fc2ブログ

イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ヴァレ、待ってたよ。

モトGPですが、ドゥカーティ時代の2年、だめなロッシを見たくなくて、レースも見たり見なかったり、のブランクは大きくて、そしてまた、出戻りしたというのも、ちょっとなじめない気持ちもあって、以前ほど集中できないでおります。実際、見忘れても、余り後悔することもなく。

アッセンは、金曜がトライアルで土曜が本番、ということで、危うく忘れそうになるスケジュールでしたが、今日は午後からは家にいたし、ランチも終えてのんびり、という時間帯だったので、とりあえず習慣的にテレビ観戦しました。
でも、スタートの順番も、ロレンツォのトライアル中転倒による大怪我、手術、それでも走るというドラマも知らないままでした。

われらがヴァレ、なかなかよい飛び出しで、でも先頭を行くダニ、マルケスのホンダ勢に対してどうなんだろう、とこれまでの調子で期待もなく見ていたのですが、徐々に目が離せなくなってきました。この展開はびっくり。
磐石でしたねぇ。丁寧に走り、なかなか引き離せなかったマルケスを最後には振り切って、ほぼ3年ぶりの優勝…。ガッツ・ポーズに、心底の喜びが表れていたように思いました。おめでとう。

ロッシの優勝は、かつては日常茶飯事だったし、また、F1に比べればイタリアに置いても圧倒的にマイナー・スポーツであるモトGPの勝敗が、ゴールデン・タイムのニュースで取り上げられることはまずなかったのですが、今夜は、1チャンネルでも2チャンネルでも、「3年ぶりに優勝!待ってたぞ!」と。やはりロッシは国民的なスターなんだなぁ、と改めて感心しました。

ロッシ・ファンとしては、もちろん嬉しいんですが、でも、本日の主役は、やはりロレンツォでしょう。木曜日に転倒して、すぐ手術したにしろ、手術ですからねぇ。それで土曜日にこのような過酷なレースに参加して、5位につけるなんざ、ちょっと普通の精神・肉体ではできない業です。一体全体どうなっているんでしょう、この人の身体は。
レース後、パドックに戻ってきたときの彼、もう一歩も動けないという状態でした。それで走るなよ。あまつさえ何人抜きしたんでしょうね?ロッシのお株を奪うどころではない奮闘振りで、ただ呆然としました。メンタルのタフさが半端じゃないですね。
ロッシがレース後のインタビューで、これまで勝てなかった時期に置いて、バイクの技術的なレベルの問題と、メンタルの問題との比率はどのくらいかと尋ねられて、やはりなんといってもバイクの問題が大きいと言っていました。そりゃ当然ですよね。でも、メンタル部分も侮れない。結局生き残るのは、タフな人たちですから。ロレンツォは文句なし、王者のメンタルですね。
一方で、いつもどおり愛らしかったのがマルク。彼はロッシ・ファンだったんですね。だからロッシと戦えるのが嬉しくてしょうがないという小学生のようなはしゃぎぶりで、とにかくいつもかわいいんですが、子供のような(というかほとんど子供ですが)顔して、彼もまた小指の骨折をものともせず果敢な走りでロッシを攻めて、感心です。でも、レース後のインタビューでは、「いやもう、ロッシはすごくて~」とユーフォリア状態なのが、やっぱり愛らしくて、これはまた、ダニともロレンツォとも違うスペイン・レーサーの一人です。

ヴァレの帰還。
本物なのかブラフなのか。
これからが正念場です。

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。
[[img(https://art.blogmura.com/img/art88_31.gif)]]
[https://art.blogmura.com/ にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)]
ブログ村美術ブログ
[[img(https://overseas.blogmura.com/img/overseas88_31.gif)]]
[https://overseas.blogmura.com/ にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)]

スポンサーサイト



  1. 2013/06/30(日) 07:25:35|
  2. モトGP
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

まさかのレプリカ、Pieve di Trebbio

モデナ南部2 
次に訪ねたのは、ピエーヴェ・ディ・トレッビオにあるサン・ジョバンニ・バッティスタ(洗礼者ヨハネ)教会Pieve di San Giovanni Battista。
ちょうど、この日と翌日が地域のお祭りで、地元の人々が準備に余念なく、教会の周囲は食が基本のお祭りのためのテーブル・セッティングで大わらわ。




普段なら、きっと人っ子一人いないだろう、と思われる、村の郊外の緑の丘の上に建つ教会。今日ばかりは村中の人が集まるだろう雰囲気です。われわれが訪ねたのは準備時間だったので、さほどの人の数ではなかったものの、たまねぎをいためるにおいがそこら中に充満しており、およそ普段訪ねるロマネスク教会の雰囲気ではなく、ある意味、生きている土地のにおいに満ちておりました。

この教会、事前の大慌て情報収集では、「このあたりでは最も美しい教会」ということだったので期待もしていたし、一見、いかにもロマネスクだし、中に入れば中世初期、ロンゴバルド様式の浮き彫り満載だし、これは想像以上にすごい、と思ったんですよ、実際。
でも、なんとなく違和感がありました。

大体、ファサードの中央部に鎮座した、古い石棺状のもの。




それも浮き彫り装飾は永遠のシンボル孔雀で、ロンゴバルド大好き世界。でも、こんなところにくっつけるはずないし、浮き彫りも臭い。うう~ん。

本堂。




たまねぎのにおいが異様ではありますが、お祭りなので仕方ない。雰囲気のある本堂です。
内陣が壁で囲まれている古いスタイル。起源が相当古いのかもしれないと思わせます。
そして、説教壇があり、




内陣にはチボリオがあり。




内陣と信者席を分ける壁部分も、どこにも浮き彫りが施されていて、うわ~、と思いました。




でも、どうやら、これらのほとんどが、1900年代初頭に行われた修復で作られた、当時のレプリカらしいんです。
もともと、何か遺構のある部分を付け足すようなレプリカは大いに結構ですが、何もないところにゼロから作るって言うのは、どうよ、と思いますよねぇ。まぁ一部にオリジナルの発掘作品がまぎれているらしいのですが。

まだ、きちんと資料を当たっていないので、本当にどこまでが本物でどこからが作り物かよくわからないのですが、興奮して撮影した暗闇の内陣壁は、どうやら写真を見ても、ほとんど全部レプリカみたいです。そういうのってどうでしょうねぇ。裏までもぐりこんで撮影したチボリオも。しゅんとします。
こういう大規模な修復に対して、修復当時、反対もあったらしいんですけどね。
ただ、全体としては、雰囲気を壊していないレプリカであるのは確か。そして、おそらく、往時こうであったであろう姿の再現を試みたという意味では、おそらく間違っていないだろうとも思います。

本物の遺構は、わずかで、たとえばいくつかの柱頭。




そして、かつては教会内に置かれていたらしいものの、今は教会前の別の建物に収められた洗礼の井戸。




この井戸を収める小さな建物も、こんなのってないよね、と思ったら、やはり後代の、それも最近の建物で、ファサードを全面改装する際、そのオリジナルのマテリアルを再利用した建てられたとか。この手前の建物がそれです。




側面扉のアーキボルト装飾も、昔のものらしい。




ちょっと動物風フィギュアの入った植物および幾何学モチーフ。これだけあるということは、オリジナルは、あちこちにいろいろこういう装飾があったのでしょう。そういうことに根ざして、修復でレプリカが作られたのでしょうけれど。
すべてレプリカだったといわれてしまうと、ちょっとがっかり度がましますので、きちんと調べるまでは半分わからない振りでいようかと思います。確かに美しいのになぁ、ロケーションもすごくいいし。でも、ちょっと気が抜けてしまいます。




いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/29(土) 06:21:48|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

田舎の礼拝堂、葡萄の緑と空の青と。

モデナ南部1 

朝っぱらから赤ワインを1本あけて景気をつけて、いよいよロマネスク訪問です。
まずは、ちょっと立ち寄った町から。
カステルヌオヴォ・ランゴーネCastelnuovo Rangone




いたって普通の町だったのですが、何とはなしに感じがよくて、活気があって、よい雰囲気でした。特に町の中心の広場に置かれた、このブロンズのぶーちゃんが、なんとも愛嬌です。妙にすっきりほっそりしたあんよでお洒落に歩いている様子がねぇ。

後ろにあるのは、今は町役場になっていますが、中世にはお城だったらしい建物で、様式的にも13世紀くらいを起源とするものでしょう。このぶーちゃんのいる辺りの床面に、10世紀にはここを川が流れていた、というようなことがラテン語で記されたプレートがはめ込まれていました。
お城の周りは、自然の川を利用した濠になっていたのだろうと想像されます。どういう町だったのかまったく知らないのですが、中世当時、このあたりはお城がひしめいていました。つまり、小さな領主がたくさんいる群雄割拠の土地だったんですよね。歴史をしのばせるたたずまいに、しばしトリップ気分でした。見た目がすごく中世だらけ、というわけではなくても、確実に何かが残ってしまう、石の文化ですよねぇ。
あ、なぜぶーちゃんかといえば、やはり生ハムだからじゃないでしょうか、このあたりの産物の代表として。

さて、まずは、この近所の村にある礼拝堂を目指します。
レヴィッツァーノ・ランゴーネLevizzano Rangone。
ずいぶんと小さな町ですが、やはりお城があり、観光的にはそちらが有名らしいようです。
そして町の真ん中には、大きくて新しい立派な教会が建っていて、ちょうど結婚式の準備らしく、花やレースの飾り付けがされているところでした。わたしが探しているのは、どうやら小さな礼拝堂なので、間違いなく町の外にあるはず。
ちょっと停まって、掃除をしていたおじいさんに尋ねました。

こういう時って、さくっと「知らない」と言われるか、またはすごく詳しく教えてくれるかのどっちで、このおじいさんは幸いにも後者でした。それも、すっごく詳しくてびっくりしました。
「ここを500メートルくらい行ったら、左に曲がる道があるので、左、そしてすぐに右、そこを1キロくらい行くと左に入る道があるので左で、1キロくらい行くと左側に見えるよ、小さな古い教会で、ロマネスクのものだよ。」と言った具合。
わたしは、道を聞いたときって、すぐに頭に中で日本語変換しないとわからなくなってしまうのです。生来の方向音痴のせいで、空間把握が苦手だからじゃないかと思うのですけれど。このときも、おじいさんが余りに詳しすぎたので、言葉を反復しながら脳内翻訳していたところ、わかってないと思われたらしく、紙と書くもの!と言われ、差し出したのでした。ちゃんと地図を書いてくれるかと思いきや、おじいさん絵心とか一切ないみたいで、ひょろひょろと線を書いて、改めて説明してくれましたが、自分でも、地図が書けないことにすぐに気付いたようで、結局また口頭で説明を繰り返していました。
いい人だったなぁ。まぁ、地元で大切にしている古いものを訪ねてくれたのが嬉しかったとか、若干はそういうことも会ったのかもしれません。

大切にしているんだろうと思ったのは、おじいさんの説明にしたがって走り出したところ、道を曲がるたびに、教会の道しるべが建っていたんです。それほどの建造物のはずもないのに。
そして無事到着。
サン・ミケーレ・アルカンジェロ礼拝堂Oratorio di San Michele Arcangelo(大天使ミカエルの礼拝堂)。




お隣には住宅もあり、おそらく建てられた当時のような孤高のロケーションではありませんが、周囲は緑に囲まれて、高台なので眺めもよく、美しいたたずまいです。
目的は、ファサードと、側面扉の装飾。

ファサード。




とても地味ながら、おなじみの盲アーチがかわいらしく、ずいぶんと修復を施されているのによく残ったものだ、という遺構です。クローズしていたのは残念でした。ここまできれいにされているから、中は漆喰の真っ白で何もないだろう、と勝手に思ってしまったのですが、後から資料を見たら、13世紀のフレスコ画があるとあったので、ちょっと残念でした。もしかして、お隣のお家に尋ねれば鍵を持っていたかも。

不思議だったのは、でこぼこになっている下の方。




こういう田舎の小さい礼拝堂だと、この下部がちょっと出っ張って、ベンチのようになっていたりすることがよくあります。ここもそんな雰囲気なのですが、削られたようなそういう感じにでこぼこになっていて。傷んで摩滅するには大きすぎる塊なので、マテリアルとして再利用するために、剥ぎ取られてしまったのかもしれません。
上部や側面のレンガ部分は、後代に使われた素材で、元は、このファサードの凝灰岩風の石ではなかったかと思います。

そしてもうひとつ。




脇扉のアーキボルト装飾。植物浮き彫りが、一部ながらきれいに残っています。ファサード扉周りにも、同じような浮き彫りがあるのですが、そちらは傷みが激しくて、修復も施しようがなかった感じ。

わざわざ訪ねるには、がっかりの内容かもしれませんが、ここだけを訪ねたわけでもないし、全体のたたずまいがとてもよかったので、意外に満足しました。
なんせ眺めがいいんです。




ランブルスコになる葡萄がびっしり。季節的にも緑が美しいです。
ちょっと大きめに。




既に収穫された麦の名残と、葡萄の緑と、空の青と。
礼拝堂のファサード側に広がる眺めです。建設当時とも、さして変わらないのではないかと思われるのですが、どうでしょうね。

いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/27(木) 05:40:49|
  2. エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

モデナ南部0 夏の赤(ワイン)!

先週末、久しぶりにボローニャの友人宅に寄せてもらいました。
最後に彼らと会ったのは、昨秋のピエモンテ食い倒れツアーで、その際、わたしは列車で合流したので、現地で購入した何本かのワインをキープしてもらっていました。それを引き取る目的もあり、今回は車で訪ねました。

尽きないおしゃべりが第一の目的ですが、それと同時に、グルメのご夫婦ですから、おいしいご飯、そして、ご飯のついでになるような地域に点在する、田舎の無名ロマネスクを訪ねる一日、というのを勝手に考えて。

というわけで、またまた寄り道になっちゃいますが、モデナ南部の週末、割り込みです。

ミラノからボローニャは、何もなければ2時間ちょっとの道のり。実際、帰ってくるときはナビの表示どおり、2時間15分で自宅に帰り着きましたが、行きは大変でした。夕方16時過ぎに出たのですが、金曜日午後ということもあり、まずミラノの街を抜け出すのに渋滞にはまり、高速に入ってからもしばらく渋滞。やっと流れ出したと思ったら思いっきり事故渋滞。相当ひどい人身事故だったようで、消防車、救急車、パトカーがすっ飛んで行き、わたしの車が事故現場を通過するちょうどそのときに、ヘリコプターまで飛んできて、たまげました。
どういう事故かはわかりませんでしたが、地面に横たわって救急処置を受けている人の姿が垣間見えて、ぞっとしました。事故は怖い!気をつけないと。
そんなわけで、友人宅に到着したのは19時半過ぎ。1時間以上余計にかかったことになります。
19時半でもまだ日差しはカンカン照りで暑いボローニャ。荷物は車に放置したまま、ボローニャ郊外の山上にあるレストランに向かいました。ボローニャって山に囲まれているんですよね。それも結構高くて、登るにつれて少しずつ気温が下がっていくのがわかります。半時間強で到着。車を降りたら、空気がスーッと冷たくてびっくりです。




L'Aquila Nera – Via Lavino 552/1 Monte Pastore (BO)
前菜とプリモ(パスタ)という簡単メニュー。上の写真は前菜ですが、エミリアではおなじみのニョッキ・フリッティの小さいサイズ、ナマっぽいサラミ、野菜スティック(Pinzimonio)そしてポテト・フライのように見えるのが、ポレンタ・フリッタ。
ポレンタは、とうもろこしの粉をどろどろにしたもので、見た感じマッシュポテト状態だったり、もう少し固く作ってきっちりかまぼこ状に切ったりして、お肉のつけ合わせにするものですが、これはそれを拍子木状にしてからりと揚げたもの。
とんがりコーンというスナックがありますが、ほとんどあの味で、食感がさくさく、ビールのおつまみに最適、という一品でした。とうもろこしは大好きなのに、ポレンタそのものは余り好きではないのですが、でもこれはとってもおいしい。残り物のポレンタを始末する家庭料理の見本みたいな一品ですが、自宅でもやってみたくなりました。

わたしのプリモは、フンギ・ポルチーニのタリアテッレ。




肉厚のポルチーニがどっさり入っていて、おいしいパスタでした。前菜に揚げ物をたくさん取ってしまったのもあり、この日はこれで十分。ワインはもちろん赤。そして食後は梨のグラッパ。このレストランではペーストやジャムなどの保存食品、そしてグラッパなどを作っていて、食後にグラッパをご馳走してくれます。梨のグラッパは、シャーベット状に梨の果肉が入っていて、甘くて、アルコール度を感じずにおいしく飲めてしまうグラッパです。

翌日は、ロマネスクめぐりだけど、どこか地域のカンティーナ(ワイン農家)に寄れたらいいね、という話をしていました。
ただ土曜日で、お休みも多いので、せめて開いている可能性の高い午前中に寄ろうと、いくつかピックアップしておいてくれました。最初のカンティーナはたどり着けず、それなら近くのロマネスクを目指そうとした矢先、道端にアグリツーリズムの看板があり、何気に立ち寄ってみることにしました。




建物へのアプローチには、小ぶりのチプレッセンがずっと並んで植えられていて、まるでトスカーナのお洒落なシャトーといった趣です。こういうところは逆に商売っ気が強いかも?と思いつつ、せっかくなので訪ねてみることに。

ワインと、この季節はさくらんぼが売りのアグリツーリズムで、丘の上のロケーションも素晴らしいし、建物も美しく、なんといっても、対応が素晴らしく感じよくて、感動モノのお店でした。

Ca' Berti- Fratelli Vavdelli
Via Spagna 60 Levizzano R, Castelvetro di Modena

ワインとスプマンテ、さくらんぼのジャムなどが売られています。味見ができないか頼んだら、早速テーブルを作ってくれました。




この地域のワインは、ランブルスコ。甘口、中辛、辛口の三種ある中で、辛口をお願い。ランブルスコは冷やして飲むので、暑い夏でも赤が飲みたいわたしにはうってつけ。そう、夏の赤はランブルスコに限る!
というわけで、まだ11時なのに、三人でするすると一本あけてしまいました。さくらんぼのジャムも味見させてくれたのですが(手前の鉢)、ほとんどお砂糖を使っていない自然の甘みでおいしくてびっくり。あんなにお砂糖を入れないでも保存できるってすごいなぁ。

最初はお嬢さんが対応してくれていたのですが、そのうちお母さんがやってきて、ちょっとおしゃべり。ここはレストランもやっているのですが、料理をご両親がやっているんです。レストランは、もともと飼料小屋だったところを美しく改装した場所。




お母さん、おしゃべり好き、ということもあるんでしょうが、おそらくレストランが自慢で、興味あったら見てって、とレストラン内部を案内してくれました。とても素敵な内装で、長持ちのような木製の古い飼料入れを戸棚に使っていたり、自慢するだけあって洒落ています。




ちょっとしたスペースに置かれたこのインテリア、なんと教会には必ずある、告解するとき、信者さんと神父さんを隔てる壁部分。真ん中に小さな穴がたくさんある金属がはめ込まれたまんま。古道具屋さんででも見つけたのかどうか、こういう風に使っちゃうところが面白いです。
いつかご飯をいただいてみたいレストランでした。
そうそう、試飲した辛口ランブルスコはとってもおいしくて、ミラノではなかなか見つからない辛さ。3本いただいてきました。1本4ユーロですから、お得な気分です。

そういえば、一番最初に立ち寄った食べ物屋さんは、これでした。




パルメザン・チーズのお店。さすがエミリアです。店頭に牛。12ヶ月から24ヶ月とか36ヶ月の熟成ものまで各種パルメザン・チーズや、リコッタ、バター、ヨーグルトなど乳製品各種。パルメザン・チーズは、時々ちょっといただくのは好きですが、もりもりそれだけ食べるほど好きではないので、何も購入しませんでしたが、友人はお土産を買っていて、結局そのあと、クーラーボックスを探してうろうろしましたとさ。暑いのに朝一番で買っちゃったからね。

いくつかロマネスクを回った後、いざランチへ。おなじみのガイドブックで探したのが、不思議な名前のここ。




Ristorante Sayonara – Angelo e Sara
Via Fondovalle 3587, Marano s.P (Mo)

さよならって何だよ、さよならって。
イタリアってそういえば、以前は、会った人にいきなり「さよなら」って言う人が結構いました。「こんにちは」と勘違いしていたらしいです。どうも、このさよならという言葉の響きが好きみたいなんですけどね。それにしても。
帰り際に、理由を尋ねたら、今の経営者は名前を引き継いだだけで、理由はわからないけれど、何十年も昔につけられた名前なんだそうです。




ここでは、アスパラとベーコンのリゾットをいただきました。おいしかった~。結構な量でしたが、ペロリ。暑いし、主菜をいただくことはかなわず、デザートにマチェドニアをいただいて終わり。ワインももちろん、夏の赤、ランブルスコですよ。昼前に既に1本あけているので、ここでは比較的軽いだろう1リットルのハウス・ワインを頼みましたが、飲みきれず。でも、サービスで出てきたリモンチェッロは、ひえひえでおいしくて、つい何杯もお変わりしてしまいました。




ということで、エミリアご飯特集でした。今回は暑さに負けて、かなり少食、少アルコールとなりました。この日の夕食は、友人宅であっさりおそばでしたし。夏は、冷たいのがご馳走ですね。ひえひえのランブルスコは、まさにご馳走だな~。
では、引き続きロマネスクもお楽しみに。

いつものロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/25(火) 06:19:59|
  2. イタリアめし
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

アックアペンデンテ2 待望のクリプタ!

ラツィオ北部のロマネスク その16
Acquapendente サン・セポルクロ教会とそのクリプタChiesa e Cripta di San Sepolcro、続きです。




この教会、今ある入れ物は、すっかり新しい時代のものとなってしまって、わたしを始め、中世に興味のある人にとっては、見る影もない姿なんですが、7/8世紀の遺構がクリプタに残されています。そもそも、サン・セポルクロというのは、聖地エルサレムのサン・セポルクロを模した教会だからこその命名。同時代における複数のサン・セポルクロの中でも、このアクアペンデンテのものは、構造的な相似性から最も重要であるとされているものらしいです。
というようなお話は、例の親切極まりない観光局のお兄さんに聞いたのですけれど。ガイドブック的なものがないか尋ねた際、2年ほど前に、ここでサン・セポルクロのコンファレンスが開催され、その関連書籍が出版される予定だけれども、まだ出ていないということで、教会はもちろんとして観光局にも、何一つまともな資料がなかったのでした。これはまったく持って残念なことです。

そもそも、どうしてもここを訪ねたいと思ったのは、愛用しているツーリング・クラブの緑ガイドブックに掲載されていた小さな写真。小さいのにとても印象的なクリプタの姿に、どうしてもここだけは行かねば、と思ったのです。

で、散々じらされた挙句、いよいよアクセスです。
と思ったら、真っ暗…。




祭壇の左側に階段があり、扉は思いっきり開いておりますが、真っ暗です。扉が開けられているのだから、明かりの設備があるはず、としばらくきょろきょろとして、正面の柱の脇に小さい看板を見つけました。
「クリプタの明かり」と、ご丁寧にも、イタリア語、フランス語、ドイツ語、英語で書いてあって、左をさす矢印。でも、その看板の左側には何もないのです。鍵を開けた人は、祭具室の奥の方で、大声で携帯電話中。すみません、と声をかけても聞こえないようです。周辺を相当うろうろとした挙句、まさにその祭具室の入り口脇に、扉に隠れるようにして、有料の明かり設備がありましたとさ。確かに矢印の方向は間違ってないけど、矢印から5メートルとか離れているとこにあっても…。
親切なんだかそうじゃないのかわからない…。
いざいざ。










どうでしょうか。
わたしは息を飲みました。気持ちがわなわなして、あああ、来てよかった、しつこくがんばって待ってよかった、と涙が出そうになりました。写真で見た印象は間違ってなくて、それどころか、想像以上に素晴らしい柱の森。
広いです。24本の円柱が重なり合うようにして、立ち並んでいる姿は壮観です。
そしてどの柱も素晴らしい浮き彫りの施された柱頭を頂いています。










雄羊や、鷲や、植物モチーフ。どれも彫りがしっかりとしていて個性的です。全体に柱の背が低くて、柱頭も低い割には、かなりでかいので、迫力があります。聖書のエピソードなどはなく細かい内容はありませんので、技術的にはそれほどの石工の作品ではないのかもしれませんが、とにかく力強いです。

おなじみの二股人魚や牛の頭部など、稚拙といってもいいような作品。







多数の作品が、ヘタウマというより、ただヘタっていう感じでもあるんですが、でもかわいくって楽しい。
調子に乗って、写真たくさん載っけて見ました。感動がちょっとはわかってもらえるかな~。
あんまり嬉しかったんで、通常に比べるとずいぶんと長い間、しけこんでいました。たまに、他の人たちも入ってきたりしましたが、皆さん割とあっさりと出てしまうので、ほとんど独り占めで、だからますますうっとりして、立ち去るのがもったいなくて。

一度出て、本堂内をちょっとうろついたら、面白味のない建物の中にも、高い位置にある柱頭に昔の彫り物が残っているのを発見したり。でもおそらく、一時期バロックでぴかぴかにされちゃっていたんではないかな、と思います。
最後にもう一度、クリプタ入り口に戻ると、やはり明かりの位置がわからずうろうろしている人がいましたので、あそこだよ、と教えてあげて、その人の1ユーロを利用して、また見学。もしかして人のお金で明かりをつけさせるすごいずうずうしいやつ、と思われたかも!

クリプタ好きな方には、絶対にお勧め。
この旅では、当初でも述べたように数多くのクリプタに出会えましたが、やはりここがぴか一でしょう。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/21(金) 05:39:25|
  2. ラツィオ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

アックアペンデンテ1 嘘つき~!

ラツィオ北部のロマネスク その15

Acquapendente サン・セポルクロ教会とそのクリプタChiesa e Cripta di San Sepolcro。

前回まで事細かにレポートしてしまったボルセーナ。教会を見学し倒したあとは、ちょっとよさそうな町かも、と一瞬思ったものの、町を探索する時間なし、大慌てで車に戻ります。
というのも、次に予定しているアックアペンデンテは、今回どうしても行きたい場所のひとつで、正直このボルセーナをすっ飛ばしても行こうと思っていたのです。午前中のオープンは12時までという情報を得ていますが、ボルセーナの教会を出た時点で既に10時半を回っていますから、移動にかかる時間や、教会を探す時間を考えると、ほとんど余裕がありません。
幸いにも雨がやみうす曇り、時折晴れ間が見える空模様で、もしや山道では、と恐れていた道も、緩やかな登りが続く程度、その上、対抗二車線のがらがらの道の連続ですから、まったく怖いこともなく、快適なドライブです。

30分足らずのドライブで、そろそろかな、と思った途端、それらしい建物が目に飛び込んできました。




まさに町の入り口に、右側に目指す教会サン・セポルクロ、そして左には、やはり中世のユリア・デ・ヤコポの塔。かつては、まさにここが、城壁に囲まれた町の門のひとつ、サン・セポルクロ門のあった場所で、塔のある建物は、かつては壁に作り付けの物見の塔だったのでしょう。今は、その建物に、地域の観光局が入っています。城壁は、ほんのわずか、今でも残っているようです。
教会の前は、広々とした駐車場になっていますので、まさに好都合。早速駐車。しかし…!




これがファサード。ちょっとびっくりですよね。今はこういう風になっていることは事前情報で見ておりましたので、ここは驚かなかったんですが、それにしても、正面の扉は、どう見ても閉ざされているではありませんか。午前中は、9時から12時までは開いているはずで、このとき11時15分。なぜ?!

扉を押してみましたが、やはりぴったりと閉まっています。えええ~。嘘つきじゃん!どうするんだ!としばらく呆然としていたら、踏んだりけったりで、また雨がぱらついてきました。

仕方ないので、門の場所にある観光局を訪ねました。
教会が開いてないんですが、と尋ねると、「今日は、11時半に開くと聞いていますよ」ということなんです。ある意味、早朝に来なくてラッキーだったし、まさにちょうどよい時間に来たということで、一気に満足感一杯。
それなら、ちょっと待ちます、と戻りました。かといって、まだ15分もあるし、トイレ休憩でもしましょ、と町の方に5分も歩くとバールがありました。ここでいただいたエスプレッソは、びっくりするくらいに熱々で、驚くくらいおいしかったのが、妙に印象に残っています。
そういえば、ラツィオに入ってからは、カフェも安いんですよね。ミラノでは、時々0.90ユーロがあるけれど、今はほとんど1ユーロが普通。このあたりでは、0.80ユーロが普通。リラの時代にもそういうことがありましたけれど、この南北の物価の違い、毎度軽くむっとします。

さて、おいしいカフェで元気も出てきて、気持ちも明るく教会に戻りました。11時20分、11時半、誰も来ない。仕方ないので、一服。誰も来ない。11時45分、雨まで降ってきたので、改めて観光局に行ってみました。
「開かないんですけど~」
「え~、おかしいなぁ」といいながら、関係者にすぐ電話をしてくれたのですが、通じません。「いつもは9時に開かなければいけないんだけど、今日はイースターのイベントの関係で、いつものようには行かなかったらしいんだよ。ただ、今朝から十数人の人が見学に来て、僕も何度も電話したこともあって、最終的に11時半にはあけるという合意をしたんだけれどね。おかしいなぁ」
ということなので、それなら、もう少し待ってみます、と戻ることにしました。

とりあえず、外観をチェック。




ああ、これはだめですね。後陣のフォルムに、若干過去への尊重が感じられるものの、すべてすっかりと変容していて、わたしが見るものは何もないのでした。
それでも何かあるかも、としつこく。




無駄でした…。
で、またファサード側に戻ります。12時すぎます。本来のオープン時間が終わってしまったわけだから、これはもう無理なんじゃないのかな、と、一応お礼と、絵葉書でもあれば買っていこうと思い、もう一度観光局に戻ったところ、お兄さんがわたしを見るなり、「さっき電話があって、今から行くから、ということだったんで、開きますよ!もう少し我慢して待っていたら、人が来るから!」と嬉しそうに言うのです。なんだかもう狼少年って言うか、あんなに見たかったクリプタだけど、ぬか喜び、もういいし、みたいな気持ちにもなっていて、素直には喜べず、あああ、そうですかぁぁぁ、では、戻ってみます、ととぼとぼ戻りました。近いとはいえ、何度教会と観光局の道を往復したことか。なぜ私以外は誰もいないのか。すっごく疲労しました。

お天気がよければ、スケッチでもしていれば、1時間なんて結構簡単にたっちゃうんだけど、雨模様でそれもできず、確実に何時に開くかわかっていれば、旧市街を散策するなどもできたのですが、わたしの場合、とにかくここに入らないことには始まらない、という旅をしているので、余裕がないんですよね。

雨が激しくなった来たので、車に座って、駐車場に入ってくる車を観察していました。

そして、町に到着からほぼ1時間後の12時15分頃、駐車したまま人が降りてこないし、あの車も違ったのかな、と思ったら、やっと降りてきた人が扉に直進、鍵をあけるので、わたしも車を飛び降りて直進!やっと~!

それにしても、鍵を持ってきた中年女性、にこりとするでもなく、謝るでもなく、観光局のお兄さんに比べると愛想というものが一切なく、これはびっくりしました。お前のせいで、アクアペンデンテの印象がどっと下がったというのに、だから南の人間は、とふと思ってしまうのが、既に半分ミラネーゼ化しているわたくしです。危ない。

やっとの思いでアクセスした本堂。




構造はバジリカ三身廊ですが、それだけ。ま、当然です。
お楽しみのクリプタは、次回たっぷりと。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/20(木) 05:50:02|
  2. ラツィオ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ボルセーナ3 カタコンベ、シングル・ツアー

ラツィオ北部のロマネスク その14

サンタ・クリスティーナ教会、または、サンティ・ジョルジョ・エ・クリスティーナ教会
Basilica di Santa Cristina di Bolsena / Basilica dei Santi Giorgio e Cristina続きです。

10時からしか開かない場所への入場を待って、あちこちうろうろして、10時ちょっと前に戻ったら、なぜかいきなりガイドツアーが始まっているのでした。




知らないうちに、やはりここを目指していたらしいご夫婦がいらっしゃって。10時といったら10時に始めてほしいわ~。慌ててお金を払ってジョインしました。
前回紹介したチボリオ部分から、お話が始まりましたが、意外といつまでも終わりそうもない。ツアーはたったの3人ですが、ガイドのオヤジさんはかえって熱心になっているというか、立て板に水状態です。
でも例によってわたしは、美術史的には、今更ローマでもなくルネッサンスやバロックでもなく、ロマネスクや初期キリスト教以外は、余り見る時間も余裕もないので、気のないことこの上なく、ガイドにしてみたら、いかにも自分の話をいい加減に聞く振りしている外人、という憎むべき存在(多分)。いきなり、「今の話聞いてた?サンタ・クリスティーナの奇跡の話してたんだけど、わかってる?復唱してくれる?」みたいな感じで迫ってきて、びっくりでした。いや、これ、別に試験じゃないし、聞こうが聞くまいがこっちの勝手だろうよ、と思ったけれども、熱心に聴いているご夫婦の気分を害しては申し訳ないので、いやいや聞いていましたよ、奇跡の話ですよねぇ、すごいですよねぇ、あ、ところであれは何でしたっけ、などといい加減に返したら、「ほら、やっぱり聞いていない!」とあきれられてしまいました。とっても疲れるガイドさんでした…。




いよいよ、この大仰な鉄扉の向こう側に入ります。鍵が開けられてぎぎぎ、雰囲気があり、ちょっと怖いみたいなスペース。
改めて、この教会全体のマップで言うと、左側の9の場所となります。







入るとすぐ、こういう感じ。地下にクリスティーナちゃんのお墓があるようです。ここでも鉄扉に入ってすぐ、またガイドさんが熱心に説明を始めましたが、一応紙の案内も貸してくれましたし、わたしとしては、あちこち見回りたくてたまらずそわそわしていたら、どうぞどうぞ、勝手に見て回ってください、とさじを投げられましたので、すぐにも突入です。
この、見るからに古そうな壁には、フレスコ画がありますが、傷みがひどく、ほとんど判別不可能。どうやら10世紀前後の相当古いもののようです。
左側に入り口があり、洞窟のようになっています。




ロンゴバルドの墓Sepolcreto Longobardoと呼ばれる地下墓地。設計的にロンゴバルドのものと勘違いされたために、こういう通称がつけられたのだそうですが、実はもっと古いもので、初期のカタコンベの遺構だそうです。今歩けるのは、さほど広い場所ではないのですが、なんせ、全部で3人しかうろうろしてなくて、ご夫婦は別の場所にいるので、なんとなく怖い感じがして、恐る恐るちょっとだけ足を踏み入れた感じです。

そして最初に入った鉄扉内側の地下はクリプタとなっていて、大きな石棺が置かれております。ここがまさに墓所、巡礼にとっては聖地ですね。巡礼のために、こういう回廊式にされたのでしょう。クリプタそのものは、19世紀に、石棺が発掘された際に作られたものということですが。




そして、このクリプタの脇から、本物のカタコンベへと通じる小さな通路があるのです。カタコンベがあることは事前にチェックしていたものの、クリプタを見るつもりになっていて、すっかり忘れておりました。そういうわけで、明るいクリプタから通路をちょっと進んだら、いきなりカタコンベに突入して、愕然としました。




写真がぼけていて申し訳ないんですが、この全体が基本的に撮影禁止なんで、こそこそ隠れて撮っていたのもあり、ろくな写真がありません。それに、とにかくここは立ち止まっているのも怖くて、さらにびくびくしていたんですよね。
だって、繰り返しますけれど、他に誰もいない状態ですから。ご夫婦もさっさと見学に来ればいいのに、なかなか降りてこないんですから。

これ上に置いたマップで言うと、9の左の方に広がっている通路上の場所。全貌は発掘されているわけではなさそうで、またはある程度発掘したあとで埋めなおしたのかもしれませんが、さして広いスペースではなく、行き止まり構造になっているし、歩けるところにだけ明かりが灯っている状態ですから、迷うような場所ではないのですが、それでも、ちょっと入り込んだ場所でもし明かりが消えたら、真の闇になることは必定。闇が苦手なわたしとしては、なかなか入り込めず、でした。

ところどころに絵などが置いてあったようなのですが。




この穴ぼこ一つ一つが棺だったんだと思うと、ぞっとしてしまいますよ、やっぱり。

さっさと見学して鉄扉の場所に戻ったら、しっかりと閉ざされていて、途方にくれました。しばらく待っていたけど、ガイドさんは来てくれないし、無理やり開けてみたら、何だ、鍵はかかっていませんでした。
帰りがけに、ふと目に留まった聖水盤。




中世のにおいのする文字に、なんだか和みました。カタコンベのシングル・ツアーは二度としたくないです。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/19(水) 05:50:44|
  2. ラツィオ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

ボルセーナ2 ローマから現代まで

ラツィオ北部のロマネスク その13

サンタ・クリスティーナ教会、または、サンティ・ジョルジョ・エ・クリスティーナ教会
Basilica di Santa Cristina di Bolsena / Basilica dei Santi Giorgio e Cristina続きです。

片隅に置かれたパンフレットをいただいて、いい加減に読んでいると、左身廊の方に、キリストの礼拝堂Cappella del corpo di Cristoというのがあり、そこに古いものがあるようなので、早速行ってみることに。10時オープンを待っているのは、その奥で鉄扉に閉ざされているクリプタにあるサンタ・クリスティーナの洞窟Grotta di Santa Cristinaだったので、手前には気付かなかったのです。

まず、そのスペースに続く入り口の周りの装飾に注目。




はやる気持ちで、危うく見逃すところでした!かわいいんです!全然宣伝されていないのに、すごくきれいに修復されていて、えらいチャーミングなロマネスク時代の浮き彫りがぎっしり。




特にアーキトレーブ部分。真ん中に神の子羊がいて、右側はマギですね。まるまるっちいフィギュアで、全体にゆるゆるしている感じが、とても好きです。あんまりきれいだから、完全にレプリカと思っちゃいました。
神の子羊の左側は、意味がよくわかっていないようです。ただ、そこに表された女性は、おそらくこの教会が捧げられている聖クリスティーナではないかと考えられています。




冠を被っているフィギュアが、多分クリスティーナちゃん。この子は、幼くしてキリスト信仰に目覚めたものの、時はキリスト教迫害時代で、幼いにもかかわらずとんでもない迫害にさらされたのだそうです。それでも決して信仰を捨てることなく殉教し、後に聖人に序せられたというお話で、ローマのサンタ・アニェーゼを髣髴とさせる物語です。この浮き彫りの女性が、幼くしてなくなった割には大人っぽく表されていることからも、サンタ・アニェーゼのモザイク画が思い出されました。

アーキトレーブの支えの部分には、福音書家之シンボルが表されていますが、このライオン・マルコも、なんだか愛嬌があります。右側の牛さんルカも、鼻面をなでなでしたくなるかわいさ。

びっくりです。こういうものへの期待は、ほとんどなかったんですから。いざ、怪しいスペースに入ります。

この一角、最初鉄扉部分の確認に入ったときは、薄暗くて、鉄扉以外はよく見てなかったんですが、ちょうどこのとき、誰かが有料の明かりをつけてくれていたせいで、あ、これか~!とすぐ目的のものに気付きました。照明を、もう少しわかりやすい場所に置いてくれたらいいのに。




比較的新しい囲いの中に、チボリオがあります。赤い四本の柱は、いかにもローマやそれ以前に遡るであろう柱の再利用だし、屋根部分に、わたしの大好きなロンゴバルド風の浮き彫りがぎっしりでした。感動。




このチボリオの中に大事そうに収められている不思議な黒い物体は、サンタ・クリスティーナの足拓…。というと変ですけれどもね、足跡。これは彼女の起こした奇跡に由来する品物で、拷問や虐待の中で、湖に重石をつけられて投げ込まれるという恐ろしい仕打ちがあったのですが、クリスティーナちゃんは、沈むどこ路が水面をすいすいと歩いてしまったという。奇跡としては、空を飛ぶとか水面歩行とかは割りとありがちのような気がします。わかりやすいですもんね。もちろんこの足跡は、ずいぶんと後の時代に作られたものでしょう。
湖とは、もちろんこの町のすぐそばにあるボルセーナ湖。クリスティーナちゃんは、この地域の出身だったんです。散々な目にあって、若くして死んで、死後聖人にされるわ、教会が捧げられるわ、あちこちの教会のフレスコ画やモザイクで勝手な姿を描かれるわ、挙句巡礼が退去して押し寄せて、迫害された町ボルセーナを有名にしたっていうんだから、なんだか哀れって言うか、浮かばれたんでしょうかねぇ。

ま、それはともかく、チボリオの浮き彫り装飾。




かなり浅い彫り物で、よくこんなきれいに残っているもんだ、と感心する保存状態です。つる草模様の間に馬か羊かよくわからない動物フィギュアが対照的に描かれていて、稚拙な感じの幾何学モチーフも愛らしさがにじみます。




あちこちの壁に、傷みが激しいフレスコ画が見られます。最も古いものは、これ。




剥落もひどいし、ちょうどチボリオに隠れる位置関係でもあり、残念ながら、ちゃんと見ていませんでしたが、おそらくちゃんと見てもこの程度だったでしょうね。アーモンドの中で祝福するキリスト像で、おなじみの図像です。10/11世紀の作品。

ということで、最近は細かに報告しすぎですね。でも忘れないためですんで、お許しください。っていうか、多分こういう部分に興味を持つ人は、ほとんどいないだろうな~。自分の(ロマネスク)病の重さを感じます。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/18(火) 05:16:05|
  2. ラツィオ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

ボルセーナ1 実は晴れ女?

ラツィオ北部のロマネスク その12

この旅をした今年のイースターまで、とにかく雨、雨、雨、の毎日で、旅の期間中の天候も、まったく期待できなかったのでした。しかし、ミラノからローマに近づくにつれて晴れ間が広がり、降り立ったローマは、とりあえずうす曇り。その後も時々日のさす状態で、これは…?
到着日の天候に、そういえば最近旅先で傘を広げたことがなかったなぁ、もしかして気付いてなかったけど、わたし晴れ女?などと一瞬思い期待したものの、翌日は朝からしとしとと雨模様となりました。
実は山方面に向かう予定にしていたので、どうしようかと迷いましたが、やはり行きたいところには行けるときに行くべし!という(個人的な)鉄則に従って、どの程度の山道かどきどきしながら、山方面に向かってカッシア街道を北上です。目指すは同名の湖の畔の町、ボルセーナ。

小刻みに丘をいくつか越えていく感じで、坂道的には怖くない程度の高低差で、楽しいドライブコースといえる道。当初かなり激しく降っていた雨が、途中から時々晴れ間が見えたりして、どんどん小降りになります。
そして、ボルセーナに到着する頃には、ほとんど雨が上がったのです。おお!やっぱりオレは晴れ女だったのか?気付いてなかったよ~~。

ボルセーナの町は、ここも起源が相当古いようで、もともと城壁に囲まれていた名残が今でもしっかりと残っています。カッシア街道から、ちょっと入り込んだ先に、このような小さな門があるんです。余りに道が狭くて門も狭いので、信号つき。一方通行の幅しかないのです。




道なりだったので、導かれるままに門をくぐったものの、町に入ると、いきなり、激坂道が始まるのでした。




普通、こういうロケーションの町って、旧市街は丘の天辺で、門から先はさほどの坂道がないのが定石なのに、ここは、門を入った途端、すべて坂道。
というわけで、坂道の路肩に駐車するほど厄介なことはありませんので、慌ててユーターンして門を再び出て、城壁外の路肩に駐車。やれやれです。

徒歩で再び町に戻り、先ほどちらりと見えた教会が、まさか目的の教会じゃないよね?と思いつつ確かめると、まさに目的の教会ではありませんか。

サンタ・クリスティーナ教会、または、サンティ・ジョルジョ・エ・クリスティーナ教会
Basilica di Santa Cristina di Bolsena / Basilica dei Santi Giorgio e Cristina。




後方に見える塔は、確かに求める時代のものであるのは間違いなさそうですが、教会そのもののたたずまいは、ちょっと…。
何でこんな姿かって言うと、この教会、時代が何層にも重なっていて、建築史的にはそれはすごい複雑なことになっているんです。外観として中世の名残は、確かに塔にしか見られないのですが、内部には、ローマ時代の遺構(もしかしたらもっと古いかも)から始まって、歴史を目の当たりにできるすごいものを多数抱えています。




これが、その全貌となります。
正面に見えたファサードの右側が、今あるサンタ・クリスティーナ教会部分(1)、その左側には、かなり後代の建造物であるサクレ・ピエトレ(聖なる石)教会のファサード(8)となるわけです。わたしの主な目的は、9と10の部分となります。
その部分は、9時半からのオープンという事前情報を得ていたので、ほぼその時間に到着するように出かけたのですが、現地に着いたら、10時から、ということだったので、まずは本堂をうろうろとしてみました。
ファサードの感じからは、おそらく本堂には何もないのであろうと高をくくっていたんですが、いや、実際はそんなことまったくなくて。




様式的には、かなり中世時代の面影を残した本堂です。ただ、実際にはかなりだだっ広くて、なんとなく落ち着かない雰囲気ではあるのです。それでいて、何かありそうな雰囲気には満ちているのです。

身廊を分割するアーチ構造は、実際、かなり古いものですよね。よく見れば、柱頭には、しっかりと当時の遺構が。よくわからないけれど、動物モチーフで、傷んでなければ、かわいいわたし好み系らしい。




祭壇を見ると、モチーフがそれらしい。




これは相当きれいなんで、レプリカかと思ったのですが、後からガイド本を見ると、発掘で出てきた祭壇の一部を再利用して、改めて祭壇として使っている由。ああ、究極のリサイクルですねぇ。
発掘すれば何か出てきてしまう以上、レプリカなんて作る必要はないということですね。

続きます。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/17(月) 06:46:50|
  2. ラツィオ・ロマネスク
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

ラツィオ田舎ご飯

ラツィオ北部のロマネスク その11(番外)

旅の楽しみの多くは、ご飯にあります。
少なくとも、わたしの場合、ですけれど。というのも、ミラノの日常では、仕事関係以外、またランチ以外は、たまに友人とアペリティフするくらいで、外食というものをめったにしません。なぜかといえば、高い。高いくせに、たいしたおいしくない。だから、ご飯といえば、我が家で自分の作ったご飯、または、友人宅で友人のお振る舞い、ということになってしまいます。昔は、ミラノでもそれなりにアクセスしやすいお値段のお店もあったし、それなりに外食というのはしたのですけどもねぇ。

ミラノをちょっとでも出ると、いきなりお値段の相場が下がり、お味とのバランスがよくなります。特に田舎の方に行った日には…。
というわけで、今回は、一人旅修行旅ではありますが、一応ご飯は期待して、ちゃんと事前にレストランもチェックはしておいたんです。

最初にご飯タイムに当たったのが、タルクイニアです。それは想定内だったので、ご飯場所を調べてありました。ただ、調べてあったとしても、レストランにたどり着けるかどうかは不明なわけですが、今回に限っては、探すまでもなく、タルクイニア最大の観光スポットであるエトルリア博物館のすぐそばでしたので、苦労なく、期待のレストランに、それも絶好の時間にアクセスできました。

Ristorante Arcadia
Via A.Pertini 4/B Tarquinia




全然普通のお店で、特に混雑しているというわけでもない、いたって普通の町の食堂です。タルクイニアの町は内陸なんですが、海が結構近いせいか、お魚メニューが充実。ボンゴレのトロフィエをいただきました。トロフィエって、ジェノバあたりでよくある手打ちパスタです。
フレッシュのトマトソースで、めちゃうま。
ビジネスマン風常連オヤジ二人が、白ワインをぐびぐびとしながら海の幸をやっているのを目の前にして、一杯、とも思いましたが、一応修行旅のランチはお酒断ちと決めているので我慢して水だけなのが残念なくらい、海の幸てんこ盛り。主菜は無理でもせめてデザートくらいと思っていたのに、もういいや、と、パスタ一皿だけでカフェとしました。
それでも18ユーロ弱ですから、イタリアのランチは、やっぱり若干高い。

実は、ランチをちゃんと食べたのは、この初日だけとなりました。結局修行になってしまうんです。どういうことかというと、時間がない。それに加えて、この旅では、レストランのあるアグリツーリズムに泊まったこともあり、夕食が重いので、少しでもランチの時間が遅れるなら、食べない方が夕食のため、という状況があって、ついつい昼間は水やカプチーノでしのぐ、ということになってしまいました。

そのアグリツーリズムがこちら。
Antica Sosta
SS Cassina Nord 33 (Km88.600) Viterbo




ヴィテルボの北部、カッシア街道というローマ起源の古い道を北上して15分くらい、まさに街道沿いにあるので、アグリツーリズムといってもなんだかなぁ、というロケーションではあるのですが、でも、建物は道からちょっと奥まっているし、後ろ側は緑だし、街道を通過する大量の車の走行音とも無縁で、実になかなかよいお宿でした。なんせ、安いし。




ランチと夕食オープンしてるレストランつきのアグリツーリズムですが、お客さんにはお食事つきを強要せず、併設のレストランでお食事をする人は、若干の割引を受けられますよ、というスタイル。これも気に入りました。お仕着せのフル・メニューで、安かろう悪かろうみたいな大量生産ご飯を供されるのも嫌ですからね。
で、このアグリが何をやっているかというのは、レストランのメニューを見て初めて知りましたが、畜産でした。
というわけで、お肉。ひたすらお肉。




最初の日は、タリアータ。どっさりで、半リットルの赤ワインを飲みながら、かろうじて完食。翌日は、やはり試さなければ、と思いグリル肉。最低限の量ってどのくらいか聞いたら、300グラム。それは多いのではないかと思いながらも、「昨晩のタリアータも、300グラムはあったんですよ」といわれたので、ただの塩グリルをお願い。




ちょいと端っこをいただいたあとで慌てて撮影したので、ダサい写真になってしまいました。すごいボリュームでしたが、焼き加減も絶妙でおいしくて、すっごい肉好きというわけでもないわたしですが、ゆるゆると完食してしまいました。
それにしても、さすがに食べすぎでしょう、と反省して、最後の夜はパスタにしてみたら、これがまた手打ちパスタで、すごいボリュームながらおいしくて完食。大量の炭水化物と大量の動物性たんぱく質、栄養素的にはどっちがよかったのかよくわかりません。
そういえば、ピッツァも石窯で焼いているようで、人気メニューみたいでした。宿泊客以外の多くの人はピッツァをいただいていました。

そんなわけで、ちょっと動物タンパクに偏った旅食となってしまいました。

しかし、このレストランの本領は、カメリエーレ(ウェイター)。
特に若い男子二名が、異常に素晴らしいサービスで、かゆいところに手が届く、というのはこういうサービスではないか、というような有様なんです。その上、一人はイケメン(もう一人は、テクニシャンながらイケメンではない某サッカー選手に激似)。そのイケメンの方の坊やが、最後の夜に、「明日は帰られてしまうのですねぇ、寂しいですねぇ」と捨てられた子犬のような瞳でウルウルと挨拶してくれた日には、自分がいかにオバサンか、という事実を実感しましたです。いやはや。

というわけで、お食事的にも、”一部”充実の旅でございました。

ロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。


にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)
ブログ村美術ブログ


にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)
  1. 2013/06/16(日) 06:48:50|
  2. イタリアめし
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ