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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ロマネスクのおと、年内最後の更新

前回の更新以来、たまっている写真を少しでも何とかしたい、と苦吟しつつ、なかなか先に進めなかったのですが、やっと一つ、懸案だったベネチアを整理できました(ロマネスクのおと)。


旅をしたのは、去年の6月初頭ですから、なんと1年半も寝かせてしまいました。熟成するってもんでもないのにね。
ベネチアといっても、中世ロマネスクの旅ですから、本島ではなく島めぐり。これが、なかなか資料がないのです。旅をしたときに、何か購えばよかったのに、買ったのはサン・マルコのモザイクの写真集だけで、資料的な価値が低い~。何を考えていたのでしょう、わたし。というか、島といってもベネチアのことだから、インターネット等でも情報はいろいろあろうと思い込んでいました。
でも観光地ではありながら、不便なので、全員がいけるわけではないトルチェッロとか、多くの観光客が、ガラスは買いにいくけど教会はついでに眺めるだけ、というムラノとかは、ガイドブックでの扱いも最小です。その上、現地では撮影厳禁。で、まとめて行くのも、結構辛かったんです。
でも、ベネチアそのものというよりも、モザイクの話などは断片的に知るだけでも興味が尽きず、やはりこうして改めて勉強というか、見直しをすると、いろいろな知的好奇心が湧いてくるのです。これで、本格的に研究するとか文を書くとかすれば、わたしもひとかどの人になれるのかもしれませんが、ミーハーなわたしはここで止まってしまいます。へへへ。
それでも刺激を受けるのは楽しいし、モザイク職人さんの一日などを想像するのは楽しいです。だからたまにはお出かけ、しないといけません。

今年も暮れます。ロマネスクの覚書のために始めたブログですが、不動産など思いがけない話題も加わって、これからどういう方向に行くのやら。訪れてくださった人々に感謝。皆様がよいお年を迎えられますよう。
そして、来年もまたよろしくお願いします。。。
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  1. 2008/12/29(月) 07:13:39|
  2. ロマネスク全般
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不動産、関係者会議(?)

不動産屋に呼び出され、問題があるので、売主ともども、会いたいから、ということで、会社をそそくさと出て(家探しを始めた9月末から、ずっとそそくさ状態が続いていて、少々心苦しい…)、不動産屋へ。不動産登記所への登記は無事行われ、不動産台帳の修正は通過。でも、売主は、長年にわたって届出を怠っていたわけですから、そのポジションを、過去に遡ってきちんとするために、”恩赦”の制度を利用する必要があり、それで決められた規定の金額(罰金ですね)を支払わなければ、法的に登記が終了しないとのこと(恩赦の制度は、特に税法上しょっちゅう実施される、おそらくイタリア独特の制度。税金未納や支払不足などの不正を、一定の金額を一時に支払うことで、不正そのものの規定違反を問われることなく、過去に遡って修正できる制度。国や自治体にしてみれば、手っ取り早く収入が増やすことができ、納税者にとっては、下手すると数年後に、いきなり不正を問われ、その数年分の延滞金なども取られる心配がなくなるので、それなりに両者にとって、メリットがあります)。
というわけで、ローン審査が無事通って、すぐにも不動産鑑定士が査定に行きます、という段取りだったのが延期せざるを得なくなり、正式契約も先に延びてしまいました。
でもわたし的にはかなり助かったのです。というのも、収入面で思惑が外れて、当初の予算よりも現金が1万ユーロくらい不足してしまっているので、正直超自転車操業状態になりそうなのです。正式契約をすると、その翌月からローンの自動引き落としが始まるので、自動的に、現在の家賃との二重払いで、生活費がどーんと重くなり、つまり生活苦になるのは目に見えているのです。なので、内装工事を少しでも早く終わらせて、賃貸と持ち家のコスト二重払い期間は少しでも短くしないと、本当に苦しいわけです。
なので、他の関係者は全員、年内に正式契約を目指していたのですが、わたしだけはひそかに、何とか来年早々…と思っていたんですよね。あ、これって祈りが通じた結果なのかな。やはり日ごろの行いかなぁ~(笑)!
さて、関係者会議の後、不動産屋を出たところで、売主とちょっと立ち話。というのも、彼が、必要な家具があれば置いていくし、と言ってくれたので、先日電話で、台所のガス代と小さな棚、居間のテーブルと椅子をお願いしていたのです。で、「あの話だけど」というので、「あ、ガス代と、云々」と確認したところ、「それは分かったんだけど、えーと、いくらくらい言えばいいのかな。」と、その値段のところは、とても優雅な、つまりこっちにはすぐには分からないような表現で言いました。これまで何回かあって、おしゃべりするにはインテリだし楽しい人だけど、金を持っていそうなのにせこいな、という印象はあったのです。だから、家具の話があったときも、おそらくただではあるまい、とは予想していたのだけど、そのときまでお金の話はおくびにも出さなかったので、ひょっとして?とちょっと期待していたんだけど、やっぱり、で一瞬にしてがっかりしました。
でもお金の話が苦手な典型的東の日本人なので、そこで、「え、ただじゃないの!?」とか言えないわたし。「あ、ああぁ、あまり高いと買えませんよ…」なんて、買えないというより買う気はないくせにそんな発言でお茶を濁し、「そしたら大体350ユーロとおもっていたんだけど、どう?」「はぁ、ではちょっと考えてから電話します」と別れて、分かれた途端、ちくしょー、とかつぶやいていました。
すごくビミョーな値段設定。というのも、新品のガス台がちょうどそのくらいするんです。でも中古なんだし、机と椅子だって、ただならもらっとくけど、という代物。結局断ることに。
金を持っている人というのは、やはりどういうときでもしっかり稼ごうとするんですねぇ(おうちに何千万と払う人から、350ユーロ搾り取るってすごいですよ、冷静に考えると)。しかしわたしがああいう人の妻だったらどうよ?と思っちゃいました。ああいう人って言うのは、大体似たもの夫婦だから、夫婦そろって同じ感覚なのでしょうけどねぇ。って言うか、感覚違ってたら、とっくに離婚してます。
なんかこういうことがあると、ちょっとがっかりします。結構インテリだし、楽しい人だな。今後これがきっかけで友達になれたら、それはそれで面白いかも、くらいに思っていたのに、なんだか人の顔をみた途端、「How are you...(このあとイタリア語)あ、ごめんなさい、つい職場の感覚になっちゃって。」とか英語で言うのも、なんだか似非インテリじゃん、みたいないや~な感じで、印象が全く変わってしまいました。とにかくお金にせこい、汚い人は大嫌いなので。
家具などすべて取っ払った方が、内装工事もやりやすいはずなので、いっそ、せいせいしましたが、しかし、資金繰り、さらに辛いことに。ふぅふぅ。
ま、なんとかなるでしょ!
内装工事の業者も決定。年内にもう一度アパートに行って、細かい話をするのかな。
これからは、週末ごとに家具探しに奔走しようと思います。かわいい冷蔵庫、どこに行けばあるのかなぁ。

  1. 2008/12/14(日) 07:17:52|
  2. ミラノ-不動産の話
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ウンブリアその12-スポレート(1)

いよいよウンブリアの旅のフィナーレ、スポレートに到着です。今回の旅で最も気になっていた町です。というのも、ウンブリアには、さほど多くのロマネスクが残されていないのですが、ガイドブックで見る限りでは、このスポレートだけは、異常にたくさんのこっているらしかったからです。
旧市街は、鉄道駅とはちょっと離れています。ナルニほど山を登ることはないのですが、バスで5分ほどで丘の斜面に張り付いて広がる旧市街の麓に着き、その中心地までは、さらにぐるぐると5分くらいでしょうか。それで町を抜けて、反対側の谷に出ます。
ホテルは、その旧市街の中心地で、観光案内所もある広場に取ったので、探す手間もなく、便利なロケーションでした。それにしても、旧市街の成り立ちが全然分からず、雑然とした印象で、初めてバスで中心広場に到着したときは、かなり落胆しました。旧市街といっても、別に中世の美しい町並みが残されている感じでもなかったのです。え、こんな町に二泊もするの、わたし?と大いに間違った気がしました。
でも、気を取り直して、すぐ観光です。
ここは本当にたくさん、見所があるので、二回に分けることにします。まずは旧市街にある教会めぐりです。

まずはホテルから、スポレートで最も有名な観光地ドゥオモへ向かう途中で見つけた教会からです。さすがに最後の町なので、ここに至るまでにことあるごとに読んでいたガイドブックの知識が、結構役に立ちます。この教会は、外観は全くぴかぴかの新しいものなので、気にしてないと中世好きの視界には入ってきません。でも、地下に、すごいお宝が隠されているのですから、要注意です。
上物は、18世紀のアンサーノ教会。外も中もピカピカですが、その地下には、一つは1世紀のローマ時代の神殿跡、そしてまた、12世紀のロマネスクのクリプタ、サン・イサッコが残されているのです。


クリプタには、すばらしいフレスコ画が、かなりしっかりと残されており、どのモチーフもかわいらしく、また色彩も美しく、覗き込んだときには思わず息を呑みました。だってそんなにすごいとは、ガイドブックの控えめな記述からは計りかねたので。18世紀に上物を立て直したとき、よくもここを壊さないで残したよな、とそこに感謝感激。多分、その当時は、地下におりられないように、入り口そのものをふさいでしまったのかもしれません。

いきなりトリップしました。何だよ、この町、とがっかりした気持ちが、かなり吹き飛んでいきました。このイサッコのクリプタの前には、水が湧いていて、それがまた冷たくておいしい山の水だったので、滞在中、手持ちのペット・ボトルに何度も汲みました。またこの町には広場がなくて、戸外でのんびりくつろげる場所が少ないので、その付近の石の手すりに座って、一服するのが習慣、って、たった二泊のことですが、それにしてもここは、ホテルからドゥオモに向かう道の途中だったので、何度往復したことか。

さて、待望のドゥオモに向かいます。


あ~、写真で見たとおりだ~、と誰もが思いそうな、そういう眺め。ここは教会へのアクセスがちょっとかっこいいんです。道から、見下ろすような広場のどん詰まりに建っていて、前はかなり広いスペース(スポレート音楽祭が催される場所)、そしてそこに至るまでは緩やかなスロープと階段という構造。ドゥオモの鐘楼を含むファサード全体が、とても美しく見える構造です。おそらく最近修復工事があったようで、ファサードは鮮やかな白。夏のどこまでも青い空を背景に光り輝くようでした。
このドゥオモには、たくさんの見所がありますが、わたしが最も魅力を感じたのは、フィリッポ・リッピのフレスコ画です。ここはちょっとロマネスクを置いといて、このフレスコ画を語りたくなります。


美しいです。ため息モノ。息を呑むすごさですよ。リッピやボッティチェリの描く美しい女性の肖像は大好きなのですが、これほど巨大なリッピを見たのは初めてです。内陣を覆う壁のすべて、すごい迫力です。そして最新の修復が施されているのでしょう、色彩は、まるで今完成したかのように鮮やかで、聖母の頬などつやつやです。青も赤も、すべての色に透明感があり、これだけ巨大な絵なのに、重さが全然ありません。
これまた、ドゥオモの前を通るたびに、リッピ会いたさに入る羽目になりました。ここは、このリッピのフレスコ画に再会するためだけでも、再び訪れたい場所です。

さて、ドゥオモへとおりるスロープの左手に、いかにもロマネスクな小さな教会の後陣を見ることができます。サンテウフェミア教会は、今は美術館と一体化していて、教会としては使われていないようです(でも何かイベント的ミサなどは行われることもあるかと思料)。美術館の一部としてあり、美術館を通って、中に入ることができます(本来の正面扉は閉ざされていて、教会だけ見学することは不可能)。


ここの面白さは、順路に沿って教会に入ると、そこが2階部分ということ。見せ掛けのものも含めて、側廊の上に通路のある構造は、ロマネスク教会にはよく見られますが、そこに実際に登れるところはほとんどないのではないでしょうか。全体を上から見下ろせるのは楽しいです。

今度は旧市街を鉄道駅のほうに向かいます。ちょうど旧市街と新市街を分けるところに、毎日市の立っている大きな広場があり、その一角に、こじんまりとあるのが、サン・グレゴリオ教会。


ここもまた、予想外によくて、うれしい驚きでした。町にあるロマネスクものでは、最もロマネスクらしい空気をたたえている教会だと思います。石っぽさ、柱頭、薄暗さ。ここにもまたフレスコ画があります。わりと近代になって、発見されたもののようです。クリプタもありますが、階段を降りたら、恐ろしいほどの暗闇で、何も見えず、怖くなってすぐ本堂に戻りました。真っ暗な中に、わずかにぼんやり浮かび上がる細い円柱に支えられたヴォールト構造の中の湿った空気が、とても中世でした。
地味ですが、場所が便利だし人々が行きかっているので、結構信者が来る現役教会です。

最後に、泊まったホテルのすぐ裏に、今ではナルテックスだけしか残っていないサンタガタ教会がありました。



旧市街終わり。町の観光はらくちんですね。これまでの修行行脚に比べると、冒険的な要素はほとんどなく、とても涼やかに歩いたようですが、でもとにかく歩いてます(当然迷いながら)。この町も、坂が厳しく、サン・グレゴリオ教会からホテルまでを一度歩いて往復しましたが、また後悔、疲れた身体をさらにいじめた感じでした。といいながら、結局歩いてしまうんですよね、つい何かあるんじゃないか、と根拠のない期待をしてしまって。普段ミラノにいると、ロマネスクめぐりも車でビュン!とやっちゃって、歩きで迷ったりすることもないから、反動みたいなものがあるのかも。もともと歩くのは好きだし。ちょっとやりすぎですが。

ということで、今回は珍しくロマネスク、静かに回りました。久しぶりにどっか行きたくなってきました。
  1. 2008/12/12(金) 06:43:45|
  2. ウンブリア・ロマネスク
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カラヴァッジョ



この週末、町をぶらぶらして、スカラ座広場に来たら、なんか行列があります。あ、カラヴァッジョの無料公開だ!と気付き、20メートルほどの行列に並んでみました。
どういう経緯かよく知らないのですが、いつもはローマにあるカラヴァッジョの絵が、ミラノ市庁舎であるPalazzo Marino(マリーノ宮)の一室で、約一ヶ月の間、公開されているのです。そういうのはわざわざ見に行こうとは思いませんでしたが、たまたま行き合わせたからには、せっかくだから、という気持ちになります。
行列は意外と早く進み、10分ほどで、建物の中に入り、さらにそこで15分ほど待ち、それから絵が展示されている部屋に入って、さらに10分くらいですかね。やっと、絵の側に行くことができました。
もともと辛気臭い教会絵画は苦手で、特にルネサンス以降のカンバス油絵は、もう全然だめ。最近ロマネスクに傾倒してからは、一切見てませんし、とにかく一枚の絵をしげしげと鑑賞したことなどなかったような気がします。
このカラヴァッジョ、部屋に入ってからは、遠めに、上部が見えますので、それはもうじっくりとみました。部屋は、教会よりは明るいけれども、普通の美術館よりは暗い照明です。なのに、絵には光が当たっている!
笑われるかもしれませんが、びっくりしました。どっからあたってるんだろう、と真剣に考え込んでしまいましたから。勿論、すぐテクニックでそう見えるのだとは分かりましたが、見ても見ても実際に灯りが差し込んでいるとしか思えないんですもんねぇ。
不謹慎ですが、思わず「うまい…。」とつぶやくわたしでした。おこがましいですが、もうそういう風にしか表現の仕様がないですよね、本当にうまいんですから。


カラヴァッジョは、イタリアでは最も敬愛されている画家の一人です。リラの時代には肖像がお札に使われていたくらいですから、大衆的な人気や知名度もあるということなのでしょうね。わたしは確か、ずいぶん昔ですが、彼を主人公にしたドイツ映画で知った口です。イタリア美術史なんてトンと興味がなかったもので、せいぜいルネサンス時代しか知らなかったんですよね。彼の破天荒な人生、そして異常なまでの天才性というのが、とても見事に描かれた映画で、カラヴァッジョっていいじゃんと思うようになり、あちこちで少しずつ、作品は目にしていると思います。ミラノのアンブロジアーノ美術館に、やはりリラのお札に使われていた果物籠がありますが、もう異常なうまさですね。
ついた先生たちは、別にフツーの絵を描く人々で、一体どうしてこういう闇と光の効果を生かした絵を描くようになったんでしょう。当時にあってはすごく斬新だったはずで、だからこそ、あちこちの貴族や王族に厚遇されたのでしょう。でもやっぱり、普通の人ではなかったということでしょうね。
すごいなぁ、と感心しながら、せっかく町中に出たので、ドゥオモとその前に立てられた巨大なクリスマス・ツリーを拝んでから、帰宅しました。眼福だった。たまには町に出ないとね!


  1. 2008/12/10(水) 06:27:25|
  2. アートの旅
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スカラ座開幕!



(1995年開幕公演、モーツァルト「魔笛」)
もう関係ないのに、どうしても気になってしまうイベントいうのがいくつかあります。
その中の一つが、ミラノの守護聖人に捧げられた祝日であるサンタンブロージョの日(12月7日)に、初日を迎えるスカラ座の開幕公演です。実は、一時はまっていたのです、オペラに、いや、スカラ座に。
当時は、インターネットなどない時代で、チケットを買うのは至難の業。特に安い天井桟敷は、誰もがアクセス可能なお値段なので、まさに争奪戦の状態でした。人気のイタリア・オペラだったりすると、それこそ二晩くらい夜を徹して並ぶ、なんてこともしょっちゅうでした。そうやって数年の間、スカラ座の天井桟敷に通いつめていました。最も行っている頃には、週に2,3度、同じオペラを違う歌手の日に見たりしていました。シーズンにかかるすべてのオペラを、バレエも含めて見に行っていました。
さて、その気になるイベントである開幕公演は、三度ほど体験しました。
何せチケットが高い。天井桟敷でも万単位。普段2千円くらいの席が、その日は1万円以上。でも、開幕公演をナマで見るというのは、多くのクラシックなミラネーゼの夢でもあります。わたしも、そもそもは、ミラノにいるからには一度くらいオペラの殿堂、世界でもトップ・クラスのスカラ座の初日公演を見てみたい、というとてもミーハーな気持ちから、スカラ座通いを始めたのです。
チケット争奪戦は、今でも、よくやったな、とあきれる気持ちで懐かしく思い出されます。なんせスカラのチケット争奪戦に初めて参加したのが、その開幕公演。ドミンゴがテノールのドイツ・オペラでした。そして、見事に敗れてしまうのです…。
そのシーズンは、そのあと、全公演見ましたが、開幕公演は翌年まで持ち越し(魔笛)。
もう1週間くらい前からそわそわして、どういうスケジュールで券が売られるのかをチェックしに連日劇場まで足を運び、そして3,4日前から、天井桟敷のチケットがほしい人たちの点呼が、数時間おきに始まります。確か前日は、昼夜を問わず、4時間ごとの点呼とか、そういう過酷な(異常な)世界。夜中、当時は車を持ってなかったので、タクシーを呼んだり、また時には徒歩で1時間くらい歩いて、スカラ座に行くのです。でも文化祭とかそういうお祭り的な楽しさもあり、辛い、と思う反面、楽しんでいました。


(1997年開幕公演、ヴェルディ「マクベス」)
スカラ座の空気は独特で、多分世界のどこにもない緊張感があります。先日、プラシド・ドミンゴのインタビューを見ていたら、スカラ座にデビューしたときの話をしていました。「デビューはあちこちで経験したわけだけど、スカラ座ほど緊張したことはない。あそこのオケの団員、合唱団員のプレッシャーというのは、他に類を見ない。実際にすばらしいパフォーマンスをする人たちで、その人たちが、練習の際、さぁ、今度の新人は、どうかな。仕方ない、聞いてやるから、歌ってみな!という空気をかもし出しているんだ。これは絶対に負けられない、と気合が入ったよ。」というような話。さもありなんです。
そしてまた、スカラ座のすごいのは天井桟敷の客たち。一度パバロッティが、ハイCを出さなかったとき(出せなかった)、ブーイングが出て、それ以後彼は二度とスカラ座に来なかったのですが、あのパバロッティにブーが出せる人たちは、スカラ座の天井桟敷以外にいないでしょう。サクラも相当入っているという話しでしたが、でもいいものはいい、だめなものはだめ、何でもかんでも拍手や歓声は変、というのはすごいことです。日本はちょっとそういうとこありますもんね。わたしはブーはできませんが。
すばらしい公演をたくさん見ました。すばらしい歌手、指揮者、オケ、ダンサーたち。集中して通ったのは、6年ほどでしょうか。でもおそらく普通一生かかってみる分くらいは見てしまった感じで、ある日つき物が落ちたように、あ、もういいかも、となり、今では懐かしく思うことがあっても、実際に出かけることはなくなってしまいました。あ、昨シーズン、せっかく買ったドレスを着るチャンスがなかったので、それを着るために行ったというのはありますが(うう、何という俗物でしょう)。
そう、ハレの場ということでも、楽しいものでした。着飾って、スノッブな人々を身近に見て。
今年は、わたしが通っているときの監督ムーティが、久しぶりに棒を振るドン・カルロ(大間違い!なんかわたし、夢でも見たのかな。「音楽監督を辞して以来はじめて、ムーティが振る」、というフレーズを聴いた気がしていて、だから思い込んでいました。へへ、お恥ずかしい。指揮者はダニエレ・ガッティ。ドン・カルロには弱すぎたみたいで、評価は三山だったようですね!)。
さて、どういう結果がでますか。ニュースで見てみることにします。


(ロカンディーナのコレクション)
  1. 2008/12/08(月) 06:38:36|
  2. ミラノ徒然
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不動産の話-祝!

ローン審査、無事通過しました!必要書類の提出後、万が一だめだったらどうするんだろう、他にあたって何とかなるのかな、などなどとドキドキしながら待つこと2週間。ああ、よかった。
それにしても、どうしても誰もはっきりと、どういう流れでどうなるということを説明してくれないのかな。審査通過のお知らせをしてくれた担当者のお姉さんは、「手続きを早めるために、公証人に通過の件を伝えておいた方がいいわよ。書類をどんどん準備した方がいいから。それから、不動産鑑定士が、アパートを見に行くから、そのアポの電話が入るので。」ということで、どういうタイミングなんだろう、と思っていたら、なんと同じ日の夕方に不動産鑑定士から早速電話が。早いよ、早すぎるよ。それもいきなり、「鑑定だけど、あさって、土曜日の午前中では?」ちょっと待て、土曜日に普通アポ入れないだろ?それも、2週間待たせた挙句、いきなりあさって…?
この2週間、何かに引っかかったように物事が止まっていたのが、がったんと引っ掛かりが取れた途端、グワ~、とすごい勢いで回りだした?
で、すぐに不動産屋に連絡したら、「あ、それはだめ。アポは引き伸ばして。」は?年内に契約完了しようって言ったの、あんたたちじゃん、何でうれしくないの?
「実はちょっと困ったことが起きたのよ。売主が、50年前に内装工事をして、壁の位置を変えたんだけど、それを不動産登記所にちゃんと届けてなくて、だから、登記所の図面は、オリジナルの不動産の図面になっているのよ。それじゃ、ローン審査がだめになるから、今大急ぎでアップデートの手続きを始めたところなの。だから、とりあえず、来週以降、こっちから連絡するということにしておいて。来週早々、売主とも会って、状況を見ましょう。」ええ~?!なんですかぁ~?
一難去ってまた一難とはこのことか。ただ今回は、わたしの問題ではないので、気持ち的にはとても楽で、皆さん、問題は早急速やかに片付けてくださいませよ、ホホホ、という感じなんですが。とは言え、50年間の無届ということは、結構な罰金がかかってくるのではないかと思われ、よもやわたしにも一部負担せよとか言わないだろうな?と、正直ドキドキはします。売主は、「君がローンを組まなければ問題なかったんだけどね」と5回くらい繰り返したのが、ちょっと気になります。でもローンを組まないで家を買える人なんてほとんどいないはずだし、もしも、即金で買ってたとしたら、数十年後にわたしが売るときに、この問題が起こっているということで、全くとんでもない話です。
おうちの建った年は気になっていたのですが、この件で判明しました。1936年。おお~、築72年!わたしが住んでいるうちに、記念すべき100年になるかもね!道理で天井が高いわけです。
天井はかなり高いと思っていましたが、確認したら3.3メートルとのことでした。ミラノで普通の家だと2.7メートル、比較的高いところでもせいぜい3メートルですから、通常よりは50センチも高いことになります。だからそんなに広い家じゃないのに、何か空間を感じられるんですね。
うれしいので、おうちの写真を貼り付けます。



まずはこの無届問題を解決してもらって、そのあとは、内装業者を決定しなければなりません。どんどん、自分のおうち、という実感が湧き出して、ドキドキわくわくが強くなってきました。予定外のことで資金が足りなくなってしまったので、やりたいだけの内装工事ができるかどうか、不安ですが、家具はしばらくあきらめて(みかん箱またはバナナ箱生活…)、生活もお給料を使い尽くす自転車操業で、できる限りやりたいものです。
とにかくまずはローンをしっかり組んでもらうこと。来週の関係者会議、どうなることやら。
まずは祝杯あげすぎで、ただ眠いだけ。今日はゆっくり休みます。
  1. 2008/12/06(土) 02:58:31|
  2. ミラノ-不動産の話
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ウンブリアその11-ナルニ

周辺をあちこち歩いた挙句、やっとナルニです。
新市街の安宿(外観は”なんじゃこれ?”って感じですが、部屋はこぎれいなビジネス・ホテルでしたけど)に宿泊した翌朝、限りなくしょぼい朝ご飯のあと、すぐ旧市街に向かいます。受付の人が親切にも、旧市街行きのバスが出る鉄道駅まで、車で送ってくれました。前夜着くなり、「駅から1キロって聞いてたけど、多分もっと遠いし、それに歩くには不向きな道でまいった」と訴えたのを覚えていたのでしょう。時々ですが、オバサン化+イタリア人化が激しく出てしまって、なんだか思ったことをすぐ口にしてしまいます。多分疲れて、頭が働いてないときだと思うんですが。
しかしせっかく送ってもらっても、旧市街に行くバスは、1時間近く先。そう、日曜日ですから、そんな近場を結ぶバスすら、そういうタイムテーブルで運行しているのです。昨日、無理やりがんばって、いけるところに全部行って、大正解です。
無人駅だし、駅前のバールもしまっているし、自動販売機で、翌日のスポレート行きの片道切符を買ったあとは、何もやることがありません。せいぜい勉強しときましょ、とガイドブックを読んで、時間をつぶしました。

さて、無事旧市街について、荷物をホテルに放ったあと、いよいよ観光です。まずメインストリートをぶらぶらしていて出会ったのが、Santa Maria Impensole教会。


狭い道に面して、立派な円柱を構えたナルテックスを持ち、中は典型的なロマネスクの小さな教会です。柱頭彫刻がかわいらしく、その石っぽさが、とてもわたし好み。特に何があるわけでもないので、こういう小さな教会は、観光客が来ても、皆一通りさらっと眺めて、さっさと出て行ってしまうので、多くの時間独り占めできるのがうれしいですね。で、この一日、通るたびにとりあえず入って、かわいらしい柱頭を眺めながら、くつろいでしまうわたしでした。
道を先に進むと、左側に立派な教会があります。San Domenico教会。


残念ながら、全体が大規模な修復工事中で、アクセス不可能です。鐘楼の工事は終わったばかりのようでしたが、まだファサードも、内部も完全に工事中。12世紀にカテドラルとして建設された教会で、後代の手が結構入っているようですが、ロマネスクの名残が十分感じられる様子なので、じっくりと見られないのは残念でした。
このサン・ドメニコの裏側に、”ナルニの地下”があります。ガイドブックを読んでいてチェックしていた観光ポイント。地下通路とか地下水路とか地下都市を観光ポイントにしている場所は結構あるのですが、どうも地下っていわれると、なんか神秘な気がして、すぐ、行こう行こう!と踊らされてしまいます…。
ここでは、地下に12世紀の教会跡や、異端審判所、そして、異端とみなされた人々に使用された牢獄があります。宣伝とオーガナイズ(ガイド・ツアー)がすごいわりには、ちぇ、これだけかよ、というのが、正直なところでした。写真も撮らせてくれないし!
最後の方には、お決まりの拷問用具の展示。ヨーロッパの人たちって拷問の展示が好きですよね。中世の大抵の町には、拷問博物館ってあるし。怖いものみたさ?それとも信仰を促す目的?理解不能です。
さて、ロマネスク的にはメインは、現在のドゥオモ。


町の入り口にあり、外見は地味ですが、中は堂々立派なものです。
もともと中世初期に墓地のあった場所に、12世紀ごろ建てられたそうです。だからそういう施設が周辺にあって、うち一つが後代に教会に取り込まれています。右側身廊の中ほどにある小礼拝堂のような場所がそれ。モザイクやレリーフで細々と飾られていて、かわいらしい場所です。
そうそう、ここでも、床を飾るコジモ風のモザイクがとても気に入りました。
さて、ドゥオモ内部をうろうろしていたら、かわいらしい聖母子の絵のついたパンフレットが置いてありました。


あら、どこにあるんだろう、と掃除をしていたオヤジに尋ねると、それはこの教会ではなく、新市街と旧市街の間にあるMadonna del Ponteという教会にあるんだよ、ということです。11世紀のフレスコ画で、もともと岩窟の中に安置されて、そこが礼拝堂になっていたその場所に、今の教会が建てられたとか。何かの記念で特別ミサがあるので、パンフレットがあったみたいでした。歩いていける場所かと尋ねると、「いやぁ、歩くのは無理でしょ。駅行きのバスに乗って、ローマ橋のあるところで降りればいいよ」ということでした。
ナルニの外を流れるネラ川にかかる、アウグストゥス時代のローマ橋があるのです。バスからちょっと見えるのですが、それが端っこから3分の1くらいのところでぼっきりと壊れていて、とても芸術的な風景になっている場所です。廃墟好きにはたまらないかも。
でも、バスは、今日はほとんど走ってないので無理。
その後疲れたのでいったんホテルに戻って、荷物を部屋に入れたのですが、ホテルの人によれば、ぶらぶら散歩で行けるよ、とまた修行(?)を促すような発言をされてしまいました。また歩けというのね…。
かわいらしい聖母子のフレスコ画も見たいし、ぼっきり芸術的なローマ橋廃墟も間近から見たいし、結局休憩もそこそこに、またホテルを飛び出すわたしなのです。
町外れまで行って、町を取り囲む壁を抜けたら、すごい急坂です。うへぇ、これを帰りは登ってくるわけ?やっぱり修行だ!やだなぁ、と思いつつ急ぎ足で歩いたら、意外とあっという間に川まで降りることができました。壊れた橋の周りには、その橋の残骸の石材がごろごろしていて、なんとも不思議な光景でした。なんせ橋は高さ30メートル、もともとの長さは160メートルもあったという壮大な建築ですから、迫力があります。残念ながら、あまりいい写真がとれませんでした。というのも、緑あふれる場所で、行きに通ったときは釣りをしている人なんかも数人いたのですが、帰りには誰もいないし、ちょっと怖くなって、のんびり写真を撮っている余裕がなかったからなのです。日暮れが近づいていましたし。


岩窟の聖母子のある教会では、ミサの最中でした。どうやら始まって間もないようで、20分ほど待っても終わる気配なし。どうも特別ミサって感じで、ミサが終わっても、写真など取れそうもない雰囲気がありありです。結局30分ほど待った挙句あきらめました。幸い、入り口の扉は開けられていて、正面に岩窟がそのまま残された内陣があり、聖母子も、照明があてられていたので、一応拝むことはできました。パルマのそばで見た、やはり古い聖母子に、ちょっと感じが似ている気がしたので、古いものかと思ったのですけど、教会の入り口の説明によれば、11世紀ということはないようでした。
その他ナルニの観光としては、町の高い方に城砦跡があって、そこでは漫画展覧会が開催されていたので、有名なイタリアの漫画オタクたちに対する多少の興味はあったのですが、時間切れ。というか、体力切れ。こんな小さい町に丸1日いたら、時間余っちゃうなぁ、と考えていたのは杞憂もいいところでした。
夜はホテルのレストランで、とてもおいしくて、またサービスもよい夕食をいただき大満足。ここでもウンブリア名産の手打ちパスタをいただき、赤ワインぐびぐび。ご飯はどこでも本当においしいのですが、ナルニでは、特においしくいただいた感じがします。
  1. 2008/12/04(木) 02:13:50|
  2. ウンブリア・ロマネスク
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