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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ロマネスクのおと、更新のお知らせ



最近、更新、遅いですよね~。
夏休みも挟んでしまったので、ますます遅れてしまいましたが、プーリアの当面の完結版、やっとアップできました。
実は以前、間違って、更新もしていないのに更新版をアップしてしまい、面倒なので、そのままになっていました。だから、ずっと気にはなっていたんですよね。おかしいな、と思っていた方、申し訳ないです。



今年は、フランスにかなり入れ込んでいるのは、こちらでもお知らせしていますが、行ってみてよかったと思うのは、なんとなく理解の幅が広がった気がすることです。
たとえば、このイタリア半島の突端のプーリアという土地は、ノルマンを筆頭に北方の影響が強いのですが、その中に、フランスの風味というのが見えるというのが、実際にフランス・ロマネスクを目にした後では、すごくよく感じられるんです。



このプーリアを実際に旅したのは、2010年のことで、当時は、フランス・ロマネスクは人様の記録でしか知らない状態だったので、そことの関連など考えもしなかったわけですが、実際に自分で見聞を深めると、なるほどね、と思うことも多々あるわけです。
聖地、といってしまえば簡単なんですが、聖地との距離、政治的な影響や十字軍の存在や、ヨーロッパ他地域との関係、巡礼、そういう歴史の様々を、歩けば歩くほど、感じるわけです。



とか何とかいいながら、結局はやっつけ仕事的になってしまうわけで、思いっきり「自分の思い込み集大成」みたいなサイトですけれど、まぁ、ご興味があれば、是非。

プーリアは、オートラントのモザイクとか、ターラント周辺の岩窟教会とか、ガルガーノ半島とか、まだまだたくさん行かねばならない場所があります。気持ち的には、ほとんどイタリア北方人間になっていますので、実はフランスに行くよりももっと敷居が高い感があるのですが、いつかまた、行きたいとは思っています。

プーリア・ロマネスク、こちらになります。
ロマネスクのおと

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  1. 2012/09/17(月) 05:16:15|
  2. ロマネスク全般
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夏休み、北イタリア旅歩き その4

島から本島に戻って、やはりサン・マルコ寺院は訪ねないと。しかしすごい行列です。昔は、こんなことなかったんですけどね~。
自分がブラブラとしていた頃のイタリアは、どこでもほとんど、すぐにアクセスできたんで、このサン・マルコでも、フィレンツェのウフィッツィでもピサの斜塔でも、なんか行列を見ると、本当に、心底隔世の感がありますよ。

ま、そんなわけで、最近は、いつだって行列のサン・マルコ。
避けるには、金!
お金を払って、有料の博物館に入ればいいのでしたよ。
今回は、姉がいることもあり、さらに金持ち編、博物館のガイド・ツアーに参加して、行列を尻目に、すいすいと入りました!



ここは、このところいつだって大混雑で、その上、撮影禁止ということで、ある意味でストレスの場所でしたけれども、今回有料のガイド・ツアーに参加して、いろんな意味で面白かったですね。
まずなんといっても、イタリアだったら、やっぱりそうだよね、とほっとしたのが、英語でいい?イタリア語?そうよね、それなら英語とイタリア語でやるから!とすぐに言ってくれて、実際に、私のためだけにイタリア語でのガイドをしてくれたことですね。
結構高いガイド・ツアーだけに、本来、外人向け。つまり英語中心に想定しているのですが、イタリア語でのガイドは当然、という態度が、やはりフランスとは違う~!
最近、フランスづいているわたくし、フランスのフランス中華思想(?)にうんざりしているもので、こういうイタリアの、ある意味謙虚な、「英語にすべて譲るよ」的な態度は、感心してしまうんですよねぇ。



英語とイタリア語でしっかりガイドしてくれて、面白かったです。英語でも、結局イタリア人の話す英語ですから、かなりわかりやすく、イタリア語を聞くまでもない、ということも多かったのですが、理解があやふやなところでは、あえてイタリア語ガイドも頼み、やっぱり私には英語よりイタリア語の方がわかりやすいので、とてもお役立ちでした。ガイドの人も、イタリア語の方が当然滑らかで、ガイド内容も一言多いような感じで、得した気分です。
それにしても、このサン・マルコの黄金のモザイクは、やはり素晴らしいです。



実は、普段、下からではあまり詳細が見えない、こういう浅浮き彫りの部分も、感心しながらチェック。このサン・マルコも歴史が古いですから、今ある以前の教会というのがあって、この浅浮き彫りなんかは、おそらくそういう古い教会の遺構がそのまま使われているものと思われます。
博物館は、マトロネオ・レベルなので、相当高いところを、下から見るよりは近いところに見ることができますが、それでもなお遠い…。



とはいえ、やっぱりすごい~。
博物館に有料入場したとはいえ、実はもちろん撮影禁止。でもガイドさんに尋ねたところ、「基本は撮影禁止。でも、フラッシュをたかなければ、気付かない振りはするわね~、わたしは」ということでしたので、フラッシュをたかない派のわたしは、それ以降とりまくり。他の人々は、そもそも撮影禁止、ということすら気付かない状態で撮影しまくりでした。なんだかね。



ナポレオンゆかりの騎馬像。ガイドでもそういう話がされました。あ、世間の人は結構知らないのか、とそれはそれで新鮮。
わたし的には、おお、こんなにそばで見られるんだ、ということが新鮮です。
だって、この上部にある博物館に入ったのは、二十数年ぶりで、身近に見るモザイクも含めて、すべて新鮮だったんですよね。
つくづく、たまには「純粋観光客」をするもんです。

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  1. 2012/09/16(日) 07:03:12|
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夏休み、北イタリア旅歩き その3

ムラノに来たら、やはりロマネスクの血も騒ぎます。ここは、避けては通れない道。サンティ・マリア・エ・ドナート教会。



ガラス博物館は、見ても、特に面白くないから、と姉を引っ張って訪ねましたよ。やっぱり、いつ見ても何度見ても印象的で美しい後陣です。

今回、早朝で、人も少ないことを利用して、ちょいと盗撮にトライしたんですが…。



でも、結局、落ち着かない状態で撮影しても、だめって感じ。それに、早朝だって言うのに、教会守の人がうろうろしていて、英語圏の観光客に、思いっきりベネチアなまりのイタリア語で、床モザイクの意味を説明してるし。
取り急ぎ、あ~、こういうことをいっているから、と、つたない英語でフォローしたのですが、それが気に入らなかったのか、私のことは思いっきり無視されました。おいおい、おれも観光客なんだけど~、と思いましたけれど。一方で、英語圏の観光客の方には感謝されたので、プラマイ・ゼロと言うことでしょうかね。
それにしても、撮影禁止、って意味がわからないですよね。フラッシュは禁止してほしいですけれど、フラッシュさえなければ、別に撮影はしてもしなくても、誰にも問題はないと思うんですけどね~。いまさらね~。

撮影しようがしまいが、ここの後陣モザイクのマリアの、美しいこと。このマリアと、トルチェッロのマリアが、ベネチア中世の華ですね。今回、トルチェッロは行けなかったですけれど。
内部は、そういうわけで撮影が難しいので、改めて後陣をチェックしました。



かわいい~。細かい様々の意匠が好きです。ロンゴバルドの影響も感じられるモチーフがたくさんあって、何度見てもかわいさにうっとりですね。



とはいいながら、中世など、特に興味のない連れがいるので、いい加減にして、一般的日本人観光客に戻ります。そうしたとたん、お、これは。



メンバー平均年齢はかなり高そうなクルーですが、おそろいの縞々タンクトップから考えるに、これは、レガッタ・ストーリカにエントリーしたチームではないでしょうか。
レガッタ・ストーリカは、9月早々にベネチアの大運河で開催されるレガッタのレース。要はほとんどゴンドラのような船のレースで、おそらく登録すれば、誰でも参加できるというようなレースなんだと思います。
そんなわけで、地元の人が多く参加するはずで。これも、メタボのおっさんチームながら、きっと参加したのでは。

こういう楽しみを持って生きているから、きっと人生楽しいんでしょ、イタリア人は。いろんな意味で、クオリティ・オブ・ライフということを、よく考えさせられます。特に、日本で起こっていることとの対比で。

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  1. 2012/09/15(土) 07:09:51|
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夏休み、北イタリア旅歩き その2

ベネチアといえば、やっぱりガラスですよね。
そして、交通費の高いベネチアでは、水上バスの通し券を買うのが必至。その元を取るためにも、本島以外の島巡りもやりたいもの、ということで、ムラノ島に渡りました。

暑いし、観光客も少なくて、まだ涼しいうちに、ということで、早朝に駅前から高速水上バスで、ダイレクトに上陸。
朝日にきらきら輝くムラノ島。



お店も開けたばっかりとか、まだ閉まっているとか、なんだかとっても気持ちがいい。
島のよいところは、全体にこじんまりしていて、本島も、きっと町になった当初は全体にこんなだったんじゃないかな、と想像しやすいところ。



こういう感じ。ごみ集めとか、八百屋さんとか、働く船がたくさん行きかっていて、生活感あふれる水路でした。

ガラス屋さん。



いやん。馬鹿みたいだけどかわいらしいランプです。薄ぼんやりした透明の顔が愛らしい。
おそらく昔に比べると、モダンなガラスが相当増えたと思います。伝統的なごてごてしたものも、もちろん健在ですけれども、いまや世界中から、現代アート作家が住み着いているご時勢ですからね。そもそも現代アートの町なんだし。
そんなことを思いながら歩いていたら、道端に。



すげ~。
派手です。何年か前のビエンナーレのとき、初めてベネチア館が設けられて、当然のことながらガラス作品、それもビエンナーレですから、当然現代作品がたくさん展示されていて、すごくかっこよくて面白かったのを思い出しました。去年のビエンナーレでは、いまひとつだったけどね、ベネチア館。



こっちのもかなり派手!
それにしてもこれだけの大物ガラス、どうやって作るのか、興味津々。大型の作品を作るガラス工房って、一度見てみたいものです。

そういえば、ムラノはそう何度も来ているわけではないですが、ガラス屋さんの押し売り、会ったことないんですよね。
よく地球の歩き方に「工房に連れ込まれて、押し売りされたのが、すごく高くて云々」という苦情が掲載されていたりしますけれど、私は逆に連行されてみたい!といつも思っているんです。でも残念ながら、誰一人近寄ってきません。貧乏なのがばれてるのかな。
仕方ないので、自らしがないお土産屋さんにはいって、しがないお土産を物色。
小さなアクセサリーとかをどっさり買っている姉を見ていたら、私も何かほしくなって、こういうものを買いました。



ガラスのペン。試し書きをしたら、意外と描きやすかったし、そういえば、以前デッサン・スタジオに通っていた頃に買い溜めたインクがたくさん余っているなぁ、とか思い出して。
実は、今夜手紙を書くのに使ってみたんですが、かしかしして、あまり書きやすくはなかったです。クスン。でも、ペン先に明かりが当たると、書きながらもきらきらと美しくて、なんだか意味もなく、豊かな気持ちになりました。
ちなみに、糸車のようなものは、ペン置きです。

町歩きに戻ります。
大物の作品は、多分イベント的な展示と思いますが、生活に根付いたようなガラスがあちこちに見られたのは、宝探しみたいで、楽しい趣向でした。






  1. 2012/09/14(金) 05:26:04|
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夏休み、北イタリア旅歩き その1

他にアップしないといけないものが、た~くさんありますが、でも、夏休みがあまりにも遠くなると、思い出も色あせて間抜けなので、いつになく普通の「夏休みの旅」についても、少しずつアップしていきたいと思います。

この夏は、わが姉が、人生初めての海外旅行で、イタリアにやってきましたので、1週間フル・アテンドで、一緒に北イタリアをぶらぶらしました。
普段は、修行気味の旅が多いので、初心に戻って(?)外国人観光客になりきる旅は、結構新鮮で、楽しいものでした。また、おいしいものが食べたい、というのが目的のひとつだったので、レストランの手配ばかりを常に考えて歩いたという意味でも、ある意味新鮮でした。私も食べることは好きですが、それが旅の最大目的であったことはないので、「レストランの場所を探しながら歩くベネチア」なんていう経験は初めてだったのです。

まずはベネチア。



私にとっても一年ぶりのベネチアになります。まぁ、一年ぶりだから、特に感慨もないわけですが、それにしても8月のど真ん中、世間のほとんどがお休みしている時期でしたから、サンタ・ルチア駅前の混雑はいつも以上でした。
湿度は低かったのですが、日中はカンカン照りの30度超ですから、水上バスの通し券を買うための行列もかなり厳しいものでした。

まずは高速水上バスで、サン・マルコ広場に向かい、大行列のサン・マルコ寺院は回避して、ドゥカーレ宮に行くと、なぜか行列がありません。これはラッキー、とばかりにすぐ入場。



おお、ここに入るのは、二十数年ぶりではないでしょうか。見事に見事に、何一つ記憶に残っていなくて、それはそれで自分の記憶力にびっくりしながら見学。
それにしてもどれだけ観光客がいるんだ、という状況で、どの部屋に入っても押すな押すな状態ですから、もう呆然です。入り口に行列がなかったのが、本当に稀有だったんです。



こーんなぎらぎらの黄金の階段、まったく興味がないですけれど、でも時々興味のある風景が広がるので、やはりたまには入っても損はないのですよ。二十数年は「たまに」のレベルじゃないですけれどね。

たとえば、サン・マルコ寺院のクーポラの天辺なんかがよく見えたりして。



他からは見ることのできない風景というのがあります。サン・マルコ寺院の脇の入り口なんかも、中には入れないけれど、そばまで近寄れたりしてね。



この、溜息の橋も、このドゥカーレ宮からはすごく近くに見ることができますね。本当に覚えていなかったのですが、牢獄って、こんなに広くてこんなにたくさんあったんですかね、昔から。行けども行けども牢獄なので、途中で飽きてしまいました。びっくり。
これなど、ちょっと面白い眺めです。



やたらめったら鉄格子。全部牢獄ですが、継ぎ接ぎ状に広がったという歴史を物語る無計画な開口部と鉄格子。怖いですけれど。それに、水の都の水のすぐ上の建物の牢獄は、湿気が多そうで、衛生的には最悪だったんじゃなかろうか。むずむずします。

入場料分、十分元を取った!と納得の長い順路でした。
旅は続きます。

  1. 2012/09/12(水) 05:49:45|
  2. 旅歩き
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ブルゴーニュ その40

クリュニーのあとは、また田舎めぐりに戻ります。何とか雨も上がりましたが、依然寒くて、辛い修行…。
Taizeという小さな村にあるサンタ・マリア・マッダレーナ教会を訪ねます。

このあたりも、田舎道に入ると、次々と「ロマネスク教会」の看板があったりして、ブリオネ地区のように、どの村にも教会があって、どの教会もロマネスク様式、というロマネスク超集積地のようでした。さすがクリュニーですね。
ただ、この日はもう帰る時間が決まっていますので、何でもかんでも立ち寄っている時間も余裕もなく、とりあえず、事前に調べている場所を中心に、と心を鬼にして、看板を無視しながら先に進む、ということになり、ちょっと残念でした。
さて、この村、タイーズとでも発音するのでしょうか。
教会は、村の入り口、という事前の情報どおり、村の入り口すぐにありました。



小さい小さい教会で、村もとってもこじんまりした雰囲気。なのに!
なんだかざわざわしていて、人の往来が妙に激しくて、不思議に活気ある空気が漂っているのです。

教会前に、若干のスペースがあったので、そこにすばやく駐車してしまえばよかったのですが、後から来た車にするりと先を越され、その上とにかく人の行き来が激しいので、もうちょっとちゃんとした駐車場所を探すか、と先に進むと…。



村はあっという間に終わってしまうのですが、街道は続いていて、その街道の一方はキャンプ場、一方は広大な駐車場になっているのでしたよ。呆然。そして、リュックを背負ったりしている若者が、激しく行き来しているわ、大型バスはやってくるわ、の大騒ぎ。
駐車場に入って、何があるのか尋ねてみたところ、「何もないけど、ここはTaizeだから!」とこっちにはなんのこっちゃとしか思えない答え…。
若者の団体の様子からして、おそらく宗教関係の集まりがのべつ行われている場所なんだと思います。きっとそういう集まりのメッカみたいな場所で、そういう関係者にとっては、Taizeといえばそういう場所、ということになっているのでしょう、多分、ですけれど。

ま、そんなわけで、面倒ながらそういう場所に駐車して、教会に徒歩で戻りました。

かわいいですよ。墓地にある、本当にミニマムのスペースだけ持っている教会。



本当に多くの人が集まっているので、村中が騒然としている感じです。そして、教会を訪ねてくる人も、もちろんそれなりにいて、この教会の周りまでもが、なんとなく落ち着かない空気に包まれています。
しかし、中に一歩入ったら、まさに別世界でした。



暗闇。
その中にじっと祈っている人が複数いて、ぴたりと静寂です。

さすがにしばらくは、動けず、その祈りの空気を堪能しました。暗闇は苦手ですが、本当に包まれるような、それでいてお仕着せがましくない、とてもポジティブな空間でした。

とか言いながら、そんなところで写真を撮る私…。でもある意味、その暗闇の雰囲気が、とってもよかったんです。本当に祈りの場所だな、という感じとでもいいましょうか。外の騒々しさとのコントラストもまた、結界的な空気をもたらしたように思います。



教会は古いもので、かなり古いフレスコ画があるようですが、もちろん見えません。特にお天気も悪かったので、外からの光がほとんどなかったですからね。
なので、ロマネスク的な観察はできないまま。
ただ、現代的なステンドグラスがいくつかはめられていて、それがなんとも愛らしいのでしたよ。
小鳥に説教するサン・フランチェスコ。なんてかわいらしいのでしょう。これは、本当に好きです。色も美しいです。



若者たちはキャンプ場の方にたまっていますので、教会の裏手に広がる、小さな猫額ほどの村をちょっとだけ散策。童話に出てくるような村。こんなに美しくて嫌味のない村って、そうないと思います。
雨のせいで、石や道の色がしっとりしていたのも、逆によかったのかも。
ここは、また行ってみたい。でも、願わくばキャンピングの若者たちがいないときに…。

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  1. 2012/09/11(火) 05:02:16|
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ブルゴーニュ その39

クリュニーCluny、続きです。
中世の香りがかすかに残る博物館状態の、かつてのパン焼き小屋。
ここで出会うクリュニー、やっぱりすごい、と思わされました。建物としてほとんど残っていないのが、本当に残念です。
12世紀初頭、クリュニー中後期と言うことになるでしょうか。その時代の遺構が、ここにわずか、残されているのです。
ここでも、説明版は主にフランス語なので、定かにはわからないのですが、どうやら内陣部分にあったものらしいです。ここでも、フランスに多くある周回廊があったようで、その周回廊の円柱の柱頭と言うことになろうかと思います。
周回廊にあったように並べられている柱頭、まずはそのでかさにびっくりします。



本来は、もっとずっと高い場所にあったものと思いますが、展示ですからとても低い位置にある分、さらに迫力があるんですよね。



とても密な植物モチーフに、人のフィギュアが絡まっているようなモチーフで、線としてはかなり堅いのですが、とにかく大きさと、なんというか、大胆さがあります。



そして多くの柱頭で、人物フィギュアは下半身しか残っていなかったりするのですが、なんていうのでしょうか、とても現代彫刻的な、妙にリアルで妙にスタイリッシュな線というのか。



なんともフランス的、というのか。というのもテイストとして、イタリアにはみられない風なんですよ。これだけのものが並んでたのだ、と思うと、もしも当時の建築がある程度だけでも残っていたら、どれだけ楽しかったか、と思わずにいられません。



往時の遺構は、数少ないけれども、でも現場に行くというのはこういうことだと思います。本当に、見ないとわからない何か。同時に、見てもわからない何か。

クリュニーというのは、中世の勉強をしていれば避けて通れない道で、特に教会美術とはひどく深いかかわりがありますから、いずれにしてもきちんと勉強しないと、とは思いますが、そういう意味でもその土地の空気を、ちょっとでも感じられたことを嬉しく思います。
少しだけ、資料も入手したし、実際にある姿を見た今では、これまでの、本の中にだけある姿よりは具体化したので、関連文献を読む元気も出るっていうものです。



最盛期だと、このパン焼き小屋から直接出口になるようでしたが、季節はずれに訪ねたせいか、出るにはまた入り口まで戻る必要があり、そのおかげで、3Dの映像を改めてみることもできたし、いろいろなディテールを改めて確認できて、よかったと思います。
少し離れた場所にある別館の博物館にも、行く気になりました。そちらも、たいしたものがあるわけではないのですが、町全体の雰囲気をつかむためにも、やはり訪ねておいてよかった、と思わされるものでした。
そんなこんなで、クリュニー、何があるわけではないけれど、中世を勉強されている方には、強力にお勧めします。

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  1. 2012/09/10(月) 05:28:06|
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ブルゴーニュ その38

クリュニーCluny、続きです。
かつての修道院は、今、全体が博物館となっていて、有料で見学できます。
順路の最初にあるのは、クリュニーのかつての姿を、昨今流行の3D映像でまとめた映画。しかしながら、私が訪ねたのは、朝一番ということもあったのか、3D用の眼鏡が置いてなくて、まったく意味なし。フランス人も、意外と働かないかも…。
この部分は、出るときにちょっと見ましたが、映像的には面白かったです。ただし、言語は、当然のようにフランス語のみ。あ~あ、フランス人の中華思想(?)、何とかしてほしいもんだ~。

とりあえず先に進みます。
全体に、もう新しい時代のものばかりになっているので、足早に進むのですが、さすが有料(それも9.5ユーロと、結構高いです)の博物館、それなりに「見せる」仕掛けは作っています。



古い場所に置かれた液晶画面。これ、往時の姿を映す魔法の鏡みたいになっていて、手で触って、全体を見たり、ぐるぐるしたり、いろいろ視点を変えてみることができて、結構面白いんです。要は、かつてはこうだった、という当時の風景を、本当にその場にいてみることができるわけで、これは、想像力に乏しい人々には福音です。
同じ画面が、外にもありました。



画面を見ていると、なんか浮遊感というのか、不思議な気持ちになりました。
こういった仕掛けはともかくとして、実際はどうだったかというと、やはりかなり後代の建築が主になっていて、中世を探すのは無為であるというイメージです。







キオストロなんかもこんな感じで、もうぜんぜん中世の空気は感じられず。
でも!かつてのパン焼き小屋が、中世博物館のようになっていて、



ここでやっと、本当にはるばる訪ねてきてよかった、と思いました。
続きます。

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  1. 2012/09/09(日) 05:33:22|
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突然秋らしく

まだ日中はかなり暑いのですが、湿度がグーンと下がって、朝晩、時として寒いような陽気になってきました。
夏の暑さを、なんとか乗り越えたベランダの鉢たち。わたしが不在の日々も耐えて、本当によくがんばってくれました。
久しぶりにじっくりと観察です。

まずはこれ、初夏に種を撒いたもの。



種をまいた、というよりは埋めたんですけれどね、実をいただいた後に。びわです。
確か四つ埋めたのが、まず二つ発芽して、すくすくと育っています。最近、あとの二つも発芽しているのを発見してびっくり。
どこまで育ってくれるのかわからないけれど、とりあえず大きな鉢に植え替えないといけないですね。確かびわの葉っぱを煮出すと、よい化粧水になるんだったような。
小さいのに葉っぱがすごく大きいのですね。そしてびっしりついているにこ毛が妙に愛らしいです。

この子も嬉しい驚き。



3月に買った当初は、ベランダにおいて、とてもすくすくと育っていたのです。
それを、装飾としてお風呂に置いたら、なんだか少しずつ元気をなくして、葉っぱの多くが落ちるようになってしまいました。水のやりすぎでもやらなすぎでも、多肉をだめにしたことこれまで多数の私としては、途方にくれつつ、だめもとでベランダに戻したのです。そしたら、葉っぱの落ちるのがとまり、枝の部分にも徐々に張りが戻ってきて、なんと新しい葉っぱまで出てきました。嬉しいですね~。
どうやら、水が足りなかったような感じ。多肉の水加減って難しい。

そして毎年おなじみのこの方。



にらの花たち。いつもつぼみをつけると、「取ってしまった方が葉の生育のためにはいいんだけど」、と思いながら、決して摘んでしまうことができない花です。だって、かわいらしいんですよね。



つぼみも清楚で、アップで見ると小さなブーケのようです。
ここまできたら、また種の収穫をしてみましょう。実は、種もどっしりと大きめで、結構好きなタイプなんです。種が好き、って変ですが。
ただ、あまりに何度も収穫しているので、発芽率は非常に下がっているようで、もしかしたら意味がないのかもしれませんが。

初夏、花盛りで我が家に来たジャスミンも、元気に蔓を伸ばしています。



ただこの人は、冬があまり寒いと、厳しいかもしれないです。今のうちにがんばって、幹を太く、樹木化してほしいものです。
そして、今年は、種から植えたバジリコが、よく育ちました。



確か、去年鉢で買ったものの種ですから、やはり種が新しいと、よく育つんですね。葉っぱもびっくりするくらい大きくて、どんどん出るので、何度もペストを作りました。
今は、種の準備中。これはしっかり収穫して、来年使うことにしましょう。

もうすぐ、晩秋に素晴らしい花を楽しませてくれる多肉に、つぼみもつき始めることでしょう。冬に向かって、植物にとってもとてもすごしやすいよい季節なのかも。

  1. 2012/09/08(土) 18:40:02|
  2. 植物、花
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ブルゴーニュ その37

クリュニーClunyです。



10世紀に、この土地にできたベネディクト派の修道院が、一時期、ヨーロッパ全土のキリスト教(および政治)に与えた影響を考えると、フランス・ロマネスクに関しては、鳥羽口以前にいる私にとっても、特別の土地です。
初期キリスト教から中世に移行する時代に、キリスト教を強化した大きな一因であることは間違いないわけで。上の写真が、当時の修道院付属の教会です。時代ごとに修道院全体が建築的にも肥大したため、専門書を見れば、クリュニーI、II、III、というように、それぞれの時代のそれぞれの建築が図解されています。最も勢力のあった時代には、果てしなく巨大化して、荘厳な、そこに近づくだけで恐れ多いような、そういう存在になっていたのではないでしょうか。
下が、往時の姿の小さなレプリカです。



しかしながら、その中世時期の建物は、ほとんど残っていないのです。だから、今あるものを訪ねることが目的の場合、省いちゃおうかな、という気持ちにもなってしまったり。
でも、ここがそうだった、という土地の記憶を探るためには、やはり行くべき場所としみじみ思いました。

町のつくりがよくわからないなりに、折りよくあった駐車場に車を停めて、最初にアクセスしたのは、修道院の裏側でした。いきなりこんな風景が、門越しに見えて、びっくり。



こ、これは!中世どころか、18世紀頃のお城状態ではないですか。
そう、まさにこの部分は、18世紀の建物でした。
この門からは入れませんので、壁沿いに歩いていくと、町に入ります。



激しい雨となり、かさをさして歩かざるを得なかったのは、どこでもすかさず撮影したい身としては、相当鬱陶しかったのですが、でも、町はしっとりとして、とてもよいたたずまいでした。門前町風の、いい意味でひなびた歴史的な空気が漂っているんです。
まだ結構な早朝でしたが、適度な活気もあるし。
雰囲気は、町のそこここに、歴史の名残がさりげなく見られるせいでしょう。



今でも、修道院はかなりの敷地を有していますが、往時に比べれば、とっても縮小してしまっています。今、町並みに埋もれている場所も、昔は修道院の敷地で、教会等の建物が建っていたのです。
下の写真は、今では修道院の敷地から100メートル以上は離れている場所にある博物館前ですが、かつてはここも教会の一部だったようです。



坂道を下った先に、おそらく身廊を支える柱の基部だったものが見られます。それがまたでかい!どれだけ大きかったんだ!

次回、修道院の中にご案内します。

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  1. 2012/09/07(金) 04:28:47|
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