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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

今年3月以降、2回目の外食(宿とお食事)


2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)18(最終回)

いつものように、利用した宿やお食事のことも、記しておきたいと思います。
今回は、ミラノからの往復を楽にするためのワンクッションとしての行き帰り二泊と、拠点二か所で、合計四か所の宿にお世話になりました。それぞれ、一長一短。

最初の宿、San Casciano in Val di Pesaでは、ちょっと高めのホテルです。

Villa Il Fedino(四つ星)
Via Borromeo 7, San Casiano in Val di Pesa

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昔の貴族のお屋敷のような建物をそのまま使っているので、雰囲気のある宿です。お庭も立派で、小さなプールもありました。ちょっとした高台となっているので、この庭からの眺めは、なかなかのものでしたよ。朝食は、その素晴らしい眺めを見ながら、テラスでいただけます。
我々にとっては、パンク事件に遭遇して、困っているところを助けていただいたという意味でも、大変ありがたいホテルでした。修理屋まで持つくらいに、しっかりとコンプレッサーで空気を入れてくれたり、夏休みでお休みの修理屋さんばかりの中、電話しまくってくれたし。

たぶん雇われオーナーみたいな家族だと思うんですが、奥さんの方が、若き日のヤマザキマリさんと仲良しだったというお話、へぇ、でした。
パンクのこともあったりで、結構おしゃべりをしたんですけど、こっちが日本人だということで、実はね、と話し始めました。
有名になったりすると、いろんなことがあると思いますし、自称親友、みたいな人も出てくるとは思いますから、もちろん、本当のところは知りませんが、ご夫婦そろって彼女とは仲良くされていたようでした。もう何年も連絡が取れなくなってしまっていて残念だということでしたので、ヤマザキマリさんがイタリアに戻られる日には、また交流が復活したらよいのですけれど。

次に泊ったのは、シエナとアレッツォの間、といった位置にある、街道沿い、ということだけが取り柄のアパートホテル。

Oasi del Grillo
Castelnuovo Berardenga(SI)

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キッチン付きのアパートで、ここは3泊しました。
キッチンのあるスペースと、もう一つ寝室があり、同行者とは別室で寝る形だったんで、それはそれで、結構休みやすかったです。
キッチンも、それなりに設備が整っていましたが、調味料の類がなくてびっくりしました。過去の数少ない経験だと、キッチン付きだと、調味料はもちろん、コーヒーの粉なども常備している印象だったんですよね。だから、あまり考えていなかったんですが、同行者が、オリーブオイルにはこだわりがあるから、とマイ・オリーブオイルを持参、私も、お酢にはこだわりがあるからとマイリンゴ酢を持参したり、また、絶対ないお醤油やかつおだし、こだわりのヒマラヤ塩(主におにぎりを想定したもの)など、最低限持参したのは、僥倖でした。

そして、今だからわかりますが、こういう現場の写真、重要です。
ここは、Booking.comで予約したと思いますが、どの予約媒体にしても、必ずしも、きちんと現場の写真が掲載されているわけではないのですよね。でも、キッチンは、それが目的の一つであれば、やはりちゃんと写真を見て決めたいところと思います。

次に、Viterboに移動して、やはり三泊したのも、アパートです。こちらもBooking.comでしたけれど、ここは、本当に、普通のアパート。

Casa Dei Laghi
Via \giovanni Merlini 55
Viterbo

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同じ建物に暮らすLaghiさんという母子が管理しています。以前、親が暮らしていたアパートを、ほぼそのまま、貸し出しているということで、イタリアの昔の調度っていうか、懐かしい気持ちになるおうちです。
とっても広くて、寝室も3つ、バスルームは二つあるので、二家族くらいで宿泊すれば、とても経済的だと思います。
ここは、キッチンの設備から調味料から、何から何まで完璧で、玉に瑕はクーラーがなかったことくらい。それでも、天井の扇風機などで、何とか眠れたし、とにかく広くて、バスルームもそれぞれが勝手に使えるというのがよかったです。

最後に立ち寄ったルッカでも、一応アパート形式の宿にしました。

Villa San Marco
Via Nicola Farnesi 266,Lucca

でも、ここは、完全にアパート形式のホテルで、正直がっかりしました。写真と、実際の内装がかなり違ったし、キッチンも、牛乳を温めるくらいの機能しかなかったのです。
なんというか、いかにもそういう投資をしました、という建物のたたずまいだし、経営者の思い入れは、投資以外ない様子が、ちょっとなじみませんでした。

こういう滞在形式を活用して、タイトルにもあるように、ほぼ毎朝、宿でご飯を炊いて、おにぎりを作る毎日でした。
夜も、結局、ホテルだった初日と、とても料理する気になれないキッチンだった最終日の二日だけ、レストランで食べた以外は、すべて自炊しました。

そのたった二回のレストラン。
考えたら、Covidで在宅勤務になって、外食の機会が一切なくなって、ロックダウン明けに、友人の山の家の近所のレストランでいただいたのが、Covid以降初めての外食。そして、実は、この時の外食が、それぞれ二回目、三回目、だったんです。そんなのあって、ありえないですよね、普通は。いくら外食が少ない私でも、片手で数えるほどしか外食しないっていうのはあり得ないです。
幸いにも、どちらもすっごくおいしかったんです。

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La Cantinetta del Nonno
Via 4 Novembre 18, San Casiano in Val di Pesa

さすがトスカーナだな、肉うまい!ってやつ。がっつりと肉とサラダとワインで、一人22ユーロでした。ミラノよりはずいぶん安いよね、田舎だしね。

それから、最後のルッカ。

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Trattoria da Leo
Via Tegrimi 1. Lucca

ここは、夕方観光しながら、ここがよさそう、ということで、直接夕食の予約をしたのでした。気の置けない庶民的な様子で、メニューもよかったんです。実際、前菜一人分で、上の写真のボリューム。良心的すぎますよね。

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前菜に加えて、それぞれ、タリアータ、ローストビーフと野菜サラダと頼み、さらにデザートまでいただいて、一人30ユーロでした。おなか一杯幸せで、やはりこういう外食の楽しみって、たまには必要だよねぇ、と実感しました。

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これ以外は、自炊だったので、アパートで、たっぷりサラダと、何かしらたんぱく質、というお食事をとりました。

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同行者ともども野菜好きサラダ好きなので、このたっぷりサラダを延々と食せるというのは、それなりに満足感のあるものでした。負け惜しみでなくて、笑。

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いつもは使わない食材を、お互い紹介しあったりとか、そういう発見の楽しみもありました。

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毎日のように、地元のスーパーに行くのも、結構楽しみでした。

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なんだか、地味なごはん写真の連続、笑。でもね、すっごくヘルシーだったお思います。そして、作るのはちょっと面倒だけど、おしゃべりしながらだと楽しいし、レストランに行って帰って、という面倒もないし、何よりめっちゃ安上がりだし、これはこれでありでした。
お昼用のおにぎりというのも、大変気に入りました。これは炊飯器があるからこそ簡単にできる芸当で、同行者に感謝です。炊飯器、昔、駐在員の人にもらったということですが、優れものです。お鍋で炊くのと同じような短時間で炊きあがるんですよ。
私は、二年ほど前に、日本から来た友人が持ってきてくださった自家製の梅干を提供して、何とも幸せなおにぎりランチタイム毎日。ランチ持参だと、時間の調整が楽だったり、空腹になり過ぎて困ったりすることがなかったり、助かるんですよね、忙しい旅だと。それに、おにぎりって、それだけで完全食というか、満足感がすごくあるから、最強。

へへ、最後におにぎりにがっつくオレ。

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次回からは、またロマネスクに戻ります。

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  1. 2020/10/04(日) 05:47:41|
  2. 旅歩き
  3. | コメント:0

巨石文明のカワイ子ちゃん(ポントレモリ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)17

ルッカからミラノへの帰り道は、こんな感じで北上することになります。

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地中海沿いのラ・スペツィアあたりから、山中の高速を通ることになります。ルッカを正午過ぎに出たので、どこか立ち寄って、例によって、おにぎりのピクニック・ランチをする心づもりでした。山間の高速沿いに、素敵な石積みの教会(フィラッティエラ)がありますが、ピクニックポイントが思いつかなかったので、その先で、立ち寄ったことはないものの、結構な町だと思われるポントレモリPontremoliを提案しました。ちょいと気になる博物館もあったんです。
しかし出発してしばらくしてから、にわかに曇ってきて、途中、結構な雷雨に見舞われたので、これは、ぶらぶらピクニックどころではないかも、と思いながら走行。最悪、どこかドライブインで車中おにぎりかと思っていたところ、ポントレモリ直前で、ちょっとした晴れ間となったので、当初の予定通り、高速を降りました。
私はもちろん、同行者もかなり晴れ女だったので、ダブルの威力ですかね?

町の入り口の無料駐車場に止めて、降りてびっくりでした。水たまりもあったので、すでにひと雨は降ったようで、かなり気温が低かったのです。
上着を着こみ、おにぎりをもって、まずはランチの場所を探しました。

この町、結構な川がありまして、素敵なローマ橋風の古い橋がありまして、その橋の下がピクニックテーブル完備の公園で、うってつけのおにぎりスポットでした。

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これは、グーグルからお借りした写真。
時々、メモってなかったレストランとか、気になっていた風景とかを探して、グーグルマップで検索しますが、今ってホントにすごいですよね。大抵探し当てることができちゃう。今回のように資料写真がなくても、ネット探せば、大抵のものは出てきますね。
でも、だから人はどんどん横着になってメモもしなかったり、おそらくいろんな本能だったり記憶力だったりが衰えていくような気がします。

それはともかく、おにぎりランチに大満足して、目的の博物館に向かいます。
といっても、以前から行きたかった、というようなものでもないんですよね。走行中に看板を見て、あ、あれは、以前フィラッティエラの教会にあった写真でちらと見たブツだな、ちょっと興味があるな、ということで、私の中で目的地化しただけのことなんです、笑。

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ルニジャーノ石碑博物館Museo delle Statue Stele Lunigianesi
Castello del Piagnaro, Pontremoli
開館時間は、季節によって若干変動するようですが、概ね、10/18時という様子です。入場料は7ユーロ。

町の高台にあり、歩き用の道と、エレベーターもあるようでしたが、そちらはどこからどうなっているのか、まったく不明でした。かなりの急坂で、結構ぜえぜえしましたが、距離は大したことありません。
坂道が辛かろうが、入場料が若干高く感じられようが、笑、ここは、行く価値、大でした!大の大型です。イタリア語だと、最上級の上でBellississimoとか言っちゃいますね。

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Aタイプ

ぎゃあああ、と叫ぶレベルでかわいくないですか?

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なんなの、これ?と知りたくなるでしょう?
もう本当にびっくりしました。まずはそのあまりの愛らしさに。そして見学順路にある説明やビデオで、由来とかの面白さに。
知らなかったんですよ、これって。

実は、先述したフィラッティエラの教会を訪ねた時、このブツに関する資料が並んでいたんですが、ちゃんとは見なかったんです。それに、その写真では、そんなに悶絶するようなかわいさは感じられなかったんで、ほぼスルーしちゃってたんです。あの時、もっとちゃんと見ていたら、きっと、もっと前から興味を持てたと思います。

フィラッティエラ、ソラーノ教会の記事

https://notaromanica.blog.fc2.com/blog-entry-1670.html

さて、このStatue Steleって、うまく訳せないんですけれど、何かといえば、先史時代の巨石文化に通じるものなんです。巨石?と思われると思いますが、この石像、平均的に、人の背丈前後の大きさです。160センチの私よりは、ちょっと小さいのが多かったかな。でも、結構な大きさなんです。
先史時代、銅器、青銅器、鉄器時代にわたるもので、紀元前3500年から1000年くらいの長期にわたって、作られていたようです。本当の最後の方は、ちょっとエトルリアの萌芽が見られる時代に触るか触らないかという感じみたいです。

そう、こういう愛らしさって、エトルリア、そしてローマ時代を飛び越えてロマネスクに通じるような気がします。ロマネスクが好きな人には、絶対訴えるものがありますよ。

アジアの方から、ヨーロッパ一帯で発掘されているものだそうですが、イタリアで最初に発掘されたのは1827年で、かなり近年になって初めて知られたものなのですね。このルニジャーノ博物館の開館も1975年と、比較的新しいのです。研究も、まだそれほど掘り下げられていない状態で、この者たちが、何に使われていたのかすら、分かってないみたいです。

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見つかる経緯も、多くが、工事現場でたまたま、ということが多かったようなんです。博物館で印象的だったのは、近所の道端に突き出していた一部が気になり、一人で、時に友人と二人、コツコツと掘って、とうとう完全な形で掘り出して二人でびっくり、という地方のおまわりさんの話。

どうやら、いかにも建物とかの遺跡があるような場所にあるということがなくて、この人たちが複数出てくることはあっても、それはそれだけ、というものらしいのですね。つまり、この人たち自体が、巨石の石というんですかね。

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この7体は、まさに同じ場所から発掘されて、おそらく博物館をオープンする原動力になった人たち。
ここは、見せ方もすっごくドラマチックで、うまかったです。印象的でした。

パット見わかると思いますが、お饅頭のような胸がついているのが女性、そして、剣や弓などとがった武器を体の前に抱えているのが男性。とがったものは、男性器のシンボル化ということのようです。

長期にわたって作られた石像たちですが、大きく三つの時期に分けられていて、一番古い時代の子は、トップのやつが代表選手で、全体がのぺりと区切りなく続いている、要は妖怪一反木綿みたいなやつです。
その後の時代に、頭部と身体がくっきりとしてきて、トップのやつ以外は、横並び7人組も含めて、Bタイプ。
この下の、AやBに比べると、もうかなり写実的になってきているのが、Cタイプとなります。

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私は、古い時代のやつらが、お好みです。

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Aタイプ。
いいよねぇ。

イタリアでは、この辺り中心に発見されているものですが、フランスやスペインにのあるようなんです。でも、どこでも、あまり研究はされていないかも。巨石としては地味だし、位置づけが難しいものかもしれません。
でもね、すっかりお気に入りなんで、この辺りに行ったら、また会いに行っちゃいそうです。

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  1. 2020/10/03(土) 00:29:39|
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目的外の忘備録(バーニョ・ヴィニョーニ等々)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)16

ま、こんな感じで旅は終わったわけですけれども、他に記しておくべき場所はあったかな、と改めて、数少ない写真を見返していたら、ちょっとありましたので、忘備録として、一応。

ここは本来本編として記しておくべき場所ですが、写真がほとんどないため、ここに、張り付けておきます、という位置づけの場所は、チェルヴェテリの町の博物館です。

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チェリーニ考古学博物館Museo Archeologico Cerini

ネクロポリが素晴らしいのに、町にあるこの博物館はかなりしょぼくて、がっかりでした。ここ、ネクロポリの遺跡との共通チケットが10ユーロだったんで、チケットを持っていたからまだよかったですが、ここだけのチケットでこの博物館だけ入ったら、かなり腹立つレベルの内容だったと思います。
ちなみに、ネクロポリ単独で6ユーロ、博物館単独で8ユーロ、共通チケットが10ユーロです。博物館のチケットの方が高いって、謎。

博物館といえば、ヴィテルボのエトルリア博物館は、初めて訪ねたときは、結構感心したんですが、今回は、しょぼさが目立ちました。

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ヴィテルボ国立エトルリア博物館Museo Nazionale Etrusco di Viterbo(6ユーロ)

立派な彫像などがあるのですが、展示数が少なく、迫力に欠けて。その時々の展示内容とか見せ方によって、博物館もずいぶん違うものなのかも、と感じました。考古学博物館のように地味な博物館でも、学芸員さんの力量やセンスによるのですかね。
ちなみに、受付のおっちゃんたちは、とてもフレンドリーで楽しい人たちでした。こういうのって、結構救い。

芋づる式記事になっていますが、ヴィテルボといえば、この町を初めて訪問した同行者のために、一応、ヴィテルボで最も有名な場所には行きました。

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教皇の館Palazzo Papaleと呼ばれる司教館。ゴシックバリバリのアーチの部分が、ヴィテルボの代名詞のようなアイコンとなっています。同行者が喜んでくれたので良かったです。

そして、前回この地域を旅した時の、チヴィタのような位置づけの、有名な温泉地にも立ち寄りました。

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バーニョ・ヴィニョーニBagno vignoni旧市街のど真ん中にあるかつての温泉。
昔々に見た映画の、大変幻想的な場面に使われていた場所で、長年あこがれていました。こんなに激しく観光地化していて、こんな風に町の真ん中にドカン!という風景は、ちょっと予想外だったので、びっくりしました。

実は、お昼ご飯を頂く場所を探して、ちょうどよい時間に通りかかったものですから、それなら、ということで立ち寄ったのですが、温泉、そして、周りは店が並んでいて、ピクニックするような場所ではないんですよね。でも、損もすれば得もするCovid期間というか…。
駐車場もすっごく広いし、かなりの観光地だと思われますので、普段なら外国人も多数訪れるでしょうし、温泉の写真をゆったり撮影することも難しいのではないかと想像するのですが、昼時でもあり、多くの人は、レストランやカフェに座っていて、温泉を、上の写真のように眺めることができるテラス状のスペースには、意外と人が少なかったんです。
いつもは許されないだろうけれど、なら、急いでピクニックしちゃおうか、と、温泉を眺めながら、おにぎりを頬張るといううれしい体験でした。

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パリパリの焼きのりも持参しています、笑。
タイトルにあるように、今回は炊飯器かついて行ってるんで、ほぼ毎朝、お昼用のおにぎりを握って、持参していました。8月中旬に、トスカーナやラツィオの田舎で、がさがさとおにぎりを食べていた二人連れは、私です!

最後の晩は、ミラノに戻る前の距離的なワンクッションで、ルッカで過ごしました。

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ルッカは、いつ行っても大好きな町の一つです。
ピサ様式のロマネスクがたくさんあることも大きな魅力ですが、同時に、町として本当にかわいらしいんですよね。チャーミングなお店が点在しているし、レストランも、適当な値段でおいしい気軽な店がたくさんあるし。
このルッカ周辺には、まだ行けていない教会もたくさんあるので、また、何度でも行ってしまう場所です、間違いなく。だから、がつがつせず、この時は夕暮れ散歩と、翌日の午前中、ぶらぶらと足の向くまま歩きました。

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住んでいる人も含めて、英語圏の外国人が多い町ですが、今回はほとんどイタリア語しか聞こえてこないので、改めてCovidを感じました。

これまでも、さんざん写真を撮っているし、また何度でも来ると思っているにもかかわらず、今回も、そうは言いながら、また大量撮影をしたと思うのですが、こういう、すでに莫大な、そして比較的最近の写真を持っている場所については、なくなって楽だったかも、と思ったりします、笑。そういう写真を見て、選んで、記事にするのって、すごく時間かかりますけれど、同行者のほとんど枚数のない写真だけだと、編集がすっごく楽なんです、爆笑。

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ルッカに立ち寄ってよかったとしみじみ思ったのは、翌日のミラノへの帰路で、予期せぬ出会いがあったからです。
忘備録、もう一つ、続きます。
あと、ごはん編も、別途記事にします。

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  1. 2020/09/30(水) 04:29:08|
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残念なこともありますな(コルトーナとヴィテルボ)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)14

トスカーナとラツィオには、多くのエトルリア遺跡がありますが、誰が行っても、ほぼ感動する遺跡と、すっごく想像力とか知識がないと感動しにくい遺跡と、玉石混交。
それは、残っているもののボリュームとかインパクトによるものが大きいとは思うのですが、加えて、見せ方とか、あとは見てもらいたいという熱意みたいなものも関係してくるのではないかと思います。
今回の旅では、これまでになく、エトルリアをフューチャーしたので、そういうことをより感じさせられました。

前回紹介したポプロニアは、遺跡の中でも有名な場所で、規模も大きく、その分人も集まりやすい場所でもありますが、実際は結構地味なんですよ、あるものは。
でも、ガイドツアーのガイドの中身が充実していて、わくわくと想像力が刺激されるので、実際に残っているものを見る以上の感動を味わうことができるんだと思うんですよね。これは、遺跡を見せたいという考古学者たちの熱意のたまもので、そういう風に遺跡を運営している母体の方向性が正しいと思うんです。

一方で、なんかちょっと違うよね、という遺跡もあるってことで、今回は、そういう意味で、もっと何かできるよね、と思った場所について書いてみたいと思います。

まずはコルトーナCortona。ここは、エトルリア、というよりは中世の町という観光イメージとしては強いのではないかと思います。中世というくくりでは、それなりに魅力的な町であろうと想像しつつ、ここもアレッツォ同様、私には縁のない町でした。いつかこうして、中世ではなくエトルリアを目指して、わざわざ訪ねる日がこようとは、という気持ちで訪ねました。

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MAEC(Museo dell'Academia Etrusca e della citta' di Cortona)-エトルリア学術博物館及びコルトーナ市博物館。
町の中心部にある立派な建物に入っていますが、運営は、なんというか旧態依然という様子でした。

エトルリアの遺跡は、ネクロポリは多いので、町として存続している場合でも、当然現在の町の郊外にあることとなります。それはもうどこでも同じ。というか、多くのエトルリア起源の町が、今でも存続している事実に、結構驚かされます。
で、ここコルトーナも同様で、郊外にネクロポリがあるため、どちらも見学したい人のための共通チケットを販売していました。
この博物館の見学だけなら10ユーロ、共通券は13ユーロだったので、迷わず共通券を買ったのですが、郊外にあるネクロポリの場所や内容を聞いても、明確に教えてもらえないんです。「そのフライヤーにあるでしょ、そこよ、そこ。内容はフライヤーに書いてあるから。」と、かなり面倒そうに言うだけ。ま、いいですけどね。

実際に、ここの見学の後ネクロポリに向かったら、フライヤーに乗っている地図も、サイトで確認した場所も、古くて、たどり着けませんでした。以前入り口であったらしい場所に、原始的な地図が掲げられていたので、それを頼りに移動する羽目になり、我々以外にも、うろうろしている観光客が数人いました。
なんだか、そういうところで、印象って簡単に悪くなります。

博物館だけで10ユーロ取るだけあって、内部はそれなりの展示を工夫していましたが、でも、他との釣り合いを考えても、正直10ユーロは高いな、と思います。

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おなじみのエトルリア。

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例によって、何でもかんでも遊び心満載で、楽しくなる品物ばかり。
さて、この博物館、目玉がありまして、これは確かに目玉でした。

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これ、わかりますか?
なんとね、エトルリアのシャンデリア。
紀元前4世紀のものって、もうそれだけでのけぞるんですけどね、シャンデリアってなんかすごいですよね。
かなり装飾的なんですよ。サイトからお借りした写真。

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博物館は、市の一般的博物館と一緒だから、エトルリアのものは一部。その一部の多くが、郊外にあるネクロポリの説明に割かれていましたが、見学しているときはそうとはわかっておらず…。なんかね、そういうこと、わかりやすい説明もないんで、そういうのも不満。

で、移動して、ネクロポリに向かって、前述した行方不明不具合に遭遇するわけでした。

MAEC Parco Archeologico - Localita' Sodo di Cortona

何とかたどり着いたネクロポリは、結構広い敷地で、小さいながらも非常に新しい様子の受付がありましたよ。中はクーラーもきいていて快適で、清潔なトイレもあり、これは助かりますが、受付の係員二人、ほとんどの人は共通チケットで来るから、お仕事ほとんどなし。ただおしゃべりしているだけにしか見えません。
そして、遺跡関連のフライヤーの一つもないので、これまた唖然です。

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ここのネクロポリは、三つくらい固まって発掘された墳墓だけです。古い時代の、盛り土系の墳墓で、上のは、一番大きなやつへのアクセス用の立派な階段。ほとんどは再建ですが、手すりのくるりんとした下に、ライオン君がいるんですよね。これは、結構は部分が残っていて、博物館に展示されていました。
神聖な場所に、ライオン君を設置。なんかさ、ロマネスクのスタイルだったりするんで、驚いちゃったよ。
スフィンクス的なものだったのかなぁ。
エトルリアは、結構同時期文明と交流はしていたらしいから。地中海世界って、面白いよねぇ。

規模は小さい遺跡だけど、中に入れるのは嬉しい。

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こういう盛り土系は、発想としてはピラミッドに近いのかな。あそこまで計算されているようには思えないんだけどね。墓によって、内部のあり方がすっごく違うし。円形の盛り土の中に、墓によって一つだったり、複数だったりのお部屋があって、それぞれに棺が並んでいるっていう構造です。

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ここは大きくて、入り口からまっすぐ突き当りがメインのお部屋で、左右に二つずつくらい並んでいたと思います。全部で5室とか、おそらく地域の有力家族のお墓だったのでしょう。
一室の壁には、文字が残されていました。

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この墓は、だれだれの墓ですって書いてあるそうです。

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Arnt MeanateとVelia Hapisnelという名前らしいですよ。なんかエキゾチックというのか、エトルリアの名前には、まだなじみがないのですが、ここ起源でラテン語化した名前とかもあるのかな。
そして、この程度は解読できているのに、まだ全部は解読できないっていうのも、不思議ですよねぇ。

この遺跡は、一角にまとまっているし、中に入って、ぐるりと回っておしまいですから、見学は15分くらいで終了。物足りない気がしました。ここも、考古学者がいて、ガイドしてくれた、おそらくかなり面白いはず。そういうのを企画するのも難しいとは思いますが、特にほぼやる気のなさそうな両受付を考えるとね。でも、13ユーロ取るなら、もうちょっと頑張ろうよ、と言いたい…。

でも、コルトーナは、まだ許せるんですよ。
今回かなり腹立たしかったのが、実はヴィテルボViterboの地下ツアー(10ユーロ)。

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Viterbo Sotteraneoヴィテルボの地下ツアーという形で、やたら宣伝しているんですが、こういう写真見ると、そそられちゃいますよね。
同行者が地下好きだし、これは、事前に予約して、かなり楽しみにしていました。
実は私、昔ヴィテルボに滞在した時、これを目にしたのですが、ツアー主催の店が、どうもうさん臭い感じがして、参加しなかったという経験があるんで、若干懐疑的だったのですが…。

18時に集合だったので、律儀な我々は、10分以上前に到着。
地下ツアーだから、あまり大人数は密になっていやだね、と言いながら待っていると、主催者らしい人が、親しげに話しかけてきて、日本人の団体を案内したこともあるし、ビデオをアップしてくれた人もいるよ、みたいな営業トーク。その間にも、店の前では、あからさまに客引きをしている人もいるんです。もはや私の中では疑惑で真っ黒という感じになりました。

その上、待てど暮らせど始まらず、どうやらガイドの人が遅れているらしい。結局18時20分に、ガイドを待たずに説明が始まったのですが、なんだかどうでもいい町の歴史とかそんな話で、エトルリアはどこに?という状況で、10分くらいたったころ、やっと大御所登場。
店の人達は、プロフェッサー(通常は高校とか大学の教師とか、実際に学位を持っている人への敬称)と呼んでいる白髪痩身のじいさんでした。火のついていない葉巻を持ち、遅れたことを詫びるでもなく、では移動しましょう、と地下への入り口に移動です。
私、すでに怒り気味です、笑。

途中の広場で、輪になって話を聞きますが、じいさんの声が小さいうえに、広場の噴水の音もあり、まったく聞こえず。ツアー参加者がたびたび聞こえないといっているのに、無視して同じ調子でしゃべるじいさん。

やっと地下へ降りることができました。
確かに、冒頭の写真のような場所も一部ありましたが、「地下を歩く」というイメージは見事に裏切られて、ただ、階段を下りて、そこに広がっているがらんとしたスペースの一角に、冒頭の写真のような場所があり、さらに、昔水道を通していた細い水路の跡があり、というだけのことで、移動、ほとんどなし。狭い水路などは、アクセスが二人しかできないので、20ほどの参加者が、順番に見るだけで、半時間経過、とかそういう状態です。
じいさんの説明に代わって、店にいた若者のガイドもあったのですが、彼の方がよほどわかりやすくてよかったのに、なぜかプロフェッサーが出しゃばってきて、うっとうしいことこの上なし。自分は岩のベンチに腰掛けて、自分の話したいことだけを話しています。私が、何か忘れちゃったけど質問したことにも、明確な答えはなし。おそらくわからなかったんだと思います。
でも、イタリア人て、意外と小心者かつ大人なんで、話が違う!と怒り出すような人はいません。正直、苦行でした。

最悪だったのは、実はさらにその先。
やっと地上に戻ったのですが、この地下への入り口になっているのは、すでに機能していない教会の建物で、今はマルタ騎士団の博物館になっていました。実はこのプロフェッサー、おそらく自分の専門は、そちらなんです!

いきなりマルタ騎士団の話が始まったんで、もう目が点でした。
中世は私の専門ですから、一応展示してある物を一通りは確認しました。でも、うさん臭いプロフェッサーの話を聞く気は全くありませんので、おそらく20分以上は我慢しましたが、もう無理だと思い、同行者にも了解を得て、プロフェッサーの話の腰を折って、悪いけれど、この後予定があるので、ここで失礼します、と申し出ました。教会の扉は閉まっているし、勝手に離脱できる雰囲気じゃなかったんですよ。
そしたら、彼、おお、ガイドはどうだったか、楽しめたか等々、すごく親身に聞いてきました。私も大人になって、大変良かった、ありがとう、と対応しましたが、心の中では多いっ切り、毒づいてました、笑。

で、無事に辞去したわけですが、なんと、他三組ほどの参加者が、私に続いて出てきたのには、笑いました。みんな、気が弱いなぁって、イタリア人の小心ぶり、再確認です。

とにかくすべてがうさん臭いツアーです。
主催の店の店頭には、オーディオガイドなら4ユーロとか堂々と書いてあるんですが、オーディオガイドはなくて、必ずプロフェッサーのガイドに誘導されることになっているみたいです。事前に予約とかうたっていますが、現地で、客引きするくらいですから、その場で何人でも追加しています。
サイト上では、すっごく評判が良いことになっています。まぁ、こういうことにほとんど造詣がないとか、知識がないとか、そういう人だったら、楽しめないことはないかもしれませんが、他とのバランスからいって、この内容で10ユーロはぼり過ぎ。とにかく私には時間の無駄以外の何物でもなかったです。
昔、うさん臭いと思ったのは、正しかったのですね。当時、ふと参加しようなんて思わなくてよかったです。一人だったら、ちょっとやりきれない腹立たしさでしたから。

ということで、色々思うところのある二か所でした。

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  1. 2020/09/26(土) 18:46:49|
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ローマに負けた夢の跡…(ポプロニア、エトルリア遺跡)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)13

バラッティ・エ・ポプロニア考古学公園Parco Archeologico di Baratti e Populoniaの続きです。

なんと、あきれることに、ネクロポリでの見学記事について、重大な忘れ物が…。ネクロポリでは、ガイド・ツアー、二か所で参加したのに、二番目の場所をすっぽりと忘れていました、あきれます。
前回の記事に、その部分、加筆修正していますので、よろしかったら見てくださいね。正直、そっちのツアーの方が面白かったんですよ。

なんか、自分で撮った写真がないと、どうもしっくりとしないし、こういう抜けが激しい気がします。見学した場所は、教会でも遺跡でも、やたらめったら撮影しますから、撮り過ぎじゃないかと反省することもあるんですが、撮りすぎなりに、撮影の度に、残るものがあるのかの知れません。本当は、自分の目でしっかり見て、それでちゃんと残ればいいのですけれど、そこまでの視覚と記憶力直結能力がないので、写真で補っている感じっていうんでしょうか。

さて、そういうわけで、前回は、ネクロポリの見学でしたが、今回はアクロポリ、つまりネクロポリと同時期にあった生きている人たちの町の跡の方です。

前回地図をアップしましたが、こちらは、今も存続するポプロニアの村に隣接する場所にあります。現在のポプロニアの町は、中世時期からのもので、お城があって面影もありますが、ほぼお城のみ、という小さな村。夏以外は、人もほとんどいないのではないかと想像します。
でも、遺跡は、今の村よりはずっと広大な土地を占めています。といっても、今見られる遺跡は、エトルリアの跡を活用した、紀元前2世紀ごろの、ローマの遺跡なんです。

etruria romanica 075

夢の跡的な、遺跡特有の空間です。
神殿跡が三つあるんですが、これはもう本職の考古学者レベルの想像力がないと、感動するのは難しいものでした。

幸いこちらも、考古学者のガイド付きツアーとなりますが、ネクロポリ同様、面白い内容でした。残っているものはほとんどないし、いまだ発掘中の遺跡もあるような半端な状態ですが、遺跡の中でうかがう歴史絵巻的なお話というのは、本で読む話よりもずっと楽しく受け取れる気がします。

エトルリアは、中世の都市国家のように、各町が主張に率いられる独立国家のような仕組みになっていたようです。で、ローマが台頭してきた際も、町それぞれが対ローマ政策を独自路線で進め、戦争で滅ぼされた町もあれば、相互条約を結んで、ある程度生き延びた町もあったということなんです。

そういうこと考えると、限りなく中央集権的だったローマ帝国というのが、ある意味歴史の中では異端的だったような気もしますね。

で、このポプロニアは、当初は条約を結んで親和路線を取ったのですが、ローマが激しい税金をかけてくるなどの政策を取ることにより、衰退が進む中、ローマ内での政争で、最終的に負けてしまう側についてしまったがために、勝ち組に徹底的に滅ぼされるという結果に終わったのだそうです。
時代の最後というのは寂しいものに決まっていますが、帝国主義的なローマが相手だけに、どうしようもない流れでしょうし、なんかむかつくな、笑。

そういうわけで、遺跡の上の方は、当然すべてローマの遺跡となるわけなんですが、エトルリアのものも、掘れば多少は出てくるのでしょうが、建物などの大物は、なかなか難しいのでしょう。

etruria romanica 076

これも、紀元前2世紀だから、時代はもうローマ、という頃のもの。
でも、まだエトルリアの人たちがいたんですよね、おそらく。

見学した際には、ローマの浴場跡が発掘中でした。
素敵なモザイクがいくつか出てきたようです。規模は小さいけれど、高台にあって、気持ちのよさそうなお風呂でした。

etruria romanica 077

あと数年したら、結構美しい建物となって、遺跡の目玉となっているかもしれません。でも、ローマだからな。
いずれにしても、まさに夢の跡。最近は、ローマの遺跡に行くこともなくなってしまいましたが、遺跡って、やはりロマンがあります。そして石の文化って、2千年でも、とにかく何等か形が残っているから、想像しやすいものというのはあって、たまには行くもんだと思います。

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  1. 2020/09/23(水) 05:16:58|
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