ポワトー/シャランテ、52
ポワティエの町は、どうやら中世当時から本気で栄えていたようで、結構広い地域に、満遍なく立派な教会が点在しています。一日かけても、全部回るのは大変なお仕事。といいながら、もらさずチェックしていますので、ロマネスク的な重要度に関係なく、訪ねないわけには行きません。 そういうわけで、ほとんどゴシックらしいと思いながらも、次に来たのが、サン・ピエール・カテドラルCathedrale de Saint-Pierre。
おお、どうみてもこれはロマネスクじゃない。でも、緑が多いお屋敷街みたいなロケーションで、写真的にはヨーロピアンかも。しかし、これでは…。
こりゃ完璧なゴシック。みるところはなさそうですが、ここまで来たら素通りはできませんので、入場。
だめですね。ここで最も重要なのは、13世紀作の、内陣に置かれた木製の椅子と、立派なステンドグラス。確かに細かい彫り物が施された木製の椅子は素晴らしいものですし、ステンドグラスも美しいのです。でも、わたしの求めるものではないし。
一部の柱頭は12世紀のアーカンサスモチーフのようなのですが、教会全体の中では、ロマネスクというよりはもうゴシックに取り込まれて安定しているような有様で、わざわざ詳細を観察する気力もなく、早々にお暇。 そしたら、多分側面の小さい扉だったと思うのですが、かすかにいらっしゃいました。
少々傷みがあるんですが、これは明らかにわたしの好む時代。 聖母子とか、エリザベツ後訪問とか、マギとか、どうやら聖書エピソードがテーマの柱頭のようです。特に左側は、二段にわたってぎっしりと彫られており、保存状態がよければ、結構面白いものだと思うのですけれど。
ここでは、見学時間10分で終わりました。最速。一度は訪ねないとわからないからね。でもちょっと寂しい。ゴシックだけ残っているのは、ある意味バロックになっているよりもっと寂しい感じ。 かわいらしい猫ちんが、「ま、そういうこともあるにゃん」とつぶやいたような。
そうね…。
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2013/07/29(月) 05:31:56 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、51
初期キリスト教時代、イタリアだと、わたしの大好きなロンゴバルドの時代につながるのですが、ここでは、カロリングの前のメロヴィング。そういえば、メロヴィングは、名前は知っていても、その遺構は少なく、実際に目にしたことはほとんどないかも(メロヴィング朝、という新書をずいぶん前に買ったものの、いまだに積読だし)。 ここ、サン・ジャンでは、その片鱗に接することができるので、とても貴重な場所だと思います。
このかつての洗礼堂は、博物館ともなっていて、メロヴィング時代の石棺がたくさん置かれています。
いきなりこれ。石棺の蓋、オンパレード。結構強烈です。 だって、なんといっても石棺、つまり、棺ですから。誰かがその中で永遠の眠りについていたものが、今は美術品として展示されちゃっているんですから。ローマのものも、中世のものも、石棺=美術品、みたいになって、博物館としては当たり前の展示になっていますけれど、墓なんですからねぇ、本来は。という意味で、やっぱり宗教的にはとてもプリミティブなわたしなんかには、混乱をもたらすほど強烈だったりはするんです。特に、こうやって無造作にずらずら並べられちゃうと、すいませんねぇ、みたいな妙にへりくだった気持ちになります。
博物館なだけに、入場料を払う場所がありますが、そこの人は、これまた強烈にフランス人で、絶対に英語なんて知りませんのよ、みたいな上品なオバサンだったのですが、だめもとで英語で話しかけたところ、意外や意外、すごく辛そうだったのですが、英語で対応してくれました。 何を聞いたかというと、この石棺の蓋の形。逆三角形が珍しいように思ったのです。
これは、石とスペースを節約するためでもあったし、実際に人を収める形として合理的だったから、と一生懸命説明してくれました。 なんだ、フランス人、やろうと思えばできるんじゃん、と思いつつ、なかなかそれ以上突っ込んだ話は無理だったんですけどね。 でも、なんていうか、何でだろうと思って、尋ねたら一応答えが返ってくるというのは楽しいですよ。やっぱりフランス語やらなきゃ、です。
この石棺群、浮き彫り装飾が施されていますが、ロンゴバルドにも通じる、素朴ながら魅力的な意匠がたくさん。6/7世紀頃のものです。
初期キリスト教の時代、という共通項から、ロンゴバルドにも通じる何かがあるというのかな。プリミティブな原始宗教的なものと、キリスト教への過渡期にある混沌、文様の混合、等々。好きでした。
さて、とはいいながら、この洗礼堂を訪ねる最も大きな目的は、やはりロマネスクなわけでありまして、その時代の遺構としては、やはりこちら。
ロマネスク時代に付け足された建物上部の壁部分を覆う、フレスコ画。 これはもう、なかなかにすごいものでして、上見っぱなしで、首が疲れること必至の場所です。
なんていうのか、風の流れが感じられるような動きを全面に押し出したような作風で、損場でどう思ったかはさておき、こうやってじっくりと写真を見ていると、ウンブリアの田舎にある聖堂のフレスコ画を思い出したりします(フェレンティッロのサン・ピエトロ・イン・ヴァッレ)。どうでしょうか。
ポワティエ、期待していたとはいえ、それ以上。ひとつの町で、これだけたくさんのすごいものを持っているというのは、そうあることではありません。いやはや。歩くもんです。
2013/07/27(土) 05:57:27 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、50
昨日の記事で、大嘘してしまいました。 教会内の彩色は、どうやら19世紀になされたものらしいです。 昨日、現地で購入したフランス語の本をパラパラしていたら、多分そういうことが書かれていました。記事を書く前に読め、というところですが、まぁフランスに関しては完全な門外漢なので、許してくださいね~。
さて、次に訪ねたのは、ポワティエの町の端っこにあるサン・ジャン洗礼堂Le Baptistere Sait-Jeanです。
町の中心部は、観光客も含めて人であふれかえるようでしたが、ちょっと町外れに来たら、ほとんど誰もいない状態です。 洗礼堂は、今は博物館のようになっており、お隣にはサント・クロワ博物館Musee St Croixがあります。理由は覚えていませんが、休館していて、残念ながら、この博物館を訪ねることはかないませんでした。
この洗礼堂の歴史は大変古いです。そもそもの建物は、なんと4世紀、初期キリスト教の時代のもので、下の図では、黒い線が、その当時の壁となります。
今の姿は、一番右側で、外壁のほとんどは10/11世紀のものとなり、規模も若干縮小しています。創建時の造作としては、一部の壁と、洗礼の桶の後。当時は全身浸かるタイプだったので、大きなもので、フランス語では「プール」という表現になっていますね。中央にある八角形の図がそれです。
今更ですが、現地の立て看板の説明によれば、この4世紀のプールを含む洗礼堂は、フランス革命で国に接収されて、危うく破壊されるところが有志のおかげで助かったとかそういうことらしいです。実はつい最近訪ねたルシヨンの多くの場所で、フランス革命時に破壊されそうになったり、実際に売却や破壊の憂き目にあった場所がたくさんあり、フランス革命ってなんだったんだろう、とほとんど知らないフランスの近代史が気になっています。
これが今ある建物の入り口側。かなり新しくなっていますね。上の図で見ると、北西に向いていることになります。初期キリスト教時代あたりは、まだ教会の方向は結構ばらばらなんですよね。
そしてこちらが後陣側。
本来はまっすぐな壁で、背も低かったようですが、6世紀頃に半円の後陣(といっても、今ある外壁は、明らかに後代の再建のようですが)、そして屋根が高くされた分、装飾も施されたようです。 上は半分以上、ロマネスク時代の付け足しのようです。
修復もされていますが、アーチや、その中にある浮き彫り、小さな付け柱やその柱頭等、いかにもプリミティブな装飾は、初期のロマネスクのもののようです。
続きます。
2013/07/26(金) 05:30:47 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、49 ファサードを堪能したあと、いよいよ入場です。
おお、ここはまた、典型的なスタイルで、全面的に彩色文様。全体に色あせているので、薄ぼんやりとした明るさの中では、古色蒼然として、派手派手な印象ではありませんが、創建当時、こういう状態だったとしたら、きらびやかで、すごいものだったでしょうねぇ。
中央身廊から後陣を望む様子。
派手な意匠なのに、荘厳でもあります。 後陣部分は、ここもフランスらしい周回廊となっています。 周回廊部分の柱には、色彩文様がありません。
他の教会の例から言っても、本来はここもびっしりと色で覆われていたのでしょうねぇ。柱頭も同様です。
天井には12世紀のフレスコ画がうっすらと残っています。
アーモンドの中で祝福するキリストのフィギュアですが、かなり傷んでしまっているのが残念。キリストの両脇に腰をかけた人々の姿は、十二使徒でしょうか。
中央部に、小ぶりな木像の聖母子。とっても愛らしいです。雰囲気から、ちょっと時代の下った13世紀頃の作品ではないかと思いました。
柱頭も、普通に彩色のないものから、往時の姿を髣髴とさせる彩色ものまで、いろいろ。
おなじみのアーモンドの中のキリストと、それを支える天使。かわいらしい姿です。
それにしても、このポワトー・シャランテ一帯に広がる、激しい彩色ロマネスクは、どこからきたんでしょう。フランスでは他の場所でも、柱頭彫刻への彩色は時々見られますが、イタリアでは、ないように思います。また、柱まで彩色文様で多い尽くすというのは、ちょっとロマネスクでは、他にはないのでは。 時代を考えると、彩色に必要な絵の具も、高価なものではなかったか、と考えると、スポンサーの財力を誇示するとかそういう意味もあったのかしら。お金持ちや王族などの家はともかくとして、庶民がそういう方向で家屋を飾り立てるということはできない時代に置いて、多分、教会はきらびやかなものを、身分に関係なく身近に見られる唯一の場所だっただけに、今では、「こんなに塗りたくっちゃって…」とか、つい思ってしまう姿も、当時の庶民にしてみれば、天国とはかくや、みたいな感じがあったのかしらん。 考えたら、黄金のモザイクよりは、金も手間もかかってないですね。もしかして、色彩が文字通りきらきら輝くモザイク文化からの系譜、というのもあるのかしらん。
やはり常とは違うロマネスクに出会うのは楽しいことです。フランス見る前と後では、視野が広がり、視点も増えたような気がします。
2013/07/25(木) 05:03:48 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、48 ファサード装飾の続きです。 ファサードの両脇に建っている三角屋根もまた、ぎっちりと彫り物でよろわれている状態。
下から肉眼では絶対に見えない細部まで、びっくりするくらいに細かく彫り物が施されています。こういうのはどこでもそうですが、見えないところまで凝る、すごいことです。そういう仕事がまとまることで、異常な装飾世界が成り立つんでしょうけれども…。見えないような部分は、マエストロでもっているような石工工房の下っ端とかが、やっと仕事をさせてもらえる~、みたいな場所だったかも知れませんねぇ。そういうどうでもいいことを勝手に想像していると、また別の楽しさを感じます。
このあたりを見ると、かなりゴシック風です。動物や人間の顔がやけにシャープで、ガーゴイルになる日も近い。
とはいえ、とにかくスペースにはめ込む状態なのが、まだロマネスク風ってことなのかな。
いくつかの彫り物は、相当磨耗してしまっています。
壊れたとかはがれたとかではなく、自然に摩滅磨耗している感じなので、自然にさらさらたままだと、こういう風になってしまうということなのでしょうか。とすると、やはりかなり定期的に、お掃除修復がなされてきているのでしょうね。実際、以前の写真を見ると、ファサード全体かなり真っ黒なんですよね。この教会の周囲は、今は広場スペースも広く取ってあって、車の交通は限定的になっていると思われますが、おそらく以前は、かなり近くで、もっともっと車が走っていたりして、排気ガスの影響等も相当あったのではないかと想像します。 そういえば、ミラノのドゥオモも、以前は常に真っ黒、という感じでしたが、車規制と、継続的なお掃除で、最近は、ほとんどきれいな白い状態が保たれていますからねぇ。その代わり、常にどこかを覆ってお掃除していますけれども。
ちょっと面白くて珍しいようなフィギュアをピックアップしてみます。
宝探し的な面白さはありますねぇ。ただ、本当に細かいので、双眼鏡でもないと、実際には探せないんですけど。 見ても見ても飽きないけれど、首が疲れちゃうし、時間の制約もあるので、そろそろ入場します。 期待していたのは、このファサードだけだったのですが、内部もポワトー・ロマネスクの典型で、予想外に面白かったのですよ。 次回。
2013/07/24(水) 05:13:36 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、47
この教会のファサードを、初めて本で見たときは度肝を抜かれました。ロマネスクのイメージとかけ離れたごたごた状態。これ、ありなんだ~!と。 そしてまた、激しい装飾の割りに、全体がこじんまりしている印象だったのも、とても不思議でした。 そんなわけで、初めて買ったロマネスク関係の大分の書籍に出てくる写真の教会の、どこよりも印象が強くて、いつか是非訪ねてみたいと思ったものでした。 それが実現したのですから、ある意味感無量…。
一応ここを目指して歩いてきて、かなり開けた広場に、ぽっつりとたたずんでいる姿には、やっぱりびっくりしました。旧市街の真ん中なので、そのたたずまいは、おそらく中世の時代から、さほど変わっていないのではないかと思われますが、やっぱりなんとも違和感があるっていうのか。このあたりのロマネスク全体が装飾的ではありますが、とにかくこのノートル・ダムほど、すべてのスペースに、もう嫌って言うくらいに装飾を盛り込んだファサードは、おそらくないですからねぇ。一体なぜここまでやってしまうことになったんでしょう。
一番天辺。
ここは比較的すっきり。やはり中央に置かれたアーモンドのキリストを際立たせるためでしょうか。または、石工が力尽きたのか…。 それにしても巨大なアーモンドで、こんなの、めったにないですね。キリスト始め、彫像ほとんどから頭部がなくなっているのは寂しい限りです。
普通タンパンなどに置かれた小さいアーモンドのキリストだと、足が爪先立っている感じが多いように思いますが、このキリストは、地面にしっかりと立っている足です。かなり傷んでいますが、周囲には、四福音書家のシンボル、植物モチーフの帯などは、比較的きれいに残っています。
真ん中の壇の左側。
そして右側。
各アーチの中に、人物フィギュアが一体ずつ。すごい数です。それにしても、見事に頭部がない。これはやっぱり、頭部だけもって行かれちゃったりしているのですかね。朽ち果てたどこぞのお屋敷の庭なんかに、人知れず、転がっていたりするのかもしれないですね。上段の人たち(一部が十二使徒)は立ち姿で、下段の人たち(十二使徒)は座っています。鍵を持っているピエトロくらいしかわからないな~。あれ、鍵はピエトロでよかったかな。 どのアーチも、それを支える小円柱の柱頭も、聖人や預言者たちの背後にも、とにかく細かに様々な意匠が施されているのには、ただびっくりするばかり。
そして、一番下、メインの扉周囲の様子。
このあたりの高さだと、何とか見えたりしますが、他は肉眼では余りよく見えないのが残念です。 アダムとイブとか、
これは受胎告知でしょうか。
ところどころで、既にゴシック・テイストのあるフィギュアも結構見受けられる気がしました。 改めて見直してみると、やっぱり面白いので、じっくり続けます。 この旅では、ほとんど資料が入手できなかったので、詳細は調べないとわからないのが残念。やっぱり紙の書籍で、じっくりと読んだりするのが本来的には好きなんですよねぇ。
2013/07/23(火) 05:49:31 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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ポワトー/シャランテ、46 ラングドック・ルシヨンの興奮も冷めない状態ですが、まずは、去年の分をしっかりと反芻しとかないと、というわけで、改めてポワトーに戻ります。知らない土地を訪ね、数々の教会を目にすると、ちょっと違う視点ができたりして、実際に訪ねたときの感覚と若干変わったり、というのがあるので、訪問直後とは違う何かが入り込んでしまうかもしれませんけれど、ま、それはそれですね。
さて、ポワティエの旧市街、いよいよ教会訪問開始です。
このEglise de Saint Porchaireですが、サン・ポルシェールでいいんでしょうかね。フランス語の読み方の法則が、いまだにわからないでいます。 旧市街にアクセスして最初に出会ったのが、この教会。ちょっとした商店街の中ほどに、ドカーンと縮尺無視状態のでかさの鐘楼が、自己主張しています。
でかい上に、修復から間もないのか、かなりの白さで、それも目立つ原因となっていました。 教会本堂は新しく、特に見るべきものはないようですが、この鐘楼部分は11世紀と古い時代のものです。
とても不思議な構造で、塔の下部が入り口となっています。その、入り口部分内部、上が左側で、こちらが右側の壁の様子。
やっぱり不思議。本堂の前にナルテックスのようになっている構造はよくあるし、現存本堂以前の建物の一部が残っているような構造もありますが、それが塔構造というのは、初めて見る気がします。
扉口は、柱頭装飾が楽しいですよ。 左側。
怪物や変な形の動物満載ですが、右側には、アーモンドの中のキリストがいます。
トラディショナルな図像ですが、とってもすっきり。アーモンドを支えているのも、天使ではなくて動物みたいです。
扉口の上部には軒送りがあり、面白い形の彫り物が並んでいます。
でんぐり返りにも見えたのですが、どうも、怪物がまたの間に人を抱え込んでいるようにも見えます。一瞬お茶目な感じだけど、よく見ると怪しくて怖い。
塔の各側面には、美しい窓が並んでいます。
一番下には、細い開口部だけ、次は開口部のない二連アーチだけ、そして上部に二連窓、と、ロンバルディア風とは異なりますが、面白いリズムとなっていますね。とにかく白さがまぶしい。もともとの石が、こういう白い石なんですね。フランス人好みっぽい。
各段の軒送りには、それぞれ面白いフィギュアが、きれいに残っています。一部は、新しい時代に付け足されたものと思われました。
そもそも、ノートル・ダムを目指しているに過ぎない感があったのですが、のっけからこれでびっくり。ポワティエの町には、比較的余裕のある時間配分にしといてよかったです。 続きます。
2013/07/22(月) 05:04:45 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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昨夕、夏休み第一弾のフランスは、ラングドックおよびルシヨン地方より戻ってまいりました。
当初の計画よりは、ラングドックよりもルシヨンに偏った訪問となってしまいましたが、おそらく、より訪ねにくい地域ではあるので、それでよかったかと思います。とはいえ、見残しはたくさんありますので、既に再訪は心に誓っておりますが。
幸い、わたしにとってはかなり運転しやすい車をレンタカーできたこともあり、当初恐れていた山道も何のその。最も難関と思い、事前にグーグルの写真で何度か確認したセラボンヌの山道も、意外とらくちんに行けたのはびっくりでした。もちろん、事前学習および早朝移動が功を奏した結果でもありますけれど。
今回のスケジュールは、五泊五日。変則なのは、飛行機の時間が、到着が昼過ぎ、出発が昼過ぎということで、結局動ける時間はジャスト5日間だったため。 最初二泊をカルカッソンヌとナルボンヌの中間にある田舎町で、三泊目はプラドの町、そしてラスト二泊は、ペルピニャンとプラドの間にある田舎。 訪ねた町村は、ラングドックが6箇所、そしてルシヨンがなんと20箇所となりました。
個人的には、フランス・カタランであるルシヨン地方が気に入りました。 というのは、やはり言葉の問題も大きいと思います。さすがにカタラン地方だけあり、スペイン語の通じ度が高い。腐っても何とやらで、過去形までも至らなかった独学スペイン語ではありますが、それでも基本にイタリア語があるわたしには、旅行者の超初心者会話なら、今でも何とかなったりするんです。だから、英語もイタリア語もだめでも、せめてスペイン語が通じるとなると、俄然情報量が増えたりします。
ただルシヨン地方では、今回、イタリア語に恵まれることもあったし、英語に助けられることもあり、国境の土地だからなのか、他のフランスの地方に比べたら、圧倒的に外国語の普及度が高かったのは確かなんです。ラングドックは、他と同様、例によってフランス語一辺倒でしたから。もちろんたまたまわたしの旅がラッキーだった、ということもあるかとは思うのですけれども。
言葉もそうですが、残念だったのは、資料的な書籍が非常に少なかったこと。フランス語のものすらなかったりね。なんかフランスって観光立国でもあるはずなのに、結局人が集まるところだけに力を入れているっていうことなのかな、と思います。同時に、地元の人、もっとがんばれよ、とも思います。かなり有名なところでも、独自の資料が少ないっていうのは、情けないことです。大体、それなりの町でも、本屋が見当たらなかったしな~。フランス通いを始めてから、結構イタリアを見直してるよ、わたし。
何はともあれ、充実の五日間でした。行ったりきたりで結局千キロ超走ってしまいました。これも、既におなじみ。無駄走りが多いんですよね。やっぱり時間に左右されるしね。 そう、毎日早朝出発の夕飯直前戻りというスケジュールで、夕食は当然ぐいぐい飲みますし、完全にバタンキュー状態も、これまたおなじみ。湿度が低く、クーラーなしでも涼しくて、気持ちのよい夕べを過ごせたのはありがたかったです。
ちょいと先になりそうですが、おいおい記事にアップしていきますので、お楽しみに。
2013/07/21(日) 06:08:25 |
ラングドック・ルシヨン
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明日から、1週間夏休みです。今年は、諸事情から、小刻みにお休みをとることにして、まずこの1週間をフランスで過ごし、8月半ばは日本から来る家族とともに、日本人観光客としてのイタリア王道旅行1週間、そして、これは今のところ予定だけで手配も何もしていないのですが、8月最後の1週間で、久しぶりのフリウリ旅行、というスケジュール。
本当は、少なくとも継続で2週間取りたいところなんですけれどもね~。 とはいえ、日本の現実を考えると、こうやってたくさんお休みがあるっていうのは、実にありがたいことであり、また、不況のご時勢にもかかわらず、とりあえず地味であってもあちこちに行けるというのは嬉しいことだと思っています。 ただ、ミラノでのんびりと気ままに過ごすお休みがあってもいいかなぁ、とちょっと思ったりしているので、もしかすると最後の一週間は、そんなのんびりしたお休みになるかもしれないです。
ちょっと心残りは、明日のモトGP。 ロレンツォが再度の事故で欠場、ダニも事故の結果、走れない可能性もある不調の中、われらがヴァレが久しぶりに一列目の3位発進で、連続優勝の可能性もかなり高いですからね~。ポイントを考えると、どんなに辛くても、ダニは走るでしょうから(ここで走らないって事は優勝争いを捨てるっていうことだし、ダニのシーズン優勝のチャンスは、多分、これが最後に近いと思われるし)、そのガッツを見たい気持ちもあります。 レースの時間は、ちょうど空港から最寄の修道院に向かっているはずだし、フランスでは、モトGPテレビ観戦しているバールなんてなさそうだし。ま、仕方ないですね。
ということで、来週末までお休みします。
2013/07/14(日) 04:36:48 |
ミラノ徒然
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ポワトー/シャランテ、45 その昔、ロマネスクを本格的に訪ねだした頃、本屋さんで大判のロマネスク教会の写真満載書籍を見つけて、その重さによろけるようにして家に帰り、早速ぱらぱらとページをめくった際、目に付いたのが、ポワティエの、ロマネスクの世界では超有名なノートル・ダム教会のファサードでした。
その激しい装飾性に、ただ呆然と見入ってしまったのを、今でも覚えております。当時は、ミラノから日帰りで行ける場所中心に、いたって地味に回っていた時代なので、いつか行きたいものだけど、そんな日はこないだろうなぁ、と漠然と思ったものです。
だから今回の旅の中でも、ポワティエ、特にノートル・ダムに対する思い入れ、憧れは相当強く持っておりました。「ポワティエではノートル・ダム」としか思っていなかったので、直前まで、同じ町の中にこれほどたくさんの見所があることすら知りませんでしたし、町の様子なども何一つ知らないままでした。ただ、イメージと違って、結構大きい町でありそうな雰囲気は、地図から想像していましたけれど。
宿泊したポワティエ南部の村から、北上して町を目指しました。 そしてのっけから、得意の彷徨いドライブ。というのも、駐車場がわからない。まずは町の東側からアタックしたのだと思います。旧市街は、全体に丘の上にあることは、あとからわかるのですが、東側は比較的なだらかにアクセスできます。でも、一方通行が多く、ナビのいうことを聞いていたら、ちょっと街中に入っては、また出る羽目に。ぐるぐる同じところを二度ばかり走ってあきらめ、目に付いた無料駐車場に入りましたが、いかにも町が遠い。 ちょうど車を取りに来た地元の人風の女性に尋ねると、ここから旧市街は遠いから、もっと街中に行った方がいいわよ、と英語で道を教えてくれたのですが、まったくわからず。結局町の周囲を取り巻く環状線のような道を進むと、鉄道駅前に出ました。 駅の脇に、大きな立体駐車場があります。入る前に、やはり通行人に尋ねると、町まではさほど遠くないということなので、ここに駐車することにしましたが、ここが、怖かった~! というのも、一階ごとのスペースはかなり小さくて、結局3階か4階まで登る羽目になったのですが、その、登り道が、角度は急だし、狭っ! 実は今回、空港で聞かれなかったのを幸い、保険のフル・カバーをつけなかったんですよねぇ。あれ高いし。でもここで、大後悔です。傷つけたら全額負担ですからね。前からも後ろからも誰も来なかったのを幸い慎重の上に慎重を期して、とにかくそろそろと、ひたすらゆるゆると、すっごく時間をかけて駐車しました。今思い出しても冷や汗ものです。
例によって前振り長すぎですが、いざ、町へ。
これが駅前の風景。この建物群の後ろに緑がありますが、その高台が旧市街ということなんですね。最初に駐車した反対側は、この部分が緩やかな坂道で、建物が並んでいる様子でしたが、こちら側は、完全に崖地形のようです。
こんな、急で結構長い階段で、一気に旧市街へ入ります。こういう地形だと、今のイタリアの多くの町には、駐車場と旧市街を結ぶエレベーターやエスカレーターが作られていますけれど、ここでは見当たりませんでした。イタリア、変なところで進んでいるかも。っていうか、坂道嫌いのわたしには優しいです、イタリアのシステム。
旧市街は、全体に中世の香り漂う、雰囲気のある町並みが続きます。
全体として、中世的な街づくりを意識的にしている様子がうかがえます。 たとえば、こんな看板に。
糸針。お直し屋さんか、または仕立て屋さんか。 こんなのも。
こちらは紙屋さん。確か同じ通りの看板ですから、通りを上げて、「かわいい看板」が売りになっているのかも。
町は結構広くて、一日かけて歩きました。見るべき場所も予想以上に多かったです。そして、町並みは美しいし、かわいらしいお店があったり、楽しい散歩ができる町です。 本当に古い中心部には、こんな木組みの建物も。
そういう意味で、黙っていても観光客が来るせいもあるのか、観光局はいたって愛想がなくて、資料もほとんどなくて、がっかりでした。 よかったのは、お手ごろなレストランがたくさんあって、安くておいしいランチがいただけたことかな。卵とハムのガレット。フランスのランチでは、あればたいていガレット。これってイタリアのピッツァと同じ感覚でいただけて、ピッツァほど重くないので、ランチに最適ですね。
では、次回から、教会をじっくりと。
2013/07/12(金) 05:30:18 |
ポワトー・シャランテ・ロマネスク
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