ルシヨン・ロマネスクその5
エルンElne、聖エウラリア・エ・ジュリア聖堂Cathedal de St Eulalia et St Julia続きです。 ここの回廊、ちょっと親切で、各面が何世紀のものかがちゃんと表示されています。西側北側は、13世紀。
ちまちましていて、みんなふくろうみたいな顔しています。ロバなのかな、と思いつつ、リャマにしか見えない動物もいます。
アダムとイブらしい。いまひとつかわいらしさや面白さには欠けますな。とは言え、親しみは持ちやすく、見ていても面白い。 東側は、14世紀。
おお~、マギですね。いいんですけれど、ゴシックのこのきらきら装飾が入ってくると、途端に、なんかだめ、と思ってしまうのは、もう習い性で仕方のないことですね。 それにしても、回廊の四面それぞれで時代を辿れるというのも、面白い趣向です。いや、趣向と思って作られたわけではないわけで、結果的にそうなったとしたのだとしても。 回廊には、古い石棺が置かれてもいました。
考えたら、石棺を詳細に見て、いいとか悪いとか言っているというのも時間がたったからこそできる所業。 それにしても、いいですね、これ。初期キリスト教時代です。
外に出ます。後陣、外側。
もっとずっとゴシックになっているかと思いきや、意外とロマネスク・テイストそのまま。このあたりの細部の装飾が、意外とよかったです。
ロマネスクだったら、わたしの好きな市松かな。 教会内部は、いくつかロマネスク名残っぽい柱頭には出会えたものの、建築的には面白くなかったのですが、すごく気に入ったのがこちらの作品群。
明かりの傘中心に、どなたか現代作家の作品が使われていたんですよね。わたしの好きな素材で、ちょっとアルテ・ポーヴェラっぽい感じが、たまらなく好きでした。
ほしい、と切実に思うような作品。でも別に、展示されているわけではなく、普通に教会の備品だったみたいなのが不思議でした。モダンすぎる。こういうところは、さすがフランスって感じかしらん。現代アートが生活に溶け込んでるっていう感じ。 実はエルンで一番印象的だったのは、このランプたちかも。
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2014/03/31(月) 06:18:37 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその4
次に訪ねたのは、エルンElne。ナビに従って走っていたら、いつしか町に入り込み、どこで停まれるのか分からない一本道で、そのまま通り過ぎてしまいそうになり、慌てて町のほぼ終わりにあった駐車場に停車。
街道沿いに発展した、典型的な町って感じ。町の出口にある駐車場から、歩いて戻り、表示を頼りに教会を目指しました。旧市街が丘の斜面にある立地で、緩やかに登るのですが、とにかく住宅街が張り付いて見通しが利かないので、方向音痴のわたしには辛い土地。頼りは上り坂、ということだけ。 うろうろしながら、何とか、目的地らしき教会にたどり着きました。
塀を回ると、入り口があります。午前中は11時45分まで、とあり、この時点で正午が近かったのであせりましたが、夏季は昼休みなしの営業、とあったので、安堵しました。
ここも、フランスらしく、外観はゴシック入っていますし、さて、どうでしょうか。見るべきとなっているのは、キオストロと、メロヴィング朝時代の石棺。 聖エウラリア・エ・ジュリア聖堂Cathedal de St Eulalia et St Julia。が、観光名所として名高いのが回廊であるせいか、入場口には教会名もなく、「エルン、回廊」とあり、ちょっと寂しい気がしました。仮にもカテドラルなのにね。
入場すると、すぐ、そのお目玉の回廊となります。
回廊が取り巻いている中庭にも、本来は意味づけがいろいろあるはず。ここでは、ラベンダーらしき草花が異常繁茂して、中庭の意義がほとんど保たれていないように思ってしまいます。繁茂に任せてしまうって、どうなんでしょう?取りとめのない中庭になっていますよね。
一番古い時代、12世紀の南側回廊。
あれ?本当に12世紀?と思う感じの、ちょっと洗練された彫り物があります。
獅子。ああ、カベスタニーらしい感じです。この人たち、写実的でうまいんですね。ちょっとオリエントも入っている感じの繊細さがあって。ライオンのたてがみは狛犬系の癖して、妙に筋肉が見えたりするのが、なんかカベスタニーっぽい感じって言うか。
かと思うと、いきなりかなりプリミティブって言うか、ある意味現代的って言うか、手の違う柱頭が。
アダムとイブっぽいですね。イブが色っぽくて、アダムは馬鹿みたいに突っ立っているんですが、ここにはカベスタニーらしさはゼロ、と思いますが、如何。 と思うと、今度はまた違う手で、イブの創造ですかね。
職人さんが多数働いていた感じ。 お、おなじみ、二股人魚。
人魚の性別不明…。でも、おなじみのモチーフに出会うと、意外とほっとするものです。なんかここの回廊、あまり大きくて、どうしてよいのやら、という気持ちになっていたのもあって。 多分、上の写真も、時代混ざっていると思いますが、回廊の他の面では13世紀の作品も多数、ゴシックが入ってきます。とは言え、いきなりルシヨン中世の核心に迫る感じで、びっくり。 続きます。
2014/03/29(土) 07:07:53 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその3
いよいよ、カベスタニー博物館Centre de Sculpture Romane - Le Maitre de Cabestany、訪問です。正確には、「ロマネスク彫刻センター、カベスタニーの巨匠たち」みたいな名称になるのですね。
10時開館ですが、5分ほど前に着いてしまったので、のんびりと開館を待っていたら、10時ちょうどに女性がやってきて、10時2分、扉を開けてくれました。英語での会話がぎりぎり成り立ち、パスポートをくれたり、簡単に館内の説明をしてくれたり。とても親切な方でした。 早速見学開始。
とは言え、実はここがどういった博物館であるのか、事前にはよくわからないまま、スタートしてしまって、いきなりずらずらと並ぶ展示品にたまげてしまいました。
もうご存知の方が多いと思いますが、カベスタニーとは、ロマネスク時代に、フランスのピレネー東部、オード、スペインはカタルーニャとナヴァッラ、そしてイタリアはトスカーナの各地域に、比類ない彫刻を残した巨匠のこと。ただこの巨匠は、名前が一切残っていない無名の方。イタリアだと、ロマネスクの彫り物の巨匠の多くは、北部コモ地方出身者であり、全員が名を残しているわけではないにしろ、サインを残している人もいたり、その後輩出した有名人を系統的に辿ることが、ある程度できていることに比べると、このカベスタニーの人は、本当のところ、というのが、おそらくほとんどわかっていないのです。そのミステリアスなところがまた、魅力となっている部分もあるのかもしれません。
この博物館には、そのミステリアスなカベスタニーの巨匠が、ヨーロッパ各地に残した作品のレプリカが、一堂に会しているのです。 ということは、行って初めて知ったわけで、最初は本物と思って、たまげてしまったわけです。
いきなり、サンタンティモのダニエルさんで、なるほど、と思いました。
低い位置に大きいサイズで置いてありますから、細部を観察するには最高です。実物大なのかな。オリジナルは相当高い位置にあってなおでかい、と思わせるものだから、目線近くにあれば、大きいに決まっていますね。 目が、このカベスタニーの教会の彫り物と一緒だ。普段わたしが好む、ヘタウマとかかわいらしい彫り物とは、ずいぶん異なるタイプの作品です。
ラングドックで最初に訪ねたサン・パプール修道院のもの。そうだっけ、と確認してみたら、ああ、本当だ(下)。そういえばあそこは、カベスタニーのすごい柱頭が、後陣外側についているという豪華な教会でした。
説明書きがフランス語オンリーというのが、泣けました。まぁ、少しは分かるんですが、読むには根気が要るもんで。 サン・パプールは、カベスタニーの巨匠が働いた場所としては最西端だそうです。この南仏のカタルーニャ、スペイン側では、ちょっと北上したのに、フランス側ではずいぶんと狭い範囲だけしか移動していない割りに、トスカーナにいきなり行ったり。海路で移動したということなのでしょうねぇ。トスカーナで、あのかわいらしい不思議ヘタウマ系を持って返ってきたのか、職人間交流があったのか。 なぜ、もっと西や北に行かずに海に出たのか。またはイタリアからやってきた職人さんが、カベスタニー風を学んで帰ったのか。なぞが広がり、楽しくなってきます。
こちらは、今見ると、ちょっと残念な作品。
博物館で見た時点では、もともとチェックも入っていない教会の名前だったので、どこにあるものかもわかっていなかったんですが、実は、この柱頭のあるはずの教会こそが、出発の朝に、宿泊ホテルのすぐ近くにあるものだと分かったものの、時間が合わず、訪ねることがかなわなかった場所なんです。カンプ修道院教会Prieure' du Monastir del Campで、確か私有のため、常に見学はできないとなっていた場所でしたが、実はちゃんと見学できたんです。ちっ! トランペットを吹く変な人。これは見たいです。リョーミネルヴォアで、わたしが好きだった、笛吹き三人フィギュアに、ちょっとテーマが似ていますよね。
レプリカのみならず、様々な形での説明文、そして、職人さんたちの働きぶりを紹介する工夫を凝らした展示がありました。教会建設や、柱頭彫刻の様子を時差的にネオン点灯で 追える展示。
また一角はギャラリーにもなっていて、訪問時はアフリカ美術展をやっていました。
近現代の作品ですが、なんともいえない味があります。これらのツボなどは、去年ベネチア・ビエンナーレに出品されていた、日本のアウトサイダー・アーティストの作品にも通じるものがあります。ロマネスクにも通じる表現があったり、プリミティブ・アートの世界は、何か、好きですねぇ。
というわけで、ルシヨンの最初には非常にふさわしい場所でした。わたしのロマネスク世界も、徐々にではありますが、広がりを持ち始め、思うこと考えること気付くことが増えていくばかりで、記憶容量から激しくはみ出し、収拾つかなくなる一方です。
2014/03/28(金) 06:30:36 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその2
ルシヨンの旅は、ロマネスク好きがこの地にきたら、必ずや立ち寄るであろう町、カベスタニーから始まります。 朝食も取らずに、ホテルを超早朝に出発した甲斐あって、カベスタニーには、9時過ぎに到着しました。なんとなく進むうちに、町の中心に入ってしまいましたが、運よくすぐに、住宅街の路上に駐車することができました。かなり近くに、博物館らしき建物を目にしたので、おそらく中心部とは思いましたが、住宅ばかりで取りとめがありません。 ちょっとうろうろしたら、役所のような建物があったので、ずんずんと入り込み、尋ねてみると、まさに町役場。簡単な観光案内所もかねていたので、地図をもらい、おおよその町の見当を確認することができました。
まずは、目的の教会、ノートルダム・ド・アンジェEglise de Notre-Dame-des-Angesを探しました。9時半にオープンするという情報を得ており、ちょうどよい時間です。 しかし、住宅が入り組んでいる一角にたどり着き、戸惑います。 これ?
見事に、住宅に囲まれて、壁も密接しており、この側壁に開けられたらしい扉の一部だけしか見えません。まだオープンしていなかったので、周囲をうろうろしてみました。
ぐるりと建物を迂回してみたら、隙間からこのような後陣の姿を見ることができました。壁面も屋根も修復は激しく、美しくなっていますが、構造は、昔のままになっているようですね。 さて、扉に戻ると、今度はしっかりとオープンしておりました。 いきなり。
これが、例の…? それにしてもあまりに唐突な展示の仕方、そう、展示状態なんですね。まさかこれはないだろう、と戸惑います。そう思ってみると、樹脂のレプリカにも見えてしまう…。 結構高い場所にあるし、薄暗いので、肉眼では、細部は観察できません。 これ、オリジナルは扉口タンパンにあったものですね。もともと扉は側面にあったのか、それともファサードとともに正面にあったのか。今では正面はどこにあるのかも分からないというのは、寂しいですね。
中央部にいる祝福するキリスト。手が、プロポーション無視のでかさでびっくりです。すごくまじめな内容の彫り物なのに、そういう意図していない、まじめにずれた感じが、なんというか、ロマネスクの面白さのように感じます。 顔の感じって、こういうのがカベスタニー、ということなのかな。確かになんか共通するものがあるかも。右に聖母、左がトマスですか。 タンパンにはめ込まれていた彫り物だったということは、半楕円みたいな形だったということですが、どうやら、上部が一部欠けているんですね。
周囲に縁取りのように、顔が並べられているのが、妙で、面白いです。 目がみんな猫目で、東洋的、ミステリアス。カベスタニーってこういうのだから、ますますミステリアスな存在になっているのかも。 東洋的、と感じさせることで、この地域にカタリ派が定着していたことと、決して切り離せない何かがあるかもしれない、とふと思います。文化の交差点、他文化への尊重や受け入れ、みたいな、そういう何か。
教会にも目を向けてみます。
確かに構造は変わっていないけれど、全体に古い面影は薄いです。が、柱の付け根のところにちょっとだけ、こんなもんがあったりして、ほっとしました。
時代は明らかに新しいんですけれど、なんとなくこういうのって中世のよすがのような気がして。
2014/03/27(木) 05:49:24 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその1
いよいよ、今回の旅の本当の目的地、ルシヨンに移動します。
大雑把な地図では、こんな感じです。北がラングドック、そして南は、もうすぐスペインとの国境のピレネーとなる地域。 旅のルートは、
Cabestany - Elne - Boulou - S.Martine de Fnollar - St.Andre' - S.Genis de Fontaines - Prades - Abbaye de S.Martin - Corneill Conflent - Villafranche de Conflent - Abbaye de S.Michel de Cuxa - Eus - Espira de Conflent - Thuir - Serrabone - Les Clauses - Arles sur Tech - Villelongue dells Monts - Brouilla - Toulouges - Espiera de Agly
たったの三泊と、決して十分とはいえない時間だったにもかかわらず、ピックアップしてあったほとんどの教会を回ることができたのが、驚きです。効率よく回れた要因のひとつとして、この地域が観光に力を入れていて、比較的情報も集めやすかったり、人々がフランス語以外の言葉を解す率が、他のフランスの地域に比べたら高かったり、観光に対する姿勢が積極的だったことなどがあると思います。
最初に訪ねた町カベスタニーの博物館で、入場の際、これは持っている?とすぐに渡してくれたのが、このパス。
パスポートサイズの小冊子で、ルシヨン地域の見所が、コンパクトにまとめられています。多くが中世の教会や城ですが、自然公園などもあったり。そして巻末にはこれ。
要はスタンプ・ラリーみたいなものですね。この冊子そのものは無料ですが、掲載されている多くの場所で、入場料の割引を受けられる上に、このようにシールを張ってくれたり、はんこを押してもらえたりします。そして、有効期限中(一年くらいだったように思います)に、12ヶ所訪ねて主催者に送付すると、抽選で何かもらえる、というような。 わたし、短期間にもかかわらず、11ヵ所訪問して、あちこちでほめられました。あと一ケ所、実は宿泊したホテルの近くにある教会に気付いていたら達成できたんですけれども、出発直前にホテルのオーナーに、あそこは行った?と尋ねられて気付く始末で、残念でした。とは言え、あちこちで割引を受けることもできて、相当お得感を味わったし、妙に達成感もあって、楽しい思いをしました。
ところで、この同じような冊子が、どうやらラングドックにもあったのですよ。これをもらって、ふと思い出すシーンがありました。ラグラースの修道院で、スペイン人カップルが、「これで割引を受けられるって聞いたけど」と受付の人に出していたんですよね。そのときは気にもしなかったのですが。 なのに、いくつも訪ねたあちこちの観光サイトで、わたしにくれる人はいなかったんです。
ラングドックとルシヨン、歴史は似ているし、一緒くたにされる地域ですが、明らかに違う何かがあります。ルシヨンは、田舎なのに、国境に接しているせいなのか、開放的で外国人にオープンなんです。 フランスでは最も外国語が通じる土地なのではないでしょうか。少なくとも英語と、スペイン語ができれば、かなりらくちん。観光客にスペイン人が多いので、地元の人がだめでも、観光客に助けられることも多数ありました。また、フランス人にしても、こちらの片言のフランス語を理解しようとしてくれる人が多かったように思います。わたしにとっては、初めて言葉のストレスが少ないフランスでした。
改めて写真を見て、やっぱりここはすごい、と感心しています。カタルーニャですから、フランスの他の土地に比べると、圧倒的にロンバルディア・スタイルも多いし、教会の建物そのものが古いスタイルで残っているケースが多いので、彫り物やフレスコ画だけを楽しむだけでなく、建物全体のたたずまい、またそれを包む町村全体を楽しめる場所が多いのです。 また多くの場所で、修道女さんらのガイドに出会えたことも、印象を強めた要因と思います。おいおい記事にしていきますが、有名なカニグー以外でも、多くの素敵な方にガイドをしていただく機会を得て、とても幸運だったと思います。 自分が幸せだと、また幸運が舞い込む、みたいなとてもよい循環に入り込んだ感じで、今までのフランスで、最も充実していた旅。 必ずや、再訪を、と思っていたら、イージー・ジェットのトゥールーズ直行便がなくなってしまい、がっかりしているところです。
長いプロローグとなってしまいましたが、次回からの旅、どうぞお楽しみに。
2014/03/25(火) 03:49:58 |
ラングドック・ルシヨン
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今年もまた、こういう季節になったのですねぇ。 実は、この数年のロッシの低調で、自分の気分も底辺を彷徨い、テレビ観戦も下火、ほとんど存在は知っているけど、という状態で、かつてのように、開幕戦を楽しみにわくわく待って、わくわくテレビ前に陣取る、ということもなくなっておりました。 その上、今シーズンから、テレビ中継もチャンネルが変わり、要すれば番組も違えば解説者も実況アナウンサーも違う、テンションも違うということもあり、ますます遠い世界になりつつありました。
というわけで、今日も今日とて、別に~、という感じではあったんですが、本日が開幕本選ということは、気付いておりました。それも、ヨーロッパ外なので、時間も違うんだろう、ということくらいは、なんとなく。そしてまた、予選でロッシが10位スタート、というところまで、本当になんとなくのレベルで知っておりました。 多分、なんとなくでもどこかで気にしているし、どこかで気にしていれば、ついレースがいつどこでやるかくらいのことは分かるくらいには、イタリアでは、宣伝もちゃんとされている認知度があるということですね、多分。
で、夕食時にテレビをつけたところ、開幕戦カタール、始まって2週目くらいでした。いきなりロッシが5位だったので、おや?10位スタートだったはずなのに?と思い、夕食をいただきながら観戦。 既にロレンツォが戦線離脱、あの人もこの人も戦線離脱、という状況で、これ、本当に中継?過去の映像じゃないよね?と疑問に思いながら観戦。 あれよ、というまにヴァレ、トップに躍り出て、なんとマルクと一騎打ち状態に。 なんか分からないうちにそういう状況に持っていかれちゃったんで、興奮もなく、ほんと?これ、ほんと?と思いながら佳境に。 最後の方は、マルクとヴァレ、後で余裕で走っているダニの前で、抜きつ抜かれつの争いで、その間にも戦線離脱者がちらほらするので、ひどいことにはならず、でも、ヴァレ、まさかこのまま終わらないよね?仕掛けてくれるよね?優勝と二位じゃ全然違うよね?と矛盾することを考えつつ、祈りつつ、お箸を片手に観戦しました。
結果、マルケス、ロッシ、ダニ。 二位とは言え、10位発信を考えれば、まさかの開幕戦絶好調のヴァレ。いやはや。 モトのことは、もう記事にすることもないかも、と思っていましたが、今年どうなることやら。ヴァレ・ファンとしては、彼が活躍する以上は、どうしても見てしまうし、わくわくどきどきするに決まっているので、この復活が本物だったらこんなに嬉しいことはないですが、さてね。 あんまり、心構えもない観戦だったので、戸惑うばかりです。 とは言え、イエイ!ヴァレはまだ終わってないぞ、と。
2014/03/24(月) 06:21:29 |
モトGP
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ラングドック・ロマネスクその13
ベジエからホテルに向かう帰り道にあったので、時間は遅くなってきていましたが、欲張って訪ねたのが、カラントQuaranteの村。
丘の上のハンカチくらいの土地に家々が並んでいるだけの村。
そのひっそりとしたたたずまい、ちょっと目にしただけで好感が持てるというのか、親しみが湧くというのか。もうずうっと、わたしは知らなかったけれども、本当に昔からずうっと、こういう村なんだろうな、と確かに分かるそういうたたずまいが、本当にしっくりとあって。
まさに村の中心に建つサント・マリー教会Eglise de Sainte Marieは、しかし、それほど愛想もなく、その鉄扉はしっかり閉ざされていました。
写真の左端に見える鉄扉が、入り口になっているようなんですが、押しても引いてもびくともせず。仕方なく、後陣の方に回りました。
びっくり。かなりびっしりと建てこんだ建物の隙間に見える後陣、素敵なんです。それに建てこんだ建物群が、ひどく素敵に中世で、おお、とうっとりしました。 窓の部分にあった装飾。
わくわくしながら、なめるように後陣の写真を撮っていたところ、その後陣のすぐ脇の建物から、オバサンが出てきました。
黒く写っている扉のところからです。どうやら、そこは村の博物館だったらしいのですが、なんだろう、と目を凝らしてみたところ、内部の暗がりにいたオバサンと、ばっちりと目が合ってしまったんです。で、出てきたおばさん、「博物館ならここよ?」「いや、ごめんなさい、教会を見に来たんだけど、閉まっていて…」「あら?扉を強く押してみた?あそこは重いから」「ではもう一度試してみます」というような会話を、フランス語イタリア語ちゃんぽんで、なんとなく分かるのが不思議。 で、期待して、もう一度鉄扉に戻り、渾身の力をこめて押してみましたが、やはりびくともせず、でした。
裏に戻り、「だめ、開かない」、とオバサンに報告。いつもはこの時間なら開いているのにねぇ、残念ねぇ、とオバサン。オバサンのせいじゃないのに、とっても申し訳なさそうで、こっちが申し訳なくなりました。 もうちょっと元気だったら、オバサンの博物館を見たかったけれど、一日の終わりで、もう本当に元気を振り絞ってここにたどり着くのがやっと、という状況だったので、とてもこれ以上のフランス語攻撃に対処する元気もなくて、ますます申し訳なかった…。
オバサンの顔はもう思い出せないけれど、メモを見ると、イラストつきで、極限の細さの眉毛、厚化粧、とありました。そういうおばさんだったらしいですが、イメージと反して、すっごく親切だったので、印象は強かったのかも。
中世の雰囲気を楽しめる、ほんのわずかの空間をうろうろしてみました。
本当にわずかなスペースですが、いいなぁ、と感じたものが見えるような気がします。多分、教会の中は、たいしたことなかったと思います。おそらくロマネスク的に見るべきは、後陣のロンバルディア風の付け柱アーチ構造くらい。それでも、わざわざ訪ねて、とても得るものがあった気がしました。いい町です。
2014/03/23(日) 06:40:04 |
ラングドック・ルシヨン
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ラングドック・ロマネスクその12
ベジエBeziersもうちょっとだけ。 ここ、中世の記憶がある町だけに、マイナーな場所も含めると、見ておきたい場所が実は結構あります。とは言え、時間も限られていることだし、と回ったもうひとつの教会には、ずいぶんと迷わされました。 というのも、どうしてもここしかありえない、という場所が、こんなだったので。
小さな広場になっている住宅街の一角。いい加減うろうろした挙句に近寄ってみたら、何のことはない、まさにここでした。
わざわざ、ここが、教会の入り口だよ、と書いてあります。そりゃそうだ。こういうのがなければ絶対に分からないですから。 サント・アフロディース教会Basilique de Saint Aphrodise。
しかし、残念なことに、鉄扉は固く閉ざされており、どうも常に開いている気配もなかったです。 かつては教会だけがあったであろう場所に、後付でたくさん建物が建てこんでしまって、今では、教会へのアプローチに、後付の建物を潜り抜けないとたどり着けないような状態で、要は、教会が後付の建物の中庭に位置するような、そういう状態になっているようです。閉ざされた鉄扉から、教会入り口までは、かなり遠い…。
さえぎるものもないので、ズームアップ。
正面扉上部に、何か古そうな彫り物がはめ込まれています。使徒って感じなんですが、9人。顔の部分は磨耗が激しいけれど、身体は結構ちゃんと残っています。でもなんだろう。おなじみの中世という感じもなく。と言って、ローマにしては稚拙。装飾的にはゴシックでもなく。半端な時代のレプリカですかね。
脇の方に、古そうな浮き彫りが、いくつかはめ込まれているようでした。
20倍ズーム、威力発揮ですね。一眼レフでなくても、結構撮れるものです。
建物は、住宅と思いますが、鳥の糞害がかなりひどい状態で、公共の入り口をこういう状態で放置している住人に、びっくりしました。毎日帰る家の入り口が糞でびっしりって、最悪じゃないですか。っていうか、ありえない。
ベジエの町。ちょっと苦手な感を抱きながら歩いておりましたが、最初にイメージしたアラブとか南とか、そういうものの着たり来る元が、どうやらカタリ派にあったらしいと思うにつけ、もし事前のちょっとでも知識があれば、違う印象を持てたかもしれない、など思います。 そういう思いで、改めて写真を見れば、破壊されつくした町のところどころに、なんとなく歴史を感じされるものも垣間見られたり。
また、一度は再起はありえないほどに蹂躙された町であるはずなのに、今なお、ちゃんと生き延びている姿を、改めて認めたり。
カタリ派は、この地域を歩いている以上、必ずどこかでかかわらざるを得ない歴史ですが、その迫害の歴史に残るベジエで出会えたことは、よかったような気がします。
ロマネスク、ひいては中世をキーワードにヨーロッパを歩いていますが、いわゆる中世というのは、短い期間ではなく、決して、ローマからルネサンスへ続く過渡期というだけの時代ではなく、よい意味でも悪い意味でも、過去のいろいろを引きずって、次の時代へとつなげる時代であったわけで、だから、多くの場所で、そういうもろもろのかけらや希望に出会う旅ともなります。 ベジエの町に静かに沈殿するカタリ派の黒い歴史というのも、そういうもろもろのひとつで、それでも歴史は止まることなく続くのだという、その中世の意義みたいなものを感じさせる土地なのかな、などと思ったりします。
とか何とかまじめ顔をしつつ、そういえばこの町の地下駐車場を出るとき、ただでさえ狭い通路の辟易とした挙句、出口のバーが持ち上がらずに、バックする羽目になり、大騒ぎをしたことが、一番のベジエの思い出かも、などと苦笑しています。 入るも出るも、苦行のベジエ地下駐車場でした。
2014/03/22(土) 06:51:04 |
ラングドック・ルシヨン
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ラングドック・ロマネスクその11
ベジエBeziers続きです。 前回の記事で、この町がカタリ派に関係した場所であることに触れました。実は、以前買ったまま、積読してあるままの本の中に、カタリ派の本があり、今夜斜め読みで紐解いてみました。 買ったときは、中世関係だし、とりあえず知識として持っておくのも悪くない、という程度で買ったものですが、積読、しとくもんですね。カタリ派の歴史、ひいては中世後期のヨーロッパ辺境の歴史を学ぶ最適の教科書になりそうな内容で、学術書的なタイトルとお値段の割りには、とても読みやすい文章。もう一冊、こちらも内容は知らずに、作者名で買った本とあわせて、カタリ派をざっくりと知りたい向きにはお勧めと思いますので、ここに記しておきます。現在も、現役の本かどうかは分かりませんけれど。
「異端カタリ派と転生」原田 武(人文書院) 「路上の人」堀田善衛(出版社、忘れました)
前者は、カタリ派の歴史、時代、そしてカタリ派の思想的なものが、平易な文章で非常に分かりやすく記されています。キリスト教の異端とされていたカタリ派が、仏教思想に通じる内容を持っていたり、禁欲や菜食などに対する異常なまでの厳しい戒律など、かなりユニークで面白いものだったことが分かります。 後者は、小説なので、カタリ派の具体的な思想などの説明ではないのですが、フランスのこの地域を舞台としたロードムービーとでもいった趣で、風景や人のあり方が浮かび上がってくるような、そういう内容になっています。
さて、カタリ派に思いを馳せながら、前回パノラマで目にしたカテドラル・サン・ナザレCathedrale Saint Nazaireに向かいます。
近づいてみると、これはもう、ロマネスクからはかけ離れた建物になっている、ということが分かります。
でもこの建物、実はかなり長い間かけて増改築が繰り返されていますので、一部12世紀および13世紀の部分も残っていて、それが、今入り口となっている北側面の一部と、そこから入ってすぐのあたりとなります。
図でいえば、茶色の部分がそれで、オレンジは13世紀後期となります。
その時代の後陣は、壮大なゴシック。背も高く、光がふんだんに入る明るい構造です。
古い時代の場所には、相当高い位置ですが、怪しい柱頭が見えます。 初期キリスト教時代かしら、と思われる、こんな素敵な石棺がさりげなく置いてあるのも手伝い、これは、とよく目を凝らしたところ、やっぱり。
マギらしい三人組とか、ドラゴンに囲まれた人物フィギュアとか。
ゴシック以降らしいものが多かったので、本来はもっとロマネスク時代のものがあったのではないかと考えられます。 そして、入り口からすぐ、筒状になっている場所に、螺旋階段発見。
これをがんばって登ると、ヴォルトの付け根にある面白柱頭を、間近に見ることができるのです。
なんか、かわいらしいですよね。時代はよくわからないんだけど。 筒状の部分が終わったところで、ちょうどこれらの彫り物が観察しやすい場所が踊り場みたいになっていますが、さらに、奥の方に、上に向かう階段があります。既に太ももが疲れていましたが、ここまできたら登らないわけには行かない。で、がんばって進みますと、なんと屋上に出たのでした。
こういう仕掛けってことを全然知らなかったんで、結構驚き、嬉しくなってしまいました。こんな仕掛けを無料で提供するって、ベジエ、太っ腹です。それにしても螺旋の続き具合は激しく、太っている人は相当困難ではと思われる狭さ。気持ち悪くなるくらいというか、気が遠くなるくらいというか。ぜえぜえ登りながら、それにしても螺旋階段を考えた人はすごいなぁ、と感心しました。自立の塔だと、限界がありますが、建物の内部であれば、建物がある限り、最小のスペースで、どこまでも登れるという事になるような。重量の問題とか出てくるから、そんな簡単じゃないのかもしれませんが。それにしても、構造が超単純な割には、すごいです。
下りで、足、パンパンになり、そのあとの運転が心配になるくらいでした。
で、今夜。見学中に考えていたのはそんなことばかりだったんだぁ、と先述の書籍でカタリ派の歴史を垣間見て、自分にあきれる気持ちです。 まさにこのカテドラルが、ベジエにおけるカタリ派大虐殺の舞台だったわけで。 1209年、ラングドック各地で巻き起こった異端狩りの際、ここベジエの町では、カタリ派の人々がいるというだけで、無関係の人も含めた老若男女、15000人余りが虐殺されたのだそうです。今も残るかわいらしい柱頭たちは、そのときも現場にあって、上から血の風景を見下ろしていたのです。 町の造りが、なんとなくちぐはぐなのも、おそらくそういう歴史を物語る痕跡なのです。
2014/03/20(木) 06:21:52 |
ラングドック・ルシヨン
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ラングドック・ロマネスクその10
ラングドックって広いんですよね。この後目指すルシヨンが、どちらかといえば旅のメインなので、このあたりで隅から隅までうろうろするわけにも行かず、もうちょっと北上した方が、面白そうな場所があったのですが、今回はあくまでひどく外れないように宿泊場所も取っていたので、ラングドックについては、ちょっと地味な探訪選択となってしまいました。 で、今日紹介するのは、ベジエBeziersです。 キリストで異端、カタリ派の人々が、大虐殺されたことで、歴史上名前が残されている町。カタリ派については、次回。
かなり地中海にも近い、結構大きな町。地味そうなんだけど、結構歴史集積している様子があったので、ひとつくらい町のロマネスクもいいかな、と思って訪ねてみました。 町を訪ねる最初の難関は、わたしの場合、駐車です。
事前に地図をチェックして、行けそうな駐車場の住所をナビに入力。すんなりそれらしい場所にたどり着きました。ここまでは上出来。しかし入り口が坂の途中で、その上、どうやら相当古い駐車場らしくて、入り口の車幅が狭い!
どおですか?!人と比較しても、狭いでしょお。幅ぎりぎりで、相当ストレスたまりましたが、無事通過できました。しかし、この地下駐車場の上は、だだっ広い公園になっていて、その周辺、無料で停め放題、ということに、出てから気付く。なんてこった…。
さて、このベジエという町、取りとめがないというか、長い歴史の錯綜の果てに、町の構造が積み重なっているような感じで、全体の感じっていうのが、分かりにくい。全体は、海に近いこともあるのか、やけに南欧風、というか、南欧を通り越して一気にアラブの雰囲気というか、ごちゃごちゃ感満載。場所によっては、漠然と貧乏くさくて、ちょっと怖いような空気もあるのですが、やけにまぶしい夏の光で、本当のところがよくわからない。
町のアップダウンもかなり激しく、教会を訪ねるにも、結構坂道を歩くことになりました。 まず最初に訪ねたのが、サン・ジャック教会Eglise Saint Jacques。
ぱっと見、こぎれいな場所ですが、実は町外れで人通りも少なくて、おいおい大丈夫か、ここ?とちょっとどきどきしながら近づきました。 残念ながら、扉はどこも固く閉ざされていました。でも、脇から入ると、反対側の壁の方に出ることができ、そちらは高台の公園になっていて、町の外側を見晴らすことができます。
美しい眺めが広がり、風が通り抜けて気持ちいい。ベンチに腰掛けて、しばしのんびりといたしました。 よく見ると、水道橋があります。ローマでしょうねぇ。やつらの土木技術って本当にびっくり。今はかなり近いところまで、家がびっしりですが、きっとローマの頃は、平原にこの水道橋だけがあったのでしょう。そして、中世の時代にも、きっと使用されていたんだろうなぁ。今は、多分使ってないと思いますが、どうなんでしょうね。 そして、12世紀の後陣。
付け柱というよりも支え柱状態になっている下部は、ちょっとゴシック風で、後代の装飾なのか、実際的な補強なのか。これがない場合を考えると、かなり邪魔な感じ。
この教会、もともとは、908年創建の修道院のもののようです。サンチャゴの巡礼宿の役目も果たしていたようなことが、説明書きにありました。だから、サン・ジャック(ヤコブ)なんですね。
付け柱上部の柱頭は、かなり細かい彫り物が施されていました。
でもあまり面白くないかな。わたしの好みではないですね。
高台からは、次の目的地カテドラルの姿も見えます。
壮大で、およそわたしの求めるものではなさそうですが、適度な緑と美しいロケーションです。しかし、あそこまで歩くのか?結構遠そうなので、実際うんざりしつつ、サン・ジャックを後にしました。
2014/03/18(火) 06:58:13 |
ラングドック・ルシヨン
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