ロッシの不調で、昨年来見ることも少なかったモトGP。今年もまた、ぜんぜん見ていなかったのですが、今日は、ふと観戦してみようかとテレビをつけました。
思いっきりウェットのル・マン。ロッシは7番でスタート。ポールはダニ、その後にケーシーやロレンツォがひしめいて、こりゃまただめなんだろうな、とにかく事故だけは起こらないでほしいと思いながら、ちらちら観戦。
ドゥカーティがウェットのとき、調子がいいのは去年からの傾向だったし、また苦手なスタートをクリアしていきなり5番手に上がったので、すこしずつ期待が上向きになります。
ロレンツォとケーシーが逃げ切りパターンでトップを飛ばし、ダニとロッシが続き。その後ダニは、途中でスーッと消えて、なんとロッシが三番手。
この辺からは、もう祈るような気持ちで、とにかくもう無理しないでいいから、表彰台だけを目指して、慎重に走ってくれ、と画面に釘付け。
後ろから迫ってきたドヴィとのバトルを制した後は、なんとケーシーにひたひたと迫り、とうとう、ケーシーとのバトルにまで持っていったのは、まさにロッシの凄み。
抜きつ抜かれつ、手に汗握るとはこのことです!
追い抜き方も、両者ぎりぎりのところを縫うようにしてやるから、はらはら、見ていて本当に怖い画の連続。もう三位でいいよぉ、と泣きたいような気持ちで、それでも目が放せず、最後にケーシーをかわして、ぐーんと前に出たときには、鳥肌が立ち、涙が出てしまいました…。
ロッシ、やっぱり健在。
この人なしでは、モトは成り立たないよ。
去年からのこの状態で、あのレース展開で、あそこでがんがん攻めることができるという精神力は、彼にしかありえない。いや、すごいとしか言えません。
ただ、おそらくウェットだったからの結果なので、今後同じようなレースが期待できるかといえば、おそらくネガティブでしょうけれど。
その上、ドゥカーティは、アウディに買収されたので、今後の方針というのは未知で、ロッシも来期以降どうなるか、まさに正念場にいます。
- 2012/05/20(日) 23:07:39|
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オーセール2
サン・ジェルマンは、傲慢なフランス語オンリーのガイド・ツアーに加えて、写真撮影禁止。まったく傲慢も止めを知らない!大体、ここのクリプタは、確かに古いフレスコ画を持っているのですが、保存状態はいまいちだし、正直ガイド・ツアーだけに限定するほどのものじゃないと思うんですけどね~。それも有料だしねぇ。
今回、ほんのちょっとついていたのは、ツアーの中にイタリア人のカップルがいて、彼らもフランスがいまひとつだったようで、説明の度に、お互いの理解したことを確認しているのでした。それを盗み聞きしていたのですが、それも失礼な気がしたので、「実はわたし、フランス語はからっきしだけど、イタリア語はそこそこいけるので、会話を聞かせていただいてます」と自己申告。その後は、彼らがガイドの説明を、かいつまんで通訳してくれたんです。
そしたら、やっぱり面白いこといってるんですよねぇ。フレスコ画の説明にしても、言われなければ絶対に気付かない穴の説明にしても。いや、面白かった。本当に助かりました。
実は、イタリア人、特に北部の人は外国が好きなので、世界中主な観光地では、イタリア人に出会う確立が非常に高い。このように現地の言葉に難渋しているケースで、イタリア語に救われたことは、意外と多いのですよねぇ。何でもそれなりに精通する、ということは、重要なことなのですねぇ。
サン・ジェルマンの文句ばかり言っていても仕方ないですね。
オーセールで一押しは、カテドラルのクリプタ。
カテドラル本体は、わたしにとっては、ほとんど見所のないゴシック建築なんですが、良くぞそのまま残してくれました!というクリプタがあるんです。有料ですけれど、ここは余計な御託なしに、自由に見学できます。
かなり広いスペース。馬の絵があるはず…。一瞬うろうろした後、後陣の位置になるんですね、その天井にびっしりとフレスコ画。
いやはや。息を呑みました。すごいですよ、ここ。オーセール来たら、まずはここに直行だ!サン・ジェルマンで、フランス語におろおろいらいらしてる場合じゃないです。
かわいいんです。キリストもみんな馬上で、馬もかわいければ、馬上の聖人たちもみんなかわいらしくて。色彩も全体に暖かい暖色で、ほっこりとうれしくなるような天井なんです。
奥には、若干次代の下った、いやらしいフレスコ画があるのが残念ではありますが、全体の素晴らしさにほとんど気になりません。
こんな素敵な空間を独り占め。なぜ誰も来ないのだろう?と不思議になりました。
ちなみに、本堂は、このようにゴシックです。ステンドグラスは、きれいではありますけどね。
そういえば、このカテドラルに向かう道を、通りすがりの人に尋ねたんです。鐘楼は見えるのだけど、入り組んだ旧市街では、どの道を行くのがベストなのか、意外にわかりにくいですからね。英語で尋ねたところ、同世代らしい女性からは、かなり流暢な英語で答えが返ってきました。またまた、わたしもそっちの方に行くので一緒に、といざないパターンです。
英語、わたしより数段うまい。
どこから来たの、というお決まりの言葉に、わたしは日本人だけども、ミラノに住んでいるというと、「ミラノ!去年仕事で3ヶ月滞在したわ!セザンヌの展覧会の仕事をしたのよ」と。
この、「セザンヌ」が理解できず、何度も聞き返し、彼女が「この世界的に有名な画家を知らないのか」と苛立ち始めた頃にやっとわかったのでした。旅の後、フランス語を独習する後押しになっているエピソードです。セザンヌは、「セザンヌ」と発音しても通じないんですよ、本場では!日本語では絶対に表記できない音。ショックですよぉ。セザンヌの生まれて育ったエクス・アン・プロバンスにも、いやになるくらい行っている私だというのに!
カタカナ表記もできない言葉はいやだわ、つくづく。フランス語、難しいです。何とか、動詞にたどり着いたので、過去数回のトライに比べれば、格段の進歩です。
- 2012/05/20(日) 06:28:23|
- ブルゴーニュ・ロマネスク
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オーセール1
ヴェズレイのあと、向かったのはオーセール。旧市街の外側の道に車を駐車して、すぐにカテドラルを目指しました。道が不案内なので、通りすがりの方に尋ねたところ、「わたしもそちらの方向に行くので、ついていらっしゃい!」と親切なこと。このやり取りは、英語とフランス語なんですけど、その程度は何とか通じます。でも、それ以上は通じないので、やはり地場の言葉、ある程度はしゃべりたいですよねぇ。
というわけで、この旅の後、フランス語独学、即効で始めています。熱しやすい、われながら…。
オーセール。細かい計画はなかったのですが、なんとなくたどり着いた旧市街、やっぱり道がよくわからず次に道を尋ねたおじいさんには、なぜかカテドラルが通じなかったので、サン・ジェルマンを尋ねました。
朝のパン(もちろんバゲット)を買いに来たらしいおじいさんとは、正直ほとんど言葉が通じなかったのですが、それはなんとか通じ、どうやらついて来い、といっているようだったので、素直に一緒に歩きました。遅い…。いやはや、遅い。でも、だからどうしようもないし!ゆっくりゆっくり朝の散歩、バゲットの香りに包まれて楽しみました。こういうとき、若干でも言葉が通じれば、楽しい会話のしようもありますよねぇ。
結果として、まずカテドラルではなく、サン・ジェルマンを訪ねてよかったのです。というのも、サン・ジェルマンは、ロマネスク観点からマストのクリプタは、ガイド・ツアーでの見学のみで、その初回が午前10時。わたしは知らずに行ったわけですが、10時10分前。超ラッキーなのでは?
見学はこちら、という看板が出ていますので、早速建物の中に入ろうとすると、そこで喫煙しているおっさんが、まだまだ!と道をふさぎます。看板に記された時間は確かに10時。今は9時50分。わかりますけどね。でも、いるのはわたし一人。そして、イースターの朝は寒い!でも容赦なし。喫煙を終えたおっさんは、ぬくぬくしているらしい室内に入り、わたしは一人、放置されました。さびしい…。
そうこうするうちに、意外と人が集まり、10時きっかりに扉が開けられたときには、私以外に4,5人は来ていました。みんな、10時にガイド・ツアーがあることを知っていたのでしょうかね。
このサン・ジェルマン、今ある教会のほとんどの部分は、ゴシックかそれ以降の様式になっていて、それより古い時代を求めているわたしのような人には、ほとんど興味なし。
それより古い時代については、この有料のガイド・ツアーに参加するしかないんです。
でも、ツアーの始まる前、早めに入った人は若干放置されるのですが、その時間にうろうろしたキオストロ周囲に、一部中世の名残が残っていましたね。もうゴシック臭も強いのですが、でも許容範囲の柱頭。
早くカテドラルにも行きたいし、とうろうろイライラしていると、さらに人々が。結局、10人近い見学者が集まり、ツアーの開始となりました。
わたし以外は、すべてヨーロッパ人。でも、明らかに外人で、フランス語が通じるかどうかわからないわたしに対しても、一切言葉がわかるかどうかの質問はなし。え?それ、ありですか?と思いつつ、ここは傲慢なフランスだし、とも同時に思いつつ、ガイド開始。見事に、何の愛想もなく、100%フランス語。
いいですけどね。
なんか、イタリアっていいなぁって思いました。正直。はい。
イタリアだったら、たとえイタリア語以外のガイド・ツアーがなくても、とりあえず、明らかに外人の姿を見たら、あなたイタリア語大丈夫ですか、と聞く程度の愛想はあります。それすら通じないにしても。そして、たった一人の外人のために、できない英語を使おうとする人も多いのですよね。
なのに、このフランスときたら。
いんですけどね。しかし。
そもそも、ガイド・ツアーしか見学方法がないのに、フランス語オンリーって言う状況がどうよ、と思わないでもないです。
- 2012/05/19(土) 05:34:31|
- ブルゴーニュ・ロマネスク
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ヴェズレイ3
初めてのフランス・ロマネスク探訪が、オープンして間もない超早朝のヴェズレイで始まると言うのは、どうなんでしょう。ミラノからのフライトのスケジュールに縛られて決めた計画だったのですが、それを置いても、実は超早朝から開けられている教会には、できれば最初に訪ねたい気持ちも、常にあるのです。時間を有効に使えることはもちろんとして、超早朝の誰もいない教会と言うのは、実に清々しいものがありますからね。
近くにある教会関係の施設から、修道女たちが朝の祈りに次々と訪れて、内陣の手前にじかに膝まづいて、頭をたれているのを、なるべく邪魔しないように、ゆっくりゆっくりと、柱頭見学しました。
さすが、ヴェズレイ。どの柱頭も、素晴らしいです。
実は、興奮のあまり手振れが激しくて、写真のできばえはいまひとつ。ましなのを紹介しときます。
ガイドブックでも一押しだったこれ。
神秘的な粉ひき、ってなんのこっちゃ。粉引きらしい道具とかあるけど、意味がよくわからないって言うことなんでしょうね。
アダムとイブ。
これは、聖書にいまだ無知なわたしにも、わかりやすくて助かります。でも、これと、前の粉引きを比べると、明らかに手が違いますよね。かなり多くの石工がかかわっていたと考えさせられます。
ライオンに乗ったダビデ。
ライオンが、なんか狛犬系なんですよ。他の柱頭にあるライオンも、狛犬系。イタリアで見慣れた、ロマネスク最盛期のライオンよりも、なんていうか時代が下っていると言うか、ゴシックが芽生えていると言うか、そういう感じもします。
そして、見落としてはいけないのが、柱の根元。
根元の装飾と言うのは、イタリア・ロマネスクでは数少ないと思うのですが、今回この地域のロマネスクでは、多く目にしましたので、フランスではかなりノーマルのような。
装飾に、精力注ぎ込んでいると言うのか、こういうのが、ゴシックに、ルネサンスにつながっていったんだろうなぁ、と思わせると言うのか。その辺の時間の流れ、芸術の流れ、と言うのが、必ずしも地域的なものではないのが面白いなぁと思います。
なるほど、フランス・ロマネスク、これは見せるな、と思うのでした。最初の訪問地でして既に。だって、これだけのレベルの柱頭が一同に会している、という場所は、イタリアではめったにないですから。いやはや。
ひとつの柱頭がでかくて、各面に違う場面が彫られていて、柱頭という非常に限られたスペースの限られた場所に、ドラマがちりばめられるすごさ。いやはや。
ロマネスクの、後代への影響というのは、あまり具体的に語られることがないのですが、こういう優れた作品を見ると、確実に次代につながったものがあるな、と思わされます。ルネサンス期に活躍した人々が、聖書の場面を描くとき、ロマネスク時代のこの、ある意味制約されたダイナミズムや表現方法に、何らかの影響を受けなかったとは、逆に考えにくい。
イタリア・ロマネスクにおける柱頭彫刻というのは、どちらかというとプリミティブで、今では意味不明、となってしまった内容のものが多く、ここで見られるような細密な聖書のエピソードの再現といったようなものが少ないので、歴史の流れの中での位置づけ、特に後の時代につながる何か、というものをあまり考えることがなかった気がしますが、このヴェズレイの柱頭を見ていると、ロマネスク美術、明らかに、後の時代につながるものになっているということを感じさせられました。
ヴェズレイ、とりあえずのさようなら。数年後、タンパンの修復が終わった頃に再訪することとします。次回は、お店も開いている、普通の時間に訪問したいと思います(今回、早朝過ぎて、資料をゲットすることがかなわず、少々残念でした)。
- 2012/05/18(金) 05:54:26|
- ブルゴーニュ・ロマネスク
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ヴェズレイ2
旅をした日から、ほとんど1ヶ月も過ぎてしまって、報告を楽しみにされていた方には、本当に申し訳ありませんでした。更新がないのに、何度も足を運んでくださった方には、本当にありがとうございました。
この間の経緯を語れば、とどまるところを知らない腹立たしい状態ですが、何とか原状回復したようなので、もういいことにしましょう。何事もなかったかのように、旅の徒然をつづっていきます。
早速ブルゴーニュの旅に戻ります。
早朝にもかかわらず、扉の開いているヴェズレイ。日の出から日没まで、という情報は、うそではなかったのですね。
しかし!しかしですよ!なんと!いきなり!
おそらくこの教会で、ロマネスク的には最も重要なタンパンが、中央から左右から、全面的に大修復中でした。しょっぱなからこれは、ちょっと愕然。もちろん、こんなことはしょっちゅうあることですけどね。教会に入れないよりはよほどいい。
もう修復が進んでいるところもあったのですが、場所によってはまだまだこれから。たとえばこの、中央扉の側柱の柱頭ですけれど、一応近寄ることができたのですが、かなりいたんでいます。これは確かに修復しといた方がいい。
すでにして、ブルゴーニュ再訪確定ですよねぇ、しかし。
気を取り直して、本堂へいざ。
ああ、荘厳ですね。背の高いこと。トンネル・ヴォルトのリブが、なぜか縞々なんですねぇ。ゴシックが入っていていいことがあるとすれば、純粋ロマネスクよりも、若干採光に優れていることかな。朝まだきだから、いずれにしても、明かりは十分ではないのですが、それでも、伝統的ロマネスクの聖堂では、このような明るさは絶対にありえないほどの光です。
側廊の方は、なんとなく捉えやすい大きさで、ほっとします。全体にこのくらいの大きさだと、親しみが湧くんだけどな~。柱頭の高さも手ごろだし。
しかし、興奮もあったように思いますが、手振れが激しく、あまりよい柱頭の写真は撮れませんでした。次々と目移りしちゃって、気も心も完全に浮かれてしまっていたし。
柱頭は、聖書の場面が多くて、とてもドラマチック。ひとつの柱頭に、物語がきっちりと収められているというのか。それがいくつもいくつもですから、本当にすごい労作ですよね。ここまですごいのは、やはりイタリアではなかなか見られませんから、ただ感心しました。こういうのを見ると、この後の時代、ゴシックから、特にルネサンス以降の芸術に、ロマネスクが影響を与えているはず、という歴史のつながりを感じさせられます。ここには、すでに芸術があるんだと思うんですよね、職人の巧みというより芸術家の技、って言うのか。
ルネサンス美術等における中世の教会の影響ということは、あまり語られることはないように思いますが、というか、ルネサンスって、これまでとぜんぜん違うところから生まれて云々みたいな、そういう捉え方をされちゃっているように思いますけれど、実際は継続ですよねぇ、芸術も歴史。ローマがあり、中世があり、そしてルネサンスがあるのだから、過去の影響がないわけがないです。
で、この辺の教会芸術を見ていると、聖書の場面ひとつとっても、後代の絵画の基礎となった多くの作品があるように思われました。うまいんだよ、とにかく。
でも、わたしの好みはヘタウマですから、辺境的なイタリアの田舎の聖堂の方が好みだったりはするわけですけれどもね~。
- 2012/05/17(木) 02:28:23|
- ブルゴーニュ・ロマネスク
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ネット接続がおかしくなって、そろそろ1ヶ月。イースターのブルゴーニュの報告を楽しみに待っていた下さる方がいると思うのに、なかなか思うようにいかなくて、歯がゆい日々でした。Yahooの問題かと思って、文句のメールまで書いちゃって。挙句、ネットと同じプロバイダーの電話までおかしくなって。
電話の方は、電話機の問題と思い、まだ2年しか使ってないのにおかしい、と思いながらも新しい電話機を買ったら、やっぱりおかしくて、結局接続の問題と言うことがわかり、かなりむっとしました。ヘルプのコールセンターに電話しても埒が明かない日々。
ブルゴーニュのあとは、ロマーニャの田舎めぐりもしたので、写真はたまるばかりだし、せっかくサイトの更新もしたのに、写真がアップできないし、で、本当にイライラの毎日でした。
でも、どうやら、やっとちょっと安定してきたみたいです。
なんだか写真がたまりすぎて、どこから再開したらいいのか、混乱していますけれど、ちょっと交通整理して始めたいと思います。ぜんぜん更新できないのに、辛抱強く足を運んでくださった方、どうもありがとうございました。懲りずにまた遊びに来てくださいね。しばらくは毎日更新を目指して、がんばります。
- 2012/05/04(金) 05:10:11|
- ミラノ徒然
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