2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その103
モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierre、続きです。
本日は、特に予定もないのにお休みを取ったので、非常に余裕があり、手持ちの資料に目を通しています。
イタリア、と聞くと、いまだの多くの日本人は、怠け者で食べることと恋愛に夢中で、みたいなイメージがあるかと思うので、ちょっと言っときますが、そのイメージって、日本イコール芸者、サムライというレベルの思い込みに近いと思います。いや、私の知っているイタリアは、主にミラノとその周辺、いわゆる北部イタリアに限るので、それ以外の地域は、若干異なる可能性はあるんですけどね。
ミラノでは、お休みがたまっちゃって、年度末にどんなに忙しくても消化せざるを得ないということは、日常茶飯事なんです。休暇取得は、従業員の権利でもあり、同時に義務でもありますので、既定の有給休暇は、なんとしても取得しなければなりません。私の場合は、年間休暇が29日ありまして、これまではため放題だったのですが、今はちゃんと取得しないと、権利消失の可能性が出てきたのです。とはいえ、今年前半は、あまりの忙しさのため、一日たりと取得できていないので、半年で29日消化しなければならず、それで、プライベートの予定がなくとも、業務上、不在でも問題ない日を優先的に休まないと、とても消化できない、ということになってしまったのです。
この辺のことは、今度まとめて書いておこうかな、と思います。日本とは制度も運用もすごく違うのですが、イタリア人のメンタル、結構日本的なものもあるということは、あまり誰も言ってくれないので…。
おっと、脱線しすぎですね。これも、余裕があるゆえんです、笑。
では、タンパンを解説付きで見ていきたいと思います。

壮大な作品です。
タンパンが、開口部とほぼ同じ大きさありますね。サイズは、6.5mx3.5m。この大きさは、同時代のタンパンとして最大のものとされているようです(すでに消失しているクリュニーのタンパンが、ほぼ同サイズだったらしいです)。
この大きな作品は、石灰岩の23のブロックがつなぎ合わされたものということで、クローズアップすると、確かに、垂直方向のつなぎ目は、しっかりとわかります。

いきなりディテールに入りますが、これ、アーキトレーブのすぐ上に並んでいる、長老たちの段です。
二人の長老の両脇に、縦線が見えますが、これがつなぎ目のようです。
水平方向のつなぎ目は、波型の帯装飾を置くことで、隠されています。
で、彫り物はブロックごとに工房でなされて、それを組み立てた、という形なんだそうです。
これだけの作品だと、大体そういう作りになるんですかね。フィギュアがキツキツの中にあると、彫るのも大変でしょうから、その方が細かいところまで行けるように思いますし。
こういう、作成の技術的な話というのは、実は結構好きなのですが、一般的な解説では、美術に偏ることが多くて、そういう土木技術系の話がなかなか出てこないんですよねぇ。そこまで広げられないとはいえ、石の出自とか、運搬経路とか方法とか、そういう話って、さらりとは知りたいといつも思うんですけどね。
さて、このタンパンのテーマはサン・ジョバンニ、つまりヨハネの黙示録です。全体のクローズアップはこういう様子になっています。

で、長老がずらりと並んでいるわけなんですが、まずはここから見ていきますね。
上の全体像で見ると、下段に14人、中段に6人、そして、てっぺんに近い方に4人。左右シンメトリーな数で配置されています。
一見して、どの人物も類型的な様子ですが、実は、衣についても、態度についても、すべて微妙に異なるという、石工さんの努力が…。

遠目では見えませんし、実際現場にいても、ここまで見えてなかったし見てなかったと思います。常にオペラグラスを持っていたはずですが、タンパンは、比較的近いので、そこで細部まで観察した記憶なくて…。
でも、こうしてみると、すごいですよね、この細かさ。
他のタンパンでもありましたが、この、まるでビザンチンの宝飾類のようなきらびやかな装飾の彫り物は、改めて驚かされます。

それが、一人ひとり違うっていうんですから、なんというこだわり!

長老たちは、手に、グラス、そして、ヴィエールという中世の弦楽器を持っています。これは、弓で弾くものと手回しのものがある楽器だそうです。

手回しでどう鳴らすのか、想像もつきません。この様子では、ヴァイオリンの原型的な、弓で弾くタイプに見えますが、でも誰も弓を持ってないんですよね。
ちなみにですが、ディテールは本当にすごくて、長老が腰かけている椅子の装飾まで、こんなキラキラです。

マージナルな部分から入りましたが、タンパン中央部のキリストに行きましょう。

中央にキリスト、周囲に四福音書家のシンボル、そして、布をひらひらさせた二人の天使、という構図です。いわゆるアーモンドの中の玉座に腰掛けるスタイルですが、ここではアーモンドの形がはっきりとは彫られていません。解説ではバーチャルなアーモンドとあったのですが、頭の方の光背の後ろのとんがった部分だけがあるので、そこをただるように、キリストの周囲にいる四人の福音書家が、身をくねらせて、アーモンドの楕円を描くようにしている様子が、バーチャルな、ということなのかと思いました。
解説によりますと、玉座の縁取り、光背、十字架、翼などのアイテムは、全体に、かなりの浅彫りとなっているが、各フィギュアの頭部だけが、非常に深彫りとなっていて、土台から激しく飛び出しています。
正面の写真だと分かりにくいので、ちょっと横から撮ったもの。

分かりますかね。確かに、浅彫りと深彫りが混じっていて、特に頭部については、ほとんど独立した彫刻状態になっていますよね。
長老たちは、全身がとても深く彫られていて、頭部についてもそうですが、これは飛び出し効果を狙った石工の表現ではないか、とあります。要は3D効果ということになるんでしょうかね、新しい!
そういう表現を多用しながらも、でも全体の統一感を崩さないように細心の注意が払われているとあるのは、やはり画面を埋めるための装飾性や、邪魔しないための浅彫りということになるのでしょうか。
解説で、えっと思ったのが、ミトラ教への言及です。

キリストの右下にいるルカのシンボル雄牛ですが、この、弓なりの雄牛の様子が、ミトラ神に捧げられた雄牛を彷彿とさせるとあって、なぜいきなりミトラ神?
ミトラ教は、キリスト教前に非常に普及していたらしい、キリスト教からいえば異教、要は古代宗教の一つ、太陽信仰系のやつらしいんですが、資料が全くないのです。ローマには、主に地下に、ミトラ神殿の遺跡がいくつか残されており、私も数年前に訪ねたことがあります。確かブログにも書いたと思いますが、大変興味深いものでした。キリスト教普及のために、ミトラ信仰を利用するなど、キリスト教のうまさが見えるという意味でも面白いのですけれど…。
ただ、そういう流れから、なんとなくミトラは、イタリア半島に普及していたもの、と勝手に思い込んでいたのですが、半島のみならず、ローマ帝国内で信仰されていたということになるのですね、おそらく。
それにしても、唐突な感じで、よくわかりません。
最後にですが、前回、ライトアップの様子をアップしましたが、このタンパンが彩色されていたことは、規定事実となります。彩色跡が、一部見られます。
これだけの彫りをして、さらに彩色って無駄にも思えますが、当時、絵の具は高価なものだったと思いますから、やはりどれだけ金をかけたかが目に見える施工だったということかとも思います。ロマネスク時代の何でもかんでも、どこでもかでも彩色、というのは、そういう意味ではありえないのだと思っています。彫るのは、地元の石工さんが見よう見まねでもできるけれど、石に彩色できるような絵の具はおそらく簡単には入手できないはず。
そして往時の人にとって見れば、はっきりした色というのは、本当に高価な顔料でなければ出せなかったものと思うし、明確な色であるほど、誇らしかったのかな、と思ったり。
時代が変わるって、多分そういうことでもあって、面白いですね。
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- 2021/06/11(金) 11:55:07|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その102
予告通り、っていうほどのもんでもないですが、いよいよこの旅の最後、フィナーレ、あれ?フィナーレって、日本語でも言いますよね?でもこれって、イタリア語ですね?
イタリア語、音楽用語にはよく使われますけど、日常的にはそんなに入ってないように思います。30年イタリア暮らしでも、日本語はちゃんとしていると思うのですが、こういうのはちょっと戸惑います。一応、辞書で調べたところ、やはり音楽用語から一般化した単語として、ちゃんと載っていました。
もとい、フィナーレ。

モワサックMoissacのサン・ピエール修道院教会Ancienne Abbaye Saint-Pierreです(7時-19時、回廊は9時-19時。火曜に回廊のナイト・ツアー。夏な毎日21時半から、ファサードのライティングショー)。
この町に来たのは火曜日。まさにドンピシャ、ナイトツアーのある日でした。でも、ツアー参加は断念しました。なぜかというと、ツアー開始は20時なんだけど、19時までに入っていなければならないというんです。そうすると、夕食をくいっぱぐれるリスクもあるので、各自夕食持参で、中で食べられますよ、という非常に変則的なものでした。なぜかというと、教会は、一旦19時に、閉門し、外からのアクセスができなくなるから、というある意味非常にお役所的な理由だそうです。
これが旅の始まりや途中なら、それもいいかな、と思ったかもしれませんが、なんせ、旅の最終日。サンドイッチの夕食は寂しすぎるので、移動中にランチをスキップすることはできても、これは譲れない、と断念した次第。それに、19時には行ったら、ツアーの始まる20時には、もう飽きちゃって、出たくなるに決まっていますしね、フランス語の解説聞くのも辛いし。
ナイトツアーなら、いずれにしても、もう少し日が落ちてから、薄暮の中、いや、むしろ、暗闇の回廊に憧れます。
この修道院教会、実に立派ですし、ロマネスク的な見所も数多くあり、現場でもアワアワしてしまうタイプであり、今、写真を見返していても、うわ~、どっから始める?と戸惑う有様です。
大きなポイントは、メインの扉周辺、そして、回廊となります。
自分がこの町に到着したのは、夕食前の時間です。まだ教会は開いており、併設のインフォメーション及びブックショップも開いていたので、情報収集から開始。そこで、先述の、ナイトツアーの情報などを得て、見学方針を決めたのです。
細かい見学は、翌日、たっぷり時間がありますので、この日は、夜間のライトアップショーが、自分にとってのメインでした。
というわけで、いきなり観光的なスタートです。
前回の記事で、夕食のことを書きましたが、夕食は、教会が正面に見えるような位置にあるレストランのテラス席でいただきました。教会を見ながらの、至福のカモ肉と赤ワイン、というわけです。
で、ゆっくり目にいただき、ショーの頃に、教会近くに移動する、という戦略を立てました。見事、予定通りな時間配分で、お会計あたりで、音響調整が始まり、ファサード近くのベンチに移動できました。
お食事を始めたころは、まだ昼日中状態の太陽光でしたが、ショーの時間には、このくらいの暮れ方。

濃紺、美しい空の色です。
で、このようにファサードの彫り物に、オリジナルはこんなだったはずです、という彩色の様子が、ライトアップで表現されるってやつです。

これ、チヴィダーレのロンゴバルドの祭壇でも、同じような感じの仕掛けになっていましたけど、こちらは数倍の大規模。でも内容は一緒です。

毎度驚かされますねぇ。
祭壇レベルなら、実際にフレスコ画が残っているものもありますし、スペースが限られている分、想像もつきやすいのですが、タンパンのように、構造に組み込まれているその一部だけが、このように激しく彩色されていて、周囲は、石色、というのが、非常に想像を難しくする感じです。
中国や日本の寺院のように、外壁含む全体を漆喰塗して、とにかく木を塗りこめるという発想の方が、バランス的には分かりやすいっていうか。

それも、色がかなり激しいです。
キリストは黄色の衣で、福音書家本体が赤って、ちょっとすごいんですけど。

ただ暗闇の中では、彩色があると、彫りの内容が見えやすい、というのは経験しているので、彩色の意図はよくわかりますし、より激しい色の方が、より暗闇で浮かび上がるのだろうな、と想像はできます。
松明やランプをもって見上げたら、これほどはっきりではなくとも、キリストだなぁ、福音書家だなぁ、ということが分かるくらいには、見えたのではないかと思います。

他の部分も見ながら、夕食後のお散歩。
ヘンリー・ムーア的な人影もライトアップになってて、なんだかかわいらしい。

ということで、次回から本格的に、ガイド本を読んでみましょうかね(←面倒な様子がにじみ出ていますけど)。
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- 2021/06/06(日) 11:42:32|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その101
前回、ちょうど100回でしたね。あとほんのわずかなんで、きりよく、100回で終了~となるように、無理くり頑張ればよかったなぁ。
60か所以上回っているので、どうしてもそのくらいにはなってしまうんですが、それにしても、Covidで在宅になって、もうちょっとスピードアップできると思ったのが、案に反して、ダウンになってしまった感じもあります。我が家では、一つの机に、自分のと会社のと、ノートパソコンを二台置いていて、日中は当然会社パソコンで働くのですが、プライベートで自分パソコンを使うのも、同じスペースなんですよね。もうずっとすごく忙しくて、一日中机に張り付いている状態のため、なんだか自分の時間まで、その机に張り付く気がしなくて、見事に週末しか開けなくなってしまったんです。
この、在宅で比較的時間があるうちに、たまっている写真をどんどん整理するはずが、まったく進まず…。
さて、カオールCahorsのサンテティエンヌ大聖堂Cathedral Saint-Etienneです。

前回の記事で、扉上タンパンを紹介しましたが、今回は、同じ扉の周りと、その他外観を見てみます。それから、中に入ります。
前回の記事のトップの写真を見ていただくと、扉口全体が、非常に装飾的になっていることが分かると思います。これは好き嫌いあると思いますが、個人的には後者です、笑。
軒持ち送りは良いのですが、表側にもずらずらごちゃごちゃついている、このお花モチーフは、苦手です。

扉に向かって、両側びっしりこういう感じ。お花を並べる代わりに、もっとアーチを大きくして、柱頭も大型化して、そこでインパクト狙ってほしい、というのが、私の希望となります。いや、誰からも募られていませんけどね、希望は。

上を見上げると、これまたなんだかびっしりですごいんです。
軒の市松帯は好きなアイテムですが、間から、なんか説教する人的な、祝福する人的な、飛び出てきてたりして、思わずうるさいなぁ、と思ったり。
柱頭も、タンパンに通じる繊細さ、細かさ全開で、装飾的な文様も含めて、正直、ちょっとうるさい。

頼みの綱(笑)の軒持ち送りも、かわいいタイプのものはなくて、なんだか時代の進んだいやらしさ全開の人の顔とかがずらりだし、軒持ち送りの間にまでお花の浮彫があったりして、これまた明らかにうるさいだろう!とイラつくタイプです。個人差ありますからね、私は、ミニマリストではないですが、ここまでされると、ちょっと嫌なタイプです。

とはいえ、好きなものは、必ずあるもんで、これなんかは、神経質な彫り物てんこ盛りの後では、受け入れやすい。

これも、ほっとできます、笑。

三頭身の馬がかわいいかも。絶対サラブレットじゃないし、アラブ馬じゃないし、スペイン馬じゃないし、しいて言えば、道産子的な?騎手は、顔が一部損壊しているんでしょうけれど、仮面をつけているみたいに見えて、ちょっとコミカルな絵になってます。

さて、入場口は、タンパンのあるのとは、別の扉となりますが、これが、タンパンでたくさん彫られていたクローバー型アーチになっています。

オリジナルから、クローバー型だったのかな。そうだろうなぁ。
彫り物モチーフとしても取り入れちゃうくらいだから、石工の誰かが大好きだったんですかね。いや、棟梁かな。あそこまで好きなら、ここにも彫っといてやるか、ということだったのか、または、統一したいから、タンパンにもこれで頼む、ということだったのか。
タンパンはともかくとして、建築的には、普通のアーチよりも、手間がかかりそうです。あ~、なんか、こだわりのある棟梁だったのかなぁ。なんか、繊細な彫り物にも通じるのかもしれない。
入場します。

ガラン、とした構造で、ロマネスク的な面白さは希薄。
クーポラがぼこぼこ開いていて、なんかとりとめないっていうか。

一部にはフレスコ画残っているけれど、おそらく一時は、全面に絵があったんでしょうね。だとすると、かなり豪華絢爛なものだったかな。

かわいい絵ですが、もちろん時代は下ります。そもそも構造として、おそらく後代のものではないかと思いますが、どうなんでしょうか。
多くの場所に彩色が施されていて、構造的にもいろいろ新しくなっている中で、辛うじてわずかな柱頭が生き延びています。

外側の彫りの様子からは、内部にも、もっとたくさんの彫りがあった可能性があるので、おそらく長年の間に失われたものが多いのだと想像します。残念ですが、一方で、よく外側には、多くのものが残ったものだと感心もします。
次回、いよいよこの旅最後の地となります。
いつも、くだらないよもやま話に脱線して、記事が膨らんでしまいますが、今回は最後に。
このカオールにつく前に、いつものようにホテルの朝ご飯でぱちったパンなどをランチとしていただいていましたが、十分ではなかったのと、とにかく暑さでやられそうだったので、フィジャックにいた時点から、すでにアイスクリームを探していました。
夏の暑さでどうしようもないとき、イタリアではアイスクリーム、つまりジェラート接種を推奨されます。ジェラートは、カロリーは低めですが、それでも、それなりの栄養素がありますし、何より身体がへたって食欲がなくても、食べやすいですからね。旅でも、時間がない食欲もいまいちな場合は、ジェラートたべときゃ安心、みたいなところあります。
で、探していたのですが、やはりイタリアほどはないですね、お店が。
カオールでは、教会につく前に、やっと見つけて、前に一人いたんですが、仕方なく並びました。その人遅かった…。その上、やっとアイスを手にしたら、今度はカード払いで、手間取っていました。
ちょっと~、聞いてはいたけどさ、5ユーロ程度でカードって何?!って、思わず鼻白む私、いや、何も言いませんけどね。そもそもジェラート5ユーロって何?!という点も、すでに鼻白んでましたけど、笑。
カードの話って、前にも書いた気がしますけれど、英国とかフランスでは、カードが当たり前で、ほんの小銭程度の買い物でも普通に使うことは、漠然とは知っていたんですよ。でも、この時は、たかがジェラートにカード、というので、結構びっくりしたんです。その上、運悪く、なんか変に手間取っていたしね。
イタリアは、2017年当時は、バリバリ現金主義だったし、個人的にも現金の方が好きで、ホテルや夕食はともかく、日中の小銭は現金だった私。でも、それが今や、Covidのおかげで、カード推奨が強力に推し進められて、たとえ1ユーロのエスプレッソ1杯でも、カード使用する人が増えたはずです(脱税防止と、感染防止の合わせ技での推奨だったと理解しています)。
飲食店も含む建物内が、短期間の告知後に、一斉に全面禁煙になった時も、絶対無理だろうと思ったのが見事に成功したり、なんかこの国の忖度も何もない強引なやり方って、驚かされます。で、文句の多い国民なのに、やるとなると結構ちゃんとついていくことにも。
というわけで、カオールというと、ワインよりなにより、ジェラート屋さんの店先を思い出す私となってしまいました。クレジットカードと合わせて、三題噺のお題になりますかね、笑。
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- 2021/06/02(水) 12:06:07|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その100
この日は、宿泊予定地での見学もあったため、結構時間に押されながら、先を急ぐ状況でした。しかし、かなりの暑さに疲れがひどく、正直、この辺りでは、ぼーっとしてしまって、とにかく暑くてきつかったことばかり、すごくよく覚えています。
幸いだったのは、前回の記事のフィジャックでも、この町でも、簡単に駐車場にたどり着くことができて、そこで悩んだり迷ったりという時間及びメンタルのロスがなかったことでしょうか。

カオールCahorsのサンテティエンヌ大聖堂Cathedral Saint-Etienneです(毎日9時-19時、駐車は、旧市街の外側及びはずれに、いくつか無料駐車場あり。旧市街には橋を渡ってアクセスとなるので、橋の周辺、Pont CabessutやPont L.Philippeなど)。

建物がびっしりと立て込んでいる旧市街のただなかにあるため、全体像を撮影することはほぼ不可となっています。上の写真で、ロケーションの様子が分かると思います。
疲れている状態でこういうロケーションの教会って、かなりきつい、という典型的な悪い食い合わせとでも言いましょうか…。
とりあえず、トップの写真にある、扉口のタンパン装飾などを見てみましょう。

テーマはキリストの昇天と、サンテティエンヌ、つまりイタリア語だとサント・ステファノの石投げ場面ということになるようです。
キリストは、全体の真ん中に置かれてはいますが、かなり小さく、下段に並ぶ使徒たちと、ほぼ同じサイズ、という控えめさが、珍しい構図となっています。

全体、細かさが先に立つ感じで、つかみが薄く、一見して面白みもあまりないのですが、よく見ると、アーモンドのわきにいる天使二人の楽しそうなこと。
キリストも、天使も、その衣装の彫りの細かさ、すごいですね。

キリストの、うっすらとほほ笑みを浮かべたような表情を、アップで見ていたら、この人知ってるよね?と感じて、よく考えたら、稲垣吾郎ちゃんですね。似てませんか、笑。
そして、アップで各所を見ると、色々発見がありまして、久しぶりのメタボ発見。

左側の天使、こびてる風なポーズと、ぶりぶりの笑顔、腰に置いた手も、「やってるな~」、って引けちゃうほどの様子なんですが、少年風のお顔にもかかわらず、おなかがぶりっとはみ出してませんか。
右の天使も、そってるのに、おなか出てます。ぷっ。
キリストのアーモンドの両脇に、殉教者ステファノさんの人生絵巻が置かれています。キリストと同等に扱うの、すごいですね。

左側にある部分。
そして、次が、右側にある殉教場面を含むもの。

右側で祈る姿勢のステファノの上に、神の手がにゅっと出てきているようですね。
ステファノさんは、キリスト教史上、最初の殉教ということなのですね。その逸話は、すでに6世紀ごろから普及していたということなので、まさに聖人のセレブのような方。早くから有名になった人ほど、表されるものも多いということですよね。ささげられた教会も、当然すごく多いはず。
実は本日イタリアは祝日のため、心に余裕があります。そのため、お勉強も兼ねて、聖人ステファノのことを、改めて確認してしようと思いました。
イタリアでは、12月25日クリスマスの翌日26日が、彼に捧げられた日で、祝日となっております。そのくらい、キリスト教世界では、重要な人物ということになります。
言い伝えでは、ギリシャ起源のユダヤ人。そもそもステファノという名前は、ギリシャ起源であり、「王冠」の意味を持つということなんです。
モーゼや神を冒涜するようなことを発現したために、裁判にかけられたそうですが、どうやら非常に弁のたつ知識人だったようで、決して負けることがなかったとか。当時ユダヤ人は、政令に懐疑的であり、救世主という存在を認めることがなかったため、それに反するステファノの主張が受け入れられることはなく、石打ちの刑となったということらしいですね。
ちなみに、この聖人、天使のようなお顔だったとあります。美しいから人々が寄ってくると同時に、憎まれる、ということもあったのかもしれないですねぇ。
それにしても、石打とか、磔とか、生きたまま焼き殺すとか、当時のキリスト教のファナティックなことには、あきれます。歴史は繰り返すっていうのか、なんというのか。
さて、下段には、マリアを中心に、使徒が並んでいます。

クローバ型のアーチの下で、各グループはおしゃべりしています。ちらちらと上を見上げているのは、そのまんま、キリストを見ているのでしょうか。
それにしても、一部は損壊しているとはいえ、これほど繊細な彫りが、よくぞここまで残ったものだと感心します。

マリアの、この右手のポーズ。この状態で、指が折れなかっただけでも奇跡な気がしてしまいます。
向かって一番左側にいるこの方のオケツにも、ちょっと目が釘付けに…笑。

そもそも珍しい姿勢ですし、そうはいっても、ここまで衣がまといつくっていうか、まといつかせるのは、どうなんでしょう。お尻の線からいって、もしかして殉教のため長距離ウオーキングで鍛えているボディなので、見せつけたい感じもあり?おっと、暴言です。これじゃ石打です。
でもね、右側の方にいる、この人も…。

かなり控えめですが、脚線美を誇るように、左足をすっと前に出しつつ、足首はひゅっとねじって、完全モデルさんポーズしてますよ。
それにしても、この衣まといつきぶり。この人達の衣は、絹だったとしか思えないな。
全体見ていると、時代が下るのかなぁ、という雰囲気もあるんですが、ディテールを見ていると、やはりロマネスク的な様子が浮かび上がってくる感じです。ただ、おそらく顔やポーズなども含めた表情の作り方、表現の作法といったものに、時代の先を行くものが感じられるのは確かな気がします。
タンパンは、1140-1150年ごろのものとされているようですが、その時代にすでに、この地域では、技術も表現力も、ずいぶんと先に行っている石工さんがいた、ということになるんでしょう。
ロマネスク的、ということでは、タンパンをぴっちりと囲んでいるアーキボルトの絡まりぐらい、これは重要ですね。

石打されているステファノの真横に、仁王様のミニチュアみたいなフィギュアが絡まっていました。
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- 2021/06/02(水) 10:35:32|
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2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その99
シャンポリオンに会えなかったフィジャック、次に訪ねたのは、本来の目的だった教会です。坂道や階段の連続、本当にアップダウンの激しい町です。真夏の昼下がりに来るべき町ではなかったです。

やっとたどり着いても、こんな様子ですから、達成感なし。

サン・ソヴェール修道院教会Abbatiale Saint Sauveur。
上に行きたくてたまらなかったフランスでは、土台は古いものの、上に積み上げたんですよね、できる限り。そのために、なんか全体のプロポーションが変なものになったり、支え構造が全体の様子をかえちゃったり。
この教会も、創建は、クリュニー派修道院たちによる者らしく、それなりの古さがあるようですが、外からのぱっと見では、ロマネスクとは思いにくい様子になっています。
いずれにしても、修道院の教会であったことから、規模はそれなりのものを持っていたようです。土台部分は、当時のまま。

天井が低かったら、それなりにこじんまり感もあるだろうとは感じられます。それに、ステンドグラスがはまっている窓がなかったとしたら、相当薄暗いわけですから、なるほど、ロマネスクになりますよね。
入ってすぐ、事前にチェックしていたものに遭遇しました。

柱頭がひっくり返されて、聖水盤の台になっています。こういうのって、ある意味すごい使いまわしです。他から円柱を持ってくるのも、工事規模として感心しますが、なんかこういう無茶苦茶な感じも、感心するというかあきれるというか。この柱頭、文字も入っているので、なんかあまりに柱頭ぶりが明らかなため、ますます困惑します。
その上、これ、お対になっているんですよ。

左側のはこんな感じ。
オーブンに入れる前のパンみたいですね。焼きあがったら、どんな形になっているかな、なんて想像してしまいました。

シンプルな洗礼盤もありました。地味にかわいいですね。

では、ステンドグラスが美しく反射している側廊を行きながら、柱頭を見ていきます。ステンドグラスは、私の興味の対象外ではありますが、ちょうどよい時間やお天気の具合では、実に美しい光の遊びに遭遇することがあり、確かに教会の装飾として、これ以上ピッタリくるものはないとも思います。荘厳なイメージに浸りやすいというような。

前回紹介した、ノートルダム教会と、同時代のものと、それよりも古い時代のものとが混じっているような印象です。実際のところはわかりませんけれど。

植物文様を、手の込んだ編み込みみたいに彫ったものは、まるでビザンチンの影響でもあるかのような様子ですけれど、ここにビザンチンはないですよねぇ。

かと思うと、オーブン前のパン種もありますしね。
この下のなども、全体の様子が、かなりプリミティブですよね。緻密な植物文様のやつとは、絶対に手も時代も違うです。

それぞれの柱頭の置かれた場所が分かるような撮影をしていないため、定かではないのですが、もしかすると、これら、ちょっと時代が古そうなやつは、後陣にあったものかなと思います。身廊の方は、スタイリッシュなタイプで、時代がちょっと下るやつ。こっちは、創建当時の古いやつとかそういう感じかな。
必ずしも、古くはないのかというきもしますけれど。


本堂内部なのに、あちこち軒持ち送り状の装飾もありました。

でも、全体に結構傷んでいるようでしたし、モチーフ的にあ、あまり惹かれるものはなかったです。

今回は、記事を分けるほどの内容ではないと思い、一気にまとめましたが、それぞれのアイテムを追っかけると、結構な数、ありましたね。長くなってしまいましたが、全体は、やはり地味で、ここは行くか行かないか、と迷う場合は、無理に行かなくてもいい場所の一つかな、とは思います。
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- 2021/05/30(日) 13:05:51|
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