サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その28(最終回)。
帰りの時間も迫って来た中で、最後に、立ち寄りやすい場所にあった、超マイナーなサイトを二つ。 まずは、こちら。
ギラツルァGhilarzaのサン・パルメリオ教会Chiesa di San Palmerio。 事前に住所はわかっていたので、比較的容易にたどり着いたものの、最後は、とんでもない行き止まりの住宅地に入り込んでしまい、通りすがりのおばさんに助けてもらうことになりました。やっぱり、完璧にスムーズにいくことは、なかなかないもんです。
教会は、町はずれ、というより、おそらく中世期にはこちらの方が町の中心であっただろうと思われる場所ですが、今は、草原に道路が横断する殺風景な場所となっています。
教会の並びには、15世紀の塔らしい、なんだかごつい真四角の建物があります。
13世紀初頭に、もっと古い建物、おそらく聖パルメリオのお墓が礼拝堂となっていたものの上に建てられたそうです。時代が下る分、すっきりとしたスタイルになっているのかもしれません。 その当時、ここは、ベネディクト派の修道院となっていたそうです。
それにしても、パルメリオさんという聖人の名前は、初耳のような気がしました。案内してくれたおばさんは、7月の日曜日に、聖人のお祝いのお祭りがあって、その時には、教会も開くのよ、と言っていたので、この地域では、それなりに有名な方らしい(場所によっては、教会の名前、つまり誰にささげられたか、地元の人すら知らないケースは、よくあります)。
現場にあった説明版によれば、一つの伝説では、パルメリオは、ディオクレツィアーノ(ディオククレティアヌス)皇帝時代のローマの軍人で、キリスト教に改宗したことにより、むち打ち刑を受けたうえ、殺された殉教者だったと。もう一つは、パルメリオは、ペストで全滅した村の出身者で、その村のほかの人々同様にキリスト教に改宗し、軍役を捨てて、信仰に生きたことにより、殺されたというもの。 いずれにしても、ローマ時代の軍人だったことは、間違いなさそうですね。ただし、本当にこの場所に埋葬されたのかどうかは、不明。18世紀に、ある信者が夢に見て、掘り返したところ、教会地下にクリプタがあり、墓所があったので、パルメリオの墓であることになったらしいです。
それはさておき、今ある教会のほとんどは、後代に手が入っており、ほぼ唯一当時の姿を残しているのは、ファサードの石積み。グレーとピンクの石ですが、これは火山岩のようです。
どちらもとても優しい色合いで、好ましいです。そして、微妙な石積みの組み合わせ。センスを感じますね~。
オープンは先述したように、毎年7月だけということらしいです。残念。内部には、何があるということもなさそうでしたが、ただ、石積みの感じを見てみたかったです。
現地にあった写真ですが、やはり石色が、内部も美しそうですよね。
あっという間に見学終了で、次に向かいます。 このあたりは、緩やかな起伏の丘が続いているので、美しい風景も楽しめます。
何度も書いてしまいますが、旅をしたのは12月なのに、これでは紅葉狩りの写真ですね。気候的には、このころが紅葉狩りということになるのかな。改めて、美しい風景に感心しています。
さて、もう一つ。サルデーニャの修行旅、最後に訪ねたのは、本当にマイナーもマイナー、大きさもミクロなノルベッロNorbelloの、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデ教会Chiesa di Santa Maria della Mercede。
ひどい山奥にあるような見えますが、実は、村をちょっと降りたところで、村の車を置いて、徒歩3分程度の場所です。
こんな感じ。この石の門をくぐって、ちょっと上った先は、村の中心になっています。 この石の門や石垣は、おそらく後付けで作られたものなのだと思いますが、もしかすると、もともと残っていた石畳などをリスペクトした結果、こういう構造物をあえて作ったのかもしれません。 また、教会は、放置されていて、相当痛んでいたのを、修復したのだろうと想像します。そういうたたずまいなんですよ。
かなり小さい礼拝堂レベルの建物ですが、村も相当小さいので、土地には合った教会だったと思います。谷底へ向かう途中の斜面にひっそりあるんですが、教会の場所だけ、ちゃんと盛り土して、平地にしたんですね。
そこまで手をかけるなら、村の中心にちゃんと建てる場所があったはずなのに。ということは、もとは隠遁所みたいな場所だったのかな。 説明版には、残念ながら、そのあたりの説明はゼロ。残念ですが、今後、ちゃんと調べたいと思います。 ちなみに、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデという名前も、私には耳慣れないものでした。スペインでの女子の名前にメルチェデスって名前があるから、なぜスペイン語?と思っていたのですが、普通に聖母を表す名称なんですね。ただ、メルチェーデという単語は、スペイン語起源と思われるので、かつてアラゴン王国が入っていたサルデーニャだからかな、という感じもありますね。 どうせすぐに忘れちゃうんですけれど、自分の無知を知るというのも、修行旅の醍醐味。よくわかりませんが。
この後、夜道をオルビアの空港に向かいました。ちょっとした山越えコースがあり、何と霧の中を走るという恐ろしいおまけ付きとなりました。サルデーニャで霧は、予想外でした。霧はできる限り避けるようにしているのに、走るしかないという辛さ。半分泣きそうな気持で走りました(泣いちゃうと、道が見えなくなってもっとやばいので、ぐっと…)。
というわけで、サルデーニャ、急ぎ足のミニ修行旅、これで終了です。 ピサ地域をじっくりと歩いて以来、ピサ様式のファンになった私ですが、サルデーニャでは、新たなピサ様式に出会えて、大満足でした。見残しや、冬季であるが故のクローズも多かったので、再訪は約束されています。いつになるかはわかりませんが(また、冬季になる可能性大なのが、考え物ですが)。
お付き合いありがとうございました。サルデーニャに興味がわき、訪問を考えられる方がいれば、とても幸せです。何なりと必要な情報など、照会くださいね。 (番外、ごはん編、別途アップします。)
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2016/05/29(日) 20:08:55 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その27
シラヌスSilanusでは、再び石垣をよじ登って無事車に戻り、空腹ではありましたが、今更、町を訪ねる気もなくなったので、次の目的地に移動することとしました。 向かったのは、今回の短い旅の、最後のハイライトとなるべき町、オッターナOttanaです。
サン・ニコラ教会Chiesa di San Nicola。 事前に、町の中心の丘にそびえる教会、とあったので、坂道だったらやだなぁ、と相当ドキドキと用心して町に入ったのですが、実物を目にして、気が抜けました。 というのも、確かに町の、というより、村、といった方がよいような規模の集落ですが、その中心がちょっとした丘になっていて、その天辺にあるのですが、その丘はとっても小さくて、村のレベルから歩いても1分程度のものだったんです。 気が抜けると同時に、ほっとしました。
到着したのは、14時ごろ。当然という感じで、扉は固く閉ざされていました。 事前調査時に、関連の電話番号を控えてあったので、電話してみると、毎日午後は、15時半から開きます、今日も同様です、ということだったので、心穏やかに、まずは腹ごしらえに出かけました。 ランチについては、別途番外編に書くことにします。
のんびりと戻って、まずは外観をチェック。 ここは、本当に楽しみにしていた教会ですが、確かに美しいです。
丘の上にあるため、見た目がかっこいい!ファサードも、地味ながら、ロケーションにピッタリな印象的な作りです。特に、石色の並びがいい感じです。
ピサ様式のバリエーション。アーチの感じも、陶器のお皿がはまっていたであろう穴も、ひし形も、ばっちりあるべきようにあるっていう感じ。そして、こういう色石の使い方は、このときは、まさにサルデーニャの特色、と思っていましたが、実は、春先に訪ねたピサ近郊のモンテピサーノ地域でも、同様に、色石を多用している教会を多数目にして、大きな枠組みで、ピサ様式の特色なのだと理解しています。 おそらく、ピサ地域では、石の種類が豊富なんでしょうね。大理石のカッラーラCarraraもあることだし、火山岩やらなにやら、地質学的に、面白い土地なのだと想像します。
グレーっぽい石中心のベースに、オレンジやピンク系の石が、ちょん、ちょん、とアクセントのようにはめ込まれて。なんとも言えないセンスを感じますね~!
北側の壁。
大好きなつけ柱がありますが、ここでは、つけ柱よりも、石に目が奪われます。装飾的な要素は、ほとんどないのに、華やかです。 南側には、不思議な構造物が付いていました。
壁の奥の方(後陣側)ですが、つけ柱があったであろう場所が、変に凸凹しています。
後付けの構造物が崩れたのでしょうか。不明です。 それよりも何よりも、閉ざされている南側の扉に、野良猫がのんびりとくつろいでいるのが、目に留まりました。
いやん、かわいい! 気づくと、教会周りの塀のところにも。
こちらに、積極的に寄っては来ないので、人に慣れた家猫というわけではないと思うのですが、逃げることもないので、村の人々と付かず離れず、共存している半野良半家猫というところでしょうか。ランチの後、くつろいでいる感がありました。 そういえば、どこでも結構猫を見たように思います。ロマネスク教会には、猫が似合いますね~!
15時半には開くということだったのですが、結局鍵の人が来たのは、16時半ごろ。ミサのために開ける、ということだったようで、三々五々、村の人々も集まってきました。慌てて、内部に突入です。
外部構造そのままに、一身廊背高縦長構造です。
かなり地味ですが、目的は、右側にある説教台。
近づいても、やはり地味です。よーく見ると、柱頭に、かなり稚拙、といってよい、このような彫り物はありましたけれど…。
見逃しがないように、一応指さし点検しましたが、ミサの準備も始まっているし、何となし落ち着かないので、早々に退散。もう一度外部をぐるりと点検。 見ても見ても地味ですが、やはり、ここは、構造や石の美しさを楽しむ教会なのだと実感。
地味なりに、ピサ様式の良さが迫ってきませんか。
とてもいい建築だと思います。 とにかく、ロケーションが素晴らしいですからね。そして、こういったディテールのち密さが、全体の完璧なプロポーションになっているんだと思うのです。
いくら見ても、なお後ろ髪を引かれる思いですが、そろそろ先に進まないと、という時間になりました。
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2016/05/26(木) 05:57:23 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その26
ボザBosaの町でそろそろランチの時間だったのですが、なんといってもボザは、陸の孤島的な場所でもあり、帰りを考えると、ここで時間を使っている場合ではない、と思い、町に立ち寄ることもなく、内陸方向へ向かいました。目的は、シラヌスSilanusです。 とりあえず町に向かい、簡単ランチをしてから、教会を探そう、という目論見で、走り出して、約1時間。町にたどり着く前に、見つけてしまいました。
サン・サビーナ教会Chiesa di San SabinaとヌラーゲNuragheが並び立っている、歴史が視覚化した一角が、幹線道路から、すっかり見えるんです。これは、見逃しようもないし、ランチどころではありません。 幹線道路を外れて、歴史地区の入り口近くまで、車で入り込みます。
午前中のオープン時間は、13時半までとなっていますが、この時、13時25分。 この看板が目に入った時、小躍りする気持ちでした。たとえ5分しかなくても、何とかアクセスできる!と思ったんです。 ところが、門は、固く閉ざされ、屋台のような受付には、誰もおりません。 誰もいないときは、こちらに電話してください、と手書きの紙に携帯電話の番号。躊躇なく電話したのですが、むなしくベルが鳴るだけで、誰も出ません。
まぁ、よくあることですが、どうにも悔しいです。この、閉ざされた門扉から教会までは結構な距離があるので、ここから見ても、およそ訪ねた、とは言えないんです。 かといって、門扉を乗り越えるというのも…。
門扉の先の方は、教会を取り囲むように、ぐるりと石垣になっています。それも、背は低い。
1メートル程度ですかね。 どうしようかなぁ、と思いながら、ずっと石垣沿いに先に行ってみました。そして、ここなら、という場所で、一応周りと見まわしてから、おもむろに石垣をよじ登り、囲いの中に無事、入り込みました。 一応確認したのですが、侵入禁止などの看板はなかったはず。いや、明らかに、入るな、という意味の石垣ではありますが、でも、開いているはずの時間に開いてなく、いるはずの受付が不在で、電話までしたんだから、私にも理はある!と自ら言い聞かせながら…。
アクセスは、サン・サビーナ教会の後陣から。
いかにも古い構造です。 横から。
なんだか、古代の美しさにワクワクドキドキします。 そして、正面。
横っちょの構造は、後付けの感じもありますね。それにしても、時代も不明な感じの古さ、いいですねぇ。草原のただなかに建っているのも、実に印象的です。
このシンプルさ。 こういうところは、装飾が全くなくても、もうこの石積みやアーチ構造だけで、うれしくなってしまいます。 地味ながら、石色が、相変わらず多様で、きれい。そして、サイズや形が微妙に違う切石の感じも素敵~!
後代の修復によるところもあるのでしょうが、白石の中の黒石の帯などは、やはりオリジナルでしょう。 それにしても、中に入れなかったのは、本当に残念。中には何もないはずで、ただ、丸天井を見ることができるだけなのかもしれないんですが、それでも、入りたかったです。
すぐお隣に、ヌラーゲがあります。
ヌラーゲは、サルデーニャ先史時代の遺跡で、今でも、用途がよくわかっていない構造物なんです。サルデーニャ中あちこちにあり、「先史時代の遺跡を巡る旅」の方が、コンセプトとしては、「中世を巡る旅」より、メジャーな気がするくらいです。
ヌラーゲには、門があるわけではないので、ちょっとのぞいてみます。
なんだか、石の舞台的な。
一歩入ったら真っ暗。何千年と建っているものですから、ここで崩れるはずもないのですが、いるべきではない場所にいることもあって、ちょっと怖くなって、ちゃんと入り込むことなく、引き上げました。蝙蝠とかいそうだったし。
それにしても、古代から、遺跡が集積しているということは、ずっと神聖な場所だったんでしょうねぇ。今のシラヌスの町からは、相当離れているので、おそらく、かつては、もっと近くに集落があったのではないかと思います。石垣も、古いものだと思われますし。 そこここに、大きな石がゴロゴロあったりするのも、いかにももっといろんなものがあったのではないか、と考えさせるものです。
それにしても、見事に何もなくなって、そして、この二つの建造物だけが建っているというのは、実に不思議。シビオラでもそうだったように、かつてあった集落が、すっかり消えてなくなったということなのかしら。 サルデーニャって、歴史のロマンが、そこかしこに、はいて捨てるほどありますねぇ。
ああ、それにしても、ウィンドウズ10になって、日本語入力も、写真の取り扱いも、異常に不便になっています。 そして、インターネット・エクスプローラーが見つからないのも、イライラのもと。慣れるんだろうか、これ。 最近のさぼり癖を助長するような、悲しいアップグレードです。
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2016/05/25(水) 05:44:52 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その25
さぼり癖もあるんですが、それだけじゃなくて~! 先日、下書きしていたら、いきなり、ウィンドウズ10のインストールが始まってしまって、いやでも応でも、ブログの更新はアップデートせざるを得ず。 特に10にしたかったわけではなかったので、毎回、ポップアップのインバイトが来るたびに無視していたんですが、なぜか、いきなり更新になってしまったのですよねぇ。
というわけで、今回からウィンドウズ10。いきなり、インターネットのお気に入りは全部消えているしね。何も変わらないって、大ウソ。 日本語入力も、なんか、うっとうしいことになってるしね。
それはともかく。先を続けます。
ボナルカードBonarudacoの次のあて先につき、選択肢はいくつかあって、迷ったのですが、最終的には、修行の鉄則、「最初の訪問地では、とにかく著名教会を優先する」に従って、ボザBosaを目指すこととしました。 実は、ちょっと距離があるし、最終的にオルビアの空港を目指す道筋からは、相当はずれる場所なので、迷いはあったのですが、次にいつ来られるかはわからない以上、やはり著名地を見ておかないと、確実に後悔するのがわかっているので、がんばりました。
実際、1時間以上かかって到着。教会を訪ね当てるのは、ちょっとてこずりました。 というのも、例によって、アップデートしていないわたしのナビは、かつてあったであろう道を示して、従わないと、完全に止まってしまったからです。 結局、これまた例によって、古典的方法に切り替え。通りすがりの人に聞きまくって、なんとかたどり着いた次第です。
実際、相当予想外のロケーションでした。 ボザの町から完全に離れた、「人里離れた」場所に、取り残されたような有様。こんな道でいいのか?と思いながら走っていくと、いきなり開けた空き地に現れたので、びっくりでした。
サン・ピエトロ教会Chiesa di San Pietro。
毎度、いかにたどり着くのが大変だったか、というストーリーを披露するのがお決まりみたいになってしまっていますが、実際にこれまで訪ねられた方たちは、苦労せずにアクセスできたのでしょうか。ナビがあって、さらに、現地語に問題がないにもかかわらずの、この苦労を思うと、ナビのない時代にイタリア語も不明で歩かれた方々は、さぞや大変だったのでは、と思うのですが、もしかすると、わたしの方向音痴と勘の鈍さが問題なんでしょうかねぇ。
それはともかく、なんとか辿りつけて、ほっとしました。 冬季は、クローズしており、最低5人のグループに対して、事前リクエストでしか、対応しないと事前に調べておりましたので、クローズしていることには、特に気落ちもなかったのですが、一見して、ロマネスクというよりもゴシック臭というのか、期待していた姿ではなかったことに、がっかりしたのは確かです。
とは言え、人里離れている分、緑滴る美しい風景です。何度も繰り返すようですが、12月なのに、この緑、そしてこの青空!
教会の周りは、畑や牧草地になっているようで、オリーブもきらきらと、春のような眺め。
とりあえず、ぐるりと一巡。
ここでも、多様な石色が美しいです。それで、つい石積みにも注目してしまいます。やはり、下部が大きくて、上部は小さい切石ですね。石が小さくなると、色の遊びが面白くなります。 凝灰岩っぽい黄色が入っていますね。
美しいたたずまいの後陣。
かなり修復している様子ですが、おそらくオリジナルの石積みに忠実なのではないかと思います。どうでしょうか。 それにしても、やはりちょっとさっぱりしすぎですよね。思わず、目を皿のようにして、お宝探しです。 いた!
こういう子がいると、それだけでにっこりです。かわいい。 建物が、妙にすっきりしちゃっている中で、ロマネスク満載のこういうフィギュアがあると、やはり、修復しすぎなのではないかという気もしてきますね。 もひとつ!
いずれも、飾りアーチの根元にある彫り物で、他は、幾何学模様で、古いものと再建ものが混ざっています。こういうフィギュアを残して、全体は13世紀に再建しているとか、そういう教会なのかな。 と思ったら、17(XVII)と彫ってある石があったので、17世紀の再建なのかな。
改めて、ファサードへ。
スタイル的には、ゴシックですよね。 でも、最初に目に付いたまま、ちゃんと見なかった扉上のアーキトレーブへ。
ここだけ、石が違います。凝灰岩かと思いますけれど、どうだろう。 そして、なんと、かわいい!
バックのアーチが既にゴシックだから、13世紀以降の彫り物と思いますが、ちょっとヘタウマ系の人物フィギュアは、なかなかいい味です。聖母子と司教?持っているのは十字架だから、教会が捧げられているサン・ピエトロじゃないですねぇ?
これは、もっと誰だかわからないです。 樹木がやっぱり、ちがうな~って感じします。もっと浅浮き彫りで、カーブだらけのタイプが好みですね~。 左側の人物は、剣を持っているようです。
扉は、大きなアーチで囲まれていて、その付け根に、おそらくライオンだったであろう姿が、半身だけ残っていました。
ちょっと残念ですね。もしかして、あまりかわいくなかったかもしれないけど…。 見学、ものの10分。
遠くにボザの街が見えて、建物の色とりどりの外観が、ちょっと面白かったのですが、なんだか、わざわざ行こうという気にもならず、結局、やってきた山道を、そのまま引き返して、内陸に向かうことにしました。
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2016/05/23(月) 06:17:39 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その24
次に向かったのは、ボナルカードBonarcadoのサンタ・マリア教会Chiesa di Santa Mariaです。このあたりも、かなり狭い地域に、ロマネスク教会がたくさんあります。このボナルカードは、その中心的な教会で、サルデーニャ・ロマネスクを語る際、必ず取り上げられているようだったので、期待度は高かったのです。
それにしても、山、までは行かないまでも、坂道の連続で、町も全部坂道。特にこの教会は、町の高い場所にあるので、馬力のない自分の車だったら、たどり着く前にやめていたか、または町の低地に駐車して、歩いてアクセスしたかも。
そうやって苦労してたどり着いた教会ではありますが、第一印象は、結構ながっかり感。
こうして写真を見ると、立派だし、なかなかに美しいたたずまいではあるんですが、現場では、地味な色合い、地味な建築、苦労したのにこれかよ~!何で、そんなに評価高いんだよ~!という気持ちでした。
入り口のある南側も、なんだかとっても地味。
山が迫っていて、スペースに余裕のないファサード側。
この辺から、若干風向きが変わります。 微妙な色合いの石積みが、ちょっと魅力的だし、単純明快なアーチ使い。上部に行くにつれて切石の大きさが変わる工夫。これは、建築上の工夫である可能性が高いと思いますが、見た目の面白さや美しさもありますよね。 そして、北側の壁。
南側に比べると、ごつごつしていて、素朴さが際立ちます。そして、レンガではめ込まれた大きなアーチ。なんだろう、これ?修復の印でしょうか? むくむく興味が湧いてきます。 で、入場。
あ、やっぱりめちゃめちゃ地味だった~! 天井が木製のままなのが、往時の雰囲気をよく残していますが。
気が付いたのが、構造の不思議なこと。側廊がありそうなのに、後陣側だけあって、ファサード側は、ないんですよねぇ。上の写真でも、手前は、アーチが壁で閉ざされているのがわかると思います。 後陣からファサード方向を見ると、ほら、右側、壁になっています。
これが、外の、埋め込みレンガアーチと呼応しているのかな。 後陣側は、普通に三身廊が期待される構造で、確かに内部もそうなのですが、ファサード側は、側廊がカットされているという構造なんですね。
こんなの、珍しいですね。 今更、現場に建てられた説明版を読んでいると、この教会、元は修道院の教会で、12世紀なったばかりの頃の創建ですが、今の形になったのは、13世紀のこと。このときに、ファサードと反対側が伸ばされたので、今ある後陣は、13世紀のものなのだそうです。元の教会は、おそらく手前側の、つまり三身廊になる手前だけの小さなものだったらしい。よく見ると、石も全然違うんですよ。13世紀部分は、より黒っぽい石で、それ以前はピンクとか強いんです。なるほど~。
一帯の、全体構造は、こういう感じ。
教会の上に描かれえた四角部分に、修道士たちの生活場があったようです。今でも一部残っているらしいですが、わからなかったです。って言うか、気にしてなかったんですけど。右側の方にある小さいのは、この後、紹介します。
こういうこと、ちゃんと現場で読めば、もっときちんと写真も撮れるのに、どうも、現場でじっくり落ち着いて読むことが出来ない…。これは改めないと、損しますよねぇ。
さて、その小さい構造物。これはかわいらしかったです。
ボナルカードのサンタ・マリア礼拝堂Santuario della Madonna di Bonarcado。 オリジナルは、真ん中の十字型部分で、6世紀の建物です。もともと、2/4世紀、ローマ時代の浴場のあった上に建てられた礼拝堂で、そのあとが、今の後陣部分に当たるようです。8/9世紀に、既に崩壊しつつあったその構造物が、他構造をくっつけられて、屋根もつけられて、再使用されるようになり、最終的には、お隣の教会と同じ13世紀に今の形になった模様です。
頭をどっかに打ち付けないように、身を縮めるようにして、中に入りました。 中央部のクーポラ。
小さいけれど、ちゃんとクーポラ構造で、とてもかわいらしいです。石色もきれいです。 こちらが、後陣的な場所となるのかな。
解説に寄れば、おそらく、ローマ時代熱い湯が満たされた浴槽。 なんとも不思議な構造物。浴場があったというけど、浴場、すごく小さかったんですかね。いや、こんな丘の中腹みたいな場所に、わざわざ平地があるのは、もしかすると、ローマ人が浴場を作ったからかも?だって、この教会の敷地以外は、相当の坂道なんです。ここだけ、こんな平地があるって、勿論自然じゃなくて、切り開いているはずなんです。 テルマエ・ロマエじゃないですが、あの人たちの浴場への執着は半端ないですからねぇ。
屋根に使われているのは、サン・ジョバンニ・ディ・シニス同様、ピンクのパステルみたいな素材ですね。
実際の位置関係は、こんな感じです。
手前の樹木の陰に見えているのが、礼拝堂の入り口となります。
修道院があって、その教会が独立して、それよりずっと以前からある建物が礼拝堂になって。つまり、神聖な場所だったりするし、水が沸いていたということでもありますね。神聖は場所って、そういえば、水がある場所なんですよね。なるほどなぁ。
などと妄想しながら、ボーっとしていたら、地元の小学生または中学生くらいの女の子がやってきて、通りがけに礼拝堂に一礼して、ちょっと中に入って、すぐに出てきて、もともと向かったであろう方向に去っていきました。 なんか、ドラマみたいでした。近所のお地蔵様やお社に、挨拶するのが日々の習慣みたいな?すっごく古い時代みたいな?そういえば、わたしに気付いて、はにかんだ笑顔で挨拶してくれて、あ、日本の田舎も昔はこんなじゃなかったかな~(田舎は今でもそうかな~)なんて、微笑ましい気持ちになりました。
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2016/05/17(火) 04:19:48 |
サルデーニャ・ロマネスク
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