ベネチア島巡り(2018年12月)、その6(最終回)
ムラノ島Muranoのサンティ・マリア・エ・ドナート大聖堂Basilica di Santa Maria e San Donato、続きです。
とても華やかな後陣に目を奪われて、地味だけれども、ところどころに古い時代の浮彫がはめ込まれた側壁を回り込み、ファサードに来ると、一瞬目を疑うかも。
地味すぎて、笑。

よくよく見ると、細かいレンガ積みが結構美しい色彩を作り出していて、あ、これはビザンチンぽいな、と昔訪ねたときには、ただ自分の無知のために見出すことが出来なかった美を感じるようになった今、ちょっと違う印象は受けます。といっても、地味なものは地味なんですけれど。
ラベンナ様式のファサードである、という解説を見ました。
ラベンナ様式、というのは、あまり認識していないのですが、ビザンチンをベースにした様式ということになりましょうかね。なるほどね。そういわれれば、ラベンナっぽいのかも。
中央部分が三分割されていて、トップは、二連のブラインドアーチ。そして中央部には小さな二連窓。
もしかすると、基礎部分の建材は、本土から人々が移住してきたときに、持ってきたものも使われているかもしれないそうです。

このファサードに向かって右側に、結構離れて、立派なサイズの鐘楼が建っています。12世紀の、こちらもレンガ性の四角い塔となります。
表面のつけ柱などの装飾で、三段になった上に、鐘のスペースが乗っけられています。一番下は、三つのブラインドアーチ、二番目と三番目は二つのブラインドアーチ、そして鐘の部分は、三連の開口部となってますね。これが、ローマだと、どの段も窓にして、スカスカというか、レースみたいな作りになりますね。
それにしても、教会とは結構距離があって、ちょっと不思議な位置関係です。
中に入ります。ここは、トルチェッロに比べたら、格段にアクセスもしやすい場所なので、訪ねた方も多いでしょうから、驚きはないと思いますが、後陣モザイクは、何度見ても、息をのむ神々しさがあります。

トルチェッロも同じような構図ですが、あちらは聖母子。一方こちらは、マリアが一人祝福もポーズを取っていて、その上、他に何もないすっきりさで、孤高で崇高な印象がより強いです。
衣の青の鮮やかさも、素晴らしいです。

アップにすると、表情だったりのビザンチン感がすごいです。遠目の方が、マリアの雰囲気は好きかも、笑。
それにしても光背の色使いとか、とにかく細かい鉄鎖らの一粒一粒が際立って、この執念には、なんというか、感心しますよねぇ、やっぱり。
で、今更ながら、点々で表現するモザイクの技法が、スーラの点々とか印象派の技法なんかにも影響を与えたのかも?とか、ふと考えたり。
この教会では、床モザイクもまた素敵なんです。

この手の具象モチーフが、一番古い時代のものと思います。1141年となっています。
オートラントを彷彿とさせるプリミティブなものですが、愛らしいですよね。そして、ここは踏み放題です。オートラントみたいに、椅子で隠す癖に柵も遠いみたいなタカビさゼロ。ってか、古いのは、踏めないように囲んでもいいじゃないか、と正直思うのですけどねぇ。

技法が色々混ざっているので、すごく複雑な、というか、ごちゃごちゃな床面になっているのが、また面白いです。

このグリフォンらしいペアの右とか上は、幾何学モチーフになっていますよね。ここは、グリフォン部分をリスペクトして、幾何学模様を入れていますけれど、場所によっては、具象部分を壊して、幾何学模様を優先したらしいところもあるんですよ。

ね、この手前のは、ライフ・ツリーとか、単なる植物か分かりませんが、そういう具象が、もっと大きなスペースであったはずなのに、幾何学模様に侵食されています。これは別にコスマーティではなくて、コスマーティより前に、こういうのがあったはずなんですよ、すでに。それが出始めた頃なのかな。あえて流行を取り入れよう的に、具象と組み合わせたのかなぁ。

ちょっとクールな幾何学模様と、ヘタウマみたいな変なモザイク、笑。これは楽しいですよね。

これなんかも、波っぽいモチーフはローマのテイストだけど、正確性に欠ける中世的なモザイクで、その周囲には、結構きちんとした幾何学模様なんだよねぇ。面白い。それにしても、パステルカラーの色石が、めっちゃ可愛い。

白黒モザイクも、ローマテイストに感じるんですが、やっぱりグネグネしてて、正確さがないのが、中世っぽい。でも、モチーフはセンスありますよね。そのグネグネも味になってるっていうか、ちょっと眩暈する的な。
不思議なのはさ、小円柱のたてはグネグネしてるけど、柱頭の上部、アーチが出るところ、横線がかなりそろってて、逆に変じゃない?なんでだろう。
まぁやっぱり、こんなのがたのしいですな。

このところ訪問していないので、どうなっているのかな。今も踏み放題かしら。まぁ、千年から持ったので、大丈夫でしょ、ということなのかなぁ。
それにしても、中は、ほとんど新しくて風情もなくなっているのに、床面と後陣モザイクは、よく残ったよな、と今更感心しています。
そうそう、このモザイクは、当時の芸術家技術者へ大きな影響を与えたもので、例えばポンポーザ修道院では同様の技法が使われている、と。そして、大理石と、色ガラスで作られたペーストによるものなんだそうです。だから、様々な色がつくれるんですね。
ポンポーザといえば、やはり幾何学系だから、12世紀の頃がそれ主流だったということで、やはり具象系はもっと古いということになりそうです。
駆け足でしたが、これにてベネチア島巡り終了です。
今度はどこ行こうかな。
今、フオリサローネのレポートで忙しいので、ちょっと間があくと思います。
日々の生活をつづる別ブログです。以前はこちらで上げていた、ミラノのフオリサローネ、今回からは別ブログで上げていますので、ご興味あれば、以下に飛んでくださいね。
イタリアぼっち日記ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
- 2022/06/18(土) 17:24:14|
- ヴェネト・ロマネスク
-
-
| コメント:2
ベネチア島巡り(2018年12月)、その5
以前あったホームページにはあげたことがあったのですが、ブログには、ちゃんと記事にしていないようなので、この島めぐりに合わせて、一応ムラノ島についても、書いておきたいと思います。
といっても、過去のホームページの記事がありますので、それを転用しつつ、加筆したりしたいと思います。ホームページの記述は2008年で、それが、どうやら、初めてのトルチェッロとムラノ島への訪問時期だったようです。すでに10年以上前になりますねぇ。
今回掲載する写真は、それよりはちょっと新しいものとなりますけど、それとて、一部10年前だったりします。そうちょくちょく行ける場所ではないってことなんですよねぇ、やはり。

ムラノ島Muranoのサンティ・マリア・エ・ドナート大聖堂Basilica di Santa Maria e San Donatoです。
ムラノ島は、トルチェッロよりも少しあとから栄えて、千年位には結構な人口があったようです。そして、1291年法律によって、 本島での火事の危険を回避するために、すべてのガラス工房がこの島に移され、それ以来、ムラノは現在に 至るまで、ガラスの島として世界中に有名です。
漠然と、ガラス産業を集約したのがムラノ、つまり、そのために繁栄した、みたいな印象を持っていたのですが、ガラスは後付だったのですね。
今でもガラス工房が沢山あり、観光客の数もすごいです。
昔「地球の歩き方」などで、悪質なガラスの押し売りに騙された、とかいう投稿がよく出ていましたが、私など、一度はそんな目にあってみたい、逆切れしてみたい、みたいな不穏なことを期待して、島に渡ったものですが、どう見ても金持ちには見えそうにもないいで立ちでも、大変親切な営業トークを受けたことはあっても、悪質な押し売りみたいなものはついぞ誘われたこともなく…、笑。
それはともかく、ここは島の規模が本島の何十分の一しかないような狭さで、建物の背も低く、全体にこじんまりとしていて、今のベネチアも当初はこういう感じだったかも、と思わせるような風情があります。といって、あまりの観光客の数に、あまりしみじみ、とはなれないのが残念なところです。
そのような島のほぼ中心に、ドゥオモはあります。
創建は7世紀だそうですが、今の建物は、12世紀ロマネスク様式です。どでかい、というほどの規模ではないのですが、とにかく立派だ、という印象を受けるのは、町の方からアクセスすると最初に運河の向こうに姿を見せる、その後陣の佇まいのせいか、と思われます。それがトップの一枚となります。
この後陣側には小さな運河があり、ベネチアらしい小さな太鼓橋がかかっていて、アクセスは、なんというか、格別な雰囲気となっています。

後陣、二階建てになっていて、実に美しいです。
連続半円アーチや三角モチーフ、ギザギザ軒送りなど、 とても細かい仕事が、また非常に美しく仕上げられているのです。
前回記事にした、トルチェッロのサンタ・フォスカの後陣とも共通する様式ですが、あちらは後陣が狭い場所に押し込められていて、どちらかというとファサードをフューチャーするポジショニングになっていましたよね。こちらは、真逆で、後陣フューチャー。
ふと、方角がどうなっているのか、確認したくなりました。
ムラノでは、後陣がきっちりと東向きになっており、サンタ・フォスカは、45度傾いていて、東南向きになっているようです。これは、お隣の創建が古いカテドラルと平行になっているので、異教時代の古い建物に合わせて、東後陣にこだわってなかったということなのかな。
そういう歴史の教会が多いローマなどでは、建築的には中世以降のものでも、後陣の向きが結構バラバラだったりするのと同じことなんでしょうね。
ただ、なんだろう、このムラノのカテドラルの後陣は、規模もそうだけど、完成形的な様子ですよね。ビザンチンのレンガに、当地の石の組み合わせ的なスタイル。

レンガは、とにかくきっちりと積み上げられて、遊びの余地がないのに、その積み上げやアーチによって、装飾的な効果をもたらし、またのこぎり歯帯などのバリエなどが、魅力的なんです。レンガの色も、微妙に違うのが面白いです。
レンガは、焼成温度とか、原料の土などで、最終的な色が結構変化するらしいんですけれど、中世当時のレンガっていうのは、色のバリエが豊富で、どういう風に作っていたか、分かっていないという話を、過去に研究者の方に伺ったことがあります。

歴史が長いと、修復される部分も出てくるから、その時々に焼かれたレンガも混じることになりますよね。それで、さらにバリエが出てきたりして、どんどん分からなくなってくる、みたいなこともあるのかな。
こんなさ、局面をレンガで組み合わせて作るとか、なんかすごいなって感心します。
これはきっとビザンチンの技術なんでしょうね。ここでも面白いのは、ビザンチンをベースに、当地での石の彫りなどの技術、そして、ラベンナで栄えた、純粋プラスアルファなビザンチンの要素が融合していること、と解説されるようですが、まさにね。

この三角部分は、石かと思ったけど、もしかすると漆喰の可能性もありますね?
そして、レンガの色、この黄色いタイプは、どこから来たのか。すごい色のバリエ。

よく思うことだけど、肉眼では絶対に細部まで見えるはずもない場所に、きっちり細かく装飾的な手を入れるっていうのがね、やはりすごいことです。
おそらく古い時代の教会にあったのであろうと考えられる石版彫り物が、ここでも壁のあちこちにはめ込まれています。

この手の彫り物は好きすぎて。
にょろにょろ的な波モチーフの帯、良いですよねぇ。全体ににゅるにゅるした様子が、何ともいいです。

この辺も、壁のようにはめ込まれていますが、おそらく古い時代の教会にあった装飾だと思います。
ちょっとね、レンガも含めてお掃除行き過ぎじゃないの、位にピカピカで、なんならわざとらしいくらいなんだけど、排ガスとかないから、一度徹底的にお掃除すると、持っちゃうのかもねぇ、どうなんだろう。

これなどは、ちょっと空間恐怖なイスラム的なテイストも感じてしまいますね。
わたしの好物は、やっぱりこっち系だな。

日々の生活をつづる別ブログです。以前はこちらで上げていた、ミラノのフオリサローネ、今回からは別ブログで上げていますので、ご興味あれば、以下に飛んでくださいね。
イタリアぼっち日記ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
- 2022/06/11(土) 16:57:55|
- ヴェネト・ロマネスク
-
-
| コメント:0
ベネチア島巡り(2018年12月)、その4
サンタ・フォスカSanta Fosca、続きです。
ここって、全体のたたずまい、とっても魅力的なんですけど、中でも外側の後陣部分、びっくりします。正面からのイメージとかなり違うんで、初めて出会ったときは、意外感に打たれました。

レンガ積みで、その点だけでも、ファサード側からは相当イメージ違います。そして、レンガでの装飾ぶりが独特で、レンガの特色を生かしたっていうのか、すごく好きです。

下の方は、大理石の半円アーチ、つけ柱やアーチ部分の彫り物とか、ロマネスクな雰囲気です。往時はきっと、どのアーチ部分にも、このような繊細な彫り物装飾が施されていたと想像しますが、今に残っているのは、ほんの一部です。柱頭も、もしかしたら、彫り物があったのでは?と想像しますねぇ。

そして、お足元の方に、ちょこんと十字架が飾られていたのは、今気付きました。

こんな場所になぜ?です。
そして、上の方は、まさにレンガ装飾全開。

レンガって、自分の暮らすロンバルディアでも多用されていて、なんていうのかな、建材としてすごく好きかというと必ずしもそうじゃないんだけど、目は慣れているから受け入れやすいところはあるんだけど、建物によって、好き嫌いが分かれやすい建材なんですよね、私には。
以前は、そういう感覚的な見方しかなかったんですけど、そしてそういう見方で言えば、この地域で見られるレンガの後陣はすごく好きなんですけど、テッサロニキでビザンチン建築を固めてみる機会を得た今では、なるほどこれがビザンチンなのであるな、と建築学的な見方を獲得いたしました。
テッサロニキに数多くある教会建築のほとんどがレンガで、その装飾の面白さときたら。自分が苦手な幾何学的なモチーフも含めて、石や漆喰への彫り物装飾とは違う次元で、すごく好きだと思います。
で、ベネチアのビザンチン度合い、なるほど、と実感できる後陣です。

ここでは、大理石の帯装飾が加わるのもよいですねぇ。
レンガの端っこをギザギザに出したり、三角で模様を作ったり。こういうのって、光が差すと陰影ができて、光と影の遊び的な部分も考えられているのでしょうねぇ。現代だと、人工的なライトアップなどでも、とても面白い姿になるやつです。
前回の記事でもちょっと触れたフォスカ、暗闇をも意味するお名前のフォスカさんにも、ちょっと触れておきますね。
フォスカさん、というよりフォスカちゃん、かな。彼女はラベンナの異教の家に生まれたのですが、15歳にして、キリスト教者になることを望み、それを乳母のマウラさんに打ち明けて賛同を得て、二人して洗礼を受けてしまうのです。しかしながら父親はそれを許さず、二人を訴え出ます。
官憲が、二人を捕まえに来るのですが、守護天使に邪魔されて、捕まえることが出来ませんでした。しかし二人は、自分たちの信念につき、逃げも隠れもする必要を感じずに、自ら出頭し、殉教することを覚悟します。その後拷問を受け、最後は斬首刑を受け、遺骸は海に投げ込まれてしまいます。遺骸は、シリアに流され、その地で埋葬されていたのですが、1011年、あるキリスト教者である船員が、霊感を得て、遺骸をトルチェッロに運んだということです。
稚い少女が、盲目的に信仰に走るということで、ローマのサンタ・アニェーゼを思い出しました。

上は、ローマのサンタ・アニェーゼにある彼女の姿です。奇しくも、黄金の背景に、すっくとたたずむ少女、というより、ずいぶん大人の女みたいですが、彼女も10代の少女だったと記憶します。
サンタ・フォスカも、こういうモザイクがあったとしても不思議じゃないのになって、ちらと思ったんです。
でも、お隣のカテドラルに、同じようなスタイルで聖母がいるから、それはできなかったのかな。いずれにしても、サンタ・フォスカの内部には、モザイクのかけらも残っていないので、やはりないもなかったのか、でもでもビザンチンなんだし…、と妄想が膨らみます。
もう一度、正面の方に回ります。

ちょっとつるんとするくらいに修復もされちゃっていますが、ここの柱頭もかなり古そうなものです。

こういう場所って、どうしても妄想が暴走しますよね。って、こんな場所、めったにないと思うんですけども。
人が少ないせいなのか、なんだかね、こんな野生の子が、後陣見学に、ずっとついて回ってくれたりしたのも、夢の跡にふさわしいようなことでした。

そして、こういう場所にはお似合いな子も、もれなくおりました、笑。

ベネチアはいつか沈むと言われて久しいですが、そしてそれを防ぐために高波防止のモーゼシステムとか莫大な投資をしてもあまりうまくいってなかったりもするようですが、そうは言いつつ、イタリアも結構色々頑張っているようですな。
実は先日ピサに行ってきて、久しぶりに奇跡の広場を訪問しまして、斜塔の斜塔ぶりにあきれたんですけれど、絶対倒れるようなものを食い止めている執念みたいな文化財保護には感服したんですよね。
というわけで、おそらく私が生きてイタリアにいるうちに、ベネチアがなくなることはなさそうだし、トルチェッロにももう一度くらいは行けるかな、と期待しています。やはり、カテドラルのファサード裏のモザイクは、もう一度見ときたいものです。

教会の向かいに、かつての司教館かな?
そちらは、博物館になっていて、確か共通チケットで入場できるんだったと思います。忘れず、見学してくださいね。

また会える日まで、しばしのお別れです。

ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/06/04(土) 15:13:19|
- ヴェネト・ロマネスク
-
-
| コメント:0
ベネチア島巡り(2018年12月)、その3
今回は、カテドラルのお隣にある、サンタ・フォスカSanta Foscaです。トルチェッロといえばイメージとしては、こちらの教会かも。見た目が印象的なスタイルなので、カテドラルより百倍フォトジェニックですし。

趣がありますよね。
本島からの水上バスで島に来て、この、かつての島の中心部まで細い運河沿いを歩いて、最初に目に入ってくるのが、サンタ・フォスカなんです。カテドラルはその後ろ側にあるという位置関係なんです。
この、サンタ・フォスカの前面は何もない空間で、今の教会が、実に孤高な状態になっているのが、いやでも全体として見えることで、なんというか、諸行無常的な?夢の跡的な?風で消えてしまう砂絵的な?
どっちかというと日本人が好むような、そういう儚いイメージと結びつきやすいので、冷静な愛着を感じる一瞬です。あ、なんかかっこいいこと言ってますが、実際に行かれると、この印象、分かっていただけるかと。
そういうイメージに合うのは、やはり比較的人の少ない冬がお勧めかもね。ちなみに、この時12月ですが、トルチェッロよりも本島よりのムラノやブラノは、相変わらずの大混雑でした。トルチェッロは時間がかかるので、一般的なツーリストは、なかなか足を延ばせないという事情もあるのです。
実際、私もベネチアは年に一度は訪問しているものの、島に行く時間があることはないですからね~。

人が多い時期には、手前の道に、お土産屋が回転しているのだと思います。昔はそんなのもなかったと思いますが、ということは、やはりよい季節は、それなりに訪問者もあるということでしょう。

前回の記事で登った鐘楼からの写真ですが、残念ながら、全体の俯瞰図を撮影するには鐘楼は若干低くて、こういう時ドローンがあれば、面白いのになぁ、と思うわけですが…。
建築プランはギリシャ十字型ですが、トップの写真で見られるように、周囲がポルティコで囲まれている構造となっています。
ポルティコと本堂はつながっている構造なのですが、正面からのスタイルは、一見、スペインのエウナーテだったかな?あんな様子にも見えますね。
正面には、美しい彫り物装飾がいくつかあります。

美しい十字架。うっとりするやつ。
入り口扉脇にも、いくつか、どっか他から持ってきた風のものがあります。

この肉色系ピンクの壁は、古色蒼然な雰囲気も出ていて、緑と空の自然色の中では、意外とマッチしているのだけど、こういう風に見ると、ちょっとダサい感じがしますね、笑。
でも、この系統の色って、なぜか私は古い雰囲気に感じてしまいます。ガルダ湖畔のバルドリーノだっけか?あそこにあるロンゴバルドの教会なんかも、色としてこういうイメージ。なんでだろうね?

すっごい好きなやつ。ロンゴバルドですよね。初期キリスト教とかなのかな。

かわいすぎます。
この、縁取りになっている波文様と勝手に読んでるやつの帯装飾、すごく好きなんですよねぇ。こういうの、サイズが5分の1くらいでいいから、欲しいなぁ、と常々思っています。
漆喰固めて、彫ればいいのかな?将来、暇が出来たらやってみっか?
さて、ここで、実際の訪問時同様に、本堂に入ります。

あれ?と思われるかもしれませんが、内部は四角なんです。外側、上部がクーポラだし、規模的にも全体が円形と普通だったら考えるところ。実際、このようなスタイルは非常に珍しいようです。建築的には、異教の神殿を彷彿とさせるというところもあるようです。
教会の起源は11世紀となっていますが、彫り物装飾などからも、それ以前にやはり何かあったのでは?という感じですね。

十字が交差する部分に、クーポラが乗っかっているわけですが、その直下で、四角が円形に変容することになり、上の写真で、円形の周囲にボコっている縦置き二つの穴が、その変容のためのアイテム。

非常にシンプルで、内部に限って言えば、まるでシトー派的な。
ちなみに、教会がささげられているフォスカさんですが、その生涯については次回記すつもりですが、FoscaはOscura(薄暗闇)という意味も持つのだそうです。ある解説では、この教会の暗さと、小さな開口部から漏れてくるわずかな明りとがもたらす光と影の遊びが印象的なことは、その名前から偶然ではない、とありました。
確かに、本来なら相当な薄闇であっても当然な様子のつくりで、目立つ開口部はないも同然なのに、適切に光が入ってくる構造にはなっているんですよね。

わたしは、よほどのことがなければフラッシュはたかず、ISOを最高に上げて、普通のオートモードで撮影します。自然光がほとんど入らないとか、入ってきても窓がアラバスターであったりすると、さすがにぶれることも多いのですが、ここでは、結構鮮明ですから、光量は十分だったということになります。ちなみに、こういう時、現場では、もっと薄暗い状態です(写真の方が明るくなる感じ)。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/06/02(木) 09:48:31|
- ヴェネト・ロマネスク
-
-
| コメント:0
ベネチア島巡り(2018年12月)、その2
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta、続きです。といっても、前回は、ほぼ歴史のうんちくに終始してしまいました。
ふと、これより前に行ったのはいつだったろう、と過去の記録を見たところ、2008年、ちょうど10年前でした。その時はまさに島巡りで、ムラノ島と合わせて、一人で突撃したんですけれど、その記録は、当時メインで今は亡きホームページに記していましたね。内容は、過去の自分をちゃんとほめてやりたいくらい、結構ちゃんとしたものでした(ホームページのコピーが手元にありますので、時々資料として見に行きます、笑)。今はブログですけれど、自分の頼りない記憶のよすがとして、大変役に立っているのは、ホームページとご同様、有難いことです。
ちなみに、トルチェッロは、当時から内部撮影禁止だったようですが、一方でムラノは、数年前に訪ねた際、写真撮影自由になっていました。
このSNSのご時世、撮影禁止の意味がどれだけあるのか分かりませんし、特にこのトルチェッロのカテドラルは、入場料も徴収される博物館状態になっているため、さらに納得しにくいです。
こういった不便な場所って、正直、入場料を徴収したところで、訪問者の数は相当限られているはずなので、収入としてはほとんど意味ないと思うんですよね。でも、鍵番さんも置けないだろうから、そのためだけの入場料は、ありだと思うですけど、それなら、撮影開放して、どんどん映え写真を普及させた方が、絶対に集客とか意味あると思います。
毎回記事の下の方に、インスタグラムのギャラリーリンクもいれているんですけれど、最近フォロワーさんも増えてきて、自分では何が違うのかよく分からないのですが、中世ファンの枠を超えて一般人に映える写真ってあって、時々すごく驚くんです。それが近所だったら、そういう映え写真に触発されて、本来中世なんて興味ない人が、行ってみようか、となることもあると思うんですよねぇ。特にインスタグラムって、写真を映えさせるアプリがよくて、実際よりも鮮明に見せたりできるで、インパクトもあるんですよね。
トルチェッロのカテドラルなども、とってもインスタ映えするアイテム満載なんで、ちょっと考えてほしいなぁ。

例えば、後陣で、金色の中優雅にたたずむ聖母子。
これは、ムラノと同じ意匠なんですが、トルチェッロでは、その土地とも結びつけてしまうのか、より孤高な印象が強くて、オーラを感じます。
こんなのを、こそこそじゃなく、記憶にとどめられるようにしてほしい(こそこそ、やってたということです、ハイ、涙)。

聖母に負けじと、脇後陣では、息子も頑張って祝福してるし、天使たちも、素敵なビザンチンを、バリバリ体現中なんですけどねぇ。
ここから、ちょっと脱線しますので、興味なさそうな方は、以下、飛ばして、次の写真まで、進んでくださいね。
先日、みうらじゅんと山田五郎さんの対談聞いていて、みうらじゅんさんの仏像鑑賞の原点っていうかね、スタンスっていうか、そういう話に、心底うなずけたもんで、書いときたくなっちゃって。彼はフェノロサ視点、といっていましたが、要はそれまで日本になかった、「宗教を離れた、純粋に美術観点からの鑑賞」ということだと思うんですけれどね。仏像を宗教から切り離してみる視点がなかった日本に、フェノロサが初めて体系的に仏教美術という視点を作ったという考え方。
それって、まさに自分がロマネスクでやっていることで、思わず膝をたたいたっていうか。言ってしまえば簡単単純なことなんだけど、それほど簡潔に表せなくて、もぞもぞ落ち着き悪かったこと。
宗教美術って、どうしても、宗教的な教えだったり、逸話だったり、そんなことと結びつく内容がベースになっているから、ロマネスクだったら、やはりキリスト教の知識って、いやでも知ることになるし、知ることで面白さが増したりもするし、切り離せない部分というのはあるんですよ。でも、実は、キリスト教が好きなわけでもなく、信者であるわけでもなく、信仰もないという私のような人間は、割り切っているつもりでも、時として、なんだかもやもやすることがあったりしてね。教会行っては、つい献金を一所懸命したりしてごまかす、みたいなこともあったわけです。
それが、フェノロサかぁ、と。
当時のお雇い外国人と逆の立場の私は、つまり、キリスト教から自由でいられるから、すっと美術として接することが出来て、そこだけ取り出して楽しめることに違和感がなかったのかな。ここでは、日本のロマネスクファンに比較すると、なかなか自由にキリスト教美術を語る人が少ないと感じることも多くあるのですが、そういう何かしらの縛りの中にいるからかなぁ、とかね、思ったりして。
いや、最近の動画の充実ぶりよ。もうユーチューブなしには生きられないわたくし、笑。
脱線終わりです。

ここ、実はファサードの裏側のモザイクも、全面に施されており、すごいのですが、訪問時は、こんな有様でした。足場の隙間から、ちらちら見えるのが、逆に憎い、みたいなフラストレーション。
話をちょっと戻すと、後陣には、祝福するキリストを抱いた聖母マリアが、黄金の背景にたたずむ大変印象的なモザイク。その下には、十二使徒が並んでいる図です。この意匠は、ムラノ島の教会と同じなのですが、潔さがすごいですよね。どうしても、ごちゃごちゃと書き込みたくなるもんだと思うんですが、黄金、聖母子、すっきりくっきり。ミニマリストな職人さん。
その反対側は、しかし書き込みまくりの最後の審判の図となっているのです。
時代も同じようなので、同じビザンチン系の職人さん作と思われますが、共通項は黄金バックというところで、表現のコントラスト、面白いですね。
好物なアイテムとしては、イコノスタシスがあります。

こそこそしているので、ひどいものですが、このライオンちゃんコンビ、初めてお会いしたとき、あまりの可愛さに、スケッチしたくらいです。
スケッチのおかげか、図像の記憶は残った割に場所を忘れまして、ローマのサンタ・サビーナと思い込んで、確かにあそこも素敵なイコノスタシスがあるんですけどね、再訪した時に、ライオンちゃんいないから落胆したというか、自分の記憶力、やっぱ信用できないって再確認したっていうか。
そういうわけで、この愛らしい、ちょっとお爺さん、いや、おばあさんかな?そんなテイストが入っているようなライオンちゃん健在で、再会が一番うれしいアイテムでした。

内陣の床モザイクも素晴らしいです。
これはコスマーティじゃないと思います。ベネチアは、やはりビザンチン起源の装飾として、床モザイクもあるのだと思います。これは、内陣にあることもあるのでしょうが、保存状態がすごくよろしいですね。千年からの長期間、踏みつけられて、すり減ったり凸凹ったりしている床モザイクも、味があって対好きなんですけれど。

モザイクは、しかしラベンナが近い割には、驚くようなものではなかったりします。技術にしても意匠にしても、残っているものとしては、ローマの方が圧倒的に迫力も数もあります。
これらはすでに12/13世紀のもので、ビザンチンの名残といった時期になると思うので、要は職人さんの技術力とか、継承が途切れつつあるみたいなことになるのかな。やはり、モザイクはラベンナに限るかもね。
イタリアにおけるモザイクは、個人的には、ラベンナ、そしてローマに価値があると思っています。
この教会、入場料を徴収しますが、それが、本堂、鐘楼、そして近所の博物館の共通チケットになっていたと思います。そのため、珍しく鐘楼にもアクセスしました。

修復も施されており、一見結構新し目にも見えますが、11世紀建造ということです。内部はかなりきれいになっているし、正直大したことないのですが、この鐘楼に上る意義は、眺めだと思います。

カテドラルの屋根と、お隣のサンタ・フォスカの様子がばっちり見えます。お天気が良かったら、潟の風景もオツなんでしょうねぇ。

すっごく夢の跡的な風景で、ちょっと良くないですが。
どう見ても沼地になってしまっている先の方も、おそらく繁栄していた時期は、ちゃんと陸地で、建物がびっしり並んでいたりしたのかもしれません。そして、船が行きかって…。

今なら、ドローンで、こういった鳥目線の眺めも簡単に撮影できてしまえるわけですが、私の場合は、いまだ人力ドローンというわけで、登る途中の一枚。
でも、実際に教会が稼働していたころには、鐘楼っておそらく関係者以外は登れなかったでしょうね?
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/05/27(金) 17:05:26|
- ヴェネト・ロマネスク
-
-
| コメント:0
次のページ