ミンモ・パラディーノOverture Bresciaその4
サンタ・ジュリア美術館、続きです。
サンタ・マリア・イン・ソライオ教会Chiesa di Santa Maria in Solaioを出ると、またこのような中庭があり、先に進むと、別の回廊に出ます。
ここも、回廊を取り囲むようにして、展示スペースとなっているので、焦ることはないのですが、回廊中庭の真ん中に怪しい姿が見えてしまっては、出ないわけにはいきません。
怪しい姿は、やはりミンモでした!
人が背負っているのは、木にしか見えませんが、これももちろんブロンズの造形です。
おっぱいがあったので、女性のフィギュアに違いありませんが、何とも立派な分厚い背中。どっしりと、母なる大地的な背中ですねぇ。
でも、離れてみる後ろ姿には、何かはかない頼りない空気をまとっている感もあるのが不思議です。
それにしても、借景が素晴らしいです。もうずっと、この場所に佇んでいる人にしか思えないしっくり感。
大きな手や、鳥の巣状に絡まっている枝にくっついている数字フィギュアは、ミンモらしさと言えるアイテム。たぶん。
屋内に戻り、見学を続けます。
古代のものが並んでいる廊下の柱頭にどかん。
左側に置かれている中世の兜、フルフェイスのタイプ、かなり好きなアイテムです。
古代や中世の発掘品と思えないこともない見た目だったりするのですが、よく見ると、いきなり顔が飛び出ていたり、何かしらの遊びがあるんですよね。こういうのがかわいくて、好き。
すぐわきに、エトルリアのかわいらしい発掘品が並んでいると、もう何が何やら、どれがどうやら、わからなくなってきますけれど、ミンモはやっぱりローマじゃなくて、エトルリアやロマネスクの系列にいる。
こうなると、普段はさらりと見るだけの古代のコインなんかも、妙に一所懸命見てしまいます。だって、どこに何が潜んでいるか、わからないし、見逃したくないし。
どうですか。古代のものも、まるで現代アートに見えてきませんか。
そんな展示の中に、いきなり道をふさぐように。
こんな壊れ物をなぜ、とさらりと見過ごしそうになったところで、同行の、現代アート、ほぼ興味なしの友人が、「ミンモじゃ~ん」と指摘してくれましたとさ。
あらら、確かに数字が潜んでたわ~!
その場の展示に、あまりにもしっくりと溶け込んでいたので、もう完全に発掘品かと…。
本物の発掘品たちも、すごいです。
こんなの、掘ればどんどん出てきちゃうタイプのものなんだろうなぁ。
ちなみに、ブレーシャは、規模的にはたいした町じゃないのに、数年前に地下鉄ができました。まぁ、中心部は小さいけれど、産業地帯でもあり、郊外に工場や倉庫がたくさんあるからなんでしょうが。
それにしても、おそらく、地下鉄工事は、さぞや難航したのでは、と想像します。ローマほどではないにせよ、でも、ローマ時代、かなり栄えていたはずなので、掘れば遺跡に突き当たるっていうことは、あったんじゃないかな。
テラコッタの破片シリーズ、さり気に連続展示。これなんかは、ミンモっぽいテイストが勝ってるかな。
数字でしょ。そして、これは手。
そして、また兜類。
一個くらいほしいもんだ、とつい手が伸びたりしてね。
なんか、この日、本当に見学者が少なかったんです。この前に訪ねたロトンダは、かなり混雑していたし、町には地元の人々も繰り出していたのに、なぜかサンタ・ジュリアは超閑散。私は二度目ですが、同行の友人は、複数回来たことがあるけれど、こんなに人がいないのは初めて、と驚いていました。
見学の順路の先々で、係員が、あとをつけてきたり、あからさまに監視しているのが、友人はうっとうしかったようですが、田舎ロマネスクに慣れている私は、独り占め大好きだし、警備員と二人きりとかよくあるので、まったく気にならず。何が幸いするか、わからないもんですね。
この、ガラスケースの展示が秀逸でした。っていうか、俺たち、あほか?の象徴的な。
この、長耳頭部って、ミンモの有名アイテムだと思うのですが、っていうか、そもそもこんなフィギュア、古代にないですよね。よく見たら、脇に手もあるじゃないか。
それなのに、二人して、完全に古代ものと思い込み、私など、あらま、あの長耳フィギュアは、オリジナルじゃなくて、こういうとこからインスピレーションを得たのねぇ、なんて思っちゃって。あほだ~!
わざとこういう展示にしたんでしょうが、どっぷりと遊ばれちゃいました。
こんなペースでやってると、一生終わらなそうだけど、ま、自分的には楽しいのでいいか。
ロマネスク・ファンの皆さん、申し訳ありませんが、時々何か出てくるので、辛抱強くお待ちくださいね~。
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- 2017/11/08(水) 06:36:39|
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ミンモ・パラディーノOverture Bresciaその3
ロトンダの後は、待望のサンタ・ジュリア美術館です。
Museo Santa Giulia
Via Musei 81/b, Brescia
入り口は、住宅に埋もれている感じで、大変地味ですが、この美術館、というか、博物館は、かなりすごい場所なんです。ローマから中世にかけてのお宝がごっそりあり、そういう時代が好きな人は必見。
今回、ミンモのおかげで、このMuseum再訪のチャンスができたことも、嬉しいことです。近いとは言ってもね、なかなか行かないもんです、100キロ離れた町には。
エントランスの様子などは、9年もたっているとほとんど記憶にありませんが、確実に新しくきれいに整備されているはず。もっと古びた昔の博物館的な様子だったと思います、以前来たときは。
現代美術の美術館みたいにすっきり、きれいです。
そして、いきなり、フィアット500があります。これが、もう!
めっちゃくちゃかわいいんですよ。
ただでさえかわいいチンクエチェントに、ミンモ手書きのイラストびっしり、これはたまりません。
いきなり、ワクワクしてきましたね。この展示はナイスです。
チケットを購入して、最初に出会う中庭で、いきなりミンモ!
以前来た時の主な目的は左側に見えるクーポラ状の建物。これは古い教会なんですけどね。あ、ちなみに、この博物館は、ブレーシャの町の中心地、特に古い時代の中心に当たる位置にあり、ローマ時代の邸宅跡、そのあたり及び周辺にできた中世の教会と、時代が下ってからの修道院を転用したものです。
修道院は、おそらく改築付け足しなどなどで、相当広い敷地となっており、こういった中庭も複数あり、構造も複雑。その中全部が博物館になっているので、見学も結構大変です。順路も、意外とわかりにくいんですよ。
で、これは最初に出会う中庭で、でも、いきなり外に出なくても、あとで順路上に外に出られるようになっているのですが、やはりミンモに惹かれて、あえて、早速出てみました。
なんか、すごく頑張って横になっている人でした。
パッと見ると木彫りっぽい。でも近づいてみると、これが、ブロンズなんですね。
材料がわかると、さらに、頑張りが気になります。木だと、軽々感がありますが、ブロンズだと、なんというか、重力に負けまいというプルプル感を感じてしまって。
それでいて、この涼しい顔。
身体の彩色も、なんだかつらそうな色だし、この腕の置き方の辛い感じ。その上、砂利のような突き刺さる地面ですよ。それなのに、達観した表情ですよね~。
うん、やっぱりミンモはいいな、と、やおら、普通の見学コースに戻ります。こういう変則の繰り返しなんですけれど、変則どころか、本来の展示とシンクロしてくるのが、面白さなんだと思います。
いきなり、大好きなロンゴバルド系、どかん!ときます。
これは、数あるロンゴバルドの浮彫の中でも、かなり好きなやつ。細かさはないものの、ロンゴバルドの粋が凝縮したモチーフですよね。
こちらの石碑も、字も含めて、大変好みですねぇ。
まったく記憶になかったので、ちょっと驚いたのが、この聖母子像。
ロンゴバルド時代、9世紀の、漆喰を色付けしたものということですが、図像学的には、とてもビザンチンに思われます。
柱頭や石碑など、好きなものが並んでいますが、これを紹介していると、もうまったくミンモを忘れちゃうし、また、いつまでたっても終わらなくなってしまうので、適当の端折りますね。
でも、このセクションで、もう一つだけ、気になった石碑。
本文の行間に、小さい字の書き込みがあるんですけれど、これは何ですかね?もしかして彫り忘れを後で付け足したのか、と思ったりしたんですが。
でも、結構たくさんあるんです。
碑文については、まったく詳しくないし、そんなにじっくり見たこともなくて、こういうのって、気付いたこともなかったんです。
ちなみに、単語の間のクサビ模様みたいな三角は、おそらく文章の区切りで、点に当たるみたいでした。
サンタ・マリア・イン・ソライオ教会Chiesa di Santa Maria in Solaioに入ります。トップの中庭の、左側に見えていた建物です。
ここは、壁の間に作られた、古い階段を上ると、思わず息をのむような、星が光輝く、濃紺の天井を持つ部屋に出ます。
天井や壁のフレスコ画は14世紀以降のものですが、そこに置かれていたのが、ミンモの作った玉座です。
もう、しっくりしちゃって、ほとんど見逃しそうな作品です。
玉座には、シンプルで、現代的なものですが、本当にかわいらしい椅子ですよ。
背のトップに頭部フィギュアと蛇。
影の様子も、何とも計算されていますね~!
手を置く場所の先っぽに、うにょって出ているのが、やはり蛇の頭です。
玉座として作って作品のようなので、聖書的な寓意に基づいて、あえて蛇なんだと思いますけれど、なんかいいなぁ。
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- 2017/11/07(火) 06:22:22|
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ミンモ・パラディーノOverture Bresciaその2
泊まったら、普通は朝余裕があるもんだけど、ついつい朝っぱらから同行者とおしゃべりしてしまい、豪華な朝食とも相まって、気付いたら、10時過ぎ、食堂にいる最後の客になっていました。
まずは、古いカテドラルから、ミンモ・ツアーの始まりです。
ロマネスク的には、前回来た時にじっくりと見学しているので、サラリ、とのつもりでしたが、以前訪ねたのは、すでに8年前のことなので、多くのディテールは忘れていました。
外壁にしても、こういったところまで、きちんとチェックしたかどうかというと、覚束ないんです。
2009年当時の写真を見ると、こういうのは撮影してないんで、たぶん、気にも留めてなかったんだろうと思います。やはり、8年分、あちこちを訪ね歩いてきた蓄積というのか、そういうものは、どっかであるもんかもね。
地味だけど、レンガによる装飾としては、とてもユニークですよね。好みです。
入場~!
これは覚えています。ここは、円形構造なんですが、かなり径が大きくて、中に入ると、円形感を出す撮影が、ほとんど不可能なんです。無理!という感覚をよく覚えています。
入場してすぐ右手の壁に置かれたこの方も、よく覚えていました。
13世紀のブレーシャ大司教サンタポッロニオさんの浮彫。
その先に、ミンモがいました。
Stabat Matel 2016
キャンバスにいろいろ色を乗っけたり、なんたり、という、ありがちな現代アートですね。スターバト・マーテルってクラシックの楽曲?または、悲しみの聖母という意味になるのかしらん。よくわからないけれど、何か好きな名詞…。
ここに置かれるために制作されたものではないですが、この場所に置くなら、こういう色でしょう、という感じはあります。でもこれは、今回展示された作品の中では、あまり意味を見出せなかった作品です。
というわけで、ミンモはうっちゃって、ドゥオモの見学に集中しました。
クリプタ。かなり白いクリプタです。おそらくオリジナルは、天井のヴォルト部分は、全部フレスコ画が覆われていたと思いますね。今は、一部残されているだけで、残念です。
それにしても、こんなに白くて明るかったかしら?もしかして、前回来てない?とも思った私ですが、過去写真を確認したら、しっかりと見学していました。
ただ、おそらくですが、照明が変わったものと思われますね。
近年、照明に関しては、多くのスポットで進化変革があるように感じています。日本でも、いつのころからか照明アーティストという職業が、それなりの存在感を示すようになってきたと思うのですが、もともと間接照明やライトアップなどを普通に行っていた国だからこそ、なんだろう、遅れている部分もあったように思うんです。それが、私の場合は、訪ねる場所が教会ばかりだから、教会中心のイメージですが、近年、照明に工夫がみられるケースが多いような気がするんですよ。修復に合わせて、照明設備も一新する、みたいな感じ、なのかな。
ここも、その流れで、この明るさは、ヴォルトの漆喰を塗りなおしたのもあるようですが、照明は進化したものと思います。
構造ができたのは8世紀とロンゴバルドの時代です。この柱などは、その当時の名残でしょう。ローマ時代の建造物の再利用かもしれませんが。
多くの柱頭も、同時代のもの、またはローマからの転用品とみられ、中世というよりも古代の雰囲気が漂うクリプタです。後代の改変等、ところどころに見られるのが、ますます古さを強調するような。
それにしても、漆喰白塗りしすぎなのは間違いなし。
上物も、長い時代それぞれに積み重なってきた結果としてある姿でしょう。
周回廊的な部分は、中世時代なのかな、と思いますが、ヴォルトはどうでしょうか。アーチの内側に、一瞬モザイクかと思いきや、よく見ればフレスコ画の名残がありました。
この感じは、中世っぽい、と勝手に思いますので、ここまでは中世の建造物になるのかな。でも、中央部の天井は、後代のものでしょう。オリジナルは木製だったのではないでしょうかね。
それにしても、古いだけあって、かつての地面が、現在の地面に比べると、どうでしょう、地下1.5階分くらい下がっているのには、たまげました。
この階段の上、人がいるところが、現在の町のレベル。
そして、この階段の写真を撮っているレベルが、周回廊みたいになっているレベルですが、本堂のレベルが、そこからさらに、下の階段を降りたところとなります。
やはり8世紀からとなると、これだけチリも積もるということですね。
ラベンナで、確かいくつかの洗礼堂が、同じような古い時代のものだったと思いますが、確かあそこも、かなりレベルが変わっていましたね。でも、ここまではなかったのじゃないか。
一番左端に、現在のレベルと隔てる壁がわかるでしょうか。2メートルでもきかないと思います。ブレーシャ、チリが多かった?
本堂の隅っこに、オリジナルの床モザイクがいくつか残されています。
今は実につまらない床材に覆われてしまっていますが、おそらく、救うに救えない状態の中、わずかこれだけは、ということなんでしょう。すばらしい床だったでしょうに、残念ですね。
オリジナルの入り口も、しっかりと記されていました。
今の入り口の真下の位置です。
周回廊みたいになって、この本来のレベルから一段上がっている構造物も、後代のものかもしれないと思います。どうなんだろう。
はっ、ミンモを巡る旅じゃなくなってるわ~!
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- 2017/11/06(月) 02:12:23|
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ミンモ・パラディーノOverture Bresciaその1
寄り道がひと段落して、本来なら、フランス・ロマネスクに戻るべきではあるのですが、実はこの秋は寄り道満載で、なかなか本道に戻れないことになっています。
というのも、この寄り道も、期限付きのイベント訪問なので、是非紹介しておきたいのです。大好きな現代アート作家さんのイベントだけに、一人でも多くの方が訪ねてくれれば、という気持ちもありまして。
ということで、ロマネスク待ちの方々には申し訳ないのですが、現代アート、再び。ただし、会場がブレーシャですので、ローマ及びロンゴバルド付き、という大変豪華なイベントではあるんですよ。
Mimmo Paladino - Overture, Brescia
6/5/2017-7/1/2018
at Museum of Santa Giuilia, Brixia Archaeological Park, etc.,
ミンモ・パラディーノは、大好きなイタリア出身の現代アートの巨匠で、これまでもミラノやローマでのインスタレーションや、ベネチア・ビエンナーレへの出展で、いくつかの作品は見ていますが、ブレーシャという町とコラボした、このような大規模な企画は、想像もつかないし、ワクワクしていました。
と、いいながら、気付いてからずいぶんと時間がたってしまい、長い会期も、どちらかと言えばお尻に近いこんな時期の訪問になってしまいました。
ミラノからブレーシャは、車でもローカル列車でも、約1時間強の道のりで、楽勝で日帰りできる距離なのですが、今回は諸事情あり、仕事を終えてから、夜入り、宿泊して翌日見学、という変則日程でした。
というわけで、夜景から開始です。
鉄道駅から歩いてアクセスした、最初のスポットは、ヴィットリア広場Piazza della Vittoriaです。
あ、いた~、かわいい~!
この人の作品は、なんというか、一歩間違えると陳腐な感じっていうか、具象的過ぎてダサくなるかも的な部分があるっていうか、要は、現代アートにありがちなわかりにくさがないと思うんです。わたし的には、ロマネスクにも通じるような、愛らしいアイテムや遊びがあるところが好き。変に大上段に構えていない感じも好き。
でかいヘルメット。置き場所も、作家本人がサーベイして決めたものだと思います。それも、この企画、作家さんは、無償で作品を提供して、必要経費もほとんどが寄付やスポンサーから献金で賄われて、ブレーシャ市は、数十万ユーロしか使ってないという記事を読みました。確かに、フライヤーとかも、なんかしょぼいものがあるだけで、メイン会場となっている美術館や博物館でも、協賛のパンフレットや展覧会本が置いてなかったんですよね。
コストをかけずにイベントを行うのは、間違ってはいないと思うけれど、おいおい、ちょっと節約しすぎじゃないのか?とは、思いました。
ブレーシャでは、二年ごとに、大規模なアート・イベントを実施していて、考えたら、クリストのイベントが、二年前でした。クリストで、びっくりするくらい多くの人が集まったため、味を占めて、現代アート・イベントに走り出したのか、と思ったのですが、実は以前からやっているということでした。そういえば、行きたいなと思いつつ行かなかった展覧会が、時々あったようにも思いますが、もしかすると、そういう一環にある展覧会だったのかもね。
5月のオープンから、すでに半年以上たっているせいか、完全に町のコンテクストに溶け込んでいて、完全に、常にそこにあるもの、というたたずまいとなっています。こうなると、もはや、だれ一人、これらが現代アートの作品であること、という認識はしなくなりますよね。
「現代アートって、よくわからないし抽象は苦手」という人って、かなり多いと思うんだけど、こういう形でアプローチしているこれが、実は現代アートだし、ここにもあそこにも、アートって生活に入り込んでるんだよ、という事実を、そういう人は認識してないんですよね。
これらは、テンポラリーな展示だけど、路上に、町中に、パーマネントで展示されているアートはいくらもありますよね。でも、ああいうのって、そこにあるもの、程度の認識しかされてないんだろうなぁ。
この、数学的にはなんという立体なのか知りませんが、金平糖状態の物体。下に水が張ってあって、とても美しいたたずまいとなっています。馬の背にも乗っていますが、ここに置かれたものには、ちょこんと、人の頭がくっついています。
こういう遊びが、ちょこちょこみられるんですが、この頭部なんて、実は、夢中で撮影しているときは、見てなかったです…。時間がなくて、慌ててたしな。
ところでブレーシャという町。
実は、仕事のことで通過することは大変多く、駅には何度も降り立っているのですが、実際に町を訪ねたのは、2009年に遡ります。その時は、ロマネスク目的でしたから、例によって、目的だけを目指して、最短距離を駆け抜ける状態でした。
今回、比較的ゆっくりと町を歩くことができて、初めて町の成り立ちとか、たたずまいというものがわかったような気がしました。
例えば、町の一角が丘になっていて、城砦が残っていることなど、気付いてもいなかったんです。
ローマ時代から反映し、中世にも城壁を持つ町として繁栄が続き、現在まで来ている町。ミラノやヴェローナなど、大きな都市国家がひしめいている一角で、ちゃんと生きながらえてきていて、今でも、産業的に重要な町でありながら、でも、中心部は、当時とほとんど変わらず、という規模を維持しているあたり、一貫性のある町という印象です。
ただ、そういう性質の町であるためなのか、ちょっと閉鎖的な雰囲気、というものを感じました。
ミラノでは、そういうものがないし、そういうものの少ない環境にいるため、差別や区別というものに対して、もしかすると昔より繊細になってるかもね。
駆け足で、紹介して行きます。
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- 2017/11/05(日) 21:08:06|
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このイベントを知った時、まず考えたのは、どうアクセスするか、ということでした。というのも、会場となる村はとても小さくて、世界中から集まる訪問客の車を収容するに十分な駐車場がないのは明らかだったからです。
そんな中、ロンバルディア州のローカル列車会社であるトレノルドが、イベントに向けた一日チケットを売り出したので、それを活用することとしました。なんせ、一日乗り放題で、13ユーロという安さ。
というわけで、日曜日の朝っぱら、7時25分ミラノ中央駅発のローカル線に乗り込みました。乗り込んだ時はガラガラの車内が、出発時には、目的を同じくする人々で、ほぼ満員。検札に来た車掌さんが、すごい人出で、当局はもう来るなって言ってるんだけどね、とお客にか、自分にか、言い聞かせるようにつぶやいた言葉に、乗客一同、どよめきました。
定刻にわずか遅れて、8時40分ごろ、ブレーシャBrescia到着。ここからイセオ湖沿いを北上する、超ローカル線に乗り換える必要があります。ホームに降りて、いきなり驚愕。
すでに、すごい行列です。わけのわからないまま、とにかく最後尾につきました。
電光掲示板では、乗る予定にしていた、9時07分発のローカル線が、すでに10分の遅れとなっていました。会場の村を通るローカル線は、増便をうたっていましたが、通常通り、半時間に1本というスケジュールに変わりがないようです。結局、ほとんど単線のローカル線をいきなり増便するなんて、無理な話で、思うに、通常は2両で走っているところを3両とか4両にする、という程度の話なのではないか、と。
そして、増便などの対策よりなにより、普段ローカルの仕事しかしていない人たちが、こんな世界レベルのイベントに対応できないのは、火を見るよりも明らか、ということだったんですね。
ローカル線は運行していなくても、ミラノやヴェローナから、訪問者を満載した列車はどんどん到着するし、他の手段でここまでたどり着く人も多数で、行列は長くなる一方です。が、遅れはいつの間にか30分まで膨れ上がり、並ぶ人々のイライラも募る一方です。
1時間以上たって、やっとアナウンス。「現在、浮橋は閉鎖されており、再開の可否を当局が協議中。閉鎖中は、列車の運行も停止する」というものでした。
その後、「10時半までは、運行はない」。このあたりから、脱落者が続出。人によっては、タクシーで直接乗り込むなどしていたようです。実際、後ろに並んでいた3人組に、5人まで乗れるからどうか、と誘われましたが、余計なお金がかかるうえに、現地がどうなっているかもわからないわけですから断ったり。でも、後悔したり。今日は、ブレーシャ観光でもして帰ろうか、と相談したり。
10時半も回った頃でしたか、やっと列車への乗り込みが開始されました。
その時には、ずいぶんと前の方にいたので、最初の列車に乗り込むことがかないました。そういう状況であるにも関わらず、みな、比較的お行儀よくて、押し合いへし合いになることもなく、整然と乗り込むことができたのは、意外でした。
小走りで、入り口から遠い車両に走り、乗り込んでからも小走りで、運よく二人分開いている席をゲット。二人ずつ向かい合った、四人掛けの席でしたが、驚くことに、すでに腰かけていたうちの一人が、日本人の方でした。
もう一人は、やはり一人で来ていたイタリア人の女性で、結局この日は、ほとんどの時間を、偶然出会ったこの方々と、ご一緒することになりました。
日本人の方は、なんとニューヨークから来られたということでしたが、イタリアにはしょっちゅういらしているので、このひどいオーガナイズにも、さほど驚かないということでした。すばらしい!
出発したのは、もう11時も回っていたころと思います。立ち見も含め、満員の乗客から、おもわず拍手が起こりました。乗客間にも、妙な連帯感があり、あちこちで、他人同士が、自然におしゃべりを始めるような感じ。トレノルドに文句を言いつつ、和やかっていうか。
本来の予定からは、2時間以上の遅れ。でも、ちゃんと出発できただけで、もううれしい気持ちで、本来の目的をうっかり忘れそうになるような状況でした。
出発してからも、スムーズには進まず、各駅で信じられないくらい長く停車したりの繰り返しで、30分程度でつくはずの道を、倍はかかったはずです。それでも、緑が増えてきて、イセオ湖が見えた時には、歓声が上がりました。
そして、車窓から、遠く黄色が見えた時には、ある種の達成感に襲われてしまいました。
しかし、試練はまだ続くのです。
というのも、この列車は、会場であるスルツァーノには停車しないということだったからです。慌てて調べたところ、先の駅からは3キロちょっとの道のりですから、そこから歩くしかありません。というわけで、やっと列車を後にしたら、今度は3キロ超のウォーキングです。トライアスロン状態。
幸い、曇りで涼しく、時々雨がぱらつくものの、ひどい降りになることもなく、ある意味、快晴よりも、快適なお天気でした。また、車を通行止めしているので、歩きやすいし、湖沿いの道なので、浮橋がどんどん近づいてくるという高揚感もありました。
半時間長のウォーキングで、いよいよ、スルツァーノへ、イン!
村にも、イエロー・ブリック・ロード!感激です。
しかし、試練は、まだ終わってません。
湖への道は、またもや行列に占領されていました。
すごい人なんですが、ここは、ワクワク感が強まったせいもあるのか、さほど待たされた感がありません。1時間はかからずに、どんどんと進みました。と言っても、ジグザグの行列ですから、移動距離は限りなく少ないんですけれど。
いくつもの関門を超えて、ふっと行列がほどけ、いよいよ、核心に迫った感があった瞬間。
細かい状況よくわかってなかったわけですが、実は、この先を右に曲がったら、いきなり入り口だったんです。
え、まじ?という感じで、さりげなく、浮橋に立っていました。
この後は、昨日の記事に続きます。
浮橋でも、さんざんウォーキングを楽しみまして、帰りは、大混雑で、一時島の道で渋滞にも巻き込まれつつ、何とかまた、スルツァーノまで帰還。
またもや、村に作られたイエロー・ブリック・ロードをたどって、駅へ。
村でもまた、布の美しさと、普段の後継とのミスマッチが、実に面白い味を出していました。浮橋とは異なる楽しみですね。
帰りは、スルツァーノの駅から、乗車できるはず。せめても、よかったね、と言いながら、駅に向かったのですが…。
知ってた、知ってたよ、と脱力するような、激しい行列が、展開されていました。
写真では取り切れていませんが、とにかくすごい人です。
その時点で並んだとしても、来た列車に乗れそうもない行列です。これはだめだ、と一駅先まで、また徒歩で戻ることを即決しました。
というわけで、また3キロ強、半時間強のウォーキング開始です。
誰もが、カジュアルな格好をしていましたが、これほどのウォーキングは想定していません。私も、運動靴ではありましたが、あくまで町用の、かかとのある運動靴もどき。同行者たちも、同様で、すでに相当疲れているところに、この最後の3キロは、実に辛かったです。
もうおしゃべりも言葉少なで、でも、少しでも早く駅に着きたくて、道端で休んでいる人、のろのろ歩いている人たちをどんどん追い抜いて、無事、目的の駅、サレ・マラジーノSale Maradinoへ、たどり着きました。
やった!数人が待っているだけです!
疲れ果てて、ベンチに座り込みました。そうしたら、なんと5分もしないうちに、ブレーシャ方面行の列車がやってきたのです!
ええ~、こんな幸運があるだろうか、と小躍りして、乗り込みましたが、停車したまま、動こうとしません。何人かが降りていきます。当初は、疲れに動きたくない気持ちでしたが、さすがに埒が明かないため、降りて、そこにいた車掌さんに尋ねると、なんと、個の列車は、イセオ止まりだというのです。イセオは、ブレーシャの手前なので、そこで乗り換えて、ブレーシャに向かう必要があります。
イセオの状況については、「わからない」。
ホームで思案しました。
イセオで、すぐに乗り換えの列車が複数あればいいけれど、さっきスルツァーノで見た人たちが乗り込んでくるとすると、すごい数の乗客になるはずで、いずれにしても、乗り換えた後は、座れないことは確実。それなら、やはりここで次の列車を待って、座ってブレーシャに行った方がいいのでは。いや、でも、次の列車が、車掌が言ったように、1時間後に来るとは限らないのでは。云々カンヌン。
でも結局、座っていく、という考えにとらわれて、次の列車を待つことにしました。
相当たってから、出発した列車の後、おそらく半時間も待たないうちに、次の列車がやってきたのは、うれしい驚きでした。
計画通り、しっかりと座って、スルツァーノで席を求めて走りこんでくる人たちを、憐れむように眺めていました。疲れたけど、その甲斐はありました。
行き同様、長時間停車を繰り返しながらの運行。
途中、イセオの駅で、かなりの時間停車。ホームには、トレノルドの職員が、鳩首会議?っていうか、とにかくどこでも、こういう感じなんですよね。警察官も、イベントのボランティアも、関係者も、数だけはたくさん動員されているのが認められるのですが、実際に必要な場所、やるべきことがある場所には、誰もいない、という状況。
駅でも、一体何をしているんだろう、というほどの駅職員がうろうろしていて、苦笑いするしかありません。
車中で、ブレーシャからミラノへの列車の時刻を調べていましたが、なんということか、ちょうど、出発時刻ごろに、ブレーシャに到着らしい…。実際、まさに、これに乗れればいいな、という19時25分ブレーシャ初の列車が、お隣のホームに停まっている時間に、こちらの列車もホームに滑り込みました。
最後の頑張り。
走りました!到着したホームを、ずっと走って、階段を下りて、上って、すでに扉を閉じて出発待機している列車の、開いている扉を求めて、気が狂ったように走りました。他にも同様の人が多数いたため、気が利く駅員さんが、カギを使って扉を無理やり開けてくれて、一団がなだれ込むことができました。
なだれ込んだとたんに、出発したので、まさに間一髪でした。
次の列車は、30分後だったんで、助かりました。
この状況で、また30分待つのは、かなりの苦行でしたから。
そして、たちんぼで、1時間半超の列車の旅。これは、幸いにも、この日最後の苦行でした。列車は、またもや遅れましたが、最後の半時間ほどは、席に着くことができ、車窓から、美しい虹を拝むというおまけまでありました。
ミラノ到着は、すでに21時も近い時間でしたか。
それでも、日のあるうちに、帰宅できたのは、奇跡のような気持ちでした。
家の前の公園で、美しい夕焼けに気付きました。
激しい疲れがあったにも関わらず、この時、感じていたのは、満足感だけでした。夕焼けの美しさに、湖の、あの稀有な風景を喚起され、この一日を、心の底から楽しく反芻することができました。
しかし、筋肉痛、まだ続いています。トータルで、14キロ近く、歩きました。げろげろ~!それも、飲まず食わずです。これを、苦行と呼ばず、何を苦行を呼ぶか、ってとこですね。
それでも、ぜひ多くの人に、体験してほしいと思います。本音を言えば、実は夜間に、もう一度行きたいのです。でも、あの行列を繰り返す元気は、ほとんどない…。
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