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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

市松帯からの考察(ソス・デル・レイ・カトリコ2)

2015.07.スペインの旅、アラゴン編、その19

お昼休みを過ごすために、他の町の見学をしてから、再びソス・デル・レイ・カトリコSos del Rey Catolicoに戻ってきました。昼前に来た時同様に、パラドールの近くに駐車して、急坂をえっちらおっちら、再び教会にやってきました。

前回と同じトンネルを通り抜けて、教会にアクセスします。




実はこのトンネル、やはり教会に含まれるものでした。ここでは、教会の解説本を購入していて、今改めて、というより、購入以来、初めてちゃんと目を通したんですけれど(情けないです)、このトンネルから、教会の地下クリプタに通じる入り口があったようなんです。上の写真で、左についている階段がそうなのではないか、と推測しています。
現場ではそんなこと思いもよらず、ただ前だけを見て、急ぎ足だったのが、残念。もちろん、扉があったとしても、今はクローズです。

教区教会サンテステーバンIglesia Parroquial de San Esteban。
正面扉。




もともとは、サンテステーバン・イ・サン・サルヴァドールSan Esteban y San Salvadorとも呼ばれていたそうですが、通称として、前者だけが残ったようです。
町の方からのトンネルは、上の写真の、画面の左下のものとなります。

高台にあるのに、さらに高くなっています。
トンネルのレベルをちょっと上ったところにクリプタがある構図ですから、その理由も、今はよくわかりますね。

第一印象は、相当いっちゃったな、というところ。彫り物の痛みは、遠目で見ても明らかです。
救世主サン・サルヴァドールの名称があったことにふさわしく、タンパンは、アーモンドの中のキリストが祝福する図像です。




傷みとこのベージュと薄い灰色の混じったような石色のせいで、肉眼では、図像を判別するのがきついレベルですが、キリストの周囲には、翼の生えた動物のスタイルで、四人の福音書家が彫られているように思えます。




側柱にもアーキボルトにも、びっしりと彫り物が施されているのですが、残念ながら、傷みが激しいんです。




破壊行為には、意外とあっていない感じで、ただ経年劣化がすごい。アーキボルトなど、おそらく新旧聖書のエピソードとか、変な動物とか、様々な場面が細かく絵巻状に彫られていて、かなり楽しいものなのですが。




多くの石工さんがかかわるような、相当大規模な仕事だったと考えられます。




現場では、開いているときは何か何でもまず入っておくこと、で、実際はすぐに飛び込みましたが、振り返りは焦る必要がないので、外観全体を先に見ておきたいと思います。

トップに置いた正面の写真でもわかるように、ここは、全体が一体化してしまっていて、一見、教会本来の独立した建物とはなっていません。
正面向かって右手の方は、こういう感じ。




まるで城砦です。
実際、町のはずれで、絶壁に突き出したような場所に建っているわけですから、塔は、おそらく城砦的な物見の塔の役割のものと考えられますね。
教会ファサードを背にすると、見事なパノラマが広がります。




階段をのぼり、後陣側へ。




正面は、あれですけど、こっち側は素敵でした~!




こちら側からアクセスしていたら、感動が全然違います!
でも、実際は、鉄柵のあるトンネルがアクセス口となるので、どうしたってあちらから行くしかないような案内になっているのです。これはかなり残念。

ちょっとディテールも。




シンプルだけど、なかなか好みです。市松チェッカーの帯、そして、窓にはめ込まれた石の透かし彫り。
ふと考えると、このチェッカー帯、スペインはすごく多いのですが、ちまちまとすき間を惜しんで彫りこむ感じが、ちょっとイスラム的な装飾ですね。馬蹄形についても、西ゴートからイスラムが取り込んだという説がありますが、このチェッカー模様というのは、どうなんでしょう。窓の石彫り透かしも、南イタリアで結構見られるものですが、そういえばローマにもあるような。マグレブあたりとの交流の結果かもしれず、また、ゲルマン系、ゴートの遺産である可能性もあり、装飾のルーツというのは、考えるとなかなか面白いですね。もちろん、そこだけを研究している人はたくさんいるのでしょうけれど。




軒持ち送りの彫り物は、ほとんどが溶けちゃっていて、判別不能が多かったです。若干時代が下るようなものだけが残っているのかな。

長くなっちゃったので、内部は次回。

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パラドールはスペイン旅の味方~(ソス・デル・レイ・カトリコ1)

2015.07.スペインの旅、アラゴン編、その18

先週今週と、仕事が結構ハードで、と言っても、日本で働いている人だったら、鼻で笑っちゃう程度のハードさなんですが、仕事に関してはかなりイタリア化しているので~。
そういう時は、プライベートな時間を捻出して、仕事から完全に離れる工夫をしないと、私はダメになっちゃいます。
最近は、そういうとき、ゴム版画に行っちゃうので、ブログがますます間遠になっちゃって、困ったもんです。

さて、ハカの後は、ナヴァラ州に移動する前に、アラゴン州内でいくつか気になる場所がありました。その一つが、ソス・デル・レイ・カトリコSos del Rey Catolicoです。




いつも、紙の地図でわかりにくくてごめんなさい。これが、地域の全体となります。
右側が、東となりますが、サン・ファン・ラ・ペーニャがわかるでしょうか。この右上が、出発点のハカJacaとなります。
赤い幹線道路を走って、ハカの後、最初に向かったのは、地図の左上、湖の端っこの方にあるレイレ修道院ですが、ここは、場所的にはすでにナヴァラ州となりますので、整理の都合上、後日記事にします。
ソス・デル・レイ・カトリコは、レイレからまっすぐ南下した場所にあります。

地図で見る道の少なさに、結構な山なのではないか、と恐れながら向かったのですが、案ずるより産むが易しで、道はさして難しくなく、また迷う道がない状態なので、すんなりと到着できました。

高台にある町の入り口には、どかん!とパラドールが建っていました。




なんの面白みもないパラドールですが、おそらくこれが建てられたおかげで、周辺が整備されたはず。周囲に無料の駐車場がたくさんあり、大変助かりました。
それに、パラドールは、カフェなど併設しているために、入りやすいのも助かります。このときも、高級なトイレ休憩をさせてもらいました。




やはり高級感があってよろしいですねぇ、パラドールは。
汗だくで、修行旅の汚らしい格好で、およそパラドールに泊まる人のタイプではなかったのですが、それでも対応もよかったですねぇ。

最上階にあるカフェ。一瞬、休みました。




こういうところでゆったりと過ごす休日。いつかそんな余裕のある旅をする日が来るか、と考えないでもないですが、ロマネスク病がいえない限り、そして体力が続く限りは、たぶん来ないんだと思います。

パラドールは、まさに町の入り口にあり、つまりは町はずれ。旧市街は、さらに坂道を登っていくようでしたので、車はこの辺において、徒歩でアクセスします。




意外と緩やかな坂。




が、ぐっと激しい角度になり。




坂が激しいから、石段なんだよね、これ。かなりきついです。
で、入り組んだ場所に見えるあそこが、どうやら教会へのアクセス口。




ちょっと不思議な作りになっています。教会とも思えない場所ですが、鉄格子がはめられていて、ここなんです、入り口。
鉄格子のなかは、こんなアーチのトンネルになっています。




このとき、すでに13時過ぎだったので、かなり気がせいていました。お昼に閉まるとすると、そろそろの可能性があります。で、ふと、左に掲げられているボードに気付きました。
訪問時間が丁寧に記載されており、それによれば、「10時-13時、3時半-5時半」と書かれていました。夜は、鉄格子が閉まるとも。では、教会はもう昼休みに入っているのか、とがっかりしながらも、先に進みました。
トンネル内にも、ちょっと彫り物があったりするので、ここも、教会の建物の一部ということになるのだと思います。




へぇぇ、と思いながら、トンネルと抜けると。




アラゴンの風景がどばっと目に飛び込んでくる仕掛け。

風景を見ているその私の後ろが、教会の入り口となりますが、やはり扉は閉まっています。ただ、明確に訪問時間が記載してある以上、夕方も開くだろうと思われ、では、戻ってこよう、と気持ちを切り替えて、トンネルに戻った途端、教会守らしきおやじが、カギをじゃらじゃらさせて、私を追い出しにかかりました。
「はいはい~、もうこの鉄柵も占めるから、どんどん出てね~!夕方は16時から開くから、是非その時に戻ってきてね~」と、取りつく島もなし。

その時13時過ぎですから、いくらランチをゆっくりしても、16時まではかからない。気持ちは、「教会見学の後、ここでランチを取り、エネルギー補給の後次の目的地に向かう」だったのですが、プランBに移行するしかなし。疲れた身体にムチ打って、さらにアラゴンの平原を進んで、先の村に行くことにしました。

というわけで、教会は次回。

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ビールを求めつつ、修行は続いた…(ハカ2)

2015.07.スペインの旅、アラゴン編、その17

ハカJacaのカテドラル・サン・ペドロCattedral de San Pedro、続きです。
まずは、博物館の見学を終えて、安堵。教会本体の見学にうつります。
まずは、側壁側にある扉周辺から。




木製の屋根、これは、後付けのものなんでしょうかね。それにしても、かなり古い感じがしますけれど。石に木が継がれているのって、古い教会の天井なんかではそうなわけですが、こういうのは珍しいですね。

まず目に留まるのは、博物館でお目にかかったばかりのこの柱頭。




ダビデ王と楽師たちです。博物館に置かれていると、かなり巨大感がありますが、こうして、あるべき場所に置かれていると、普通の柱頭なんですね。柱頭って、ちょっと高いだけでも、実際の大きさを把握できてないってことなんだな~。それだけ大きいから、細かい彫も可能なんですね。
それにしても、レプリカ、よくできています。人物フィギュアの部分だけなら、わたしなんてちょろいから、すぐ騙されちゃいそう。ただ、周辺のディテールが、再建なんですよね、明らかに。そうでやるなら、そういうところも手を抜かずに再現してほしいけど~。

タンパン。




なるテックス全体のみならず、扉上部も新しくなっていますので、この部分は、相当壊れていたということか、または後代に変なものが付けられちゃって、どうしようもなくなっていたのか、というところかな。
スペインお得意の軒送り彫り物がなくなってしまったのは、残念です。
タンパンの意匠も、新しそうですね。

扉周りの柱頭。




最近気づいたんですが、私、柱頭の下の部分にまで細工が施されていると、ちょっと嬉しくなったりするんです。




した部分って、縁取り的に出っ張りがあるパターンのとき、そこに足がかかって彫られていたり、モチーフとつながっていると、柱頭の部分だけが浮き上がらなくて、ますます建物と一体化している感じが、なんか好きみたいです。
そういう細かいところまできちんと彫りこむ職人さん気質が好き、みたいな。

正面扉の方にまわります。




上を見上げると、ちゃんとお得意の軒持ち送り、あります。




ぼよーんとしたお化け風と、危ない子の取り合わせ。意表を突きますねぇ。
ここにも、鉋屑がありますね。




どうやら、時代がいろいろ混じっているようです。

軒持ち送りの彫刻は、建物全体にあるのですが、かなり傷みが激しく、修復も施されていない部分がほとんどで、溶けてしまっている状態。




修復したのは、正面扉の上部だけのようです。

扉のアップ。




複数のアーチがメインの、大変シンプルな作りで、石の白さと相まって、すがすがしい感じ。これ、きっとつい最近洗ったんでしょうね。
タンパンには、ライオンが支えるクリスモン。




ライオンは、かなり写実的でデフォルメめいたものが一切ないし、前足で獲物を抱えているのもとてもトラディショナルな表現。クリスモンの中にお花が並べられているのが、かわいらしいし、ちょと珍しいように思いますが、全体には、あまり面白みのない、至極真面目なタンパンですね。

あれ?と気付かれる方がいるかも、ですが、お花のクリスモンにしても、タンパンの意匠にしても、ちょっと前に記事にしたサンタ・クルス・デ・ラ・セロスのサンタ・マリア教会と同じなんです。

お花のクリスモンは、こちらの記事に。
サンタ・クルス・デ・ラ・セロス

そして、ライオンのタンパンは、こちら。
サンタ・クルス・デ・ラ・セロス

タンパンは、私はサンタ・クルスの方が好き。ちょっと遊び心を感じます。ハカの石工さんは、まじめすぎる~!
ちょっとね、洗いすぎじゃないの、という疑惑もありますけど。

柱頭なんかも、真っ白すぎて、味がなくて~。




なんかこういう洗い立て状態の柱頭見ると、特にこういう白っぽい石だと、出来立ては、やっぱりこうだったのかと思いますけれど、こうなると、彩色してあっても不思議じゃないような気がします。彩色するために彫っているような感じがするっていうか…。いや、ここが彩色されていたという話はどこにも出てこないし、名残もないと思いますけれど、この状態見ると、ちょっと物足りないような気になりませんか。




入場しましたが、中はこんなです。




いくつか柱頭がありますけれど、全体としては面白くなくて、ちょっとがっかりしちゃうような。
なんせ、高くて暗くて、ろくに写真は撮れませんでした。たぶん、ディテールが見られたら、面白いものがあるんでしょうけれど。




博物館は、必見ではありますが、教会は、サン・ファン・ラ・ペーニャとかサンタ・クルス・デ・ラ・セロスを見た足で見ると、ちょっとな、という感じかな。

セラブロの勢いで、ハカにやってきて、ビールへの渇望を我慢して、何とか休むこともなく見学して、1時間ほどで終了。
やっとです、やっと!




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  1. 2017/02/28(火) 06:58:14|
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なぜここまで引っぺがすのか…(ハカ1)

2015.07.スペインの旅、アラゴン編、その16

多分、前の訪問からは、10年以上経つのではないかしら。前に来たときは、まだ、それほどロマネスク一辺倒じゃなかったので、この訪問は、結構楽しみにしていました。ハカJacaのカテドラル・サン・ペドロCattedral de San Pedro。




かなり疲れていたので、前回記事にした小さな教会に出会っていなければ、まずは、このカテドラルの横にあるバールに座って、ビール、と行くところですが、あのちびっこのおかげで、再びエネルギー充填!ホテルに荷物を放り込んで、すぐに出陣です。なんせスペインは、夏の日が異常に長いこともあるのか、昼休みが長い分、このカテドラルなどは、20時半まで開いているのですから、修行旅においては、ビールに酔いしれている場合ではなく、身体にムチ打って、この日のうちに見ておくべきものなのです。




工事現場の覆いにまでロマネスク。こうなると、テンション上がってきますよね。

時間が気になりますので、まずは、カテドラル内部に作られたハカ司教区博物館Museo Diocesano de Jacaの見学からです。本堂に入り、中からアクセスするようになっています。




カテドラルの姿とは裏腹に、内部はもちろん新しい内装の博物館となっています。
以前ここに来たときは、訪ねておらず、でも、まったく記憶にもなかったので、なぜだろうと思っていたら、どうやら改装で閉まっていたようです。開館は1970年と古いものの、2003年からクローズして、2010年2月に再オープンしたということ。なるほど、見逃していたわけではなかった、ということで、ちょっとほっとしました。
ほっとする、というのも変ですが、過去に見逃したと思うと、なんか悔しいんで~。




この博物館には、ハカのカテドラルの柱頭オリジナルが置かれていたり、地域の小さな教会から持ってきたフレスコ画や彫刻が飾られており、ロマネスク的には、一度は訪ねなければいけないマスト・プレース。

トップに掲げた回廊は、一時かなり荒廃してしまったのを、近年に整備したものということです。その回廊にあった柱頭のオリジナルなどが、展示されているというわけです。すでに、かなり傷んでいる柱頭も多く、痛々しいです。ただ、傷んでいるものは、現地に置いといてもいいんじゃないか、とちょっと思いましたけれど。




こちらは、側壁外側の入り口部分にある柱頭のオリジナルと思います。ダビデ王とその音楽家たち。楽器を弾いている姿が、ちょっと見、首切りに見えちゃって、幼児虐殺かと思っちゃいました、俺ときたら。笑。




外にある柱頭は、保護するのが難しいですから、こういう形で保存していくのもむべなるかな、とは思うのですが、でも、勝手な個人的思い入れでは、現場でいいんじゃないか、と思いがち。

特に、話が、内部のフレスコ画となると、絶対現場においてほしい派です、私は。
実は、ここにもこれほどたくさん、フレスコ画があるとは知らず、びっくりしたし、同時に、現場においてほしい派としては、正直がっかりしました。




サラゴサ県ルエスタRuestaにあるサン・ファン・バウティスタ教会Iglesia de San Juan Bautistaの後陣フレスコ画。
こういう、田舎の小さな教会らしい。




確かに、保護するの大変だし、ここに置いてあったら、見ることができないかもね。でも、こんな教会に、こういうフレスコ画があったら、どれだけすごいかと思ってしまいます。フレスコ画引っぺがしちゃったら、おそらく教会は放置されて、今は草に埋もれちゃっているとか、そういうことなんじゃないでしょうか。教会の建物だって貴重なのにな~。

ぎゃ~、これまた素敵なフレスコ。マットな色といい、表現法といい、かすかだけど、ベアトゥス写本髣髴です。




教会は、ウエスカ県HuescaナヴァサNavasaのラ・アスンシオン・デ・マリア教会Iglesia de la Asuncion de Maria。




こちらも、よく残っていますよね。若干、時代が下る感じがありますが。
ウエスカ県HuescaオシアOsiaにあるヌエストラ・セニョーラ・デ・ロザリオ礼拝堂Ermita de Nuestra Senora del Rosarioにあったもの。




結構修復してるんですけど。これなら、ここに置いておく選択肢はなかったのかなぁ。




で、驚いたのが、これ。




キリスト降架の図像のようなのですが、これは、ここに来る前に立ち寄ったコンシリオの教会のフレスコ画でした。確かに、その教会で出会ったおじさんに、フレスコ画のオリジナルがハカの博物館にあるよ、と言われていました。
コンシリオの教会は、早朝に、近所のおじさんが丁寧に掃除をしているような、そういう今でも生きて、大切に使われている教会です。フレスコ画がそのまま置かれても、絶対に大丈夫だし、地域の人にとっては、オリジナルがあることが、重要だと思うんですけどね~。スペインの、たぶん70年代の文化財保護政策、本当に残念。

フレスコ画引っぺがしは、しかしこれらは序の口。




総ざらえ!
サラゴサ県ZaragozaバゲスBaguesのサントス・フリアン・イ・バジリサ教区教会Iglesia Parroquial de los Santos Julian y Basilisa。
これは、古いもので、11世紀後半のフレスコのようです。ボイ谷と同じくらいの時期なのかな。




すっごいですよ、色も、表現力も。イタリアのヴァッレダオスタのノヴァレーゼのフレスコ画を、ちょっと思い出しました。あれと、同じような時代になるのかもしれません。




ウンブリアのフェレンティッロも、思い出します。
いろいろと髣髴としながら、どうしても、引っぺがされてしまったことに気持ちが向いてしまって、残念に思う気持ちを払しょくできなくて、素晴らしい芸術品に対して、薄ら寂しいような、そういう気持ちでした。
フレスコ画の博物館展示は、難しいです。この素晴らしい絵に、現地で出会えたら、ただただ興奮するはずですけれども…。

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  1. 2017/02/26(日) 03:38:41|
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もしや、ル・コルビジェのやつ…?(サン・ファン・デ・ラ・ブーサ)

2015.07.スペインの旅、アラゴン編、その15

大満足でラッレーデLarredeの見学を終え、この日の宿泊地であるハカJacaに向かいました。まだ日も高く、時間的な余裕はあったのですが、この日は本当に暑くて、早朝から動き回っていたためにもうガス欠状態。
その上、ラッレーデを出発したときに、車の温度計は、なんと40度を示していたのですよ。これでは倒れる、と思い、早いところハカに行き、まずはビールだ!という誘惑に勝てませんでした。

ところが、ハカに向かう道をのんびりとドライブしていると、右側の草原にぽつりと一人佇む建物が目に入りました。家畜小屋?それにしては立派な、と思いつつ、目の端で見つつ、後続車も対向車もいない田舎道のこと、スピードを緩めると、なんと、馬蹄形の開口部が認められたのです。




驚きつつ、路肩に急停車。
この辺りは、おそらく時間的に行けないだろうと思いつつも、一応主な教会はピックアップしてあったのですが、これはない。でもあの馬蹄形は…。
こうなったら、やはり見過ごせませんので、なるべく道にはみ出ないように駐車しなおして、草原に入り込みました。

道路と草原の間は溝になっていて、草木がうっそうとしていたので、結構回り込む必要がありましたが、無事、入り口を見つけました。
遠く、側壁にある扉の様子は、やはり教会のようです。




この辺り、相当興奮して、近づいていきました。
そして!




サン・ファン・デ・ラ・ブーサ教会Iglesia de San Juan de la Busa。

一人だったし、自覚もあまりなかったですが、絶叫的な悲鳴を上げたように思います。これは心底驚きました。すごい!今見たばかりのセラブロが、こんなところに、こんな形で一人、佇んでいるとは、だれが期待したことでしょう。




それも、このオリジナリティ!
これを見て、すぐに髣髴としたのが、ル・コルビジェのロンシャン礼拝堂です。やつ、ここに来たな、と思ってしまいました、笑。いや、ロンシャンは行ったことないんですが、写真で見るイメージが、そっくりっていうか。

道の方から見たたたずまい。




この、馬蹄形の窓のおかげです。これがなかったら、たぶん、停まらなかったと思います。

現地に置いてあった説明によれば、教会は、10世紀ごろのものですが、用途の起源、つまり修道院が関連していたとかそういう歴史的な経緯はわかっていないそうです。しかしながら、地域に点在するセラブロ様式の中では、ほぼ唯一といってよいほど、オリジナルの姿そのままで、千年からずっとここにあった模様。

ル・コルビジェが真似した(勝手に決めつけてますが)屋根のスタイルは、クーポラなしに円筒系の後陣を覆うためのスタイルらしく(この辺、あやふやなスペイン語理解なので、確信なし)、そういう様式が当時あったようです。ということは、ここだけじゃないんですね、きっと。

他の説明版には、モサラベ、と記載されていました。
この辺りは、前回の記事に書いたように、いろいろな説があるようで、決定的な説はまだないようですが、たまたま最近テレビでやっていた中世を巡る番組では、「ゴートが好んだ馬蹄形が、イスラムに伝わった、その代表が、コルドバのメスキータ」であるようなことを堂々と言っておりました。馬蹄形というのは、半円のアーチより、さらに高度な技術力がいるようなことも、語られていました。ここは、スペイン・ロマネスクには欠かせないポイントなので、ちょっと調べてみたいところです。

側壁にある扉も、馬蹄形。




アーキボルトには、あたかもイスラムの文字のような朝浮彫がありますね。これまた不思議な。木製の扉は、新しいものになっています。
この環境、このようなたたずまいの教会ですから、当然閉まっているものと思ったものの、これまでの経験から、忘れずに試してみました。

そしたら、あっさりと開いたので、またまた驚愕、雄たけびです。




すがすがしいシンプルさ。天井は新しくされていますが、石積みが当時のままと思うと、また、じわじわと興奮が沸き起こってくるような、そういう雰囲気です。
でも、建築的には相当素朴で、武骨です。




つけ柱的な柱が、天井を支えていたようです。前回のラッレーデと同様のトンネルヴォルトの天井だったと考えられますね。




こういう素朴さ、そして、大事にされているのが明らかな様子って、やられます。いつまでもいたくなるような空気が漂っているんですよね。
本当に名残惜しくて、何度も振り返りながら、帰路につきました。





セラブロ様式は、いつかまた、きちんと回りたいものです。

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