ピエモンテ呑み倒れ旅、その7
今回、最後のグラッペリアです。
Distilleria Dott.Mario Montanaro
Via Garibaldi 6, Gallo, Alba
ドクター・マリオ・モンタナーロの蒸留所。なんかお医者さんみたいな名称です。
アルバにもずいぶん近い立地で、一見かなり大きくて、大量生産的な雰囲気なんです。ショーウィンドウもでっかくて、すっごく一般向けのお店って言うか。
こういうのって、ちょっと気持ちがひるみます。ここまで、結構地元っぽい家族経営で、販売も片隅でやってます、的な小規模な蒸留所が多くて、対応もよかったので、最後に大手でどうかな、と思ったり。販売所は完全に普通のお店になっている上に、その半分は、イタリアの食の粋を集めて全国的のみならず、いまや海外でも著名となった食品センターEatalyになっているんだから、ますます気が引けてしまいます。でもせっかく来たんだしね。
それに、本来はお休みのはずの土曜日の午後なのに、この日はオープンしていたんです。おそらくアルバのトリュフ祭り初日、ということと関係もあるのではないかと思います。
で、意を決して入場!
あれ、意外といい感じ。
お店の人もさり気に対応がよくて、期待値が低かっただけに、評価が一気に。
このラベルって、結構見たことある感じ。
並んでいた試飲用のものを何種類か飲ませてもらいました。ここに至るまで、散々リゼルバの熟成モノを購入しているので、お値段安めのデイリーがほしいところに、ちょうどよいお値段で、そこそこ気に入ったものがありましたので、即2本ゲットしました。
どちらもモノビティーニョ(ぶどう種一種)で寝かしてないタイプ。20ユーロもしなかったはず。バローロの方は試したけれど、ネッビオーロは試飲もせずに買ってしまいました。瓶がかっこよかったのもあったし、二種類を同時期に飲み比べながら飲むのもいいかも、と思って。
実は昨日、バローロの方を開けたんです。
ん、悪くはないんですが、最近いただいていたドメニスの3年熟成に比べると、とがっていて、アルコール感が強く、うーん、ちょっとなぁ、後を引かないなぁ。って感じ。
ドメニスは、おいしくて後を引いて、つい一杯で収まらなかったので、それはいいんですけどね、でもやっぱり熟成モノがわたしの好みみたいです。ワインでも、結局樽臭が好きなんで、傾向は一緒かも。
そういえば、このお店でも、お口直しはチョコレートでした。おいしくて、ついつい二つ三つと食べてしまいました。ついでにポケットに忍ばせたりして。でもって、家に帰ると、目の前にあっても食べなかったりするんですけどね~。このグラッパ旅では、普段食べないお菓子を、ずいぶん食べた気がします。それもグラッパ試飲のお口直しなんだから、不思議ですよね。
アルバに近かったので、ちょっと寄り道しました。
町の中心の広場では、伝統的な球技が行われておりました。
しばらく見ていたけれど、ルールがさっぱり分かりませんでした。そもそも、それやってて面白い?って聞きたくなるような単調さ、めんどくささだし、見ている地元の人たちはせめてルールを知っているのではないかと思いましたが、特に盛り上がりもなかったんで、なぞでした。トリュフ祭り共催で、いろいろやっているようでしたが…。
トリュフ祭り会場の、街郊外にある展示会場の周囲は、とにかく車と人であふれておりました。
そういえば、今回、一切トリュフをいただいてなかった…。トリュフ好きに、お叱りを受けそうですね~、せっかく季節にアルバに行って、トリュフ無視、なんて。
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- 2013/10/31(木) 05:52:15|
- グラッパ
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お待たせしました。
と言っても、ほんのちょっとでもお待ちくださっているのは、片手でも余るくらいってことは分かってるんですけれども、それでも、もしかしたらお待ちいただいているかもしれないので、本当にすみません、遅くて。
2010年夏の、トスカーナのドライブ旅、とりあえずの完結です。最後は、はみ出てしまったマイナーな数箇所をまとめました。改めて、こんなマイナーなところまで出かけて、マイナーだけにかえって見つけにくくて、迷って時間使ったりして、われながらあきれたような場所です。
でもそれだけに、妙に印象が強かったりして、どの場所も、びっくりするくらいよく覚えています。重要な場所の記憶をすぐ失ってしまったりするくせにね。道に迷うって言うのも、記憶に残すためには重要だったりするのかな~。
今は、確かにもう、歴史的にも美術的にも重要度は低くて、忘れ去られた場所ばかりと思いますけれど、本当はそんなのって何の意味もないですね。土地も、そこにある思いも、別に歴史的に重要だからそうあるわけじゃなくて、ただ、そこにそうあるものであることは、どれも同じですね。
だってマイナーだといっても、千年以上、常に宗教的な場所としてずっと、土地で大切にされてきた特別な場所だったからこそ、今でもこうやって、訪ねようかという人がいるくらいの何かは持っているわけですから。
マイナーな教会の多くは、一発で中に入れることが少なく、実際今回アップした教会、半分はクローズでした。いつかまた、訪ねる機会があるといいと思っています。
- 2013/10/28(月) 06:23:46|
- ロマネスク全般
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ピエモンテ呑み倒れ旅、その6
ネイヴェの町にあるこの蒸留所は、まさに知る人ぞ知る、という場所。グラッパ好きの人だったら、絶対知ってるし、誰もが一度は訪ねてみたいと思うそういう場所。
Distilleria Levi Serafino
Via XX Settembre 91, Neive
実は、午前中に訪ねたのですが、入り口が分からずにうろうろした挙句、あきらめて他に向かった経緯があります。かつてはそんなこともなかったのでしょうけれど、今ではネイヴェの新市街の中にあって他の建物に囲まれている上に、派手な看板などがなく、普通の家のようなたたずまいなので、いまどきのこじゃれたグラッパ工場系を想像していたら、まず気付かないんです。その上、門扉は思いっきり閉ざされていたわけですし。
ネイヴェの旧市街にある市のエノテカで訪ねたところ、しかし住所を頼りに訪れた場所は正しいようでした。午前中に行ったけど、多分開いてなかったんですよ、と訴えたら、すぐに電話をしてくれて、今日は14時には開くと言うことでした。
ネイヴェのエノテカ、そういえば前回紹介していませんでしたが、小さいながら、とても親切で、地域のワインの試飲もできます。
ランチのあと、14時過ぎに改めて訪ねました。が…。やはり門扉はしっかりと閉ざされていますし、ベルを鳴らしても、誰一人何一つ反応がありません。本来は、この日も、通常の時間、9時/12時および14時/17時に開いているはずなんですけどね~。
呼び鈴を鳴らすこと3回。同行者が、車で裏の方を見てくる、と出かけた直後、赤いバイクがきゅきゅっと門扉の前に停まりました。
ヘルメットを取ったのは、革ジャンに身を包んだ、一見チンピラのような(失礼!)、濃い顔をしたお兄ちゃん。開口一番、「ごめんねぇ~、ちょっと忙しくて~。もしかして電話くれた人~?」。いきなり、すっごくお友達状態のフレンドリーな空気満載。
びっくりしましたが、嬉しかった~。
ここのグラッパは、グラッパそのものも素晴らしいらしいんですが(実は飲んだことないわけです、わたし)、なんといっても、そのラベルが素晴らしいんです。
かわいいでしょぉ~。ロマーノ・レヴィさん、惜しいことに2008年、天国に召されてしまったんですが、天使のグラッパとも称された伝説のグラッパ職人にしてアーティスト。かつては、彼が、手書きのラベルを作っていたんです。そのイラストが、本当に愛らしいんですよぉ。
もちろんすべて手書きでは無理なので、普通は印刷物になっていましたけれど、最晩年まで、大切な方には、自分の手書きのオリジナル・ラベルを貼った瓶をプレゼントしたりしていたようです。
ロマーノさんは初代ではないのでしょうが、ここのグラッパが広く愛されるようになったのは、このロマーノさんの時代から。ロマーノさんの時代でも、既にどこでもやらなくなった直火方式での蒸留にこだわり、今では唯一直火で作る蒸留所となっています。
わたしは、ラベルだけ知っている程度のど素人だったわけですが、門扉から一歩入ったとたんに、もう断然ここのファンになってしまいました。
もうなんていうかね、別世界。なんていったらいいのかな、こんな場所があるんだ~って驚き。そこらじゅうが雑然としていて、混沌でごちゃごちゃで、でも何か芯が通ってる、みたいな。アートって言っちゃえばいいのかな。全体アートなんです。
ロマーノさんの生活していた時代から、いやもっとそれ以前から、全部がそのままなんです。ありえないってくらいに。
で、対応がまた、冒頭の通り、かなりアバウト。
実際、やっと来てくれたお兄ちゃんは、どうやらロマーノさんの孫に当たる三代目かと思われたんですが、すっごく明るくて楽しい人でしたが、相当忙しいようで、せわしなくて、
とりあえず試飲ルームにいざなってくれて、最初の一杯を注いでくれたあと、「いや、今日って、ほら村のお祭りじゃない、ちょっと僕もいろいろあって、町にものを運んだりしないといけなくて。もう一度行かないと行けないんで、悪いけど、君(と、同行者をさして)、君がさ、試飲を仕切ってくれる?じゃぁ、あとで~」と一人で大騒ぎをしながら、急ぎ足に立ち去っていきましたとさ。
取り残されて、一瞬、呆然としてしまったわれわれ。
まぁでも、酒は目の前にあるし、と勝手に試飲させていただきました。ゆっくりと。
それにしても、ここって世界的に有名なレヴィだよね?と、何度も確かめたくなるようなアバウトさではないですか。ある意味、無用心だし。田舎って、懐が広い?
一通り飲んだあと、ぶらぶらとしていたら、約束どおり、お兄さんは戻ってきて、改めていろいろと説明をしてくれました。
そこらにある備品什器は、歴史的なもので、過去の遺産と思い込んでいたら、いやいや、今もこれを使っているんですよ、ということで、またまた驚きました。
葡萄かすを溜める穴。
確かに巨大ではあり、深さは、数メートル。この時期、収穫シーズンでしたので、バルバレスコやバローロが続々と運び込まれるのを待っている時。作業中じゃなくてよかったかも、です。でも、現役でグラッパを作っているとするなら、決して大きすぎることもなく、葡萄かすを溜め込む場所がひとつしかないなんて、おそらく量産する工場では考えられないことではないのか、と思います。
そして一番驚いたのがこちら。
試飲した部屋の奥にあったんですが、確実に展示用の過去の器械と思っていたら、これまた現役だと。えええ。
直火方式というのを見せましょうと、その脇から建物の外に出ました。
これが、蒸留を行う現役の建物。ほとんど中世の家屋ですよ~。
釜。この上にさっきの器械があります。シーズンの間、ここの火を絶やさないんだそうです。今年の火入れが10月末の週末にあるので、よかったら是非いらっしゃいと誘ってくださいました。いつか一度は行ってみたいですねぇ。
ちなみに、もらったチラシを確認したら、明日午後です。地域の方、是非。
それにしても、すべてが信じられないくらいの年季の入り方。でも何も変えたくないんだ、という姿勢がまっすぐでした。
ロマーノさんが、数々のラベルを描いた事務所も、まったくそのまんま。
窓の手前には蜘蛛の巣がびっしり。ロマーノさんが、蜘蛛はほかの虫を退治してくれるから大切にしていたそうですが…。この事務所の雑然ぶりにも、うっとりしてしまいました。掃除や整理整頓嫌い、いいよね、と共感を覚えるっていうか、自分がそういうことが苦手なんで、雑然とした環境って無条件で落ち着くんですよねぇ。
というわけで、結局カモミール風味のグラッパを1本、お買い上げ。このカモミール風味は、今結構トレンドっぽいようでした。ラベルを見るたびに幸せになりそうです。
- 2013/10/26(土) 07:03:46|
- グラッパ
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ラツィオ北部のロマネスク その31
中世に戻ります。シュトリSutriの旧市街に入るには、結構な坂道を登って丘の上を目指すことになります。坂道の先がどうなっているのか分からない道が怖いわたしは、車を遺跡の近くに駐車して、徒歩で向かいました。
住宅が立ち並んでいる一角に、小さなスペースが開いていて、そこに聳え立っていたのが、これ、シュトリのカテドラルCattedrale di Sutriです。
ファサードが明らかにバロックなのは、既におなじみ。後方に建っている、いかにも中世っぽくて本堂とそぐわない塔が、目印になりますね。
タイミングよく、ちょうどミサが終わったところ、信者がぞろぞろと出てきたところでした。するりと中に入ると、お香の香りが漂っていました。
中はもちろん、きらきらです。
この教会を訪ねた目的は、やはりクリプタですから、内陣に向かって突進です。内陣では、ミサの後片付けをしている女性がいらしたので、入ってもいいかどうか、一応確認。ミサも終わったことだし、いきなり閉められて、クリプタに閉じ込められたら怖いしね。おばあさんはにっこり、「もちろんよ、開いているんだから、どうぞどうぞ」ととってもやさしくて、嬉しくなりました。
入り口で明かりの1ユーロを投入~!
おお~!
円柱の林。遺跡と同じく、凝灰岩が使われているようです。渋い黄色がいい感じ。
柱頭の彫り物は、どれも素朴でプリミティブです。
ほとんどは植物モチーフでしたが、時々動物の頭とか、鳥とかがはめ込まれていました。素朴さが逆に力強くて、全体で、この教会らしい何かを作り出しているような気がしました。
円柱のたたずまいもいいのですが、石のヴォルトとリブの存在感も、うっとりしてしまいます。いつまで見ていてもあきないし、目移りするし、そして本当に林のようで、スペースには限りがあるのに、ラビリント状というのですか、距離感がなくなってしまうのです。
そういえば、果てがない永遠って、中世では、組紐とか渦巻きで表現される定番テーマですが、クリプタの円柱の林も、中に迷い込むと鏡の部屋のような永遠の連続を感じるんですね。これは、今まで考えたことがなかったな~。
夢見心地で、地上世界に戻りました。本堂も、床には中世の名残っぽいコスマーティ・モザイクがびっしりと、美しく残っていました。現役で踏みつけ放題はいいですよね。嬉しくなって踏みつけてしまいます。
教会の起源は7世紀頃に遡るそうなので、クリプタも相当古い時代からあったものと思われます。ずっと町のカテドラルだったから、きっと中世の宝も、それなりに現在まで残されてきたのですね。よかった~。
それにしても、ラツィオ北部は、まさにクリプタの宝庫です。事前に調べたときは実感が湧きませんでしたが、これほど次々と目の当たりにすると、壮観です。
すっかり満足して、道をさらに進むと、なんとちゃんとかわいらしい町の広場がありました。
一軒のバールでカプチーノをいただいて、ランチ代わりとしました。向かいにレストランもあって、ぎりぎりランチが取れるだろう時間ではあったのですが、いつもの癖で、次に行きたくて気持ちがはやってしまったんです。こういう修行旅は、一人旅ならではで、ま、これも醍醐味か。
- 2013/10/25(金) 02:39:24|
- ラツィオ・ロマネスク
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ピエモンテ呑み倒れ旅、その5
今回の旅で泊まったのは、ネイヴェNeiveという村近くのアグリツーリズモ。ネイヴェは、「イタリアの最も美しい村」に登録された、中世の面影を残す、小さくてかわいらしい村です。
丘にへばりついた、これだけの村。全部ぐるりとしても、10分はかからないような。
訪れた週末は、ちょうどこの村のお祭りで、村の中心部では、夕方からのお祭りの準備で村中大童の真っ最中でした。
屋台がたくさん出るようで、既に開店しているお店もありましたが、いまだ準備途上。村の若者たちが、トラクターの荷台に乗って、屋台の設営を手伝っているようでした。高校生くらいの、普段はふてくされて道端でタバコをふかしているようなおにいちゃんたちが、大はしゃぎでトラクターに乗り込んで、わいわい興奮している姿、かわいかったです。田舎の高校生ですから、都会の人たちと違って、ふてくされていることもないのかも、だけど。それにしても、トラクターに乗ってあんなに大騒ぎしているっていうことは、ブドウ畑に囲まれたこういう土地でも、普段はそういう機会がないっていう事なのかな。
ちょうど晴れ間が見えて、村のたたずまいが、ますます美しさを増します。お祭りですから、誰もが幸せそうにはしゃいでいる姿には、思わずこっちもにっこりしてしまいます。
こちらの観光地でおなじみの、トレニーノ(小さな列車)もスタンバイです。
われわれが村に向かうとき、トレニーノは、坂道を行くトラックの荷台につまれて、ちょうど運ばれていくところでした。お祭りが始まると、村の人々や観光客を積み込んで、町やその周辺を走り回るのでしょう。明らかに商標登録無視の、どれもが微妙に違う有名キャラクターが大胆に描かれているのも、ご愛嬌です。
屋台は、普段の青空市場のような洋服やアクセサリー屋さんに加えて、地元のワインや物産を売る店や、こんな盆栽風の葡萄を売っているものまで多種ありました。
この葡萄盆栽は、かなり迫力がありました。
日本の本当の盆栽に比べると、小さいものでも30センチ以上はあって、背は相当高いんですが、でも、しっかりと葡萄の房が、それも立派な房がついているんです。葡萄の樹って、もともとねじくれていてひねこびていて、盆栽テイストがありますけれど、それにしても、本当に盆栽同様にこの小さい鉢でこれまでに育てたんだとしたらすごいなぁ。買うことはできないにしても、ちょっとお話をうかがってみたらよかった、と今更後悔しています。
村の一角では、たまたまわたしおよび同行者が大好きな、イタリアの画家エマヌエーレ・ルッツァーティさんEmanuele Luzzatiの展覧会をやっていました。
どれも本当に愛らしくて印象深い絵ばかり。版画とかクレヨンとか、いろいろの素材のやさしい色調の絵で、彼は主に絵本を作っていました。二昔以上も昔、日本に紹介したいよねぇ、という夢のような話を友人としていたことがあります。あの頃でも既にとっても有名な方でしたけれど、でも鬼籍に入られた今を考えれば、版画だったらまだ買えるお値段だったかもしれないなぁ~、と大人らしいことも考えてしまいました。
でも考えたら、当時は今に比べれば、びっくりするくらいお金がなかったんで、そんなことはできようもなかったでしょうけど。物欲もなかったしな~。
夕暮れ、村はずれ。
夢のように美しいブドウ畑。
このあたりでは、まだこの週末も葡萄摘みをしていましたので、ブドウ畑が最高に美しい時期だったのではないかと思います。
ワインやグラッパの話は、また次回。
- 2013/10/24(木) 05:31:23|
- 旅歩き
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ラツィオ北部のロマネスク その30
春っぽく新緑が美しい道をドライブして、次に向かったのはシュトリSutriです。
そろそろ近づいたところで、いきなり路肩に怪しいものが見えてびっくり。
道沿いが、崖みたいな地質になっていて、ぼこぼこ穴が開いているんです。この辺り一帯、古代のエトルリア遺跡ゾーンとなっているのでした。
中世の旧市街はかなり小高い丘の上にあり、下の方の広い地域一帯、遺跡公園になっています。紀元前5/4世紀に、既に町があったそうなんですよ。道沿いにぼこぼこ見えた穴は、どうやらエトルリアのネクロポリス跡、つまり墓地だったようです。
地図の左端が、そのネクロポリス。真ん中辺りの円形は、劇場跡です。そして右上の方には、なんと岩をくりぬいて作られた、古代の神殿跡もあるんです。
残念ながら、公園のオープンは午前中だけで、到着した13時過ぎには、既に店じまい状態でした。こんなに立派な遺跡、なぜ半日しかオープンしないんでしょうねぇ。もったいないことです。結構観光客も来ていたのに。
路肩のネクロポリスを見て、ぎょっとして興味を持つ人もいるでしょうから、予定外だけど、ちょっと寄って行こうかってこともあると思うんですよねぇ。そういう観光客を思いっきり取りこぼして、午後は閉めちゃうって、なんていうか、つくづくイタリアですよねぇ。
円形劇場跡。緑がとても美しかったです。クローズでしたけれど、鉄扉の間から、垣間見ることができました。緑に覆われて、朽ちている観客席の様子も、廃墟芸術のようで、とてもよい感じの遺跡だと思います。ボーっとしたいような場所です。
そして、古代の神殿ミトレオMitreo。これも中には入れませんでしたが、近くまでは行ってみました。
なんともすさまじい、興味をそそられる場所ではありませんか。
凝灰岩をくりぬいて作られた古代の神殿が、13/14世紀に、拡張されて作られた教会のようです。ローマのサンタ・プリスカの地下にあるクリプタと同じタイプ、というように説明にありました。サンタ・プリスカは予約しないと見られないシステムになっていたので、残念ながら訪ねていないのですけれども。
内部には、フレスコ画や柱頭などもあるようでした。
でも、中世のかなり下った頃に、このような場所を教会に転用したということは、貧しい土地だったということでもあるのかしら。
公園の中は遊歩道になっていて、あちこちに教育的な説明版がたくさんあり、面白い伝説が記されていました。
もうローマは目と鼻の先となるこのシュトリには、多くの著名人が立ち寄った記録が残っているのです。少なくともカール大帝、オットー2世、プロバンス司教のウーゴなど、中世界では綺羅星の様な人々の名が見られます。
伝説は、ちょっとそれをこじつけるためかとも思われるようなお話で、カール大帝に付き従った12人の騎士の一人オルランドに関してです。
同人は、まさにここシュトリの居住地にも近い洞窟で生まれました(おそらく、エトルリアの墓だった穴のひとつ)。母親のベルタは、カール大帝の姉(または妹)であったにもかかわらず、許されない恋愛をしたことで、王宮から追放されてしまい、このような場所で出産せざるを得なかったのです。
800年代の冬、カール大帝が、ローマ皇帝に謁見する旅の途上、シュトリに滞在したと歴史に記されているとのことなのですが、それは、自分の姉妹と甥に会うためだったのかもしれないということなのですね。それにしても、カール大帝の姉が、なぜシュトリに流れ着いたのか、ちょっと変ですけども。カール大帝のシュトリの滞在をもっともらしくするためだったんでしょうかね。
遺跡のある公園内を、かつてのフランチジェーナ街道が通っています。この地域、フランチジェーナ街道の小さな支線が、たくさんあるんだそうです。丘の地形だから、それを縫うようにして村ができて、教会ができて、という成り立ちなのでしょう。本道は、今でも堂々とした場所の多いフランチジェーナ街道も、ここら辺ではくねくねの小路ばかりです。
それにしても、古代から定住のあった土地が中世に街道として人の行き来を呼び込み、現在までゆかりの町があるっていうのは、なんだかすごいことです。二千年以上の歴史が目の前に集積しているんですから、目がくらむような眺めではあります。
これは、公園の入り口、チケット売り場ですけれども、そんなにすごい場所なのに、クローズなんて。しつこいけど、がっかりですよ~!
おっと、古代への寄り道が長くなってしまいました。次回、シュトリの中世を訪ねます。
- 2013/10/22(火) 05:07:07|
- ラツィオ・ロマネスク
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ラツィオ北部のロマネスク その29
道なり、という感じでさくさくと次に訪ねたのは、ネピNepiです。訪ねるべきは、この町のドゥオモDuomo。ネピって言うと、吟遊詩人?ゲーテ?森鷗外?なんかいろいろと文学が頭を駆け回ります。でも、到着した町は、意外と普通でした。
町は、幹線から、川を隔てたところにあるのですけれど、まずは、見事な水道橋に目を引かれました。
ローマの治水は本当にすごいですね。こんなところにある水道橋、名前もないし、誰も知らない。ローマ時代の道や水道橋、ありすぎて名所としても陳腐って言うか、そういうレベルで、今でもただ普通に残っている建造物。そうは言っても、ここの水道橋、かなり立派だと思うんですけれど。どうですか、ね。
これだけの水道橋があるんだし、こっち行けば街なんだろうな、と素直にナビの指示に従って、一応町に入ったのですが、坂道連続の上に、どうやら穏やかに駐車できる場所はなさそう。ということで、すごすごとあと返り、改めて川を渡って、町に入る前の道端に路駐することに決定。
これ、川向こうの建物の前にちんまりと停めたのが、このときのレンタカー、地味なグレーの500です。
こういうさり気な路上駐車も、十年前はできなかったなぁ、と感無量のわたくし…。それはともかくとして、前回に引き続き天候は不安定で、時折雨がぱらつく中、ネピの町に向かいました。
町のとっつきに、目的のドゥオモはあったのですが、なんと思いっきり、ミサの最中。目的は教会というよりもクリプタなので、ミサではどうしようもありません。とりあえず、町をぶらぶらとすることとしました。
雨上がりで晴れ晴れと美しい町。メインの広場では、イースターのイベントの始まるところでした。大人の背丈よりも大きなイースター・エッグ(多分チョコレート製)が、何かのコンテストの賞品になっているようで、市庁舎前に、人々が集まりつつあるところでした。「ハレ」の気配が濃厚で、町中が嬉しそうに笑っているような、そういう空気の充満で、なんだか嬉しくなってきたものです。
ゆるゆると、嬉しい気分でドゥオモに戻ると、おりしもミサがはねた(?)ところ、信者が続々と出てきます。逆流で無理やり入り込むと、教会内部は、これです。
ぎょへ~!目を射るような金銀のバロック装飾満載!
事前に調べていなければ、とてもロマネスクには到達できない現実です。はぁ。
わき目もふらずに小走りで内陣へ。
ミサ終了と同時に、教会を閉めるといわれたら困るし、実際、ランチの時間(12時半)なので、いつ閉められてもおかしくない状態ですからね、一人であせる一方です。
それにしても、近づいた内陣、クリプタへのアクセス、これでっせ?本当にあるんか、ロマネスク?と戸惑いながら、階段を降りました。
案じるよりうむがやすし、ですかねぇ~。
嬉しかったなぁ、明かりが灯ったときの、このクリプタの姿は。
かわいいでしょぉ~。
とにかく必死で撮影して、目に焼き付けて、という作業を行いましたですよ。
わたしが小銭を入れて点灯した明かりに引かれて、わたしのあとから、地元のお嬢さんたちが入ってきたりもしましたけどね、実際、本当に短時間で、閉めますから~、と声をかけられえてしまったので、アセアセの気持ち、正しかったんですよ。
見られた以上は、見る価値があったし、このためだけでもネピに立ち寄る価値はあると思いますけれど、なんか追い立てられるように見て、本当のところどうだったんだろう、という気持ちは、ちょっとあります。
少なくとも、外見は普通ながら中身は超バロック、でもクリプタに中世、というミスマッチ的には、かなり落差が激しい=面白味のある教会であることは確かですね。
- 2013/10/21(月) 06:37:19|
- ラツィオ・ロマネスク
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ピエモンテ呑み倒れ旅、その4
今日も今日とて、朝からグラッパ試飲の旅!
修行とは言え、厳しいね~、とかなんとか言いながら、グラッパ倶楽部、楽しい一日の始まりです。
なんせ、朝も早よからグラッパの試飲が予定されているので、朝ごはんはしっかりいただきました。チーズもハムもヨーグルトも。なんといってもアルコール対策、胃幕を保護しないとね!
しょっぱなは、友人の一人が、今回どうしても訪ねたかったというグラッパ生産者です。
マローロ醸造所
Distilleria Santa Teresa dei Fratelli Marolo
Corso Canale 105/1, Frazione Mussotto Cn I, Alba
街道沿いにある、至って普通の。地方の会社風建物。道に看板は出ていますが、にわかにはお酒関係とは思えないような近代的な雰囲気、大衆にこびたところが一切ない面構えの会社です。
営業開始して間もないような時間。いいのかな~、という雰囲気の中入ると、試飲ルームに通されました。
今、担当者が来ますから、ということで、並べられたグラッパ各種を眺めて待っていると、やってきたのは、超さわやかなイケメン青年でした!早速試飲開始です。
イケメン青年は、直系三代目!
なんと、日本の慶応大学にも留学していたという方で、その上、繰り返しちゃいますけれど、イケメン!その三代目が、朝っぱらから情熱的に自社のグラッパを語ります。もちろん、説明と同時に、正しい順番で試飲をさせてくれます。
何種類いただいたことでしょう。これまた繰り返しますが、朝の10時ごろですからね。朝ごはんのチーズやハムの摂取に感謝しつつ。
そういえば、ここでもお口直しは、チョコやジャンドゥイオットなど、甘いもの系でした。グラッパってつくづく、蒸留酒なんだね。ついさっき朝食をいただいたばかりの身体に、40度~50度の蒸留酒と、チョコレート。どうよ、これ。
熟成させていないタイプから始まって、樽での熟成、12年、20年、果ては27年物まで!そして、醸造の様々なやり方や試行錯誤のお話を、いろいろ聞かせてくださいました。熟成させる樽に関する試行錯誤もいろいろあって、たとえば、シチリアのパッシート(干し葡萄を使って作る甘いデザート・ワイン)に使われた樽を、若干液体部分も残ったまま、グラッパに使うことで、複雑な香りをつけるとか、そういうことは、実に興味深いお話でした。
ここに来るまで、とにかくグラッパのことをほとんど知らない状態でしたので、実に勉強になったし、ますます興味が湧いてきました。彼の情熱的な説明によるところも大きいな~!
なるほどな~、と思ったのは、もともとワインも含めた農作物に対する規制の甘かったイタリアで、グラッパは、ワインに比べてもさらに規制が甘くて、最近まで、生産者のやりたい放題状態で、「こういうものがグラッパと呼称できる」という基本定義すらあいまいだったらしいという事実。そういういい加減な世界の中で、よりおいしいもの、洗練されたものを作り出そうとした生産者中の一人が、彼の先祖というか、おじいさんだったということ。
見るからにいまどきの若者そのものの三代目なのに、その情熱的な説明を聞いていると、今の若者というよりも、おじいさんの世代を髣髴とさせる、逆にグローバルな空気というのか、地に足をつけながらも未来を感じさせる空気を感じて、とても好ましいものでありました。そりゃねぇ、まさにサラブレッドではあるけれども、現在の不安定なイタリアに置いて、自身の生産物に全幅の自信がある三代目を得た会社は、本当に素晴らしいよなぁ、と。
試飲のグラッパも、いや、一種類一グラスでいいから、三人で分けるから、と言っても、しっかりとそれぞれに試飲をさせてくれて、それも、どぼどぼと注いでくれるんで、ただ恐縮するばかりでした。捨てるのもったいないし、とつい飲み干そうとしてしまうわれわれ。いや、それ間違ってますから。と思いつつも貧乏性って、嫌よね。
一通り試飲を終わった頃、ちょうど次のグループがやって来ました。三代目は、ごめんね、次も対応しないといけないから、と価格リストを渡してくれて、後は購入するかしないかモードです。試飲ルームに展示してある各種グラッパを見ながら、考えました。
ここのグラッパ、ラベルがとってもかわいらしいんです。
これ、最も多く目に付く鳥のモチーフ。熟成グラッパのラベルなんですけれどね、9年から20年まで、鳥のとまっている樹の状態がそれぞれ違うんですよ。つぼみから始まって、花咲いて、実がなるっていう。
すべてのオリジナル・ラベルのデザインは、おじいさんのお友達で、絵心のある人が作り出したのが始めなんだそうです。どうやら、かなりアーティスティックなお友達関係があったようなんですよねぇ、おじいさんの時代。
で、ラベルにしても、ビンにしても、とってもかわいらしくて独創的なものがたくさんあるんです。当時も今も。
ベネチアのガラス職人に作らせたような、内部にいろんな空洞のある瓶とか、表面に色ガラスがはめ込まれている瓶とか。そしてラベルは、それぞれイラストが本当に愛らしいんですよねぇ。
結局ここでは、デイリーユース向けの、熟成していないものを二本購入しましたが、お値段も、とてもリーズナブルでした。今回はこれだけど、次回は是非これを、と思いながらね。
われわれが購入する際には、試飲対応をしてくれた三代目のお父さん(つまり、二代目)とお母さんが来ていて、おお、よく来てくれました、みたいな感じで、両者ともすごく感じがよくて、家族ぐるみで、もうなんと言うか、こういう人たちの作っているものなら間違いないよね、というオーラ満載。
ここは、定期的に訪ねたい醸造所と思います。いや、よい醸造所ですし、将来が楽しみ。
イケメンの若者の成長も、しっかりと見届けたい(オバサンの発言。明らかに)。
- 2013/10/20(日) 06:13:01|
- グラッパ
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ラツィオ北部のロマネスク その28
カステル・サンテリアのバジリカBasilica di Castel Sant'Elia、続きです。
修復中でクローズだったにもかかわらず、なぜか扉は鉄扉だけで、中の様子が見えたのは、本当に嬉しいことでした。とは言え、肉眼では余りよく見えませんでしたが、こういうときに威力を発揮するのがズームですね。20倍のカメラを持っていて、本当によかったです。
正面扉の鉄扉越しに、パチリ。
中に入りたいなぁ、としみじみ思わせる雰囲気のある本堂です。三身廊それぞれに後陣があり、それぞれに美しいフレスコ画があります。
掲げられていたお知らせには、修復は2012年11月から2013年4月末までとありました。訪ねたのは3月末、終了も近いことから、もしかするとフレスコ画も、修復終わったばかりのぴかぴかの状態なのかもしれません。遠目だし、それ以前の姿を知りませんから、フレスコにも修復が入っているかどうかは分からないのですけれど。
右身廊の奥に見えた、黙示録のフレスコ画。
色が美しいです。緑も青も、とってもゆるい柔らかな色で、幻想的な。保存状態はかなりいいようでした。おじいさんたち、りんごのほっぺで、愛らしいんです。
一方、左身廊も、逆向き、つまり中央後陣に顔を向けた黙示録。でも、残念ながら、こちらは残っている部分も限定的だし、絵も、相当傷んでしまっているようでした。
ちなみに中央後陣部分には、「祝福するキリストと両脇に聖人らしい人物」という絵がありましたが、写真は残念ながら大失敗、大ボケで見られたもんじゃありませんでした。後陣前にチボリオがあったので、下部もよく見えませんでした。羊が並んでいたり、かわいらしいモチーフに、やはり暖かい色彩が垣間見えましたので、残念。
今頃、このあたりを旅されている友人がおりますので、この教会が現在どうなっているか、必ず確かめたいと思います。
内部では、フレスコ画のほかにも、床のコスマーティ・モザイクとか、古典的な柱頭が、注目ポイントです。
ちなみに上の写真を縁取る白い部分は、鉄扉の超接写…。辛い状況をご理解いただけるかと…。
とにかく全体に淡い色彩が、わたしは好きでした。いつか近くから見られるチャンスがあることを期待します。
気を取り直して、ファサードの装飾へ。
全体に地味そのもののファサードですが、扉周りだけは大理石の彫り物がたくさんあって、地味ながら華やか、そして、わたし好みのモチーフばかりで、心躍るものがびっしり。
一番気になっていた、左扉の装飾。
モチーフや形状から、おそらく古い説教壇の石版を活用したものだと思われます。組紐部分がうまくカーブで組み合わされているので、一瞬こういうもんかと思ってしまいますが、どうやら二つの部分を実にうまい具合に組み合わせたのですね。
一方で、右扉の方は、アーキトレーブがかわいらしいです。
グリーンマンから吐き出された蔓を、ガジガジしている獣が、わたし好み~。
ふんっ!て後ろに投げ出している右後ろ足の様子も好き~。
中央扉もかなり地味ですが、よく見ると、やっぱり再利用の部分がたくさん。
アーキボルトも、いろんな破片の組み合わせだし、扉両脇の柱部分も、みな継ぎ接ぎなんですね。モチーフがつる草や組紐なので、継ぎ接ぎなのに一貫性があります。
アーキトレーブ部分には、動物フィギュアがありますが、ここは石の種類も違っています。多くの破片部分は、ロンゴバルド時代、つまり古い時代のものですが、このアーキトレーブと、両脇の柱部分装飾に、ロマネスク時代の風味が見られるように思いました。たとえば、この人たち…。
後代の手が多く入っている(多分)分、全体のたたずまいとしての魅力には欠けるかもしれない教会ながら、ロケーションが素晴らしいし、ディテールが本当に面白いのです。必ずや再訪します。
- 2013/10/18(金) 03:06:26|
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ラツィオ北部のロマネスク その27
このラツィオの旅、始まりからずっと、お天気がとっても不安定でした。それでもここまでは、なんとなくうまい具合に行って、まともに大雨の中を歩くこともなく、すんでいましたが、ずっとそんなわけに行くはずはなかったんです。
そんなわけで、それはそれは激しい修行となってしまいました。その分、出会った風景すべてが印象深く、ずいぶんと時間がたちますが、忘れがたい土地です。
それはここ、カステル・サンテリアCastel Sant'Eliaです。
ナビにしたがって到着した町は、なんの変哲もない地方都市で、住宅の立ち並ぶ一角にとりあえず停車。ナビは、まだ先に行けと指示しています。実際、降りてみましたが、地図もないし、いかにも住宅地で、店もないし、誰もいないのです。仕方なく再発進。しかし、住宅地を軽く一周した後、とんでもない下り坂の小路に行け、と支持されて、これは絶対無理だと思い、結局最初に駐車した場所に戻りました。
そこから、ナビで指示された下り坂を徒歩で降りたところ、そりゃすごい小路で、車だったら立ち往生間違いなし。行くも帰るも地獄、というような道でした。そもそも車道ですらない小路。トムトムにしてやられるところでした。悪い予感にしたがって、よかった!
いよいよ雨が降ってきました。
そして、ほんの一瞬後にはしのつく大雨。
両側から迫ってくる住宅地を下ると車道があり、道の反対側には、いかにも旧市街の入り口然とした門があります。
教会の影も形も見えないながら、こえはやはりくぐりたくなりますでしょう。おそらく昔の町をめぐる壁でしょうし。工事中の場所が多くて、雨でどんどんぬかるんできますが、いっそのこと、ひるまずに突撃です。
かなりの急坂を上るうちに、雨はひどくなる一方。そして、教会はまったく見えないまま、旧市街の住宅地に入り込みました。本当に狭い道で、家の中から窓辺の花をいじっているおばあさんがおりましたので、教会の場所を聞いてみると、谷の底よ、あそこからどんどん降りていくのよ、教えられました。
わたしも必至だったんですが、あのおばあさん、わたしのことなんだと思ったでしょうねぇ。傘を差していても全身ぬれてしまうような大雨の中、教会を探して彷徨う謎の東洋人。いや、もしかすると、東洋人であることすら認識されていなかったかも。目の前の視界がけぶるくらいの激しさでしたからねぇ。
入ったのとは異なる門の下で、さすがにしばらく雨宿り休憩しました。とても歩けないけれど、だからといって車でどう行くのかも検討つかないし。
でも、しばらく待っても全然やまないので、決心して、歩き出しました。
おばあさんが言っていたらしい坂道が広がりました。きれいな幅広の車線の車道。なんだよ~、って感じ。底を下りだした頃、空が明るくなってきて、今あとにしたばかりの旧市街を眺めると、もやが立っています。
まだ雨は継続中なんですが、一気に晴れ間が見えてきて、冷たい空気と太陽の熱が同時に発生したためなのか、緑のあちこちから蒸気が上がって、それはもう絵もいえぬ美しい風景が広がりました。あんまりぽかんとしちゃって、撮影もできませんでしたけど。
この坂道、歩いて行かれた方は分かると思うのですが、かなりの急坂です。
雨水が、川のようになって流れていき、下半身は完全にずぶぬれとなりました。
木立の間に、目指す教会の姿が垣間見えたときは、本当に嬉しかったです。
到着。バジリカ・ディ・サンテリアBasilica di Sant'Elia。
上から見たとき、車が駐車していたので、しめしめ、と思ったのですが、何たることか、修復中で、クローズでした…。教会の裏が墓地となっているので、車は地元の人で、どうやら墓参りに来たようでした。
大雨のせいもあり、苦労した分、一瞬倒れそうなくらいに、がっくり。
お天気も一気によくなってきたので、ここで内部の見学ができれば、まさに完璧だったのにね。
墓地に取り囲まれた後陣。
半円後陣が、ひとつだけぽっこり出ています。両脇二つは、後付で囲われちゃったのかな。そういう風なスタイルって、どこかで見たような気がします。
中には入れなかったんですが、実はここ、不思議なことに、門は開けられていたんですよね。鉄扉があるから入れないんですが、鉄扉越しに、内部をちょっとは見ることができました。これは、やさしさ?墓地に来る人たちがいるわけだから、その人たちがお参りできますように、でしょうか。
それに、かなり大掛かりな修復のようでしたが、正面ファサードは終わっておりましたので、かわいらしい扉周りの彫り物は、じっくりと観察できました。
次回お楽しみに。
- 2013/10/17(木) 05:32:30|
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