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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

今更、勉強してみたイタリア北部の中世初期(トルチェッロ島 その1)

ベネチア島巡り(2018年12月)、その1

またまたずいぶん前の訪問記になります。
ブログを確認したところ、ロマネスク観点でのベネチアはアップしていないようなので、2018年12月に、久しぶりに訪ねたトルチェッロ島、そして、それより以前に訪ねたときのムラノ島の教会を、改めてまとめておきたいと思います。最近ほら、色々調べたい病になってますから、改めて、というのが肝です、笑。

veneto 001

トルチェッロの遠景。うっすらと塔が見えると思いますが、それが目的の教会となります。と言って、この島には、他に見るべきものがあるわけではないんです。

なんというか、「空の青、海の青にも染まず漂う」白鳥の歌がありますが、これはそのグレーバージョンという感じですね。真冬の12月に行っていますから、何やら物悲しい風景です。
物悲しいですが、それがまんま、トルチェッロを物語る風景ともいえるのかと思います。

veneto 002

この島、今では、畑と教会しかないような状態になっていますけど、15世紀も前には、今のベネチアの基礎となる土地だったんですよね。
639年、蛮族、というのも、今では抵抗ある言葉なんですけど、歴史上はそうなっているので使うわけですが、要はロンゴバルドなんですよね、その侵攻から逃れるために、本土の人たちが海に逃げて、それがベネチアの最初であるという由来は有名と思いますけど、それが、7世紀前半、このトルチェッロだったということなんです。
こうやって地図を見ると、今のベネチアに比べると、このトルチェッロのあたりは、本土とも距離が近くて、とぎれとぎれではあるけれど、より地続き的な土地となっていますから、そんなこともあったんでしょうね。埋め立てなどをするというより、とりあえず、島として定住可能な土地だったと。

7世紀から10世紀が、トルチェッロの繁栄期となりますが、最盛期には、2万人もの住人がいたんだそうです。でも、その後はベネチアが繫栄することで、多くの住人が移転し、交易など物流商売もどんどん移ってしまって、しょぼん、となっていくと同時に、どうやら、島として、というのか土地としてもダメになって、湿地沼地が増えてきて、住むに堪えないような自然環境の悪化、ということもあったようですね。

veneto 003

で、結果、住むことを放棄された土地となってしまったということなのでしょう。今では、畑と、教会と、住人は数えるほど、ということらしいです。
上の写真が、結構衝撃的だと思うのは、左の方に、教会Basiliaというのが見えると思いますけれど、そのあたりが当時の中心地だったはずなので、おそらく、赤い屋根の建物が、今のベネチアがそうであるように、びっしり建っていたのでは、と想像できることです。
今は、教会から右の方に伸びている運河沿いの道、そこは整備されていますけれど、道だけです。

veneto 004

ある意味、ポンペイ的な島なんですよね。いや、残っているのが教会だけで、繁栄した街並みがすっかり消えてしまって、もともとそうだったであろう原野のような様子に戻ってしまっているというところで、なんだろう、歴史は繰り返す的な、兵どもが夢の跡的な…。石の文化ですら、それも、古代のものでもない建造物が、きれいさっぱりなくなる、というのは、珍しい歴史ではないかと思います。本土からの避難民が生きた痕跡が、教会だけに残され、そして、その教会が廃墟になっていないにも関わらず、それ以外の建物が一切ないというのは…。

veneto 005

色々話が前後してしまいますが、トルチェッロに避難した人々の多くは、本土のアルティーノという土地の出身者で、当時、アルティーノは、ビザンチンだったのですね。
イタリアも、結構色々錯綜してますから、何度おさらいしても、なかなか覚えられない中世史、涙。

veneto 006

イタリア半島北東部ですが、赤で囲んだあたりが、6世紀から7世紀にかけての、ビザンチンとなります。ラベンナが近いですもんねぇ、このベネチアのあたりは。
5世紀ごろから、青い線でロンゴバルドが入ってきて、薄い緑のシマシマで囲んだあたりから征服して、どんどん半島を下って、北西部一帯から、ビザンチンを間において、南部、ベネベント辺りまで征服するんですよね。ロンゴバルドは、「蛮族の侵略」みたいな一言で簡単に片づけられちゃうし、世界史的に中世全体が、そういう扱いされている傾向が多いので、さらりと流されちゃうんですが、ローマ帝国亡き後、イタリア半島ほぼ全域を征服したというのは、もうちょっとよく認識されるべき歴史だと思うんですけどねぇ。

それにしても、稚拙な地図で、赤面です…、笑。

歴史の勉強をする場でもないんですが、あえて書いているのは、要はビザンチンだったということを納得するためです。トルチェッロに移住した人たちは、反ロンゴバルドだったと。

で、やっと教会の登場となります。

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そういうわけで、もともとはビザンチン仕様初期キリスト教様式の教会が建てられていたわけです。

veneto 008

サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta。
よく見る姿は、正面ファサードからの写真と思いますが、今回は、脇の方の草原に回り込んで、横から撮影することが出来ました。実は、訪ねたとき、あちこちが絶賛修復工事中で、見学にはベストとは言えない状況で、実はファサード側は、外も中も、完全に足場状態、また、この後陣側も、ほぼ同様の状況で、近くにアクセス不可でした。
ちょっと悲しかったのは、その工事の終わりが、ほんの1週間後とかに予定されていて、確かほぼその予定通りに足場が取れたことが、何かのきっかけで、あとから分かったことです。また行けばいいんですけどね、でもくやちいことでした。

veneto 009

全体に、おそらく化粧直しだったり、破損の部分を交換したりとか、そういった修復っぽかったです。現場も、撤収が近い様子で、かなり片付いてはいましたが、あくまで「現場」でした。

veneto 010

ファサードはこんな状態でした。
今思い出しましたが、ファサードの方は、確か水漏れとか、何か水被害を防ぐための工事とかなんとか言っていたような。

話を戻しますと、今あるカテドラルの姿は、11世紀初頭あたり、トルチェッロが最も繁栄していた時期に、再建された姿で、鐘楼も、その際に建てられたものということです。本堂は、側廊が付け足され、中央身廊は高く上に持ち上げられるというバジリカ様式が採用されました。

このファサード、前に、とても原初的な様子のナルテックスがあるんですけど、これ、どういうことになってるんだろう。後付?または、初期キリスト教時代、7世紀ごろにあった教会の名残という様子も見られる構造なんですけど。
というのも、柱頭が素敵で。

veneto 011

波モチーフっぽいやつとか植物モチーフですが、なんとなくビザンチンなラベンナ・テイストを感じます。
しかし、とにかく絶賛工事中が絶賛過ぎて…。
このファサード前って、洗礼堂跡だったと思うのですが、なんだかもう。

veneto 012

歴史をひもとくところから始めたら、改めて面白いと思うのですが、色々な記述が錯綜してしまって、まとめるのが大変になってしまいました。
次回は直球で教会に突き進みます。

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  1. 2022/05/25(水) 22:06:09|
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アクアアルタのクリプタ(サン・ザッカリア教会)

ヴェネチア・ビエンナーレ2019 番外

今回はビエンナーレ番外で、ベネチアの中世をご紹介します。
実は、前回のビエンナーレの際にも訪ねたのですが、残念ながら時間が遅くて、入れなかった教会なんです。

2019 biennale 093

サン・ザッカリア教会Chiesa di San Zaccaria(オープン時間:平日10-12/16-18、日祝16-18)。

ここは、サン・マルコ広場から、アルセナーレやジャルディーニ方面に向かった位置関係で、サン・マルコからも近いのですが、ただ、普通の観光だと、わざわざ行かなかったりします。
ビエンナーレのときは、会場から駅に向かう際に、必ず立ち寄るバカロが、サン・マルコとこのサン・ザッカリアを結ぶ道にあるもんですから、ビエンナーレの帰りには、そのバカロを目指して、必ずこの教会の前を通ることになっているんですよ。

ファサードは御覧の通りで、ロマネスクまったく無関係なんですが、鐘楼が、ロマネスクの面影を残しているので、起源は明らかにそのあたりと知っておりました。調べたところ、クリプタが残されている、ということで、前回は、意図的に立ち寄ったのですが、先述したとおり、残念ながら、遅かりし、だったのです。

今回は、実はすっかり忘れていたのですが、やはりバカロを目指して、前を通過したので、そうだったそうだった、と開いていた扉に吸い寄せられるように、入った次第です。

2019 biennale 094

この教会、上物は、私には興味のない時代のものとなってしまっていますが、美術史的にはかなり重要な、ルネサンス期以降の絵画が、たくさん置かれていることで有名なんだそうです。不届きにも、それらが並んでいる本堂の写真は、一枚たりとも撮影していませんが、笑。

本堂の右奥が、美術館となっており、クリプタは、その美術館からのアクセスとなります。入場料は2ユーロ程度だったと記憶します。

上の金ぴか祭壇画は、美術館に置かれているものとなります。
本堂は新しくなっているわけですが、美術館の方は、要は古い時代の建物やアイテムが残されている部分なんです。例えば、コズマーティ的なモザイクの床面。

2019 biennale 095

これは、歩ける部分なので、さほど古いものではないと思うのですが(13世紀以降でしょう)、きっと、より古い時代物で、今の床面に隠されちゃっている、すごくきれいなモザイク床。

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そして、ワクワクの階段があります。

2019 biennale 097

ドキドキしながら降りると、なんと!

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クリプタ、アクアアルタでした~笑。

2019 biennale 099

ラベンナに、もはや地下の池という状態で、金魚など泳いでいるクリプタがありましたが、
ここは、本当の水位の状態で変わるのだと思います。ただし、ほとんど常に水があるような印象です。
この祭壇を正面に、手前右側と左側に階段がありますが、その階段で降りた場所をつなぐようにして、遊歩道が作られています。

2019 biennale 100

レンガの道が、それ。これは、左側の方から撮影したものですが、この日は、遊歩道の中心部が、水に浸かっている状態でした。若干濡れながらも、歩いてしまったんですけどね。きっと、遊歩道は浸水していない日もあるのだと思います。

それにしても、水があることで、妙に雰囲気があります。

2019 biennale 101

時代を反映する素朴なだけのクリプタですが、このまま浸水が続くようなら、きっといつかボロボロになってしまって、アクセスもできなくなるような気がします。どうぞ、お近くに行かれた際には、訪ねてみてくださいね。
近所に、地元民御用達の、とっても良心的なバカロもありますよ~!

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  1. 2019/10/06(日) 23:28:59|
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またもや鍵穴撮影のはめに!(ソンマカンパーニャ他)

久しぶりのヴェローナ・バッサその4、最終回

ヴェローナ方向へ戻りながらの途中、以前立ち寄って、かわいらしかった記憶のある礼拝堂のような、小さな教会に立ち寄りました。
イソラ・デッラ・スカらIsola della Scalaという小さな村にある、バスティア教会Chiesa della Bastiaです。




あれ?ここでもまた、ちょっとした違和感を感じました。
絶対、あったよ、木が!撮影しようとしても、どうしても全体像、撮れなかったんだよ!
というわけで、ここも、昔の写真を確認。




やっぱり~!わさわさじゃないですか!側面も正面も!そうだったよ~!
それにしても、よく伐採したよねぇ、立派な木を何本も。おそらく同時期に、同じ発想で整備したんでしょう。見えるのはいいんだけど、樹木に囲まれている方が、神社的な聖域感があったようにも思います。

ここは、前回もクローズ、今回もクローズだったけど、たたずまいだけで、なんかうれしい教会なんで、別にいいかなって感じ。緑が実に美しくて、のんびりした気分になります。




一帯に、サイクリングで回るコースが整備されたようで、その地図が貼ってあったり、実際、見学中にも、自転車でやってきたカップルがいたり、どこまでものどかな日曜日でした。

どんどん北上して、ホテルに戻る前に、ヴァルポリチェッラへ。




相変わらず美しいブドウ畑の広がる風景。特にこの教会のある村は、遠くガルダ湖まで見晴らせる高台にあるので、絶景が楽しめます。
サン・ジョルジョ・イン・ヴァルポリチェッラSan Giorgio in Valpolicella。




ここは、比較的最近、2年ほど前に来たばかりなので、さすがに記憶も鮮明です。

教会前にたどり着くと、やたら人が多くて、はっとしました。結婚式!
すでに参列者が集まりつつあるところで、教会の中に、座っている人多数。幸い、当事者はまだいないようでしたので、素早く入り込みます。




そういえば、2年前に来た時も、結婚式で、その時は式の最中だったため、相当の時間を待たなければなりませんでした。それを思えば、ラッキーだったと思います。
それに、お葬式と違って、みなさん幸せいっぱいムードなので、無粋な観光客が入り込んで、写真撮りまくりでも、まったく気にしていませんしね。

それにしても、やはり美しい教会です。




結婚式が多いのも、うなずけますね。
同行のお師匠さんたちは、あちこち撮影に余念がありませんでしたが、私は、なんとなく参列者たちを眺めて過ごしました。




市役所結婚や事実婚が増えたとはいえ、いまだにいろいろ縛られるとはいえ、教会結婚にあこがれる人が多いのも、ちょっとわかる気がしますね~。

さて、こちらの教会は、見どころが、本堂のみならず、外にもあります。外から直接もアクセスできますが、教会内陣からも、アクセス可能。




実に小さな回廊ですが、雰囲気は大変良いです。




こういう美しい場所は、二度目でも、やはり楽しめます。
素朴な柱頭の彫り物も、好み。




相当修復されているのですが、やり方がスマートで、程よい具合です。




併設の博物館も開いていて、そこで、お気に入りの古い彫り物にも再開。




しょぼい博物館ではあるのですが、地域をまとめた本が充実していて、そういえば、2年前に、一冊購入していました。それっきり、ちゃんと読んでないなぁ、と思いながら、眺めると、なんと、また新しい本がありました。尋ねると、最近出版されたということでした。地域に、研究されている人がいて、きちんとそれを形にしているんですね。すばらしいことです。前買った本も読めていないので、さすがに購入は遠慮しましたが、ちょっとお尻をたたかれた気分になりました。

すっかり満足して、この後、ワイン農家さんでさらに満足して、庶民レストランで夕食して、という楽しい夕べを持って、師匠夫婦との遠足が終了しました。
たまには、同行の士と歩くというのも、楽しいものだとつくづく思いました。程よく同じレベルの同好の士と出会うのって、難しいんですよねぇ。
イタリア人って、やるかやらないか、っていうのか、オタク系の人か、まったくの素人か、みたいなところがあって、ほどほどのミーハー的なレベルの人って、出会いが難しいところがあるんです。
オタクの人のオタク度は結構激しいから、私もたまに講演会に行く、その主催の中世の会の人たちとは、ちょっと無理、みたいな感じで…。特に、歴史オタクが多いので、ロマネスク美術だけやっている人は、中世の会でも、いない感じだし、難しいものです。

ミラノへの帰り道に、以前クローズだった場所に立ち寄ってみることにしました。日曜日だけは開いているという情報を得ていたため。




ソンマカンパーニャSommacampagnaの墓地教会であるサンタンドレア教会Pieve di Sant'Andrea。
11世紀の教会で、当時のフレスコ画があるということなので、一度は入ってみたいと思っていたんです。

ところが、日曜日開くのは、午後だけでした!情報のチェック、甘かった!
仕方ないので、今回も、外観をゆっくり見学。




そして、前回に続いて、また鍵穴撮影に挑戦…。




これまた、前回とほとんど同じ。ちょっとは違うところが撮れないか?




また来い、ということですね。あまり残ってはいないようですが。

ということで、ヴェローナの週末、楽しく終わりました。

次回からは、直近のスペインとなりますので、お楽しみに。


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  1. 2016/07/29(金) 06:12:44|
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ロープ職人?手動鐘鳴らしの技に感動(ガッツォ)

久しぶりのヴェローナ・バッサその3

次に訪ねたのは、サン・ピエトロ・ディ・レニャーゴSan Pietro di Legnagoにあるサン・サルヴァロ教会Chiesa di San Salvaroです。




ここも、以前訪ねたことがありますが、すっかり道の様子を忘れていて、目の前にたどり着いて初めて、「あれか~!」と思い出しました。
前のときも完全にクローズだったのですが、お隣にある関係者のお宅のベルを鳴らしたところ、なんと神父さんが出てきてくれたのですが、「いや、今日は教会守がいないから、開けられないんだよ」、と消え入るような声で告げられて、なんだか拍子抜けというか、こんなことならお留守の方がましだったと、二重に裏切られたような気がしたものでした。

教会のたたずまいよりも、そういったどうでもいいようなことの方が、記憶に残ったりするもんで、我ながらあきれます。

今回もクローズだったもので、やはり念のためベルを鳴らしてみたのですが、今回は、うんでもすんでもありませんでした。一部窓が開いていたりしたし、若干、いる様子もあったんですけれどね~、まさか、東洋人が見えたから、わざと無視だったのでしょうか。いやいや、そんなことはないでしょうよ。

仕方ありませんので、以前同様、周囲を見学。




ここの残念なことは、ファサード部分以外は、塀で囲われていて、教会本体に近寄ることもできないのですよね。美しい建物だというのに。
上の写真は、一部鉄柵になっている場所の、柵の間から撮影しています。

後ろの方に回り込んで、あれ?と気づいたことが。




後陣近くの外壁に、白いプレート状のもの、見えるでしょうか。
拡大します。




カノッサのマチルダの碑文。
以前調べた時に、「北東角に、マチルダの碑文あり」とメモしてあったのですが、当時の写真に、これは見当たらなかったし、実際、訪問時に見た記憶がないんですよね。
なんでだろう?と、不思議な気持ちになりながら、さらに後ろに回り込みます。




ああ、美しい後陣です。
塀や生け垣がなければ、完璧なのにね。この場所が、空き地になっているのも、ありがたいことです。
しかし、ここでも、何か違和感がありました。

帰宅してから、以前の写真をひっくり返して、違和感の理由がわかりました。
2011年春、今から5年前は、こんな状態だったんです。




横からの写真でも、緑がわっさわさで、マチルダの碑文なんて、端っこすら見えない状態でした。裏側の空き地はおんなじだけど、どんなに頑張っても、全体は見えなかったんですね。だから、教会姿、記憶にとどめようがなかったんです(ちょっと言い訳)。
それにしても、結構立派な木を、よく思い切って、伐採したものです。

サクサクと進みまして、次は、今回初めてだった場所です。当時も行こうと思っていたけれど、いけなかった場所だったので、嬉しかったな。

ガッツォGazzoのサンタ・マリア・マッジョーレ教会Chiesa di Santa Maria Maggiore。




後陣からのアクセスとなりますが、これまた美しいたたずまいの教会です。二つ後陣のうち、オリジナルは真ん中の大きい後陣だけとのことですが、修復の様子も感じがいいですね。
白石と混じるほかの教会と比べると、ここは、レンガ割合がとても高いです。

真後ろからは、こういう感じになっています。




本来もう一つ小さな後陣があるべき場所に、鐘楼。これは、ちょっと新しそうですね。
教会そのものの起源は古いようで、内部に、その痕跡があります。

何かというと、これです。




床モザイク。今の床面より、1メートル弱下がった位置に、現在の教会が建つ以前にあったであろう教会の床が残っているんです。中世初期、初期キリスト教後期とかそういう時代でしょうか。グラードの教会を思い出しました。このモザイクのモチーフのせいかも、だけど。




床がこれだけ立派にあるということは、この床面を持っていた当時の教会は、後陣や壁が、美しいモザイクで覆われていた可能性もあるわけです。ロケーションも素敵なので、想像するだにうっとりトリップしてしまいそうです。

さて、現在の教会は、かなり後代の手が入ってしまっていますが、全体のたたずまいは、内部も美しいものです。




柱頭もシンプル、すべてシンプルですが、それがよい雰囲気をもたらしています。とはいえ、実は、ところどころにフレスコ画が残っていますので、本当は、シンプル装飾だったとも言えないはずなんです。




絵柄から言って、かなり後のものだと思うのですが、すごくかわいらしい絵だと思います。
このフレスコ画は、向かって左側の後陣部分となりますが、ここって、外からは鐘楼になっている場所です。やはり後陣構造だったのを、鐘楼にしているんですね。

実はこのとき、教会が開いていたのは、結婚式準備のためでした。内部見学を終えたころ、ちょうど花屋さんがやってきて、花を大量に持ち込んでいましたので、外観も見終えてから、もう一度中をのぞいてみました。




教会にもふさわしい、シンプルだけど清楚で美しい花飾り。
花屋さんの手際の良さに感心していると、正時だったんでしょうか。先ほどのフレスコ画のある場所で、何やら複雑な動きをしているおやじが。




なんと、ここの鐘はマニュアル操作で、この何本ものロープを複雑に引っ張って、おじさん、妙なる響きを醸し出していました。




電動でスイッチ一つで鳴らしている教会がほとんどになっている中、こんな教会の鐘って、すっごく珍しいと思いますし、おじさんの腕も貴重です。

ちょいと前後してしまいましたが、ファサード。




全体がレンガで、緑に映えます。
角が、石になっているのは、やはり強度の問題なんでしょうかね。それにしての、その石のランダムな入り方が、芸術的!これはおそらく、修復のたまものだと思うんですが、他でも見たように、違う種類の素材の交わり方が、全体にランダムでアシンメトリーであることは、ここでもそうだったんだろうと思います。

レンガも、よく見ると面白い積み方や、形。




角角が出ているスタイルはよくありますが、まるまる連続は、珍しい!っていうか、角のないレンガってこと?

同じ側壁で、大好物発見しました。




床モザイクと同時代の装飾物ですね、きっと。いくつか掲げられていました。かわいい!

教会の北側は、芝生のサッカー場になっているので、広々とした気持ちの良い空間です。




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どうしても自慢したかった12世紀の石工さん(ベルフィーレ)

久しぶりのヴェローナ・バッサその2

訪ねるルートも、5年前と、ほぼ同じだったかもしれません。次は、ベルフィオーレですが、しかし、ここにはびっくり。記憶が完全に欠落していたんです!
こんなに美しくて印象的な教会だというのに。




ベルフィオーレのサン・ミケーレ教会San Michele di Belfiore。

この後陣側にある駐車にちょうど良いスペースとか、全体のロケーションにかかわる部分が、きっと当時と変わっているに違いない、とすがるように、5年前の写真を見たのですが、違いは見当たらず…。本当に、ただ忘れ去っただけのようです。
もしかすると、すごく簡単にするするとアクセスできちゃったとか、そういうことですかねぇ。

ま、何はともあれ、美しいたたずまいの教会であるうえに、全体が、とても清潔にケアされているんです。

ここもまた、塔の縮尺が、本堂と比べると、おかしいくらいに大きいですが、その塔の右側が、入り口となっています。こういう風に鉄柵で囲われていると、開いてない場合、悲惨なことになるっていう典型的なたたずまい。開いててよかった!

北側壁に、入り口があったので、すぐ入場します。




すっきりと地味な本堂。やはり清潔感がびんびんです。お、柱頭が、ヴィッラノーバのクリプタと同じモチーフです。




ヴィッラノーヴァの方でも、オリジナルと再建が混じっていたように思いますが、こちらも同様です。これは、再建でも比較的簡単そう。
それにしても、この、ラングドシャっていうか、リングア・ディ・ガットというか、サヴォイアルディっていうか、その種のビスケットの縦置き並べ。
これは、他で見た記憶がないんですが、何を基にしたモチーフなんですかねぇ。イタリアだし、やはりサヴォイアルディ…のわけないか。

ちなみに、柱に刻まれた碑文、これは、覚えていました。




なんでこんなに忘れちゃったかというと、やはり、他の場所と違って、ヴェローナおよびその周辺部は、いまだにきちんとサイトにまとめていない、つまり、後付けで勉強していないせいもあるかと思います。もう半分すぎちゃったけど、今年の目標にします。

この碑文は、石工さんが、自分の仕事が相当誇らしかったのか、名前入りで刻んでしまったものらしい、12世紀のもの。もとは、彫ってはみたけれど、ちゃんと、漆喰で塗りこめたりしたのかもしれませんね。というのも、ここの柱には、フレスコ画が施されているので、本人が塗りこめなくても、塗りこめられちゃった可能性大。
いや、まさか、内陣に最も近い柱に、こんなもん、残せるわけないですよね。

フレスコ画は、ちょっと時代が下りますが、一部きれいに修復されていて、かわいいです。




こういった修復のお金も集めて、キチンと再建や修復をするだけあって、この教会って、地域で愛されているんだと思うんです。
実は、我々が見学している最中に、一人、ふらりと入ってきて、しばらく隅の方の椅子に腰かけて、頭を垂れている男性がおりました。比較的若い方でした。それで、思い出したのは、5年前に訪ねた際にも、見学中に、一人、二人と、信者さんがふらりとやってきては、頭を垂れて祈っていく姿を見ていたのです。

教会って、夏は涼しいから、もしかして、ジョギング最中に一休み、程度のことだったかもしれないんですが、実際に、そういうスタイルでしたし。でもそれでも、一休みに教会に立ち寄るっていうことが、生きている教会ということですよね。
そういう立ち位置の教会って、いいなって思います。

いきなり教会の本質と関係ないところに話が言ってしまうんですが、一つ、前回は確実に気づかなかった、またはなかったものがありました。ファサード脇、一段下がった場所です。




まさか開いてないよね?と扉を押すと、きちんと開いているうえに、トイレも、手前にある洗面所も、汚れ一つないピカピカの清潔ぶりで、手拭き用のペーパータオルまで完備!
愛される教会ならではの設備ですよ。
これには、本当にびっくりしました。こんな教会、めったにないです。

さて、本題に戻りまして、ファサード。




例によって、城石とレンガの縞々。
ここでもやはり、微妙にシンメトリーを崩している部分があるんですよねぇ。
以前は、修復しすぎ感が強くて、どうもな、と思ったんですが、全体にこういうのがこのあたりのスタイルだと思うと、これはこれかな、という風に、受け止め方もこなれてきました。
よく見ると、細部には、かわいいものもあるし。
ファサードのトップ。




やんちゃ坊主みたいな顔がポツン。
下に開けられた丸は、お皿がはめ込まれていたっぽいですね。ヴェローナらしくない装飾と言いながら、結構あちこちにあるということは、この装飾が流行った時代があったのかしらん。

縁取りになっている、三角の石を置いた帯が、好みです。光の陰影とかで、面白い効果を出すし、モダンですよね。

内陣近くの柱に、堂々と「俺が彫ったもんね!」と刻んだ石工さんの作品もあるのかと思うと、ちょっとにんまりしちゃいます。




鉄柵で囲われている中は、きれいに芝生。




午前中なので、ファサード側は逆光になってしまいます。午後の方が、きれいなはず。
それにしても、縞々のずれ、なんででしょうねぇ。単にそこまで神経質に計算してないのか、それとも、若干の高低差とかのずれがあるのを、わからなくするためとか。さて。

それにしても、やはりきれいでいい教会だなぁ、とすっかり満足して、改めて後陣。




やっぱり、塔、でかいですね。
そういえば、この石積み部分がオリジナルで、上の方は、相当再建が入っているという話だったような気がします。

ということは、塔の方が、オリジナルの姿で残っているということ。平地だから、物見の役目も担っていた塔なのかもしれません。

どっから見ても美しい後陣。




左側の、無粋なコンクリートの部分が邪魔ですが、これはトイレのお掃除とかしてくれる教会関係者の住まいと思うので、仕方ありません。祭具室とかを拡大した結果なのでしょうが、ちょっと無粋です、確かに。

すっかり満足して、次に向かう途上、果物畑の向こうに佇む姿を車窓から。




今でこそ、畑や人家が点在する土地ですが、当時は、本当に何もないところにぽつりとあったのでしょうね。ヴァルポリチェッラに続く山を背景に、美しい土地、そして愛される教会。優しい気持ちになれます。

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