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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

マチェラータ、なぜ有名なのか?

マルケ・ロマネスク、その14

今回は、ロマネスクとしては番外で、マチェラータMacerataです。
マルケの中では、マチェラータという町は、比較的有名で、町として繁栄したのは、ルネサンス以降なのではないかと思います。名前を知っていたというだけで、思い出せないくらい昔に、一度訪ねた記憶はあるのですが、訪ねた事実を覚えているだけで、町のことはほとんど覚えていませんでした。

ここでもまた、駐車場を探してうろうろ、最後は親切な少年が、徒歩で先導してくれて、何とか下の町の有料駐車場に入れることができました。丘の上に張り付いている町です。そんなこんなで、もともと小雨がぱらついていたのですが、旧市街にたどり着いたときは、大雨となってしまいました。




アップダウンの激しい街中を、水が川のように流れ、仕方なく軒先で雨宿り。ここは旧市街の中心のリベルタ広場で、お天気がよければ、美しい空間でしょうが、残念ながら、池状態でした。
とは言え、せっかく美しい建物に囲まれているのに、実は、単なるどでかい交差点、というようなスペースになっているのがもったいない。
なんか、この町は、全体がこういう風に取り留めなくって、余り魅力を感じられるつくりになっていないように思いました。イタリアの広場は、カフェやレストランのテーブルが出ていたり、ベンチが並んでたりして、人々が集う場所であってこそで、車やバスが幅を利かせているなんて、いまどきありえないです。

なんか退屈、のときに目に入った町のポスター。




イベントのポスターだったようですが、派手な色と面白いフィギュアで、地味な色合いの町並みで一人目立っていました。




小雨になったところで、観光案内所に行き、町の地図と見所を尋ねたところ、すぐ近くにある「競技場Sferisterio」のガイドツアーが、5分後に始まるところだというので、それなら行ってみようと、ツアーに参加しました。
ここって、今はどうなのかしらないけれど、かつては夏の野外オペラに使われていたので、わたしの中では、完全に「劇場」だったのですが、実は競技場だったのですね。




一見、劇場にしか見えませんよね。
椅子が並んでいるので、やはり今でも野外劇場として使われているようです。でも、オリジナルは、確かに競技場だったんだそうです。18/19世紀頃の建物で、その頃流行っていたらしいスポーツのためのもの。チームに分かれて、ボールを腕で打ち合うとかそういうタイプの、ありがちなスポーツだったらしいのですが、すっかり廃れて、今ではよくわからないんだそうです。結構簡単に廃れちゃってますから、余り面白くなかったのか、設備の維持が大変だったのか。
でも、考えたら、スポーツって、オリンピックの近代五種競技でしたっけ。ああいうもの以外は、さほど歴史ってないのかしらん。

左側にある、とんでもなく背の高い壁も競技場の一部で、今の舞台と客席部分が競技スペースだったらしいけど、かなり広大なスペースなんで、想像もできません。7千人もの観客を収容できるものだとか。でかすぎ。
ま、劇場として再利用できてよかったね、というところ。

帰り道、この背の高い壁が思いっきり視界を閉ざし、閉塞感をもたらしていました。変な町だ、マチェラータ。ルネサンス的にも、別にどうって言うことないし、なぜわたしの中では、知名度が高かったんだろうか。

またロマネスクに戻ります。

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  1. 2014/02/07(金) 06:35:23|
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またもやお祭りの喧騒の中、中世。

マルケ・ロマネスク、その13

次に訪ねたのは、サン・クラウディオ・アル・キエンティ教会Chiesa di San Claudio al Chientiです。




キエンティの広々とした谷に、一人ぽつんと建っている教会…、のはずなんですが、ここでもまたお祭りらしく、移動遊園地はあるわ、人ごみでざわざわしているわ、という有様で、普段とはかなり違うたたずまいに遭遇してしまいました。

ファサードへのアプローチは、まるでお城みたいですよね。おそらく修道院時代の建物が基礎になっているんだと思いますが、今はその一部が、お洒落なホテルとレストランになっているようです。誰もいない静かな時期だったら、ちょっと泊まってみたいと思ったかもしれませんが、このときは、見るものを見てさっさと立ち去りたいくらいにざわめいていたので、それどころじゃありませんでした。




内部、ほとんど装飾はなく、石の質感がすごい迫ってきます。白っぽい石なので、重圧感は意外とないですが、太い柱で、がっしりと作られていますね。半円の後陣に小さな窓が開けられていて、外光が入ってきます。

ここ、オリジナルは、修道院で、その後教会だけが独立したものらしいのですが、詳しい歴史は分からないのです。それにしても、その独特な建築を見ると、どこからこういうスタイルが採用されたのか、非常に不思議になります。




塔は、内部に螺旋階段があって、一階から二階までは、登れるようになっていました。
一階も二階も、同じような構造の教会です。どういう風に使っていたのか、何か理由があったのでしょうね。
二階の方が、天井が高く、柱も若干細めで、開放感がありました。




今は、展覧会場に使われているようです。

二階の入り口から出ると、円筒の塔を間近に見ることができます。
左と右。





微妙に違うんですよ。高さ(確か、右の方が若干高い)とか、開口部の位置や数。左側の方が、レンガの色もきれいだし、作りも全体にすっきり感があるような気がするのですが、もしかすると、時代の違いがあるのかも。または単純にお掃除や修復のタイミングのせいなのかしら。
円筒形の塔は、ラベンナのあたりに多いですが、その影響があるかもしれないですね。考えたら、このあたりのマルケは、ロマーニャ地方から、そう離れているわけではないです。ただ、塔を、それも二本も、こうやってファサードに組み込むというのは…。
あれ、もしかして、ヴェローナに似たようなタイプのものがあったような気が。やたらヴェローナ・タイプに出会ってる?

こういう印象的なスタイルは、時間がたっても結構覚えていたりするので、ふと過去に訪ねた教会との共通項を思ったり、面白いものです。っていうか、生まれつき物覚えが異常に悪い自分なのに、ロマネスクに関してはかなり覚えていることに、びっくりします。

二階のバルコニーからの眺め。




どこまでもまっすぐな道が続きます。このファサードは、あるべき場所に作られたということなのでしょう。

さて、外観。




美しい後陣です。背の高い三つの後陣が整然と仲良く並んでくっついて。ファサードの円筒の天辺がちょっと顔を出すのも、計算されているんでしょうかね。
これは、マルケ北部のサンヴィットーレ・デッレ・キウゼに似ています。マルケ様式ということになるのでしょうか。




側壁の方にもぽこん、と半円出ています。どれもブラインド・アーチと付け柱の組み合わせで、簡単だけど効果的な装飾。きれいですよ。
でも、よく見ると、アーチがなくなっていたり、途中に入っていたり、いろいろ。




崩れてしまったものもあるのでしょう。やはりこの教会は、後陣の方が、教会らしくて、独特のファサードよりも、わたしはこっちが好き。円筒は好きなんだけど。

それにしても、実はこの後陣の姿を美しく撮影するのは、大変でした。というのも、とにかく人と、アトラクション系のぶつ、車が、あらゆる場所を占めていて。
その上、とにかく音楽が、まるで昔の場末の温泉街とか海辺とか、そういう状態で鳴り響いていて、頭痛がしてくる始末。
お祭りもいいし、地域の人々の楽しみということはよくわかりますが、せめてあの音楽は何とかしてほしかったな~。

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  1. 2014/02/06(木) 06:19:38|
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逆さまの柱頭の意味は。

マルケ・ロマネスク、その12

修行旅の際は、事前に調べた教会名と場所、見所と、全体を把握するための簡易な地図を、小さな手帳にまとめた「虎の巻」を用意することにしています。余裕のあるときは、かなり細かく、広い範囲で、回れる可能性がほとんどないものも含めて、記していきますが、逆に時間がなかったりするときは、町の名前と教会名がやっと、ということになります。
今回のマルケは、その中間くらいの準備度合いで、記載したものの行けなかった場所も多かったのですが、その中で、村の名前だけは書いてあったものの、詳細は調べる余裕もなく、「サン・ジネシオの近く」と記しただけの場所に、偶然にもたどり着いてしまいました。

それが、マッキエMacchieのサンタ・マリア教会Chiesa di Santa Maria。




通りすがりの街道沿いに、看板が出ていたので分かったのです。探してもいけなかったのではないかというような、村というよりは街道沿いに家が数件あるだけの集落。普通の農家の塊にしか見えませんが、上部写真の中央部にあるのが、教会のファサードとなります。

掲げられた表示によれば、正式には、マッキエのベネディクト派修道院Abbazia Benedettina delle Macchieというようでした。つまり、今では、近隣の家に取り込まれた建物となっていますが、かつては全体が修道院であったものと考えられます。
裏の方は、こんな感じ。恐ろしいほどにでかい鶏も、たくさん飼われていました。




でも修道院時代にも、きっと周囲は畑だったのでしょうから、実は余り変わっていない風景なのかもしれません。

教会は古くて、11世紀のもの。外観からは想像もできませんよね。
中に入っても、実はやっぱり、11世紀の姿はないのでした。




でも、修行者なら、ぴくっとしますよね。
上に持ち上がった内陣、両脇に、地下室への階段らしいへっこみが見えます。

確か、近所のオバサン風が、お掃除とかしていらしたのですが、遠慮しながら入っていった我々を、どうぞどうぞ、とにこやかに迎え入れてくださいました。

では、いざ、注目の階段へ。




おおお~!
まさかの素晴らしいクリプタでした。
床など最低限、整備はされているけれど、大元はいじられていない、往時の雰囲気そのままの、円柱の柱。光と影。
上部との落差の激しさに、さらに感動が大きいです。




自然光で、かつてのイメージそのまま、と思いました。曇りだったり日が暮れたりしたら、すぐに真っ暗ですね。でもそういう時代における、朝日のときの荘厳さはいかほどかと、逆に考えてしまいます。
祭壇も、渋いですよ。




全体と同じ素材に見えますので、このクリプタが11世紀のものとすると、同じ時代のものでしょうね。ウォークインクロゼット式の、作り付け家具ならぬ作りつけ祭壇。
柱頭が面白いことになっていました。




?あれ?
逆向きに置かれている…。それも意匠が、ローマとかそういう時代の物っぽい。つまり、再利用なんでしょうが、それにしてもなぜ逆になってしまったのでしょう。再利用の場合って、足元のものを柱頭に使うなどはよくありますが、逆さまに置くのは?
そういえば、ヴェローナの古い教会のクリプタで、やはり再利用の柱を天地逆さまに置いちゃったというのが、あった気がしますね。ロンゴバルドとキリスト教の関係を表したような。ここでも、ローマが異教であったことを、ことさらに主張しているのかしら。




面白いクリプタで、お勧め。と言っても、なかなか行ける場所じゃないのですが。
最後にもう一度周囲を回ってみました。




これはこれで驚く風景。アンテナはぶっささっているし、エアコンの室外機のコードが、どうやってどこにつながっているのやら。安全上まずいんじゃないかという危険な情景です。
そんな中、外壁にやっと見つけた中世の名残。




こういう破片の埋め込みって、どういう時点で誰がやるのかなぁ。これだけで、ちょっと嬉しくなっちゃうわたしとしては、そういう酔狂をしてくれた人に、感謝したいです。

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  1. 2014/02/05(水) 06:37:29|
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山奥で、テンプル騎士団の遺構に会う

マルケ・ロマネスク、その11

サン・ジネシオSan Ginesio続きです。本来の目的である教会を訪ねます。




村の中心の広場に面して建っています。聖アヌンツィアータ参事会教会Chiesa Collegiata di SS Annunziata。ここでもまた、よいガイドさんと出会ったおかげで、面白い発見があったんですよ。というか、そういうお話が聞けなかったら、絶対に気付かなかったことをみることができて、かなり得した気分でした。

開いていたので入ったところ、全体に新しくなっちゃって、面白くもない(というのも失礼ですが、あくまでロマネスク的に、ということなので、お許しを)本堂。




その上、生演奏の練習中で、うるさいこと。




でも、うろうろしていたら、「あれ?もしかしてクリプタ探していますか?ここですよ、ここ」と教えてくれて、いざなってくれたのも楽団員でしたので、そこは文句もなく。上の写真の左下の門扉が、クリプタへの入り口。
事前の学習でも、サン・ビアジョ礼拝堂Oratorio di San Biagioというのは、チェックしていました。どうも、事前チェックでは分かりにくかったのですが、この教会、斜面に建てられていて、時代とともに、数層式になってしまった、という建物らしいのです。
前回の記事の、救護所の方から来ると、まず、下層部分、要は古い教会部分に出会うのです。




この写真の、右側の方が、トップの写真のファサードとなります。標高でいえば、この写真を撮ったところからは、数メートルは上になります。この写真の高さにあるのが、サン・ビアージョという11世紀の教会部分で、そこに、15世紀頭に描かれたフレスコ画が、おそらく現在の最も観光的な資産となっているもの。複雑。

下層の方の入り口は閉ざされていましたので、入れないもの、と思っていたら、なんと今の教会から入れることが分かったと、それも、これからある結婚式の生演奏練習で一生懸命の楽団の若者が教えてくれたと、振り出しに戻ります。

それでアクセスしたクリプタ。




わたしの場合、13世紀以降のフレスコ画は、基本的に本当に苦手なもので、あ、あれだ、と思うだけで、目が見ることを拒否してしまうんですよね。時代というより、タッチとか表現?13世紀以降でも、これは好きだなっていう絵もあるんですけれども、とにかく12世紀後半から13世紀くらい、本当に苦手なタイプの絵があって、そうなるともうだめで、このサン・ジネシオは、残念ながら、まさにそういう、わたしにとってだめな絵だったので、さらりと。
ここがなぜそれなりに観光資源となっているかといえば、比較的最近発見されたこと(1960年代まで、漆喰かなんかで覆われていたために、湿度などにやられずに、よく残ったらしいです)、あと、何かあったような。聖母が笑っているとか?忘れちゃいました。フレスコ画の質と内容で、有名みたいです。興味ないんで…。

ロマネスク的には、なぁんだ、ということで、教会をいったん後にしました。
教会のある、同じ広場に観光案内所がありましたので、一応興味を持って、訪ねてみました。そこで、この人が?観光案内所の人?ホームレスじゃなくて?と、かなり失礼な言い方ですが、思わずそう思ってしまうようなおじさんがいらしたんです。でも話し始めると、どうやら地史には相当詳しい方のようで、いろいろと面白いお話が。
カロリングの時代とか、十字軍の時代とか、そういうお話がぽんぽんと出てくるんです。こっちも興味があるものだから、合いの手を入れるととどまるところなしっていう感じで。とうとう、テンプル騎士団の本を購入して、改めて教会本堂に戻りました。

詳しいお話と本の内容は、いつかサイト(下記、ロマネスクのおと)を作るときにしっかりとまとめることとしますが、なぜ教会に戻ったかというと、何の変哲もない修復されすぎの本堂の中に、実は中世の跡がしっかりと残されている事実を知ったから。それも、テンプル騎士団ゆかりの跡。





この、柱の上の角っこのところのシンボルが、テンプル騎士団の何からしいんですよ~。そそられますよね。

なんかそう思って歩いたら、どうも細部が気になって。
改めて見たファサードの扉周囲。




あれ、やっぱり気になるものがあります。





これは、ちょっとカロリング系かな。
いやはや、やはり資料の少ない田舎の教会は、地元の人に限りますね。マルケは、本当にこういう出会いでお話を聞けることが多くて、それが面白かったです。人とかかわるのが好きな同行者のおかげも大きいかな。私自身はかなり人見知りで、遠慮しがちなものですから。

それにしても、十字軍のあたりのお話というのは、十字軍そのものの発想はばかばかしいと思いつつも、歴史上、なんかロマンというか、物語的な何かを感じてしまいます。海辺の町ならともかくとして、こんな山奥の田舎町にテンプル騎士団のなにか、というのはかなり歴史ロマンです。

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  1. 2014/02/03(月) 07:10:22|
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無人の村の小路散歩

マルケ・ロマネスク、その10

次に尋ねたのは、サン・ジネシオSan Ginesio、「イタリアで最も美しい村I Borghi piu' belli d'Italia」に登録されている小さな村です。




城壁に囲まれた中世の村です。地味な壁の手前に車を停めて、村に入ります。




この城壁、どうやらかつては城壁の上に登れたようです。小さな木製の階段があり、その入り口部分に「Strada dei Tiratori射手の道」という表示がありました。今では残念ながら門扉が閉ざされていましたので、整備が追いつかないという、イタリアではありがちな、「歴史遺産多すぎで、管理仕様がない」状態に陥っているものと思われます。
では、中心部を目指そう、と思ってまず目に入るのが、こちら。




城壁からすぐ右側にある、立派な建物です。たまげたのはこちらの、かなり手作り感あふれる表示。




「売り物件、巡礼者救護所。旧サン・パオロ教会とその関連施設」とあり、夜間連絡先として、携帯電話の番号が記されていました。




明らかに中世の建物で、そして、かなり美しく修復されているんです。でもきっと、それは外観だけなんでしょうね。
夜間連絡先として携帯の電話番号が記されているということは、既に個人の所有物。たまたま遺産相続した人なのか、または余りに荒れ果てた結果としてぼろぼろの物件を投資物件として安く手に入れたけれど、余りの修復コストに、これ以上はいかんともしがたいと、と思った人なのか、とにかく売りに出ているんですよ、歴史的な物件が!
元は教会となっているわけですから、この建物の裏側には、きっと教会とかのある土地もあるはず。数年後に行ったら、立派なホテルになっている可能性大ですね。
わたしに経済的な余裕があれば、買ってみたいものですが、それにしても、こういうものが、今でも個人所有となっている事実が、やはりヨーロッパって計り知れないものがあります。




全体に中世っぽいたたずまいを残しながらも、何もなさそうな田舎なのに、何で、どこもかしこも、こんなにこぎれいなんだろう、と感じさせる村です。




びっくりするくらい狭い小路の連続で、時々、行き詰まりに教会の建物などが垣間見えたり。お散歩の楽しい村です。




お散歩に来たのかって?
もちろん目指すはロマネスクの教会です。
でも教会は村の中心にあり、村の中心までは、緩やかな坂道をうろうろと登らないとたどり着けないわけで、その間、中世のたたずまいを、嫌でも堪能させられるという仕組みです。車はとても入れない小路ですからね。
それにしても人っ子一人いない小路の連続だったのですが、中心の広場では、それなりの活気と、村人がいるので、その落差にびっくり。村人、いきなり中心部に現れるために、どっかに潜んでいるのか?と思ったり。

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  1. 2014/02/02(日) 06:19:55|
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