いていないし、道が狭くて見通しがきかないし、歩いていると町を取り囲む壁に阻まれて後戻りするしかないことも多々あり、ああ、一生ここから出られないのではないか、ともうあせることと言ったら。ナルニ行きのバスの時間は迫る一方ですし。
結局ほとんど後戻りしたところでであった人に出口を聞いたら、あら、そこ?すぐじゃんよ!わたしは、スタート地点から、すでに全く逆の方向に進んでいたのです。それも確信を持って。いやですね~、この、確信を持って間違ってしまう方向音痴。肉体的に疲労の極致だっただけに、心底情けなかったです。
おかげさまで、無事バス停に戻り、荷物を引き取って、バスにも間に合いましたとさ。なんて長い一日だったんでしょう。こんなに長く書きましたが、テルニを出たフェレンティッロから引き続いての一日の話です。
  1. 2008/11/29(土) 06:56:21|
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ウンブリアその9-ルニャーノ・イン・テヴェリーナ

珍道中が続きます。
テルニからナルニに移動しました。ここは、町そのものにも興味があったし、ルニャーノ・イン・テヴェリーナの教会への拠点でもあるので、2泊予定していました。
しかしここで問題勃発です。テルニからの移動のバスの中で、はっ、明日は日曜日だ!と気付いたのです。毎日日記代わりのメモをつけているのに、なぜ今気づくんだ、わたし…。何が問題かというと、ただでさえ便数の少ない田舎のバスは、常識として、日曜祝日は、ほとんどサービス自体がなくなってしまうことが多いのです。特に、ナルニ発周辺部行きのバスは、事前にインターネットで調べた限りでは、まさにそういうタイプのタイムテーブルだったんですよねぇ。
印刷しておいた時刻表をあわてて調べたところ、ナルニに着いてすぐホテルにチェックインして、鞄だけ放り出して、すぐにバス停に戻れば、何とかルニャーノまで行って、教会を見学した上、ナルニまで戻ってくるバスにも間に合いそうな時間でした。幸い乗っているバスは、ナルニの旧市街まで行ってくれます。
ナルニの旧市街は、鉄道駅からグルグルの登り坂を上った丘の中腹にあり、結構遠いのです。とりあえず、旧市街に到着しました。旧市街唯一のホテルに向かいますが、何かバイクの催しをしていて、旧市街中に、Ducatiの赤いバイクがブルンブルンとエンジンをふかして並んでいます。


ええ、何かイベント?と一瞬目を輝かしたわたしですが、今回は、バイクよりロマネスク優先ですので、いやいや、のんびりしている暇はない、とバイクの間を縫って、急坂を登ってホテルにたどりつきます。
細い横道に入り口があり、とても雰囲気のあるホテル。こんにちは~、2泊おねがいしま~す!「2泊?今夜はもう満員ですけど。」「え!」絶句のわたし。
もう夏休みも終わった時期なので、どこでもホテルの問題なかったし、このホテルが旧市街唯一というのは昨日あたりに気付いたんだけど、まさか満員とは思いもよらず。なんてついてない!と思いつつ、とりあえず翌日の1泊をお願いして、いやだけど、駅前ならあるだろうし、ルニャーノ行きのバスも駅前からつかまえればいいわ!とあわててバス停に引き返して、駅前行きのバスに乗ります。しかし!なんと駅前に行くだけのほんの10分ほどの距離のバスも、土曜日だから極端に少なく、30分以上待つ必要がありました。ひえ~、時間はますます厳しくなっていきます。でもナルニのバス切符売り場で確認したら、やはり明日は、他の町に行くバスはほとんどないので、絶対今日行かないと!
あせっても仕方ないので、空き時間を利用して、バス停近くのバールでサンドイッチと白ワインの遅いランチ。なんかびっくりするほど安い。そういえばこの町では、他の店のランチでも、パスタ3ユーロとか、ミラノの2分のい1から3分の1のお値段設定でびっくりでしたねぇ。ウンブリアでも最も安かったような。それもおいしいんですから、もううれしいびっくりです。
さてさて、やっと来たバスに乗りますが、なかなか出発しません。隣に座っていたおねえちゃんが地元の人だというので、駅前ホテルのことを聞いてみます。「駅前に一つあるし、少しはなれて2つあるから、絶対どこかはあいているわよ。でも時間的には駅前のホテル・ナルニがあいてないと、他のホテルに行っている時間はなさそうねぇ。でも大丈夫、きっとあいてるよ。」駅前からかばんをごろごろ引いて、急ぎ足でホテル・ナルニへ。しかし「あら、今日は満員なのよ。」ときっぱり。何でもバイクのイベントに加えて、漫画の展覧会をやっているんだそうで、この週末はいつになく混んでいるとか。絶望するわたし。「無理だと思うけど、荷物だけ預かってもらうわけには行きませんか?」「悪いけど、それはできないのよ」はぁぁ。鉄道駅も無人駅だから無理。それに今夜の宿はどうする?ルニャーノなんかに行った日にゃ、日曜日に身動き取れないし。
とぼとぼと駅前に戻りながら、疲れた頭であわててどうするか考えた挙句、そうか、遠くのホテルに電話で聞いてみりゃいいんじゃん、と電話。幸い部屋はゲットです。でもバスが来るまであと5分ほどで、駅から1キロほども離れているというホテルに行く時間はありません。
で、荷物を持って観光する羽目になりました。うへ~。

さて、やっと落ち着いてルニャーノです。
ナルニからのバスは、町の麓の幹線道路沿いに止まります。ハイ、ここも丘の上の町。荷物もちのわたしにはきっつ~。でも仕方ありません。運転手さんによれば、緩やかな坂で町の麓まで行き、そのあとは、車道もあるけど、だらだら長いので、一直線に階段で登った方が早いよ、たいした距離じゃないから、荷物があっても大丈夫だよ、と勧められたので、階段を探しました。確かにたいした距離ではなく、建物でいえば、せいぜい3階に上ったくらい?でも、やはり荷物を抱えての階段はきびし~。
汗をかきかき、のろのろと最後の急坂を登っていくと、広場に出ました。
そこにあるのが、ここでの目的地、サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会。



ここは、柱頭の石彫り彫刻が有名みたいなのですが、そして実際とてもかわいらしいモチーフがいっぱいあるのですが、わたしが最も引かれたのは、美しいモザイクでした。決して天邪鬼というわけじゃないんですけどね~、ちょっとマージナルなものに目が行く傾向はありますね。



この地域、床や壁の幾何学モザイクが、あちこちで見られるのですが、わたしにはここがはじめて。ローマで活躍したモザイク職人コジモ一家の人たちが広めた技術で、コジモ風モザイクとして有名らしいです。様々な色石、多様な幾何学模様。ビザンチンやローマとは明らかに違うタイプのモザイクですが、本来モザイク好きのわたしには、やっぱりよいものでした。床モザイクは、その磨り減って古びた感じもまた雰囲気がよいものです。
美しいクリプタも堪能です。大体1時間ほど出たり入ったりしていたと思いますが、その間来たのは二組だけで、さっと来てさっと出て行ってしまいますから、ほとんど独占状態。美しい空間にゆったりと一人でいられるというのは、よいものですねぇ。
ナルニに帰るバスまでは時間がありましたので、ちょうど教会の側面を見られる場所にある近所のバールでお茶をして、やっと疲れを癒すことができました。早めにバス停に向かう途中、植木の受け皿をねぐらにしている素敵な猫がおり、人の気配など気にする風もなくぐうぐうと眠っていました。



バス停の近くにサッカー場があり、地元チームが試合をしているのを、15分くらいもぼんやりと見ていたでしょうか。木陰で、とても気持ちのよい夕べで、はるばるこんなとこまで来ちゃったなぁ、としみじみしました。
ナルニに向かう帰りのバスでは、またもや運転手とわたしだけという状態でしたので、四方山話をしながら、楽しい道中となりました。でも、ナルニのホテルは、駅から結構遠い上に、かなり車どおりの激しい道を歩く必要があり、再び苦しい道中でした。きれいで安いホテルなので、車の人はよいけど、そうじゃなくてナルニに泊まる方は、事前に旧市街唯一のホテルDei Prioriに予約しましょう!
  1. 2008/11/23(日) 06:50:54|
  2. ウンブリア・ロマネスク
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