先週末、とっても久しぶりにイケアに行ってきました。 もう我慢できん!と思っていた寝室ベッド脇の家具がありまして、夏前に片付けたかったからです。 ビフォーの写真を撮るのを忘れてしまいましたけれど、十数年前に、友人からもらった不用品の、木製のワゴンみたいなもので、それもイケアだったんですけれど、とにかく邪魔くさい形で変にでかくて、その上ワゴンですから収納能力は皆無。 さっさと捨てればいいのに、捨てるのも面倒で持っていた上に、今の家に転居した際は、お金がなくて新しい家具を変えなかったので、やむなく使っていたもの。考えたら十年以上同居したんですよねぇ。でも全然愛着がなくて、やはり自分で買ったものじゃないってこういうことなのですかねぇ。
で、今回は、白で統一したフェミニンなマイ寝室に、サイズも含めてそれなりに合って、あまり高くないもの、ということで、比較的新しい商品Vallvikの小箪笥を買ってきました。
イケアの家具は、小さくても、重い!梱包は結構小さいけれど、25キロもあるそうです。エレベーターのない我が家まで、友人に手伝ってもらって何とか運び込み。
翌日から、会社後、少しずつ組み立て!
いい加減に包みを開いて、いい加減に広げて、いい加減な場所で始めてしまいました。でもびっくり。結構さくさくと簡単なんです。
で、本体は、ほんの1時間くらいで、ほぼ完成。
翌日は、引き出しを、もしかして難関はここか?とどきどきしながら組み立て。ところが、これも難なくクリア!楽しかったので、結局完成しちゃいました。
で、本日、古い家具を解体して、掃除して、新しい家具を設置。
上に、パン焼き器を置かなくてはならないので、その台として、とりあえず、古い家具の一部を残すことにしました(家電の足元はどうも汚れるので)。木目は合わないので、後日、白ペンキを塗る予定です。そしたら、もっとすっきりしそう。
ちょっとレトロ調で、全体に白の寝室(上の写真)には、まぁまぁマッチしている感じで、満足。それに引き出しが三つもあるので、その辺に散らばっている小物が片付きそうなのもうれしいですね。
もともと下手の横好きで日曜大工が好きですけれど、自分でやると、木はサイズ通りに店で切ってもらうとしても、サンドペーパーでこすったり、釘の位置を調整したり、打ち込んだり、ペンキを塗ったりと結構手間ひまがかかります。すぐ結果を見たいタイプのわたしには、イケアの家具はうってつけかも。面倒な作業は要らない上に、それなりに作業した!という達成感もあって。 といいながら、なんかやっぱり自分で作りたい!という気持ちがむくむくとわいてきました。やはりまずは電動ドライバーが必要です。
それにしても、ミラノは暑い! こういう作業をしていると、全身汗まみれになってびっくりするくらいです。
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2011/06/30(木) 05:49:12 |
日曜大工、手芸
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三度目の正直で、ノヴァラのロマネスクに触れてきました。 一度目は、周辺のロマネスクを回った後、午前中の最後の時間にたどり着いたら、目的の洗礼堂は、午後しかオープンしていないということで、待つにはあまりにも時間が長かったので断念。 二度目は、その時間に合わせてノヴァラにたどり着けるように計算して、周辺を周っていたのですが、カルピニャーノのガイド・ツアーですっかり時間を使い果たして断念。 というわけで、他を見ていると、どうしてもたどり着けそうになりので、今回は列車で直行してみました。
実は、ミラノから直通で1時間足らずだし、ローカル列車なので電車賃も安くて、ノヴァラだけ行くなら、列車利用の方が、効率がよかったりするのですよねぇ。 駅から旧市街も、徒歩で5分くらいだし、駅前の観光局が、週末の午後はオープンしていたのには驚きました。車だと、目的地直行になってしまうことが多いので、こういうのは、列車旅のよいところです。 せっかくだから立ち寄って、ロマネスク関係の資料を求めたところ、あるだけのパンフレット類をどっさりとくれました。ノヴァラ周辺は、ほぼコンプリートと思っていたのですが、いただいた資料を見ていると、まだまだマイナーな場所はいくつもありますので、コンプリートには程遠いということが分かりました。というわけで、今後も、気が向いた週末には、コンプリート目指して、ふらりと出かけてみたいと思います。
さて、ノヴァラです。
旧市街の中心にあるカテドラルは、19世紀に思いっきり改築されてしまった壮大な姿で聳え立っていますが、実は、もともとロマネスク様式の教会だったのですよ。この姿から、ロマネスクの教会を想像するのは、ちょっと無理…。
本堂の片隅に、在りし日の姿の銅版画がひっそりと飾られていました。
ロマネスクの教会は、1865年に壊されてしまいました。千年からがんばって生き延びてきたのに、19世紀に壊されちゃうなんて、もったいなさすぎ!
ちょっと変わった、装飾的なファサードで、これがレンガ色のままであったら、さぞや美しいものだったろうなぁ、と思います。
中も、今はバロック状態ですが、当時は、マトロネオのある、ロマネスクとしてはかなり壮大な姿だったようですね。
鐘楼の一部が、わずかに当時の面影を伝えるオリジナルの姿で残っています。
でもなんだか、新しい教会本堂や周囲の建物に思いっきり囲まれて、存在感は薄め…。
こんな姿になっちゃった本堂ではありますが、一応かすかに中世の名残というのは残されているんです。 続きます。
2011/06/28(火) 05:14:14 |
ピエモンテ・ロマネスク
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この数日、ツバメがすごいです。
お隣のアパートなのか、我が家の天辺のどっかなのか、とにかくたくさん巣があるようです。
毎朝毎夕、子供のために餌を集める親御さんたちの姿が、日々増えてる感じなんですよ。
昨日、今日、と夕方、ついつい見入ってしまいました。
見ていると、これが結構面白くって、やめられなくなるんですね。
なぜかというと、スイミーの世界ですから、なんか統制の取れた集団飛行なんですよね。それでいて、高空飛行のときは結構ばらけて、低空飛行は必ず集団。敵に備えるためだったりするんでしょうけれど、分かりそうで分からない規則性が、見ていてあきません。
同時に、撮れそうで撮れない写真も。
手当たり次第にシャッターをおしまくる感じ。ちゃんとした写真を撮る方は、きっと三脚で固定したカメラの範囲でシャッターチャンスを狙うんでしょうけれど、いずれにしても、大変なことだろうなぁ、と思いました。
それにしてもツバメってお徳なのは、なんか形状がツバメなんですよねぇ、どっから見ても。
すっごく遠景でも、ツバメだなって分かると、春とか初夏とか、そういうイメージで、なんかうれしくなるじゃないですか。それが鳩やらカラスだと、何も感じないわけで。
あ、これは我が家の上に住むミラニスタの方のベランダから飛び出しているミランの旗とツバメ。
サッカーに興味がない方にはアレですけれど、ミランは今シーズン優勝したもんで、いまだにあちこちの窓辺にチームの旗がはためいているんですよ。
ちなみに、個人的にはミランよりインテルです。
まだしばらく、ツバメの子育て続くでしょうから、毎朝毎晩、なんか水中を泳ぐ小魚の集団のような華麗な飛びっぷりを楽しませてくれそうです。
同時に、日がどんどん伸びてきたおかげで、わたしの大好きな夕暮れ時の微妙な青を楽しむことができそうです。
(これは、ツバメ撮影的には大失敗の一枚ですが、なんか階上のベランダから飛び出ている鉢植えの花の影と空の青のコントラストがとても美しくはないですか?自画自賛。笑)
2011/06/25(土) 05:35:15 |
ミラノ徒然
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ブリオーナ等と同じ、ノヴァラから北に向かう街道沿いにあるシッツァーノのサン・ヴィットーレ教会。
Sizzano - San Vittore
ここは、こういうバロックの教会ということは知っていました。それでも訪ねたのは、オリジナルは古くて、その名残が教会のあちこちに残っているらしかったからです。
6世紀ごろの碑文とか、初期キリスト教時代の教会の床とか、ロマネスク時代の祭壇の文様とか、そういうもの。
実際、もともとはローマ時代の浴場または邸宅の跡に、初期キリスト教教会が立てられたというとても由緒正しい場所らしいのです。 今、サイトの方ではローマをまとめているところですが、この、浴場跡、というロケーションは結構よく見られますね。神殿もそうですが、水が沸いているとか、水周りの施設があることが、おそらくポイントなんでしょうね。
しかし、残念ながら、たどり着いたときは、お葬式のミサの真っ最中でした。ダークスーツのオヤジたちが立ち話をしていたので結婚式かと思ったら、教会前にはグレーのワゴン車、つまり霊柩車がすでにスタンバイしていました…。結婚式に見学を妨げられるというのは多々ありますが、お葬式というのは、これで2回目かしらん(ピサで一度出会いました)。 結婚式だと、ちょっと明るい気持ちにもなるし、場合によってはこっそりとのぞくくらいはするんですけれど、さすがにお葬式では遠慮せざるを得ないです。残念。
仕方ないので、一応周囲を探ってみました。
ここもどうやら、カルピニャーノ同様、中世には城郭都市みたいな様相だったらしく、教会の建物も、後ろの方は、他の建物と立て込んでいて、区切りがないというのか、後陣すら見えませんでした。
中世は、街道沿いに、城壁のある小さな村が、点々と続いている、みたいな土地だったんでしょうかねぇ。行ったり来たりした街道は、一本道で、いかにも昔からあります、という雰囲気を今でも持っています。車で飛ばしながらも、なんとなく馬車の時代を彷彿とさせるような、正統派”街道”。
実は先日、ノヴァラの観光局で、地域の情報をどっさりとゲットしてしまいました。
ぱらぱらとみていると、まだ未知の教会をいくつか発見!
というわけで、この地域をコンプリートするためには、まだ何回か訪ねる必要があるみたいです。このシッツァーノにも再訪のチャンスがあるかと思いますので、そのときは、お葬式にあわないことを祈りましょう。
2011/06/24(金) 04:36:20 |
ピエモンテ・ロマネスク
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ブリオーナのサンタレッサンドロ教会を訪ねます。 Briona - Sant'Alessandro
聖アレッサンドロは、このブリオーナの町の守護聖人だそうです。
ブリオーナは街道沿いにある小さな町ですが、その街道を挟んだ反対側に墓地があり、墓地の中にある教会がこのサンタレッサンドロです。墓地に続く道は、道端の木陰で地元の人たちがのんびりとおしゃべりしている、そんなゆったりした田舎の空気が流れる、とてもよい雰囲気で、これは期待できそう。
ほら、やっぱり!
こじんまりとした墓地に、こじんまりとした教会。とってもいい感じのたたずまいです。
ファサード。
あちこち、かなり修復がされているのですが、やりすぎずちょうどよい修復の仕方で、本来の教会の美しさを十分に保っていました。
でも、このファサード前の玄関は、大失敗ですね。理由はあるんですけれど、つけ方があまりに無粋です。
理由は、これ。
ファサードの下部に、古いフレスコ画があるんです。12,13世紀のものということなので、ずっと雨ざらしだったことを考えれば、すごくよく保存されています。
上は、サン・クリストフォロらしい姿。
こちらは、十字架のキリストですね。
窓の上の方に、辛そうなキリストの顔が見えるでしょうか。
しかしまぁ、キリストの身体を切り刻むように窓はあけるわ、プレートは貼り付けるわ、そういう無神経なことをキリスト教徒がやっちゃうというのが、結構あることですけれど、解せないですよねぇ。どうですか?キリストの顔も、さらに辛そうに感じられてしまいます。いつまでたっても受難、苦行、ですか~。
教会は残念ながら、クローズ。イベントのときしか開けられないようでした。鍵穴もなくて、中身はまったく見ることができませんでした。
三身廊で、創建当時の姿をよく残し、壁には1300年代および1400年代後半のフレスコ画がかなりあるようです。通常、その時代のフレスコは興味ないのですが、ただ、教会の扉に張ってあったイベント紹介のポスターの絵(下の写真)が、もしその一部だとしたら、かなりかわいらしいものもありそうで、これはちょっと見てみたい気がしましたです。
余談ですが、ここから、先日紹介したカルピニャーノに戻ろうとしたら、カーナビ・ロベルタの指示した道は、とんでもない砂利道…。数メートル入ったものの、どこまでも続きそうだったのであわてて引き返しました。きっとすごく近道だったんだと思いますけれども、砂利道はやばいでしょ、タイヤも古いし。ロベルタ、やっぱり信用しきれないな~。 そういや、先週パンクしました。よかったよ、先週で。
2011/06/22(水) 04:27:11 |
ピエモンテ・ロマネスク
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カルピニャーノ・セージア、おまけです。
今回運よくガイドツアーだったのですが、教会に加えて、中世の名残をたどるツアーも着いていたんですよ。
この町、本当に雰囲気があって、最初旧市街に足を踏み入れたとき、びっくりしたんです。全部石で、いかにも古そうで、それも、古い部分は、今の新しい町と完全に分離している感じだったんで。
上の写真は、古い部分に入ってすぐの路地です。今の町も、いかにも街道沿いに発達しました風のたたずまいで、決して嫌な感じではないんですが、この古い部分の雰囲気というのは、独特でした。
ガイドのおじさんの説明で、その理由に納得。
この古い部分は、中世の頃、お城とその関連施設があったところだったんです。
これは、16世紀の圧搾機。
巨大圧搾機で、びっくりです。ワイン作りやオリーブオイル搾りに使われたそうで、巨大ねじねじを締め付ける巨木に、1577年とありますが、その当時のもの。大きさ的には、現代の大規模なワイン工場で見るくらいの圧搾機で、搾った後の液体がたまる浴槽なんか、プール状態で、びっくりしました。
お城に関連する、こういういろんな施設と、働く人々が暮らす一角だったそうです。そこに、教会も含まれていたんですね。
お城って言っても、別に華麗なたたずまいだったわけでもなく、小規模な領主の小さな居住地という感じかな。それでも、お城の周りはお濠に囲われていたんだそうです。その周囲は、多分、農地が広がっていたのでしょう。
その、かつてのお城。
最近修復をして、こんな真っ白になってしまったんだそうです。地域の図書館とか、公共の施設になっているそうですが、なんとも味気のない…。ガイドのおじさんも苦笑いしていましたとさ。
でも、建物のたたずまいは、オリジナルに忠実で、下の方が、本来あったお濠に向かってすそ広がりになっているところとか、上の方の天井が低そうな部分は、本来は屋上で銃眼になっていたとか、そういう話は楽しかったですよ。
そう、この前が、まさにお濠だったということなんです。
で、ガイドツアーの後、ちょっとだけ、お堀を埋め立てた道を、歩いてみました。
古い壁や家を取り囲むように、ぐるりと緩やかに円を描く道。
まさにお濠です。
実はタモリ倶楽部やブラタモリというテレビ番組が好きで、タモリが江戸の古地図を頼りに東京を歩いたりする企画がとっても好きなんですけれど、ここではまさに一人ブラタモリ状態というか、脳内バーチャルしながら歩いていました。これだけ、当時の雰囲気が残っていると、バーチャルもしやすい!
この町、最初に突入したときは、雰囲気があるなぁ、と感心したのですが、ガイドツアーでよくみて歩くと、実はすでに住んでいる人もわずかで、多くの建物が廃墟化していることが分かりました。ガイドの人も、物好きなアーティストが数人住んでいるだけ、と自嘲気味に言っていました。お濠の周囲には、家々も並んでいるし、今の町もあるのですが、かつてのお濠の内側は、道も狭い石畳だし、車も入れないような状態ですから、確かに住んだら不便この上ないかもしれません。全部を修復したら、とても美しい町になるのは間違いないんですけれどもねぇ。もったいないような気もします。
ここも、ここも、廃墟だなぁ、と思いながら歩いていると、こんな窓がありました。
これは、近代遺跡っていうやつに当たりましょうか。鉄格子の窓の上に、カフェ、と。今は廃墟となったこの建物が、カフェだった時代があるのでしょうねぇ。中世と現代と結ぶ、かすかな歴史の流れというか。
これからこの町がどうなるのか分かりませんが、願わくば、物好きな人々が古い建物を修復して住まって、生きた町が復活してほしいものです。わたしだって、お金があれば、一軒修復したいくらいですけれどもね~。
2011/06/20(月) 05:54:03 |
ピエモンテ・ロマネスク
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カルピニャーノ・セージア続きです。
Carpignano Sesia - Chiesa di San Pietro
これが、ファサード。この教会は、ありがちなストーリーですけれど、教会としての機能を、もうずいぶん昔に失ってしまって、まるで普通の建物のように扱われていて、あまつさえ近隣の居住者の倉庫として使われていたんですよ。で、ファサードも、周りにどんどん建物が立てられちゃって、もう教会って言われなければ分からないような状態になってしまったんです。
強烈だったのは、後陣。
ファサードは家々が取り囲む中庭に面しているため、最初のアクセスは後陣側になるのですが、これまた家々に埋もれていて、一瞬分からないんですよ。そもそも、後陣の円筒形の真ん中に堂々と、こんな扉があったら、教会とは思えないですよ~。番地までついているんですから~。
でも、よく見れば、盲アーチに付け柱。典型的なロンバルディア様式の後陣なので、唖然としました。
教会の建物全体が、倉庫として使われていたために、内部が8つくらいに分割されて、それぞれ使い勝手がよいように、扉がくりぬかれたというのが理由。はぁぁ。ひどいことしますよねぇ。
ほら、窓なんかもくりぬきまくりですよ。はぁぁぁ。
でもここがすごかったのは、せっかくの文化遺産を、ということをある日気づいた人がいて、ある日ったってつい最近のことですけれども、ともかく市が買い取って、修復して、そして今に至って、有志がガイドツアーを企画して、毎月必ずオープンしつつ、イベントなんかも行っているんです。長い間、本当に長い間、教会として機能していなかった場所ですけれど、そういう地元の人々のがんばりで、今は、ちゃんと生きている教会の空気が戻っているんですよ。 こういう空気って、たとえばCantu'(Galliano)のSan Vincenzoなんかと通じるものがあります。
わたしが訪ねたときは、実はクローズだったんです。 扉に、毎月のオープン予定とともに、携帯電話の番号が出ていたので、躊躇なく電話。この辺、すごく図々しくなっていますからね、もはや。 そうしたら、「今日は午後4時から、オープンしますよ」ということだったんです。張り紙にはないので、不思議だったのですが、4時までは少々時間があったので他の場所を回って再び戻ってきたところ、いかにも人待ち風なオヤジ二名が、街角に立っていました。 教会に向かうと、「見学ですか?」と声をかけてきたので、電話の人だと分かりました。有志の方で、マンツーマンのガイド・ツアーが始まりました。とてもソフトな方で、解説も丁寧で、楽しいツアーとなりました。向こうにとっても、ちょうどガイドツアーのある日に日本人がわざわざ来た!みたいな喜びがあるようでした。わたしが訪ねたのもたまたまだし、その日に予定外にオープンしていたのも、直前に決まったことだったらしいんですけどね。
この、天井なんかも、ガイドがなければ、ただの修復だろうな、と思っているところですが、ガイドさんのおかげで、少なくとも梁はオリジナルだって分かりました。
オリジナルですよ、12世紀早々の。すっごいですよねぇ。木も、法隆寺じゃないけど、ちゃんと持つんですよねぇ。
必要十分な情報が記載されているパンフレットもゲットできたし、大満足です。こういうことがあるから、やっぱり行ってみないとね。
それにしても、今日の写真の地味なこと…!ヨーロッパの美しい写真を期待して来られた方は、一瞬でどっかに飛んでいきますね(笑)!
2011/06/18(土) 05:29:34 |
ピエモンテ・ロマネスク
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今回のノヴァラ地域行脚で、最も気に入ったのがここ、カルピニャーノ・セージア。
Carpignano Sesia - Chiesa di San Pietro
フレスコ画があるという情報は得ていたのですが、町もかわいいし、教会のたたずまいもびっくりで、いやはや、無名ながらも訪れる価値のある場所がどれだけあるのか、と久しぶりにイタリアの奥深さに感嘆です。
後陣に12世紀初頭のフレスコ画が、修復の結果もあり、見事に残されています。
ノヴァラ地域で12世紀初頭ということなので、イメージとしては、ブリーガ・ノバレーゼのサン・トマソだったんですが、全然タイプの異なるものでした。
ビザンチン風、なんだけど、そういうよりも、フリーダ・カーロって言うか。眉毛がつながりまくりで、激しく濃いんですよ。
濃いでしょ、表現もだけど、色彩的にもなんかすごく泥臭い。
12世紀初頭だと、たいてい文句なく好き、となるんですが、ここのフレスコは、あまりの激しさに、なんていうか、かえって冷静に見てしまいました。
12世紀のもの以外にも、13世紀以降のフレスコ画もいくつか残されていて、それも、見事な修復に、感心しました。
これなんか、左の方からマリアに向かって鳩が投げつけられるように飛ばされているんですけど、天使の集団がみんな腕組みなんかしちゃってるし、鳩の軌跡は点線で表されちゃったりしてるし、ちょっと漫画的で面白いな~、と感心。こういう新しい絵(あきれられそうですが、わたしにとっては、13世紀はもう新しいんですよねぇ)は、サイトの方では紹介できませんので、あえて。同じ時代のフレスコでは、シエナのサンタ・カテリーナのかわいらしいお姿もありました。こちら。
手にハートなんかもっちゃって、いかにも時代が下るって感じ。でも美しいフレスコです。
どうですか、なんかよくないですか? ここは、いろいろ面白かったので、じっくりと紹介させてもらいます。
2011/06/17(金) 04:27:28 |
ピエモンテ・ロマネスク
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シャイヨー宮続きです。 ここって、構造がめちゃくちゃというか、展示が入り混じっているので、館内図なしには多くを見逃してしまいますね。 地上階に、昨日紹介したフランス各地のロマネスク教会の彫刻レプリカがずらずらと並んでいるのですが、中世はそれで終わりではなくて、上の方の階の、奥の方、近現代の部屋を通り抜けていくような場所に、また素敵な一角があるのですね。何で、こんな分かりにくい構造にしちゃったんですかねぇ。レプリカの展示なんだから、うまくあわせられなかったのでしょうか。
それにしても、この一角はすごかったです。
Tavantのクリプタ。
なんかまるで本物状態ですよね。ここは好きでした。ちゃんと全部再現されているので、中に入ると、もうそのまま本物のクリプタにいるような雰囲気です。他には来る人もいなかったし、完全な貸切状態で、かなりトリップできました。
こちらは、Saint-Chefというところの古い修道院のもの。
これはAuxerre、オーゼールかな?きいたことのあるような。カテドラルのクリプタかな。フランス語の説明がほとんどだし、なんせ暗くて、よく見えない…。
こちらはAreines、どこにあるのかも分からないけれど、ノートルダム教会の後陣。
多分本物よりも背が低いし、すぐそばに近寄れるので、細部の観察には最適の環境です。
ここで、やっとイタリア語の解説を見つけました。多分、Fenollar a Maureillasというところのサン・マルティン礼拝堂らしいんですが、その解説によれば、1939年、研究者によって、この教会の傷みが報告され、このままでは失われてしまう危険があるということで、大慌てでコピーが作られたということなんです。
それって、ちょうどカタルーニャはボイ谷の数々のフレスコ画が、やはり保存のために、剥ぎ取られてバルセロナに運ばれたのと同じ頃ではないかとも思うんですが、どうでしょう。ボイは、もっと前かな。
オリジナルは今も現地にちゃんとあって、こういう素晴らしい状態で保存されているということだとしたら、やはり行かねばならないと思っていましたが、実際のところ現地の状態はどうなのでしょうか。
オリジナルを大切に保存するのも確かに重要だけれど、やはりオリジナルは現場にほしいですよね。現場だって、管理さえすれば、それなりに保存できるのではないかとも思うのですが、どうなのでしょう。何でもかんでも美術館、という時代があったのでしょうから、こういうことになるのでしょうけれど。
いずれにしても、このシャイヨー宮。もしパリに住んでいたら、時々トリップしに通ってしまいそうな空間でした。中世好きの方は、是非足を運ばれるべき場所と思います。
例によって、ショップも充実していました。ロマネスク関連も結構あり、皆さんがよく参考にされているゾディアックが何冊かあったので、初めて手にとって見ました。確かに百科事典、これは役立ちそうな本です。写真も豊富な割には、お値段は良心的だと思いましたが、なんせ重い!その上フランス語!で、あっさり諦めがついてよかったです。
パリ特集、ここでおしまいです。長々とお付き合いありがとうございました。
2011/06/15(水) 04:52:58 |
フランス・ロマネスク
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もうちょっとだけ、パリ続きます。
シャイヨー宮。
旅の直前、愛用の中世辞典をぱらぱらとめくっていたら、サン・サヴァンの図版のキャプションに「シャイヨー宮」とあって、びっくりして調べたのがきっかけで訪ねることになりました。
というのも、フランスは今のところ完全に積読状態というか、宿題というか、そろそろロマネスク行脚を始めないとなぁ、と漠然と思っている程度なのですが、このサン・サヴァンのフレスコ画というのは、中世の図版の多い本では必ず取り上げられているもので、フランスに造詣の深くないわたしでも、大いに気になっている場所のひとつなんですよね。
それがなぜ、パリのシャイヨー宮に?
調べたら、シャイヨー宮は、レプリカの殿堂だったんですね!
本物を現地で、というのが基本ではありますが、でも、これだけ多くの地域の芸術品を、素晴らしくレベルの高いレプリカで見られるのは、なかなかのものです。本物は、結構汚れていたり、高い位置にあってよく見えなかったりすることもままあるわけで、もちろんそれも含めて現地で見る意義はあるのですが、ここで、細部を確認するのも、結構いいかもしれないです。彫刻だけなので、建築に気をとられることなくじっくりと見ることができます。
フランス各地の中世が満遍なく、天井の高い部屋にゆったりと並べられていて、訪れる人も少ないので、結構どっぷりとはまれます。
これが、サン・サヴァンの天井画のレプリカ。
シャイヨー宮の中の図書館にあります。もともとこういう構造の部屋があったのか、それとも、レプリカをはめ込むためにこういう構造にしたのか知りませんが、なかなか洒落たことやりますよねぇ。ここなんかは、天井が相当低いので、現地で見るよりも、完全によく見える状態で、絵だけを見るなら、価値は高いかも。
勉強している学生さんがいるのが、ご愛嬌です。
薄暗いところで、よく見えないなぁ、とぼやきながら見るのが本来なので、違和感は大いにあるものの、レプリカってひとつのあり方です。本物を、無理やり美術館博物館に持ち込むよりはよほどいいし。 ただ、やはりそれだけじゃないんだな、というのはよく分かりました。ロマネスク芸術は、建築とは切っても切れない関係で、まさに薄暗いとか、天井が高すぎてとか、そういう見学に不具合な要素もまた、ロマネスクなんですよねぇ。
さて、シャイヨー宮ですが、各地の扉装飾はもちろんですが、最も感銘を受けたのは、いくつか本物っぽく再現してある小さな礼拝堂でした。 もう一回続きます。
2011/06/14(火) 04:36:14 |
フランス・ロマネスク
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