ブルグジオには、もうひとつどうしても訪ねなければいけない教会がありますが、そこも時間限定で、まだ間がありますので、ちょっと後戻って、マッレスMallesのサン・ベネデット教会Chiesa di San Benedettoに向かおうとしました。 が、この日は午前中しかオープンしていないという時間限定なのに気付いて、すぐにあきらめ、16時から17時というオープン時間だけを頼りに、グロレンツァGlorenzaのはずれにあるというサン・ジャコモ・ディ・ソレスSan Giacomo di Solesという小さな教会を目指しました。
しかし!城壁で囲まれたグロレンツァの町を入ったり出たり、周りをうろうろしたけれど、ぜんぜん場所がわからないんです。表示もまったくない。 結局、あきらめ、インフォメーション・センターで、地域の情報でも集めようということで、マッレスに戻りました。
マッレスは、そこそこの町で、入り口に駐車場も完備していて、立ち寄りやすい仕組みです。インフォメーション・センターもわかりやすく、資料を買ったりもらったりしました。 そこで、サン・ベネデット教会は開いているのか、と訪ねているツーリストがいましたが、観光局の人は言下に、「今日は午前中だけしか開いていない日なので、今はもうしまっています」、と答えていました。やっぱりな、と思いましたが、せっかくここまで来たので、せめて外観だけでも、と教会に向かいました。 住宅街を抜けていくと、小さな高台になっている町外れに、こじんまりと、教会はありました。
いかにもチロルの教会というたたずまい。このあたり、みな似ていますよね。限りなく地味な外観。比較的背が低くてどっしりとした中世の鐘楼。だんだん親しみを感じるようになってきました。
近づくと…。
え?!
なんとなくざわざわ感があるな、と思ったら、なんと、扉が開いているではないですか!
こんなことがあるんだ~、と小走りに入場。
なんと、先にブルグジオで一緒になった感じの悪いガイドさんの率いるツアーが見学中だったんです。
なんか、ここでまたお金を徴収されるのも嫌だし、小さくなって、こそこそと遠くから見学する羽目になりました。お金がもったいないというより、あのガイドになんか言われたくないっていうのが強くて。情けないって言うか馬鹿みたいな話ですけれど、考えたら。
ただ、この人たちがいてくれたおかげで中に入れたので、もうそれだけでよしということで、納得、満足。
写真は撮れませんでしたので、これはインフォメーションでゲットしたガイドブックから。
これは最初のグレゴリオ法皇、最も教会勢力を伸ばしたグレゴリオさんですね。
ブックの拡大写真なので、きれいですけれど、実際は、かなり色があせていて、肉眼ではわかりにくい絵だったように思います。あせ方が感じよいといえばよかったんですけれど。
ま、ここも例によって、「さぁさぁ閉めますから~」ということで、あっという間に追い出されてしまったんですけどね。でも、ほんの5分くらいの差で、入れたようなもんですから、やっぱりラッキーでした。入れない残念感って、すごく強いですもんね、実際はたいしたものがないとしても。
ここマッレスは、巡礼がたくさん歩いていた道沿いにあるんでしょう。歴史のある土地と見受けられました。 こんな円形の塔が、道端にひょっこりあったり。
フローリッヒ城の塔だったものらしいです。スイスのCoiraの勢力だったらしいんですよ。このあたり、このCoiraと、チロル伯と小競り合いが多発した土地だったらしいです。ここからCoiraって結構遠い感じですが、それを言えば、チロル伯の本拠地も結構遠いかも。
そして、サン・ベネデットと同じような時期と見受けられる鐘楼が、住宅地の中ににょきっと。
サン・マルティーノ教会の鐘楼。そばに近寄ろうとしたら、どこぞのお宅の裏庭みたいなところに出ちゃったりして、どうしても近寄れませんでした。
こういうとき一人だと、執念深くどこまでも探るのですが、ロマネスク仲間でない同行者と一緒だと、どうしても遠慮が出ます。というわけで、探索は深入りできず。
後からガイドブックを見たら、教会は個人所有なので、訪問不可とありました。こんな立派な塔も、個人で持っているんですかね。メンテだけでも相当大変だと思いますが、一方で、なんだかすごくうらやましいような気もします。やっぱり病気。
車に戻る途中に、こんなにかわいらしいお庭が。
この庭、現代アートっぽいものも置かれていて、楽しかったです。木製の小鳥、ほしいくらい。
マッレス、たまたま立ち寄る羽目になったわけですが、行ってよかった!
ブルグジオよりはかなり町なので、このあたりで休憩するにも、この町はお勧めです。
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2012/11/28(水) 06:36:47 |
チロル・ロマネスク
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ミュスタイアMustair見学後は、ランチも近い時間だったのですが、スイスは物価が高いので、そそくさと再び何の感銘もなく国境を越えて、イタリア側に戻りました(イタリアに入るときは、結構うるさくパスポートの提示を求められましたが)。
南チロルは、イタリアと言ってもドイツ文化圏で、様々なことがドイツ式。情報の流通もかなりしっかりとしていて、事前に結構調べることができ、また、ほとんど調べた情報どおりに開館していてくれるので、助かります。 とはいえ、ロマネスクに関しては、それほど多くの観光客が毎日のように押し寄せるわけではないし、どちらかといえば、リゾートで滞在している人たちが、今日はあそこ、明日はあっち、みたいな感じでふらふらうろうろ、ハイキングの途中に見学するようなことを想定しているのか、教会のオープンが、とても限定的。週に一日、それも時間指定、となっている場所が多くあります。 多くのヨーロッパ人のように、一週間も同じ土地に滞在していれば、のんびりと観光できるシステムなのかと思いますが、この点に関しては、何年たっても日本人以外になれない私としては、短時間で固めて訪ねたいので、無駄のない訪問を計画するのが結構大変でした。
そういった、限定的開放の教会のひとつが、ブルグジオBurgusioのサン・ニコラ教会Chiesa di San Nicola(St Nikolaus)。
村のはずれ、牧草地の中にたたずんでいます。とても美しいロケーション。
この教会、オープンするのは、金曜日の14時15分だけ、というピンポイント。ミュスタイアで、思いもかけずガイド・ツアーで時間を取られてしまったのですが、その分、ちょうどその半端な時間に、首尾よく、この村までたどり着くことができたのです。とはいえ、教会の正確な場所がわからなかったりもしたせいで、また、すぐ近くに車を置けなかったためもあり、教会に到着したのは、既に14時25分。あわあわしながら入場。
そっけない四角い一室だけの教会の、古めかしい地味な後陣部分に、12世紀のフレスコ画が一部残されているのです。
天井のヴォルトの部分に、アーモンドの中の祝福するキリスト、そしてその周囲に、四福音書家のシンボルが描かれています。
色もやさしくて、キリストの顔が女性的で穏やか。なんかちょっとおしょうゆ顔じゃないですか?そのせいか、全体にとても繊細に感じられました。
キリストの足元に描かれた、ルカとマッテオ。
しかし、この教会でも、見学にはちょいと不具合がありました(ミュスタイアに続き、文句ばっかり言ってますね)。
実は、われわれがたどり着いたとき、既に中ではガイド・ツアーが始まっていました。どういうシステムかわからないけれど、とりあえず入場して、自分に興味のあるフレスコ画に突進したのですが、いきなりガイドの女性に声をかけられ、「ガイド、聞くの?どうするの?聞くなら、各自3ユーロ(だったと思います)!」と怒鳴りつけるように言われ、その強引さに反論の隙もなく、あわあわと払ってしまったのですが、そのガイドはものの3分くらいで終わり、あってもなくても影響なし。
どうやら、地域のロマネスクめぐりツアーというのをしているようで、彼女は次の場所に移動することに気をとられていて、とにかく早く切り上げたかったようなんです。そりゃ、14時15分オープンだけど、そのオープン時間が、たったの15分なんてありですかね?
ガイド終わり次第、「さぁさぁ、締めますから、皆さん出てくださ~い」で追い出され、なんだか狐につままれた状態って言うか、何が起こったのか起こらなかったのかわからないうちに追い出されていました。
ミュスタイアに続き、なんだかどうも、この地域の人たちとは波長が合わない気が…。
入場料と思えばいいんですが、でもあの3ユーロは、あの女性のポケットに収まった気もするし…。なんか納得できず。
とはいえ、開いていなかった可能性もあるわけですから、肝心のフレスコ画が間近に見ることができたことに感謝しなければ。 素敵に古めかしい扉を後に、解散。
この時点で、大変空腹なことに思いがいたり、村に足を踏み入れたら、レストランらしきものがありました。既にランチには半端な時間になっていますが、冷たいものなら食べられるということなので、喜んでテラスに座りました。
そして、何をいただいたかというと、これ!
アップル・シュトゥルーデル~!
そういえば、ホテルも夕飯付きだし、ハイキングでは山の食堂だし、この地域にきたらマストのこれ、今回はまだいただく機会がなかったので、これはラッキー!と、すぐにご機嫌が治っちゃいました。
またここのシュトゥルーデル、ホームメイドということでしたが、実に立派でおいしい。幅、30センチ近くで、りんごどっさり、甘さ控えめ。遅いランチ代わりでしたから、ぴったりでした。お店の人には、杏のシュトゥルーデルを強力に勧められたのですが、やっぱりりんごですよねぇ。とはいえ、杏シュトゥルーデルなんて見たことも聞いたこともないので、興味はあります。杏は、生は苦手ですが、調理するとおいしいですからねぇ。
しばしの憩いの後、次に移動です。
2012/11/27(火) 06:15:02 |
チロル・ロマネスク
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ミュスタイアMustairの、サン・ジョバンニ修道院Convento di San Giovanni、続き、修道院部分です。
ここ、前の記事にも書きましたが現役の女子修道院で、だから修道院部分は、修道女の邪魔をしないように、一部だけガイド・ツアーで訪ねるようになっています。下の図で言えば、Kが教会で、図の手前側にあるB、A、PとKの間にあるスペースの一部が博物館となっていて、見学できます。手前側は、今でも修道女の方々が、いろいろ作業をしながら暮らしている場所。実際に見学する場所からも、一部、修道女の姿が見えてしまうような場所もあるのですが、ガイドの方は、「見えなかったことにしてくださいね」というようなツアーです。
一応博物館になっていますので、中世の彫り物など。
うわ~、大好きなロンゴバルド系彫り物の世界!ん?ロンゴバルド?ここはカロリングなのに、ロンゴバルドがあるのは、やっぱり境界だからかな~。
これもびっくり。
組紐やつる草モチーフはよくありますが、この、怪物の顔モチーフって、すごく珍しい!なんかちょっとマヤっぽい雰囲気もあって、注目してしまいます。どこから来たんでしょう。
あ、これまた素敵~。
こんなのがひとつでもあれば、嬉しくなってしまうって、やっぱりちょっと病気ですよねぇ。いや、好きだな~。
ガイド・ツアーは、このあたりはさらりと流して、修道院の生活、というものをメインに、いろいろ解説してくれて、それはそれで面白かったんですけどね。修道女の個室とか、台所とか、大部屋の装飾とか、各種祭具とか、いろいろ。
窓から垣間見えた小さな菜園。
いかにも修道院の菜園、って言う感じがいいですよね。
歴史や生活に関する説明はとても面白くて、ガイドさんも有能で、参加者も楽しいイタリア人たちだったので、かなり楽しめました。でも、中世には関係ないため、ほとんど撮影せず、純粋にツアーを楽しんでしまって、写真がありません。
チケット売り場のおばさんは最低だったけど、このガイド・ツアーのガイドさんは、本当にレベルが高くて、儲けもんでしたので、言葉の問題がクリアできれば、是非ガイド・ツアー参加、お勧めします。
2012/11/26(月) 06:16:47 |
チロル・ロマネスク
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ミュスタイアMustairの、サン・ジョバンニ修道院Convento di San Giovanni、続きです。 カロリング朝のフレスコ画は、教会側廊の壁部分にありました。
すっごく地味で、色も薄くてよく見えないので、ほとんど無視している状態でした。カロリング朝の時代の遺構は、あまり数は見ていないのですが、でもやはり古い分、色彩があせていて、地味なものがほとんどですから、こういうもんなんですが、鮮やかなロマネスクがお隣にあると、どうしてもそっちに目が引かれちゃいます。
ガイド・ツアーに参加した後、あれがカロリング朝だったんだ!と改めて撮影しまくり、というちょっと情けない状態の私でした。今回は事前学習が足りなさすぎでした。反省(そういう意味でも、ガイド・ツアーに参加できたのは、大変有意義でした)。 それにしても、カロリング時代のフレスコ画が、これだけたくさん残されているところは、他にはなさそうで、なるほど、世界遺産になるわけです。
カロリング朝で思い出すのは、やはりスイスのロカルノのフレスコ画とか…。他は何がありましたかね?いずれにしても、色彩が落ち着いていて、全体にとても、なんというか、静的、躍動と反対のイメージっていうのかそういう感じなんです。
落ち着いた色彩はかなり自分の好みなのですが、このあくまで静的な感じというのが、その手によって、好みが変わります。ロカルノ、ムラルトの絵は、割と好きだったのですが、このミュスタイアの絵は、実は改めてよく見ても、あまり好きな手ではなかったです。
でも色彩は、古びた感じが、とても好きなんです。描かれた当時は、どういう状態だったんでしょうか。それなりにどの色も鮮やかだったりしたのでしょうか。
ここでは、残っている絵では、オレンジ色がメインで、寒色系がないんですね。時代として、青系は後に来るのだったかもしれません。
なんだか、こうして絵を見ていても、次々と調べたいことが出てきて困ります。といって、何でもかんでも調べられる時間があるわけでもないんですよねぇ。情熱も限りがありますし…。
それにしても、もう少しまともな写真を撮れればよかったのに。
というわけで、最近、久しぶりに、デジカメを購入しました。イタリアでは最新のコンパクト・デジカメで、光学ズーム20倍です。お気に入りのキャノン。
一回に使う時間が長いので、好みは電池式で、直近まで電池式を残していたキャノンを使っていましたが、さすがにもう電池式も絶滅の運命にあるので、お試しも含めて。これまで光学6倍だったのですから、20倍ってすごい感じですが、結局、撮影の状態によるし、
自分の腕にもよるし、さて、どうでしょうね。
クリスマス休暇に、本格的に試してみるつもりですので、お楽しみに!
2012/11/25(日) 06:17:26 |
チロル・ロマネスク
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Tubreまで来たら、スイスとの国境はすぐそこ。そもそも、このトゥーブレのある谷は、修道院谷という名前で、名前の起源にはミュスタイアも関係しているはず。国境は後付でできたもので、国境を越えてつながっている一連の谷なのです。 面白いのは、南チロルはロンゴバルド圏だったのに、このミュスタイアは、ぎりぎりカロリング朝の領土であった場所なので、文化的起源はカロリングとなり、南チロルとは異なるようです。領域的に文化圏が混ざる境界の土地なんですね。そういう古い歴史があって、きっと国境も引かれたということなのかな~。 このあたりは、ちゃんと調べると面白そうなので、サイトにまとめるときにがんばって勉強したいと思います(例によって、遠い未来の話になりそうですけれど)。中世初期のカロリングやロンゴバルドはいつでも大変興味のある時代なんですが、資料が少ないので、なかなか難しいんですよね。
では、ミュスタイアMustairの、サン・ジョバンニ修道院Convento di San Giovanni。
スイスはEUではないので、しっかりと国境でのパスポート・コントロールがあります。といっても、イタリア側の係員は、赤いパスポートをちらりと見ただけで、「さっさと行け」と言わんばかりに手をひらひらさせて、なんだか緊張感ゼロの国境。
スイス側は、こんな穏やかな風景が広がっています。トゥーブレからほんの15分くらいで、ミュスタイア到着。まさかこれほど近いとは思っていませんでした。
修道院と道路を隔てた場所に、巨大な駐車場完備。さすが世界遺産。
道路側に入り口があり、小さな礼拝堂、墓地、そして修道院の建物となっています。よい全景写真が撮れず、残念。
もともとは広大な敷地を有する修道院だったようで、今でも現役です。実際に暮らしている修道女たちがいらっしゃるので、彼女たちの邪魔をしないように、見学も一部だけ限定的な公開をしています。
起源は1200年ごろですが、それ以来、オリジナルの建物が壊されることはなかったものの、延々と修復や建て増しやいろいろな手が入って、時代が混じり、複雑な建物になっているようです。
入場します。 世界遺産だけあって、かなりの観光地化で、立派なブックショップあり。入場料はスイス・フランで、10/12フラン。 チケット売り場のおばさんは最悪で、英語やイタリア語がしゃべれるくせに、なぜかわれわれを胡散臭そうに取り扱い、なぜ10とか12とか言ってるのかもよく説明してくれず、かなりむかついてしまいました。日本人に、嫌な思い出でもあったんですかね~。 後からもっとむかついたのは、修道院の一部が、博物館のようになっていて、そこはフリーでも一部見学できますが、基本的にはガイド・ツアーでないと、多分全部は回れないというシステムになっているんです。それをちゃんと説明してくれなかった上に、そのガイド・ツアーつきのチケット(12フラン)を買わされていたんです。 幸い、運よく、博物館を出るときに、ちょうどイタリア語のツアーが始まったので、たまたま参加できたのです。 その前に、勝手に自分たちで見ていたのですが、やはりガイド・ツアーだと、多くのことがわかって面白さが増しますので、本当によかったです。 英語とドイツ語が主だと思いますが、人の多い時期は結構頻繁にやっているはずなので、訪ねる方、気をつけてチャンスを逃さないようにしてくださいね。 ちょっと外国に出ると、コミュニケーション能力の低さに毎度愕然。イタリア人って、この点に関しては、かなり優れているのです、きっと。
さて、まずは教会です。 ここのカロリング時代を含むフレスコ画は大変有名なので、かなり期待していたもの。
しかし、教会内部の壁、ほとんどすべてがフレスコ画で覆われていて、全体に背が高くて絵も遠く、よく見えない上に、どこから見たらいいのかわからず、意味もなくあわあわしてしまいました。
まず目に留まったのは、普段見慣れている、ロマネスク時代のものらしいフレスコ画。
おお、サロメ。
石を打たれているのは、ステファノだったでしょうか。
かなりわかりやすいし、色彩も美しく、保存状態も良好で、さすがに世界遺産、と感心しました。このあたりは、中央後陣のフレスコです。
なんだか、人物がみなほっそりと縦長で、足先がとんがっていて、独特のスタイルを感じる絵なんです。他ではこういうの、ないなっていう。
足がほっそり。素敵~。そしてとにかく色がとても渋くてマットで、いい感じ。もうちょっと近くでじっくり見られるとよいのですが、後陣、ちょっと遠いのが残念。
続きます。
2012/11/24(土) 02:57:05 |
チロル・ロマネスク
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トゥーブレTubre (Taufers im Munsterial)のサン・ジョバンニ教会(San Giovanni)、続きです。
危うくうっかりと忘れて帰ってしまうところでしたが、この教会、二階があります。
ファサードから向かって左側の側面に、このような階段があります。
ファサード寄りの外壁にでっかく、旅人の守護聖人サン・クリストフォロが描かれています。このモチーフでは、チロルで最も古いものだそうで、1220/30年ごろに描かれたもの。
階段を上り、小さな扉から中に入ると、ほとんどの壁が漆喰で真っ白に塗られているせいかやけに明るく、がらんとしたスペースですが、ほんの一部、フレスコ画が残されているのです。
1階の、教会入り口部分のアトリウムの真上にある場所に、1200年ごろのフレスコ画が見られます。上の部分はもうほとんど残っていないのですが、一連のストーリーものが描かれていたと考えられています。
一方、下の部分が、一部ですが比較的よく残っています。というより、執念で修復した結果という感じもします。 額縁模様に縁取られて、それぞれの中に、独特のモチーフが見られます。 ダチョウにも見える鳥の姿。
その他幾何学模様や、二股の尾を持つ鷲とか。
最も右側には、働く職人さんの姿が二人、描かれています。
モルタルを作っている左官屋さん。モルタルって、石灰を燃やして作るんでしょうか?その火を消しているところらしいです。ずいぶんとマニアックなモチーフのような…。
頭がちょびっとと、筆を持った手だけが残っているのが、妙に面白い効果を生んでいました。筆の持ち方が変なのも、気になります。
使徒や聖書のエピソードよりも、こういう絵が残っていたら、個人的にはもっと楽しいんですけれど。職人さん、柱頭の彫り物では結構ありますけれど、そういえば、フレスコ画ではあまり見たことがないかも?どうでしょう?
これは、どこにある絵だったのか。多分聖人の一生が描かれていた部分のひとつと思われます。
頭を落とされた聖人って一杯いますよね。怖いですけれど、首を受けている人が妙に穏やかな顔で不思議。どういう場面なんだろう…。
というわけで、トゥーブレ、おしまい。南チロルの典型的なフレスコ画をたくさん見られるという意味で、お勧めですね。
2012/11/23(金) 06:27:59 |
チロル・ロマネスク
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ヴェノスタ谷Valle Venostaを奥の方に進み、途中の分かれ道からスイス方面に向かう修道院谷Val Monasteroへと乗り換えて、周辺のロマネスクを訪ねます。 この道は、スイスのミュスタイアを通ってずっと西側に伸びている道なので、中世の巡礼も歩いた道でしょう。スイスから直接南下するより、この谷に沿って進めば、距離はありますが、徒歩であれば相当楽な道だろうと思われます。 実際、車でも同じことで、ひどい山道だったらどうしようかとどきどきしながら走りましたが、意外と平坦で、気付かないうちに結構登っていた、というような道で、大変助かりました。 最初の教会は、標高が1240メートルもあるトゥーブレTubre (Taufers im Munsterial)のサン・ジョバンニ教会(San Giovanni)です。まさかそんな標高とは、びっくりです。
これは、後陣側に広がる草原からの一枚ですが、ファサードは、スイスへ続く幹線道路のすぐ脇なので、アクセスは簡単な場所です。
村の東側の入り口にありますが、トゥーブレの村には、これ以外にも多くの教会があります。このサン・ジョバンニが最も起源古いということですが、複数の教会の存在は、長年にわたり、巡礼の道だったということを証明するものです。
起源が古い分、長年の間に多くの修復や付け足しがなされ、オリジナルの建物の姿は見ることができません。
ファサード側から入ると、まずいきなり、がらんとしたアトリウム・スペースとなります。相当後代の付け足し部分。教会の南側には、民家が隣接して建てられたりもしています。
アトリウムを先に進むと、本来の本堂に入り、その正面の後陣部分に、ロマネスク時代のフレスコ画が見られます。
ただし、時代は結構下って、13世紀初期のものなので、既にゴシックの風味が入って、私の好みではありませんでした。入って、フレスコが目に入ったとき、よもやこれがロマネスクのフレスコ画、とは思えませんでした。
相当傷んでしまっているのは、湿気のためと説明がありました。
しかし、フランス国境に近いアオスタのノヴァレーザの、異常に美しく保存されているフレスコ画を思い出すと、同じような標高で、同じような気候なのに、と不思議な気がしました。なぜでしょう。
この地域で、このようにフレスコ画で飾られた教会は他にないそうです。多く使われている青色や、絵のスタイルから、ビザンチンのモザイク画の影響が感じられるということですが、どうでしょうか。確かに色彩的にはかなりはっきりしたもので、もしこれが、ノヴァレーザのように残っていたら、かなり派手な印象を与える絵であると思います。ノヴァレーザでは、緑が濃かった記憶がありますが。
続きます。
2012/11/21(水) 06:22:56 |
チロル・ロマネスク
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アッピアーノの山を歩きまわり、疲れた身体を引きずり、最後にりんご畑を抜けて、朝置いといた車まで到着。でも夏の一日は長いので、まだまだ続きます。 次に目指すは、テルマーノTermano sulla Strada del Vino。正式名称は、ワイン街道にあるテルマーノ。
このテルマーノの町外れにあるのが、サン・ジャコモ・ア・カステラッツ教会San Giacomo a Kastelaz(ドイツ語だとサン・ヤコブ)です。町外れに車を置いて、ちょっと歩いて、やはり町外れにある丘の上の教会を目指しました。
教会の周囲は、ここもまたびっしりと見事な、りんごと葡萄の畑で、緑が眼に鮮やかです。 外観は、あまりロマネスク色がなくて、どちらかといえばゴシック以降なんですが、中に古いフレスコ画が残っているはず。わくわくしながら扉をくぐりました。
後陣部分が、1215年のロマネスク時代のフレスコ画。
この教会で最も有名なのは、この後陣の下部、よく幕の絵が描かれている場所に描かれた、怪物状の様々なフィギュアです。
かろうじてケンタウロスという名称は出てきますが、上半身が人間で下半身が獣という組み合わせのフィギュアがたくさん。結構気持ちの悪い絵です。悪魔の力をシンボル化したフィギュアということなんです。それが、上部の使徒やキリストと対峙して、危うい善悪の均衡を表しているそうです。
上半身が女で下半身がお魚なら人魚ですが、上半身男の下半分魚は、半漁人って言うか、怪しすぎ!
手に持っている杖も、蛇の頭が付いていて、くわっと口をあけていたり、人間部分も獣部分も、筋肉がしっかりと筋筋に描かれているのが気持ち悪いし。
二股人魚も、やっぱり男性の上半身で、これは色気も何もなくて…。
後陣の半円部分には、アーモンドの中の祝福するキリストと、その周りには福音書家のシンボルが見られます。かなりはげていて、薄ぼんやりとしていますが、全体に雰囲気があるやさしいタッチの絵です。
一方で、その下の部分には使徒がずらりと並んでいますが、こちらは、ビザンチン風のはっきりした目鼻立ちで、背景モチーフもきらきらと派手でそれっぽいんです。キリストの絵とは手が違うように思われます。時代も違うかもしれないですね。
ほらね。手の感じも、ほっそりとした指といいポーズといい、やっぱり時代が下りますね。
後陣以外の場所もフレスコ画で一杯ですが、ゴシック~ルネサンス期のもので、軽く流しました。 教会の入れ物そのものはとっても素朴で、小さいままながら、この地域の人たちは、中を飾り付けることに心血を注いだのですね。まぁ建物に手を加えるよりは安く、訴える力をより持つ効果的な方法かもしれません。
ただ全体に、あまり好きになれない絵ばかりで、ちょっと消化不良の一日の終わり。 というわけで、このあたり、地名にも「ワイン街道Strada del Vino」と名前が付くように、ワイン産地なので、醸造所にちょっと立ち寄ることにしました。
町外れにあった妙に派手な外観の醸造販売所。Traminという会社でした。ラベルとか箱とかが洗練されていてお洒落でした。
立派な内装で、試飲用のカウンターも美しいです。チロルのワインはまったくわからないのですが、適当なお値段の赤を二種試し、デイリー用(5ユーロくらいだったかな)と、ちょっとだけ高いの(7ユーロくらい)を、合わせて4/5本買いました。そこでいただいたときはおいしいと思ったのですが、ミラノで開けたときは、いまひとつ。まぁ、この日も、翌日も、高温の車のトランクに積んでいたので、すぐにだめになった可能性も高いです。
それにしても、お土産があると、家に帰ってからもしばらくいろいろ反芻して楽しめるので、やはり食料品土産はいいですよねぇ。
2012/11/20(火) 06:11:25 |
チロル・ロマネスク
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ボエモント城は、たどり着くのは大変だったけれども、おいしい素朴ランチにありつくことができて、とりあえずの満足感は得られました。しかし、ここから、出発点の村に下りるまでには、もうひとつお城があるはず。
コルブ城。おそらく、下の写真の右下に見えるのがそうではないかと。
この素晴らしいパノラマは、ボエモント城唯一の中世の名残の塔の上からのもの。素晴らしい景色ですよね。往時は、きっと、物見の役に立てるための塔だったのでしょうけれども。
こういう城塞の塔。それを思うときに必ず思い浮かべてしまうのが、指輪物語の映画のシーンです。伝達のため、それぞれの塔の天辺で火を炊いて、はるか遠い土地に異変を知らせる伝達のための塔。
このように開けた景色を目にすると、塔にはそういう役目もあったのだなぁ、ということがとてもよくわかるし、何度でも、映画のあのシーンを見たくなります。
映画はファンタジーだから、どの時代の物語でもないのだけれども、とても中世なんですよね。あ、見たくなってきた。といいながら、実はいまだにDVDを買っていないわたし。
それはともかくとして、やはり相当厳しい坂道を上り下りしつつ、汗だくでたどり着いたコルブ城は…。
なんか、高級ホテルになっていました。
お城そのものも、ここは結構新しくて13世紀初頭のもの。その当時からずっと、個人の所有する不動産となっていて、そういう意味ではホテルになるしか保存する方法がなかったような場所なんでしょうね。
結構な高級ホテルのようでした。アクセスも車で十分できるようだし、風景の素晴らしいところですから、ラブラブ・カップルなんかにはお勧めかもしれません。イタリアといってもチロルだから、ちょっとお値段は張りそうですけれどね。
中には入りませんでしたが、入り口にもなっている、この巨大な四角い塔は、中世の雰囲気がかなり残されていて、ただ、それ以外がかなり近代的になってしまっているので、見た感じがちぐはぐでさびしい気持ちになりました。半端な近代化、というのは、最も情けない風景を生み出します。
いずれにしても、実に美しい景色を堪能できる土地でした。相当厳しい坂道の連続なので、体力と相談する必要がありますが、もしそれが許すならば、是非Missianoの町から、アッピアーノ城~ボエモント城~そしてこのコルブ城というルートを歩かれること、お勧めします。辛いながらも楽しい一日になることは必至。
アルト・アディジェ特産のりんごの風景にも、あちこちで接することができますしね。
2012/11/19(月) 07:03:19 |
チロル・ロマネスク
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アッピアーノ城を後にして、ハイキング・コースを行きます。この地域、中世のお城がいくつかあるようなので、それを求めて歩きます。 それにしても、驚くほどの山道。 あまりに急坂なもので、こんな階段まで。
この階段に至るまでも、本当にびっくりするくらいの山道。それでも、行きかう人は結構いて、さすがに観光地、と感心しつつ、最初の村でであった奥さんの、「絶対に右から行くのよ」、というアドバイスに、本当に心底感謝したのは、ここです。あそこで左に行っていたら、多分アッピアーノ城へ向かうのぼりで、この道に出会っていた確立が高いわけで。
すれ違うときは、みな微笑んで、ボンジョルノ~、なんて挨拶しますけれど、実際は本当にかなり過酷な急坂なので、みな心の中では、ボンジョルノどころじゃないんだよ!と毒づいている感じ。
途中、先ほどまでいた、アッピアーノ城の全体像が見える場所がありました。
ああ、遠くから見ても、やはり廃墟。でも、雰囲気はありますねぇ。
それにしても、これからわれわれはどこに行こうというのか、というような山中で、アッピアーノ城のことは既に忘却の彼方、どこに行くのか?!
どこって、ここです。ボイモント城Castello Boymont。
ここもまた、中世時代の、お城。ロマネスクの時代、アッピアーノ伯の要人であったボイモントさんのお城です。お城といっても、ここもまた、外壁が一部残っているだけで、当時の面影を想像するのは、大変難しい状態でしか、残っていません。
でもまぁ、当時の外壁に囲まれたお城内部は、今では露天のレストランとなっています。そこで、ちょうどランチの時間となりましたので、ランチをいただくこととしました。
とっても、中世風のレストラン。 お水も、テラコッタの入れ物で、供されます。これって、蒸発熱とかでいつまでも冷たい状態が保たれるとかそういう効果があるやつですかねぇ。井戸水みたいのもあるし、なんだかとっても素朴で、エコな感じって言うか。
ご飯は、リブ肉のバーベキュー。これ、食べるところは少ないけれど、これ二枚で一人分。パンがおいしくて、一人分のお肉で、じゅうぶん二人分でした。雰囲気もあって、素朴ながら、幸せなランチ。
ランチの後、当時の面影を残す塔に登ったりして、当時をしのびました。
たいしたものがなくても、観光地にしてしまうチロル。このあたりの感覚は、やはりイタリアというよりはドイツ文化圏。さすがです。
2012/11/18(日) 07:00:52 |
チロル・ロマネスク
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