秋のリグリアその5
中世を求めてジェノヴァ旧市街を歩き回ったのは、もう二年も前になります。そのときは、関連教会をピンポイントで訪ねるのに精一杯で、町を見る余裕は一切なし。また、時間切れで訪ねることのかなわなかった場所、クローズやミサの最中で内部をみることがかなわなかった教会がいくつかありました。 今回、旅の最後に、ミラノに戻る列車はジェノヴァ乗換えだったことから、ジェノヴァ中央駅プリンチペ駅近くにある、前回見逃した教会を訪ねることができました。 駅前。ほぼ夕暮れとなり、美しい空色、時折ぱらつく雨のために明かりがにじんで、なんだか哀愁の港町って言う雰囲気でした。
ジェノヴァの駅は、もうずいぶんと長い間あちこち工事中(多分地下鉄のため)で、出口がよくわからず、上の中央口ではなく、横っちょから出る羽目になりました。そしたら、道なりに建っているビルの隙間から、絶対あれだな、と思わされるロマネスクの鐘楼の上部が、ちらりと見えました。
それにしても、この道なりに奥行きのないビルは、すごいですね。まるで張りぼてのような…。 塔に直接アクセスしたいのですが、道が分からず、結局中央口の方に出て、地図を片手に目指すのですが、そこは超方向音痴の私のこと、右に曲がらなければいけないのは分かるのですが、どこをどう曲がったらいいのか分かりません。 適当なところで右に折れたら、かなり急な階段を降りることとなりました。ジェノヴァはアップダウンの激しい土地なので、道を間違えると結構辛いことになり、方向音痴には辛い町です。 降りたところはこじんまりとした広場になっていて、中央には昔の、多分洗濯場跡?
水場にも鋳鉄の装飾状の支えがつけられいるし、水道らしいし、そんなに古いものではないと思いますが、今は水も出ないようで、周囲はカフェになっていて、洗濯場がお洒落なオブジェとして扱われているようでした。床面から何からきれいにされていて、広場全体がお洒落でしたよ。こんな風に再活用されている洗濯場、初めて出会いました。
目指す教会をさす看板が出ていたので、ほっとして矢印に従ったのもつかの間。周囲はいきなり、ここはどこ?!と戸惑うような道となっていました。
この写真では分からないと思いますが、道幅が狭くて、建物が両側から迫っていて、歩いているのはアラブ系と中国系ばかりで、エキゾチックなスパイスや料理のにおいが充満していて、きらきらとした怪しい雰囲気で、どうみても、アラブ系の国の旧市街としか思えない雰囲気なんです。 Via di Pre'という、ジェノヴァの昔ながらの港町の雰囲気を残す歴史的な通りで、駅からこの道を通ってカテドラルに向かうあたりが、いわゆる本当の旧市街ということだと思うんですよね。実際、右の写真に写っているのは、観光用のミニ・トレインのおしりで、こんな夕暮れの時間だというのに、観光客が結構乗っていました。観光名所のひとつでもあるということです。 実際、中国人はともかく、港町ですから、アラブ系の人たちは、ずいぶんと昔から、常にこのあたりでは見られたんだろうなぁ、と思います。各国の船員さん御用達の旅籠とか食堂なんかが軒を連ねていたのかもな~。
道は合っていたのだけど、自分の方向感覚は一切信用していませんから、途中見かけたお巡りさんたちに念のために尋ねたところ、案の定、逆に向かっていました。 時間の制約もあるので、慌てて戻ると、目指す建物が見えてきました。
サン・ジョバンニ・ディ・プレSan Giovanni di Pre'。 ライトアップが美しくて、かえってこの時間に来てよかったかもしれません。 建物は、二つの部分に分かれていて、まずは右にある円形の教会部分。
日が暮れてしまうと困るのは、教会の中が真っ暗になってしまうことですね。かといって、信者さんがいる場でフラッシュはたけませんので、写真ではよくわからなくなってしまいます。 灰色の重々しい石で、天井は低くトンネル・ヴォルトになっていました。外部からは、円形の構造に見えますけれど、全体どうなっているのかよくわかりませんでした。なんせ暗くて。 1180年建造の鐘楼と同時期のものとありましたが、この下に、サン・セポルクロというオリジナルとなる教会があったようなんで、今あるこちらは、もうちょっと後の時代になるんかな。いずれにしても修復が相当されているし、後付の装飾も多くて、なんかちぐはぐな感じ。サン・セポルクロには、洗礼者ヨハネの灰が、聖遺物としてあったとかなかったとか。それは眉唾にしても、由緒正しい発端の教会ではあったらしいですね。
もうひとつの建物が、道に面した方です。
ここは、もともとマルタ騎士団が建てたらしいんですよ。救護施設的に使用された建物らしく、今はそういうことに関する博物館になっています。訪ねたときは子供たち向けイベントをしていたので、子供がわらわらいて騒々しいことこの上ない状態でしたが、そのおかげで入場無料だったので、駆け足で見学してきました。
近代的な工事もされていますが、柱や、床面の一部、アーチやヴォルトなどなど、ところどころに古いものをちゃんと残しているのが、「古い建物の再生建築」のお手本のような建物になっていました。展示は、イベントも関係しているのか、たいしたものはなかったですが、好きだったのは、入り口に掲げられていたこれ。
古い碑文で読めませんが、最初にマルタ騎士団の十字架と、1339年とありますね。その下は、15Aprileかな。古文書の勉強をしたら、こういうのがすらすらと読めるようになるのでしょうかね。だとしたら楽しいでしょうねぇ。14世紀かぁ、マルタ騎士団かぁ、と思いながら、ちょっとだけスリスリしてきました。
ということで、つい長々となってしまいましたが、秋の楽しい遠足もおしまいです。お付き合いありがとうございました。
次は、やっと、春に旅したマルケ、ご紹介したいと思いますので、お楽しみに。
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2013/12/19(木) 06:23:41 |
リグリア・ロマネスク
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秋のリグリアその4
せっかくなので、今回訪ねたリヴィエラ・ポネンテ(東部リヴィエラ)の小さい町も紹介しておきますね。まずはサン・パラゴリオの町ノーリNoli。
この町の旧市街は、海辺に広がっていますが、かわいらしい地方都市という感じです。メイン・ストリートの奥には、中世の壁と塔の後が見えたりして、雰囲気あるんです。週末の午後、町の人々が三々五々、買い物していたりおしゃべりしていたり、とても和やかで、豊かな空気が漂っていました。ジェノバにも近いので、普段はジェノバで働いている人も、週末は地元でのんびりしているのかもしれない。
街角のあちこちに、ちょっとずつ、中世の面影も見られます。
そして、サン・パラゴリオに向かう手前の道で、目にとまったのが、ローマっぽい橋。 橋と言っても、今は陸橋になっています。かつては、海とつながる運河のような小川があったようなのですが、そこが今では道路になって、橋の下を車が走っています。アーチの太鼓橋、今でもちゃんと現役で、中は緑の生えたエコな美しい橋。もちろん遠回りして、わたってみました。すごく歩きにくかったけど、こういう現役はいいですね~!嬉しくなりました。
なんといっても、旧市街と国道を挟んで、すぐ穏やかな海が広がるのが、和みます。
この町で、ランチもしました。本当はサヴォーナで、と思って調べていたんですが、サヴォーナは、途中鉄道からバスに乗り換えたとき、駅から町まで結構通そう、つまり海まではもっと遠いわけだし、次に向かう予定のヴァラッツェの様子は一切分からないし。ということで、いくつかピックアップしといたレストランのひとつに入りました。 リストランテ・ダ・イネスRistorante Da Ines - Via Vignolo 12, Noli。
食器もグラスも、トイレも、とってもセンスがあるし、お店もいかにも家族経営でサービスも愛想もとってもよかったんですが、いかんせんお皿が…。13ユーロもするパスタですが、海辺の町でこれはないよな~、という海の幸のパスタで、かなりがっくりしました。ワインも、車でもないのに控えめにグラスで頼んだんですが、なみなみ注げばいいってもんじゃないよねぇ、というレベルのテーブル・ワインの上に6ユーロもしたんで、呆然。 わたしのいたときにも、外国人が次々来ていたし、外人にスポイルされちゃったですかね。イネスおばあちゃんが始めた古いお店らしいし、決して味が悪いわけじゃないから、ちょっと残念な経営でした。もしかしたら、地元のお客さんに出すお皿は、全然違ったりするかもね。
ご飯の後、バスに揺られてサヴォーナに戻り、そこから鉄道で10分ほどで、化石教会のヴァラッツェVarazze。 ここは、ノーリよりももっと海のリゾートっぽい町で、お昼もこちらの方が選択肢が多かったです。ジェノバにより近いので、もともとはジェノバの人が、海の別荘を気軽に持つ地域だったのかもしれません。
ここは町はノーリよりも小さくて、海沿いの道はより人工的に整備されていて、まさにリゾートのために生まれたような町。もちろん旧市街はあるのですが、本来、教会の周りにちょびっとあっただけと思います。 海沿いの散歩道を流していたら、妙に人が集まっている場所があったので、立ち止まって海を見たら。
サーフィンやってた~! サーフィン、イタリアでやってるの見たの初めてかも。 ちょっとだけ海に突き出している岩場の関係で、ほんの一部に波が起こるようになっていて、そのほんのちょっぴりの波のところに、十人くらいサーファーが浮かんでおりました。それを眺めている人たちはその数十倍…。湘南あたりじゃ、眺めているひといないよねぇ。やっぱり、イタリアではサーフィンは、つい眺めてしまうもんなんだよねぇ、きっと。 といいながら、わたしも、いい加減ぼんやりと眺めてしまいましたとさ。
ヴァラッツェ、猫額の旧市街、とってもきれいでした。 中心に美しい広場があり、今ではこんな姿になってしまったカテドラルがあります。
おお、後にひっそりとロマネスクの鐘楼がありますね。そう、実際、検索で引っかかったのは、この鐘楼。この教会サンタンブロージョは、14世紀のものが基礎となっていますが、鐘楼は1100年のものなんです。ということは、この教会の下には、ロマネスク時代の遺構も、何かあったのでしょうねぇ。今は残念ながら、何も残っていないようです。 でも、教会前の広場は、本当に美しく整備されていました。それだけでも、実にいい町だなぁ、と感心してしまいました。
ね、建物がちょっとペンキ塗り状態ではありますが、広場の床が石で装飾してあって、美しいではありませんか。商店街もうなぎの寝床状態で延々と長く続いていて、歩いていて楽しいものでした。毎日のように町の人たちが出てきて、3メートル歩く度に知り合いに出会って立ち話して、全然先に進めない、みたいなそういう生活をしているんだろうなぁ、と昔イタリアの田舎でそうだった生活を、懐かしく思い出させられるような町。 夏は人が多くてうんざりしそうですが、冬枯れの時期にちょっと訪ねるには、最適な場所かも。ミラノより確実に暖かいし。 イタリア・リヴィエラよりは南仏、と思っていましたが、リヴィエラにも意外といい場所がある、というのは大きな発見でした。
2013/12/17(火) 07:02:09 |
リグリア・ロマネスク
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秋のリグリアその3
一日遠足だからって、ノーリだけで満足するとは、もちろん、基本「修行」のわたしではありえないわけで。確かにジェノバにも、行き残したところはたくさんあるし、それはそれなんだけど、せっかくノーリに行くなら、その道中で何かないか、と探すのが、病気たるゆえん。 ということで、探していてぶち当たったのが、これ、教会の化石というわけです。
ヴァラッツェという街のはずれにあるサンタンブロージョ教会Sant'Ambrogio - Varazzeの成れの果てです。 このあたりで行くべき場所はないか、と検索していたネットで垣間見て、お、これは面白そうだな、と軽い気持ちで行き先にしたんですが、実際に目の当たりにしたインパクトはかなりのものでした。
古い教会の遺構の一部が、ロマネスクだったり、それより後の時代の教会の基礎になっていることは多々ありますが、こういう押し花状態の遺構と言うのは、ちょっと他に類を見ないのでは。いやはや、これはすごいです。 実は、グーグルのストリートビューでも、これ、見ることができます。事前に見ていたんですよ、実際。でもこういうものほど、そうやって二次元で見るのと、実際に現地で見るのとインパクトが違ったりするんですよねぇ。
ヴァラッツェは、海沿いの、庶民リゾート、という感じの町。海沿いにはちょっとしたお店の並ぶ商店街が続いて、そこから、住宅街への途中というか、本来住宅街という場所というか、そこに、一部だけ、14世紀の古い塀が残っているんです。中世後期の、町を取り囲む塀ですね。 その塀の雰囲気が、既にいい感じなのですが、ちょっと進むと、これ。
いやはや、これは本当に面白い~! そのまま道を回りこむと、側面の方も、なんとなく遺構が…。
当時の建物を完全に想像できるんです。 ほら、こうやって側壁のアーチと付け柱まで。
鐘楼も、戦いの耐えない中世後期、物見の塔として再利用されたようです。
この教会の裏側は、ストーンと急激に低地という土地で、この教会は、丘の際に建てられていたもの。街を囲む壁を作る際にも、ここが要のひとつだったんでしょうね。鐘楼の役割も半端なかったと思います。写真で見る以上に、相当の急坂です(わたしがここで停車したら、絶対に発進できない角度です…)。
壁の方は、今でもほとんど全部残っているので、中が見えません。どうなっているのかな~、と小さく開いている当時の窓からのぞくと。
あ、なんか普通に家があるかも。 海側に旧市街があって、この教会の化石のある部分の住宅地は、今では、国道を下にする橋を渡る構造になっていますが、橋の向かい側から見ても、壁の反対側は普通に住宅になっているようでした。当時は、きっと丘があって、この国道は、丘の谷間の道だったんだろうな。
ちなみに、教会ファサードには、ここでもお皿はめ込みのあとがありましたよ。
十字架の両脇に、お皿はめ込みしていたようだし、各アーチの下にも、小さいお皿はめ込み跡が見えます。やっぱり、当時、このお皿装飾は、重要なアイテムだったと言うことなんでしょうねぇ。 いや~、教会の化石、または押し花、いや、押し教会。すっごく地味なのに、意外とつぼにはまりました。石の文化の何たるかって言うのを見せ付けられた感もあり、超感心。こうやって、生き延びるのもありなんだ。生き延びてほしいです、これからもずっと。
2013/12/16(月) 06:42:39 |
リグリア・ロマネスク
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秋のリグリアその2
ノーリのサン・パラゴリオ続きです。 いよいよ、内陣下のクリプタ訪問です。 時間がないときは、とりあえず、まずクリプタに直行ですが、ここは博物館で、オープン時間もはっきりしていますから、余裕を持って全体を見た後に、ゆったりとクリプタ。その実、この階段を見て、わくわくしながら他を見学していたんですけれどもね。
今の教会は、修復が激しくて、かつての姿を残しているとは言え、なんか新しすぎる感が充満している中で、この、クリプタに降りる階段のあたりだけは、なんとも往時の空気が感じられるというのか、階段構造が建物にあわせて、合理性があるのかないのか分からないような感じでちょっと入り組んでいるのも、なんとも言えず雰囲気で、いいな~、と思いつつ、磨り減った石を感じながら。
そしてやっぱり、期待を裏切らない、素敵なクリプタでした。 美しいクリプタには説明が要りません。歴史が、芸術品が、云々、なし。ただ、そこに佇むだけで、そういう諸々が、説明等なくても流れ込んでくるみたいな、そういう燐とした空気を保っているんです。
すごくすっきり、来てよかった~!と心底思える瞬間でした。 ここは、有料ですから受付があり、学生さんのアルバイトみたいな若い女性がいましたが、ただチケットを管理しているだけじゃなくて、尋ねれば何でも答えて説明してくれて、それもとても嬉しくなりました。だって、どの教会でも、必ずしも受付の人が、その教会を愛しているわけではなく、逆に、「これ仕事だから仕方なくここにいるだけです」みたいな方も多いのが現実ですから、そういううら若き女性が、ちゃんと対応してくれるって言うのは嬉しいし、心強くなります。
改めて外観のチェックに入ります。 後陣。
ここで注目すべきは、アーチと付け柱装飾の上部に開いている小さな丸い穴。このサイトを見ている方には、おそらくもうおなじみと思いますが、これは例のあれ、です。
そう、これですね。陶器のお皿。 これは、教会内部に展示されていたオリジナルで、シチリア産の11世紀前半のものです。後陣には、いくつも、こういうお皿がはめ込まれていました。今は、オリジナルじゃないものがはめ込まれています。小さいので、遠目からは見えませんけれども、そういうところの装飾に凝ったのは、この当時のお約束ですね。 そして、このお皿装飾は、海辺の町の教会によく見られる装飾。ピサで始まったものですが、海経由で、あちこちに広まったのですね。これまで、わたしが訪ねた範囲では、ピサの文化圏の他、主に、ローマやジェノバなどで見られました。ここノーリは、ジェノバにも近い海辺ですから、ない方がおかしいくらいのものですね。 ただの陶器の洗面器みたいなものですが、当時は貴重品だったということです。確かに教会の後陣などにはめ込まれていると、小さいものですが、実際には、大き目のボウルや洗面器大ですから、当時の技術を考えれば、やはり庶民の手に入るものではなかったのかな。
この教会の外観を印象付けるのは、アーチと付け柱かな。わたしの大好きな、ロンバルディア様式のアイテムです。
この装飾アイテムが最も強烈に見られるのが、本来のファサード側。
こちらの面を見るには、一度教会の柵を出て、駐車場になっている側から、柵越しに垣間見なければなりません。でも美しいファサードと、側面の連続アーチ+付け柱が見られますので、訪ねた際には、忘れずに坂道を登ってみてくださいね。
ファサード側からは、遠くに海も見えます。冬枯れの樹木を全景に、後方には今でも緑豊かなやし系の葉も見えて、南なんだなぁと思います。
2013/12/15(日) 06:11:56 |
リグリア・ロマネスク
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秋のリグリアその1
先だって、秋の一日、リグリアに遊んできました。目的はもちろんロマネスクです。 実は、ずいぶんと長い間、気になっている聖堂がありまして、それを訪ねないと、わたしの本業(?)である「ロマネスクのおと」に、リグリア編はアップできない、と思っていたのです。 気になる場所というのは、さほど、行くのが大変ではないのですが、リグリアは、何と言っても、できれば車で行くのは避けたい土地なもので(ミラノからジェノバに南下する高速道路は、高架な上にくねくねなので、マジで怖い)、列車で行くとなると、事前に計画する必要がある等々、いろいろ個人的な制約がありまして…。でも、ある日、考えたら、日帰りで行けるんだし!と思って列車のチケットを手配して、行ってきました、という、その顛末です。
その、気になっていたという聖堂は、ノーリNoliという町にあるサン・パラゴリオChiesa di San Paragorioです。
あちこちのサイトで目にして、その美しいたたずまいが、本当に気になっていて。ただ、ある意味残念なことに、既に博物館化している教会です。ある意味、というのは、博物館化することで復活して、美しく修復もされたので、博物館化のおかげで救われた教会でもあるからです。
久しぶりに、公共交通機関で訪ねる場所ですから、ミラノからの行き方を紹介しますと、まずは列車でジェノバGenova経由サヴォーナSavonaまで行きまして、サヴォーナの駅前から、バスとなります。サヴォーナは、駅から市街が離れている街のつくりの為に、駅前には何もありませんが、辺に広々としたバス・ターミナルとなっていて、そこから発着するTPL Lineの40番Linea40のバスとなります。
週末は、バス・ターミナルのチケット売り場がクローズとなりますので、鉄道駅構内のタバコ屋さんで、チケットを購入する必要があります。バス社内でも買えるようですが、若干高くなるし、チケットのチェックは結構まめにやっているようなので、老婆心ながら、必ず事前に買うように! サヴォーナ駅からは、確か20分に1本くらいあったように思います。
途中の停留所で「レナート~!いる~!?」と叫びながら乗り込もうとしたおばさんがいました。彼女は運転席の脇にある入り口から乗り込もうとして、叫んでいるので、運転手始め、乗客すべてが、「レナート~、いる~?!」と後部に向かって大騒ぎ。結局、レナートはいなかったようで、おばさんは、「お騒がせしてごめんなさい~」と言ってまた停留所に降りてしまいましたが、乗客はこぞって、レナート、いないのかよ、どこでどうしたんだよ、などとしばらく、誰も知らないレナート話で盛り上がるという、いかにもイタリアの田舎らしい風景を目にした、そんな地元の人たち御用達、生活の足である田舎の路線バスで、30分ほど。
そのバスで、いくつかめの街がノーリとなります。起源の古い、海辺のリゾート。 その、今では旧市街からも外れてしまっている一角に、ロマネスクの聖堂が美しく佇んでいるのです。
先にも述べたように、既に博物館化していて、入場は有料(と言っても、2ユーロですが)。しかしその分、ちゃんと係員がいるし、外観も内部も、美しく修復されているので、有料の価値は十分あります。
まずは、内部の見学です。
三身廊ですが、各身廊かなり狭くて、逆に上に伸びる垂直感が強まっているようなたたずまい。石の感じといい、雰囲気はあります。入った一瞬に、あ、来てよかった、と思う空間。内陣が、かなり上に上がっているのが分かると思いますが、これはもちろん、クリプタがある構造だからです。
今ある教会の起源は11世紀、ロマネスクとしてもかなり古い部類の建物が基礎となっています。ただし、よくあるように、ここでも、その下に、初期キリスト教時代の建物の跡が見られます。おそらく、さらに古い時代にも、宗教的な施設があったとか、そういう神聖な場所なのだと思います。
内陣部分には、数段の階段を上がってアクセス。
背の高いアーチの切込みが施されていて、ロマネスクよりは後になるフレスコが、正面にみられます。このアーチ装飾、かなり印象的。修復で、とても白くなっているので、ちょっとわざとらしい感もあるんですが、オリジナルな装飾であるようです。 内陣部分で、わたしが興味を引かれたのは、意外にもこれ。
パイプ・オルガンのちっちゃいの。 こんなコンパクトなパイプ・オルガンがあるんですね。これまでも、比較的新しくてコンパクトなパイプ・オルガンは、あちこちで目にしてきた気がしますが、これほど小さくて、なんだか愛らしいスタイルのパイプ・オルガンは、見たことがないような気がして、しげしげと見入ってしまいました。 でも、パイプ・オルガンがあるということは、既に博物館化しているとは言え、必用に応じて、宗教的儀式にも使われているということですね。教会としては、それは大変によいことなので、信者でもないのに、ほっとしました。
内陣部分から、見下ろす感じとなる中央身廊部分。
なんか、いい教会だなって感じられる何かが写っているといいのですが。石と木のいいコンビネーションっていうか、多分後付の木の梁が、がんばって支えている感が、けなげ。
天井は、かつての木製天井が再建されています。
実はこの教会、19世紀終り頃、大地震に見舞われて、建物全体の上部は崩壊してしまっています。リグリアの、こんな海沿いで地震があったなんて、びっくりです。 そのために、建物上部は、基本的に再建。屋根の一部が残っていたことから、細部まできちんと再建しているのには、ちょっとびっくりしました。
遠めにも、彩色と、何か絵が描かれていることが分かったのです。
こういう再建ができたのは、瓦礫に埋もれて残されていたオリジナルの屋根のおかげ。今、その一部が、窓のところに展示されています。
始め、なんだろうと思ったのですが、これが、本来は屋根部分にあったもの。確かに彩色と絵がみられます。もちろん、ロマネスクよりは、ちょっと後のものですよ。
続きます。
2013/12/14(土) 08:12:23 |
リグリア・ロマネスク
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