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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

チェファルー その3

チェファルーは海に面した町なのですが、町そのものがすでに高台にあるし、町の後ろには、どーん、と岩山が聳え立っています。
これは、鉄道駅から旧市街に向かう道ですが、こんな感じ。とても現代的な安っぽいアパート建築の先は、急峻な岩山。ミスマッチで不思議な風景です。


で、旧市街のそこここの小さな細い横道は、どれも上り坂で、どうやらこの岩山に通じているような。岩山の中腹には、古代の神殿跡とか、ビザンチン時代の教会跡とか、ちょっと気になる”物件”もあるんです。
キオストロにふられた私としては、なんだかこのままパレルモに戻るのも能がない気がして、そういう横道のひとつに、ついつい入り込みました。
おお。


整備された階段になっていて、それを登ってしばらくすると、見事な眺めが広がりました。冬だというのにかなり汗もかいて、風がきもちいいい~。海もとってもきれいです。
山道の途中途中に、壁やら門やら、いろんな時代のいろんな建造物があります。不思議な場所。
いい加減登ったところで、いきなり。


仙人?なに?
と思わずびびるような、とにかく何もない山道なんですけど、その途中にいきなりひげぼうぼうのおっさんが、さりげなく座っているんですよねぇ。これにはたまげました。
何だろう、何だろう、大丈夫かなぁ、と恐る恐る近づくと、「一人?どっからきたの?あ、日本、OK」とか何とかいいながら、手持ちの紙に書き付けています。あまりに当たり前のような態度だったので、なんなのかを尋ねるタイミングを失って、「えっと、神殿はまだ先ですか」などと、もごもご言いながら、登り続けました。
後からわかったのですが、この山道、観光地でもあり、一応日没で、途中の扉を閉めるようなんです。だから、登った人のリストを作って、山中に残さないように、特徴を書きとめておくということらしいんですよね。しかし、このじいさん、1日中ここに座って、そんなに来るとも思えない観光客のリストを作って、一日過ごしているんでしょうかねぇ。やっぱり仙人に近いかもねぇ。

この時点でかなり疲れていて、なんか無駄なことしてるような気がするなぁ、さっさとパレルモに戻ったほうがよかったかも、と思っていたのですが、仙人に幻惑されて、なんだかふわふわと先に進めました。
やっと出会った建造物、サンタ・アンナ教会。9世紀とかの遺構で、一帯に残されていますが、遺されているだけで、説明も何もないので、オリジナルがどうとかそういうことは一切わかりません。


さらにちょっと進むと、神殿跡がありました。


ディアナの神殿。これは、5世紀ごろの神殿で、ビザンチン時代に教会に転用されたというような歴史を持っている建物のようです。こういう巨大石などは、かなり古い時代のものがそのまま残っていて、迫力がありました。だからどう、ってんでもないですけれども…。
緑が多くてハイキングにはいい場所だし、時折のぞく海は大変きれいです。仙人のような方のチェックもあるから、安全なような気もするし。相当な登りでしたから、いい運動にもなりました。でも、中世探訪というテーマ的には、わざわざ行かなくてもよかったのかな。いや、こういう場所にまで、なんか作ってたという意味では、よかったのかな。
なんだかよくわかりませんが、チェファルーは海も山もあって、それなりによい町なのではないかというのが結論でしょうか。

ロマネスクはどこにいったんだろぉ。
ロマネスクのおと
  1. 2011/02/12(土) 05:15:27|
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チェファルー その2

チェファルーのドゥオモは、モザイクのほかに、実はこちらも有名です。
不思議な位置関係にあるキオストロ(回廊)。


なぜ不思議かというと、ドゥオモは、かなり高い階段を登った高台にあるのに、キオストロは、階段の下、普通の高さにあるんですよねえ。
でも実は、思いっきりクローズだったので、本当のところ、どうなっているのかは不明なのです。興味あるんだけどな。

それにしても、このクローズ、まったく納得できないものでした。
まず、事前にネットやらガイドブックやらで調べた限りでは、オープンは10/13時、そして14/18時だったので、少なくとも午後は楽勝で開いていると思っていたのです。
本堂は、午前中12時までということだったし、遅めの昼の時間に町についたので、まずはのんびりとランチを楽しんだんですよねぇ。
なんせ当日は、ミラノの家を出たのが朝5時前。パレルモに着くなりガシガシと歩き回っていましたから、かなり限界状態だったし、せっかくのシチリアの最初のご飯は、きっちりいただきたいと思っていたし。
実際、いきなりシチリア名物のいわしと何とかのパスタにありつきまして、大満足のランチだったんですけどね。ま、これはおいといて。
で、キオストロなんですが、本堂を拝観したあと向かうと、扉は閉ざされていて、前で待っているカップルがいました。入り口にかかげてあるオープン時間は、10/13時と15/16時。えええ。午後は、なんとたったの1時間!
しかし!幸運なことに、15時過ぎだったんですよ。
しかし!不運なことに、なぜか扉は閉ざされている…。
あわてて本堂に戻り、内部で葉書や本を売っている人に訪ねたところ、「え?開いてない?おかしいな、今は開いている時間でしょう。」でも、開いてないんですよぉ。「うーん、私にはなんとも。普段はちゃんと開いているし。きっと何か不測の事態が起こったんだろうねぇ…(のんびり)」えええ!そんなこと言われても!「明日の朝、またおいでよ」無理ですから!
結局、本堂は教会の管理だけど、キオストロは市の管理下なので、何もできないということでした。ガーン。
また扉のところに戻り、しばらく待つも、誰も来る様子なし。教会前のバールの人が、ものを運んだりうろうろしているので、声をかけて、事情を尋ねると、教会にいた人と同じ答えで、埒が明きません。関係ないのに、とても親切でありがたかったし、「なんか、残念だよねぇ、ごめんねぇ」なんて言ってくれちゃって、ああ、みんないい人だなぁ、とほのぼのしつつ、あきらめきれない私。
実は、本堂拝観中、日本人団体がやってきて、ぞろぞろと見学していました。その人たちが、教会前広場で休憩時間みたいで、三々五々ちらばっていました。
何が何でも状態になっている私は、「すみません、添乗員さんっていらっしゃいますか」なんてずかずかと団体に割り込んで、添乗員の方に、もしかして、キオストロ見学とか予定あるんですか?なんて、聞いちゃって。
「キオストロは、モンレアーレの方が立派なので、そちらは予定に入っていますが、ここは特にないです。」と、全然関係ないのに申し訳なさそうに言われちゃいました。
万策つきましたねぇ。
そしてそうこうしているうちに、もう見学時間終了の16時。はぁぁ。

延々と書いてしまいましたが、チェファルーのキオストロ行く方は、是非午前中を狙ってくださいね。と言いたかっただけです。
それにしても、チェファルーで日本人団体に会うとは思いがけなかったですねぇ。いやはや。

今日はきれいな写真が何もなくてごめんなさい。
よかったらこちらをどぉぞ。
ロマネスクのおと
  1. 2011/02/09(水) 05:51:23|
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チェファルー その1

パレルモから汽車で1時間くらい東に向かった海辺の町、それがチェファルーです。行くとした今日しかないかな、というのが日曜日で、汽車の数も少なかったのですが、日曜午後のパレルモは、どこもここもクローズだったので、無理やり出かけることにしました。

ここには、モザイクで有名なドゥオモがあります。


12月だというのに、すばらしい晴天で、この青空!これだけでもミラノから訪ねる価値大ですね。
ドゥオモは、旧市街の中心の、結構ごちゃごちゃした場所に、いきなりドン!と現れます。ただし、結構高い階段を登った上にあるので、とても堂々と、町並みに埋もれることなく建っています。
アラブ様式と混じった装飾が興味深いです。全体の砂色の感じも、とってもアラブですよね。

中に入りましょう。


外からイメージするよりも、さらに天井が高い。手前の方はしつこいバロック装飾がごてごてに付け加えられてしまっていますが、後陣と、その天井には、12世紀の黄金のモザイクが。


ただ、本当に天井は高いし、内陣全体が、ほっそりと奥深い構造なので、モザイクがとても遠くて、よく見えないのが残念でした。
バロック装飾がかなり幅をきかせているとはいっても、こんな柱頭も見ることができます。ちょっと、ゴシックが入ってる感じもありますが、どうでしょうか。


こういう、後代に改築や付け足しが激しくなされた教会の場合は、残念な気持ちにもなるのですが、宝探しの楽しさがちょっとあるかも。

中世の洗礼盤があるようなのですが、残念ながら修復中ということで、そばに近寄ることもできずでした。
チェファルー、まだ歩きますよ。

シチリア以外のロマネスクはこちらをどぉぞ。
ロマネスクのおと
実は、やっぱり日本語入力がうまくいかなくて、困っています。ページは作れるのですが、アップロードがうまくいきません。あああ、なんてストレスなんでしょう。
  1. 2011/02/07(月) 05:07:04|
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パレルモ その12

一時帰国があったりで、ずいぶんと間が開いてしまいましたが、実はまだ続きます、シチリアの中世旅。パレルモの最後は、ここ、Zisa。


Zisaは、パレルモの郊外、ちょっと不便な場所にあります。アラブ時代の建物が、そのまんまノルマンの時代にも使われたもの。Zisaってアラブ語で、美しいとかすばらしいとかそういう意味の言葉らしいですよ。
ノルマンの時代には、王様の夏の別荘みたいな位置づけだったとか。今では、周辺は郊外の、ちょっと貧しい感じの住宅地になっているのですが、でも、この建物は公園の中にあるので、緑も多くて、当時の名残もちょっとだけ感じられるかも。
こんな感じ。


ノルマンの時代の、すばらしいモザイクなんかがあるんですよ、中には。
しかし!

例によって、ちゃんと調べて、開いているはずの時間に訪ねたんですが、鉄の扉は思いっきりクローズしているんです。
え~、わざわざ来たのに?それもミラノに戻る前、最後のちょっとした時間、お買い物でもすればいいのに、お茶でもすればいいのに、そういう誘惑を振り切って、無理やりに来たのに、クローズ?それも開いているはずの時間に?!
南では思いっきりありがちのことなのに、いざこういう事態に出会うと納得できないんですよねぇ、これが。
鉄扉にインターフォンがあったので、躊躇なく押しました。
死んでるインターフォンかも、と思って、何度も押して、しばらくしたら、海の底の方から聞こえる、みたいな遠い声で答えがありました。期待していなかったのでびっくり。そしてびっくりしながらも、かなりとんがった声で、「何で開いてないの、今開いている時間でしょう!」といきなり大声で突っかかるわたくし。こわい。
「ええ、っと。」へどもどする海底の声。「実は、今日は切符売り場のストで…、だからオープンできなくて…。」
よりによって切符売り場のスト!あけろよ、切符売り場の人がだめなら、門番が切符を売れよ…、と思っても仕方ないんですね。黙るしかなく。

というわけで、期待して訪ねたパレルモ最後の観光地には、あえなくふられたという顛末でした。

次回は、パレルモの外に出かけましょう。

シチリア以外のロマネスクはこちらをどぉぞ。現在ボローニャ編を鋭意作成中なので、お楽しみに。
ロマネスクのおと
  1. 2011/02/04(金) 06:18:55|
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