フリウリの中世 プロローグ
夏休み、終了です~! 今年は、1週間を細切れで3回、という変則夏休みで、「やっぱり最低でも2週間は連続でとらないと休んだ気がしない」などと、日本で働いている普通の人だったら切れそうなことを思っていたのですが、細切れ3週間もありかも、と終わってみれば思ったり(これはこれで、日本で普通に働いている人には切れそうな発言かも)。 最初はフランスで過ごし、二番目は姉との王道(実際はかなり外れていますが)旅、そして今回のフリウリの旅、と、それぞれかなり異なるタイプの旅のあり方で、それぞれに自分としては面白く、おなか一杯状態となりました。切り替える意味でも、1週間という単位はわかりやすくて。ただ、仕事感覚のお休みで、なんだか仕事しているんだかお休みの延長だかわからないという意味では、ちょっとメリハリがどうだったんだろう、ということはあったかも。
ということで、この週末は最後の夏休み、本来の意味でのお休みを堪能というところです。 なんですが、最後の旅の後遺症というか、とにかく激しく疲れる結末だったもので、そのリハビリしているところって言うか。 フリウリからの帰り道に、激しい渋滞に巻き込まれてしまったんです。それが、この記事のタイトル。
アクイレイアから高速に乗る際、ベネチア線は入るな、という表示が出ていたのですが、「入るなって何だよ」、位の気持ちで、別に大きく気にすることもなく、普通に入っちゃったら、その場から身動きできず…。 何それ~、と思ったものの、もうどうしようもなし。 じりじりと進むうちに、ウーディネ方向に進む分岐点があり、すいすいと流れていくし一瞬迷ったけれど、これまで渋滞と言っても、日本の渋滞に比べたら高が知れている程度の渋滞しか知らないわたしは、素直に行列に並んでいたのですが、後になって、これが大きな失敗だったと知るわけです。
そこをすぎたら、もう選択肢なし。そこにとどまるしかない状態で、とにかく進まず。途中、完全に止まります。エンジンも止めて、外に出るとか、なんだかすることもなし。突然動き出したりしますけれど、慌ててエンジンかけても、進むのは数メートルとかそういう状態。あっという間に数時間がすぎて。
途中、友人に電話をかけて状況を説明して調べてもらったところ、事態判明。事故渋滞で、何でも小麦粉とかそういう粉ものを運んでいたトラックが事故って、登り二車線全面通行止め、反対車線も二車線のうち一車線しか通れないという事態だったようです。 わたしが高速に乗ったのは2時。事故は昼直後だったということで、それなら、通行止めと表示するべきなのに、これまた後からわかったのは、高速道路会社の悪意です。 というのも、友人がすぐに見てくれた高速道路のサイトには、事故後数時間たつのに、何の表示もなくて、その地域の市のページで事故状況が出ていたというんですから。あきれました。
ま、事実を知って、なんとなくすっきりした気持ちで、待つこと。ひたすら待つこと。びっくりするのは、周囲の人々の冷静な状態。もちろん、スマホもタブレットも情報端末ゼロのわたしに比べれば、情報については皆さん、さっさと知るところとなっていたのでしょうけれども、それにしても、イライラ怒るわけでもなく、停まるたびにトランクを開けては、水やら食べ物を出す前の車とか、着替えをする子供たちとか、走り回り歩き回り、ニコニコすごくイタリア人の余裕はなんなんだ~! 渋滞に巻き込まれた風景って、たまにニュースで見ていましたけれど、なんか現場はのんびりしていて、イライラ感ゼロ。イタリア人ってこういうとき強いよな~と思いながら、私自身も、ガソリンは満タン、トイレの必要もなし、水もある、とにかく自宅に帰り着けばいい、せめて本日中に、という状況だったので、事態を受け止め、考えるべきことなどを考えて、時々友人に電話などして、気が付いたら5時間たっていたのでした。
お天気が怪しくなってきたりして、空がとっても美しかったのですが、そういう眺めも、こんなにゆっくりじっくり空を見ることもないよなぁ、と思いながら、いつまでも見ていたり。
いわゆるヤコブの階段がでまくりで、このときの空は、本当に美しかったんですよ。
事故現場を通り過ぎたら、後は皆さん、わたしを含めてきちがいのようにかっとび状態で、夜のドライブは久しぶりだったのですが、わたしも、自分としてはかなり飛ばして、360キロ3時間半、とナビの予定通りのタイムで帰宅しました。 途中、やはり工事中でスピードの出せない部分があったことを考えれば、自分的には記録的な早さだったかも。 それにしても、目が疲れました。
ちなみに、地図だとこんな感じ。
右の方にあるPalmanovaではいったんですが、次の出口であるS.Giorgio直後で、事故があったようで、正確に言えば、わたしは、PalmanovaからS.Giorgioまでの8.5キロプラスアルファの距離に5時間かかったことになります。うへぇ。考えるだに、信じがたい。その間、ケア何もなし。
こんな渋滞を経験することはそうないことと思いますので、よい経験となったと思っています。危なそうなお知らせがあるときはとにかく気をつけること。これは肝に銘じました。高速会社のサイトでは一切情報がなかったり、入り口の表示もあいまいだったり、高速会社としては、状況がどうあれ、高速に乗ってほしい、ということを優先しているのが明らかだったので、彼ら側のお知らせを、ポジティブに解釈したらいけないということがわかりました。高速会社だって、鉄道航空その他と同様、公共の役割的な側面が強いと思うのですが、こういうことがあっても、高速料金還付とか、無料になるとかないですから、営利視点が強い分、まったく信用ならん!
今回のように、いろんな意味で余裕のある場合はともかく、そうでない場合が本来はほとんどと思いますので、この経験は、きっと役に立つかと思っています。 それにしても、翌日になって疲れがひどく、今日は一日眠くて仕方ありませんでした。そういえば、運動による筋肉痛も、翌日でなくて2日後に出るようになったのが、いつの頃からか…。嫌ですねぇ。
ということで、フリウリの話は、いつになることやら、ですが、本編をお待ちくださいね。中世も、食い倒れも、充実の旅でしたので、お楽しみに。
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2013/08/31(土) 07:28:39 |
フリウリの中世
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イタリア王道観光旅行7 今回のローマ訪問、一番暑い時期の旅、ということで、まず怖かったのが暑さ。次は、日本人二人旅ということで、スリやかっぱらい、ジプシー。それから、観光産業、特にレストランにだまされることの三つが三大懸案事項でございました。
幸いなことに、日中の気温は高かったものの、湿度がとても低かったので、日陰に入ればすっとする気候で、まず第一の暑さの問題はクリア。第二の問題は、地下鉄の駅で、駅員さんに、「あんたら鞄は抱えてね。スリ多いから、マジ気をつけてね!」と注意されましたけれど、バチカンに向かう地下鉄には観光客しか乗ってないし、昔と違ってジプシーなど影も形もなかったんでクリア。しかし、レストラン…。やっぱりやられたわ~。
といっても、数年前にあったように、何十万円も取られたとかそんな豪勢な話ではないんですけども。 バチカンのそばでランチ・タイムとなりまして、暑さとそれまでの歩行でかなり疲れてきっておりまして。 そういうところで出会ったこの並び、どう見てもだめだよね、というレストラン三軒。どこも客引きさんが出ていて、それも含めて、いかにもだめだよね、だったのに、味付けも自分任せのサラダとかだったら、どこでも似たようなものだし、簡単に手早く済ませましょう、と中でもマシそうな一軒のテラス席に座りましたとさ。
わたしはサラダ、姉は肉と付け合せの一皿盛を頼みましたとさ。とりあえずビールは、ま、特に問題もなく冷えていたし、まぁよかったよかった、と乾杯。一皿盛の肉、到着。見るからにまずそう。いつももりもりと躊躇なく食べる姉なのに、箸の進まない様子が明らか。わたしのサラダも到着。ま、見た目普通。 しゃくしゃくといただいていたら、なんか不審な、小さな茶色い物体が…。 これはもしや。よく見えないけど、見たくないし。見るとどうも虫ではないかという…。
すぐにカメリエーレ(ウェイター)を呼んで、「ちょっとこれ」と指差し。カメリエーレは「あ」と言って、皿を持ち去りました。 そこで、普通だったら、何か言ってきますよね? そのまま、それっきり、無視です。
その頃になって姉も、「実はこの肉、ひどい…」と告白。いつ焼いたものか、グリルの後まで付いているけど、冷たい、と。
ビールは飲み干しているし、お会計を頼んだら、なんと、すべて何事もなかった状態フル・プライスのお会計なんですよねぇ。びっくりして、カメリエーレに、「ちょっとちょっと、さっき、わたしのサラダに虫がいたの見たよね。あのサラダにお金払うつもりないんだけど、これ何?」と訪ねたところ、「あ、ああ、もごもご」と言って、引っ込みました。改めて持ってきたお会計、サラダが8ユーロ(そもそも高すぎ!)のところ、半額の4ユーロになっていました。 これって火に油状態の対応ですよ。ムカ~! 「だから、払わないって言ってるんでしょ~」、対してカメリエーレ、かなりの小声で、「いや、僕はこれ以上できないので、では会計と話してください…」。「おお、望むところよ!」というわけで、店の中のレジに行く私。えらそうなオヤジが座っております。 「あのさ、わたし、虫入りのサラダにお金払う気ないから。半額とかありえないから。」 から始まったバトル…。まったく持って、信じがたい対応でした。オヤジ、謝るどころか、正当なことを言っているわたしに問題があるかのような態度。「テラスで食べる以上、ごみやほこりや髪の毛が入るのは当たり前!そういうのは、わしらの責任じゃないし!」と断言しましたよ…。
ローマって、いくら観光客相手でも、今でもこれなんだ~。確かにほとんどの客が一見さんで、二度と来なくてもよくて、その場限りなんだろうけど、それでも情報社会のこの世の中で、やっぱりこれなんだ~。 心底びっくりしました。あきれて、笑っちゃうくらい。
最後は、捨て台詞的に、じゃぁいいよ!俺らの責任じゃないけどな!とサラダ代はひきましたけれど、他のお皿もクオリティを考えたらありえないお値段だったので、気持ちは収まらないまま、店を後にしました。 あんなにまずいお皿を、他の観光客は、別に文句も言わずにもくもくと食していて、わたしが怒鳴っているのも、聞こえているんだか聞こえていないんだか。まるでわたし一人が異端のような有様でした。観光客って、辛いよなぁ。
イタリアでご飯がまずかった、という体験者は、意外と多かったりするんですよね。運悪く、こういう店に出会ったら、そういうことになるし、印象も最悪だし、そりゃまずかった以上の体験となるでしょう。店主がああいう対応をしたと言うことは、実際、文句を言う人もいなくて、回っているということなんでしょうねぇ。あんな料理であの値段を取っていたら、そりゃ儲かりますわ。 でも、わたしが喧嘩しているのを見て聞いている厨房では、調理人たちが、みんな、気まずそうに下を向いていました。使われているものは辛いよな。彼らが一番、店の理不尽さをわかっているわけで。でも生活のために、仕事と割り切るしかないわけで。
むかつきながら、ちょっと歩いたところのバールで食後のカフェをいただき、ついでにトイレを借りたのですが、そこの人たちは明るくて、気さくで、慰められました。これだからイタリアってずるい、と初心に返る思いでしたよ。こうやって、飴と鞭にだまされて二十年…。自分が情けない…。
もとい、今回のローマ、ホテルはとってもよかったんです。テルミニ駅5分強のベスト・ウェスタン・チェーン。オペラ座のお隣。 Best Western Hotel Mondial via Torino 127 Roma
四星ですが、ツインが85ユーロで清潔、バスルームも広々。朝ごはんボリュームたっぷり。部屋はフローリングで、スペースもたっぷりの上に天井が高いので、もともとは古い建物なのかもしれません。対応も、しっかりしているし、なんせ、メトロもバスも近くて、便利度が半端なし。
一泊目は、ホテルの横にあったレストランで簡単に。今風のモダンな内装のお店で、可もなく不可もなく、というところですか。
大麦のサラダと、タリアータ。お値段とのバランスはまぁまぁと言ったところですが、黙っていればパンも持ってこないし、やはりローマって、と思うところはありました。調子はいいんですけどね。観光客相手って、そうなっちゃうのかな。ミラノはビジネスの町だけに、外人を見ても観光客というよりはビジネス客の方が多いので、調子より質や実になるんですよね。だからぼったくりとかそういうのがなくって、その点ではローマの現実って、いやはや状態なんですよねぇ。
そういう意味で、ローマでおいしい生活をするには、しっかりと調べないとだめなんでしょうね。
それでも、町歩きの最中に、珍しくいただいたジェラート、すっごくおいしかったです。
Gelateria del Teatro(Via dei Coronari)というお店で、厨房がガラス張りになっているんです。
通り過ぎそうになったのですが、メロンや桃などの果物を使ってジェラートを作っている姿が目に入ったら、食べずにいられないというやつで。普段ジェラート等めったにいただかないのですが、ここのジェラートはいかにも自家製という素朴なお味で、とってもおいしかったです。この通りはレストランもひしめいていて激戦区らしく、おいしいものが食べられそうです。
もう一晩のご飯も、やはりホテルから近い場所にしたんですが、やはり可もなく不可もなく、程度でした。お隣も向こうも日本人、って感じ。ホテル街の割りには、夏休みでしまっているお店も多かったからね。
ジェラート屋の他によかったのは、ホテル近所にあったバール。レストランのあと、食後酒グラッパを飲みに立ち寄って、そこでいただいたバリックのグラッパはとってもおいしかったです。二晩目には、グラッパの客、と認知されていました。
ローマではちょっと残念だったイタ飯ですが、この後トスカーナでがっちりリベンジ、お楽しみに。
2013/08/25(日) 05:49:47 |
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イタリア王道観光旅行6 ちゃんと王道旅行をしなくちゃね、とトレヴィの泉に向かってコルソ通りを歩いているとき、道に面して排気ガスで真っ黒になったすすけたファサードの、よく見れば教会らしき建物に、人がたかっていました。 今、上ものは、サンタ・マリア・イン・ラータSanta Maria in Via Lataという教会になっているのですが、その下に、ローマ時代からの古い遺跡が残されている場所だったんです。
たまたま美術系学校の若者の団体がいたので気付いたわけですが、そうでもなければ、何かあることすら気付かないような場所です。 基本的にミーハーなので、何かあるのかしら、と近づいてみたら、地下遺跡。それも案内板には、中世らしきフレスコ画の写真が使われているし、入場料は2ユーロぽっきり。よくわからないけれど、これはとりあえず見ないと、と団体にくっつくようにして入場しました。
何のことはない、これ、前回の修行旅で訪ねたクリプタ・バルビという博物館の中世部門に展示されている多くのフレスコ画が、もともとあった場所だったんです。入り口に、「フレスコ画のオリジナルは、バルビに展示されている」という但し書きがあったので、気付きました。 そういえば、中世のものがあるというので、当時わざわざ訪ねたクリプタ・バルビでは、そのフレスコ画のある教会がどこにあるものなのか、今はどうなっているのかわからず、戸惑った記憶があるのですよ。
どうやら、もともとは異教の神殿だったらしい場所。
今でも、また一部しか発掘されていないようです。 実際、ローマみたいな土地でも、いや、都会となってしまった土地の方が、逆に発掘が大変なのかもしれませんが、なかなか調査が進まないでいる場所って、結構あるようです。掘れば何かが出てくるのは必至ですから、これからだって、ローマから世紀の発見みたいなことがあるのかも知れませんねぇ。ここでは、神殿の一部が完全に未発掘のようなので、今後多くのフレスコ画などが出てくる可能性大。まだまだ、人目に触れぬまま、二千年から眠っているお宝があるんです。だから、ローマは美しいのかもしれないです。
剥ぎ取られて博物館に持っていかれたフレスコ画の写真が貼ってありましたけれど、せめて複製を作るなりしてほしいもんです。かなりしょぼくて、がっかり。ただ、地下の雰囲気は、かなりありまして、教会を見るというよりは地下遺跡にもぐりこんだ風情です。
これは、4年前、クリプタ・バルビで撮影したオリジナルのフレスコ画。
なんか、当時に対して、リベンジしたような気持ちにはなりました。 本来はオリジナルの場所にあってほしい装飾美術ではありますが、ここは湿気がひどかったのか、傷みが激しく、剥ぎ取られた理由がわかる気がしました。だって、地下に、今でもしっかりと井戸があります。
とても透明度の高い水が見えて、びっくりしました。壁もなんとなくじとじとした感じで、地下だから涼しいのだけれども、地上よりも湿度が高いように思えました。 今回のフレスコのオリジナル場所訪問は、是非、サイト(ロマネスクのおと)に反映させたいと思います。
おっとおっと、また中世に偏りつつあります。 慌てて、王道旅に戻りましょう。唐突ですが、トレヴィの泉。
この旅の直前に、たまたまオードリー・ヘップバーンのことをニュースで何か言っていたために、ふと「ローマの休日」のDVDを見ていました。映画におけるトレヴィの泉の印象は、なんといっても「ドルチェ・ヴィータ」のアニタ・エグバーグなんでしょうけれども、現実的なトレヴィの泉は、「ローマの休日」で映し出された観光客で鈴なりの下世話なイメージ。今回もまさにそれ。
びっしり…。 でもローマの休日の時点でも、余り変わらない混雑振りでした。まさにローマ旅行における王道中の王道という場所、ということですよね。オードリーはこのあたりで髪を切ったんですよねぇ。基本変わってないからすごいなぁ。 とにかく狭いんですよね、この広場は。
王道といえば、ついでにもうひとつ。
スペイン階段。 この階段下にある船の泉の周りは、まさにいつ行ってもびっしりですね。近くで泉を見ていたら、われわれの前で泉の縁に、ジェラートなめなめ腰をかけていた中国人の5歳くらいの男の子が、「キャンユー…」と言いながら横にどけ、というジェスチャーをしたのです。なんだと思ったら、われわれの後ろで親がカメラを構えていたという。 実に生意気なガキでしたが、堂々としてたいしたもんではあり、中国人恐るべし、と思わされた一件です。ある意味、日本人もそのくらいずうずうしく振舞えるといいんですけどね~(親は申し訳なさそうに縮こまっていましたけどね、いまどきの中国の子供、って感じなのかな)。
もひとつついでにポポロ広場。
双子の教会をバックにしたオベリスク。 この広場、今は歩行者天国になっていたんですね。昔は自動車天国でした。ここって、おなじみの散歩道の途中だったんで、とっても懐かしい。この広場を見下ろすピンチョの丘からの眺めが大好きで、ローマ散歩はいつもそこを通っていたんです。 オードリーがシャンペンを飲んだのも、この広場のバールじゃなかったですっけ。わたしにとって、ローマだなぁ、って実感する場所のひとつ。しみじみ。
2013/08/24(土) 06:02:07 |
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イタリア王道観光旅行5
王道旅行といいながら、振り返ると、どんだけ中世に引きずられているんだ、自分、とびっくりです。ローマの遺構を見に来ている人をほとんど無意識に中世に引きずりでいたわけで、いやはや、自己中もいいところ!すまん。
といいつつも、抑えるところはきっちり抑えて、とうことで、フォロ・ロマーノの後は、ミケランジェロ広場もしっかり登りました。
ミケランジェロが設計したという広場の床面の幾何学模様は、もう少し高いところに登らないと、きれいに見えないんですよね。そのためには、周囲を取り囲む博物館に入るしかなさそうです。 中央にある騎馬像は、かつて長い修復で、いつ行ってもお留守でしたけど、いつ戻ってきたんでしたっけねぇ。ここに行くといつだって、思い出すのは映画「ノスタルジア」で、イタリア語を始めた頃のことがセットになって思い出されて、なんとなく懐かしいような切ないような気持ちになります。
そんな完成度の高い広場の美しさよりも、いかにもローマ的な風景は、実はこっちでした。
建物の影で涼しいスペースに、次々とお巡りさんが集まってきて、なんだか楽しそうにおしゃべりしてるんです。休憩時間かもしれないし、連絡場所なのかもしれないけど、絶対仕事の話してないし!楽しそうでいいけどね、本当に次々と集まってきてたんですよ。
広場を降りたら、また前回見逃している場所に気付きました。姉が、あ、これは古そうじゃない、というので見てみたら、
姉も、わたしの激しい古いもの好きに感化されたのかしらん。 これ、ローマ時代の遺跡なんですね。ベネチア広場のヴィットリオ・エマヌエレの真っ白な建物の麓にひっそりと残っているんです。2世紀のもの。 もともとこのあたりにあった岩場にくっつけて、人口爆発したローマ市民のための集合住宅として建てられたレンガの建物らしいです。近いにはお店屋さんも入っていたとか。今も昔のローマの中心地だったのに、ずっと壊されないままに、中世には教会も付け足されて、教会内部のフレスコ画まで残っています。
ローマは、結構な時間をすごした街のひとつではありますが、隅々まで見たわけではないし、行けばいつも発見があります。
とか何とか言いながら、再び中世へのいざないをするわたくし。 だってここまで来たら、サン・マルコのモザイクは必見ですから。
他は全部バロックになってしまっているのに、後陣モザイクだけは往時のまま光り輝いています。やっぱり美しいですねぇ。この教会は、日中でもかなり暗いんですが、モザイクを照らす明かりを灯すと、言葉通り輝いて浮き上がってくる効果がたまりません。 今回、オペラグラスで鑑賞できたので、アニェーゼさんを発見することができました。
アニェーゼさんったらこんなところにもいて、やっぱりすごく大人っぽいんですね。サンタニェーゼのモザイクよりもっと女っぽいかもしれない。衣装も宝石満載で豪華だし。
そして、こんなかわいらしい鳩。
キリストの足元にちっちゃく、かわいらしい花とともにいらっしゃいます。こういうものは、オペラグラスでなめるように見ないと、なかなかその場では見られないですね。なんだか嬉しくなりました。
こんなのんびり歩いていると、なかなか旅が先に進まないですね。ま、急ぐ旅ではないし、いっか。
2013/08/23(金) 03:12:39 |
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イタリア王道観光旅行4 フォロ・ロマーノの散策続きます。
途中に、飲める水の泉があり、みんな空になったペット・ボトルに水を入れていました。街中の水道水のほとんどが、ローマでは飲める水なんですよね、それも結構冷たい。これは暑いとき、本当に助かります。日本から来ていると、そんなところの水は絶対飲めない、とか飲んではいけないと思っているかもしれませんが、おなかの弱いわたしでも、全然大丈夫。 やっと、コロッセオから見えた、女神の神殿跡です。
ここからは、逆にコロッセオの美しい姿が一望です。この青い空、とってもローマ、とってもイタリア。 ローマに来る度に、どうしたって「永遠の都」という陳腐なフレーズが浮かんでしまうのですが、こんな巨大建造物、それも二千年も昔のものが都市の中心にどっかりとしているというのは、やはりありえないわけで、永遠の都とはよく言ったものだ、と感心してしまいます。
そして、それに向かい合わせに置かれているのが、現代も現代の美術作品、というのが、これまた永遠の都たるゆえんというのか。
これは、ミンモ・パラディーノMimmo Paladinoさんというイタリアの現代美術家の2005年の作品。テラコッタと鉄でできているようです。6枚の丸い盾のようなものの表面に、6枚それぞれ、銃、数字、靴、傘、壷、杖、帽子が、思い思いに散らばっているというものです。この方の作品は、いつもインパクトがあってとても好きなんです。
古代を通り抜けて現代にアクセスして、そしてまた古代に戻ります。ヴェネレの神殿。
かつての後陣部分が一部残っていて、そこにやはり現代作品が置かれていますね。この人の作品もよくあちこちであるように思います。 ここは、前回の古い神殿のように、やはり後代にも使い回しされている部分があって、古代の中に、中世の美しい鐘楼が、見られます。
かなり手直しされてはいるものの、紛れもなく、典型的な中世ローマ・スタイルの塔です。ところどころにはめ込まれた色皿は、かつてはアラブ世界から運ばれた彩色模様も美しい陶器のお皿が埋め込まれていた場所に、後から入れられたものと思いますが、鮮やかな一色使いが、かえって印象的でかわいらしいものとなっています。
それにしても、この神殿の大きさにはびっくりしました。後陣を正面にして、その両脇、かなり離れた場所に、太い柱が今でも何本か並んでいるのですが、それが神殿全体の姿だったようなんですよね。
まるで、古代ローマの人が、巨人族ででもあったような縮尺。すべてが。
力を見せ付けるとかそういうもんでしょうけど、なんだか、どんだけ自己顕示欲強かったんだ、とかも考えちゃいます。 ローマはローマで終わっていて、今のイタリア人とはほとんどつながりがないと思っていますけれど、そういう部分だけ細く何かつながっちゃっているかも。自己中、みたいな。 ねぇ。アウグストゥスさんよ。
なぜカエサルでなくアウグストゥスさんかといえば、ここに並んでいる彫像で、最もイケメンだったから。これじゃ女もなびくわ~。
2013/08/22(木) 05:14:01 |
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イタリア王道観光旅行3 いや~、コロッセオはやっぱりでかい! そして、観光客の数が半端じゃない! ローマに付いてからここにたどり着くまで、ついつい中世寄り道などしていたために、意外と人がいないな、と思っていたら、やっぱりいるところにはいるわけで。
ここで、威力を発揮したのが、テルミニで到着早々に購入したローマ・パスです。 4年前に比べると、ずいぶんとお値段が上がっていたし、今回はせいぜい二日のことなので迷いましたが、各種入場料を考えて購入して、結局、お値段的には元が取れなかったのですが、少なくともコロッセオの行列を素通りして入場できた時間の元は取れた気がします。だって、それはすごい行列で、みんな我慢強いなぁ、と観光客の執念に脱帽って言うような状況だったんですよ。あの状態で列に付いたら、少なくとも2時間は待ったのでは、という長さでした。 というわけで、すいすいと入場。 そういえば、ここも中に入るのは十数年ぶりでしょうか。
おお、このでかさは、半端ない。円形競技場はヨーロッパ各地でありますが、やはりローマの迫力にかなう場所はありません。とにかくでかい。そして残骸状態の遺構ではありますが、その残り方がなんだかかっこいい。
通路部分では、各種展示があり、当時の落書きのような彫り物のある石版が興味深かったです。稚拙で、かわいらしくて、石工の下っ端が練習に彫ってみたのかな、みたいな。
ここでまた寄り道。 コロッセオからは、お隣に広がるフォロ・ロマーノの一部を眺めることができますが、その端っこに、現代アートがドカンと置かれているのが見えたんです。
これは、どうみてもわたしの好きなパラディーノさんの作品です。 暑い時間帯だし、フォロ・ロマーノは夕方、または外から見るだけで済ましてもいいのか、とちらりと考えたりもしたのですが、俄然、絶対近くから見なければ!とそそくさとコロッセオを後にしました。 それにしても、中国人の多さにびっくりです。団体がすごい。いまやアジアからの観光客の中で、日本人は少数派で、かつての日本人の地位が、韓国人を経て、中国人となっています。
というわけで、暑いけれども、フォロ・ローマノに向かいましたが、途中、やっぱり中世に引きずられて、サンティ・コズマ・エ・ダミアーノの礼拝堂をちょろりとのぞきます。
相変わらず、昨日出来立て、状態の鮮やかに光り輝くモザイク。オペラグラスで細部を観察しつつ、姉に小声で説明しながら眺めていると、なんだか一人で見ているよりも、冷静にいろいろなものが見えて来る気がしたのが、われながら面白かったです。単に、四年前の記憶が相当失われているっていうことだったんですけどね。 全般が残っていたら、さらに素晴らしいインパクトのあるモザイクだったでしょうねぇ。薀蓄にご興味があれば、下記サイト、「ロマネスクのおと」ローマ編をご参照くださるよう、お願いします。
そしてフォロ・ロマーノ。
こちらは、前回入りたかったのに、行列にびっくりして、すぐきびすを返した場所。今回は全然行列なしで、気が抜けました。やはり暑いときには入りたくないよね。入場したのは4時くらい。その後訪問者が増えたようですが、出るときにも行列はありませんでした。
暑くても、やっぱり面白いです。 想像力が欠如していますから、石がごろごろしている場所に、壮大な神殿があった様子を想像するのは難しいのですが、再現図や説明を見ると、本当にすごいものがあったんだし、ローマは今も昔も大都市なのに、それでもこうやってごろごろ状態で保存していることがすごいなぁ、といろんな意味で感心するばかりです。だって日本の大都市にこんなものがあったとして、さて、二千年からの記憶、こうやって保存できたと思います?
あっちっち、といいながら歩いていると、屋根のある小さな建物がありました。中をのぞくと、土盛りが。
シーザー、カエサルのお墓とされた場所、とあったようなのですが、ほんと? めちゃくちゃしょぼい土盛りに、干からびた花が置かれているだけの割には、建物がしっかりしているのがアンバランスでそれらしく、不思議でした。屋根があるだけですっと涼しいので、狭い場所に、数人ひしめいたりして、おかしかったです。
そして、ここ。前回修行中に行き逃したロモロの神殿です。
フォロに入る前に立ち寄ったサンティ・コスマ・エ・ダミアーノ教会から、この教会を見下ろせるようになっています。というのも、サンティ・コスマが建てられたころは、地面がすごく上がってしまっていたせいなんですね。 円形の神殿で、今は一部の壁に、相当傷んだフレスコ画が残るくらいで、外壁だけが遺構というような状態ですが、見上げると、ガラス壁越しにサンティ・コスマが見える構造は、とても不思議な感じです。古代と中世がつながっているんです。
他の町であれば、ここが、現在の地上部分に残っている教会のクリプタになるという位置づけと思いますから、こういう構造で残っているのは大変珍しく面白いです。古代から連綿と続く時間が見えるような。
王道旅といいながら、修行旅とのオーバーラップを無理やり作り出すようなわたくし。歴史の街だからこそですし、そういう複眼的な散歩は、より面白いよね、と勝手に理屈をつけて。その上、現代アートにもそこここで出会い、時間軸を行ったりきたり。いやはや。
続きます。
2013/08/21(水) 05:33:40 |
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イタリア王道観光旅行2 今回のローマの旅で実感しましたけれど、観光客の数が本当に増えましたね~。わたしが、王道旅を最もよくしていたのは、今を去ること20年前前後のことなので、二昔前に比べると、ということで、当たり前かと思われるかもしれませんが、20年前でも、イタリアは既に立派な観光国だったのです。それでも、今に比べれば、どんな観光地であっても、どんなモニュメントであっても、行列はささやかなものでした。それが今では、夏真っ盛りで、本来のローマ人はほとんどいないはずなのに、町にはとにかく人があふれているんだから、本当に呆然としてしまいます。
といいながら、実は今回の旅の口開けは、おなじみの中世。 というのも、テルミニ駅近くに取ったホテルに到着したのが、そろそろお昼も近い時間だったので、まずは適当にご飯を食べようということになり、どうせなら観光スポットのある方に行きながらレストランを探しましょう、と歩き出したのが理由。 観光スポットとして想定したのはサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂だったのですが、もしかして午前中ぎりぎりで開いているかも、とちょっと小走りに行ってみたのがここ。
はい、おなじみのサンタ・プラッセーデです。 2009年の暮れの修行旅で、初めて出会った黄金のモザイク。やっぱり美しいです。この礼拝堂にも人がいて、入ったときにはその人たちが灯してくれた明かりがついていましたので、輝く天井から光の祝福を受けた気分。
ローマ帝国の遺構観光を想定していた姉は、唐突に出会ったちまちまモザイク、らしからぬ教会のたたずまいに、え?という戸惑いがあったと思いますが、何はともあれ、ローマのモザイクはすごい、という刷り込み(?)完了。このあとも、通り道にかこつけて、4年前の修行の後を辿ってしまいました。 当時と違って、撮影に追い立てられない分、また、今回はしっかりとオペラグラス持参したのもあり、どこでも撮影そっちのけで、じっくりと見ることができて、とてもよい機会でした。おっと、既に添乗員返上、姉そっちのけです。
それにしても、ここのモザイクは素晴らしいです。細部を見ているとますます楽しくなってきて、目を離せなくなります。色もびっくりするくらい美しく輝かしい。 入ったのが、お昼前ぎりぎりの時間だったので、ほんの10分ほどで追い出されてしまいましたが、見ることができてラッキーでした。ローマは帝国だけじゃないことの片鱗。王道旅に、ひとつ何かがプラスって言うか。ちょっとこじつけって言うか…。
その後は、きちんと、サンタ・マリア・マッジョーレを訪問しました。でも、ここも実はとても古い教会ですから、うるさいほどに中世美術の解説をするわたし。鬱陶しい妹だなぁ。
ここはさすがに写真は撮らなかったのですが、かなり高いところにある側壁のモザイクをオペラグラスで、しっかりと見てきました。前回はオペラグラスを忘れた上に、冬でしたから外光に乏しく、見切れなかったのですが、様々なエピソードがとても細かいモザイクで表されていて、オペラグラス、大活躍です。 サンタ・プラッセーデは数えるほどの観光客で、かなり静かでしたが、こちらはさすがに有名スポットで、すごい数の観光客。ざわついていて、神聖な場所ということを、本来クリスチャンが大部分であるはずの皆さん、忘れておりますね。こういう点では、シーズンオフの訪問がベターではあります。
その後に向かったのは、というか、まったく無計画、行き当たりばったりだったのですが、道筋的に近かったので、ミケランジェロを見ようと、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ。 この階段には呆然。
ローマの旧市街を歩いていると、嫌でも七つの丘を足で感じますね。登っては降り、の繰り返しになります。だからこそ、道の先に予期しない風景が現れたりする面白さがあり、ミラノでは決して出会えない空気で、それが新鮮なのですが、35度ほどの日中の散歩は、拷問に近いものもあります。
その上、たどり着いた教会は昼休みでクローズ。
12時半に閉まって、再び開くのは15時。 田舎の教会に比べたら、お昼休みは短いかもしれないけれど、これだけ観光客がいるローマとしては、昼休み止めてほしいものです…。
まだ13時半くらいだったし、とても待つことはできない、と先を急ぎます。こんな雰囲気のある階段を下って。
一般的にローマは湿度が低いのですが、今回の旅の期間は、いつにも増してからっとしていたので、日陰に入るとスーッとして、汗が引きます。実際そうでもなければ、一日中歩き続けることはできなかったと思います。 そして向かうのは。
コロッセオ。 巨大だ~!
ベネチア広場の方からアクセスすることがほとんどですが、今回は、ちょうどその反対側からで、狭い道の突き当たりにコロッセオの一部が見えるような不思議な眺めにも出会って、面白かったです。 そういう中で日々暮らしているローマの人のカルチャーって、やっぱりミラノの人と同じではありえない、とか考えました。
続きます。
2013/08/20(火) 05:12:50 |
旅歩き
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イタリア王道観光旅行1
昨年に引き続き、お盆休みに、日本から姉が遊びに来ました。 昨年は、ベネチアおよびヴェローナの二都市観光旅行と、わたしの地元であるミラノ、その郊外の町をいくつか回る北部中心の、のんびりこじんまりとした1週間でしたが、今回は、ローマとフィレンツェおよびその近郊を回るという、イタリア初心者である日本人旅行者が、必ず一度は通らなければならない道を歩くことにいたしました。
とか何とかいいながら、ついつい自分の趣味を完全に忘れることができなくて、ついつい中世の世界に引っ張り込んだりもしてしまったのですけれど、ローマは帝国だけではないのも確かなので、それはそれ、ですかね。
とにかく、飲兵衛姉妹なので、昼に1本、夜に1本、そして夕食後はグラッパ、合間にちょいとビール、の繰り返し。さすがに内臓が疲れました~。そして、恐れていた通り、ローマではやられました~! どうせこの時期、ろくな店は開いてないだろうから、調べても無駄、と思ったのがあだになりました。ビジネス都市であるミラノに暮らしていると、「観光客相手」、という環境に疎くなるので、ある意味、気合を入れてやってくる日本人観光客よりだましやすいかも。トホホ。 でも、フィレンツェに移ってからは、どこでもおいしいご飯をいただけて、結果的には、しっかりとおいしいものにありつくこともできたので、ほっとしました。
あそこもここも、ということで、欲張りすぎて、若干消化不良気味な部分もありましたが、とにかく時間が短いので仕方ないです。夏休みですら、長期休暇といいながら、その実は週末から週末までお休みを取るのがやっと、という日本のお休み制度は、変わることがないのでしょうかねぇ。
ともかく、バチカンもウフィッツィも、パリオ一色のシエナも、本当に久しぶりだったのです。バチカンなどは、20年くらい訪ねてないかも。ウフィッツィもずいぶんと変わっていたように思いました。また、これだけ食べ続け飲み続ける旅というのは、最近ないので、内臓が辛いと思いながらも、やっぱり楽しかったです。
この王道イタリア旅、夏休み特集ということで、しばらくお付き合いくださいね。
2013/08/18(日) 05:40:02 |
旅歩き
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ラツィオ北部のロマネスク その18 モンテフィアスコーネMontefiasconeサン・フラヴィアーノ教会Chiesa di San Flaviano続きです。 ここ、通過しちゃってもよいかな、と思っていたわりには、内部、結構見るべきものがあり、それがまた、好みだったので、大いに得した気分になりました。大雨だったので、建物内部に入れただけで、かなりほっとしたのも確かですが、それはともかくとしても、なんか落ち着く雰囲気のある本堂だったんです。
いきなり、こんなかわいらしいフィギュアつきの聖水盤がお出迎え。
聖水盤は、古い柱頭が転用されていたり、こういう風にさりげなく当時のフィギュアが残っていたり、あれば必ずチェックする習慣ですけれど、必ずしも嬉しくなるものがあるわけでもない中で、ここは、まったく期待してないところにこういうものがある楽しさ、っていうのがある教会です。ちょっと回りくどい説明だけど。
この聖水盤で、これは絶対になにかある!と期待満々で見学。やっぱり!の連続!柱頭、とってもかわいいんです。 この、ライオン、というより狛犬三連発はどうですか。
ここまであちこち回るなら、もうちょっと図像学とか学問的な方向に行けよ!等、誰からも突っ込まれなくても自分でも思うんですが、自分的にはどこまで行ってもミーハーで、こういうのが純粋に面白い、に、とどまっちゃうんですよねぇ。 狛犬が人をいじめてるんだから、ダニエルさんの獣中心版、単純に、異教徒は獣に食べられちゃいますよって事かな。 狛犬の口から手が出ているのは、どういうことでしょう。これ、珍しい図像な気がしますけれど。っていうか、他で見た記憶なし。 いずれにしても、びっくりぎょろめの狛犬がかわいいでしょう。お尻尾もくねくねで、印象的だし(ライオン尻尾、先っぽやつで状態は、好きなアイテムですねぇ)。
一方で、植物の中に人物フィギュア、というパターンもまた、かわいらしくて。
天使というよりプット。でも片足あげーのダンス状態、みたいなところが超かわいくないですか。顔も、変にとっちゃんぼうやのような年齢不詳で、妖精みたいな感じ。
全体のたたずまい、建築学的な面白さは余りないのに、意外と発見です。
今回何冊か購入した、教会ごとのガイドブックになっているシリーズ新書でも、ちゃんとこの教会はありましたので、オリジナルの位置づけは、おそらく現在の位置づけよりは意味のあるものだったのではないかと思います。この面白い柱頭を見ちゃうとね。
ところで、モンテイファスコーネといえば、エスト・エスト・エスト(白ワイン銘柄)、と直結する酒飲みさんが結構いるかも(わたしのその口ですけれど)。この教会に、その元となった石碑があるというように、事前学習でメモっといたのですが、余りの雨に、すっかりそのチェックを忘れてしまいました。酒飲みとしては、失格。ってこともないですね。酒飲みは、石碑なんて興味ないですもんね。エスト・エスト・エストは、わたしの感覚では、軽い白で、水のように飲めちゃうみたいなタイプだったし、夏にはぴったりなのかも。って言うか、それなら水飲んどけ、ってタイプだったかも。 どうでもいいとはいえ、やっぱり石碑はチェックしときたかったですね。ここは、二度訪ねる機会はなさそうだし。残念。
2013/08/10(土) 06:03:09 |
ラツィオ・ロマネスク
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ラツィオ北部のロマネスク その17 モンテフィアスコーネMontefiasconeサン・フラヴィアーノ教会Chiesa di San Flaviano。
久しぶりに、ブログ・タイトルに忠実に、イタリアに戻ります。やっぱり、このブログでは、イタリア・ロマネスクを語らないとね。 間がひどく開いてしまって、自分自身、既に忘却の彼方状態の、ラツィオ北部の旅(2013年イースター)です。
前回のアクアペンデンテの次に立ち寄ったのが、モンテイファスコーネです。 実は、アクアペンデンテなどよりも、圧倒的に出発地点のヴィテルボに近いのですが、わたしにとって、ぜひとも訪れたい教会の重要度やオープン時間の都合で、戻り道で立ち寄ることになりました。つまり、アクアペンデンテに向かう道で、一度モンテフィアスコーネは通っているのですが、それらしい教会には出会いませんでしたし、町が結構大きかったので、見つからないかもしれないという不安がありました。ただ、ここの教会は、自分的には、どうしても見たかったわけではないので、見つからなければそれはそれ、と思っていたんですが、どうやら、教会の方から呼ばれちゃった感じ。
というのも、戻り道は、なぜか行きとは違う道で、いきなり道沿いに発見しちゃったんですよねぇ。それも、折から降りだした大雨の中。
こんな壮大なファサードが、道からかなり上がったところにどかん!とあります。 幹線道から、いきなり右折したのはいいけれど、びっくりするくらいの急坂で、一瞬頭が真っ白。駐車を間違えると、発進が大変(何度も言及してしまいますが、坂道発進できません)ですからね。でも雨のおかげなのか、変に冷静で、きゅっと横向きに停車して、事なきを得ました。 とにかくすごい雨で、車を降りるのをためらうほどでした。
こんな感じ。傘を差していても、ほとんど意味のない状態です。
カメラが雨にぬれると撮影がだめなので、一瞬傘をちょっとずらして撮影しようとするんですが、ほとんど無理。構図を考える余裕なし。修行旅で、これほどの雨に遭遇したのは始めてかも。それでも、この旅の期間は、イタリア全国で、ずっとじめじめ雨模様だったので、ひどいのがほとんど一瞬だったことを思えば、ずいぶんと恵まれていたと思うんですけれどもね。それにしてもモンテフィアスコーネは、とにかく雨しか印象にないといってもいいくらい。
教会右側は行き止まりの坂道で、左側は、松林みたいになっていて、巡礼の道の看板がありました。
滝のように雨が流れ落ちている急坂を上って(修行旅だから、この大雨でも、とりあえずアクセス可能な後陣は行かなければならないわけで)、教会の後ろまで。ここは車道ですが、おそらくわたしがアクアペンデンテから南下してきた道とは違う、歩く巡礼路もあるのでしょう。 後姿は、ひどくつまらないことになっていました。
でも、坂道にひるまず、ここまで上ってくれば、平らな駐車場があったということでした。慌てちゃだめですね。 雨のおかげで、軒送りの獣らが面白そうだけど、ほとんど観察できなかったし、撮影もできなかったのですが、幸い、内部の装飾も楽しくて、寄り道できてよかったと思いました。
すっごく眠いので、内部装飾は次回。
2013/08/09(金) 06:16:03 |
ラツィオ・ロマネスク
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