2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その3
サン・マルタン・デネ教会Eglise Saint Martin d’Ainay、続きです。
本来、これだけを目指して、突進したやつですが、内陣手前にある柱頭です。
まずは北側、とあるので、後陣向かって左側の正面、本堂に向いている面です(北と南、それぞれ三面彫り物があります)。
左側がカインとアベル。これ、すごく分かりやすいですよね。現場ではもちろん細部まで見られないので、特にこの時は見ている暇などないので、分かりませんでしたが、写真で見たらすぐ分かります。自分的には、これだけ分かりやすいカインとアベルは初めてかも。
右側も、とても分かりやすいですよね。ドラゴン退治の大天使ミカちゃん。
この左側の面も、カインとアベルがいてこちらは正面の後の場面となるのですね。
思いっきりぶれてますんで、小さめで。でも、今にもたたっ殺そうという緊迫した場面が分かります。恐ろしや。
右側はこちら。
織り機に座って書物を読む洗礼者ヨハネ、とありますが、織り機?なんでだっけ?
そして、南側の柱頭の正面。
「アダムとイヴ、そして双頭の蛇。頭の一つはイヴの手にあり、もう一つは二股の木の枝を加えたアヒルのくちばしにあり、善悪の知識の木の周囲にいる。」
と解説にあるんだけど、双頭の蛇の様子が分かりにくいです。アヒル?というよりも、蛇のしっぽにアヒルの頭って感じがするんですけど、どういうことなんでしょう。
「左側では、二つの場面が同時進行的に描かれている。アダムとイヴが禁断の木の実を食べて、罪の意識を持ち、裸を隠している。右側では、植物の後ろに隠れようとしている。キリストの姿をした神が現れ、天国から追い出す。」
アダムとイブのやっちまった感がすごいです!
後悔先に立たず、を絵にしたらこうなる?みたいな、笑。
南面。写真の解像度最低で、よく分かりませんけれど。
「告知の場面。腰掛けた処女が、預言者イザヤの本を読んでいるが、その上に、EVCEの四文字が見える。それはEcce virgo Concipiet l'Emanuel、つまり、処女がエマヌエルを懐妊する、という意味。」
「イヴの不服従に、マリアの受け入れが呼応している。受託は、彼女の右手に表されており、それは人の救いに寄与したものだ。」
なんで告知かと思ったら、そういう意味があったのですね。
つい先日、ピエモンテの田舎の教会に行った際、運よく地元のガイドさんのとても丁寧な説明を聞くチャンスがありまして、図像の説明をしてくださった際、中世の人々は、おそらくこれらの図像の意味するところ、訴えるところを、当たり前のように知っていたと考えられますが、現代では、解釈すら明確ではない」というようなことをおっしゃっていました。中世の図像に関して、よく言われることですよね。
この、アダムとイヴと、マリアの受胎告知の組み合わせなどは、もちろん聖書の知識も必要だし、動物の図像などを理解するのとはまた違うバックグラウンドが必要なのかとは思いますけれど、そういう教育もあったんだろうから、やっぱり多くの人が、ははぁ、とか思ったんですかね。
私など、思いもよらないことです。
北側。
これまた写真が悪くて分かりにくいですが、おそらく中央部にキリストがいて、四隅に福音書家のシンボルなのかな。
福音書家のシンボルの大きさがまちまちで、スペースをしめているので、分かりにくいですね。キリストの広げた本には、有名な「私は世界の光 Ego sum lux du mond」とあるようですよ。ほんと、キリストってやばいよな。こういうの見ると、やっぱり布教した弟子たちがすごかったんだろうなって思わされてしまいます。
失敗もありながら、とりあえず全部撮影はしていて、我ながらえらかったな。それに、ここはやはり、無理して行った甲斐があったな。
さて、外観もちょっとだけ。
元々は9世紀ごろのカロリング時代の教会だったそうですが、1100年前には大変容してしまい、9世紀当時のものは、何一つないし、その姿も不明とのこと。
この、塔をいただくファサード部分は、12世紀の終わりごろに建てられたもので、下部はナルテックスのような構造となっています。建材は、石灰石の切り石ですが、地域のローマ遺跡からの転用だそうです。この辺は、ゴロゴロしてただろうからね。
上の方に、十字架が見えますが、そこの動物フィギュアが彫られた帯があると。
確かにある!
今の今まで気付いてなかったし、解説読まなかったら、写真で見ても見逃してるやつだよね。15枚の板に彫られているようだけど、この場所に置くには小さすぎるよ。せめて、扉周りとかにしてほしかったなぁ。
赤色はテラコッタらしいですが、これまたかわいいですねぇ。それにしても、なぜギリシャ十字なんだろう。
一応、後ろの方も見てみました。
なんだかもう、いろんな付け足しがあって、わけが分からないですが、左の一部に、テラコッタ色で美しい模様が施されていますね。
後は、ファサードの向かって左の方の壁だったと思うけれど、このようなものがはめ込まれています。
下に碑文みたいのもはめ込まれているんだけど、もちろん読めないし、周辺に説明がなかったんだよね。
おそらく、古い時代のタンパンなんだろうけど、説明してくれてもいいよねぇ。かなり朽ちてはいるけど、いい感じの面白いモノなんですよ。
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2023/04/16(日) 16:15:00 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その2
というわけで、飛び込んだ教会は、こちらです。
サン・マルタン・デネ教会Eglise Saint Martin d’Ainay。
訪問したのはコロナ前ですが、今でもオープン時間はその当時に戻っているようです。
とにかく駆け込んで、柱頭彫刻目指して突進して、目に付くものを撮影しまくっている数分でした。バターン!と大きな音がしてハッと我に返りまして、それが正面の扉をしめた音だと気付いて大慌て…。
しかし、病気ですからね、それしきでひるんではいられないのです。拍車がかかったアワアワ状態で撮影を続けていたのですが、ミサの跡片付け中の方も、特に慌てる様子もなかったのはありがたかったです。
でも明りを落とされたら、もう出るしかないので、通用門の方にいざなわれながら、一応午後の時間を尋ねると、日曜日は、午後クローズです、ということで、速やかに追い出されました。
人々の安息である日曜日、教会は開いてなくてよいのか?!平日はクローズでも、週末は開いている、というケースがほとんどの中で、まさかの現実で、本当にびっくりでした。
昼休みが1時間程度なら、ランチを取ってから戻ってもよいな、と軽く考えていたので、ショックもありましたが、ほんの5分でも入れたのは幸いでした。
そういう事情なので、いつに増して、手あたり次第の撮影となっております。
内陣に良い柱頭がある、という漠とした情報を得ていたので、そればかり目指していたんですが、他にも見るべきものはあったようです。と言って、私に与えられたのは5分程度の時間でしたので、何でもかんでもは無理だったので、漠とした情報しかもってなくて、かえって良かったような気がします。
一見してかなり新しい様子に見えます。それもそのはずで、この教会、起源はとても古いけれど、繁栄も斜陽も味わいながら結構長生きしたせいで、時代時代に手が入り、近代になって、いっそ壊してしまうか、大修理をするか、という選択を迫られるまでになったらしいです。
結果、有難くも修復が選択され、その上、ここが最も繁栄した時代の様式であるロマネスクを最大限に再建修復するという素晴らしい決断がなされたことで、今の姿があるということなんです。
建築的には、そういうわけで再建部分が多いのですが、有難いことに、古い時代の彫り物装飾が生き延びているのですね。
というわけで、後陣部分から。
開口部の間に、彫り物が施されたつけ柱状のものが三本置かれているんですが、それぞれモチーフが異なる装飾性の高い内容となっています。
これは追っかけ動物系ですね。トスカーナのどこだったかな、海沿いの土地の教会に、こういう追っかけ系のモザイク帯があったなぁ、とか、ルッカの教会だったかに、これ系の副柱頭があったかもなぁ、とか、彷彿としましたが、ここの動物は、デッサンがとても優れていて、デザイン的ながら写実性もある感じで、素晴らしい。そして、お尻尾の先が、茶葉の紅茶入れみたいな、または魚とりのびくのような…。これまた独創的です。
普通なら、とにかく撮影しまくるところですが、やはりこの時は枚数も少なくて…。つる草模様の中に、こんなおちゃめなリーゼント野郎。
全体をお見せできないのに、あまり解説的なことを書くのもどうかと思いますが、こんな愛らしいような彫り物だったりするんですが、黙示録とか新旧訳聖書とかを織り込んでいるとかの説明もありまして、どひゃぁ、です。上の方に、神の子羊ちゃんなんかもいるようです。
この縦長彫り物、こんなに素晴らしいのに、ついおざなりになった理由は、お足元にありました。
こういう、彫りもしっかりした何かしら興味深い感じの人のフィギュ
アがありまして、保存もよくて、ついそちらに注目しちゃったんですよねぇ。
上の人は巡礼者らしいです。神に選ばれた印の王冠を持ってるとか。テニスのラケット的なもの、またはぺろぺろキャンディー的なものにしか…、笑。
何かドラマを感じさせるたたずまいじゃないですか。
上の人は、なぜか錨を持ってるわけですが、希望のシンボライズではないかとあります。顔つきが、これから大海原に冒険の旅に出る人、ですよね。かっけー!
ハープを抱えて神を讃える歌を歌っている人。まさに。何かが入っちゃってる怖い目をしていますよね。トランス状態っていうか。
一方この方は本を持っていて、キリストのメッセージを伝える人だって。
この人は、トランス足りない様子かな、笑。やはり音楽と書籍では、音楽の方が入り込みやすいからな。
とまぁ、こういう方たちに、ちょっと惹かれてしまって、全体とらえるのが疎かになっちゃったんです。しかしディテールにこだわったハイテクニックな装飾ですよね。
でね、これ後陣なわけですが、思いっきり見逃ししました。基本上ばっかり見てたからさ。
これさ、まったく見てなかったんだけど、何さってことなんです。このキラキラぶりはどゆこと?当時こうだったからこうだと再現?
祭壇のことは、解説にちょっと出てたんです。
(解説、信頼できそうなサイトで二つばかり引っ張ってきたんだけど、なんからちの開かない内容で、どう使ってよいのやら、なんです。)
「当時1100年のこと、カンタベリー大司教は、英国王から逃れて、エネAinayに滞在していた。その影響のもと、エネの修道僧は、マリアに祭壇を捧げることとなる。これが、リヨンにおける無原罪の宿り信仰の最初となるのである。それは、当時の法王パスクワーレ2世によって祝福された。その、1107年1月29日に行われた奉納だが、その祭壇は、ロマネスク時代の教会では数少ないものとなり、この教会の地域における権威を明確にするものである。」
その前段階の歴史は、以下となってます。
「(古い教会があったのだが、多く手が入っており、当時におけるもっとも重大な)大工事は、11世紀の終わり。当時の修道院長Gaucerandがバジリカ様式での修道院教会の建設のために実施。当時リヨンの司教だったAurelienは、修道院を創建することを決心。Bonnevalからやってきたベネディクト派修道僧を送り込むことを決心。彼らは、サン・マルタン信仰をもってリヨンに、そのレリックとその習慣をもってやってきた。その際、教会に名前が与えられた。その結果、10世紀に、修道院には21人の僧がいた。」
そんな流れの中カンタベリー司教まで滞在しちゃうし、その後はさらに、繁栄したみたい。
「13世紀にインノケンティウス4世が、リヨンで初めての公会議を招集。目的は皇帝フェデリコ2世の破門。その頃、エネの修道院は、169もの教会や修道院を傘下にもつフランスでも最も権威のある場所の一つとなっていたのである。」
色々前後しましたけれど、まぁまぁ繁栄してたようだから、職人さんなどにもお金をかけて頼めたのだろうなと。
祭壇の他にも、床モザイクというのも思いっきり見逃してて、おそらく、今ある教会の中では最も古いとされるサンタ・ブランティン礼拝堂la chapelle Sainte-Blandineの床にあるらしく、それが、先に出てきたパスクワーレ2世の姿とかそういうことらしいです。
今、現場の説明版とか見て、チクショーとか思っているわけです。
おっと、こんなに写真も少ないのになんですが、長々余計な脱線ばかりしてるので、もう一回続きます。
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2023/04/15(土) 12:05:24 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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構っちゃいられねぇ!(リヨン69 その1)
2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その1
頭出ししたのが、修行直後の2019年8月末。それから3年半超が過ぎてしまった今頃になって、旅の振り返りをしようという、ある意味暴挙…。
この旅はかなり盛沢山で、訪問地が複数の州にわたるとか、なんと、写真がきっちり整理されていないことに今頃気付くとか、なんせ長丁場になるから、とか、様々な理由で、さらに先延ばししたい気持ちもあるのですが、それをやっていると、先に進めないのも確実なので、何とか頑張ってみたいと思います。
と思って、写真の整理を始めていたところ、一部、というよりほぼ半分くらいの写真がないことに気付き、真っ青になりました。私はデジカメ派=メモリカード使用派なんですが、旅の途中で番号が最大の9999になって、その後の写真番号が0001に戻ってしまったことで、整理が煩雑になり、違う場所に保管してしまったようで、本当に慌てました。
過去の写真紛失とか間違って消去とか、撮影できてなかったとか、こういうことやっている人は、きっと一度くらいはそういう経験もあるのじゃないかと想像しますが、辛いですよね。でも実は、すでに三年もたっているので、痛みは比較的薄く、また行く理由ができたな、くらいの前向きな気持ちもあったり、一方で、写真が半端だから、やっぱりまとめるなってことかな、と後ろ向きだったり、笑、自分の中で悲喜こもごもの半日でした。
なにはともあれ、無事発掘できましたので、何とか教会毎にフォルダにまとめたのですが、今回はミラノの自宅からダイレクトでフランス・インしていること、オーヴェルニュの友人宅にもお世話になって、一緒に旅したりしたこともあって、行先がかなり広範囲になっています。州としては、オーヴェルニュ、サントルが混ざっています。
まずはリヨンに寄り道して、オーヴェルニュ材の友人宅を訪ねて一泊。その後、サントル地域(紫のあたり、正確にはCentre Val de loire州)を周遊。一旦オーヴェルニュ友人宅へ戻り、そこを拠点に、オーヴェルニュの未訪地域(緑のあたり、大雑把ですが、笑)を周遊という行程です。後半は、友人にガイドツアーしてもらったような形です。
州とか地域でまとめた方が、情報としては有意義だと思うのですが、旅の臨場感だったり感覚を求めて、いつものように行程の順番で書いていくことにします。
コロナ前の最後の夏です。
8月の日曜日、早朝6時過ぎに出発し、フレジュスFrejusのトンネルを抜けてフランスへ。マイカーで、トンネルでの国境越えは初めての経験だったので、相当身構えていたのですが、夏休み真っ最中だというのに渋滞は一切なく、すいすいでびっくりしましたっけ。
ただ、トンネルだけで、通行料が50ユーロくらい取られるのですよね。数人乗車していればともかく、一人だと高いです。7日以内に戻るなら、往復割引がありますが、それ以上だと往復で100ユーロですから、トンネルだけで格安航空券より高かったりしますね。
友人宅ダイレクトもありですが、せっかく通り道でもあるので、まずはリヨンに立ち寄ることとしました。高速を降りるまでは順調で、予定よりも早い時間に着けそうだったのですが、リヨンの町に入った途端に、すごい渋滞にはまってしまいました。わずか数キロの道に1時間以上…。これ、後で影響出ます。
なんとか、予定していた駐車場に向かったところ、なんと、駐車場は工事中で入れず…。そこに駐車して、最寄りの地下鉄で、教会を訪ねるつもりだったのですが…。どうしようかと道なりに進むと、でも、路肩が駐車場になっています。夏休み時期のせいか、スペースもあったので駐車。通りすがりの人に料金のことを聞いたら、8月は無料ということだったので、瓢箪から駒、ではありました。
地図上で、緑とピンク、メトロを二本乗り継いで、街中の教会にアクセスするつもりでした。しかし、知らない町って、何から何まで分からないじゃないですか。まず切符を買うのに手こずり、そして方向を確信するのに手こずり、たったの三駅とかなのに、えらい時間を食いました、笑。
無事、目的の駅に着いても、今度は出口が分からず、出たところで方向音痴全開!地図でも、地下鉄駅から至近にあるのが分かりますが、出てから3人くらいの人に尋ねる有様です、笑。方向音痴って、マジやばいです。
最後は、尋ねている最中に鐘が鳴っていたので、それを頼りに走りました。鐘が鳴るって、いやな予感しかしない…。
ファサードについたら、人がぞろぞろ出てきていて、ミサが終わったところだったようです。
なんせ、渋滞のおかげと駐車場工事のおかげで、大幅に遅れていて、もしそれなかりせば、余裕でミサの前に来られたはず…。とにかく飛び込みました、出てくる人を突き飛ばす勢いで!
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2023/04/12(水) 18:16:56 |
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3年ぶりの(プチ)修行旅イン・フランス(2022年7月)、プロローグ
夏休み第一弾で、フランスに行ってきました。
今回は、事故による怪我からの復帰以降、初めての長距離旅ともなりますし、このところ再び感染激増コロナの状況もかんがみて、イタリアとの国境から近い地域に絞った4泊5日のショート修行としました。具体的には、ローヌ・アルプという大きなくくりの中の、サヴォワ(73)、イセール(38)あたりとなります。
ロマネスク的には、どなたもおっしゃるように、大変地味な地域となり、それでいて、狭い地域に密集しているのではなく、比較的広がりがあるので、数はないけれど、結構攻略しにくい土地です。それが逆に、今回、時間の制約があるという条件にはまったんですよね。
それにしても、この熱波、フランスでもすごかったです。朝晩でも涼しくならないフランスって、やばいです。もちろん、クーラー付きの宿を選択しましたので、おかげさまで布団で安眠でき、そこはミラノの、クーラーのない自宅より、よほど快適でした。とはいえ、日中、いやもう早朝から、車はクーラーなしでは過ごせない状態で、これは初めての体験かもね、フランスでは。大抵朝は涼しくて、長袖着たり、窓開ければすんでましたからね。
最終日は午前中で切り上げて帰宅したにも関わらず、22町村を回り、事前にピックアップした教会の、ほぼすべて訪ねることが出来ました。確かに地味なんですが、ところどころで楽しいアイテムがあったり、鍵を求める冒険もあったりで、思ったよりはずっと楽しめましたし、何より、こうやって、一人で計画してひたすら駆けずり回る修行旅は、2019年の夏以来のことだったんですよね。修行再開の喜びというか、忘れていた感覚というか、そういうのが、何より嬉しかったかもね。
3年ぶり、ということで、出会いの喜びが強くて、期待値も普段より低かったとすると、ある意味、この地域の地味な教会に対峙する絶好のチャンスだったのかもしれません。それはちょっと失礼か、笑。
でもさ、地味な中の面白さだったり、地域の歴史だったり文化だったり、町村の成り立ちとか、建物の変遷とか、やっぱり私はそういう色々を含めて、好きなんだろうなって思いました。今、そこにある教会の背負っているものだったり、そういうこと。純粋、芸術だけではなくて。
アルプス超えてすぐの地域なわけだし、当然人々の行き交いが、ずっとずっと激しい土地なわけで、なんか、今ざっと写真を見直してても、色々混ざってる感があるんです。勝手な印象かもしれないんだけどね。
また、先になってしまうとは思うけれど、しっかりと勉強して、まとめていきたいと思います。しかし、この暑さでパソコン開けるのも怖いくらいなんで、いつになることやら…。
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2022/07/24(日) 10:48:29 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ、+サントル)の旅その78、そして最終回
なんとなんと、やっと最終回にたどり着きました。
開始したのが、昨年5月早々だったので、他の記事も多少は挟まったとはいえ、丸々10か月かかってしまった計算になりますね~!こんなペースでは、他の旅のアップはどうなるのやら。そして、毎年毎年、修行旅には出ているわけですから…。
老後、生活が暇になったら、ちゃんとホームページにまとめるぞ、という目論見がありますが、なんとブログまで老後の楽しみと化しつつあるということですかね、それはまずいです。
さて、最後に訪ねたのは、私の知識空白地帯、ローヌ・アルプ地域にある教会です。これは、フランス在の友人に教えられて、出発直前、旅の最後に訪ねました。周囲に見るべきものが少なくて、効率よく訪問するのが難しい教会なので、ちょうどよいタイミングを得たと思います。
アヴナAvenasのノートルダム教会Eglise Notre-Dameです(村の入り口、教会脇にトイレあり。ただし、明かりや紙はないのでご注意)。
アヴナは、結構な山道をくねくねと走って、谷に降りる感じでたどり着く村で、イメージとしては、どん詰まりの村。いや、ちゃんと通り抜けて先に行けるようですけれどね。
教会は村の入り口にあるので、迷うことも探す必要もなく、それは大変助かりますが、ここは、教会の建築には興味がないので、開いていないと意味がないのです。
遠目でも、扉が開いているのがわかったので、とても嬉しかったです。
ドキドキしながら入場します。
かなり暗い。この日はお天気も悪かったので、さらに暗い感じ。
でも、内陣中央に置かれた、目的のブツは、しっかり見えています!
そうなんです。ここを訪ねた目的は、ただ一つ、この祭壇です。
ここを勧めてくださった友人に、相当すごいということはきいていたのですが、その話から想像していた祭壇の何倍もすごいものです。
何がすごいって、彫りが、かなり繊細で、その上保存状態が大変良いのですよ。そして、祭壇だから、しゃがめば、その目の前にドカン、と彫られた世界が広がるんです。柱頭のように、双眼鏡で見ないと細部がわからない、というのとは、まったく違うアプローチなんです。
これで、興奮しないロマネスク病の人はいないですよね。
アーモンドの殻感がすごいキリスト像。ここまでアーモンド感満載ってすごいですね。これはやはり近くから見るからますますそういう感じなのかなぁ。あ、今だと、イースターのチョコレートの卵を半割にした感じもあり、笑。
上の方にあると、どうしてもデフォルメが入ったりするし、それを計算して彫っていたりするし、そういうのでずれが出るから、違う様子になるんですかね。これは、正面にあるまま、すごくきっぱりしていて、キリストも、とても厳しそうな様子です。まっすぐ見られちゃっている感じで、ドキッとしますよ。
アーモンドは、福音書家のフィギュアの姿で支えられており、四分割されたそれぞれに十二使徒が並んでいる図像となっています。
福音書家が一番愛らしかったこちら。
ルカの聖書にかかっているあんよがめっちゃ可愛い。
左上には、人の姿のマッテオ、そして、一番キリストよりは、カギを持っているので、ピエトロですね。
各使徒の下には、名前が彫りこまれていたようですが、一部は摩滅してしまっています。
保存という観点から、本当は、よくないことでしょうが、どうしても誘惑に抗しきれず…。
お膝の先っぽだけ、ちょっと触れさせていただきました、笑。
それにしても、手まで焼けてるな。イタリアみたいな国にいると、夏は多少は焼けないと、逆に変だから、あまり気にしないのですが、これが、日本で電車に乗ったりすると、つり革をつかまる手の中で、一人だけ黒くてびっくりします。というか、日本人って、いつから白人になったんだっけ?と、他の人たちの手の、あまりの白さに愕然とします。
ちょっと脱線しましたが、いやはや、こういうものに出会うと、気持ちが焦ります。というのも変なのですが、まだまだ私の知らないものが、たくさんあることを、嫌でも思い知らされるからです。知っていても訪ねていない場所がたくさんあるのに、さらに、知らないものもたくさんあると思うと、勿論、すべてを見ることは不可能なんですけれど、その事実に、焦っちゃいます。
同時に、一抹の寂しさも感じます。
こういったことは、過去にも何度も書いていると思いますけれど、突き抜けて素晴らしいものに出会うと、毎回感じる高揚の後の喪失感。この高揚感は、二度と得られないだろうな、というやつです。ここに、これから初めてくる人がうらやましい、という変な羨望感。
この祭壇は、そういうレベルのものでした。
旅の最後を、こういう素晴らしいもので終えることができて、実に幸せでした。
読んでくださっている方も、すでに忘却の彼方でしょうが、なんせ、5月からですからね、旅の最初に、虫さされ被害で、大変な日々を過ごしたわけです。そんな不吉な始まりだったにも関わらず、大満足で10日間、終了です。
おいおい、10日間を10か月。今、かなりあきれています。
ちなみに、この旅のシリーズ、上の写真で、丁度1000枚アップしたことになるようです。
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2020/03/07(土) 22:14:43 |
ローヌ・アルプ 1-74-73-69-38-42-7-26
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