カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その25(2016年夏の旅)
セプルヴェダSepulvedaという町には、参りました。
山の上の、すごく狭い場所に張り付いている町です。
セゴビアが左下にありますが、結構山に分け入った場所にある町です。
山の上にある、というロケーションはわかったので、ふもとでいったん止まり、人に聞いたところ、週末以外は車で旧市街に入れるし、その方が楽だよ、ということで、ついどんどん登ってしまいました。登りながら、これはやばい、と嫌な汗がたらたら出てきたんですが、後続車もいるし、Uターンなどとてもできない狭い道なので、とにかく進むしかなかったんです。
本来、坂道発進が超苦手の私ですが、レンタカーのときは、結構大胆。新車の坂道発進は、そんなに難しくないもんですから。
しかし、このときはやばかったです。
で、旧市街の中心、エスパーニャ広場Plaza de Espanaに入り込んでしまいました。
まさに町の中心で、人々が行きかっておりますから、停まっている車はあるとはいえ、観光の間中停めておけるはずもないのは明らか。地元っぽいおじさんに尋ねると、ここはもちろんだめだけど、ふもとまで降りなくても、すぐそこに停められるよ、と教えてくれました。
しかし、それは、路肩駐車でした。
黒いフィアット500がこのときの私の車。これ、実際には、写真で見るよりも、もっとずっとすごい坂道です。だから、確かに、ここまで車で来ただけで、体力的には相当助かったんですけれど、それにしても、この駐車、大騒ぎでした。
もうちょっと高い場所で一旦停めたんですが、路肩に、幅広の階段があったんですね。で、そこに踏み込むつもりがなかったのに、車輪が入ってしまって。下向きに駐車したから、なんと後方への坂道発進しないと、発車できない状態になってしまったんです。
帰りにそれをやるのはやだ、絶対やだ、と思い、車の下が段差に当たってがりがりいってるのも分かったけど、もう無理やり、ほとんど半泣きで、階段から抜け出して、実はふもとまで降りようかと思いながら、そろそろと下ってきたんです。でも、この辺りで、ちょいと道幅が広がっていたので、ままよ、と路肩駐車決定。地元のおじさんも大丈夫、と言っていたので、禁止されているわけではないようでしたしね。
いやはや、今思い出しても、よく後ろ向き坂道発進で、あんな状態を切り抜けられたものだ、と冷や汗が出る感じです、笑。
さて、気を取り直して、セプルヴェダの町です。
小さな町なんですが、とにかく高低差が激しいので、徒歩で回ると、普通の二倍も三倍も体力を消耗する町だと思います。でも、中世的には、絶対にお勧め。事前に、見るべき教会が複数あることはチェックしていましたが、どれもが素晴らしく、また町のたたずまいも好ましくて、ここはちょっと滞在してみたくなるような、そういう中世の雰囲気満載の町です。
町の地図で行くと、4番が、私が最初にアクセスしたエスパーニャ広場となります。中世的に、絶対に訪ねるべき教会が、私が訪ねた順番で言えば、以下となります。
5番サン・バルトロメ教会、8番サンチャゴ教会、11番ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ペーニャ教会、10番サン・サルバドール教会となります。
普通、こんなに見どころがあると、一つくらいは見逃してもいいのかなと思いますが、ここは四つとも、必ず見た方がいいレベルです。
まずは、エスパーニャ広場からすぐのサン・バルトロメ教会を訪ねます。
Iglesia de San Bartolome。
南壁にある入り口側は、住宅に取り囲まれてしまっていて、え?本当にこれかな?と思うようなたたずまいです。広場から、目と鼻の先。
まずは入ってみます。
構造的には一身廊の小さな教会で、おそらく11世紀の創建当時の基礎はそのままながら、結構修復のあとは激しくて、まさに現役の教会だなという印象です。
それにしても、町の中心地にあったにも関わらず、この規模ということは、11世紀、この町、というより、集落的な規模だったのかな。山中だしね。これは、人里離れたような村にある教会の規模です。
ただ、傷んでしまっているとはいえ、柱頭彫り物などちゃんとあるので、それなりに手間暇かけて作られた教会ではあります。
ただ、外観を見た方が、それがよりはっきりとわかります。
住宅街に生まれてしまっている扉周りも、ちゃんと装飾があります。
地味ではありますが、アーキボルトに、二重に、植物的な文様が彫られていますし、柱頭もちゃんと装飾されています。
手裏剣的な植物文様、そしてあみあみワッフル柱頭ですね。素朴でかわいらしくて、11世紀なんだろうな、って感じさせられます。
さらにさらに感動もんなのは、外側後陣です。
こっち側は、幸いほとんどの部分が、独立建物となっていて、ぐるりと軒持ち送り。そして、円柱のつけ柱、これは大好物。切り石の積み方も、なんだかうっとりとします。間に、市松帯まで走っていて、何から何まで、私のツボにはまる後陣です。
一部、隣の建物に押し寄せられちゃっているのは、相当残念です。
あと、市松帯の下にあったはずのオリジナルの窓も、失われてしまったようですね。
押し寄せてきた建物の陰に、一部だけ残っていました。
やはりずんぐりむっくり系の、背の低い後陣と比例して、背の低い開口部に合わせた、背の低い側柱ですが、装飾は結構細かいのでした。
柱頭はシンプルですが、かわいらしいですね。特に、上部に置かれた組紐の帯が好き。
鉋屑がありますね。ちょっとフランスっぽい感じ。
超シンプルなアーカンサスの柱頭がかわいい。
壁にはめ込まれていた、チューリップのような彫り物。
楽しい!
続きます。
- 2017/12/26(火) 03:29:00|
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カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その24(2016年夏の旅)
次に向かった村、サン・ペドロ・デ・ガイリョスSan Pedro de Gaillosは、なんだかとっても普通の町っていうたたずまいなのですが、そこに普通然として佇む教会は、美しいものでしたよ。
サン・ペドロ教会Iglesia de San Pedro。
村の中に、普通に建っているんです、本当に普通な感じで。それが、なんかとってもよい感じで。
だって、見るからに、いい面構えでしょう。
ススキみたいな植物が生えちゃっている後陣ですが、決して、放置されているなどということはなく。
軒持ち送り、傷んでいますが、それなりに修復は施されている様子です。
全体にずんぐりむっくり系ですが、でも、好き。
わたしだけじゃなくて、この子たちも、好きみたいだった、笑。
それにしても、やっぱり、かなりのずんぐりむっくり系だよね。ちょっと妊婦さんのお腹状態っていうか。
その全体のぽってり感になじむ感じで、開口部も、背が低くて、その割に、側柱の柱頭がデカかったりして、ずんぐりむっくり感を増幅している気がします。置かれている位置も、半端に低い感じだしね。
開口部の薄目状態は相変わらずです。
軒持ち送りのアップ。
アクロバティックな人たちとかなんだけど、かなり溶けちゃってるのが、残念です。市松帯もいい感じに朽ちてます。
目ざとい人は、最初の写真でわかったかもしれませんが、ここ、残念なことに、本堂への扉どころか、ポルティカーダも鉄柵で閉ざされておりました。
この、手前にぐっとギザギザの、ギザの部分が突き出ているタイプの帯装飾は、結構あちこちで見ますが、勝手なイメージとして、イスラムっぽい感じがしています。イタリアでは見ないように思うし。どうなんでしょうかね。
鉄柵の間から、本堂の扉装飾を確認です。
いかにも好きなタイプなので、近寄れないのが残念。
特に、アーキボルトの一番内側のアーチの彫り物は、なんだかいろんなモチーフがずらずらと並んでいて、楽しいし、珍しいと思いました。
お干菓子用のお菓子の型みたいですよね。
アーチの根元にある柱頭は、かなり損壊が激しくてがっかり。
ポルティカーダの方はどうかというと。
とにかく、内側にアクセスされないための保護はすごい。アーチの間まで、執拗に鉄柵って、見たことない気がします。よほど、何かあったんでしょうかね、過去に。
なかなか細かい彫りが残っています。
副柱頭の、植物と幾何学模様交じりの帯模様は、他でもありましたね。このあたり、やはり地域的には狭いので、共通するモチーフが多いように思います。同じ職人さんが、あっちでもこっちでも活躍してたのかな。
上の鳥は、羽根の一本一本まで、かなり細かい仕事なのに、こちらは、大雑把な感じのアーカンサス。
結構高めの仕事の職人さんと、地元の、ま、そこそこはできるかも、程度の職人さんと、混ざっているような?
こんなん、アーカンサスの職人さんの仕事とは絶対思えないもんね。
本堂どころか、ポルティカーダの内側にすらアクセスできなかったのですが、ここはよい教会でした。外側だけで、十分満足でした。
- 2017/12/25(月) 07:15:18|
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カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その23(2016年夏の旅)
次に訪ねたペドラサPedraza、とってもかわいらしい町でした。ここは、中世に村、というくくりで、観光地として、成り立っているレベルの村だと思います。
なんと言っても、村の広場のかわいらしさ。
もう、中世まんま、という感じのポルティコ。再利用の柱も含めて、なんだか、もう、そのたたずまいだけで、来てよかったな、と思わされる村なんですよ。
ここは、バールで、トイレ休憩を兼ねて、のんびりとカフェコンレチェをいただきながら、広場を堪能してしまいました。こんなにくつろげる、というか、くつろぎたくなるロケーションって、そうないですよ。
村を歩いていても、別に観光的に作りこんだわけでもないのに、とっても絵葉書的な風景満載です。
それが、作りこんだわけじゃないっていう様子がうかがえるだけに、脱帽って感じ。
肉屋さんの店先にぶら下がった、ウサギらしい肉塊見ると、本来は、ただ生活している村なんだなぁ、って思います。
私が訪ねたのは、勿論、そういう村の日常を楽しもうってわけじゃないわけで、教会ですけれども、ここは、そういうのどかな村の生活の中に、教会も取り込まれているけれども、観光地としてフューチャーしているわけでもなく、完全に取り込まれて、建物の一部となっているっていう…。
サン・ファン教会Iglesia de San Juan。
住宅地に埋もれてしまって、その上、クローズ。見るべきものとして、洗礼盤をメモしてあったのですが、勿論中には入れず、しかし、ふと、扉の近くにあるものに、ふと気づいたんですけれど。
まさか、これじゃないだろな?でも、これはどう見ても、洗礼盤スタイル…。完全に雨風にさらされて、朽ちていますけどね。
そして、廃墟になっている、という事前情報の、こちら。
サンタ・マリア教会Iglesia de Santa Maria。
再建と崩壊との不思議なバランスの教会ですね。
実際、この村の教会はみな遺跡状態。朽ちちゃっていて、教会どころか、建物の機能も果たしていません。
ここも、建物すら朽ちている中、唯一注目するとしたら、この碑文くらいかな。読めないけど。
あとは、もしかすると、結構意味のある、下の方に見られたレンガのアーチかな。
細くて規則正しく作られたレンガのアーチ。建築的にどういう状況か、ちょっと判別しがたいのですが、でも、アラブ時代の構造物の可能性もあり、ですよね。
そして、ちょっと村はずれにある、小さな礼拝堂。
サン・ペドロまたは・デ・ラ・フロリダ隠遁所Ermita de San Pedro o de la Florida。
村とそれ以外の何もない土地との教会に建っています。
ある意味、隠遁所としては、村の近すぎる感もあるくらい。笑。
装飾的なものは、ほとんど残っていなくて、多くの部分が再建だと思われましたが、意外とさりげなく残っている、窓装飾のお団子なんかに、キュン、としたりします。
お団子文様って、技術も何もないけど、なんか飾りたい気持ちが作り出したような感じっていうか。それが、けなげにも、今まで残っているとすると、その当時の職人さんたちの気持ちというのか、思い入れというのか、気合というのか、なんかやっぱりキュン。
何かないのか、と目を皿にして見つけた軒持ち送り。
ちゃんと見つけたから!
と、なんかちゃんと言いたい気持ちになりますね。
この村でも、観光のメインは、お城だったのかもしれません。
- 2017/12/23(土) 07:27:51|
- カスティーリャ・エ・レオン
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カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その22(2016年夏の旅)
例によって、地味なのが続きましたが、日が変わって、旅の最終日。セゴビアの北東方面に戻る感じで、夜の飛行機まで、時間が許す限り走り回る覚悟で、最初に訪ねた教会は、いろんな意味で、とても良いところでした。
レキハダRequijadaの、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ベガス隠遁所Ermita de Nuestra Senora des las Vagas。
何もない、のっぱらの真ん中を突っ切るような道を走っていると、いきなり右手に現れました。確かに村から2キロ、とあったけど、こんな幹線道路のすぐ脇にあるとは、ちょっと想像外だったので、びっくりしました。
Ermitaというだけあって、かなりこじんまりとしていますが、何とも美しいたたずまいです。ロケーションも、理想的。
そして、こんなに人里離れた教会だというのに、保存状態はかなり良いのです。
作りも、ちょっと不思議な感じ。上の写真が、おそらく真正面だと思うのですが、ちょっとずらすと。
違う構造に見えますね。
いずれにしても、かなり小さい建物です。
周囲は、牧草地になっているみたいでした。
この隠遁所ができたころは、もしかすると、うっそうとした森が広がっていたかもしれないですね。
ちなみに、村は、教会と道を挟んだ反対側の丘を登ったところにあるような様子でした。
反対側は、漆喰ぬりぬりされちゃっています。
でも、残されたアーチが気になりますね。
左側は、どう見ても扉の跡。後付けのものなのかしらん。
これは北側となります。
後陣も、見事にぬりぬり。
見た様子からは、後陣は、ほとんどを再建したもの臭いです。中に入れなかったのが、残念ですねぇ。
本堂や鐘楼の開口部は、オリジナルなんでしょうけれど。後陣開口部は、これまた、極狭薄目ですね。
塔の下部にある開口部。
薄目開口部ですが、装飾はきちんとされているので、後陣も、オリジナルは、きっとこのような窓になっていたのでしょう。
あまりきれいなので、全角度写真を載せてしまいます。
柱頭、傷みも激しいのですが、でも、きちんとした修復が施された結果なのか、それなりに判別可能なものも多いのです。
スペインお得意のケンタウロス。
同じ柱頭の反対側の方は、顔が無残にもなくなっていました。
細かいことは、やはり忘却の彼方なんですが、どうやら、同じ柱頭の外の面に、やはり有名モチーフが、いらっしゃったようですね。
胸があるようにも見えますが、女性らしさがみじんも感じられない二股人魚。
そして、ポルティカーダに隠れるようにしてある扉。
幾何学模様だったり、市松帯だったりするのに、彩色されていた様子がはっきり。これは、めちゃくちゃかわいいです!
ちなみに、これまで訪ねた多くの教会でそうであるように、ここでも、ポルティカーダの入り口と、本堂への扉は、微妙にずれた位置関係でした。
アーキボルトの根元にある柱頭。
柱頭本体の動物たちの彫りは、かなり溶けちゃっていますが、副柱頭の組紐模様は、よく残っています。ごちゃごちゃしているのが、おもちゃ箱をひっくり返したようっていうのか、いい感じです。すでに色あせている彩色が、好ましいですね。
これ、激しい色だったら、やっぱりちょっと引けちゃうと思うんです。
ところで、教会は閉まっていましたが、この日は、村まで行ってカギを探そうという気になりませんでした。村が見えるところになかったこと、最終日だから、一つでも多く訪ねたい気持ちが先に立ったこと、そんなところだったと思います。
でも、おそらく一番の理由は、この素晴らしいたたずまいに、もうお腹いっぱい気分を感じでいたからでしょう。
とか言いながら、鍵穴撮影、してました。
いや、これは、鍵穴というよりは、扉のすき間撮影ですね。
やけに色鮮やかな、ちょっと面白いテイストのフレスコ画が見えました。
内部で、事前にチェックしていたのは、初期キリスト教時代の洗礼盤だけでした。初期キリスト教時代ということは、全身浸かるタイプの大きいものだったのかな。
実際、垣間見た範囲では、壁とか柱は、かなり修復されている様子がありましたが、この不思議なフレスコ画は、見てみたかったような。
もう一度、扉に戻り、上の方にあった彫り物を。
右側。
スタイルは、マリア様祝福ですよね。
左側。
あ~、受胎告知でしたね。マリアさん、祝福じゃなくて、驚いちゃってるスタイルかぁ。
いやはや、満足度高い教会でした。超お勧め。いつか是非、中も見てみたいものです。
- 2017/12/22(金) 05:51:24|
- カスティーリャ・エ・レオン
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カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その21(2016年夏の旅)
ケリャーCuellarのムデハル教会、続きです。
行ったり来たりしましたが、あとはもう、かすかな遺構を想像するだけの教会です。
サン・ペドロ教会Iglesia de San Pedro。
ここはもう、教会としての機能はなくなっているようで、南側の門は、カフェの扉となっていました。
後陣側にも門が作られていて、やはりカフェになっていました。
ちょっと無残な感じ。壊すよりはいいのでしょうけれども。
そして、駐車した場所のすぐ近くのこちらも、大きく変容していました。
サン・サルバドール教会Iglesia de San Salvador。
シンプルは後陣でも、そのまま残してくれればいいのに、ゴシック時代に、俺たちも、ちょっと時代についていきたいよなぁ、という感じで、支えを作っちゃったんですかね。
多分、建築的には、いらない支えだと思うんですけれども。
ちなみにこの教会、後陣側が、ちょっとした公園になっていたんですが、かわいらしいものがありました。
木の道に、ニットの洋服が。
虫よけか何か、実用的なものだと思うんですが、それにしてもかわいらしい編み物なんです。
ね。地元のおばちゃんたちが、せっせと編んだのかなぁ。センスありますよね。
ここで、中世修行はおしまいなんですが、このケリャー、実際に訪問できる方は限られると思いますので、ちょっと観光写真なども。
町はずれにお城があるんですが、実は、ここが、ケリャー一の観光地だと思います。このお城の一角に、観光局もありました。教会情報はないも同然で、親切とも言い難い対応ではありましたが、一応、教会は17時から開くことと、地図上で、場所を教えてくれたので、まぁ、こんなもんか、の対応とも言えましょう。
彼らにしてみたら、ケリャーに来る観光客は、このお城を見に来るもの、と思い込んでいて、教会なんで、眼中になさそうでした。
午後のオープン直後に訪ねたので、今からお城のガイドツアーがあると言われたのですが、勿論興味なしの私、ちょっとムッとされたのかもね。
お城、確かになかなか立派です。
お城から、城壁が旧市街をぐるりと取り囲んでいるのですが、お城近くの門のところから、その壁の上に出られるようになっていました。ここは無料だし、フリーで入れます。
バカと何とかで、すぐ高いところには登りたがるわたくし。早速。
たいした高さではありませんが、町全体、高い建物もありませんので、意外と見晴らしはききました。
美しく修復されたお城の姿。
そして、城壁の外、サン・アンドレス教会も認めることができました。
本当によく歩いたな。
セゴビアの町でのんびり過ごすつもりが、坂道も含めて歩き倒して、結局ホテルに戻れたのは19時過ぎで、倒れるようにシャワーを浴びて、眠りそうになりながら、夕食をとった記憶があります。
ホテルのレストランが利用できたので、普通のお店よりも早く夕食ができて、本当に助かりました。早くとも21時オープン、というスペインの夕食時間は厳しいことがあります。
- 2017/12/20(水) 06:34:14|
- カスティーリャ・エ・レオン
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