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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

トスカーナとラングドックのつながり

ラングドック・ロマネスクその2

サン・パプール修道院Abbaye de Saint Papoul続きです。
教会に入ります。




おお、やっぱりこうなっちゃっているのね。構造は、それなりに古いものが残っているようだけど、改築や付け足しやらで、本当のオリジナルの姿が隠れちゃっている上に、中央後陣、バロックですか、きらきらとしちゃって、「うっ」なんだけど、脇の方は、もしかして後代に修復で元に戻したのか、石の壁が見えます。
左後陣。




おや、これはもしかしてかなり古い状態では?と、思わず近づいた見たら、あなた!





ずいぶんつるつると新しく見えた円柱の上に、とってもロマネスクな柱頭装飾があるんで、びっくりしました。いきなり気がはやってきた。
事前にチェックしたこの教会の見所としては、「内陣、後陣、ナルテックス」としかメモしてなくて、具体的にはほとんどわかっていなかった上に、本堂全体の様子を見たら、内陣に何を期待するんだ、という気持ちになっていたので、そういうところでこういうものに出会うと、必要以上に興奮してしまいます。
意味もなく、アワアワしながら、右側後陣へ。




すっごくすっごくびっくりしました!
これって、ほとんどトスカーナの、素朴柱頭密集地であるスティアやロメッリーナにあるやつらと同系列じゃないですか?

こっち側、こんな感じです。




多分、バロック時代には、色を塗りたくられていたか、漆喰がかぶせられていたか、そんな状態だったものなのかな、と思います。場所によっては、柱頭も、半分壁に埋まっちゃったりしていて。それでも、これだけ取り戻されて、今、往時の姿を見られるというのは、奇跡みたいなものです。










ここにある柱頭、どれも面白いです。顔だけ浮かんでいるパターンが特徴的。装飾的なモチーフが背景を飾っているのも面白いし、変に写実的に洋服のひだひだが丁寧なのも気になります。




楽しいので、ついたくさんアップしてしまいました。
ここでは、薄い本を購入したんですが、もちろんフランス語ですから、じっくりと読まないと分からないんですよねぇ。まぁこれらの柱頭がロマネスクのものであることは確かながら、図像の内容にまで触れているのかどうかも分からないのです。そもそも、こういうスタイルの図像だと、推測する以外の意味は、今では分からないことが多いものと思いますが。
それにしても、トスカーナのサンタンティモのカベスタニーにしても、この素朴系モチーフにしても、やはり明らかに、交流があったということなんですねぇ。海が近いから、地中海を航海して、双方の職人さんたちが、呼んだり呼ばれたり、というのがあったのでしょうか。ロマンです。

実はもうひとつの見所がありますが、次回。

おなじみのロマネスクは、以下でどうぞ。
ロマネスクのおと

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  1. 2014/02/28(金) 06:08:18|
  2. ラングドック・ルシヨン
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いきなりカベスタニーのダニエル?

ラングドック・ロマネスクその1

「写真をアップするのは、ちょっと先になりそう」、とプロローグしたのが、昨年7月後半…。ちょっとどころか、軽く半年以上たってしまいました。われながらあきれますが、満を持して(物は言いよう…)、いよいよ、旅の振り返りスタートします。




上の赤く記された場所が、この旅で訪ねた、ラングドック・ルシヨン地域です。
このときの旅は、トゥールーズから入り、スペインとの国境地域であるルシヨンに向かったので、まずは道なりにラングドック・ロマネスクを歩きます。旅の全体像は、こういう感じです。




左上が、出発点となるトゥールーズ。そこから、カルカッソンヌを通り過ぎる道を、ミディ運河とも交差しながらうろうろして、そのあたりで二泊。その後、ペルピニャンを通り過ぎた先の、ルシヨン地域に三泊というスケジュールでした。
例によって、格安の飛行機で入ったので、もともと時間がかなり半端な上に、なんと出発が30分以上遅れました。初日を無駄にしないために、空港からあまり遠くない場所を最初の目的地としていたのですが、それすら危ないような感じになってしまいましたが、まぁ何とか。
その、ラングドック第一弾が、サン・パプール修道院Abbaye de Saint Papoul。




街道をちょっとそれた、それでも道なりに成り立っている小さな村で、寺町ということなんでしょうね。村の部分は、とっても小さい。でもこぎれいで、穏やかな空気が流れて、陳腐な表現ではありますが、ちょっと時間が止まったような、そんな場所です。

最初、分からなくて修道院を通り過ぎ、そのまま村を出てしまいそうになりました。修道院の前は駐車し放題の大きな広場になっていて、なぜこんな空間を見逃すのか、自分の運転技量というか、注意力の低さというか、今更ではありますが、あきれました。




今回のレンタカーは、プジョーの小さいモデルでしたが、とっても運転しやすかったです。やはり、欧州車に慣れているようで、日本車やアメ車より、全然楽。運転がうまい人には、そんな違い、屁でもないんでしょうが…。

さて、こちらの修道院は、博物館になっていて、有料(4ユーロ)で入場します(ちなみに、開館は毎日10時~18時半)。受付の人は、当然フランス語オンリーで、ああ、またフランス語とフランス人の苦労が始まるのだな、と思いも新たに、いざ。
まずは、博物館として、説明書きや柱頭が展示されている部屋を通ります。




とっても地味。ロマネスクにはまる前だったら、こういう場所は全部すっ飛ばしていますね。
今でも、現場主義として、気持ちははやりますが、何か重大なものを見落とすと困るし、戻るときには通れない道だったりしたら、すごく後悔するので、「もったいない病」的に、急ぎ足ながらも、いちいちちゃんと見て行きます。




これは、わたしが好きなライオンの穴のダニエルさんでは。それも、どうやら今回の目的のひとつカベスタニーですか。
ほとんど勉強不足なので、そして気がはやるあまりのわたしの悪い癖で、せっかく簡単なパンフレットとかもらっているのに、その場ではまず見ない…。これがオリジナルなのか、この修道院にあるもののレプリカなのか、分からないけれど、多分ここにあるのだな、気をつけないと、と思いながら、先に進みます。

そして出たのが、キオストロ。




14世紀のもののようです。確かに柱も全体の造作が新しい。でも、ゴシック風の柱頭の中に、ちょっと古い感じのものも見えました。残念ながら、傷みが激しい。




のっけから、博物館化しているとは言え、なんかレベル高いんじゃないの?やっぱりおフランス?
というわけで、飛行機が遅れたのは残念ながら、とりあえず、幸先よく発進です。記憶をよみがえらせるためにも、じっくり行きますね。

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  1. 2014/02/26(水) 05:44:39|
  2. ラングドック・ルシヨン
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マルケのご飯

マルケ・ロマネスク、番外3(最終回)

イタリアは、どの地方でも、それぞれに独特の食材や得意料理があって、必ずやおいしいご飯にありつけるのは、既に皆さんにも知るところですが、それが田舎になると、おいしい上にお安いので、田舎旅がますます楽しくなります。
で、マルケは、海あり山ありという地の利に加えて、観光的にはかなり地味なために、おいしさとお安さが、どちらも激しく嬉しい土地なのですね。

今回の旅は、友人と一緒だったこともあり、おいしいマルケ料理を堪能する、ということも目的のひとつでした。そのため、一応いつも活用しているレストラン・ガイドで、少しは調べていき、特に最初のランチは、ここ、と決めているレストランがありました。




ここ。
チンゴリ郊外の住宅地の、「え、こんなところ、車入れるの?」というような細いわき道を入っていくと、いきなりこのような緑の農場にたどり着くので、びっくり。
そして、正面の農家風の地味な建物が、近寄ると、超モダンな内装になっていて、二度びっくりでした。
そして、残念なことに既に満員で、予約なしでは無理、ということで、三度びっくり…。お店の人たちも、とても感じがよかったので、心底残念でしたが、仕方ありません。

Il Maiale Volante(空飛ぶ豚という名前なので、もしかして養豚農家なのかも)
Localita' Fonte Antica 17, Cingoli
いつかお食事してみたい場所ですけど、あの細道は、自分では怖くて絶対いけない…。

もうランチの時間も押していたので、このお店の人に教えてもらった近場のレストランを目指すことにしました。

そしてたどり着いたのがここ。




Ristorante Villa del Cerro
Localita' Lioni, Grottaccia, Cingoli
www.ristorantevelladelcerro.com

すっごいきれいなところで、え?この門入っていいの?というロケーションです。どうやら、地域の結婚式だったりのイベント会場に使われるレストランみたいでした。日本で言えば結婚式場みたいな。
で、こういうところだから、なんとなくあまり期待できないのかな~、と若干疑問を感じながらも、お魚系前菜を一人分と、それぞれパスタを頼みましたが、これが…!





大きなお皿で、色合いも美しい暖かいお魚の前菜が、これ、一人分じゃないよね?という盛のよさで出てきます。





この時点で、既にほぼ、腹八分目、ちょうどいい感じですが、このあとにパスタが来てしまう。それも一人ずつ…。その上、おいしいのでパンもいただいてしまったし、お互い、完全に失敗だよね、となんとはなしに恨めしいような顔を見合わせました。パスタ。





わたしは手長えびのパッケリ、友人はきのこのタリオリーニだったかな。また盛がいい。辛い、と思いながらも、おいしいので、結構いただけちゃいました。
ドライブ中だったので、お酒はいただきませんでしたが、これに水とカフェで、一人18ユーロくらいだったかな。お勘定で、こんなに感動したのは久しぶりです。お魚と言うこともあり、ミラノでは考えられません。

前回紹介したウルビサリアのロカンダの夕食も、充実でした。こちらはアラカルトだったので、おなかと相談しながら食べられるのも嬉しく、結局宿泊した三晩とも、こちらでゆったりと夕食をしました。





ケシの実がかかった生肉とか、お野菜たっぷり濃厚バルサミコのタリアータ。





季節のアスパラのベーコン巻きや、牛肉のワイン煮込み。どれもお味がいい上に、お皿がきれいなんですよねぇ。
デザートも、ついつい頼んでしまったりする楽しさで。小さい器に、多種類盛って言うのは、フランスのカフェ・グルモンとか言うやつのまねっこですかね。自家製のティラミスやパンナ・コッタ、甘さ控えめで、普段甘いものはあまりいただかないわたしにも、おいしかったです。





アヒルやヤギ、孔雀、なんかがわさわさいるアグリ・ツーリズモで、素朴なランチをいただいたりもしました。アヒルも、ご飯をくれる人の言うことはちゃんと聞くんですねぇ。一団でいっせいに、おじさんのあとを着いていったのには、あんまりかわいらしくて笑ってしまいました。




ソーセージの焼いたのとサラダとか、とっても素朴だけど、炭火焼ですごくおいしかったり。
こうやって食を振り返ると、あのウルビサリアのロカンダは、本当においしかったな、と今更ながら感動してしまいます。

あ、ついでですが、ホテルで販売していた水時計。




みなさんは、水で動く時計、ご存知ですか。ちょうど目覚まし時計を探していたところだし、いつも電池を使うのが、なんかエコじゃないな、と思っていたところだったので、飛びつくように買いました。優れものです、これ。本当に水だけで動くんです。先日、しばらくお掃除をしていなかったら、ある朝いきなり死んでいたのはびっくりしましたが、お酢で掃除をしたら、復活しました。
こんな優れたものが、何でもっと普及しないんでしょう。

ということで、脱線しましたが、番外編もこれでおしまい。いつものように長くなってしまった旅の報告、やっと終了です。
いろいろな発見があり、いつになることやらではありますが、改めて各教会や修道院の来歴を調べるのが楽しみです。
お付き合い有難うございました。

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  1. 2014/02/25(火) 05:41:03|
  2. マルケ・ロマネスク
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ウルビサリアの小さなロカンダ、と、ちょっと変な日本人

マルケ・ロマネスク、番外2

前回紹介したローマ遺跡Vrbs Salvia(前回、スペルを間違えていました。失礼しました)が、今につながった町が、今回の旅で宿泊したウルビサリアUrbisagliaという町です。この旅まで、聞いたこともない地名だし、響きも不思議だなぁと思っていたのですが、ローマ起源ということで、納得です。




ウルビサリアの町そのものには、目的がなかったのですが、行きたい場所を想定して、おおよそこのあたりがいいだろうという範囲を限定して、今回は、いつも役立てているレストラン・ガイドから情報をピックアップ。レストランが宿泊施設も持っている、ロカンダ、という形態があるのです。車の旅だと、できれば夕食のためにわざわざ車で出かけることは避けたいわたし。今回は、お酒を飲まない相方がいましたけれど、それでも一人で飲んだくれて、挙句相方に運転手させるのもどうかって思いますしね。
で、見つけたのが、このウルビサリアのロカンダだったというわけです。

ウルビサリアは、丘の上にちょこなんと乗っかっている感じの、小さなチャーミングな町。というより、規模的には限りなく村、ですかね。




旧市街は壁に囲まれていて、正面口からメイン・ストリートが1本。そこを進むと、教会と城のある村唯一の広場に出ます。
かなり豊かな様子で、入り口の門も広場も、メイン・ストリートの道も建物も、大変美しく修復されているのです。




広場は人々の憩いの場で、常に老若男女が集っているのですが、田舎の夜は早くて、夕食後にぶらぶらと出かけると、もう夜中状態に、シーンとしていました。




ちょっと裏道に入り込んでも、もう人っ子一人いないし、何の物音もせず、酔いも手伝って、なんだか知らない世界に迷い込んでしまったような。ゆらゆらと散歩しましたが、本当に小さいので、迷いようもなく、元に戻ってしまうのです。

村唯一の旅籠が、今回宿泊したロカンダ・レ・ロッジェ。
Locanda Le Logge
Corso Giannelli 34
Urbisaglia (MC)




メイン・ストリートの中ほどにあり、正面はバールになっています。バールは、広場にもあるけれど、ちゃんとしたお食事ができるレストランとしては村唯一で、お宿は、ツインの部屋が三つあるだけ。




古い建物なんでしょうねぇ。天井の太い梁が素敵で、窓も、木のブラインドに味があります。すべてアンティークっぽいテイストの素敵な調度で、お掃除も行き届いていて、お値段もとっても良心的でした(B&Bツイン60ユーロ。レストランのお食事もアラカルトで20/25ユーロとお手頃)。家族経営で、特に奥様がほとんどを取り仕切っていて、二人の息子さんとそのご家族がお手伝いとしているようでした。ご主人は…、なんか常にワインを抱えて、ワインのサービスだけ熱心だったような。
レストランもなかなかお洒落で、お料理の質も高いのですよ。ミシュランにも掲載されているようです。

面白かったのは、夕食時に、ばったりと日本人の男性にお会いしたこと。もう何十年とローマに住まわれている方で、この地域に仕事で来る際の定宿にしている、ということでした。お一人でいらしたので、ご一緒して、楽しいおしゃべりとなりました。
レストランとしては、ランチがメインで、夜は、基本的に宿泊客プラスアルファ、という程度らしく、三夜とも、宿泊客だけだったような気がします。
そして、翌朝、またびっくりです。
チェックアウトの際に、奥様とおしゃべりをしていたら、「まったくびっくりよねぇ、三部屋しかないのに、三部屋ともに日本人が泊まるなんて、前代未聞よ!」と、言うのです。われわれと、昨夜のローマの方と?そういえば、東洋人っぽい女性とイタリア人のちょい悪オヤジみたいなカップルがいたけど、では、あの女性は日本人だったの~!?と盛り上がってしまいました。

こう言ってはなんですが、およそ日本人とは思えない、国籍不明の変わったお顔立ちの方だったんですよねぇ。それにしても、われわれが日本語で楽しくおしゃべりしているすぐ脇で、彼女も夕食していたのに、まったく無視とは。そういえば、朝食のときも、まったく無視されましたし。日本や日本人が嫌で、日本を出た方なのかも知れませんが、そういう態度って、わたしには理解できないので、どうしても、嫌な感じ、と思ってしまいます。
宿の奥さんたちには、普通におしゃべりされていたようですから、本当に日本人が嫌、って言うことなんでしょうね。

奥さんは、お勘定のあと、あ、ちょっと待ってね!と宿のラベルの着いたワインをお土産にくださいました。散々飲んだので、よほど気に入ったと思ってくれたのか。
最近、裏にある建物も買って、ホテル部分を拡張するつもり、というお話だったので、数年後に訪ねたら、すごく立派なホテルになっているかもしれません。いつか再訪したいものです。

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  1. 2014/02/24(月) 02:25:48|
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超ユニーク・ガイドで、遺跡見学

マルケ・ロマネスク、番外1

宿泊した村ウルビサリアは、小高い丘の上にありますが、その麓一帯に、ローマの遺跡が広がっています。特に目指したわけではないのですが、ちょうどよい頃合に、通りかかったので、せっかくだから見ておこうか、ということになりました。フレスコ画があるというのも気になっていたし。

一帯は遺跡をメインとした公園となっており、ウルブス・サルビア考古学公園Parco Archeologico Urbs Salviaという名前で、大きな通り沿いに、こんなものがどかどかとありますので、そこを通ったら、どうしても、ちょっと寄って行こか、という気になってしまいます。




まずは、一人離れたところにある円形劇場を見に行きます。




公園としては、実に美しく整備されていて、緑の中に遺跡が点在しています。全体の面積は相当あります。いまだに全貌は明らかになっておらず、今でも発掘を継続している遺跡です。毎年6月になると発掘隊が訪れ、一帯が活気付くそうです。

紀元前1世紀半ば、アウグストゥスの時代の町のようです。5世紀頃、より安全な丘の方に町が移動するまで、居住地だったということ。ローマの前には、きっとピチェーノ族という人々がいたはずですから、定住地としての歴史は相当古いものでしょうね。ピチェーノは、エトルリア共々、ローマ以前にイタリア半島に居住していた民族で、ちょっと気になる文化なんです。

さて、劇場は、紀元1世紀に建設されたもの。Gaio Fufio Geminoという執政官によるもの、ということまで分かっているのが、記録好きなローマのすごいところですね。
三層のつくりで、フレスコ画も残っているということですが、今はそれは見られないようでした。
なぜ、町の中心から離れているかというと、当時は、劇場や闘技場は、町の壁の外に作るのが普通だったのだそうです。街中に群集が集まりすぎることを防ぐ目的だったそうです。現代で言えば、サッカー場を、町の郊外に作るようなものですね、きっと。

杮落としのときは、派手な出し物が行われたそうですが、今や昔。




緑が茂って、上空からの写真だと、芝生のなかに、そこだけリングのようになっていて、古墳、みたいな感じって言うんでしょうか。こんもりと面白いです。かつての客席部分にある樹木は、おそらくわざと植えたものでしょうが悪くないです。
樹木の下には、野生のシクラメンがたくさん咲いていました。いや、カタクリ?




そして、この劇場のあとは、ガイドツアーで、神殿跡を訪ねます。




ガイドツアーは時間もかかるし、ちょっと面倒だな、と思ったのですが、しかしガイドが実にユニークな方で、笑いっぱなし。参加してよかった、という結果となりました。
そのガイド、レオナルドさん。




面白いお話をたくさんしてくださったのですが、ちゃんとメモしておかなかったので、あらかた忘れてしまったのが残念。たとえば、上の写真だと、柱が倒れているのが分かるのでしょうか。これ、本当に倒れているんですよね。神殿の建物全体が、かなり古い時代に、既に崩壊しちゃっているんです。地震って言ってたような気がします。

崩壊もひどい中で、当時のフレスコ画が見られるというのが奇跡のようなものですね。






ローマの時代の人々の写実能力ってすごいです。早描きのスケッチというかクロッキーというか、そういう流れるような筆遣いで写実的なんで、どうしてこんなのが描けたのかと感嘆します。

今見学できる場所はわずかですが、年々新しい場所が発掘されて、時間をかけて整備されて、そしていつか全貌が分かるということなのでしょう。気の遠くなる話ですが、この遺跡のあった時代から、既に二千年だっているわけですから、いくら時間をかけても問題ないと言うことでもあります。




道を挟んで、丘の上のウルビサリアの町が見えます。




時間に余裕のある旅だったら、この緑の中を散歩して、町まで行ってみたいところです。改めて、いかに美しい場所であるかと感心しています。

レオナルドさんとは、翌朝、ウルビサリアの町でばったり。今から出勤なんだよ~、と急ぎ足ながら、ひととき世間話をしました。こういう村に生まれて、遺跡を守って勉強して、訪ねた人々と交流して。ゆったりとした、素敵な人生だなぁ、とか思っちゃうのでしたよ。

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  1. 2014/02/23(日) 02:33:22|
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結婚式の最中に

マルケ・ロマネスク、その16

ずいぶんと間が開いてしまいましたが、またマルケに戻ります。

最後に訪ねた町、トレンティーノTolentinoです。音だけで聞くと、海外生活二十数年になる今でも、情けないことに、LとRの区別ができないわたしには、北部にあるトレントと同じに聞こえてしまうので、え?と思いましたが、トレントはRでトレンティーノはLなのでした。

実に変哲のない普通の中堅都市で、実は事前にもあまり調べていないので、目的の場所がどういうところかよくわかっていないまま、旧市街に入り込み、街角の表示を頼りにたどり着いたのが、カテドラル・サン・カテルヴォCattedrale di San Catervo。




思いっきり工事中だし、そもそも、本当にここなんだろうか?と思わせるたたずまい。でも、入り口に、誇らしげに「4世紀の石棺」とあったので、とりあえず、これが見るべきものなのかな、とは思いました。ただ、扉が開いておらず、そこらにいた人が、もうすぐ開くよ、と教えてくれたので、いったん町のほうに戻り、もうひとつ怪しい教会にアクセスしてみました。

バジリカ・ディ・サン・ニコラ・ディ・トレンティーノBasilica di San Nicola di Tolentino。
13世紀の美しい回廊がありました。




たたずまいは、わたしには面白くないけれど、回廊の二階部分から垂れ下がっている藤がとても美しくて、アーチのレンガとの色彩コントラストが絶妙でした。藤の木の場所で、珍しく自分の写真を撮ってもらったくらいです。
アーチの上の方には、絵皿がたくさんはめ込まれていて装飾になっているので、13世紀も始めの頃なんでしょうねぇ、スタイル的には。

この教会には、ジョットとかシモーネ・マルティニあたりの中世後期が好きな方なら気に入りそうなフレスコ画もあり、多くの観光客であふれていました。




かなり大き目の礼拝堂の全面ですから、インパクトはすごいし、保存状態が大変よいので、色も美しく、本来興味がなくても、目が惹かれる作品です。

さて、そろそろ、と目的のカテドラルに戻ると、なんと、結婚式です。つまり、準備でさっきは閉まっていたらしいのですね。
どうしよう、と戸惑っているうちに、花嫁と花婿がやってきてしまいました。




花嫁の堂々振りに比べて、花婿はかなり年下ぼくちゃんっぽくて初々しかったですが、しばらく見ていて、はっとしました。そんなことしている場合じゃない、これはまずい…、とあわてて教会に入り込みました。




げげ~!こんなきらきらの教会のどこに4世紀の石棺?あわあわしながら、とにかく奥へ進むと、左側祭壇が、目指すものでした。これ。




かなりローマの石棺ですね。横の方にもローマっぽい浮き彫りがびっしりで、保存状態も彫刻の質も大変に高いものだと思います。が、わたしが注目したのは、もちろんローマではなく、こちらです。





石棺の下、四隅それぞれに、このような猛獣が聖職者を襲っている姿があるんですよ。このライオンらしい猛獣の、ある意味不気味な、でも同時に妙に間抜けな顔、それでいてでかい前足に鋭い爪、聖職者らしい人物の憂い顔と比例のおかしい身体…。これは面白いです!石棺の台として、作られたものと思いますが、こういう組み合わせって、珍しいですよね。

そうこうしているうちに、人々がどんどん入ってきますので、一応、と反対側に行くと、出口になっています。そちらから出る場所に、なんと!もうひとつお宝があるのです。9世紀(と言われている)のフレスコ画。




この場所に、かつて丸い形の霊廟があったそうで、このフレスコは、その壁を飾っていたもの。全体は剥落しているのに、この一部だけが、かなりよい状態で見つけ出されたのですね。そして、つい最近、2004年に修復が終わったらしいのです。
ガラスに覆われているのですが、色は美しいです。上の絵は、後陣部分にあったようです。
今の教会との関係は、以下となります。




このフレスコ画のある場所には、こんなわたし好みの浮き彫りも置かれていました。リュネッタにでもあったものでしょうか。




こうして、外見からは想像もつかない宝物を秘めているカテドラルに、呆然としたトレンティーノでした。このとき、本堂では結婚式たけなわ。脇で、中世に思いをいたしているのも、妙なものだなぁ、とぼんやりと考えながら、裏口からおいとましました。

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  1. 2014/02/21(金) 06:27:15|
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スペイン語、忘れてる~!

カタルーニャ・ロマネスクめぐり、プロローグ

お久しぶりです。
ここしばらく忙しく、ブログをつづることもままならない日々が続いていました。長期休暇以外で、こんなに休むことはめったにないくらい、間が開いてしまいましたよね。
仕事が忙しい上に、出張続きという状態ではあったのですが、実は、出張に引っ掛けて、遊びもしっかりしていたんです。その準備がまた忙しくて。
そう、タイトルにもあるように、カタルーニャに行っていました。




いつもこの時期は、会議のためにロンドンに行くのですが、今年は会場がバルセロナになりました。集合は日曜夜だったので、週末遊ばないともったいないな~、と思ってはいたのですが、諸事情から、予定を組むのがかなり事前になったために、最後は旅の情報集めでバタバタ。それもブログどころじゃなかった原因です。




金曜日の早朝にミラノを出発して、日曜日の夕方まで、カタルーニャの田舎で、これまで行けていない場所で、かつ地域では比較的メジャーな場所を中心にチョイスして、おおよそ調べた場所は三十箇所くらい、結果的には、半分位行けた感じです。2泊2.5日というスケジュールで、ランチも夕食もゆったりいただいたことを思えば、まぁまぁでした。

カタルーニャ、そしてバルセロナは、どこよりも訪ねている場所と思うのですが、バルセロナ近郊は、意外と行ってないことに、改めて気がつきました。そしてまた、この地域、修道院が本当に多いという事実にも。
今は、教会と回廊だけが残っている場所がほとんどなのですが、回廊があるということは、つまり修道院だったということなのですね。




去年の春先に訪ねたラツィオ北部では、びっくりするくらい多くのクリプタを訪ねることとなりましたが、今回は同様の多さで回廊に出会いました。
規模もタイプも実に様々。それぞれにそれぞれの面白さがあり、そしてどこでも、びっくりするくらい素晴らしい柱頭があります。




起源のずいぶんと古い教会にも出会い、そういえばこの辺りの初期キリスト教というのはどうなっているのか、と考えながら歩きました。
ある場所でガイドをしてくださったおじさんが、当時、いかにイスラム文化が素晴らしかったか、という話をしてくれて、イタリアでロンゴバルドが活躍していた時代、7/8世紀、この辺りはイスラム文化があったことに思い当たりました。

わたしが好きなロンゴバルド風のプリミティブな装飾にも通じる何かがあったり、アラブ風の精緻な幾何学模様だったり、パレルモの教会にも通じる、おそらくアラブ起源の建築スタイルだったり、なるほど、スペインの中世にはまる人がいるのもうなずける気がしました。




面白い柱頭が数多くあったこともあり、撮影した写真は千枚を超えています。整理するのが、また大変…。興味のある方は、気長にお待ちくださいね。
昨年と一昨年はフランスに集中しましたが、今年は久しぶりにスペインと思っており、このカタルーニャを皮切りに、夏休みも、おそらく、の予定です。

で、愕然としたのが、自分のスペイン語…!
こんなにできなくなっているんだ、という事実に、もうがっくりです。相手の言ってることは、まだなんとなく分かるんですが、自分から話すのが相当辛くて、ほとんどイタリア語じゃん、オレ、という状態で…。いやはや。フランス語は全然ものにならないまま、既に何度目かの挫折をしている上に、頼りのスペイン語までこれではね。いかんです。

ということで、また平常営業に戻りますので、よろしくお願いします。

そうそう、バルセロナは、日によっては20度。半そでのTシャツ一枚で歩いている若者多数。いつでも温暖な土地とは言え、ちょっと変。

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  1. 2014/02/19(水) 05:44:48|
  2. スペイン・ロマネスク
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修道院バレー

マルケ・ロマネスク、その15

マルケのこのあたりは、実に多くの修道院があったのですね。今は教会しか残っていない場所がほとんどですが、前身が修道院教会というものばかり。
サン・ベネディクトの出身地に、比較的近いこととか、関係あるのか、または、単に人里離れた場所が豊富だったからなのか、何か理由があるはず、と思うのです。
そういえば、修道院が密集する地域というのは、ありますね。「修道院の道」とか、「修道院谷」とか、そういう名称を使っている土地が結構あるような。
そういう切り口で見るのも、何か面白い発見がありそうです。

それはともかく、今回宿泊した村に程近い場所にも、立派な修道院がありました。今は、かなり観光地化していて、キャンプ場も付属するような巨大自然公園の中にあります。
フィアストラ修道院Abbadia di Fiastra。




公園内の観光施設として修道院があるため、大型バスも乗りつけちゃう規模の巨大駐車場があり、団体さんが次々と訪れています。人をいれずに撮影するのが難しいほど。

幸い、といいましょうか、われわれが到着した時間は、修道院クローズまで30分ほどしかなく、団体さんは観光をとっくに終了した時間でした。もともとここは、行かなくてもよい場所にリストに入っていたのですが、微妙な時間に脇を通ることとなったので、それなら、と立ち寄ったのです。

あと30分しかないから急いでね、といいながら、受付のおばさんは、入場料を半額にしてくれました。もともとたいした額ではないけれど、こういう気遣いってとても嬉しく、この場所のイメージが上がります。わたしが貧乏だからかな。




食堂。
この修道院の近くには、かなり大規模なローマの遺跡があります。そこから、多くの石材が運び込まれ、この修道院の資材として再利用されています。この食堂の柱や柱頭も、その多くが、ローマのもの。




回廊。
順路を辿り、修道院らしい風景を、急ぎ足で、見学していきます。途中掲示してある説明を斜め読みすると、これらの施設の多くは、19世紀初~半ばの時代に作られたもので、主な建築家の一人は、マチェラータの競技場と同じ人なんだそうです。そんなに新しいとは思いませんでした。
第二次世界大戦時には、これらの建物が、ユダヤ人や思想犯の収容所になっていたとか。そっちの方が、歴史としては面白そうな。

当初、被収容者は、公園を散歩したり、図書館を利用したり、音楽のできる人たちが独自にオーケストラを結成したりが許されていたのだそうです。お医者さんだった人は、診療所を開設して、収容所外の村の人々も利用できるようになっていました。英語やイタリア語などの語学講座や様々な講座が開かれ、内部にはシナゴーグまで作られたのです。
でも1943年11月30日、被収容者たちは、他の収容所経由で、アウシュヴィッツに移送され、唯一生き残った医師の方が、その思い出を今に伝えているということです。

話を修道院に戻します。
回廊に囲まれた庭には、お決まりの井戸があります。そこに井戸があることは自然で、あまり深くその存在について考えたことがなかったのですが、説明を読んで、なるほど、と思いました。
修道院にとって水はとても重要なものであるから、必ず、水のある場所が選ばれる、と。そのために、修道院の名称が、水と関係することも多いということで、ブルゴーニュのフォントニー修道院があげられていました。多くの人々が共同生活を行う場所だから、確かに水は基本ですね。なるほどな~。水のよい土地に、集積するっていうこともあるのかな。

修道院の一部は、石ものの博物館になっていました。





ロマネスクのかわいらしい浮き彫りが散見されました。
修道院で一番面白かったのは、地下施設。

ワインを作っていた場所から、地下に続きます。




かなり広くて、美しい建築でした。




ずいぶんと広いスペースがあり、整備もしっかり。他の見学者がいなかったのもあり、急ぎ足とは言え、のびのびと見ることができたのもよかったです。
こんな石段を登って、外に出ます。




そして、教会へ。




修道院の見学は19時で終了ですが、教会は閉まらないので、後回しにしたのです。
ファサードは、トップの写真のように、見るべきものもなく、内部も、ほとんどそういうものなんですが、柱頭部分に、わたしの好きなものが、結構ちゃんと残っているので、それが嬉しかったです。





かなり急ぎ足で、見学終了。慌てたせいか、急ぎすぎました。せっかくなので、お土産に、修道院産らしいリキュールを購入しましたが、実はその後甘いお酒を飲まなくなってしまったので、いまだに未開栓。

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  1. 2014/02/09(日) 03:39:24|
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マチェラータ、なぜ有名なのか?

マルケ・ロマネスク、その14

今回は、ロマネスクとしては番外で、マチェラータMacerataです。
マルケの中では、マチェラータという町は、比較的有名で、町として繁栄したのは、ルネサンス以降なのではないかと思います。名前を知っていたというだけで、思い出せないくらい昔に、一度訪ねた記憶はあるのですが、訪ねた事実を覚えているだけで、町のことはほとんど覚えていませんでした。

ここでもまた、駐車場を探してうろうろ、最後は親切な少年が、徒歩で先導してくれて、何とか下の町の有料駐車場に入れることができました。丘の上に張り付いている町です。そんなこんなで、もともと小雨がぱらついていたのですが、旧市街にたどり着いたときは、大雨となってしまいました。




アップダウンの激しい街中を、水が川のように流れ、仕方なく軒先で雨宿り。ここは旧市街の中心のリベルタ広場で、お天気がよければ、美しい空間でしょうが、残念ながら、池状態でした。
とは言え、せっかく美しい建物に囲まれているのに、実は、単なるどでかい交差点、というようなスペースになっているのがもったいない。
なんか、この町は、全体がこういう風に取り留めなくって、余り魅力を感じられるつくりになっていないように思いました。イタリアの広場は、カフェやレストランのテーブルが出ていたり、ベンチが並んでたりして、人々が集う場所であってこそで、車やバスが幅を利かせているなんて、いまどきありえないです。

なんか退屈、のときに目に入った町のポスター。




イベントのポスターだったようですが、派手な色と面白いフィギュアで、地味な色合いの町並みで一人目立っていました。




小雨になったところで、観光案内所に行き、町の地図と見所を尋ねたところ、すぐ近くにある「競技場Sferisterio」のガイドツアーが、5分後に始まるところだというので、それなら行ってみようと、ツアーに参加しました。
ここって、今はどうなのかしらないけれど、かつては夏の野外オペラに使われていたので、わたしの中では、完全に「劇場」だったのですが、実は競技場だったのですね。




一見、劇場にしか見えませんよね。
椅子が並んでいるので、やはり今でも野外劇場として使われているようです。でも、オリジナルは、確かに競技場だったんだそうです。18/19世紀頃の建物で、その頃流行っていたらしいスポーツのためのもの。チームに分かれて、ボールを腕で打ち合うとかそういうタイプの、ありがちなスポーツだったらしいのですが、すっかり廃れて、今ではよくわからないんだそうです。結構簡単に廃れちゃってますから、余り面白くなかったのか、設備の維持が大変だったのか。
でも、考えたら、スポーツって、オリンピックの近代五種競技でしたっけ。ああいうもの以外は、さほど歴史ってないのかしらん。

左側にある、とんでもなく背の高い壁も競技場の一部で、今の舞台と客席部分が競技スペースだったらしいけど、かなり広大なスペースなんで、想像もできません。7千人もの観客を収容できるものだとか。でかすぎ。
ま、劇場として再利用できてよかったね、というところ。

帰り道、この背の高い壁が思いっきり視界を閉ざし、閉塞感をもたらしていました。変な町だ、マチェラータ。ルネサンス的にも、別にどうって言うことないし、なぜわたしの中では、知名度が高かったんだろうか。

またロマネスクに戻ります。

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  1. 2014/02/07(金) 06:35:23|
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またもやお祭りの喧騒の中、中世。

マルケ・ロマネスク、その13

次に訪ねたのは、サン・クラウディオ・アル・キエンティ教会Chiesa di San Claudio al Chientiです。




キエンティの広々とした谷に、一人ぽつんと建っている教会…、のはずなんですが、ここでもまたお祭りらしく、移動遊園地はあるわ、人ごみでざわざわしているわ、という有様で、普段とはかなり違うたたずまいに遭遇してしまいました。

ファサードへのアプローチは、まるでお城みたいですよね。おそらく修道院時代の建物が基礎になっているんだと思いますが、今はその一部が、お洒落なホテルとレストランになっているようです。誰もいない静かな時期だったら、ちょっと泊まってみたいと思ったかもしれませんが、このときは、見るものを見てさっさと立ち去りたいくらいにざわめいていたので、それどころじゃありませんでした。




内部、ほとんど装飾はなく、石の質感がすごい迫ってきます。白っぽい石なので、重圧感は意外とないですが、太い柱で、がっしりと作られていますね。半円の後陣に小さな窓が開けられていて、外光が入ってきます。

ここ、オリジナルは、修道院で、その後教会だけが独立したものらしいのですが、詳しい歴史は分からないのです。それにしても、その独特な建築を見ると、どこからこういうスタイルが採用されたのか、非常に不思議になります。




塔は、内部に螺旋階段があって、一階から二階までは、登れるようになっていました。
一階も二階も、同じような構造の教会です。どういう風に使っていたのか、何か理由があったのでしょうね。
二階の方が、天井が高く、柱も若干細めで、開放感がありました。




今は、展覧会場に使われているようです。

二階の入り口から出ると、円筒の塔を間近に見ることができます。
左と右。





微妙に違うんですよ。高さ(確か、右の方が若干高い)とか、開口部の位置や数。左側の方が、レンガの色もきれいだし、作りも全体にすっきり感があるような気がするのですが、もしかすると、時代の違いがあるのかも。または単純にお掃除や修復のタイミングのせいなのかしら。
円筒形の塔は、ラベンナのあたりに多いですが、その影響があるかもしれないですね。考えたら、このあたりのマルケは、ロマーニャ地方から、そう離れているわけではないです。ただ、塔を、それも二本も、こうやってファサードに組み込むというのは…。
あれ、もしかして、ヴェローナに似たようなタイプのものがあったような気が。やたらヴェローナ・タイプに出会ってる?

こういう印象的なスタイルは、時間がたっても結構覚えていたりするので、ふと過去に訪ねた教会との共通項を思ったり、面白いものです。っていうか、生まれつき物覚えが異常に悪い自分なのに、ロマネスクに関してはかなり覚えていることに、びっくりします。

二階のバルコニーからの眺め。




どこまでもまっすぐな道が続きます。このファサードは、あるべき場所に作られたということなのでしょう。

さて、外観。




美しい後陣です。背の高い三つの後陣が整然と仲良く並んでくっついて。ファサードの円筒の天辺がちょっと顔を出すのも、計算されているんでしょうかね。
これは、マルケ北部のサンヴィットーレ・デッレ・キウゼに似ています。マルケ様式ということになるのでしょうか。




側壁の方にもぽこん、と半円出ています。どれもブラインド・アーチと付け柱の組み合わせで、簡単だけど効果的な装飾。きれいですよ。
でも、よく見ると、アーチがなくなっていたり、途中に入っていたり、いろいろ。




崩れてしまったものもあるのでしょう。やはりこの教会は、後陣の方が、教会らしくて、独特のファサードよりも、わたしはこっちが好き。円筒は好きなんだけど。

それにしても、実はこの後陣の姿を美しく撮影するのは、大変でした。というのも、とにかく人と、アトラクション系のぶつ、車が、あらゆる場所を占めていて。
その上、とにかく音楽が、まるで昔の場末の温泉街とか海辺とか、そういう状態で鳴り響いていて、頭痛がしてくる始末。
お祭りもいいし、地域の人々の楽しみということはよくわかりますが、せめてあの音楽は何とかしてほしかったな~。

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  1. 2014/02/06(木) 06:19:38|
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