日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その14
すきま時間利用の中世探訪、次は、大好きなサンタ・マリア・イン・コスメディン教会Chiesa di Santa Maria in Cosmedinです。名前だけでは分からないかもしれませんが、実はここは王道も王道。
ね。超有名観光地。
日曜日の朝っぱらなのに、相も変わらず、すごい行列ができていて、一人一枚を守ってくださ~い!なんて叫ぶ人もいて、なんちゅーか。ここ、とてもいい教会なんですが、本堂に入る人はほとんどいないし、そもそも真実の口で一人一枚の写真を取っている人たちは、教会にきている意識もないので、たまに入る人がいても、「あ、間違えた」と心中でつぶやいているのがわかって、ある意味おかしい。
こういう観光地ですから、教会も寛容、というかそうせざるを得ないんでしょう。中ではミサが行われていましたが、出入り自由。古い形の教会で、内陣前は障壁で区切られていますので、その中だけの小さいスペースに信者が集まり、外部の喧騒も、そのほかのスペースを行きかう観光客も完全無視で、皆さんミサに集中していました。ここ、どうやらギリシャ正教の教会なんですね。
大好きな浅浮き彫りの動物たちにも再会。この子達に会うためには、真実の口の行列に割って入る必要があるので、観光客に怪訝な目に見られます。でも、目的的な観光客の人たちには、わたしが何を必至に見ているかなんて、まったく興味がないんですね。ま、わたし自身も、自分の目的以外は目に入らないことが多いので、お互い様なんですけれども。
動物たちを接写していたら、こんなプレートを発見しました。
前回は気付かなかった気がします。
これ、洪水の水位を表したプレート。川のある土地では、時々見かけますね。フィレンツェでも、どこかで見た気がします。
この教会のある場所は、テヴェレのすぐ側。もともと低地の湿地だったような土地、つまり、川辺からつながっているような土地だったんだと思われます。中世時期に、テヴェレ河岸がどのように整備されていたのか分かりませんが、今ほど、川底が深くて土手も高いような状態ではなかったはず。ということは、度々洪水が会ったのかもしれません。
このプレートは、1900年の洪水のものですが、そのとき、教会も、相当やられてしまったということですね。
さて、ここまで来たからには、前回は結婚式で中に入れなかった、サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会Chiesa di San Giorgio in Velabroにリベンジに行かねば。ここは、友人にお願いして、付き合ってもらいました。
ただ、内部には何があったのか、すっかり忘れていました。
外部の古典的な様子から一転して、なんと新しい!
なんだったっけ?と後陣に近づき、フレスコ画に気付きました。
そうそう、そうでした。好きな人も多いピエトロ・カヴァッリーニPietro Cavalliniでした。1300年の作品。個人的には、このあたりの時代の絵は、かなり苦手部類に入ります。でも、これ修復の賜物でもあるのでしょうか、色がとってもきれい。背景の青緑色、大好きな色です。
わたしの興味は、どっちかというと、壁にはめ込まれている多くの碑文とか、古い時代の浅浮き彫り。
浮き彫りで不思議だったのが、このサークル。
左後陣の壁にはめ込まれていたんですけれど、古い時代の浮き彫りが施されて、見事に円形。
破片をつなぎ合わせて円形にして、絵でもはめ込んでいたのか知らん。とっても不思議でした。
ここは、サイトを作った際には情報も写真もなかったので、今回撮影したものと、入手した情報で、サイトをアップデートすることにします。いつか…。
- 2014/05/16(金) 05:39:30|
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日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その13
王道旅だから、基本的には封印、と思っていたのですが、どうしても中世を求めてしまいますねぇ。友人の希望優先の旅だったので、積極的に求めることはしなかったのですが、近所を通りかかれば、やはり、ちょっと確かめたくなってしまいます。確かめるというのも変なんですが、そういう気分になるんです。
友人も、わたしがはまっていることに興味はあるので、本当にすきま時間だけを利用して、いくつかわたしがはまっているものの実物を紹介する機会を得ました。
二晩とも夕食をとったトラステヴェレで、ローマの友人たちとの約束時間より、ちょっと前に到着した時間を使って、サンタ・マリア・イン・トレステヴェレへ。
夕暮れが近づいている時間でしたから、教会の中は薄暗いのに、なぜか後陣だけ、明かりが灯されています。これからミサが始まるのかと思いきや、いきなりパイプ・オルガンとソプラノが響きだしました。なんとコンサート・イベントの最中だったのです。
幸いにも、後陣に近づくことを止められることもなく、美しい音楽を聴きながら、夢見心地で、黄金のモザイクの側へ。
この教会の薀蓄については、以下、本業のサイトの方で、語っていますが、あまり写真を掲載していないので、今回撮影した美しい写真を追加すべきかどうか、考えています。
前回訪ねたときは、コインを入れて何分か明かりをつけるという状態で、実際に目でも楽しみたいために、写真はかなりおざなりな内容になってしまいました。今回はコンサート中、びっくりするくらいに明るく煌々としていましたので、細かいところまでよく見ることができたし、撮影も落ち着いてできたんです。ラッキーでした。
テッセラ(モザイクの一片)の粒々まで、撮れています。
中世当時はどうだったんでしょうか。
後陣は東に向いていますから、朝日の当たる時間は、逆光のようになり、おそらく真っ暗。夕日が差し込む開口部があれば、そこに当たる部分だけはきらきらしたと思いますが、今の建物はともかくとして、当時の開口部では、そこまでの日差しを取り込むことはできなかったはず。
大規模なミサがあるなどの際は、ありったけの蝋燭などを灯すことで、きらきらを目にすることができたのでしょうか。天井に近いこの神の手のある場所などは、おそらくほとんどの人が目にすることができなかったのでは。
それなのに、この細かいモチーフのびっしりぶりには、ただ呆然としてしまいますね。煌々とした中で、黄金がますます光り輝き、天上もかくや、と思うような。大げさでしょうか。
この教会は、マリアに捧げられていますので、マリアの生涯が、パネルで描かれています。それも今回はじっくりと拝見。以下、各パネルのマリアをアップで。
受胎告知のマリアと、そしてご昇天のマリア。
はっ…。
つい中世にのめりこんでしまいましたね。
ともかく、友人は音楽にうっとりとして、わたしは改めてモザイクにうっとりとして。本当は疲れた身体を休めるべく、お茶でもしようと思っていたすきま時間が、どちらにとっても、至福の時間にはやがわり。っていうか、お茶もせず歩き続け、結局修行旅状態…。
ということで、他の中世は次回。
- 2014/05/15(木) 05:54:32|
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なんと、去年の10月以来、一個もちゃんとアップできていなかったロマネスクのおと。毎年遅れがひどくなっていて、われながら情けないです。そして、楽しみにしてくださる方には、申し訳ない気持ちでいっぱい。時間の経過とともに、いろいろ忘却してしまうのも問題だし。とにかくスタートが遅すぎ。もう今年も4分の1が終わる間際です。
今回は、かなり地味な地域を特集しています。ミラノからも近い、ピエモンテの辺境ノヴァラと、その周辺に散らばるとても小さな村々を、数回にわたって歩いた記録です。
すごいものは何もないんですが、地味ながら、人々に大切にされて、今日まで生きながらえてきたロマネスクの小さな宝たち。そういう思いに満ちた場所が、これだけたくさん散らばっているというのは、素敵なことです。
美術的観点からはたいしたことのないものばかりかもしれませんが、味のある町が多くて、町のたたずまいも楽しめる旅でした。ただ、日本から来てわざわざ行ける場所ではないと思うので、紹介する価値があるかもしれないと思って、まとめてみました。ちょっとまとめすぎて、それでまた時間がかかってしまった次第。いいわけですが。
地味な分、その土地で資料が見当たらなかった場合、なかなかインターネットでも情報がなくて、それも時間がかかった理由、いや、いいわけです。結局、資料のあるものばかり、ずらずらと書き込んでしまいました。
- 2014/04/01(火) 05:47:28|
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と言っても、過去ページに、ちょこっと写真を追加しただけ。
エミリア・ロマーニャはピアチェンツァのページに、過去見逃したクリプタの写真を追加していますので、ご興味のある方は、どうぞ、下記リンクからお訪ねください。
ふと思い立ってやった更新ですが、いやはや、久しぶりに過去ページに対面して、びっくりです。稚拙、幼稚、なんて言ったらいいのか!こんな段階で、大上段に構えて「ロマネスクのおと」やっていたんだ~、とあきれるというか、汗顔の至りというか…。
その上、この追加写真だって、撮影したのは、既に一年以上前の話で、ずっとアップデートしようと思いながら、こんなに時間がたってしまって、ただ、情けないばかりです。
大体、そもそもロマネスクのおとのサイト、最後のアップが昨年10月。年々、アップの回数が減って、昨年は、「そもそも開始も超遅いし、その分、今年こそはスタートこそ遅いものの、毎月アップ」、とか何とか言っていた割に、結局毎月アップでもできない上に、10月で打ち止め…。そりゃ、終わらないわけだ。
ここで言っときますけど、かなりボリュームのあるもので、シチリア、スイス全般、ヴェローナとその周辺、リグリア全般、ロマーニャ、フランス・ブルゴーニュ、南チロル、フランス・シャランテ、お膝もとのミラノ、と、とにかくまとめるべきものはひきもきらず状態なんですよねぇ。今年も、早々にカタルーニャ行っちゃったし。それなのに、この有様…。
ま、仕方ないですけれども。
過去ページのアップデートは、体裁もきれいにしないと、とかいろいろあって、意外とストレスでした。内容は、本当は全面的にアップデートしたかったんですが、それをしていたら、もう絶対に終わらないので、基本的にそのままとしました。2007年って、まだブログもやってないときでしたから、かなり訪問直後状態の内容で、深さもないし、馬鹿みたい、と思ったんですが、歩き出して間もない戸惑いみたいな新鮮な雰囲気もあって、それはそれでいいか、と。
それにしても、2007年。遠い目をしてしまいますね。
いつか、もう現場主義無理、動けないし、となった日には、体裁から内容から、すべてアップデートしたいと思います。本当に。老後の楽しみ。
ということで、こんな状態で、お眼汚しもいいところですが、サイトもブログも続けることとします。
- 2014/03/02(日) 07:29:04|
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お待たせしました。
と言っても、ほんのちょっとでもお待ちくださっているのは、片手でも余るくらいってことは分かってるんですけれども、それでも、もしかしたらお待ちいただいているかもしれないので、本当にすみません、遅くて。
2010年夏の、トスカーナのドライブ旅、とりあえずの完結です。最後は、はみ出てしまったマイナーな数箇所をまとめました。改めて、こんなマイナーなところまで出かけて、マイナーだけにかえって見つけにくくて、迷って時間使ったりして、われながらあきれたような場所です。
でもそれだけに、妙に印象が強かったりして、どの場所も、びっくりするくらいよく覚えています。重要な場所の記憶をすぐ失ってしまったりするくせにね。道に迷うって言うのも、記憶に残すためには重要だったりするのかな~。
今は、確かにもう、歴史的にも美術的にも重要度は低くて、忘れ去られた場所ばかりと思いますけれど、本当はそんなのって何の意味もないですね。土地も、そこにある思いも、別に歴史的に重要だからそうあるわけじゃなくて、ただ、そこにそうあるものであることは、どれも同じですね。
だってマイナーだといっても、千年以上、常に宗教的な場所としてずっと、土地で大切にされてきた特別な場所だったからこそ、今でもこうやって、訪ねようかという人がいるくらいの何かは持っているわけですから。
マイナーな教会の多くは、一発で中に入れることが少なく、実際今回アップした教会、半分はクローズでした。いつかまた、訪ねる機会があるといいと思っています。
- 2013/10/28(月) 06:23:46|
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