アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その53、そして最終回
フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venere続きです。

前回、半端に切ってしまった回廊です。広大さがちょっと分かりますよね。これだけ大きな回廊って、なかなかないと思います。
極限までほっそりさせた様子の円柱に、こういう平たい逆三角形の柱頭スタイルです。

このタイプの柱頭、どうしても南チロルを思い出してしまうのですが、確か昨年訪ねたサンタガタのクリプタとか、ベネベントの回廊もそうだったでしょうか。
体系的に調べたことがなく、南チロルのイメージから(あの地域にあるロマネスクは13世紀以降、他の地域がゴチックに移行している時期になされたものが多かったと記憶しています。確か財政的な問題が主な理由だったような)、比較的遅い時代のものなのかという印象だけがありますけれど、実際はどうなのでしょうか。
少なくともこの小円柱の拒食症的ほっそりさは、ロマネスク初期でないことは確実な気がしますね。

ほんのわずか、おそらく他から持ってこられたものと思われる彫り物がありました。

ここでは、足元がちょっと良かったです。

かなり修復というか、再建されちゃってるのかもしれませんが、石色も、すり減った様子も、石ラバーだったら、うっとり必至です。
しかし、こんな凸凹ってると、年取った修道士は危ないのでは、とちょっと思っちゃったんですが、逆に、慎重に歩くかもだし、あと、足で縦線にはめられたレンガを認識して、まっすぐ歩けるのかもとか、余計なことを考えてしまいました。
石畳って、本当に邪魔くさくて、車で走行するとガタガタしてイラっとするんですが、見た目には実に魅力的。不便だけど、イタリアではいまだに各地にあるわけですが、実は持ちがいい、というのも理由にあるとか聞いたことがあります。おそらくもともと石畳の場所って、古い時代から石畳になっているから、地盤もしっかりしていて、時々張り替えメンテナンスとかしてればいい、みたいな。実際、石畳は、街中にしかないですしね、地下もそれほど活用されてないだろうし。
ミラノでも、我が家のあるちょっと町はずれ地域になると、当然アスファルトしかないのですが、穴ぼこがひどいです。特に雨が続くと、あっちにもこっちにも小型の陥没が出現して、車で走るの怖いくらい。ちゃんと地盤の整備をしてないんでしょうねぇ。
おっと、また激しく脱線してしまいました。
ここらで、教会前に建てられていた説明版を読んだので、ここまで勝手なことを書いていますけれど、ちゃんと整理しておくことにしたいと思います。いつものことですけど、説明版を撮影したのに気付かず、勝手な記事を書きまくった後で読んでますので、色々余計なことを書いていてもご勘弁です。ペコリ。
すでに言及したことは省くとして、触れておきたかったのは、以下です。
「修道院が最も繁栄したのは、1165年、修道院長オデリシオ2世OderisioIIの時代で、ブルゴーニュの傑作が見られる。この野心的な修道院長は、当時すでにフランスで普及していた巨大カテドラルを実現しようと、ここにある建築構造は残しながらも改築再建に邁進したのだ。そのようなわけで、このサン・ジョバンニ・インヴェネレは、アブルッツォで実現されたシトー派修道院の最初の一例となった。
シトー派建築として、内部のアーチがかすかにとんがったり、ブルゴーニュ風の無装飾の柱頭を持つ半円のつけ柱が置かれたり、壁を高くしたりなど、内部を軽快にするアイテムが取り入れられている。」

なるほど、ですよね。
なんか、昔も今も、イタリア人はフランスが大好きなんだなぁって笑っちゃった。おしゃれはフランスから、的な何かがあるんですよねぇ。
それは置いといて、例によって中世辞典なども見てるんですが、シトー派とベネディクト派、当時の修道院建築のもとになるのですね。どっちもよく出てくるし、イタリアではベネディクト派が主流だし個人的にもシトー派は装飾がなくて面白みがないと思っているのですが、これを機会に、せめて辞書の内容だけでも読んでみようと思いました。有名なサン・ベネデットの規則って、全然知らないし。
聖人辞典を見るだけでも、ベネデットは有名になって、嫉妬されてどうとかいう話も出てくるから、当時の(後の)聖人スキャンダルとかもありそうで、興味が出て来ました。
中世のセレブって、聖職者か権力者だもんね。聖職者も、明らかな腐敗が表立ってくる前だから、もしかするとよりドロドロしたスキャンダラスなこともあるかもねぇ。
あ、すみません。また脱線しましたね。
最後になりますが、ファサードです。

ファサードへのアクセスは、ちょっとした階段ですが、これは、もともとの地形が丘で、その地形のままに本堂を建てたことによる結果らしいです。全体に、それなりに平地もあるけれど、後陣東向きとかの建築規則にのっとるために、こういうファサード高かったり、ファサード前が狭かったりという不具合な場所しかなかったということなのかもね。
このファサードも、下の部分は、大改築を行ったオデリシオさん時代のもので、そこは暗褐色の凝灰岩で作られています。
上の方、中央身廊の高さ部分っていうんですかね、そこから建材の色が変わりますが、そこは1346年に完成したもの。
中央の扉は、1225-1230年ごろ、当時の修道院長ライナルドRainaldoによるもので、洗礼者ヨハネの人生を語る浅浮彫装飾がほどこされています。

こういう大きなサイズの浮彫を、扉口に飾るというのも、あまり見ないスタイルですが、スポレートのサン・ピエトロだったかな、そんなを思い出しました。あそこも13世紀とかでしたよね。

テイストがかなりゴシックというか、ロマネスクじゃないので、個人的には好みじゃないのですが、この場所にあってこの保存状態って、すごいわ。
それにしても、ごちゃごちゃと、各時代に触った様子で、残念ながら、統一感がなくなっています。

この後、時間に余裕があったので、高速ではなくて海沿いの普通の道を時速50キロでたらたら走りながら、アブルッツォの美しい海を堪能しながら、ぺスカラの空港に戻り、短いながら密度びちびちのアブルッツォ初上陸修行旅、終了です。
鍵が必要な場所が多く、事前にはすべての手配が出来なかったので、どうなるか心配していたのですが、18か所訪ねて、入れなかったのは二か所のみ。その二か所も、現場で頑張れた何とか入れた可能性も高かったので、なかなかの戦績となりました。インスタ通じた現地の友人情報にも大いに助けられましたし、今の時代、ネットの重要性を感じます。
と言っても、鍵はネットではなかなかアクセスできず、最後は電話なわけですけどね、笑。
地味で、わざわざ訪ねる人も少ないアブルッツォのロマネスク、自分にとっても新鮮でしたし、将来訪問を計画している方の、何らかの情報となればよいと思います。長々おつきあいありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
スポンサーサイト
- 2022/05/21(土) 10:24:38|
- アブルッツォ・ロマネスク
-
-
| コメント:2
アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その52
フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venere続きです。
修道院の名前なんですけど、イン・ヴェネレというのは、おそらくこの場所に、ローマ時代の異教の神殿が、ヴィーナスに捧げられていたことからつけられたものと考えられているそうです。ヴェネレはヴィーナスの意味です。
海を見下ろす素敵な場所ですから、まさに神殿にぴったり、それも海の泡から生まれたヴィーナスに捧げたくなるような場所でもあります。
その神殿については、形としてはほぼ何も残っていないんですが、名前に歴史が残るというのも、ロマンがありますよね。
今ある建物のおおもとは、9世紀に、地震でもともとの建物が損壊した後に、1015年に地域のキエーティの有力伯爵のトラスモンド2世という方が、教会の再建をして、その際に修道院を作ったそうです。その方は、今でも修道院のクリプタに埋葬されているとか。
回廊を二つも持ち、学校併設、図書館もあるという大変立派な施設だったようです。

どん詰まりの内陣、かなり段差のある階段が分かるでしょうか。
手前には、いわゆる勝利のアーチというアイテムで、内陣が仕切られていますけれど、これが、かなり低い部分にアーチがありますよね。
もしかすると、これは、オリジナルのアーチで、内陣が後代に上に持ち上げられた結果という可能性もあります。だって、低すぎ。
あと、こういうアイテムにはフレスコ画がつきものだから、もともとはフレスコ画でおおわれていたかもねぇ。クリプタにも一部残っていますから、その可能性も大です。
いくら寄進したと言っても、寄進者がクリプタに埋葬されているわけですから、相当のお金を出したっていうことに違いないので、なんか金に糸目をつけずに作ったんじゃないのか、それでクリプタ埋葬権を得たのじゃないか、と妄想します。だから、全面フレスコ、笑。

相当の高さの内陣となっているのがわかりますよね。
今ある建物は、その修道院創建時よりも後の1185年から1204年にかけて、複数の修道院長がかかわってなされ、1225年から1230年ごろに竣工したとあるので、トラスモンドさんがご存命のころとは、ずいぶん趣が変わっているのではないかと思われます。おそらく、ずいぶん立派で壮大な教会にされたのでは。

件のクリプタも、かなり新しい様子で、すっきり風情はあまりない様子になっています。

遺されているフレスコ画は、13世紀以降のテイストですが、結構よい雰囲気ではあります。もともとは、全面フレスコ画だったのではないでしょうかね。きらびやかなクリプタだったと想像します。
いくつかの柱頭や円柱は、神殿時代の再利用らしいですが、とてもきれいに再利用されていて、再利用とは思えない様子です。
再利用って、多くの場合、あるものをそのまま、あまり加工しないで使われるケースが多いと思います。柱なんかは、だから太さや長さを違うのを、つぎはぎ状態でつかっていますよね。
でもここは、古い時代のものを、純粋に建材として使うために、この建物に合わせてきちんと加工してしまったということなのかな。ここでも、金がかかっていますね。

全体が、見事にそろっていますよね。
訪ねたときは、そういう歴史は知らないで行っているので、ただあるものをカシャカシャ撮影していますが、これが、トラスモンドさんのお墓なのかもね。

クリプタの大きさにしては、こじんまりしていますが、当初はこのクリプタももっと小さかった可能性がありますから、そこに合わせたサイズ感だったのかな。それに、おそらくか目にはめ込まれていたんじゃないかと想像します。
本堂に戻り、回廊に出ようと思います。多分その扉口だったのかな。扉状に、碑文が。

こういうのが、即座にスラスラ読めるとかっこいいんですけど、全然ダメ。
回廊につながる扉の外側の装飾は、古いロンゴバルド系の彫り物でした。これもまさに再利用ですね。

地震で損壊した建物にあった装飾だと思います。大好物。

両側に、典型的な組紐モチーフがあり、見事な保存状態です。


そして広大な回廊です。

今は、一つの回廊が残されているのですが、僧房のあった時代は、そちらとつながる回廊もあったということなのかな。一派な修道院です。

半端な切り方で恐縮ですが、碑文のこともあり、ちょっと資料を読んでみたら、妄想ごめんなさい、という感じなんで、改めてちゃんと読んで、もう一回、ファサード等含めて、記事にしますね。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/05/15(日) 16:14:27|
- アブルッツォ・ロマネスク
-
-
| コメント:0
アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その51
いよいよ旅の最後の地へ向かいます。
他の教会と離れた場所なので、旅の状況によっては端折ってもいい、ということで、最後の場所として選んだと思います。

右下ですね。

フォサチェージアFossacisiaのサン・ジョバンニ・イン・ヴェネレ修道院教会Abbazia di San Giovanni in Venereです(ほぼ観光地のようになっているので、高速降りると表示が出てきて、アクセスは簡単。駐車場に車を置いて、遊歩道を登る感じ。入り口付近にトイレも完備)。
海を見下ろす高台にあり、晴れていればかなり気持ちの良いロケーションと思いますが、私が訪問した時は断続的に霧雨みたいな悲しい天候でした。

季節が季節ですから、この程度の天候で済んで幸いくらいのもんですが、それにしても、真っ青に見えるはずの海が、うっすらぼけて、あるかないか分からないみたいな風景は、太陽の国イタリアだけに寂しさマシマシです。
でもね、ま、仕方ないやね。
最後の訪問地、確実に開いている場所を選んだのは、えらかったな、と思います、笑。しめも、それなりに重要だからね。
千秋楽を大切にする日本と違って、こっちは初日が重要で、舞台でもオペラでも、最後は尻つぼみ、みたいな感じになるんですけど、個人的には、もちろん初日はすっごく重要なんだけどね、旅の幸先みたいな意味でも、でも同時に、修行旅の最後は、それなりに盛り上がって終わりたい、という気持ちがあるんですよねぇ。
そういう気持ちで訪ねた最後の教会が、中に入らないとどうしようもないタイプなのに入れない、という言うリスクがある場所には、最後には行きたくない、というのが本音。
という意味では、正しい最後の教会。状況説明、長い。
見学としては、到着後、何はともあれ中に入ったのですが、紹介するにあたっては外観から。

と言いながら、実はこの後陣が、一番衝撃だったかもね。
遠目には分かりにくいんで、クローズアップしますね。

あれ?これ知ってる?
って思いませんか。
そうなんですよ。シチリアのパレルモあたりのノルマン建築に酷似の後陣なんですよね。パレルモのカテドラルとか、モンレアーレとか。
ちなみに、下が、パレルモのカテドラルとなります。

この辺り、以前の記事でも、ロンゴバルドとの関係だったり、ノルマンやビザンチンや、とにかく通過する地域だったからね、色々入り込んでるっていう歴史は、歴史として認識してるわけだけど、こういう、ちょっとこれって印象としてアラブも入っているシチリアのスタイル、という印象しかなかったもんがあったりすると、紙の上だとやたら複雑に見える歴史が、目の前にあるこの後陣で、なんかすとんと腑に落ちるっていうのかねえ。

ロマネスク的な重要度は、それほど高くないと思うんだけど、でも、ここは行ってよかったと思うのは、そういう部分も大いにあります。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/05/14(土) 21:06:34|
- アブルッツォ・ロマネスク
-
-
| コメント:0
アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その50
グアルディア・ヴォマーノが、予想外に開いていたこともあり、予定より早い時間に見学を終えることが出来たので、端折るつもりだった近所の教会にも立ち寄ることにしました。

プロペッツァーノPropezzanoのサンタ・マリア修道院教会Abbazie Santa Mariaです。プロペッツァーノは、グアルディア・ヴォマーノから東方面に10分ほど走った村で、修道院は、その郊外の丘の上に、ポツンと立っている様子だったと記憶しています。

ちょっとグーグルから写真をお借りしました。
そんな何もないところなんですけどね、こうやって、結構車が行きかっている不思議な場所で、なんと教会の道を隔てたお隣に、バールまであるんですよね。
周辺に町村が点在しているし、ちょうどあちこちへの道が交差しているとかそういう場所になるんでしょうかね。そして、周辺にはバールなどもほとんどないから、トイレ休憩的にも重要だったりするのかな。
で、嬉しいことに、このバール、開いていたんですよね。
なぜ嬉しかったかというと、以前にも言及した、地元のインスタ友達に、あそこの教会はいつも閉まっているけど、鍵は隣のバールにあるからって教えてもらっていたからなんです。
そのため、大満足で意気揚々とバールに飛び込んだわけですが、1秒で玉砕…。
というのも、もはや鍵は預かっておらず、教会の扉口に電話番号があるから、そこに電話してください、ということだったんです。
天国から地獄、大げさですけどね。

というわけで、上がその番号です。訪問したい人は、夏季に電話すること、と書いてあり、左が固定電話、右が携帯電話の番号となります。
この日は夕方にミラノに戻るスケジュールであり、もう一か所、ちょっと離れた教会に立ちよる予定にしていたこと、鍵にかかる時間が読めないことから、私は、結局あきらめてしまったので、今後どなたかがトライしてくださることを期待して、あげておきます。
教会の起源は古く、8世紀とされているようです。その頃の教会の名残が、ファサードのところどころにはめ込まれた装飾的な浮彫のようです。
ファサードから一部突き出す感じで、ポルティコがあり、この辺りにちょっと古い名残が見られます。

ポルティコの中に扉があり、その周辺は、14世紀風のフレスコ画がいくつか残っていますが、その下に、おそらく古い時代の浮彫が、縁取り装飾に使われていたりします。

ここ、多分暗かったんで、仕方なくフラッシュをたいたんじゃないのかな。見えにくい写真ですみません。今ならヘッドライトなど装備も万全ですが、当時はそういうアイテム持ってなかったからねぇ。
他にはないのか、と、目を皿のようにして、文字通りなめるように探したら、ポルティコの上の方にも発見。

分かりますかね?
下の、おそらく後代に開けられた丸窓の両脇に、こっそりと変な形の子たちが向き合っていましたよ。
左側の子。

そして右側の子。

シンプルだけど、味がある彫りです。サン・リベラトーレのアーキトレーブにも、ちょっと通じるものがあるかも?
それにしても、もともとはどこに置かれていた子たちなんでしょうね。絶対こんなとこじゃないよね。これは、普通誰も気が付かない場所で、だからひっそり楽しく往時のまま生きているのかもしれないけど~。
左側にある扉口も、装飾的にはちょっと時代下っているので、ふーん、という感じです。

現在ある建物は、13世紀の終わりごろから建てられたものらしいのですが、正確にわかる資料はないようです。
内部は、三身廊、三後陣スタイルで、角柱で仕切られたスタイル。

比較的新しい部分は、結構ちゃんと残されているらしく、内部には回廊もあるようでした。上にあげたポルティコの様子と同様、レンガ造りの回廊っぽいですね。

何が何でも入りたい、と感じさせるようなほどのたたずまいではなかったので、あきらめるのも簡単ではありました。
興味深いのは、今でもこうやって車が行きかうっていうことかな。修道院があったからこそ、道もちゃんとできたというのはあるだろうし、歴史の中で生きてきた修道院なんだなって感じられたところ。今は生きてないわけだけども、ずっと人の往来を見てきたんだろうなっていう感慨があります。
いや、地味。
そういうのもたまにはあります。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/05/12(木) 21:17:30|
- アブルッツォ・ロマネスク
-
-
| コメント:0
アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その49
グアルディア・ヴォマーノGuardia Vomanoのサン・クレメンテ・アル・ヴォマーノ教会Chiesa di San Clemente al Vomano、本堂内部の続きです。
前回紹介したチボリオの下には、祭壇が置かれています。

チポッリーノ大理石の板で作られ、シンプルな箱型ですが、注目すべきは前面の小食。はめ込み細工で、アラベスクモチーフがぎっしりと作られており、中央には神の子羊が置かれています。

解説には、「チボリオに使用されたテラコッタの粉末や、アイジングラス(ゼラチン)や動物の骨などが、埋め込み用に使われている」とさらりと書かれていましたが、鍵番のおじさんの説明では、今でも正確な材質、そして技法は分かっていないということでした。

両側面も、もっとずっとシンプルですが、同じ技法で飾られています。
脇の方のは、彫りがされている部分に、やはり何か詰め込むはずだったのがなされなかったのか、または詰め物が取れちゃっているか、ということなのでしょうか。

そこは不明なのですが、シンプルなモチーフである分、逆にモダンな様子にもなっているのが興味深いです。
この祭壇は、レリック(聖遺物)入れを兼ね散るので、裏側は装飾なしで、聖遺物を収める穴が開いています。

元々は、サン・クレメンテさんの何かが収められていたんでしょうね。いや、今もあるのかな。そこも不明です。
その、教会がささげられたサン・クレメンテさんですが、立派な木像がありましたよ。

153センチもある、ほぼ等身大と言ってもよいような大きな木像です。1300年代初頭のものとされているようですが、ゴシック後期の技術による彫りと彩色に、ビザンチンテイストも盛り込まれているとあります。
ガラスケースに収められているのは、おそらく数年前に修復が施されてからなのではないでしょうかね。これほどの大きなお像で、保存状態も良好なので、重要度も高く、その修復がされたのちは、各地で巡回展示をされたそうです。
巡回ということで、ふと考えたのですが、日本の仏教だと、江戸時代に出張開帳というのがあったようですよね。いわゆる興行師が、お寺とコラボで儲けるために実施したような話が、落語にもありました(私の江戸の知識は、ほぼ落語経由、笑)。今、ググってみたら、東日本震災の際に、善光寺出開帳が両国の回向院で実施されたという記事が出て来ました。そうそう、回向院って、出開帳に使われるお寺だったんですよね。へぇ、今でもそういうのがあるんだって、ちょっと驚いたけれど、ご開帳という文化が残っている日本では、驚くことではないのかぁ。
キリスト教では、レリックを拝むけれど、お像をそこまで尊ぶ文化はないですよね。お参りはしますけれど、そこまで隠すことはないですね。製造禁止の歴史とかが関係してるんですかね?一神教、ということもありますかね。
このお像は、大きさのインパクトもありますし、表情もよく、とても良くて、思わず「あ、どうも、お邪魔してます」みたいな感じで、あいさつしてしまうタイプの方でしたね。

その他、言及すべきアイテムとしては、いくつかのフレスコ画(正確には21)がありますが、全体に劣化損傷が激しいですし、時代的には、最も古くて13世紀後半のものとなるようです。
その、最も古い時代の一つが上の聖母子です。写真が悪くて分かりにくいと思いますが、ビザンチン・テイストが入っており、聖母の衣服の豪奢な様子が見られます。
その他は、私には興味が持てない、より時代の下るものだったので、割愛します。
脱線も多くて、また長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。やっと次に移動します。
ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
- 2022/05/07(土) 15:53:30|
- アブルッツォ・ロマネスク
-
-
| コメント:2
次のページ