2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その26(最終回)
この時の旅の最後は、最近定番の散歩道を、急ぎ足でたどるというせわしないことになってしまいました。
前回記事の後の行程は、まず、サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会。
教会のある一帯が、大の付く絶賛工事中で、その上に教会はクローズでした。
どうやら、ローマ三本目の地下鉄であるC線というのを作っているようですね。あれから丸四年たちますが、どうなっていることでしょう。
ミラノですら、地下鉄の工事は超難航します。日本は、東京などの大都市でも、工事始めたら結構あっという間の感じで完成してしまうので、一時帰国中、めったに都心に出向かない身としては、例えば大江戸線とか、いまだに未知の領域となっています。そもそも、こっちがほとんど気付かないうちに、東京の地下をぐるりと回るような地下鉄ができてしまうって、すごすぎます。
ミラノでも、例えば我が家は、ミラノで最も新しい地下鉄5番線が最寄で、家を買うときには、いや、その数年前からこの一帯あちこちで大規模な工事をしていたわけですが、稼働したのは、住みだして数年が過ぎてからで、それも、一気に全線開通ではなかったはずです。実際の工事だけで、10年じゃ聞かないくらいの時間がかかっていたのではないでしょうか。
ローマの場合は、その上に、どこを掘っても、何か遺跡関係が出てきてしまいますから、その困難は想像以上と思われます。
また脱線しました、笑。
工事中のため、教会は18時からのみオープン、とありました。2020年12月までは、そういうことになっていたので、今は普通に戻っていると思います。
この教会、後陣や勝利のアーチに、とっても素敵なモザイクがあるんですが、まぁ以前しっかり見ていますので、残念ですが、仕方ないですね。
そこからすぐ近く、本当に散歩道的な感覚に、好きな教会があります。
サント・ステファノ・ロトンド教会Basilia di Santo Stefano Rotondoです。
全然教会っぽくもないし、名前についているロトンドは円形を表す言葉ですが、こうしてみると、全然円形の様子も分からないですよね。
せっかくなので、グーグルさんからお借りして、鳥観図を。
丸いですよね。
創建は5世紀と、ローマの教会の中でも最も古いものの一つ。
で、円形ですけれど、バジリカというだけあって、でかいです。円が三連になっている感じです。
なんの因果か、訪ねたとき、この内部も工事中で、半分以上アクセスできなかったんですよね。工事資材とか積んであって、残念なことでした。
ただ、内部はもともと、かなり新しい感じになっていて、5世紀の姿は構造に残るものの、という印象ではあるんです。この時も床面とか引っ剥がしていたと思うんですが、さらにピカピカになっちゃうんだとしたら、なんだかなぁ。
それにしても、円形の構造物は、写真に収めるのが、とても難しいです。
幸い、私が再会したかった方々には、工事にかかわらず、お会いすることができました。
向かって左にプリモさん、右にフェリチアーノさんがおられます。どちらももちろん聖人で、642年から649年の期間に、ローマ郊外の墓地に葬られていたこのお二方の遺骸が、持ち込まれたて祭られたそうです。その際に、この場所に、チャペルが作られて、ビザンチン風のモザイクが施されたそうなんです。
天上の楽園に咲き乱れる赤い花、そして、宝石がちりばめられた十字架、どれをとってもビザンチン・テイスト満載で、黄金の背景も含めて、好みのモザイクです。最もビザンチン風なのは、両聖人のお顔かもしれません。
濃いですよね、フェリチアーノさん。
そしてプリモさんもまた、なんかある程度お年を召して、さらに色気プンプンのショーン・コネリータイプっていうか、または若ハゲが意外な色気になっているというか、笑。
これらのモザイクは、確かにレリックを持ってきたからの記念に作られたのでしょうけれど、これだけのモザイク職人さんがいたのだから、そして、これだけ広い教会なんだし、もしかしたら、これ以外にもモザイクがあったのではないかなぁ、とも思えるんですが、今は他には痕跡すらなさそうで、壁装飾は、新しい時代の絵画とかにとってかわられてしまっています。
毎回、必ずしも完全な形で見学できるわけではないので、やはりローマは、いつ行っても、何かしら発見があるのだと思います。この時の短い旅だけでも、修復中とかが複数あったわけで、漏れなく次回のお楽しみになるわけですから。
最後に、まぁ、わざわざではなく、ほぼ通り道なので、立ち寄ったのは、こちら。
サン・クレメンテ教会Basilica di San Clementeです。
以前訪ねたとき、クリプタの一部のフレスコ画が修復中で、それが一番見たかったやつだったんで、もうさすがに終わっているだろうし、と期待して訪ねました。でもここって、上も下も、撮影厳禁なんですよねぇ。実は、こっそり、もう解禁になったのでは、という期待もあったんですよね。
しかし相変わらず厳禁。それも、見学者がかなり多くて、いつもにぎわっているので、隠し撮りも無理なんですよね。写真が撮れないと、結構悔しいので、一瞬ためらいましたが、というのも、クリプトは有料は、なんと10ユーロもするんです。
せこいですね。客観的に判断して、10ユーロは決して高いとは言えないんです。クリプタといっても、ここは、地下遺跡の体をなしているスペースで、ちょっと探検的な面白さも楽しめるし、フレスコ画もなかなかのものですし。でも、常に見学者が多くて、すごくアトラクション的な位置付けっていうんですかね。言ってみたら、人気のカタコンベに近いような、そういう施設になっている感じ。
だから、人の少ない場所に慣れている中世ファンにとっては、居心地が悪いし、やっぱり高いだろう、となってしまうんですね、多分。自分の心理を探ってみました、笑。
ちなみに、上物本堂の後陣、素敵な黄金モザイクがあるんですが、ここもまた修復中で、そのモザイクは、布で覆われていましたとさ。この年は、予算があっちでもこっちでも潤沢に降りてきたんですかね、バチカンから?
旅はここでおしまいです。
この後も、バスか何かに乗ろうと思いつつ、結局歩いてホテルに戻り、荷物を引き取って、列車に乗り込みました。
とにかくよく歩きました。当時は、今ほど日常的には歩いていませんでしたが、運動代わりのウォーキングを始めたころかもしれず、ミラノで、公園を目指すより、ローマの教会巡りは、ずっとずっと楽しくて、一石二鳥だな、という気持ちで歩いていたと思います。疲れはするのですが、多くの場合、バスなどに乗るよりは効率がよかったりするのも確かで。
というわけで、ローマ終了。お付き合いありがとうございました。
さて、次回はどちらにいきましょうかね?
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2021/10/07(木) 21:51:37 |
ローマの中世
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2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その26
昔々、イタリアに来た当初は、ご多分に漏れず、ローマといえば帝国であり遺跡であったのは右に同じ、というところだったわけですが、そのころは、遺跡とか、いわゆる一般的な観光地を回るような散歩道を持っていたんです。ローマに行けば、大体その散歩道に沿って、ぶらぶらする、みたいな感じで。
中世を求めてローマに行くようになってからは、散歩道、というより今では修行道といった方が近い気がしますが、常々歩く道がずいぶんとかわりました。
そのうちの一つが、この辺りになります。
左端の上の方にあるのが、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会で、そこからかなり鋭角に右下に下がった橋の向かいが、アヴェンティーノの丘となります。結婚式ラッシュの教会群が並ぶところですね。
そして、すぐ右、テヴェレ川の中州が、テベリーナ島。
この時の旅、12月でしたが、12月でこの青空。このところ曇天の続くミラノにいると、思わずうっとりです。冬の日差しにきらきらするローマもまた良いですねぇ。
この島、とても小さいけれど、ちゃんと建物が立ち並んでいて、そういえば、有名な産院などもあるはず。ローマっこの友人と散歩した時、彼女はそこで生まれたと言っていた気がします。グーグルで確認したら、今も健在でした。
で、ロマネスク的に見逃せない教会もあるんです。
サン・バルトロメオ・アッリソラ教会Basilica si San Bartolomeo all’Isolaです。見た目は、例によってなんですが、そして唯一中世の遺構となっている鐘楼は引っ込んでいるし近寄れないなんですが、ここ、中に素敵な彫り物があるのですよ。必見。なので、ファサードに騙されず、絶対に入場して、ためらわずにずいずい後陣まで行ってくださいね。
と言いつつ、この時は時間の制約もあり、私は泣く泣く端折りました。時間に加えて、体力も結構きつくなっていて、橋から続くメインの道から、この小さな広場を横切って教会に入り、後陣まで行って、同じルートを戻る、というのが、とてつもなくきつい気がしちゃって。
ローマは、ミラノに比べると圧倒的に大きいですけれど、中心部は、意外と近いんですよ、どこも。教会も結構密集しているので、歩くのが一番効率よかったりするんです。でも、密集している地域ごとの間は、なるべく交通機関で移動していかないと、体力やられるんですよね、知らないうちに。
この時は、旅の終わりも近くて、ちょっとランナーズハイみたいな変なものが出ていたのもありつつ、体力すでに限界みたいな、あまり考える余裕もなく、ただ目的を目指して歩いていた感じですかね。
テヴェレ川に沿って南下して、そのまま行くと、真実の口に戻っちゃうよ、というあたりの右手、古そうな建物の残骸が。残骸って失礼ね、遺構が。
クレシェンツィ邸Casa dei Crescenziです。
どうやら、中世に遡るお家のようです。この界隈は何度もかすっていますが、ついテヴェレ川沿いの道とか、または、この邸宅前の広い車道の反対側を通ったりしていたのかと思います。このお隣に神殿が立っていたり、その先は真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディンですから、どうしても、そっちに目が行ってしまっていたのかと思います。
12世紀の塔をベースにして建てられたお家だそうです。2階建て、日本でいうところの3階建てですが、今は地上階とその上の一部が残っているのみ。
12世紀に建てられたといっても、多くの装飾的なディテールは、ローマ時代などの他の建物からの転用だったりするらしく、上のなども、ビザンチン時代のものとされているようです。
この、レンガの遊びのような柱頭とか、のこぎり文様でもなく、なんか花弁を無作為に突っ込んで並べました、みたいなフリーズとか、ある意味洗練されていないけど独創的な装飾は、面白いと思います。
さらに驚くことに、いや、イタリアでは普通なことだったりするわけですが、この建物、建築史研究所Centro di Studi per la Storia dell’Architetturaという施設になっているようで、現役です。
建築史を形作る一端となっている建物の中で建築史を研究するって、なんかすごいな~。
それにしても、ここの写真でも気付きました。トップにあげたのは、グーグルさんからお借りした全体写真。ディテールは撮影していましたが、全体像撮影してなかった。ここも、全体を撮影できるまで、離れることがいやだったんだと思います。どんだけ体力削られていたんだろうか、と苦笑いです。
それなら、交通機関使えばいいのに、もう思考能力ゼロで、ただ、いつもの散歩道を行くことしか考えてません、笑。
せっせと歩いて、ここまで来た。ここも、中世を探すようになってから知った場所。
クリヴォ・ディ・スカウロClivo di Scauro。
かっこいいですよね。今ならさしずめ、映えスポット、というところかな、笑。
この道、ローマ起源でとっても古いもので、ローマ時代には、すでにこのレンガのアーチがあったらしいです。
ローマの建築技術って、ほんとすごいよね、感心します。
このアーチの連なりは、なんだかゾクゾクする。
算数できないんで、ほんと分からないんだけどね、アーチ構造発見した人ってすごいよね。理論聞けば、ふーんって思うけど、それでもやっぱり、なんで崩れないの?としか思えないもんな~。
ここは、ローマのお家があって、今はCase Romane del Celioという博物館になっています。起源2世紀から4世紀の終わりまで、住居として使われていたもので、今はほとんどの部分が発掘されていて、立派な博物館のようです。入場料は8ユーロだったかな。先述と同じ理由で、入りませんでしたけど、笑。
写真で見ると、保存状態というか州風状態もよさそうなフレスコ画が結構残されているようで、構造的にもなかなか面白そうなドムスとなっていますね。12世紀のフレスコ画も一つでかめのがあるようだし、今後のいつか、是非訪ねてみたいと思います。
ローマは、中世に関しても、情報量が圧倒的に多いんですよね。腐ってもローマみたいなところがあって、ちょっとどうよ、と思うこともしばしば…。
この、ローマのお家の上に、今はどかん!と教会が建っております。
サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会Basilica di Santi Giovanni e Paoloです。
あら、今気付いたけど、ジョバンニとパオロって珍しくないですか。
1992年、マフィアに、立て続けに殺されたシチリアの判事二人のお名前ですね。お二人仲良しで、お二人そろってマフィアに恨まれており、すごい殺され方をしました。もうイタリアに住んでおりましたから、本当にショッキングな事件でした。考えたら、あれでマフィアは終わったというか、あの事件がきっけかとなって、一般市民の多くが立ち上がったんですよね。
それにしても、ジョヴァンニとパオロって。これまで考えたこともなかったけれど、お二人が、同時期にパレルモの同じ地域で生まれ育って、同じ職業について…という人生を考えると、兄弟聖人が彼の地に舞い降りたのか、とか思ってしまいました。お二人のことは、映画にもなっていますので、ご興味がある方は、是非見てみてください。
また得意の脱線…。笑。
教会は4世紀終わりの創建。伝説では、聖人兄弟の住まいがあったところとされています(遺骸もここに埋葬されているようです)。起源が古いとそうなりがちではありますが、それにしても特についてない教会って感じの歴史で、まずは、410年アラリックのローマ略奪の際、破壊され、さらに442年の地震で打撃を受け、のちに1084年ノルマン人により略奪。次々と壊されて行って、きっと教会としては廃墟化していったのかもね。
12世紀になって、往時の法王パスクワーレ1世が、修復作業を指示し、その際にこの鐘楼及び、それまでにあったナルテックスに代わって、このポルティコが付けられたということです。重要な聖人が祭られているわけだから、崩壊はさえたくないよねー。
その後も多くの手が入りますけれど、時として、昔の姿を取り戻す修復なども行われた結果、今の外観となっているようです。全体に新しい感も漂うのですが、レンガ造りって、古くなっても結構そう見えなかったりするから、そういうこともあるのかと思います。
でも、内部はもうすごいことになっていて、ローマが大好きなバロックキラキラで、これはもう戻しようもなかったんだろうな。
シャンデリアなんかもどかどか付けられちゃっていますね。このシャンデリアこれでもか状態って、ローマの他の教会(アラチェリが一番印象深い)でも見ましたが、なんでしょうね?
この教会、サイトがありましたが、このシャンデリアを点灯して、キラキラな内装が自慢、みたいな様子で、「結婚式どうでっしゃろ?やりまへんか?(なぜか関西弁風)」と強く勧めておりました。そういうことなんですかね。教会も冠婚葬祭は、商売の基本ですからね。
4世紀と起源も古いし、この立派さですから、もしかしたら、後陣とか、勝利のアーチに、素敵なモザイクがあったとしても不思議ではないですね。まぁ、地震でも崩落した可能性がありますけれど。
中世の遺構は、建物構造以外には、扉脇のこいつらくらいかな。
入場者をチェックするというより、獲物をガシガシ食べるのを中断して、なんか呼んだ?みたいなホンワカムードの方、笑。
こっちの方は、たてがみがすごい。
意識飛びつつ、修行ロード(散歩道からロードへ、笑)、続きます。
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2021/10/03(日) 12:04:15 |
ローマの中世
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2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その25
なんだかんだ寄り道しながら、やっとトラステヴェレまで来て、さぁ、もううろうろせずに、ランチに突撃!と思っていたんですが、ふと通りすぎた広場の教会が、昼休みの時間だというのに、どう見ても開いている…。
要はその教会、昼休みなく、一日中開いている教会だったんですけれども、常日頃訪ねることができるわけじゃない私としては、なんかお昼の時間に開いている、というだけで、立ち寄らないわけにはいかない気持ちになるわけです。
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会堂Basilica di Santa Maria in Trastevereです(毎日7時半-21時)。
上のギラギラな様子を見たら、なんで、こんなところにこだわると?と思われそうですが、こちらもまた、中世の遺構が素晴らしいんですよね。
中世美術に求める内容によるのかもしれませんが、私のようにモザイクが好きな方には、垂涎ものの後陣黄金モザイクです。なんせ。、サンタ・マリアですから、その素晴らしいモザイクで、マリアの人生が、素晴らしいモザイクで描かれているわけです。
チボリオや暗闇に邪魔されるとは思いますが、ここのモザイクもまた、実に素晴らしいんですよね。モザイク好きには、強力にお勧めしたい教会です。
モザイクは、いわずもがなビザンチン起源ではありますが、そして、イタリアに残されているモザイクは、もちろんビザンチンなんですけどね、ほんと、意外にもよく残っているんです。
何度か書いているとは思いますけれど、なんていうか、本来的なビザンチンの土地よりも、イタリアでの方が、モザイクは楽しめるかも的なところはあるのではないかと思っていて、その筆頭がラベンナですが、ローマについても、なかなかこれは充実しているんですよね。少なくとも、モザイクの数的には、ビザンチンで世界遺産になっているギリシャのテッサロニキよりも、こちらの方がありますよ、というレベルなんです。
この後、いや、すぐ後かはわかりませんが、テッサロニキの中世も紹介するんですが、モザイクに関しては、思ったよりも残っていなくて、腐っても何とかっていうのかな、帝国の名残は、やはりイタリアにあったというのか、お金のあるところに美術品は残りますからね~。
この教会は、そういう時代の素晴らしい装飾が見られるわけです。そして、初期キリスト教的な、威風堂々の様子もね、なかなか。
人の姿があると、柱一本の壮大さもわかるところありますよね。
柱もすごいな、細かい装飾もすごいな、初期キリスト教だな、とか思いながらも、また後陣モザイクを見て、ああ、すごいな、ビザンチンは、とか、もうね、永遠の都の毒気にあてられ、ふらふらよろよろしながら。
あ、そうだった、ランチ食べないと元気でないし、とアワアワ本堂を出れば出たで、またナルテックス部分にはめ込まれている古代や中世の彫り物に目を奪われて、さらなるラビリントへ迷い込むわたくし。
トラステヴェレの広場に面して建ち、中世なんて関係ないってな顔。ツンデレってやつですかね?そんな風情でたたずむ教会ではありますが、とんでもなく魅力的なお宝満載。というわけで、ここに来たら、とりあえずはいらずに通り過ぎる、ということはあり得ないわけで、さらにランチに後れを取っております。
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2021/09/27(月) 20:49:34 |
ローマの中世
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2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その24
ローマって、犬も歩けば遺跡&教会にあたる状態の町なんですよね。こんな面倒なところが、よくぞ途中で放棄されずに、現代まで続いてきたなって感心します。
石造遺跡は壊すのも大変だし、いっそちょっとずれたとこに新市街作ってこうよ、となっても不思議はなかったと思うんですが…。
考えると、イタリアは、そうやって、古い町の中心を動かすことなく、現代の町になっているケースが多いです。旧市街が山の上とか特殊な状況であれば、ふもとに新市街ができるケースはありますが、そうでない場合は、中心部から離れる形、つまり郊外に広がりこそすれ、町の中心はあくまで古い町の中心と一致しています。
それが例えばスペインだと、結構旧市街と新市街が分割して発展したりしているケースが多いように思うんです。
旧市街は旧市街で残っているけれど、新市街は独立して発展して、普段の生活の中心になっているような感じっていうんでしょうか。バルセロナとか想起すると、旧市街はほとんどツーリストの町で、住人のほとんどは新市街で生活しているイメージ。
あ、いきなり脱線しています。
何が言いたかったかというと、笑、アヴェンティーノの丘を下りて、本来はランチのためにトラステヴェレに向かうつもりだったわけですが、まずサンタ・マリア・イン・コスメディンにつかまり、そしてここまで来て、ふと目を上げると、また見えちゃうわけですよ。
遺跡と教会のセットですなぁ。
わたしの目的、というか、ついふらふらと脚を向けてしまう先は、後ろにある鐘楼の方です。なんせ徒歩で5分もかからない距離ですからね。別に寄り道する理由はなくとも、やはりつい寄りたくなっちゃうわけです。
サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会San Giorgio in Valabroです。
そういえば、前に来たときは、結婚式で入れなかったように思い出し、今は亡きホームページの内容を探してみました。せっかくなので、そのまま掲載します。
「4世紀のジャーノ門の向こう側に見える鐘楼が、この教会です。12世紀ごろ建てられた美しい五層の塔で、このジャーノ門と、時代を超えてマッチしています。
Velabroとは、沼を表すエトルリア起源の言葉なので、沼地に建つサン・ジョルジョ教会ということになります。昔はこのあたりまで、テヴェレ川の水辺になっていたのでしょうか。氾濫も度重なり起こり、そのために、床が何度が持ち上げられたと言うことです。
オリジナルは、5世紀ごろに遡りますが、数世紀にわたって、度重なる改築修復が
なされてきましたが、20世紀にはいってからの修復で、近現代になされた無駄な付け足しなどがすべて取り払われて、中世およびオリジナルに戻されたようです。
内部には、7世紀ごろの壁、シンプルな円柱、フレスコ画、また、12世紀の祭壇、13世紀の後陣半球部分のフレスコ画(当初ジョット作と感がられていたものですが、今ではカヴァッリーニ作とされているもの)などがあり、長い歴史を物語るものとなっているようですが、残念ながら、訪問時は結婚式の真っ最中で、入り口に近寄ることすらできませんでした。」
やはり、入れていませんでした。あ、でも、その後にローマ行ったときに、無事入っていて、結構細かく撮影しています。左の項目から2014年5月にアップしたものを選択してくださると、過去記事が出てきます。2014年のイースターに旅をして、なんと当時は、それを翌月アップできていたのですね。我ながらめちゃくちゃ感心しました…。
それにしても、ブログ初期はきちんと調べたことを、きちんとホームページにしていて、えらかったな、オレ、と感心しました。他の教会についても、なるほど、とうなずいてしまうためになる文がつづられていて、全部ブログに掲載しなおしたらよかった、と後悔しました…。その方が簡単だったし、笑。
ブログは、見たいものだけをピックアップするのが面倒なので、本当はホームページに再チャレンジしたいんですけどね~。
というわけで、外はおいといて、さっそく内部に突撃です。
古そうな様子は分かりますが、上塗りとかすごくて、面白さの薄い状態になっていますね。
とりあえず、有名なカヴァッリーニのフレスコ画を。
ジョットとかシモーネ・マルティ二はギリ、いいなと思うこともあるんですが、もうこの時代くらいからは、基本的に苦手なテイストになってきますので、適当に見ておしまいです、
それよりは、こういうコズマ―ティのキラキラが美しい祭壇とか。
これは、サン・ジョルジョのレリックが収められているようです。
それから、こんな彫り物の破片の方に、つい魅力を感じてしまいます。病気ですよね。
よく見ると、こんなかわいい彫り物が。
でも、なんか製作中、という感じの出来ですけど、これはちゃんと完成形なんでしょうねぇ。受胎告知に見えますが、違いますよね。
破片過ぎて、どこにどう置かれていたのか見当もつきませんが、それにしても、教会の長い歴史を感じさせる石の数々です。
こんな姿もありました。一旦埋めてしまったけれど、あとからまた掘り出したんでしょうね。それにしても当時の工事の大胆なこと。柱ごと他のマテリアルで覆ってしまって、バロックギラギラにするなど、あちこちでやられていますけれど、ある意味、そういう手抜き工事っていうか、わざわざ破壊しなかったおかげで、リカバーできた遺構も多くあるのは、有難いというのかなんというのか…。
過去記事も無事発見したことだし、詳細は上と、2014年のブログ記事もご参照ください。おお、なんという手抜き記事…。
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2021/09/26(日) 12:24:10 |
ローマの中世
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2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その23
アヴェンティーノAventinoの丘を、斜面に作られた遊歩道で一気に降りて、テヴェレ川のほとりに出ます。昼時でもあったので、川向うのトラステヴェレでランチをしようと思ったのですが、ここに来たなら、やはりあそこは寄りたいな、とテヴェレを渡る前に寄り道。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会Chiesa di Santa Maria in Cosmedinです。この特徴的な優美な鐘楼が目印。
あ、多くの方にとっては、真実の口の方が有名だと思います。ナルテックスに、あの真実の口がある教会です。
ローマを訪れる旅行者のほとんどは、ローマ遺跡とか、ローマの休日ツアーで、教会は、観光スケジュールに組み込まれているから来る程度のことだと思うので、別にいいんですけども、この教会はおそらくその最たる例というか、目の前まで来ても、教会に入る人はほとんどいないという。
あ、それでも、真実の口まで来る人の数が半端ないから、そうはいっても、他の教会に比べると、いつでも人がいるのは確かですね。ブックショップもにぎわっています。
中世的には、とても良い教会なので、真実の口のついでに入るような人には、正直入ってきてほしくないと感じてしまいます。うるさいし、良い写真も撮れなくなっちゃうし、明らかに何にも興味ない人が多いし。
とはいえ、もしかすると、昔の私がそうだったように、ここにきて、「教会なんて辛気臭いし、観光的ルーティンとして来ただけだけど、あれ?ここは何か好きな気がする」、とか思う人が、いる可能性もあるし、そうやって中世ファンが増えるかもしれない、と思うと、来るな、とも言えないというか。
いや、どういう立場の発言か不明ですが、笑、とにかく、教会に来ようと思ってきたわけじゃない訪問者が多いということが言いたかったのです。
スコラ・カントラムがかなり本堂にせり出している古いタイプの教会で、随所に古い構造の遺構がいられて、なかなか見所が多い教会です。
で、これはちょっと記憶になかったんですが、クリプタがあったのですね。勘違いかもしれないので、念のため2009年のローマの写真を確認したところ、やはり写真はありませんでしたので、当時はアクセスできなかったんだと思います。
やはり、訪ねるもんですよね。もうけた気分になりました、笑。
アドリアーノのクリプタCripta di Adriano
暗いし狭いし、見学者が次々と来るし、撮影には向かない場所でした。古いのだけが取り柄的な状態でもありましたしね。その上、係員がいたので、ちょっと尋ねたいのですが、と声を掛けたら、「うるさい」と言わんばかりの態度で、すべて説明版に書いてあるからそれを読め、と邪険な対応でした。うーん、さすがローマ。黙ってても観光客来るから、ダメですねぇ。
そういえば、いつだったか、姉と旅行した時にも、トレヴィの泉とかに近いかなりの街中で、こういうクリプタに遭遇したことがありました。そのかなり前に、おそらく2009年の旅の時でしょうかね、博物館で見たフレスコ画が本来あったという教会だったと思います。ここだったんだ、と感動したことを覚えています。
こういう、現場の担当者の態度は旧態依然感が強いとはいえ、ローマ市としては、地道に発掘して地道に開放して、ということを連綿と続けているのだろうなぁ、と思うと、それはやはり大変なことだし、こうやって見せていただけることに関しては、感謝以外ありません。
それにしても、古い都というのは大変なものですね。二千年だっても、まだ色々出てきちゃうわけで。ここを掘れば絶対に何かが出てくるけれど、色々な都合で発掘できない場所も、きっといっぱいあるはずで。ローマって、やはり魅力的だなぁ。
さて、このクリプタ、法王アドリアーノI世(772-795)の時代に作られたもので、凝灰岩の岩盤をくりぬいて作られた、いわゆる洞窟教会みたいなものだったようです。良い写真がないのですが、その凝灰岩Tufoの岩肌が、いくつかの部分で今でも確認することができるようです。
この凝灰岩は、昨年回ったラツィオ一帯に多くあり、非常に丈夫なので、その岩盤の上に立つ多くの町村では、くりぬいた地下都市を作った過去があったことを勉強しました。ローマでも、そうだったとは知りませんでした。
クリプタは小さな教会の体をなしており、再利用の6本の小円柱が、左右に三本ずつ並べられて区切られた三身廊となっています。円柱には、基部がなく床に直接、かなり深く刺さっている構造ということです。上部に置かれた柱頭は、トラバーチンという石灰質の石だそうです。トラバーチンとは、ローマ郊外のティボリ、この夏に訪ねましたが、ティボリ産の石灰石というのが名前の由来だそうで、ということは、あのあたりに石切り場があるのでしょうね。
クリプタの最深部には、ローマ時代の石柱を再利用した祭壇が置かれた後陣となっており、ここにはサンタ・チリッラSanta Cirillaのレリックが収められているそうです。チリッラさんは殉教聖人みたいですが、彼女以外にも、多くの殉教者のレリックが収められていたようです。というか、どうやらそのために作られた構造らしいです。
壁の、こういうニッチ構造が、それだったのかも。よくわからないけども。
クリプタは長年放置されていましたが、1717年にふたたび開けられ、その際、今使われている内陣向かって左側のアクセスが作られました。伝説によれば、クリプタの後陣後ろに秘密のトンネルがあり、それがアッピア街道にあるカタコンベのある古い教会にまで通じていたということ。ううん、そういうのはロマン。
ローマの地下には水道も流れているはずだし、地下通路、あっても不思議じゃないですよね。他の町村の状況からいっても、実はかなり広い範囲で地下都市があるのではないでしょうか。
では、本堂に戻り、古い構造との再会。
新しい壁に覆われて、古いものがチラ見えしてます。
これね、ファサードの裏側なんで、実際どういう風になっていたものか、ちょっと想像つかないんですが、すっごく素敵なもの。
でも実は、後陣にある開口部もおそろいの装飾。
ということは、ファサード側にも開口部があって、あそこからうっすらと日が差すような構造?ファサードに開口部あることあるけど、こういう装飾っていうのは珍しいですよね。
古色蒼然とした雰囲気の後陣フレスコ画。もともとこういう感じだったかもしれないけど、今ある絵はかなり新しい感じです。
脇の後陣もね、こういうの。とにかく開口部装飾押し!
そして、全体の古び感が、とても落ち着く。
大好きな、ファサード扉周りの浮彫にも再会してきましたが、写真はなし。前回、馬鹿みたいに撮影したし、真実の口の順番待ちで、いつも大混雑なんで、この時はうんざりしちゃったんだよね。
でも、クリプタ見られたし、ラッキーでした。
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2021/09/25(土) 16:49:51 |
ローマの中世
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