この1年ほど、よくスイスに遊びに行きました。スイスといっても、イタリアと国境を接した向こう側にあるティチーノ地方で、そこは、言語もイタリア語だし、食べ物もイタリア料理だし、まるでイタリアの延長のような土地ではあります。
たとえば、イタリア北東部アルト・アディジェ州は、もともとチロルですが、もうずっと昔からイタリアに組み込まれているにもかかわらず、ドイツ語を話し、ドイツ料理を食し、人々の体格も顔もメンタリティーも北方系で、そしてイタリアから分離独立したくて仕方ないのです。イタリアのみならず、たとえばスペインでもバスクやカタルーニャなどでも、それぞれの民族の独立意識、現在属する国への非帰属意識というのはすごいものがあります。
ところがここスイスというのは不思議で、そういう民族意識の前に、スイスという国があるらしいのです。スイスは、イタリア語圏、ドイツ語圏、フランス語圏、ロマンシュ語圏からなり、連邦制ですが、それぞれの地域が、文化の基本となる言語も料理も違うのに、つまり、もともとは違う民族のはずなのに、恐ろしいほどの求心力で、スイスとして堅固に成り立っているのです。
う~む。豊かだからだろうか?
実際、イタリアと比較するならば、国境を越えた途端に、道がきれいになりますし、同じ仕事をしていても、お給料は倍くらい違うらしいのです。だから、イタリア側に住んで、スイス側で働く、というのが、国境近辺に住んでいるイタリア人にとっては、理想的なスタイルで、実際に、多くの人が毎日国境を越えて、通勤しています。物価も、かつてはかなり高い印象でしたが、EUがユーロを導入してからは、さほど差がない状態になっています。でもイタリアではユーロによる物価高のわりに、お給料はリラの時代から据え置きですから、生活は厳しく、おそらくスイスでの仕事を求める人はますます増えていることと思われます。
スイスの人たちは、しかし、それがイタリア語圏の人たちで、イタリア語を話し、パスタを食しながらも、でもすっかりスイス人になっているのですね。一言で言えば「暗い」。良くも悪くもイタリア人の最大の特徴である明るさはありません。まぁ、ある意味、日本人にとっては、より付き合いやすいかもしれませんが。
さて、そんなスイスはティチーノ地方。なぜ通うほどに出かけていたかといえば、勿論ロマネスクを訪ねるためです。スイスのロマネスクというのは、実は業界(?)ではかなり取り扱い度が低く、ほとんど無視されているといっていいほどです。でも、ちょっと調べると、結構いろいろとありそうな感じなのです。
考えたら、ロマネスク発祥のイタリア北部と接しているのですから、というか元は同じ文化圏なのだから、あって当然なのです。ただ、おそらく多くが、小規模であり、また後代の手の入っているものが多く、そういう意味で、純粋ロマネスク的観点からの重要度は低いのかな、とは思います。
とは言え、小さな地域に、点々とちりばめられた小さな教会や礼拝堂は、特に学術的にロマネスクを追っているわけではない私には、とても魅力的なものでした。多分ここを登っていくとあるはず、というような山間、谷あいに、ロマネスクの鐘楼の天辺が見えたりすると、やった~、というような気がしたものです。また情報も期待もないままに訪ね、たまたま鍵も開いていて、中に入るとすばらしいフレスコ画や柱頭彫刻に出会ったりして驚き、うれしい喜びを感じたものです。
ただ実際は、しっかりと鍵で閉ざされ、どこの誰が鍵を管理しているか分からず、またたとえ、鍵の管理者が記されていたところで、それがどこの誰か分からなかったり、山を一つ越えた村の役場だったり、結局鍵を手に入れることはできない、つまり中に入れないことの方が多いのです。これは残念なことです。でもまた次回、と思うのも、いいのかもしれません。
それにしても、スイスは、観光の一端として、こういうものをもう少し力を入れて紹介してもいいのになぁ、と度々思いました。世界中の人が、スイスと聞いて思い浮かべるのは、おそらくアルプス。マッターホルンとかアイガーの北壁とか氷河とか登山電車とか、確かにすばらしい自然だし、紹介されてしかるべき、また旅してしかるべきなんですが、それだけじゃないよ、こういう文化的なもんもちゃんとあるもんね、とせめて当局がもうちょっと気合を入れて、自然と銀行と時計だけじゃないのよ、というスイスのイメージを広めてもよいのでは、と思ってしまうのです。
一連のスイスめぐりは、一時期ティチーノに暮らしていた友人に負うところ大なのですが、地元に住んでいた彼女からして、資料を探すのに骨を折っていたくらいです。もったいないですよね。っていうか、どの教会どの礼拝堂も、とてもきれいに扱われていたので、おそらくずっとずっと大切にされて来ているんだと思うんです。そういうものが、時として本当にすばらしいお宝をもっていたりするわけで、それならば、村人以外にも、ちょっと見せてくださいよぉ、とそういう感じですかね。
スイス・ロマネスクにご興味のある向きは、ロマネスクのサイトの方で、じっくりご鑑賞ください(www.geocities.jp/notaromanica)。スイスに行かれるとき、自然を堪能する合間に、ちょっとこういう楽しみも経験してください。いや、わたくし、別にスイス観光局の回し者ではありませんが。
ここは、エジプトものでは、カイロに次ぐ規模、ということで、昔から興味はあったのですが、そして、トリノは仕事ではもう何十回といっているし、オペラにはまっていた時代には、テアトロ・レージョも、何回も行きましたけど、これまで、エジプト博物館に行くチャンスはなかったのですよね。しかし、とうとうそのチャンスが来ました。
すごく有名だし、イタリア北部の子供たちは、学校生活時代に必ず一度は行くくらい、その”カイロに次ぐ規模”という立ち位置は、国民的に認知されているようだと思いつつ、でも、「イタリアでしょ」「それもトリノでしょ」という気持ちがあり、絶対たいしたことないと思っていたのも、無理していかなかった理由です。
ちなみに、トリノの人というのは、かつて王宮があったりしてイタリアの首都だったりした時代があったことを踏まえて、トリノがイタリア一、もしくはヨーロッパ一、くらいに思っている人たちですが、実は他の地域の人にはあまり好かれていません(と思います)。特にミラノの人たちは、「トリネーゼ?けっ、田舎者が…」というような感じがあり、私はミラノに長い上に、仕事で他の地域より圧倒的に多くのトリノ人を知るにつけ、「まさに田舎ものだ!」と思うにいたっておりまして、要するに、トリノの人は、一般的にはあまり好きとはいえないということなんですが、まぁそういう部分から、トリノで、カイロに次ぐ規模なんていうことが、図々しい!と勝手に「さすがトリノ人はやることも言うこともえらそうだよね」とか思っていたんですよね。
ところがどっこい、ここばっかりは、大間違え。ここ、すごいです。確かにすごい。持っているものもかなりだし、展示もうまいし、説明もしっかりされていて気持ちよいくらいです。トリノの人々に、ごめんなさい、という感じでした。
イタリア人はエジプトが大好きで、エジプト学、という言葉もあるくらいですし、その情熱がしっかり反映されているというのか。私にとって発見だったのは、パピルスの重要性、というか、いかに当時の人々がパピルスを大切にしていたかということを目の当たりにしたことでしょうか。多くの石像(ホルス神や、ラムセス2世像)の足元なんかに、パピルスを表す装飾模様がちりばめられているのですね。これはこれまで知らなかったことです。というか、エジプトってまだ行ってないので、エジプトものをまとめてみたことがあるのは大英博物館くらいで、実は、当然トリノの博物館より大英博物館の方が上、と思っていたわけなんですが、大英博物館は、ロゼッタストーンという大物があるのがすごいって言うだけのことで、そんなに熱心に学ぶような展示ではなかったですね。インパクトだけでは、頭に入らないってことです。
ここは小学生から高校生の子供が勉強に来るだけあって、説明も細かく、展示も実によくできています。思わず、エジプト学、フムフム、とテレビに出ずっぱりで発掘費用を稼いでいるという早稲田の教授を思い出したりします。エジプトは、やはり特別な感じがします。そりゃあ、初めて墓を暴いた人は、感動したでしょうよ、と思わされるというのか。
中世どころか、いきなり古代BCの世界に飛んじゃいましたが、たまにはそれもいいなぁ、という週末でした。
蛇足ですが、展示はすばらしいものの、ファシリティーに問題ありましたね。古い建物なので、すべてが古びていて、チケット売り場の仕組みは古色蒼然だし、トイレは少ないし、展示は階段を登ったり降りたりを繰り返す必要があるし、この辺が、やはり所詮イタリアの限界って感じです。
昨年末に出かけたカタルーニャの、ロマネスク関連の写真の整理が、やっと終わりました( www.geocities.co.jp/notaromanica )。デジカメの時代になってからというもの、そしてメモリー・カードの容量が増えてからというもの、とりあえず何でも撮っておこう、ってやってしまうので、写真の数がすごくて、整理が大変になる一方です。数はあっても、これ、という写真は、驚くほど少ないのですよね。やはり一枚ごとに現像代やプリント代がかかっていたアナログ・カメラ時代の方が、被写体をよくみていたように思います。
さて、この旅では、カタルーニャの中の、猫の額ほど小さい土地をうろうろとしてきたのですが、全くここら辺のロマネスクのかわいらしさといったら!私が好むのは、こじんまりとしていて、できればロンバルディア帯程度の素朴な装飾や、ヘタウマ系の石彫り彫刻、特に変な動物とかのフィギュアがある教会なので、ここはぴったりの土地です。
残念なことに、この辺の人は、ちょっと冷たい。ご飯はおいしいし、物価は私の住まうミラノに比べれば各段に安いし、手ごろなホテルがあるし、交通の便もなかなかよいし、といいことづくしなのに、人々が冷たい、という落とし穴が。まぁ、うるさいほどに親切な人がたくさんいる(というか、たんにうるさいだけ、という場合が多いが)イタリアに住んでいるので、たまにはこういうクールな対応というのも悪くはないですが。日本人のイメージとして、ラテン人は明るい、ってありますが、スペイン人は明るくないです。南の人でも、暗い。というか、明るいラテン人って、イタリア人だけじゃないのか、と思います。
(添付写真は、ポルケラスのサンタ・マリア教会入り口装飾。)
Author:Notaromanica
ミラノ在住で、ロマネスクが大好きで、主にイタリア、フランス、スペインを回っています。