2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)11
行ったり来たりになってしまいますが、ロマネスク編として、重大な場所について記すのをうっかり忘れていたので、ちょっとロマネスクに戻ります。
重大なのに忘れていたのは、同行者の写真が、一枚もなかったからなんです…。つまり、一般的には、そそられない場所、ということになりますねぇ。
アレッツォArezzoの、サンタ・マリア教会Chiesa di Santa Maria della Pieveです。
アレッツォという町は、なんだか縁がなくて、トスカーナはシエナに一年以上暮らして、当時は貧乏ながらやたら旅をしたというのに、なぜかこの町に行くことはなかったし、ミラノに暮らすようになってからも、トスカーナへ行くことは多数あったのに、なぜか縁がなかったんですよねぇ。
ピエロ・デッラ・フランチェスカというポイントもあったのに、特段興味がなかったり、そうこうするうちに、「La Vita e' Bella」という映画がオスカーを撮ったりして、その撮影現場の一つとなったことで変に有名になってしまったのが嫌気になったりとか、色々理由はあるんですけれど、たぶん、一番の理由は、ロマネスクとしてみるべきではあるけれど、画像的にはそこばかり出てくる、この後陣の写真が、自分にとっては、さほど魅力的とも感じられなかったのが、どうしても行こう、という気持ちにならずに、ま、次回でいいか、とほったらかしていた理由だと思います。
今回、半分そういう気持ちで、でもせっかく時間あるし、ではちょっとだけ寄り道してもよかろうか、という半端な感じで行ったわけなんですが、もう本当に、オレ、反省しろよ!と、真剣に自らを呪いました…。
もうね、素晴らしいんですもん、ファサードが。
(画像は、すべてネットからお借りしていますので、解像度的には、あまりよくないと思います…。)
トップに置いた、広場に向いている後陣の画像が有名すぎて、ファサード側って、あまり出てこないし、正直知らなかったんです、まったく。だから、町はずれに車を止めて、徒歩で教会に向かって、まずアクセスしたこのファサードの様子がちらりと見えたとき、驚愕しました。
そもそも、道が狭くて、全貌は見えないんですよ、なかなか。そのうえ、町を訪ねることが初めてですから、あれが目的かどうかは不明な中、でも、どう考えても、ロマネスク時代ってあれしかありえないわけで、興奮のるつぼでしたわ、まじ。
これまで何度も言及しているように、私、ピサ様式、大好きなんです。
でも、アレッツォにピサ様式って、想像もしてなかったんで、これは衝撃でしたよ。
後陣もね、なかなか良いのですけれど、いや、このファサード見ちゃったら、正直、もうどうでもいいって感じになりました。La Vita e' Bellaは、完全に忘却の彼方です、笑。
ここのファサードが良いのは、石色もありますし、ピサやルッカのような過剰装飾じゃなくて、素朴な石装飾にとどまっているところで、まさに私が最も好きなピサ様式のバリエなんです。以前の記事で紹介したキアンニなんかに通じるやつ。装飾的なんだけど、朽ちてる感が勝っているのが、もうたまらなくそそるんですよねぇ。
ずっと見てて飽きないファサードでした。
確か、ファサード側に回って、入ろうとしたら、お葬式のセレモニーの最中で、しばらく、ファサードを見上げながら終了を待っていたんですが、もう全くいやじゃなかったです。
地味な扉口周りにも、結構彫り物があり、それも、詳細を見るのが楽しかったですし、とにかく全体の雰囲気が、もうもう、大好きでした。
そのインパクトのせいか、実は、結構待った挙句に、やっと中に入れたんですが、内部の記憶は、ほとんとなしなんです。
長年気になっていたとはいえ、まさかこういう形で自分の好きなものだったとは、という驚きも含めて、ここは、ぜひ再訪したい教会の一つです。
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2020/09/19(土) 05:16:49 |
トスカーナ・ロマネスク
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2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)6
ヴォルテッラから二日目の宿に向かう前に、ポッジボンシPoggibonsiからもほど近い村に立ちよることにしました。目的は、これです。
タルチョーナTalcionaのサンタ・マリア教会Chiesa di Santa Mariaです。
事前に訪ねる場所を調べているときに、この、ファサードにあるアーキトレーブを見て、中に入れるかどうかなどは一切考えず、ただこの浮彫を見に行こう、と思いました。
小さな写真でしたが、見るからに愛らしくて、怪しくて、私が大好きなタイプじゃないですか。
この教会、村の中のちょっとした高台にあり、アクセスは、脇の道の方からで、回り込んでファサードに合うロケーションになっていて、そこに回り込まない限りは、この浮彫は見えません。
私は気持ちがはやって、実際に小走りで駆け付けたのですが、同行者はよっこら所、とのんびり。しかし、私の歓声に何事ぞ?と駆け付けてきて、この浮彫を目にするなり、スマホ、取ってくる!と、走って車に引き返しましたよ。
ロマネスクに興味が薄くても、そして見たものを写真に残そうという気が薄くても、これは、そそられる浮彫ということですね、笑。
それでも、彼女の撮影は、たったの二枚ですから、如何に写真を撮らない人か、わかりますよね、涙。私は、あらゆる角度から、そしてすべての人物について、詳細に撮りましたとも!脇の柱の上の方で向き合っている人たちも、アーキボルトにこっそりと遊んでいる鳥だって逃さずに撮りましたとも!
と言いながら、寂しくなりますねぇ。あのデジカメのSDカードに入っていた大量のロマネスク写真は、きっと当たり前のように消去されてしまったんでしょうねぇ。号泣…。
教会の本体は、結構新しくなっている様子で、面白みはなく、正直、ここを見ればいいのかな、という教会だと思います。
それにしても、よくここだけ、きれいに残ったものだと感心します。
ただ、扉全体からいうと、なんとなくプロポーションが違う感じもしますよね。扉の細さに比べて、このアーキトレーブ、でかいです。
高さもすごくあるしね。石工さんが、全然プロポーションを考えないで作ったのかとか思っちゃいます。
教会本体は、12世紀半ばの創建ですが、この浮彫は、1234年という彫りがあるので、後付ということになります。
テーマは、見ての通り、マギですね。
贈り物がなくなっちゃっていますが、それにしても、この変な手の長さは、えっと、オーベルニュのThureでしたか、あそこの浮彫をちょっと思い出しちゃうような、変な形です。
この聖母子も、すっごく好き。
聖母の、なんというのか、昔はやったみたいなパーマ頭と、両脇の動物のあんよが、もう悶絶もの。
地元の石工さんの作品ではないか、というこ
とですが、かなりセンスある方ですよねぇ、これ。この近辺では類似のものはないように思うし、どこからこういうインスパイア得たのか、興味があります。
このあたり、たぶんもう一度は行くことになるので、再開は約束されています。今から楽しみだな。
実は、この村に向かう際、車のナビに村の名前を入れたら出てきたんで、素直に従っていったんですが、結構分け入ってきた民家の並ぶ道で、この先、未舗装の道になります、というんですよね。
個人的には、未舗装の道は、行きません。パンクでもしたら困るし、狭い砂利道などに入り込んだら、引き返すのも苦労するので、基本的に諦めます。
なので、引き返そうとして、民家の前でUターンしようと思ったら、その家の方らしかったのですが、ちょうど車で帰宅されたところ。
思わず、あのこの先未舗装らしいのですが、タルチョーナへ行く他の道はあるか尋ねると、タルチョーナは、この道ではいけない、というのです。
同行者がスマホのグーグルマップで調べると、確かに全然違う道が出てきたようです。
その方は、ちょっと説明してくれたのですが、「たぶんわからないな、よし、途中まで先導するから付いて来なさい」と、また自分の車に乗って、さっさと発進してしまうのでしたよ。
結局来た道をかなり引き返して、全然違う方向に向かって、5分以上も先導してくださって、あとはこの道を行けばたどり着くよ、という迷いようのない場所まで行ってくれたのでした。
こういう田舎の親切って、ありがたいですよね。彼らは車の生活だから、車で5分程度は何でもないのかもしれないですが、でも、誰でもがそこまでしてくれるわけじゃないですし。
まったく、最初からスマホを使え、ということですね、アナログ世代は、ほんとダメ。この後は、車のナビを信用せず、必ずスマホを併用するようにしましたよ。便利な世の中。でも、スマホがない方が、こういう交流はあります。
タルチョーナをたずねた時、この方開口一番、あそこに滞在している旅行者?と聞いてきましたから、そういう村でもあるのかな。ほぼどん詰まりで、その先はどこにも行けないような村です。
でも、今グーグルマップで見たら、そんなことはないんですね。村の先に道が続いていました。
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2020/09/04(金) 05:41:47 |
トスカーナ・ロマネスク
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2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)5
前回紹介した洗礼堂の遺構のあるサンタッピアーノのあたりには、他にもいくつか訪ねたい教会があったのですが、この日は、タイヤ交換で午前中を無駄に使ってしまっており、洗礼堂も、一般的にはインパクトの少ない場所であったことから、開いてもいない教会を訪ねるのはちょっと遠慮して、同行者が希望していた町に行くことにしました。
最も興味があったのは、これまで未訪のチェッダCeddaという村にある教会です。
上の地図で、印のついたのがチェッダです。上の方に、サンタッピアーノがあります。このチェッダとか、そのすぐ下にあるタルチョーナTalcionaに行きたかったのですが、チェッダは、事前に教区に尋ねたところ、「いつもはカギが近所の家にあるから頼めばよいが、今はCovidのため、クローズとしている」ということでした。
もしカギがあるなら、そうはいっても、行けば開けてもらえるのではないか、という希望的な推測もしたのですが、しかし、チェッダにしても、タルチョーナにしても、基点から一本道で、通り抜けできず、行ったら引き返してくるしかない、といったロケーションなので、距離は大したことなさそうではあるのですが、それぞれに時間がかかりそうです。
同行者の希望もあるので、これらの理由から、まずはあきらめ、帰り道に時間が余ったら、タルチョーナだけでも行きたい、ということで、先に進みました。
行先は、ヴォルテッラVolterraです。
丘の上の中世の町です。それなりに観光地として有名で、私も昔から知っているのですが、そういえば、訪ねるのは、今回が初めて。昔の私にとっては、それなりに興味のある町だったはずですが、それっきりになってしまって。今回は、エトルリアが目的ではあったのですが、この日は、タイヤのこともあり、同行者ともども、遺跡を歩くような気分ではなく、「今日はヴォルテッラを観光できたし、良かったね」と思いたいくらいの気持ちで向かいました。なんというんですかね、無駄な午前中を過ごした分、それなりに充実させたい、みたいな気持ちです。
強い興味はなかったですけれど、私の場合、行くなら見るべきものは、まず必ずといいほどあるので、一応見るべきものについては、メモしていました。
便利なもので、今はスマホで、駐車場なども事前に検索できますから、助かりますよね。
この町、結果的には観光的には大したことないじゃん、と思ったんですが、笑、観光政策が結構しっかりしていて、旧市街を取り巻くように、有料駐車場が、たくさんありました。その分、無料の駐車は、見つけにくいようです。丘の上だから、そうやりやすいし、有料といっても1時間とか1時間半で2ユーロ程度の話なので、それでよいのですけれど、かなりしっかりしていたので、びっくりしたのと、また駐車場がかなり混雑していたのもびっくりでした。ちなみに、駐車場はP1で、中心部がすぐで、便利でした。
町の中心の広場、たぶんプリオーリ広場(Piazza dei Priori)は、かなりの人込みで、マスクを着けていない人も多数で、辟易としました。まずは、おにぎりランチの場所を探していたのですが、人込みを避けていたら、自然とカテドラルのある広場に出ました。ここには洗礼堂も建っていますが、びっくりするくらい、人は少なかったです。
カテドラルの鐘楼のふもとに突き出したベンチ上の石段で、すっかり遅くなってしまった、おにぎりランチとしました。風が通って、かなり気持ちの良いスペース。あれほどの観光客は、一体どこに行ってしまったのか、不思議な気持ちで、まずは、花より団子。
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta(画像、またお借りしています)。
実は、ほとんど期待していなかったんですが、かわいかったんです!なんと、私の好きなピサ様式でした。ひし形の開口部や、はめ込み装飾、うっとりです。そして、横の方にも、また垂涎物が…。
ニコラ・ピサーノによるものとされているようです。まさにピサ!
これまた大好きなつけ柱が…。
このファサード右手、つまり南側ということになるのでしょうが、ここの壁だけ古い部分が残されていたのですが、それはうっとりするような古びたつけ柱でした。
こんなマイナーな部分、同行者がよくぞ撮影してくれた、とびっくりしたんですが、たぶん、私がすっごく興奮していたから、そんないいものか、とか思って、撮影してくれたのではないか、と想像します、笑。これに興奮する人って、あまりいないはずだし…。
よく見るとね、上の方にも、浅浮彫があるんです。陽光が強烈で、肉眼では見えにくかった分、かなりの枚数の写真を撮ったと思います…。
写真が少ないので、愛するつけ柱も、ちょっとズームして。
中には、12世紀の説教壇があるということで、入りましたが、それ以外はピカピカのキラキラです。
これ自体も、全体は、結構時代下っている印象だし、あまり好みではありませんでした。緻密な浮彫、というより彫刻も、すでにロマネスク出ちゃってる感が強くて。
ファサードと向き合う形で洗礼堂がありますが、こちらは、カテドラルより後の13世紀の建造物。オリジナルは、10世紀とからしかったです。
サン・ジョバンニ洗礼堂Battistero di San Giovanni。
面白味は、ありませんでした。一応、全面、確認したけれど、特に楽しい発見はなかったと思います。
もともとは、異教の教会があった場所に建てられたものだそうです。相当古いってことですけど、今は、13世紀のものしか残ってなさそう。中もキラキラです。
カテドラルにも洗礼堂にも、大理石が使われているのは、さすがカッラーラ近くということでしょうかね。
地味ですが、訪ねることができてよかった。
この町にすっごく興味があった同行者、マスクなしの観光客にひるんだのと、意外と大したことのない街並みに、あっという間に満足して、たぶん、1時間程度でサヨナラとなったと思います。おにぎりを食べるために行ったみたいな感じでしたが、それもよし!
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2020/08/31(月) 01:25:35 |
トスカーナ・ロマネスク
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2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)4
旅の二日目の午前中は、タイヤの交換で終わってしまいましたが、のんびり旅なので、そんな顛末も楽しみながら、焦ることもなく、意外と早く何とかなった、という感謝の気持ちでホテルを後にしました。ホテルのおじさんには本当にお世話になったので、わずかですが、お礼をしたら、大変喜んでくれました。こういう時、イタリア人っていい人たちだよなぁ、と素直に思います。
この日の予定は大雑把なものだったので、予定に沿う形で、まずは、ホテルから南下する位置にあるロマネスクを目指しました。
バルベリーノ・ヴァル・デルザBarberino Val d'Elsaという町の郊外に当たるサンタッピアーノSant'Appianoという村にあるサンタッピアーノ教会の洗礼堂の遺構が見たかったのです。
ここは、同行者が一枚も撮影していないため、やむを得ず、ネットから拝借することとします。要は、ロマネスクに特別の思いがない場合、撮影をするほどのインパクトがないものである、というわけですね、笑。
これはちょっと面白い判断基準になりますね。そういう人にとってどういうものかって、わかりにくいですから。もちろん、一人ひとり好みが違いますから、わかりませんけれど、確かに、ここは、ちょっと地味だと思います。
そもそも、興味の対象は、教会本体の前にある、四本の柱です。地味さがさらに増しますよね、笑。
教会の創建は、地域でも最も古い時代にさかのぼるらしいのですが、でも、結構改変改築が激しくて、今ある本堂は、あまり興味を持てない姿に変容してしまっています。創建時の古いたたずまいを髣髴とさせるものは、この四本の柱だけといってよいのだと思います。
これは、洗礼堂の名残なんです。教会のファサード前に、結構でかい洗礼堂、というプランは、ロンバルディアでも、いくつかありますから、特に11世紀あたりには、割と作られたスタイルなのかな。ここの場合は、ファサードと洗礼堂の距離が、20メートルくらいあったような記憶があります。ミラノ周辺で、二つほど思いつきますが、どちらも、ファサードにくっつかんばかりの位置関係だったと思います。土地のあり方とかに関係するのか、思想的な意味があるのか、どうなんでしょうか。
洗礼堂は、なんと4世紀にさかのぼるものだそうです。ロマネスクどころか、初期キリスト教の時代のものですね。とすると、洗礼も、全身水に浸かって行われていた時代、とすると、立派な浴槽があったのですね。だから、柱も、こんなに立派なのかな。この立派な柱の真ん中に、立派な洗礼の浴槽があったんですかね。
残念なことに、洗礼堂は、1805年の地震で倒壊したそうなんです。
この辺りは、そう何度も来ていないので、地域の歴史には疎いですが、1805年に大規模な地震があったのですね。
イタリア中部は、最近たびたび地震に見舞われていますが、実は、過去にもあったということなんだ、とびっくりしました。北部では、建物が倒壊するほどの規模の地震は、12世紀ごろにさかのぼると思うのですが、トスカーナでは19世紀にあったのですね。つまり100年周期くらいということなのかも。怖いな。
かなり立派なサイズの柱で、それぞれ、素朴な彫りが施された柱頭が乗っかっています。
これも、初期キリスト教なのか、またはロマネスクとかの時代になってからなのか、どうなんでしょうね。素朴さからは相当古そうな印象ですけれど。
車では、ぐるりと後ろの方について、後陣側から回り込んでアクセスしましたけれど、実はこの教会の場所は高台になっていて、道から、立派な階段がありました。
かなりの高さです。私は、もちろん、階段を下りて、また上がるという愚行というか、普通の人はわざわざやらないよね、的な怪しい行動、もちろんしましたとも。
階段上って、アクセスがどうなのかな、と興味があったからです、もちろん。
もし、洗礼堂が今でもちゃんと立っていたら、この階段からアクセスした場合、教会は、まったく見えないことになるみたいです。高台にあって階段でアクセスって、すごく結界的な感じがして、神聖さが増す印象で、洗礼堂として大いにありですけど、最初のアクセスで教会が見えない位置関係というのも、ちょっと不思議ですね。
ちなみに、この教会のお隣に、考古学博物館があり、そちらの入り口に、おっさんがどっかりと座っていました。博物館の方は、週末の夕方だけ開くように、事前に見ていたし、特に興味はなかったのですが、一応おっさんに、鍵を訪ねたところ、にべもなく、ほとんど無視するようにして、建物の中に入ってしまいました。
うーん。愛想のない人だって、イタリア人にもいるとはいえ、かなり激しく愛想がなくて、びっくりしました。
その代わりというわけでもないでしょうが、やけに人懐こい猫がいて、しばし、そこらの雑草を使って遊びました。
また、写真を撮りには行きたいけれど、ここは、再訪、あるかなぁ。確信なしです、笑。
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2020/08/30(日) 02:08:09 |
トスカーナ・ロマネスク
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2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)3
移動日でもあった初日の最後に訪ねたのは、こちらです。写真がほとんどないので、こんなものまでアップしちゃいます、笑。
サン・ジュリアーノ・ゲッリ博物館 Museo San Giuliano Ghelli
Via Lucardesi 6 and/or Via Roma 37(普段は、どちらからでもアクセスできるようですが、Covidの今は、Via Lucardesiからだけのようでした。旧市街にあり、表示もあるので、迷いようはありません。)
サン・カシアーノ・イン・バル・ディ・ペザSan Casciano in Val di Pesa
木曜/日曜10-13 16-19 入場料3ユーロ
駐車は、旧市街すぐ外の、Piazza Repubblica、Via Giuseppe Garibaldiに止め放題です。
ずいぶん以前に、ロマネスク修行仲間に教えてもらったお宝があり、長い間、行きたいと思っていた場所です。
それが、これ。
ロマネスク修行者なら、一目でわかりますよね。そう、カベスタニーなんです!トスカーナの、こんな田舎の小さな博物館に、なぜかカベスタニーがあるんですよ。
写真を撮らない同行者が、珍しくこのカベスタニーは、3枚も撮影していて、感涙です(私は、おそらく30枚くらい撮影したと思いますが、笑)。
この博物館、意外と新しくて、2009年に開館したばかりだそうです。まさに地元の博物館という位置づけで、地域で見つかった先史時代の遺構から、地域出身の現代美術作品に至るまで、さまざまなものを少しずつ展示しています。
私は、このカベスタニーを目指して突進したのですが、一応全部目を通しました。小さいけれど、頑張ってやっているな、という意気込みは感じられる入れ物でしたよ。現代美術が好きな人がいるんじゃないか、という印象を受けました。というのは、つい最近、ミラノで見た展覧会の展示作品があったんですよ。それは、地元の作家の作品ではなく、外国人だったと思うんですけれど。
カベスタニーの彫りが入った円柱状のものは、この博物館に展示された教会美術の中では最も古く、キリストの誕生の場面を四つのシーンで表したものです。言わずもがなですが、12世紀後半、スペイン北部、フランス南部地域中心に活躍した石工さんがカベスタニーのマエストロと呼ばれています。トスカーナにも、なぜか散見されるのですよね。有名なのは、トスカーナ中部のサンタンティモ教会Basilica di Sant'Antimoにある柱頭です。
ここに展示されたカベスタニーは、Suganaにあるサン・ジョバンニ教会Pieve vecchia di San Giovanni in Suganaで、1800年代に、聖水盤として使われていたものだそうです。形から、聖水盤の支えだったのでしょうね。ただ、実際の出自については、まさに、柱頭のあるサンタンティモにあったものではないか、と考えられているそうです。
実際に見るまで、サイズ感がわからなかったのですが、かなり小さいんです。確かに聖水盤とか、支えるとしてもその程度のものに向けたサイズです。でも、どういう風に置かれていたのか、ちょっとわかりにくいです。前面に彫りがありますから、壁付けではないですしね。直径が15/20センチくらい、高さは50センチ程度でしょうか。
サンタンティモにも驚きますが、これも驚きです。
地中海の港は近いですから、いわゆるカタラン地域と、船での交流があったのではないか、と考えられますけれど、それにしても、サンタンティモだけ、これだけ、というのも、不思議なんですよね。
アンジェにあるノートルダム寺院のタンパンの彫り物も、飾られていました。オリジナルから型取りしたもののようです。
ずいぶん前に、一度訪ねたリョー・ミネルヴォアの柱頭もありました。
本当に特徴的で、間違えようのない表現力ですよねぇ。目と手がね、すっごく印象的で。
なんか、あんまり強いから、好悪が分かれるとか、あったかもしれないですねえ。なんでもありのロマネスクだから、大いにありではありますが、全部これだったら、疲れちゃう、くらいの濃さがあります。
私は、カベスタニーのことよく知らないし、すっごくファンというわけでもないですが、現存している数が少ないこともあり、また、こうしてすごくわずか、トスカーナで発見されていることで、興味はあるんです。寡作だけど、時代を超えて熱狂的なファンもいて、多くが散逸したとかそういう可能性もゼロじゃないしねぇ。
それにしても、こういう、地方の小さな博物館に、これを見たいがために、極東の国の人たちが、時々訪ねてきているんだと思うと、なんだか、すごいなって思ってしまいました。私は、ミラノに住んでいるから、割と当たり前のことをしていると思うんですが、この博物館を目指して、日本からくる人たち、すごいわ。自分も、相当激しい修行をしたりはしますが、いやはや、そういう方たちの情熱には太刀打ちできないとしみじみ。
いずれにしても、行けてよかったです。
しかし、代償が大きかったです、涙。
なんと、この町に到着した時、車の前輪に大きな釘のようなものが刺さっているのを発見。博物館見学の後、ホテルまでは行けましたけれど、翌朝、ぺしゃんこになっていました。
自分の盗難の項でも触れましたが、この時期、毎日夏休みでクローズになる店が増えているときですから、町の修理屋は全部クローズ。保険や車の販売店に電話してもらちが明かず、最後はホテルの人がネットで探しまくって見つけてくれた店まで20キロほどのドライブをして、タイヤ交換に成功した次第です。
半日潰れてしまいましたが、それだけで、旅を続けることができたのは、文字通り、不幸中の幸いでした。
自分の盗難の前に、こういう不幸があったので、自分の車のパンクも、自然のことかと反射的に思ってしまった不幸もあるんですけどね。
ちなみに、本日、無事、タイヤ交換できました。免責があるのでわずかですが、保険から返金もありそうで、ちょっとだけ救われた気持ちです。
最後に、とってもかわいらしかったので、博物館に併設されている図書館の看板を張っておきます(Via Romaには、この看板です)。写真、ないものですから…、何でもかんでも、笑。
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2020/08/27(木) 05:24:15 |
トスカーナ・ロマネスク
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