ついこの間、パリで再発見したアンリ・ルソー。
そのルソーが、1910年から30年頃のイタリア美術シーンに与えた影響を検証するという興味深い展覧会が、わたしの好きなステッリーナ財団で開催中でした。もう終わりそうだったので、あわてて駆け込みセーフで、見てきました。
ルソーの本格的な油は、この小品一点のみ。
ルソーってパリの税関で働いていたんで、あだ名が「税関吏(Doganiere)」だったんだそうです。展覧会の最初のほうの説明版で、Doganiere Rousseauとあったんで、え?アンリ以外のルソーっているの?とか大ボケのわたし。無知って嫌ですね。
イタリアの近代って、フトゥリズムの一部とか、キャンバス切りのルーチョ・フォンターナとか彫刻のマンズーとか、すっごく限られた知識しかないのです。そういうわたしにとっては、なるほどね、って思うところもある展覧会でした。 知っていたのは、カルロ・カッラくらいでしたけども、なかなかかわいらしい感じの作品もあり、ルソーの影響がベースにあるんだとしたら、ルソーの作品というのは、全体に日本人に訴えやすい何かを持っているのではないか、とか思うのでした。というのは、わたしのアートの感性は、とても日本的だと普段から強く感じているからです。
どうも、ルソーが、ちゃんとした美術教育を受けていないにもかかわらず、世間をあっと言わせるような作品を物していた事実が、なんかイタリアのアーティストにひどく訴えたらしいんですけれども。そんななら、俺だってわたしだって、とかしゃしゃり出てきそうな感もありますもんね、イタリア人なら。
この人なんかは、ルソーとか、やはりパリ派のユトリロなんかの影響を、直球で受けちゃった人みたいです。
Cesare Brevegiere。どの作品も、のっぺりと二次元で、遠近法なくて、でも愛らしくて、なかなか好きでしたねぇ。
LO STUPORE NELLO SGUARDO (視線の中の驚き) FONDAZIONE STELLINE until 01/06/2011
ステッリーネ財団で、同時開催中の常設展ものぞいてきました。
こんなとこまで入っちゃってもいいのかな?と悩みつつ、先に進むと、元修道院ですから回廊になってまして、その周囲あちこちに点々と現代作品が掲げられています。
別に有名作品とかあるわけじゃないんですが、さり気にいろいろ集めているんだな~、と感心してしまいます。
あ~、この人は知ってる!エンツォ・クッキのキリスト。わたしでも知っているイタリア人アーチストということは、かなり有名な人のはずです。
PITTURA EUROPEA DAGLI ANNI OTTANNTA AD OGGI FONDAZIONE STELLINE until 2012 こちらは、来年までずーっと展示されているようだし、その上無料ですから、近所に行かれたら、是非中まで遠慮せずに入ることをお勧めします。
さらについでなので、お隣にあるフランス文化センターのギャラリーにも立ち寄ってきました。
これは驚きました。
部屋の中に、入れ子状に四角い箱状のものが、ドカンと置かれているんです。それだけですよ。何の工夫も感じられない箱(わたしに言わせれば、ですけども)。
現代アートはかなり見ているし、なんだこりゃ、と思うことも多々ありますけれど、これほど、え?これですか?と思わされた作品は、実に実に久しぶりです~。オープンスペースとか言うタイトルらしいんですけど。確かにね、オープン・スペースですわ。しかし…。
ま、ここも無料なので、ご興味のある向きは、是非お運びください。
Scene Ouverte Il Centre Cultural Francais de Milan until 30/06/2011 しかしさすがおフランスのギャラリーっというか。一応展覧会の張り紙とかは掲げられているんですが、ギャラリーの扉は、信じられないくらいに、クローズしてるぞ風オーラなんですよ。知らないと入りづらい~。いまやわたしは、かって知ったるで、どかどか入ってしまうんですけど。しかし一体何人が見に来るんだろう、と思っちゃいます。どうせスペースがあるからやってる程度のやる気なんでしょうけど。
さらについでに、バルテッリーナ銀行の無料ギャラリーがすぐ近くにあるのですが、今は臨時休業中でしたので、はしごはここまでです。
スポンサーサイト
2011/05/31(火) 04:50:58 |
アートの旅
| トラックバック:0
| コメント:2
まさか、昨日の今日で、いきなりいいことがあるなんて!虹効果?びっくりです。
今日は朝から快晴。昨日の激しい雨のおかげで空気も清浄、とってもさわやか。では、昨秋から宿題になっていたノヴァラにでも行ってこようか、とランチ後、久しぶりのドライブです。
昨年秋に、ノヴァラとその周辺のマイナー・ロマネスクをいくつか回り、そのポテンシャルって言うのか、地味で知名度も低いのに、とてもかわいらしい町村がたくさんあることと、教会のたたずまいが、山奥でもなくアクセスしやすいのに、雰囲気のあるものが多いことに驚いたばかり。
その際、ノヴァラのカテドラル付属の洗礼堂の見学が、週末の夕方にガイド・ツアーに参加する以外できないことを知り、次回は是非、週末の夕方に再訪しようと思ったのでした。
ただ、ノヴァラだけ行くのも面白くないので、今日は、そのときに周りきれなかったマイナーな土地をさらに回りましょ、と思いました。
行き先は、Vicolungo、Briona、Sizzano、Carpignano Sesiaプラスノヴァラ。
(Vicolungoの墓地にて。)
たくさんですが、でも、どの町も同じ幹線道路の周辺にあるので、すいすい行けると思っていたんですよね。 なのに、最後は、ノヴァラの見学時間には間に合いそうもなく、結局今回も洗礼堂は見送りとなってしまいました。 でも、それは、冒頭の「いいこと」の結果なので、全然OKなんです。ノヴァラは、今度は余計な浮気をしないように、電車で行こうかな~、と考えています。
今日訪ねた教会が、どこもそれなりによかったのはもちろんなんですけど、最もうれしかったのが、毎月1回だけ、有志のボランティアでオープンされるCarpignanoの教会が、今日はその日に当たってないのに、たまたまオープンしていたこと。
これが、いいこと、なんです。だって、そこは、外観もかわいらしいとは言っても、後代に信じられないくらいの手が入っていて、え~、みたいな姿になっているものだし、中に隠されている12世紀初頭のフレスコ画を見ないことには、本当の価値が分からないっていう代物なんですよ。うれしかったな。
予定外に開けられていたのもラッキーなら、ガイドツアーだったんで、ガイドの人といろいろ語れるのも楽しかったし。
おいおいアップしていくことにしますので、お楽しみに。
これで、ノヴァラを見ることができれば、この地域も、かなりコンプリートに近いことになります。まとめる日が楽しみですね!
どうやら、マイナーなの、結構好きみたいです。
そうそう、いいことといえば、今日撮影した写真総数100枚でした。なんか切りいいし、またいいことあるかしらん(欲張りすぎ?)
2011/05/29(日) 06:28:48 |
ピエモンテ・ロマネスク
| トラックバック:0
| コメント:4
今日は、変なお天気の一日でした。夜中の3時ごろ、激しい雨音に目が覚めて窓を閉めたのですが、朝はすっかり快晴で、夜中の雨がウソのような陽気となりました。
ところが、だんだんまた曇りがちとなり、午前中に一度激しい雨。
今日は早帰りの金曜日だから、帰りに展覧会寄り道するつもりだけど、この雨じゃちょっと嫌だな、と思っていたら、お昼過ぎには、またお日様が出てきました。
予定通り、いくつかの展覧会を見て帰宅。
夕食後、のんびりとテレビを見ていたら、いきなりの激しい夕立。ああ、出歩いているときに出会わなくてラッキーだった~、と思っていました。
しばらくして、ふと、変な明るさを感じて、外を見たら、出た~!
しばし絶句…。
なんと二重の虹です!
それも、内側のは、くっきりと半円全部がきれいに、我が家の前に広がっていて。
アーチの内側は、空の色が違うのが分かるでしょうか。
沈みかけている太陽の光が、我が家の建物の後ろから、つまりわたしの背後から当たっているのですが、多分雲に隠れて、一部だけ日が差しているんですね。ちょうど、虹の内側にある建物だけにさんさんと光が差していて、そこの一部だけが、雨の水を反射してきらきらとまばゆいばかりに光っているのです。
虹にズームしても、と思いつつ、あまりに美しいので、ズーム!
七色は見えないけれど、いかにはっきりしていたかが分かってもらえるかも。
何枚か写真を撮った後はちょっとだけ冷静になって、ああ、この家を買ってよかったよ~!と一人しみじみと思うのでした。
この家で虹を見るのは二回目。アパートの建てこんだミラノで、虹を見ることのできる家、って言うだけでも、結構難しいのに、虹の全容が見える家なんて、そうそうあるとは思えません。それもたったの2階で!
ああ~、なんて幸せなんだ、わたし!
虹を見たときに、何かいいことがあるかも~と思ったけど、虹を見ることができたということが、すでにいいことですね~。
2011/05/28(土) 04:43:29 |
ミラノ徒然
| トラックバック:0
| コメント:17
相変わらず地味なロマネスクが続きますが、最後二つは、ちょっとかわいらしくて、気持ち的には盛り上がった場所です。
まずはこちら。イソラ・デッラ・スカラという小さな町の郊外にあるバスティア教会。
Chiesa della Bastia ad Isola della Scala
町外れ、ちょうど家が途切れた場所、緑の始まる境界線上にあります。小さな小さな教会で、周囲を取り囲む木々に守られている感じ。環境的には、ちょっと神社のような感じも。
誰もいなくて、風がそよそよして、かすかに花の香りが漂って。
木が邪魔して、全体の姿を捉えにくいのですが、こういう感じです。
一身廊のこじんまりとした規模で、後代の修復の後も明らか。ですが、小さいということとロケーションの素晴らしさで、ロマネスクの雰囲気をかなり感じさせてくれます。
ファサード。
もしかしたら予算がつかなかっただけ、とかそういう理由かもしれないんですが、余計な手を加えたりしていないのが、かえってよろしい。
例によって、何かあるだろ?と目を皿にして探すわたくし。
こんな碑文がはめ込まれていました。
言葉は分からないのですが、1122らしき数字が判別できます。その辺にあった墓碑が、古いものだからって修復の際にはめ込まれたものと思われます。墓地があったということかもね。
そういう宝探しをしていて、気づくのが、壁の美しさ。
レンガや石や、異なる色のものを丹念にデザインして積み上げていて。南壁がレンガと石の混ざったもので、北はほとんどレンガ。そういうのって、理由は、時代なのか、職人さんなのか分からないんですが、面白いし、その丹念さが美しさを生み出しています。
こういうのを美しいって感じちゃうのが、少々病的かも知れないと思ったりもするんですけども。もし、これを見て美しいと感じる方があれば、ロマネスクにはまる素養十分ですので、是非ご自覚の上、一緒に修行(?)しましょう!
2011/05/26(木) 04:41:18 |
ヴェネト・ロマネスク
| トラックバック:0
| コメント:2
ちょっと遅くなってしまったのですが、今年もカルラ・ソッツァーニで開催中のワールド・プレス・フォト、見てきました。
これは、アムステルダムに本部があるワールド・プレス・フォト財団が、年間の最優秀写真を表彰するイベント。基本的に報道写真が対象ですが、事件系、ポートレート系、動物系、スポーツ系など、多くの部門があり、この展覧会では、それぞれの部門の最優秀と次席くらいが紹介されます。
今回、うっかりとデジカメを持参しなかったんで、こんな写真しかないくて申し訳ない。
この、少女、といってもよい若い女性のポートレートが、部門を越えた、ワールド・プレス・フォト2010最優秀作品でした。
これは、南アフリカ人の写真家Jodi Bibierの作品で、被写体はアフガン人のBibi Aisha。アメリカの雑誌、タイムの表紙を飾った写真。 彼女は、夫およびその家族に虐待を受けたことから実家に逃げ帰ったのですが、探し出されて、山奥で、耳と鼻をそがれるというひどい暴力行為を受けたのだそうです。アフガニスタンでは、妻が家庭を放棄して逃げ出すなど、たとえ理由はどうあっても、夫の名誉を損なうものとみなされるとか。彼女は、その暴力行為の後、半死半生で、米軍に保護されたことから、アメリカに移送されて、失われたものの再建手術を受けたというすさまじい経験をしたのです。
本当に、あまりにすさまじくて、言葉を失います。 でも、この写真の彼女は、すべてを達観するかのような穏やかさで、一見すると、美人さんのポートレートなんです。で、よく見ると鼻がないので、言葉を失う。
写真は、文よりも話よりも、雄弁に事実を伝えやすいルポの手段ですが、ストレートに事実を撮影しても、逆に目を背けたくなるような代物になったりもして、どこまで見せるべきかというせめぎあいがあるかと思います。 昨年の最優秀賞も、確かテヘランの町の屋上で反動的なことを叫ぶ女性の姿を捉えた写真だったと思うのですが、そういうせめぎあいの結果として、一歩後ろに引いた姿勢の写真というのが、最も訴える力を持つのかもしれません。 個人的には昨年の作品の方が、全体的に惹かれるものが多かったように感じているのは、もしかすると、そう言うことかもしれません。ちょっとえぐい作品が、今回は多かったような。気のせいかも、ですが。 一瞬を切り取る現場の報道写真でも、やっぱり一歩ひいた何かが必要だと思うんですよね。 わたしは、ご他聞に漏れず、写真といえばロバート・キャパ、マグナム、って条件反射的に思ってしまう古い世代の人間なんですけど、結局は戦争写真家としてしか生きられなかったキャパではありますが、彼の写真には、その一歩引いた、冷静な視点が、常にあったからだったのではないか、と思っています。自分は、これで何を言いたいのか、という視点。強く訴えるものではないけれど、何かあると思わせる何か。 報道は芸術ではないけれど、でも、写真には絶対に芸術的な部分があるから、無視してはいけないと思うし、ほんのわずかでも芸術性のない写真は、残らないと思うし。 写真に関しては、本当に分からないので、毎回、いろいろ考えてしまいます。 そういうレベルのわたしには、このワールド・プレス・フォトは、とても深い。 ぎりぎりになってしまいましたが、行ける方は是非。
もしかして、日本でもどこかでやっているかと思います。無料じゃないとは思うけど。カルラ・ソッツァーニは、太っ腹に無料ですからね~。ミラノ、偉い! せっかくなので、ちょっと宣伝すると、このカルラ・ソッツァーニ、久しぶりに行ったら、併設の本屋が、さらに充実していました。デザインや建築が中心のヴィジュアル系書店ですが、ディスプレイもおしゃれだし、いやはや。楽しかったです。
World Press Photo Galleria Carla Sozzani - Corso Como 10 Milano until 29/05/2011
2011/05/24(火) 04:30:23 |
アートの旅
| トラックバック:0
| コメント:4
ルーブル
ずいぶん時間がたってしまいましたが、このシリーズ、まだルーブルを残していました。
っていっても。ルーブルは、見るものが多すぎるし、プライオリティから言えば、かなり低いところにあって、もしも時間が許せば行ってみよう、という程度に捉えていました。
で、やっぱり時間的余裕はなく。
とはいえ、一応行くだけ行って、もしもすぐ入れるなら、1時間くらいは見られるかも、という時間はあったので、前日から歩き続けで疲れきった足を引きずりながら、ともかく向かいました。
疲れているのに、道には迷うし、サイテーだな、と思いながら到着。
当然のことながら、チケット売り場には長蛇の列。現場到着1秒で、入場は無理と悟りました。
そうなったら、疲れが出ること出ること。
もう一歩も動けないよ、と広場の片隅に座って、ボーっと…。あ、遠くにエッフェル塔が見えるな、なんて思いながら。
そういえば、今回の旅にも、スケッチ・ブックを抱えてきました。
最近は、旅というよりも修行状態の移動が多くて、毎回持っていっても、ほとんど絵を描く余裕がないんですよね。
今こそチャンスじゃん!と思って、紙を取り出したのですが、あまりに片隅過ぎて、描く対象がいない!
以前にも書いたように思いますが、建物や風景を描く技術がないので、人物を短時間でささっと描くのが好きなんですが、その人物が、みんなとおい…。
あ~あ。
たまに近くに来る人はみんな後ろ向き。だって、ベンチがないんですよね、この広場。車止めみたいなまぁるい石が並んでいるだけで。で、時々人々が、その石に座ってみたりする。で、作品。
どっこいしょ、と座って、やおら新聞を読み出した太目のおばさん。あんなにすわり心地の悪そうな石の上で、ずいぶんと長いこと読んでましたねぇ。お尻もどっしりで、硬い石もなんのそのですかね。
対照的にほっそりした男の子。
あああ、つまらない絵ですみません。
でもなんか、当面の間、ルーブルって言うと、この太目のおばさんとほっそり男の子の後姿を思い出すことになりそうです。スケッチすると、描いたときの空気や雰囲気を、思い出の中にくっきりと残すんですよね。もうびっくりするくらい。
というわけで、20数年ぶりのパリの美術館シリーズ、終了です。お付き合い、ありがとうございました。
2011/05/23(月) 04:29:38 |
アートの旅
| トラックバック:0
| コメント:6
最近、あちこちのブログでバラの美しい写真がアップされていて、うっとり。バラの季節なんですよねぇ。こちらでも、道端でどさどさと咲き誇っています。 どさどさって変ですが、でもなんかそんな感じなんですよねぇ。 本当に丹精して育てられているバラの花は、一軒家でなくマンション中心のミラノでは、なかなか他人に目にすることのできない中庭とかにあるので、一般的に目にするのは、公共の花壇とか、せいぜいマンションの生垣とか庭に咲いているもので、それでもどさどさ咲いているんですけどね、ある程度のお世話はされていると思いますけれど、なんとなく、こっちの気候がバラには合うから、ほっといても、このくらいは咲いちゃうのよね、っていう感じっていうか。で、どさどさ。 それでも美しいし、バラのいいところは香りですね。ふわりと、漂って、やっぱりうれしい。
香りといえばラベンダー。
我が家の猫額ベランダでは、今ラベンダー花盛り。
今年は、なんだか育ちがよくて、その結果花も多くて、ベランダの柵を越えて、咲き誇っているんです。なんだかうれしい!
ラベンダーって、総体で見られることが多くて、個体の花はあまり取り上げられないんですけれど、とってもかわいいんですよ。
ね、色も可憐で、なんともかわいらしいでしょ。
しかし、はっと気づいたら、今ある我が家の花、全部紫系統。
ほら。
これも。
ううん。
意識しているわけではないけど、紫が好きなのか、わたし?
そういえば、全部白だったときもあるし、無意識に全部同じってのが基本なのかしらん。
ラベンダーは、一通り咲いたらおしまい。二つ目の花は、少しずつ秋までずっと咲いてくれます。花が弱るとびっくりするくらい白色になって、その後枯れるので、二度おいしい花です。でもいまだになんと言う植物なのか知らない。 最後のバルベナさん(だったか?)も、適度な水遣りをする限り、秋までずっとびっくりするくらいにたくさん咲いてくれます。小さなベランダでも、日々楽しみがあります。やはり植物とは仲良くやって生きたいですね。
2011/05/22(日) 05:11:18 |
植物、花
| トラックバック:0
| コメント:3
だれそれ?
って、多分思いますよねぇ、ほとんどの人が。実はわたしもその一人でして。ただ、ポスターに使われている鳥顔の絵がシュールで面白いので、見に行こうと思ったんです。
そしたら、なんとこの方、ジョルジョ・デ・キリコのご兄弟だったんですねぇ(お兄さんか弟かは不明。欧米系の外国語って「兄弟」っていう言葉しかないから不便ですよね)。 いやはや、びっくり。デ・キリコを知らない人は、あまりいないと思うんですけど、そういう方の兄弟が、やっぱり芸術家やってたなんて、知らないですよねぇ。
詳しいことは知らないんですけれど、展覧会の作品の幅は、かなり広かったです。総合的な芸術家っていうか、何でもかんでもやってて、最後は舞台に入れ込んでいたようで、舞台の映像までありました。あ、でも当時は、舞台芸術が、芸術としてまだ独立してなかったから(多分)、多くの芸術家がやってますよね。デ・キリコがやったオペラの舞台を見たことがあります。
絵画は、シュールレアリズムで名前を売ったデ・キリコが、晩年になってクラシックに回帰したようなつまらない絵を描きだしますけれど、ちょっとそれに雰囲気の似たようなクラシックな絵から、デ・キリコとは違うタイプのシュールな絵。この鳥顔が最もシュールな感じかな。ポートレートも鳥顔。鳥嫌いには、いたたまれないシュールさです。 でも、なんか雰囲気があって、悪くないんですよねぇ。
窓から眺めたシュールな絵、っていうのがテーマだったりしたみたいで、「窓からシリーズ」(勝手に命名)は、結構気に入ったな。 ご兄弟でどういう関係だったのか、その辺が実は最も気になったりします。絵の傾向が、なんか似てるし。詳しい方がいたら、是非ご教示いただきたいものです。
Andrea Savinio Palazzo Reale, Milano until 12/06/2011
2011/05/21(土) 04:25:16 |
アートの旅
| トラックバック:0
| コメント:0
全体にかなり傷んでいます。でも、かろうじて中世の雰囲気は残っているっていう感じ。
Cereaのサン・ゼノ教会。
後陣側からは、緑が広がっていて、とても山奥の、素敵なロケーション!と思われるかも知れませんが、実は、ファサード側は車道に面していて、それもヴェローナに向かう幹線道路なので交通量はかなり激しく、渡ってファサードを撮ろうにも道幅が狭いので、ほとんど自殺行為的な、そういうロケーションなんです。前と後ろのロケーション落差、超激しいです。
全体がレンガで、地味ながら、ロンバルディア風の装飾も見られます。
軒下の、レンガのぎざぎざモチーフとか、あまりに地味で、全体に埋もれちゃってアーチすら付随していない、レンガ一列の付け柱とか。これが、美しく保存されていたら、きっとかなりいい感じだったかも、と髣髴とさせるような。
そもそも、かなり大きな教会なので、かつては、それなりの栄華を誇ったのではないかと思われるんですよ。ささげられているのがサン・ゼノですから、ヴェローナの影響下にあったのは明らかだしね。
何かないかな~、と思って、ぐるりと周ってみたら、南側の外壁に、古そうな大理石のレリーフが、いくつかかけられていました。
そして、そのあたりの敷石。
いや、古ければいいってもんでは全然ないのですが、そもそも中世探訪は、ローマとかギリシャとかの考古学とは方向違うんだし。でも、こういういい感じに摩滅した古い床の石板というのは、妙に心惹かれるものがあるんですよねぇ、なぜか。かつてこの上を実際に歩いたりした何かが感じられるっていうのか、そういう。古代のものよりも、ちょっと近い分、なんていうか、具体的な歴史が感じられるみたいな。
南側の扉上には、レリーフのあるアーキトレーブ。
相当古びているものの、モチーフはちょっと新しい感じがするので、これがオリジナルの時代のものだったら、ちょっと驚くな~。
修復されている箇所もかなり見受けられますけれど、オリジナルのレンガ積みの美しさは、多少なりとも今でも感じられます。
地味だし、中にも入れないし、自殺行為的なファサード撮影でしたけど、結構満足感がありました。教会としては、一応まだ生きていると思われます。
しかし、こんなに地味な教会ばかりだと、詳しい資料は見つけられないだろうなぁ、と思っています。どうでしょうね。
2011/05/20(金) 05:26:35 |
ヴェネト・ロマネスク
| トラックバック:0
| コメント:2
ここは、かなり残念でした。
San Pietro di Legnagoのサン・サルヴァロ教会。
この高い塔のおかげで、すぐに場所が分かって、お、これはちょっといい感じではないか、と期待しながら、急ぎ足でファサードの方に回ります。
ガーン。
思いっきり、扉は閉ざされています。
まだお昼休みの時間でもないし、でも今開いてないということは、いつも開いていないのかしら。それにしては、かなりきれいに整備されているし、どう見ても現役なんですよねぇ。
ファサードの右奥の方が、住居になっていますので、躊躇なく、ベルを鳴らしてみました。 すぐに鉄扉が開けられて、人が出てくる気配です。どきどき。 なんと神父様が出てきました。 しかし!ラッキー!と思ったのも束の間。あの、教会、開けてもらえないでしょうか。と尋ねると、人のよさそうな気の弱そうな初老のパードレ、明らかに困ったな、という顔をして、「門番がいないから、無理…」とぼそりと。 「ほら、そこの家に住んでいる人だから、いつもだったらいるんだけどね、イースターでお休みだから、いないんだよ。」もごもご。
普通の人が、イースターで連休だからいない、というのはとってもよく分かるんですけど、ここ教会なんですけど!ミサをしないのかよ! と、罰当たりなことに、心の中で罵倒していたわたし…。パードレもさ、人がよいのはいいけどさ、もうちょっとピリッとできないかな!とか。隣にすんでるならさ、門番が留守のときくらい、鍵くらい預かってもいいんじゃないのか!とか。
ここは、カノッサのマチルダの時代の、由緒正しい教会らしいんですよ。マチルダのことが刻まれた碑文もあるということなので、創建には彼女が直接かかわっているのかもしれません。また、10世紀ごろの古いクリプタがあるんです。あああ、見たかったなぁ。まぁ、そのような古いクリプタは、たとえ教会が開いていたとしても、アクセスできたかどうかは分かりませんけどね。
仕方ないですね。
往生際悪く、横から撮ってみたり。
塔のアップをしてみたり。
石とレンガのツートンカラーのこの鐘楼、とてもほっそりと優美です。スタイルは完全にロマネスクですが、あんまり美しいので、かなりの部分、再建かな、とも思われます。
気を取り直して、次に向かいます。 観光地じゃない地味な場所はこれだからね。でもいちいちめげていたら、ロマネスク行脚はできないし! しかし、気の弱いパードレに出会って、去年トスカーナはカセンティーノで出会った、ちょっと色ボケしてるようなパードレを思い出してしまいました。教会を愛するあまりに、誰が来ても超歓待して、自分の本を売りつけて(ここがミソ)。それでも、いいパードレだったよなぁ、と。
2011/05/18(水) 05:04:56 |
ヴェネト・ロマネスク
| トラックバック:0
| コメント:0