フリウリの中世その11
チヴィダーレで最後に観光したのは、このケルトの地下墳墓Ipogeo Celticoです。
悪魔の橋の手前を、ちょっと小路に入ったところにある、一見したら観光地とは思えないたたずまい。以前も訪問したのですが、無料だし、ついつい鍵を借りてしまいました。 ここは、観光地になっているのですが、実は個人所有らしいんですよ。右隣にある、大通りに面したバールの持ち物なのかな。そのバール、または観光案内所で鍵を貸してくれます。
扉を入ってすぐの階段は、誰かの家の地下室みたいで、なんだ、これは?という感じになっているのですが、すぐにこのような階段が続きます。
地下に向かうのは、いつもどきどきしますね。それも一人だと、閉じ込められている感が強く感じられ、不安やなにやら。スイッチを入れたらずっとついている電気なのが幸いです。自動的に切れちゃう電気だったりしたら、確実にパニック。
ここは、ローマ初期の頃に作られたと考えられているものの、確かな起源と用途はいまだ不明。悪魔の橋のそば、ということは、ナティソーネ川の側ということで、地下に向かって掘られているため、泥状の土壌になっています。
こんな風に三つの部屋に分かれていて、どれもすごく背が低く、あちこちにニッチが開けられていたり、棚が置かれている構造が、フランス南部に見られる古代の墳墓構造に共通するものがあることから、ケルトの墳墓、という名称になったらしいのです。
石の壁のあちこちから、ぽたぽたと水がたれて、鍾乳石のようになっている部分があるかと思うと、こんな地下なのに、緑が…。
すごく清々しい新鮮な緑で、本当にびっくりしました。ピュアな空気が漂っているんです。コケも植物ですから、光がないとだめなものだと思うんですが、この人工の明かりが時々灯るのを頼りに生きているんでしょうか。いやはや、植物の生命力って、恐ろしいものがありますね。
とても狭いので、あっという間に見学終了。
後は、旧市街を散策しながら、久しぶりにスケッチ。
本当に長い間サボっていたら、びっくりするくらい描けない。愕然としました。 さっさと切り上げて、川の辺りや旧市街をのんびりと歩きました。
これからは少しずつ、描くようにしようと思いながら。それって、余裕のある旅じゃないと無理なので、つまりは、いつもいつも駆けずり回るばっかりじゃなくて、ゆっくりと散歩したり、広場に座ってみたり、そういう時間をもう少し持つのもいいか、ということです。 無理かな。
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2013/11/29(金) 04:08:08 |
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フリウリの中世その10
チヴィダーレ、続きます。 ドゥオモの脇にある堂々とした建物が、国立考古学博物館Museo Archeologico Nazionale。
ドゥオモ博物館とテンピエット、そしてこの博物館の共通チケットが9ユーロとお得感ありましたので購入。正直、どっちでもよかったのですが、せっかくなので、行ってみました。 そしたら、さすがロンゴバルド、世界遺産の町だけあって、やはり持っていますね。行ってよかったです。
中世の、様々な浮き彫りが並んでいる部屋。さりげない展示ですが、説明もなかなか丁寧で、じっくりとみていると、結構時間がかかりますが、それだけの価値のあるもの満載です。 まぁ、考古学系は、興味がないと、ふーん、で通り過ぎちゃうようなものばかりですけどね。今のわたしだと、たとえばローマものは、もう見飽きたな、程度でさらりと流しちゃいます。
なんか、どれも意匠が斬新で、面白いのです。置かれた場所も様々な彫り物たち。出自が分からないものもたくさんあるようでしたが、いずれもチヴィダーレで見つかったものには間違いありません。 12/13世紀頃の、ビザンチン時代のものも多数あるようです。ビザンチンは、まだまだ、勉強しないといけないんですよねぇ。
小さい作品も、いろいろ取り混ぜて一気に見ると、訴えてくるものがあり、現地に置いてあるときとは違った何かを醸し出したりね。実際、宝石ちりばめた象牙っぽい彫り物など、もともと、一般に公開していたものでもないだろうし、こういうものを拝めるのは、博物館ならではです。そして、じっくりと見学できる時間のあるときならでは。
ロンゴバルドの細工物小品にも、素晴らしいものがありました。ロンゴバルドの装飾系の小物の細工は素晴らしいのですが、レベルの高いものは、なかなかお目にかかれませんよ。これらは、本当に小さい小さいもので、とても地味なペンダント・ヘッドとか、よくあるベルトのバックル系の、装飾的な作品です。
黄金のコインのモチーフも、いつもびっくりするくらいかわいらしいんですよねぇ。こんなものを延々と並べられても、と思われそうですが、好きなんだからしょうがないですねぇ。
というわけで、多分一般的にはとっても地味な展示内容ですが、中世部分は、かなり気に入りました。博物館共通券が、迷惑なこともありますが、ここではお値段もリーズナブルだし、時間に余裕のある方には、是非お勧めしたいものです。
今回、これまでになく地味な内容ですねぇ。
2013/11/28(木) 06:19:03 |
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フリウリの中世その9
素敵な博物館の次は、チヴィダーレの代表的なロンゴバルド芸術が見られるテンピエット(神殿)に移動します。 驚きました。以前訪ねたときとは様変わりで、テンピエットを含むかつての修道院のほとんどの部分が訪問可能になっていたんです。以前は、テンピエットのある一角が開放されていただけでした。 Monastero di Santa Maria in Valle e Tempietto Longobardo 名称も、「サンタ・マリア・イン・ヴァッレ修道院と、ロンゴバルドの神殿」となっており、入り口から何から、まったく違う場所になっていて、最初は自分の記憶力を疑ったくらいです。
入ってすぐの場所には、教会があります。 この一帯は、ロンゴバルドの時代の町の中心地で、お城があったりした場所だったらしいんです。つまり7/8世紀頃から、すでに一連の巨大建物が建っていたもの。 全体の構造は、こうなっています。
下にあるのが、教会、サン・ジョバンニ・バッティスタで、右上の黒枠がテンピエット(神殿)、上の方は修道院の居住部分で、大きな中庭を取り巻く回廊になっています。教会とテンピエットの後ろ側は、ナティソーネ川を見下ろす断崖ぎりぎりというすごいロケーションです。 構造はよく残っているのですが、長い歴史の経過する間に、建物的には、残念ながら、テンピエット以外は、創建当時の姿とは様変わりしてしまったもの。 教会内部は、まったく新しくて、無愛想な姿でした。
教会前に受付があり、そこからテンピエットに続く中庭に入ります。ここはびっくりするくらい広い回廊で、変形した不思議な形。多分土地の形に合わせたのでしょう。
とてもよくお手入れされた庭になっています。 訪ねたときは、時代物の自転車を展示する展覧会場でもあったので、あちこちにアンティークっぽい自転車がたくさん置いてありました。 イタリアの自転車は、今でも高いクオリティを誇りますが、昔からすごかったんですね。日本の自動車会社のスタートは織機がほとんどと思いますが、そういえばイタリアはどうなんでしょう。もしかして自転車?
修道院は、今はありません。長い間女子修道院だったようですが、ずっと放置されていて、最近修復されたものの、展示会用や物置に、一部のスペースが使われているだけ。内部がどういう状態かは分かりませんが、相当広いので、もったいないみたいです。
そして、いよいよテンピエットに移ろうか、という頃に、博物館で見かけた数十人の団体がどやどやと入ってきましたので、のろのろしている暇はない!と大急ぎで向かいました。 というのも、テンピエットはとても狭いので、団体なんかと一緒になったら大変なのが分かっていたのです。 それでも、入場前に、この絶景は、無視できませんでした。
教会の側壁に当たる部分に、ちょっとだけお休憩スペースが設けられていて、断崖絶壁からナティソーネ側と町の一部を見ることができたのです。カメラのレベルおよび写真の腕がいまひとつで、こういう風景は、素晴らしさを伝えるのが難しいですねぇ。気持ちよい風が吹いて、いつまでものんびりしたくなる場所ですが、団体が気になります。 といいながら、これはなんだろう?
教会の下に温室でもあるのかしら。チェーンが滑車で窓につなげられていて、錘があって。何らかの作業で開けられるようになっているのでしょうけれど、からきし理系の頭がないわたしには、からくりがまったく分かりませんでした。 でも、こういう単純でシンプルなからくりの姿って、ちょっとアートっぽくて好きなんです。 おっと、団体が来ちまうぜ~!
テンピエット。
ここは、以前来たときと変わってないです。ただ、観光化が進んだおかげか、撮影禁止になっていました。ではこの写真は…。以前撮影禁止じゃなかった時代のもの、ということにしておきましょう~!
この小さなスペースでは、ロンゴバルド芸術のレベルの高さが感じられます。結構、ギリシャやローマ風のテイストも持っていたんだ~、ということなど、他では見ることができないので、びっくりします。建物の手前側天井には、14世紀頃のフレスコ画がびっしりあるのですが、少なくともわたしにとっては、その天井画はまったく意味がない作品で。もちろん、大いに好みの問題ですけれどね。とにかく、このテンピエットは、良くぞここまで素晴らしい状態で残った、ということも含めて、本当に素晴らしく、多くの人にお勧めしたい場所です。 そういえば、ロンゴバルド遺産ということで、イタリアのいくつかの地域がまとめて、ユネスコの世界遺産に登録されています。そのひとつが、ここチヴィダーレですね。
出口から、建物を振り返って、気付きました。
昔は、こっちが入り口兼出口だったんです。あーよかった。記憶力の問題じゃなくて、本当に以前とは違ってしまったんだな、とちょっと安心しました。 この道も、すっかり美しく整備されていますが、以前は、こんなところでいいのかしら、というような小道だった気がします。ラベンナの例もあるように、やはり世界遺産になってから、いろいろ整備も進んだのかしら。嬉しい反面、人が押し寄せて困る面もありますけど。いや、観光地としては困らないのかな。 昔の写真、引っ張り出したくなりました。
2013/11/27(水) 04:01:49 |
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フリウリの中世その8
チヴィダーレ・デル・フリウリCividale del Friuli、ドゥオモのキリスト教博物館Museo Cristiano - Duomo続きです。
前回紹介の、ロンゴバルドにハデハデな色彩があったという記事に、ひどく限定的ではありますが、驚きの反応をいただきました。実は、このブログは書き飛ばし的で、旅の途上の諸々を、事実かどうかはさておいて書き飛ばす、ということに重きを置いているので、本当のところは分からずに書き飛ばしています。それで、本当に、中世の当時から色彩あったのかどうか、ちょっと自信なくなってますが、サイトに整理するまでは、詳細調べない前提なので、そういうご了解でよろしくお願いします~!
というわけで、色彩云々は置いといて、この博物館の中世初期の展示、続けます。
色彩のイベントで、現物の姿が疎かになっていましたけれど、こういうものです。中世初期におなじみの、天使に支えられたアーモンド内のキリスト。支える天使、たいていは二人ですが、ここでは四人で大わらわ。いずれも手が、半端なく大きいのが、とっても印象的。手が大きいのって、初期キリスト教時期によく見られるものという気がしますが、いかがでしょうか。 右下左下の天使に、彩色のあとが見られますでしょう。 裏側は、大好きな十字架ロンゴバルド文様。
十字架は、かなりシンプル。周辺もごみごみと装飾を入れてなくて、ビスケット文様状のお花がかわいらしい。周辺のなみなみモチーフもビスケット文様状態で、うっとりのかわいさですね。
両側の側面。
すっごーい。余りに変でぶっとびます。 額の十字架が既にホラー映画状態だし、足の纏足状の小ささが、「いや~ん、かわいい」と、わたしの琴線をくすぐります。それにしても、なんとも不思議なフィギュア。変にドレープ強調の衣も、なぜ?と不思議な対象になります。どう見ても未確認物体状のフィギュアだし、全部。
一方で、部屋の奥の方に置かれている洗礼盤の周囲の装飾は、結構おなじみ。
動物と、永遠モチーフの組紐中心のアブストラクト装飾。
一応洗礼盤中心になっていますが、もしかするとチボリオとか説教壇の一部を、無理やりこういう形にしたのかもしれません。いずれにしても、とにかく面全体で、びっくりするくらい保存状態がよくて、これほどのものが一堂に会している、というのは、本当に驚くべきことです。それを、数年前に訪ねたときは見ていなかったオレ…。超反省です。
ドゥオモ博物館ですから、当然、これ以後の時代にかかわる遺構も多数展示されていますが、わたしには、この時代で終わりです。それでも他も含めて一通り見学した後、受付の人にいろいろ気になるところを尋ねたところ、かなり反応よく、多く説明してもらえて、面白かったです。これで手持ち最後、というロンゴバルド関係の本も、安く入手できて嬉しかった(後からじっくり見たところ、かなり専門性の高い研究書で、果たして、自分、いつか読むか、と言ったら、正直自信ないですが、でもロンゴバルド関係の書籍はびっくりするくらい希少価値なので、このお値段=15ユーロでの入手は、間違いなく超ラッキーです)。 その上、一人でじっくり見て、じっくり説明も聞いた直後、なんと40人からなる団体さんが見学に押し寄せたのでした。知ってはいたのだろうけれど、それでも受付の人も呆然、の状態でした。 いろんな意味で、本当にラッキーな訪問でした。これだけで、チヴィダーレを再訪した価値があるってもんです。
2013/11/25(月) 06:45:51 |
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フリウリの中世その7
いよいよ、チヴィダーレ・デル・フリウリCividale del Friuliの中世探訪、開始です。 まずは、前回スルーしてしまった場所で、何をおいても訪ねたかった、ドゥオモのキリスト教博物館です。 Museo Cristiano - Duomo
ドゥオモは、旧市街の中心地に堂々と建っており、起源は古いのですが、残念ながら今ある建物に、中世的な見所は皆無。ただ、ありがたいことに、中世の遺構多数が、正面右側にある併設の博物館に収められているのです。 とっても地味な入り口。ドゥオモから右側を入ってすぐなのですが、余り地味なので、存在を知らないと、おそらくまったく気がつかないというような場所です。
(ちなみにですが、この博物館脇に、ワイン関係の情報をたくさん持っている農業関係の協会事務所がありますので、ワインに興味のある方は、一般の観光局よりも、こちらに行った方が多くの情報を得ることができますよ。)
朝一番で出かけて、早く着きすぎて、しばらくオープンを待つという入れ込み具合でした。 中庭になっていて、当時は教会併設の住居地域で、やっぱりこういう風に建物があったのだろう、という雰囲気でした。
建物の下の方にある窓のアーチ部分は、ずいぶんと古いものです。全体きれいにしてしまっていますが、基礎部分は古い建物だということがわかります。中世の町はどこもそうですが、千年から同じ建物を使いまわすって、つくづくすごいことですね。
さて、わたしより後に到着した受付の人は大慌てで準備中でしたが、10時きっかりに入れてくれました。 そして、いきなり、長年気になっていたものたちに遭遇!
え、え、えええ!これは何かすごいのではないか? 受付のところから、すぐ中世のお部屋なんで、見たかったものの全貌が見えてしまうんですよ。驚きました。 しかし、受付の人が、説明をしてくれていたので、そこにとどまるしかなく、気がはやって困りました。
何を説明してくれたかというと、浮き彫りの色。 これ衝撃でしたね。わたし、まったく知らなかったんですよ。 ここにあるのは、わたしの大好きなロンゴバルド時代の、素晴らしい浮き彫りの数々なのですが、当時、その多くは彩色されていたというんです。どひゃ~! で、一番手前にある石棺の前面に、当時の色彩を再現するシステムになっているので、是非じっくり見てね、という説明だったのです。
すぐに色彩の照射が始まりまして、他を見たいというはやる気持ちを抑えて、じっくりと見ることにしました。
少しずつ、色をつけていってくれます。 アップ。
意外にも、相当派手な色彩でびっくり!そういえば、ロンゴバルドは金銀細工も得意で、宝石をちりばめたり、透かし彫りをしたり、「蛮族」という印象から来る戦闘的なイメージと反して、実に繊細な装飾的な人たちだったんですよね。 全部色がつくと、これ!
ぎょへ~!派手だっ! 遠くから見ても、やっぱり、すごく派手。
面白いですよね。よく見ると、確かに彩色のあった名残が、ちょっとあるんです。それにしても、石の色だけと、彩色のとでは、印象が全然違います。個人的な好みからは、色のない方が好きですが、色つきの方が、テーマやモチーフが分かりやすいのは確かで、本来の目的を考えたら、それは正しい表現法だったのでしょう。それにしても、色彩が豊富だったのですね。ロンゴバルド、恐るべしです。
この時代の浮き彫り、最も多く見られるのは、渦巻き状の植物モチーフやビスケット文様、そして、かわいらしい動物たちのデフォルメされたもので、人物フィギュアは、意外と少ないんですよね。たまにあると、変わったものが多いです。ちょっと宇宙人じみたフィギュアとか。この石棺も、ちょっとすごいんです。 あんまりすごいので、もう一回、続きます。 それにしても、この彩色については、ちゃんと調べたいものです。フランスはポワティエの彩色とどっかでつながるんだろうか、とか。面白い~!
2013/11/24(日) 03:46:33 |
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フリウリの中世その6
多分6年ぶりになるチヴィダーレ・デル・フリウリCividale del Friuli訪問です。
ここは、ロンゴバルド時代から栄えた町で、中世初期の遺構がたくさんあります。以前訪ねたときは、本格的にロマネスクにはまって間もない時期で、何を見なければいけないのかもよくわかっていない状態だったこと、ロマネスクや中世に特別の興味がない同行者と一緒だったことなどから、全部見る、というわけには行かず、当時から既に再訪を期していた町。
中世はともかくとしても、美しい町です。 旧市街を取り巻くように流れるナティソーネ川は、とても深く岩を削って流れていて、そこにかかる橋は、悪魔の橋と呼ばれています。 真ん中から下を覗き込むと、高さにびっくりします。バンジー・ジャンプができそうな…。高所恐怖症の人は、本気で怖いだろうなという高さです。
そして、旧市街に広がる美しい広場。
地味なんですけどね、でも中世の面影があちこちにありながら、新しく作られた町並みも美しくしていて、なんかこのフリウリ全体、町を大切にしているなぁ、と言う感じなんです。 この広場、取り囲む建物の窓に注目してしまいました。
建物の色も様々なら、ブラインドの色や形も様々で、楽しいです。日中撮影したので、どこもぴょこんと一部をあけているのも愛嬌があって。
旧市街を彷徨うように歩くと、いきなりタイムスリップしたかのような、中世らしい石の街角にも出会えます。
そんな重厚な中に、いきなりこういうファンシーなお店があったり。
かわいらしい雑貨などを売るお店も充実していました。 そしてこの町は、食い倒れの町でもあります。レストランがびっくりするくらいたくさんあって、この地域一帯は、ワインの産地でもあります。 実は一箇所だけ、町から近い「ワイン醸造銀座」みたいな場所に出かけたのですが、アメリカで超有名なレストラン経営者、ジョー・バスティアニキ(テレビの「マスター・シェフ」で、えらそうに批評する嫌なオヤジです。イタリア語下手だし!)のワイン醸造所があったのにはびっくりしました。そこだけ、小ぶりなナパ・バレーのようでした。って、ナパ・バレー行ったことないですけどね。 食については、まとめて後で紹介したいと思います。
今回は、町でゆっくりと過ごす時間をとったので、見なければいけないものはもらさず、それもじっくりと時間をかけて見ることができて、大満足です。ホテルの人もレストランの人も、観光局の人もワイン関係の協会事務所の人も、なんだか皆さん本当に親切。観光地であることは間違いないんだけど、イタリア人向け、というよりも外人向け(特にドイツ人)というスタンスから、外人に優しい町のような気がしました。
中世、じっくりと紹介します。
2013/11/22(金) 03:34:46 |
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フリウリの中世その5
次に訪問したのは、ますます地味な町、ファガーニャFagagnaです。 前回訪ねたジェモナ・デル・フリウリから、宿泊するチヴィダーレ・デル・フリウリへと向かう途中だったので、立ち寄ってみました。
しかし、ここは苦労しました。 まぁ、方向音痴のわたしには、特別なことではないですが、ナビゲーションがあっても、教会って住所がわからないので、町までは辿りつけても、イコール目的の教会にたどり着けるわけではないんですよね。 そういう場合の手段として、教会の名前を入力したりしますが、ここはだめでした。とりあえず、目に付いたバールでカフェをいただき、町の人に尋ねてみました。
目的は、サンタ・マリア・アッスンタという古い教会Pieve di Santa Maria Assuntaです。 その人の言うには、墓地の中だから、まずは墓地を目指して、あの道を高台に向かえば、表示があるはず、ということ。 その上り坂、確かに怪しい、とは思っていたのですが、どうしても上り坂は避けてしまう傾向にあるわたし。とは言え、せっかくここまで来たんだし、と坂道を登りました。
その途中、既に「墓地」というキーワードは消えていて、古い建物を探しながら、のろのろと登っていきました。 結構な高台。それらしい石壁がありますので、車を停めてみました。
違う教会の表示があります。
ち、ちがう~! 遠目に教会が見えましたけれど、明らかに探している時代とは違うものです。 近づいたけど、やっぱり違いました。 でも、本当に高台で、気持ちのよい場所でした。
どうやら、中世にあったお城跡で、公園のようになっているのでした。10世紀ごろこの地域を統括するお城があったんだそうです。 その中世の城よりずっと前、ローマ時代から中世初期にかけて、城壁があり、アクイレイアを避けて南下できるような街道だったのだと主張する研究者もいるようです。今でも、北方から南下する幹線ですから、交通の要衝であったのは確かでしょう。 お城は、17世紀頃まではあったようですが、ほとんど何も残っていません。 唐突にある塔のようなもの、お城または城壁の一部だったのかな。
車に戻る途中、もう少し、名残がありました。
丘の最も高い位置にあったはずのお城から、一段下がったレベルに、かつては城壁のすぐ外側だったのでは、と思われる古い石造りの、狭い道。 ほんの一部ですが、とっても中世な一角でした。
公園整備で働いているおじさん達がいたので、もう一度尋ねてみると、「古い教会、?思いつかないなぁ」と、これもよくあることです。生きている町の教会じゃない限り、地元の人にとっては、興味の対象でもなく必要性もないので、知らないことが多いのです。 仕方なく町に戻り、もう一度別の人に尋ねました。しつこいですね~、われながら。 やっぱり、丘の上にあるらしい、ということしか分かりません。 それでも、「この道を行って、途中、左に入って登ったところのあれじゃないかしらねぇ」、という言葉を信じて、言われたと思われる道を行ってみたものの、だめ。もういいや、とあきらめて、チヴィダーレに向かうことにしたその矢先、道端に、「墓地」の表示が!
ああ、そういえば、最初に聞いた人が、墓地にある、と言ってたじゃないか、と今更記憶が戻りまして、そっちに向かいます。 生垣を手入れしているおじさんがいたので、さらに尋ねると、「サンタ・マリア・アッスンタ?古い教会だったら、この道を登ったらあるよ」ということでしたので、細い登り道を、おっかなびっくり、のろのろと登ります。 あった!でも、全然古くない…!
表示は、間違いなく、探していたものでした。
名残は、後陣のスタイルと、塔の下の方だけ。すごくきれいに修復されてしまっていますが、下の方に、ちょっとだけそれらしいものがありました。
起源は10世紀と相当古いものです。でも外も中も15世紀以降に改築されてしまったようです。ただ、5世紀当時の床が残っている、という情報を得ていたので、入れなかったのは残念。鍵穴から見ることもかないませんでした。
ここ、スポーツ・センターというのか、テニス・コートとかグランドがあって、市民の憩いの場所の一角。教会は確かに墓地の中でした。そして、見晴らしは最高でした。
執念。というか、かなり無駄。でもね、せっかく訪ねていって出会えないと、損した気になるし、また行きたくなるので、やっぱりがんばって探し当てるのは重要なんですよね。こんな美しい景色にも出会えたし。 ということで、非常にすっきりした気持ちで、一日を終えることができましたとさ。
2013/11/21(木) 06:20:28 |
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フリウリの中世その4
ジェモナ・デル・フリウリ、続きです。 いよいよ、サンタ・マリア・アッスンタ教会、ドゥオモDuomo - Santa Maria Assuntaを訪ねます。
この教会、まずアプローチがとってもいいんです。 町のメイン・ストリートを歩くと、正面にファサードが少しずつ見えてきて、背後は緑の山。 前回記事にしたように、教会は20世紀の大地震でひどい倒壊をしていますから、全体、ほとんどは再建なのですが、中世のテイストをしっかりと残した、素晴らしい再建なのです。
ロンゴバルドの定住もあった土地であることから、おそらくずいぶん古い時代から宗教的な施設はあったのでしょうが、再建された教会の基礎はロマネスク時代の、サンタ・マリア・アッスンタで、13世紀後半のもの。ですから、創建時から既にゴシックの入った建築だったのだと思います。三つのバラ窓や、中央の大きなバラ窓の下に開けられたロジェッタ部分には、そのテイストがありますね。 わたしが気になっていたのは、正面扉右側にある、大きな像です。
建物に比して、これほど大きいものだとは思っていませんでした。サン・クリストフォロですね。左肩に赤ちゃんキリストを乗せています。足元の右側には二股人魚の彫り物。再建とは思いますけれど、いずれも嫌味のないよい装飾なんです。 彫像的には、教会前におかれた門柱にある、この人たちの方が、古くて中世っぽいかな。
こういう姿勢の人たちがいるって言うことは、柱廊式玄関があったのかもしれないですね。または、説教壇でしょうか。おなじみ、突っ張った姿勢で、どこかの柱を支えていたはず。 扉の左側には、新旧取り混ぜて、彫り物が飾られています。
小さくて、13世紀ごろ以降風。でも現代ものかも。こうなると、わたしにはよくわかりません。
扉上のリュネッタ彫り物。
明らかに新しいですけれど、かすかにつけられたパステル調の色もあいまって、なんか童話の挿絵のような柔らかさがあります。全体のバランスもとってもよいです。
脇の方に行くと、こんなアーチ装飾がありました。
これは、かなり修復したオリジナルものと思われます。ロマネスクも相当時代が下っているのが分かります。 内部はもちろん再建ですから、構造以外は見るべきものもありませんが、とにかく教会も町も、チリひとつない状態の美しさは、特筆もの。
町のある地域が全体でリゾートっぽい地域ではあるものの、観光地という雰囲気はない、いたって普通の地方都市ながら、のんびりと滞在するのも気持ちよさそうだな、と思わせる町です。そういう田舎の地方都市って、なぜか、わたしのつぼにはまるんですよね。
2013/11/20(水) 03:33:22 |
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フリウリの中世その3
いよいよ、フリウリの深奥に入り込みます。次に訪ねたのは、ウーディネからオーストリアとの国境に向かって北上した場所にある、ジェモナ・ディ・フリウリGemona di Friuli。 古くは、今に残るロンゴバルド時代唯一のまとまった書籍であるパオロ・ディアコノの「ロンゴバルドの歴史」に、その名が言及されている歴史の古い町。もちろん、ロンゴバルド以前、ローマよりさらに古い時代から、人々の定住があったようです。
ここには、とっても貴重な教会があります。サンタ・マリア・アッスンタ教会、ジェモナのドゥオモですDuomo - Samta Maria Assunta。
とても訪ねたかった教会。特に、東日本大震災のあと。 なぜかというと、このジェモナ、過去に大地震に見舞われているのです。このあたり一帯が襲われ、壊滅的な被害をもたらした地震で、中でもこのジェモナの損壊ぶりはひどく、当時、世界的なニュースになったのだそうです。 この教会も、ほとんど全壊に近い状態だったのを、市民の方が中心に、瓦礫から一つ一つ石をより分け、彫刻や装飾を探し出して、元の姿に少しでも近づけるべく、オリジナルのマテリアルをできる限り使って、再建したといういわくつきのものなのです。
町にたどり着いたのは、ランチも近い時間でした。 車を、住宅地の路肩にある駐車場に停めて、丘の上の方にある町の中心部へは、徒歩でアクセスしました。 丘の斜面に引っ付いている町ですから、道とか町の基本的な構造は、おそらく地震前と後で、そう変わっていることはないのでしょうが、多くの建物は、再建されたもののはず。でも、全体で見ると、中世の趣をしっかりと残しています。
写真奥に見えるツーリスト・インフォメーションで、情報を集め、資料などをいただき、メイン・ストリートを教会に向かって(上の写真で言えば奥の方に向かって)、ぶらぶらと歩きました。建物の下は、回廊になっていて、雨の日は便利そう。
その途中で出会ったのが、地震の展示館。
Mostra Permanente sul Terremoto Gemona di Friuli 受付があるわけでもなく、建物の一階と二階部分に、写真中心の地味な展示があるだけで、人もいません。ふらりと入ってみると、まず、当時のニュース映像が、淡々と流されているスクリーンがありました。
地震が起こったのは、1976年5月6日21時。 地域全体では千人近くの方が、そしてこのジェモナの町でも400人近くの方が亡くなりました。当時日本からも、きっと何らかの救援活動がなされたのではないでしょうか。このときに組織された救援組織が、現在まで生きる災害対策活動の基本になっているのだそうです。また、ボランティア組織や、一時住居のテント村運営など、災害にかかわる多くの活動すべて、ここの地震が出発点。 同年9月にもまた激しい揺れが遅ったため、結局ジェモナの町は、その7割以上が崩壊するということになってしまいました。それでも、人々は帰ることを望んだのですね。
時間をかけて、こつこつと、町並みをそのままに建物を元に戻していく。7割が崩壊、つまり3割しか残っていないものを、10割に戻していく。考えただけで、気の遠くなるような作業が、地道に延々と行われたのです。
「フリウリの人々は、泣かずに、歯を食いしばってあきらめない。」 このあたりは、イタリアと言っても、ラテンというよりは北方系、山の民だし、感情を内に秘めて、じっとがんばるイメージで、東北のカルチャーにも通じるものがあるように思います。 考えたら、きっと何もできないんですね。ただ前だけを見て、目の前にあることを一つ一つ、片付けていくしかない、ということなんだろうな。多分。
左が元の姿で、地震で壊滅して、そして今は下のように再建されています。
これも同じ状態で。
本当に、ただこつこつ、歯を食いしばってがんばったんだな~って、それが目に見えるような写真です。失いたくない思いが、そのまま形になっている。 壮大な展示は何もないけれど、訴えるものが大きすぎて、涙が出てきました。ジェモナの人々、すごい。この町に来てよかったです。東北も、まだまだ大変だけど、我慢強いがんばる人たちの土地だから、きっといつかこうやって、がんばったよなぁ、と振り返ることのできる日が来るのだと思います。
2013/11/19(火) 06:09:28 |
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今年も咲いてます!
なんだか妙に暖かい日が続いて、実は、暖房を入れたのも、この週末が初めて。と言っても、日本の東京以西に住んでいたら、別に驚くことではないですかね。
イタリアでは、多くの家が集合住宅で、今でもおそらく過半数の集合住宅は、建物全体がセントラル・ヒーティング・システムになっています。どういうことかというと、建物全体で、何時から何時まで暖房を入れるのが決まっているというシステムなんです。これは、(多分)戦後の貧しい時代の名残で、地域ごとに暖房を入れる期間が決まっていて、ミラノを含む北部イタリアの暖房オンは、10月15日。中部イタリアは11月1日、南部は11月15日、となっているはずです。 ちょっと時代錯誤的な感ありですけれど、今でも本当にそうなんですよ。 つまり、ミラノでは、暑さ寒さにかかわらず、そういう集合住宅では、10月15日に暖房オン!となるのです。
でも、最近では、各住居固有の暖房管理システムも増えてきています。 我が家の場合は、実は、建設が1937年と余りに古いために、ストーブ暖房しかない、という、全体管理にすら引っかからない住居。わたしが入居して全面改装した折に、我が家ベースでのセントラル・ヒーティング化をしたのですが、つまり、建物全体の管理はないアパートです。
要は、ミラノでは、標準的に10月15日に暖房が入る=その頃には暖房が必要になるはずなんですが、我が家では、1ヶ月遅れで、初めて暖房オンしたこととなります。まぁ節約もあるのですが、実際、必要なかったんですよね。
で、シャコバさんも、結構遅くまでベランダに出ていました。 今年はあったかいんだなぁ、と思っていましたが、昨年のブログをチェックしたら、やはり同じようなことを書いておりまして、なんだ、去年も同じようなもんだったのか、と思ったところです。
そろそろ屋内に入れないとな、と思いつつ、雨が続いていてびしょぬれ状態、ということが続いたので、取り込みが遅れたのですが、さすがに、と先週末に取り込んだところ、小さい鉢の方で、既に一厘開花していて、びっくりでした。毎年開花を楽しみに、つぼみが大きくなってくると、結構こまめにチェックするので、最初の開花を見逃すことはなかったんですけれど。
最初に取り込んで、バスルームの日がさす場所に設置した小さな方の鉢。すぐに二番手三番手が開花しました。この日のために、夏休み前に蚤の市で購入した古いお鍋が、受け皿にぴったりなサイズで嬉しくなります。
大きい方の鉢も、その後屋内に取り込み、一気に開花。
この子は、置く場所が部屋しかないので、家主(つまりわたし)が不在の場合、日の閉ざされた部屋の中でちょっとかわいそうなんですが、余り気にせず、ぽんぽんと開花しています。 ああ、なんてきれいなんだろう。
去年とか一昨年の写真と比べて気付いたのは、白い部分が、若干減っているかも、と言うこと。なんか、以前の方が白い部分が多い感じがするんですよ。少なくとも写真を見ていると。
そういうのって、植物の年輪で変わってくるのかしらん。確かに明らかにピンクが強くなっている。 しかし、それにしても、毎年同じことを書いてしまうのもなんですが、なんだって、一年に一回しか咲かないのに、間違えずに同じ時期に開花して、そして間違えずに、こんな複雑な構造の同じ花を咲かせてくれるんですかねぇ。自然って奇跡だなぁって思います。毎年思っているよね、オレ?でも、奇跡としか思えないですよ、このシャコバの花は。
奇跡といえば、この子もね、嬉しかったです。奇跡とはいえないんだけど。
ミニ・シクラメン。 去年から同居だったと思いますが、冬を越えて、夏を越えて、復活してくれました。今つぼみ満載状態。シクラメンって、花もかわいらしいですが、つぼみがいいんです。最後の最後まで葉に隠れながらじわじわと成長して、葉の陰から出ていたときには、必要以上にりんとしていて、オレ、行きますよ!というみなぎる気合が結構長くて、花が開いても下向きで、どうやってみるのがベストなのかよくわからなくて…。 斑入りのこの子は、なんとなくそういう控えめシクラメンの王道っていう感ありです。
この子も、ちょっとのっけておきたい。
何度も死に掛けては復活している多肉。他が、死に掛けて本当に死んじゃっているのに、意外とたくましく生き延びている子。そろそろ屋内に入れないとまずいかな、と思いつつ、まだお外。雨が多かったから、やられちゃうかと思っていたら、しぶとく成長して、なんだか雨のためか、根元に杉苔みたいのを貼り付けていて、多肉の貫禄までついてきました。 いつまでも弱々しいところがあるのにね。 写真って面白いな、と思ったのは、葉裏からだと、なんか違う色合いで、葉が見えるんだ、ということがよくわかること。肉眼では、余り見えない細かい緑のあり方が、写真に撮るとよく見えるんです。自然って、やっぱり美しいね。
いつものびわも、アップしておきましょう。
びわエキスを作ろうと思って、既に保存用容器は買ってあるのですが、アルコールを買うのを、いつも忘れてしまいます。実は、びわの葉化粧水は、既に作って利用しているんですが、思ったよりも効果がないので、びわ、期待はずれじゃん、というのもあって、どうも容器でとまっています。これ、びわだよね?なぜ煎じ水は余り効果なかったのかなぁ。 ま、いずれにしても、すくすく育っています。びっくりするくらい。
暖かいので、外に出たままのジャスミンその他も、今のところ緑しげしげ、超元気。早くも防寒対策の不織布を購入済ですが、当分不要な様子です。
2013/11/18(月) 07:04:18 |
植物、花
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