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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

マルケのご飯

マルケ・ロマネスク、番外3(最終回)

イタリアは、どの地方でも、それぞれに独特の食材や得意料理があって、必ずやおいしいご飯にありつけるのは、既に皆さんにも知るところですが、それが田舎になると、おいしい上にお安いので、田舎旅がますます楽しくなります。
で、マルケは、海あり山ありという地の利に加えて、観光的にはかなり地味なために、おいしさとお安さが、どちらも激しく嬉しい土地なのですね。

今回の旅は、友人と一緒だったこともあり、おいしいマルケ料理を堪能する、ということも目的のひとつでした。そのため、一応いつも活用しているレストラン・ガイドで、少しは調べていき、特に最初のランチは、ここ、と決めているレストランがありました。




ここ。
チンゴリ郊外の住宅地の、「え、こんなところ、車入れるの?」というような細いわき道を入っていくと、いきなりこのような緑の農場にたどり着くので、びっくり。
そして、正面の農家風の地味な建物が、近寄ると、超モダンな内装になっていて、二度びっくりでした。
そして、残念なことに既に満員で、予約なしでは無理、ということで、三度びっくり…。お店の人たちも、とても感じがよかったので、心底残念でしたが、仕方ありません。

Il Maiale Volante(空飛ぶ豚という名前なので、もしかして養豚農家なのかも)
Localita' Fonte Antica 17, Cingoli
いつかお食事してみたい場所ですけど、あの細道は、自分では怖くて絶対いけない…。

もうランチの時間も押していたので、このお店の人に教えてもらった近場のレストランを目指すことにしました。

そしてたどり着いたのがここ。




Ristorante Villa del Cerro
Localita' Lioni, Grottaccia, Cingoli
www.ristorantevelladelcerro.com

すっごいきれいなところで、え?この門入っていいの?というロケーションです。どうやら、地域の結婚式だったりのイベント会場に使われるレストランみたいでした。日本で言えば結婚式場みたいな。
で、こういうところだから、なんとなくあまり期待できないのかな~、と若干疑問を感じながらも、お魚系前菜を一人分と、それぞれパスタを頼みましたが、これが…!





大きなお皿で、色合いも美しい暖かいお魚の前菜が、これ、一人分じゃないよね?という盛のよさで出てきます。





この時点で、既にほぼ、腹八分目、ちょうどいい感じですが、このあとにパスタが来てしまう。それも一人ずつ…。その上、おいしいのでパンもいただいてしまったし、お互い、完全に失敗だよね、となんとはなしに恨めしいような顔を見合わせました。パスタ。





わたしは手長えびのパッケリ、友人はきのこのタリオリーニだったかな。また盛がいい。辛い、と思いながらも、おいしいので、結構いただけちゃいました。
ドライブ中だったので、お酒はいただきませんでしたが、これに水とカフェで、一人18ユーロくらいだったかな。お勘定で、こんなに感動したのは久しぶりです。お魚と言うこともあり、ミラノでは考えられません。

前回紹介したウルビサリアのロカンダの夕食も、充実でした。こちらはアラカルトだったので、おなかと相談しながら食べられるのも嬉しく、結局宿泊した三晩とも、こちらでゆったりと夕食をしました。





ケシの実がかかった生肉とか、お野菜たっぷり濃厚バルサミコのタリアータ。





季節のアスパラのベーコン巻きや、牛肉のワイン煮込み。どれもお味がいい上に、お皿がきれいなんですよねぇ。
デザートも、ついつい頼んでしまったりする楽しさで。小さい器に、多種類盛って言うのは、フランスのカフェ・グルモンとか言うやつのまねっこですかね。自家製のティラミスやパンナ・コッタ、甘さ控えめで、普段甘いものはあまりいただかないわたしにも、おいしかったです。





アヒルやヤギ、孔雀、なんかがわさわさいるアグリ・ツーリズモで、素朴なランチをいただいたりもしました。アヒルも、ご飯をくれる人の言うことはちゃんと聞くんですねぇ。一団でいっせいに、おじさんのあとを着いていったのには、あんまりかわいらしくて笑ってしまいました。




ソーセージの焼いたのとサラダとか、とっても素朴だけど、炭火焼ですごくおいしかったり。
こうやって食を振り返ると、あのウルビサリアのロカンダは、本当においしかったな、と今更ながら感動してしまいます。

あ、ついでですが、ホテルで販売していた水時計。




みなさんは、水で動く時計、ご存知ですか。ちょうど目覚まし時計を探していたところだし、いつも電池を使うのが、なんかエコじゃないな、と思っていたところだったので、飛びつくように買いました。優れものです、これ。本当に水だけで動くんです。先日、しばらくお掃除をしていなかったら、ある朝いきなり死んでいたのはびっくりしましたが、お酢で掃除をしたら、復活しました。
こんな優れたものが、何でもっと普及しないんでしょう。

ということで、脱線しましたが、番外編もこれでおしまい。いつものように長くなってしまった旅の報告、やっと終了です。
いろいろな発見があり、いつになることやらではありますが、改めて各教会や修道院の来歴を調べるのが楽しみです。
お付き合い有難うございました。

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  1. 2014/02/25(火) 05:41:03|
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ウルビサリアの小さなロカンダ、と、ちょっと変な日本人

マルケ・ロマネスク、番外2

前回紹介したローマ遺跡Vrbs Salvia(前回、スペルを間違えていました。失礼しました)が、今につながった町が、今回の旅で宿泊したウルビサリアUrbisagliaという町です。この旅まで、聞いたこともない地名だし、響きも不思議だなぁと思っていたのですが、ローマ起源ということで、納得です。




ウルビサリアの町そのものには、目的がなかったのですが、行きたい場所を想定して、おおよそこのあたりがいいだろうという範囲を限定して、今回は、いつも役立てているレストラン・ガイドから情報をピックアップ。レストランが宿泊施設も持っている、ロカンダ、という形態があるのです。車の旅だと、できれば夕食のためにわざわざ車で出かけることは避けたいわたし。今回は、お酒を飲まない相方がいましたけれど、それでも一人で飲んだくれて、挙句相方に運転手させるのもどうかって思いますしね。
で、見つけたのが、このウルビサリアのロカンダだったというわけです。

ウルビサリアは、丘の上にちょこなんと乗っかっている感じの、小さなチャーミングな町。というより、規模的には限りなく村、ですかね。




旧市街は壁に囲まれていて、正面口からメイン・ストリートが1本。そこを進むと、教会と城のある村唯一の広場に出ます。
かなり豊かな様子で、入り口の門も広場も、メイン・ストリートの道も建物も、大変美しく修復されているのです。




広場は人々の憩いの場で、常に老若男女が集っているのですが、田舎の夜は早くて、夕食後にぶらぶらと出かけると、もう夜中状態に、シーンとしていました。




ちょっと裏道に入り込んでも、もう人っ子一人いないし、何の物音もせず、酔いも手伝って、なんだか知らない世界に迷い込んでしまったような。ゆらゆらと散歩しましたが、本当に小さいので、迷いようもなく、元に戻ってしまうのです。

村唯一の旅籠が、今回宿泊したロカンダ・レ・ロッジェ。
Locanda Le Logge
Corso Giannelli 34
Urbisaglia (MC)




メイン・ストリートの中ほどにあり、正面はバールになっています。バールは、広場にもあるけれど、ちゃんとしたお食事ができるレストランとしては村唯一で、お宿は、ツインの部屋が三つあるだけ。




古い建物なんでしょうねぇ。天井の太い梁が素敵で、窓も、木のブラインドに味があります。すべてアンティークっぽいテイストの素敵な調度で、お掃除も行き届いていて、お値段もとっても良心的でした(B&Bツイン60ユーロ。レストランのお食事もアラカルトで20/25ユーロとお手頃)。家族経営で、特に奥様がほとんどを取り仕切っていて、二人の息子さんとそのご家族がお手伝いとしているようでした。ご主人は…、なんか常にワインを抱えて、ワインのサービスだけ熱心だったような。
レストランもなかなかお洒落で、お料理の質も高いのですよ。ミシュランにも掲載されているようです。

面白かったのは、夕食時に、ばったりと日本人の男性にお会いしたこと。もう何十年とローマに住まわれている方で、この地域に仕事で来る際の定宿にしている、ということでした。お一人でいらしたので、ご一緒して、楽しいおしゃべりとなりました。
レストランとしては、ランチがメインで、夜は、基本的に宿泊客プラスアルファ、という程度らしく、三夜とも、宿泊客だけだったような気がします。
そして、翌朝、またびっくりです。
チェックアウトの際に、奥様とおしゃべりをしていたら、「まったくびっくりよねぇ、三部屋しかないのに、三部屋ともに日本人が泊まるなんて、前代未聞よ!」と、言うのです。われわれと、昨夜のローマの方と?そういえば、東洋人っぽい女性とイタリア人のちょい悪オヤジみたいなカップルがいたけど、では、あの女性は日本人だったの~!?と盛り上がってしまいました。

こう言ってはなんですが、およそ日本人とは思えない、国籍不明の変わったお顔立ちの方だったんですよねぇ。それにしても、われわれが日本語で楽しくおしゃべりしているすぐ脇で、彼女も夕食していたのに、まったく無視とは。そういえば、朝食のときも、まったく無視されましたし。日本や日本人が嫌で、日本を出た方なのかも知れませんが、そういう態度って、わたしには理解できないので、どうしても、嫌な感じ、と思ってしまいます。
宿の奥さんたちには、普通におしゃべりされていたようですから、本当に日本人が嫌、って言うことなんでしょうね。

奥さんは、お勘定のあと、あ、ちょっと待ってね!と宿のラベルの着いたワインをお土産にくださいました。散々飲んだので、よほど気に入ったと思ってくれたのか。
最近、裏にある建物も買って、ホテル部分を拡張するつもり、というお話だったので、数年後に訪ねたら、すごく立派なホテルになっているかもしれません。いつか再訪したいものです。

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  1. 2014/02/24(月) 02:25:48|
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超ユニーク・ガイドで、遺跡見学

マルケ・ロマネスク、番外1

宿泊した村ウルビサリアは、小高い丘の上にありますが、その麓一帯に、ローマの遺跡が広がっています。特に目指したわけではないのですが、ちょうどよい頃合に、通りかかったので、せっかくだから見ておこうか、ということになりました。フレスコ画があるというのも気になっていたし。

一帯は遺跡をメインとした公園となっており、ウルブス・サルビア考古学公園Parco Archeologico Urbs Salviaという名前で、大きな通り沿いに、こんなものがどかどかとありますので、そこを通ったら、どうしても、ちょっと寄って行こか、という気になってしまいます。




まずは、一人離れたところにある円形劇場を見に行きます。




公園としては、実に美しく整備されていて、緑の中に遺跡が点在しています。全体の面積は相当あります。いまだに全貌は明らかになっておらず、今でも発掘を継続している遺跡です。毎年6月になると発掘隊が訪れ、一帯が活気付くそうです。

紀元前1世紀半ば、アウグストゥスの時代の町のようです。5世紀頃、より安全な丘の方に町が移動するまで、居住地だったということ。ローマの前には、きっとピチェーノ族という人々がいたはずですから、定住地としての歴史は相当古いものでしょうね。ピチェーノは、エトルリア共々、ローマ以前にイタリア半島に居住していた民族で、ちょっと気になる文化なんです。

さて、劇場は、紀元1世紀に建設されたもの。Gaio Fufio Geminoという執政官によるもの、ということまで分かっているのが、記録好きなローマのすごいところですね。
三層のつくりで、フレスコ画も残っているということですが、今はそれは見られないようでした。
なぜ、町の中心から離れているかというと、当時は、劇場や闘技場は、町の壁の外に作るのが普通だったのだそうです。街中に群集が集まりすぎることを防ぐ目的だったそうです。現代で言えば、サッカー場を、町の郊外に作るようなものですね、きっと。

杮落としのときは、派手な出し物が行われたそうですが、今や昔。




緑が茂って、上空からの写真だと、芝生のなかに、そこだけリングのようになっていて、古墳、みたいな感じって言うんでしょうか。こんもりと面白いです。かつての客席部分にある樹木は、おそらくわざと植えたものでしょうが悪くないです。
樹木の下には、野生のシクラメンがたくさん咲いていました。いや、カタクリ?




そして、この劇場のあとは、ガイドツアーで、神殿跡を訪ねます。




ガイドツアーは時間もかかるし、ちょっと面倒だな、と思ったのですが、しかしガイドが実にユニークな方で、笑いっぱなし。参加してよかった、という結果となりました。
そのガイド、レオナルドさん。




面白いお話をたくさんしてくださったのですが、ちゃんとメモしておかなかったので、あらかた忘れてしまったのが残念。たとえば、上の写真だと、柱が倒れているのが分かるのでしょうか。これ、本当に倒れているんですよね。神殿の建物全体が、かなり古い時代に、既に崩壊しちゃっているんです。地震って言ってたような気がします。

崩壊もひどい中で、当時のフレスコ画が見られるというのが奇跡のようなものですね。






ローマの時代の人々の写実能力ってすごいです。早描きのスケッチというかクロッキーというか、そういう流れるような筆遣いで写実的なんで、どうしてこんなのが描けたのかと感嘆します。

今見学できる場所はわずかですが、年々新しい場所が発掘されて、時間をかけて整備されて、そしていつか全貌が分かるということなのでしょう。気の遠くなる話ですが、この遺跡のあった時代から、既に二千年だっているわけですから、いくら時間をかけても問題ないと言うことでもあります。




道を挟んで、丘の上のウルビサリアの町が見えます。




時間に余裕のある旅だったら、この緑の中を散歩して、町まで行ってみたいところです。改めて、いかに美しい場所であるかと感心しています。

レオナルドさんとは、翌朝、ウルビサリアの町でばったり。今から出勤なんだよ~、と急ぎ足ながら、ひととき世間話をしました。こういう村に生まれて、遺跡を守って勉強して、訪ねた人々と交流して。ゆったりとした、素敵な人生だなぁ、とか思っちゃうのでしたよ。

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  1. 2014/02/23(日) 02:33:22|
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結婚式の最中に

マルケ・ロマネスク、その16

ずいぶんと間が開いてしまいましたが、またマルケに戻ります。

最後に訪ねた町、トレンティーノTolentinoです。音だけで聞くと、海外生活二十数年になる今でも、情けないことに、LとRの区別ができないわたしには、北部にあるトレントと同じに聞こえてしまうので、え?と思いましたが、トレントはRでトレンティーノはLなのでした。

実に変哲のない普通の中堅都市で、実は事前にもあまり調べていないので、目的の場所がどういうところかよくわかっていないまま、旧市街に入り込み、街角の表示を頼りにたどり着いたのが、カテドラル・サン・カテルヴォCattedrale di San Catervo。




思いっきり工事中だし、そもそも、本当にここなんだろうか?と思わせるたたずまい。でも、入り口に、誇らしげに「4世紀の石棺」とあったので、とりあえず、これが見るべきものなのかな、とは思いました。ただ、扉が開いておらず、そこらにいた人が、もうすぐ開くよ、と教えてくれたので、いったん町のほうに戻り、もうひとつ怪しい教会にアクセスしてみました。

バジリカ・ディ・サン・ニコラ・ディ・トレンティーノBasilica di San Nicola di Tolentino。
13世紀の美しい回廊がありました。




たたずまいは、わたしには面白くないけれど、回廊の二階部分から垂れ下がっている藤がとても美しくて、アーチのレンガとの色彩コントラストが絶妙でした。藤の木の場所で、珍しく自分の写真を撮ってもらったくらいです。
アーチの上の方には、絵皿がたくさんはめ込まれていて装飾になっているので、13世紀も始めの頃なんでしょうねぇ、スタイル的には。

この教会には、ジョットとかシモーネ・マルティニあたりの中世後期が好きな方なら気に入りそうなフレスコ画もあり、多くの観光客であふれていました。




かなり大き目の礼拝堂の全面ですから、インパクトはすごいし、保存状態が大変よいので、色も美しく、本来興味がなくても、目が惹かれる作品です。

さて、そろそろ、と目的のカテドラルに戻ると、なんと、結婚式です。つまり、準備でさっきは閉まっていたらしいのですね。
どうしよう、と戸惑っているうちに、花嫁と花婿がやってきてしまいました。




花嫁の堂々振りに比べて、花婿はかなり年下ぼくちゃんっぽくて初々しかったですが、しばらく見ていて、はっとしました。そんなことしている場合じゃない、これはまずい…、とあわてて教会に入り込みました。




げげ~!こんなきらきらの教会のどこに4世紀の石棺?あわあわしながら、とにかく奥へ進むと、左側祭壇が、目指すものでした。これ。




かなりローマの石棺ですね。横の方にもローマっぽい浮き彫りがびっしりで、保存状態も彫刻の質も大変に高いものだと思います。が、わたしが注目したのは、もちろんローマではなく、こちらです。





石棺の下、四隅それぞれに、このような猛獣が聖職者を襲っている姿があるんですよ。このライオンらしい猛獣の、ある意味不気味な、でも同時に妙に間抜けな顔、それでいてでかい前足に鋭い爪、聖職者らしい人物の憂い顔と比例のおかしい身体…。これは面白いです!石棺の台として、作られたものと思いますが、こういう組み合わせって、珍しいですよね。

そうこうしているうちに、人々がどんどん入ってきますので、一応、と反対側に行くと、出口になっています。そちらから出る場所に、なんと!もうひとつお宝があるのです。9世紀(と言われている)のフレスコ画。




この場所に、かつて丸い形の霊廟があったそうで、このフレスコは、その壁を飾っていたもの。全体は剥落しているのに、この一部だけが、かなりよい状態で見つけ出されたのですね。そして、つい最近、2004年に修復が終わったらしいのです。
ガラスに覆われているのですが、色は美しいです。上の絵は、後陣部分にあったようです。
今の教会との関係は、以下となります。




このフレスコ画のある場所には、こんなわたし好みの浮き彫りも置かれていました。リュネッタにでもあったものでしょうか。




こうして、外見からは想像もつかない宝物を秘めているカテドラルに、呆然としたトレンティーノでした。このとき、本堂では結婚式たけなわ。脇で、中世に思いをいたしているのも、妙なものだなぁ、とぼんやりと考えながら、裏口からおいとましました。

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  1. 2014/02/21(金) 06:27:15|
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修道院バレー

マルケ・ロマネスク、その15

マルケのこのあたりは、実に多くの修道院があったのですね。今は教会しか残っていない場所がほとんどですが、前身が修道院教会というものばかり。
サン・ベネディクトの出身地に、比較的近いこととか、関係あるのか、または、単に人里離れた場所が豊富だったからなのか、何か理由があるはず、と思うのです。
そういえば、修道院が密集する地域というのは、ありますね。「修道院の道」とか、「修道院谷」とか、そういう名称を使っている土地が結構あるような。
そういう切り口で見るのも、何か面白い発見がありそうです。

それはともかく、今回宿泊した村に程近い場所にも、立派な修道院がありました。今は、かなり観光地化していて、キャンプ場も付属するような巨大自然公園の中にあります。
フィアストラ修道院Abbadia di Fiastra。




公園内の観光施設として修道院があるため、大型バスも乗りつけちゃう規模の巨大駐車場があり、団体さんが次々と訪れています。人をいれずに撮影するのが難しいほど。

幸い、といいましょうか、われわれが到着した時間は、修道院クローズまで30分ほどしかなく、団体さんは観光をとっくに終了した時間でした。もともとここは、行かなくてもよい場所にリストに入っていたのですが、微妙な時間に脇を通ることとなったので、それなら、と立ち寄ったのです。

あと30分しかないから急いでね、といいながら、受付のおばさんは、入場料を半額にしてくれました。もともとたいした額ではないけれど、こういう気遣いってとても嬉しく、この場所のイメージが上がります。わたしが貧乏だからかな。




食堂。
この修道院の近くには、かなり大規模なローマの遺跡があります。そこから、多くの石材が運び込まれ、この修道院の資材として再利用されています。この食堂の柱や柱頭も、その多くが、ローマのもの。




回廊。
順路を辿り、修道院らしい風景を、急ぎ足で、見学していきます。途中掲示してある説明を斜め読みすると、これらの施設の多くは、19世紀初~半ばの時代に作られたもので、主な建築家の一人は、マチェラータの競技場と同じ人なんだそうです。そんなに新しいとは思いませんでした。
第二次世界大戦時には、これらの建物が、ユダヤ人や思想犯の収容所になっていたとか。そっちの方が、歴史としては面白そうな。

当初、被収容者は、公園を散歩したり、図書館を利用したり、音楽のできる人たちが独自にオーケストラを結成したりが許されていたのだそうです。お医者さんだった人は、診療所を開設して、収容所外の村の人々も利用できるようになっていました。英語やイタリア語などの語学講座や様々な講座が開かれ、内部にはシナゴーグまで作られたのです。
でも1943年11月30日、被収容者たちは、他の収容所経由で、アウシュヴィッツに移送され、唯一生き残った医師の方が、その思い出を今に伝えているということです。

話を修道院に戻します。
回廊に囲まれた庭には、お決まりの井戸があります。そこに井戸があることは自然で、あまり深くその存在について考えたことがなかったのですが、説明を読んで、なるほど、と思いました。
修道院にとって水はとても重要なものであるから、必ず、水のある場所が選ばれる、と。そのために、修道院の名称が、水と関係することも多いということで、ブルゴーニュのフォントニー修道院があげられていました。多くの人々が共同生活を行う場所だから、確かに水は基本ですね。なるほどな~。水のよい土地に、集積するっていうこともあるのかな。

修道院の一部は、石ものの博物館になっていました。





ロマネスクのかわいらしい浮き彫りが散見されました。
修道院で一番面白かったのは、地下施設。

ワインを作っていた場所から、地下に続きます。




かなり広くて、美しい建築でした。




ずいぶんと広いスペースがあり、整備もしっかり。他の見学者がいなかったのもあり、急ぎ足とは言え、のびのびと見ることができたのもよかったです。
こんな石段を登って、外に出ます。




そして、教会へ。




修道院の見学は19時で終了ですが、教会は閉まらないので、後回しにしたのです。
ファサードは、トップの写真のように、見るべきものもなく、内部も、ほとんどそういうものなんですが、柱頭部分に、わたしの好きなものが、結構ちゃんと残っているので、それが嬉しかったです。





かなり急ぎ足で、見学終了。慌てたせいか、急ぎすぎました。せっかくなので、お土産に、修道院産らしいリキュールを購入しましたが、実はその後甘いお酒を飲まなくなってしまったので、いまだに未開栓。

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  1. 2014/02/09(日) 03:39:24|
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