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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

逆さまの柱頭の意味は。

マルケ・ロマネスク、その12

修行旅の際は、事前に調べた教会名と場所、見所と、全体を把握するための簡易な地図を、小さな手帳にまとめた「虎の巻」を用意することにしています。余裕のあるときは、かなり細かく、広い範囲で、回れる可能性がほとんどないものも含めて、記していきますが、逆に時間がなかったりするときは、町の名前と教会名がやっと、ということになります。
今回のマルケは、その中間くらいの準備度合いで、記載したものの行けなかった場所も多かったのですが、その中で、村の名前だけは書いてあったものの、詳細は調べる余裕もなく、「サン・ジネシオの近く」と記しただけの場所に、偶然にもたどり着いてしまいました。

それが、マッキエMacchieのサンタ・マリア教会Chiesa di Santa Maria。




通りすがりの街道沿いに、看板が出ていたので分かったのです。探してもいけなかったのではないかというような、村というよりは街道沿いに家が数件あるだけの集落。普通の農家の塊にしか見えませんが、上部写真の中央部にあるのが、教会のファサードとなります。

掲げられた表示によれば、正式には、マッキエのベネディクト派修道院Abbazia Benedettina delle Macchieというようでした。つまり、今では、近隣の家に取り込まれた建物となっていますが、かつては全体が修道院であったものと考えられます。
裏の方は、こんな感じ。恐ろしいほどにでかい鶏も、たくさん飼われていました。




でも修道院時代にも、きっと周囲は畑だったのでしょうから、実は余り変わっていない風景なのかもしれません。

教会は古くて、11世紀のもの。外観からは想像もできませんよね。
中に入っても、実はやっぱり、11世紀の姿はないのでした。




でも、修行者なら、ぴくっとしますよね。
上に持ち上がった内陣、両脇に、地下室への階段らしいへっこみが見えます。

確か、近所のオバサン風が、お掃除とかしていらしたのですが、遠慮しながら入っていった我々を、どうぞどうぞ、とにこやかに迎え入れてくださいました。

では、いざ、注目の階段へ。




おおお~!
まさかの素晴らしいクリプタでした。
床など最低限、整備はされているけれど、大元はいじられていない、往時の雰囲気そのままの、円柱の柱。光と影。
上部との落差の激しさに、さらに感動が大きいです。




自然光で、かつてのイメージそのまま、と思いました。曇りだったり日が暮れたりしたら、すぐに真っ暗ですね。でもそういう時代における、朝日のときの荘厳さはいかほどかと、逆に考えてしまいます。
祭壇も、渋いですよ。




全体と同じ素材に見えますので、このクリプタが11世紀のものとすると、同じ時代のものでしょうね。ウォークインクロゼット式の、作り付け家具ならぬ作りつけ祭壇。
柱頭が面白いことになっていました。




?あれ?
逆向きに置かれている…。それも意匠が、ローマとかそういう時代の物っぽい。つまり、再利用なんでしょうが、それにしてもなぜ逆になってしまったのでしょう。再利用の場合って、足元のものを柱頭に使うなどはよくありますが、逆さまに置くのは?
そういえば、ヴェローナの古い教会のクリプタで、やはり再利用の柱を天地逆さまに置いちゃったというのが、あった気がしますね。ロンゴバルドとキリスト教の関係を表したような。ここでも、ローマが異教であったことを、ことさらに主張しているのかしら。




面白いクリプタで、お勧め。と言っても、なかなか行ける場所じゃないのですが。
最後にもう一度周囲を回ってみました。




これはこれで驚く風景。アンテナはぶっささっているし、エアコンの室外機のコードが、どうやってどこにつながっているのやら。安全上まずいんじゃないかという危険な情景です。
そんな中、外壁にやっと見つけた中世の名残。




こういう破片の埋め込みって、どういう時点で誰がやるのかなぁ。これだけで、ちょっと嬉しくなっちゃうわたしとしては、そういう酔狂をしてくれた人に、感謝したいです。

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  1. 2014/02/05(水) 06:37:29|
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山奥で、テンプル騎士団の遺構に会う

マルケ・ロマネスク、その11

サン・ジネシオSan Ginesio続きです。本来の目的である教会を訪ねます。




村の中心の広場に面して建っています。聖アヌンツィアータ参事会教会Chiesa Collegiata di SS Annunziata。ここでもまた、よいガイドさんと出会ったおかげで、面白い発見があったんですよ。というか、そういうお話が聞けなかったら、絶対に気付かなかったことをみることができて、かなり得した気分でした。

開いていたので入ったところ、全体に新しくなっちゃって、面白くもない(というのも失礼ですが、あくまでロマネスク的に、ということなので、お許しを)本堂。




その上、生演奏の練習中で、うるさいこと。




でも、うろうろしていたら、「あれ?もしかしてクリプタ探していますか?ここですよ、ここ」と教えてくれて、いざなってくれたのも楽団員でしたので、そこは文句もなく。上の写真の左下の門扉が、クリプタへの入り口。
事前の学習でも、サン・ビアジョ礼拝堂Oratorio di San Biagioというのは、チェックしていました。どうも、事前チェックでは分かりにくかったのですが、この教会、斜面に建てられていて、時代とともに、数層式になってしまった、という建物らしいのです。
前回の記事の、救護所の方から来ると、まず、下層部分、要は古い教会部分に出会うのです。




この写真の、右側の方が、トップの写真のファサードとなります。標高でいえば、この写真を撮ったところからは、数メートルは上になります。この写真の高さにあるのが、サン・ビアージョという11世紀の教会部分で、そこに、15世紀頭に描かれたフレスコ画が、おそらく現在の最も観光的な資産となっているもの。複雑。

下層の方の入り口は閉ざされていましたので、入れないもの、と思っていたら、なんと今の教会から入れることが分かったと、それも、これからある結婚式の生演奏練習で一生懸命の楽団の若者が教えてくれたと、振り出しに戻ります。

それでアクセスしたクリプタ。




わたしの場合、13世紀以降のフレスコ画は、基本的に本当に苦手なもので、あ、あれだ、と思うだけで、目が見ることを拒否してしまうんですよね。時代というより、タッチとか表現?13世紀以降でも、これは好きだなっていう絵もあるんですけれども、とにかく12世紀後半から13世紀くらい、本当に苦手なタイプの絵があって、そうなるともうだめで、このサン・ジネシオは、残念ながら、まさにそういう、わたしにとってだめな絵だったので、さらりと。
ここがなぜそれなりに観光資源となっているかといえば、比較的最近発見されたこと(1960年代まで、漆喰かなんかで覆われていたために、湿度などにやられずに、よく残ったらしいです)、あと、何かあったような。聖母が笑っているとか?忘れちゃいました。フレスコ画の質と内容で、有名みたいです。興味ないんで…。

ロマネスク的には、なぁんだ、ということで、教会をいったん後にしました。
教会のある、同じ広場に観光案内所がありましたので、一応興味を持って、訪ねてみました。そこで、この人が?観光案内所の人?ホームレスじゃなくて?と、かなり失礼な言い方ですが、思わずそう思ってしまうようなおじさんがいらしたんです。でも話し始めると、どうやら地史には相当詳しい方のようで、いろいろと面白いお話が。
カロリングの時代とか、十字軍の時代とか、そういうお話がぽんぽんと出てくるんです。こっちも興味があるものだから、合いの手を入れるととどまるところなしっていう感じで。とうとう、テンプル騎士団の本を購入して、改めて教会本堂に戻りました。

詳しいお話と本の内容は、いつかサイト(下記、ロマネスクのおと)を作るときにしっかりとまとめることとしますが、なぜ教会に戻ったかというと、何の変哲もない修復されすぎの本堂の中に、実は中世の跡がしっかりと残されている事実を知ったから。それも、テンプル騎士団ゆかりの跡。





この、柱の上の角っこのところのシンボルが、テンプル騎士団の何からしいんですよ~。そそられますよね。

なんかそう思って歩いたら、どうも細部が気になって。
改めて見たファサードの扉周囲。




あれ、やっぱり気になるものがあります。





これは、ちょっとカロリング系かな。
いやはや、やはり資料の少ない田舎の教会は、地元の人に限りますね。マルケは、本当にこういう出会いでお話を聞けることが多くて、それが面白かったです。人とかかわるのが好きな同行者のおかげも大きいかな。私自身はかなり人見知りで、遠慮しがちなものですから。

それにしても、十字軍のあたりのお話というのは、十字軍そのものの発想はばかばかしいと思いつつも、歴史上、なんかロマンというか、物語的な何かを感じてしまいます。海辺の町ならともかくとして、こんな山奥の田舎町にテンプル騎士団のなにか、というのはかなり歴史ロマンです。

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  1. 2014/02/03(月) 07:10:22|
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無人の村の小路散歩

マルケ・ロマネスク、その10

次に尋ねたのは、サン・ジネシオSan Ginesio、「イタリアで最も美しい村I Borghi piu' belli d'Italia」に登録されている小さな村です。




城壁に囲まれた中世の村です。地味な壁の手前に車を停めて、村に入ります。




この城壁、どうやらかつては城壁の上に登れたようです。小さな木製の階段があり、その入り口部分に「Strada dei Tiratori射手の道」という表示がありました。今では残念ながら門扉が閉ざされていましたので、整備が追いつかないという、イタリアではありがちな、「歴史遺産多すぎで、管理仕様がない」状態に陥っているものと思われます。
では、中心部を目指そう、と思ってまず目に入るのが、こちら。




城壁からすぐ右側にある、立派な建物です。たまげたのはこちらの、かなり手作り感あふれる表示。




「売り物件、巡礼者救護所。旧サン・パオロ教会とその関連施設」とあり、夜間連絡先として、携帯電話の番号が記されていました。




明らかに中世の建物で、そして、かなり美しく修復されているんです。でもきっと、それは外観だけなんでしょうね。
夜間連絡先として携帯の電話番号が記されているということは、既に個人の所有物。たまたま遺産相続した人なのか、または余りに荒れ果てた結果としてぼろぼろの物件を投資物件として安く手に入れたけれど、余りの修復コストに、これ以上はいかんともしがたいと、と思った人なのか、とにかく売りに出ているんですよ、歴史的な物件が!
元は教会となっているわけですから、この建物の裏側には、きっと教会とかのある土地もあるはず。数年後に行ったら、立派なホテルになっている可能性大ですね。
わたしに経済的な余裕があれば、買ってみたいものですが、それにしても、こういうものが、今でも個人所有となっている事実が、やはりヨーロッパって計り知れないものがあります。




全体に中世っぽいたたずまいを残しながらも、何もなさそうな田舎なのに、何で、どこもかしこも、こんなにこぎれいなんだろう、と感じさせる村です。




びっくりするくらい狭い小路の連続で、時々、行き詰まりに教会の建物などが垣間見えたり。お散歩の楽しい村です。




お散歩に来たのかって?
もちろん目指すはロマネスクの教会です。
でも教会は村の中心にあり、村の中心までは、緩やかな坂道をうろうろと登らないとたどり着けないわけで、その間、中世のたたずまいを、嫌でも堪能させられるという仕組みです。車はとても入れない小路ですからね。
それにしても人っ子一人いない小路の連続だったのですが、中心の広場では、それなりの活気と、村人がいるので、その落差にびっくり。村人、いきなり中心部に現れるために、どっかに潜んでいるのか?と思ったり。

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  1. 2014/02/02(日) 06:19:55|
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