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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

オランダ直輸入のマーガレット

二年越しのマーガレットが花を咲かせました!

二年、もしかするともう少し前になるかもしれませんが、友人が気持ちオランダ土産、ということで、直径5センチほどのミクロな植木鉢をくださいました。中にはスポンジ状のつめものがあり、袋に入っているゴマ粒よりももっと小さい種をまいて水をあげればいい、といったような取説が付いていましたが、そのまま棚の片隅に。
昨冬のある日、ほこりをかぶったそれに気付き、今植えれば、何とか春に間に合いそうな時期に、直径5センチの植木鉢ではちょっとな~、と思い、ベランダにあった適当な植木鉢に、種をばら撒いてみました。

しばらくすると、チパチパと弱弱しい緑が芽吹いてきましたが、完全に雑草風。それからも、葉っぱが出てくるばかりで、限りなくタンポポ状に緑が広がるばかり。
去年の夏は、ミラノでも涼しい日が続いたので、枯れることもなかった代わりに、ただ緑の葉だけが成長を続けました。どうみてもマーガレットっぽくないので、オランダの種は死んで、たまたまいき合わせた雑草が育っているのかと、信じていました。
そして冬。今年ほど穏やかな冬は、近年なかったほど、ひどい寒さのないままの冬だったせいもあり、緑は相変わらず元気に育っていました。

ある日水をやりながら、やけに背高に育っているなぁ、とよくみると、どうやらつぼみっぽいものを先っぽに何個もつけています。2週間前。




そして4日前。




そして、今日!




本当にマーガレットだったんですねぇ。
種から育てて、花までたどり着くと、喜びが格別です。それも、これは雑草だと思い込んでいただけに。ただのマーガレットなのに、思い入れの分、高級な花にも負けない可憐さだと満足です。

今、我が家の庭は、マーガレット以外にもジャスミンが満開で、窓をちょっと開けただけで、ジャスミンの甘くてやさしい香りに包まれます。




ジャスミンも、育つと木のようになりますが、幸いこの子の育ちは遅くて、さほど大きくなってはいません。とは言え、同居を開始した頃は、確か50センチ程度の高さだったようにも思うので、倍以上になってはいますね。
そして、今年はひとつしか花をつけてくれなかったこの子も、たった一つだけど、力いっぱい咲いています。




そして、この子も、負けずにお花の用意をしています。




ラベンダーの先っぽ。この子こそ、長い長い同居人。最近はずいぶんと弱っている様子なので、土を変えてあげないといけないと思いつつ、できないまま月日が経っています。緑の育ちはいまひとつだけど、毎年ちゃんとお花をつけてくれる。嬉しいですね。この子も、種から育っていますから思い入れは深いです。それも前のお家からずっと一緒ですから。

毎年何かしら購入しては枯らしてしまうことも多いのですが、ケアもあまりしないのに、季節が来れば、律儀にお花をプレゼントしてくれる植物って、本当にいい同居人です。今年は、土を代えてあげたいなぁ。虫が怖いんだけどね~。




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  1. 2014/04/30(水) 04:13:52|
  2. 植物、花
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ムラノ島、これこそベネチア旅の王道

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その6

水上バスで、島を移動するのもベネチア観光の醍醐味、とか言って、実は、せっかく36時間有効の通し券を買ったので、元を取らないと、という気持ち中心で、ムラノ島に渡りました。




本島よりは人が少ないし、狭い範囲に、適度な観光風味と、とっても普通の住宅地が隣り合っているムラノは、ベネチアができた頃、かくあったかもしれない、と思わせるようなこじんまりさが、よい感じのたたずまいを生んでいて、個人的には好きなんです。

本島に比べると、かなり狭い運河が走り、両側はガラスのお店や工房がびっしり。運河沿いに壮大な建物が建っていることもなく、背の低い建物が、ちゃんと歩道を置いて建っているだけなので、開放感があります。




ちょっと裏に入ると、完全な住宅街で、静まり返っています。




ただの田舎の村っぽいそそけ具合の町並みなんですが、そこに運河があるだけで、風景が特別なものになるのが、ベネチア。太鼓橋、それが生み出す複雑な影や水の反射。素敵なグレーの猫ちゃんに、じっと見つめられてドキドキ。

お店をひやかすのも、やっぱり楽しい。お値段もピンからキリまであるから、必ず何か見つかるんです。今回は何も買わなかったけれど、時々来ると、こういうのは以前はなかったな、というようなタイプのアクセサリーも散見され、職人さんやデザイナーさんが、日々模索して、常に前進しているんだな、って思いました。

そしてこの島には、わたしの大好きなロマネスクがあります。




サン・ドナート。やっぱり美しい。ここは、ファサード側も後陣側も、広々としたスペースがとられているのが、よいんですよ。
それは、子供たちがゆったりと遊べるスペースでもあります。




ベネチアは車がないから、ある程度大きくて、運河に落ちることのないお年の子供たちにとっては、大人に怒られることなく走り回れて、楽しいかも。大きいグラウンドはないけれど、ミニ・サッカーができるくらいのピアッツァ(広場)は、結構あちこちにあるし。
イタリアの子供たちでも、写真を撮られるのは嬉しいみたいで、勝手に照れながら、ポーズしてくれたのにはびっくりしました。

そしてまた、びっくりしたのが、教会です。
以前訪ねたときは、かなり厳格に撮影禁止で、教会守の人がうろうろしていたので、隠し撮りすらできない状態だったのですが、今回はまったくオウケイになっていました。

久しぶりに再会したマリア。




ここと、トルチェッロ島の後陣は、どちらも同じように、黄金を背景とした大きなスペースに、青い衣のマリアが祝福の姿勢で佇んでいる意匠です。他では見られない、大好きなモザイク。
黄金だと、普通はきらきらと輝かしくにぎにぎしく、そういう雰囲気ばかりが先にたつ意匠が施されることが多いし、見た目もとにかく豪奢な空気ばかりが漂うので、こういう、ぽつんと一人を置いたというのは、すごいなって思ってしまいます。きらきら感はなく、金色は落ち着いた色でもあるのだと思わされます。
そしてマリアの青い衣の美しいこと。





この教会、床モザイクもとてもよいのです。前回来たときは、確か一部修復していましたが、その場所もすっかり治っていました。そして、太っ腹に、ほとんどすべての部分、歩けちゃうんですよね。





うわ~、やっぱりとても素敵。
後陣、外側をもう一度堪能。




うっとり…。何度みても、いいものはいい、美しいものは美しいですね。
島に来ると、どうしても駆け足観光の場合が多いのですが、今度は、一人でゆっくりとスケッチ旅行でも企画したいなぁ、と思いました。

時間もないし、と島に渡らない方も多いと思いますが、ムラノ島は本島から近いし、是非立ち寄ってほしい場所、お勧めです。

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  1. 2014/04/29(火) 02:39:05|
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仕事熱心なゴンドリエーレ(ゴンドラの船頭さん)

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その5

音楽テーマで、友人がもうひとつ、どうしてもしたかったのが、ゴンドラ遊覧。
過去の音楽家たちの多くが、ゴンドラにインスピレーションを得て、舟歌という曲を書いているからです。




わたしの初ゴンドラは、数年前に、やはり日本から友人が来た際のことでしたが、後にも先にも、それ一回しか体験がありません。
今回、できれば、ゴンドラでセレナーデを聴きたい、というリクエストもあったので、ちょっと調べてみましたが、歌を聴きたいとなると、歌手に加えて楽器の奏者も必要となり、かなりのコストでした(ホテルで聞いたケースでは、250ユーロでした)。で、結局、行き当たりばったりで、乗りましょう、ということになりました。

まずは、大運河の渡しで、感触をトライ。




一昨年、姉と旅したときの”初”渡し同様、淡々とした船頭さんが、淡々と漕いで、あっという間に対岸に到着。
スーッと水を切っていく感触に、友人は大興奮。やはり、ちゃんと乗らないと!

時折雨がぱらつく一日で、傘をさすほどではなかったとは言え、あまりゴンドラ日和ではありませんでした。でも幸い、夕方にはすっかり雨も上がり、多くのゴンドリエーレが、覆いをはずして、客引きを始めていました。

ホテル近く、つまりサン・マルコ近くの船着場で、目が合ってしまったオヤジ・ゴンドリエーレに、料金を確認。小ルート(30分程度)が80ユーロ、カナル・グランデも入る大ルート(50/60分程度)が120ユーロ、とこれは、一応サイトなどで確認した正規の料金です。
実は、夕食との兼ね合いなどから、あまり時間の余裕がなく、かといって「小ルートではいまひとつ納得感がない」、という友人のリクエスト。で、間を取って、中ルート100ユーロ、という変則をお願いして合意、すぐ出発です。




お決まりのコース、溜息の橋の水路に入ります。ゴンドリエーレは、少しはガイドをしてくれますが、実は、同僚とのおしゃべりに余念がなく、通過するゴンドラがあると、その度に同僚ゴンドリエーレと言葉を交わさないと気がすまないオヤジでした。




雨模様が晴れ上がったので、ゴンドラもいっせいに稼動し始めて、かなり渋滞状態の場所もありましたから、会話の連続。それが、すごいベネチア方言で、何一つ理解できないのが面白かったです。

水位が上がると、通り抜けできない橋。低い上にカーブしているので、難易度が高そうです。




ゴンドラは、水をかき分けて進むのではなく、水の上をすべるように進むのですね。だから、水を切る音がしないのですね。建物だけに接している小さな運河に入ると、聞こえる音は、ゴンドラが通ることで起こる小さな波が、建物の壁に当たるチャプンという水音、そして、ゴンドリエーレの櫂が水を切ったりたたいたりする際にする、かすかな水音。実に静寂な交通手段です。

以前乗ったときは、乗っていることに興奮して、そんな音のことを考えたことがなかったです。友人のおかげで音に気付き、恋人や愛人が逢引に使ったとしたら、水音だけが時折響く闇の中で、不思議な揺れる感覚に身を浸し、それはロマンチックだったのであろうよ、という想像ができましたね。




大運河は、一瞬でした。小さな水路から出て、次の水路ですぐ元に戻る、というような。

今回ひとつ勉強になったのが、こちら。




奥の方に見える船、舳先も後ろの方も平らかで、船全体も、ゴンドラと違う様子なのです。でも、ゴンドラと同じように飾り立てて、観光客を乗せている船もいます。
ゴンドリエーレに尋ねると、あれはゴンドラではなく、サンドロという船で、もともと漁師が使っている安定度のいい平舟である、ということでした。って言うことは、ゴンドラじゃないわけです。ゴンドラに乗っているつもりで、アレに乗ってはいけないって言うことです。分からないけれど、本物のゴンドラの船頭さんは、白と紺の横じまシャツが制服ですが、サンドロの船頭さんは、白赤の横じまシャツだったかも。

もうひとつ知ったのは、舳先の金具が折りたたみ式になっていること。




留め金とかも付いています。これは、水位が上がったとき、橋くぐりで引っ掛けないように、という大変実用的な機能でした。水位は、一日のうちに何度も、上下するので、必需機能らしいです。




さて、そんないろんな発見をしつつ、ゴンドリエーレは通り過ぎる同僚と会話をしつつ、のんびりと漕いでおりましたが、そんな時、突然彼の携帯がなりました。
もう、終点も近い場所。ゆっくりのんびり進んでいるわれわれと逆行して、次次とインド人満載のゴンドラが通り過ぎて行きます。




真剣な面持ちで携帯を終えたゴンドリエは、いきなり猛烈なスピードで漕ぎ出しました。それまでのんびりと後をついていたゴンドラを一気に抜き去り、記録を争ってでもいるようなスピードで、こっちも何事かと思うほどでした。

要は、インド人団体が来て、舟が足りなくなったか、早いもんがちで客が取れるか、おそらくそういうことだったのでしょう。降りる際も、余裕がなく、さっさと降りてくれ状態だったので、まだ40分もたってないよね?これで終りって早すぎるよね?と恐る恐る言ってみると、「いやいや、ちゃんと大運河も行ったでしょ、それに乗ってから、42分たっているから!」と、取り付くしまなし。愛想もなし。さすが、こういうところはベネチア人だよな~、と感心しました。42分、としっかりカウントしているところが、隙なくて、ある意味すごい。

まぁ確かに小ルートよりは若干長く、大ルートとしては短く、中ルートとしてはこんなもんか。夕食にも余裕で間に合ったし、そういうことだったのね、きっと、と納得。
ゴンドリエーレも、それなりに大変だよね。

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  1. 2014/04/28(月) 04:20:01|
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チャイコフスキーが癒されたスイートと、蚊被害

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その4

音楽テーマで訪ねた場所が、ベネチアにもうひとつ。
サン・マルコ近く、対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を美しく眺めることのできる立地にあるホテル、ロンドラ・パレスLondra Palaceです。




このホテル、かつてはボー・リヴァージュという五つ星ホテルで、かのチャイコフスキーが定宿にしていたというもの。
当時、ベネチアを訪れた音楽家たちは、その多くが、各人お気に入りのホテルを決めていたそうです。ヴェルディは、今はなくなってしまったホテル・ヨーロッパ、前回紹介したワグナーは、ホテル・ダニエリ(その後、ホテル・ヨーロッパに鞍替えしたとか)と言ったように。そして、ロシアの作曲家チャイコフスキーは、いつでもボーリヴァージュに滞在したのだそうです。
ボーリヴァージュは1860年創業ということですから、1877年、チャイコフスキーが滞在した頃は、まだかなり新しいホテルだったのでしょう。当時は、界隈で、最も美しいといわれたホテルのひとつだったそうです。
ベネチアにたどり着いたチャイコフスキーは、私生活で多くの悩みを抱えていて、ウツみたいになっていたようですが、このホテルの滞在によって、お部屋からの美しい眺めに癒され、多くのインスピレーションを得て、頓挫していた交響曲第四番の作曲を再開したとか。
ホテルは、当時とはずいぶんと変わっているはずですが、チャイコフスキーが滞在したお部屋は、大きな変化もなく、今でも現役で使われているのです。

それがこちら。




お部屋は106号室ですが、扉には、番号の変わりに、P.T.Cajkovskij(ピョートル・チャイコフスキー)という名札が掲げられていました。




お部屋は、まるで劇場のような内装になっていました。赤い壁、そして、ベッドとサロンを区切る両側に、小さな円柱が置かれているのです。

ホテルの方の説明によれば、もちろん、ホテルの経営が変わったりして、多くの顧客のお部屋は特定できないのですが(たとえば、イタリア人なら誰でも知っているダヌンツィオも常連さんでしたが、このホテルに滞在したことは分かっていても、どのお部屋にいたかはわかっていません)、チャイコフスキーの場合は、この柱のことが記録に残っていたため、確実にこの部屋に滞在した、ということが分かったそうです。つまり、このような柱があるお部屋は他にないんですね。




壁が赤かったことも、その記録に残っていたので、改装した際に、このようにしたのだそうです。お部屋の改装は、比較的最近にも行われたということで、ピカピカ。
ベッド脇の壁には、当時の写真が飾られています。交響曲の楽譜のコピーも。

そして、チャイコフスキーが癒されたという、お部屋からの眺め。




確かに、サン・ジョルジョ・マッジョーレが遠くに見えます。
私自身も、あの島には思い入れがあるもので、遠い日を思い出して、なんだかしみじみとしてしまいました。
サン・マルコから近いとは言っても、ここまで来ると、路上のお土産屋台、そぞろ歩く人の数もぐっと減り、かなり落ち着いた空気となります。

驚いたのは、お部屋がかなり小さかったこと。
小さめのダブルベッドの両脇は、ほとんど1メートル弱位しかないし、手前のサロンは、3畳間よりも小さいくらい。「意外と小さいお部屋なんですね」と言ったら、ホテルの人は、一瞬むっとした感じで、「ここジュニアスイートですよ」とおっしゃっていました。ということは、一泊おいくらかというと…。
実は今回、このお部屋が見たいがために、このホテルに滞在いたしました。最低でも一泊350ユーロですから、スイートと来た日には…。

さすがにそれだけの料金を取るだけあって、サービスは素晴らしかったです。
レセプションの方たちは、みんなにこやかで親切で、本当にびっくりするくらいに穏やかな人ばかり。高級ホテルにありがちなタカビな態度は一切ありません。
ちなみに、こういうホテルでは、必ずと言っていいほど日本人に出会いますが、このときは、他の日本人はいらっしゃらなかったようです。レセプションの方も、実は日本人はとても少ないんです、とおっしゃっていました。50室ほどしか部屋数がなく、団体は一切受け付けていないし、高級ホテルとしては、とにかくこじんまりとしています。われわれは、こうやって、一人ひとりのお客様との交流を大切にしたいから、団体は取らないんですよ、とおっしゃって、本当につかの間の会話を、楽しんでいる様子なので、こちらも幸せになるほどでした。これは稀有なホテル。
自分にもうちょっと経済的余裕があれば、一年に一度は訪ねるベネチアですから、定宿にしたいものです…。ここなら、ビエンナーレ会場も、かなり近くて便利です。でも、このお値段は、さすがに分不相応。

ちなみに、われわれのお部屋。




一見派手そうですが、きらきらしている中にも落ち着いた、シックな内装。色使いが、イタリアっぽいかも。




ドサドサとした重々しいカーテンが、いい感じ。バスルームも広々としていて、アメニティ・グッズも充実していました。憧れのバスローブつきだしね。




カナル・ビューではなくて、シティ・ビューでしたが、かえってよかった気がします。運河は結構遠いし、シティ・ビュー、美しいんです。いろいろな色が混じった、こういうテラコッタの屋根の眺め、大好きです。あちこちに塔や丸屋根が見えるのも楽しい。
裏側は、修道院だった建物ですから、とても古いようで、一部木造のつくりが見えるのも楽しい。

改装をしたとは言っても、今でも古い雰囲気を残していて、鍵は、いまだにカードキーじゃないんです。




カードキーだと、チェックインとアウトのとき以外は、レセプションも関係なくなりますが、こういうキーだと預ける必要があり、帰ってきたときはもらう必要があり、必然的にレセプションと交流することになります。そういうのが、まさにこのホテルのコンセプトなんでしょう。レセプションには、いつも誰かしらお客さんがいて、何かしらの会話が展開されていました。

お部屋の扉。さりげなくガラスです。




そういえば、唯一残念だったのが、夜中の蚊。
なんと、3時ごろ、プーン、という羽音に目覚めてしまいました。既に何箇所もさされていて、これでは眠れない!とレセプションに電話。さすがに対応は早く、すぐに人が来てくれたのですが、この時期に蚊が発生することはないので、スプレーしかない、とお部屋にまく虫退治のスプレーを持ってきたのです。
でも寝室で大量にはまけないし、こりゃ、眠れないかも、と情けない気持ちになって5分後、電話がなり、大急ぎで倉庫を探したら、ベーぷが見つかったので、すぐ持って行きます!ということで、3分くらいで持ってきてくれました。
ベネチアにはコンビニがないから、大変です。
おかげで、その後はさまでぐっすり安眠できました。

ベネチアには蚊がいるとは聞いていましたが、これまで夏も含めて数限りなく訪ねていても、一度も蚊の被害にあったことはなかったんですが、こういうこと、あるんですね。確かに、まだ網戸も張ってなかったので、異常発生だったのでしょう。そういえば、本当にわたる列車が、ほんのちょっと手前で、5分ほど停止した際、窓に、何匹もの蚊が張り付いていたんです、後から考えたら。
こんな高級ホテルで蚊の被害、って言うのも考えにくいことですが、対応はさすがで、それなりに感心しました。当たり前とは言え。
実は、この後ローマでも、ちょっとした不具合があったのですが、ホテルの文化の違いを、大いに感じました。それはまた後日。

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  1. 2014/04/25(金) 05:34:25|
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ワグナーが客死した館

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その3

王道旅、としたものの、実は普通とはちょっと違う切り口の旅ではありました。テーマのひとつが、音楽だったんです。
というのも、友人はクラシック音楽で食べている人なので、音楽関係の場所を訪ねることが、旅の目的でもあったのです。

一体どういう場所を訪ねたかというと、そのひとつがベネチアのこちら。




カジノ?
そうなんです。今は、冬季のカジノとなっている建物に、その目的があったんです。
こちらが、その建物の裏口。




正門は大運河に面している、ヴェンドラミン・カレルジ宮Palazzo Vendramin Calergiという、由緒正しい建物です。
で、カジノのほかに何があるかというと、建物入り口にはめ込まれている、下の写真のプレートでわかると思います。あんまり関係ないのでびっくりしてしまいます。




リヒャルト・ワグナーに捧げられたプレートで、「この建物で、1883年2月13日に亡くなった」、と書かれております。

ベネチアには数え切れないくらい行っていますけれど、そしてワグナーは、スカラ座でオペラを鑑賞したこともありますし、ヴィスコンティの「ルードヴィヒ、神々の黄昏」は大好きな映画のひとつで、DVDも持っています。でも、ワグナーの生涯は、映画に描かれているルードヴィヒとの絡みくらいしか知らず、よもやベネチアで亡くなった、というのは、今の今まで知りませんでした。

ワグナーは、イタリアが大好きだったそうです。人生の最後の時期、多くの偶然が重なった結果として、このベンドラミン宮の2階部分を借り上げて、妻のコジマや子供たちとともに、家族で長期滞在していたのだそうです。そして、上述した日、書き物をしていた彼は、心臓発作に襲われ、69歳の生涯を、愛するコジマに抱かれて終えることとなったのです。
死亡後、遺骸は、ゴンドラに揺られて鉄道駅に向かい、そこから特別列車で生まれ故郷であり、既に第一回の音楽祭が開催された地でもあるバイロイトに送られ、葬儀が行われたそうです。
ワグナーは、大巨匠として知らない人のいない巨人だったことを考えると、ゴンドラで運ばれていく葬列というのは、さぞや荘厳で、劇的な風景だったのではないか、と想像されます。

その、ワグナーが住まっていた住居部分が、今、博物館として、一般公開されているのです。ワグナー愛好協会という団体が、博物館を管理し、ガイド・ツアーを実施し、コンサートの企画や講演会など、多くのイベントを通じて、ワグナーを啓蒙しているもの。

博物館の公開は、ネットで検索すると、「毎週土曜日の午前中10時半のみ」と限定的でしたが、問い合わせてみると、都合に合わせます、ということで、土曜日の午後にツアーをしてくれることとなりました。わくわくして、約束の時間に行くと、残念なことに、他に二組参加者がいらっしゃって、ツアーは英語で行われました。イタリア語の場合に比べると、半分方理解できなかったように思いますが、仕方ないですね。

館内は撮影禁止。でもこれだけは許してくれました。




リング四部作、イタリア初演のポスターです。ベネチアのフェニーチェ座で、1883年4月14日、15日、17日、18日と四日連続日替わりで、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリード」「神々の黄昏」が上演されたことが分かります。下の方に、4公演パスが、平土間75リラ、とありますね。一公演のみの天上桟敷は1.5リラ。当時の物価では、どのくらいの価値があったのでしょう。
それにしても、リングの四連荘とは、体力勝負のような公演です。

しばし考えたのは、まったく初めての音楽が、お披露目される場である初演について。今でももちろん、そういうことはあるわけですが、わたしはそういう公演に行ったことがありませんので、残念ながら本当のところは分かりません。
でも、シーズン開幕公演ですら、成否を考えるとぞっとするくらいの緊張が漂うスカラ座の雰囲気を思うと、本邦初演、という状況が、いかに恐ろしいものであっただろうか、という想像はできます。
命を削るような仕事ではあっただろうな、と。

博物館内部は、実は当時のままではなく、博物館として公開する際に、ワグナーの生きた時代の家具備品が集められて設置され、楽譜や直筆の手紙、オペラをモチーフにした版画作品などが飾られて、当時をしのぶようになっています。古い時代のピアノも二台置かれておりました。
一台は「触れないように」という注意書きがされていたのですが、一台は、ガイドの女性が、鍵盤に触れたので、触ってもいいか尋ねたところ、「いいですよ、なんなら弾いても」と言うではないですか。友人を促し、一曲披露してもらうことができました。
1700年代、確かオーストリア製のピアノでした。ワグナーの住まっていた場所で、ワグナーも触ったかもしれない同時代のピアノの音を楽しむ、なんて贅沢な時間でしょう。博物館の寛大さにもびっくりでした。
後から友人に感想を聞くと、ピアノを味わうどころではなく、強く弾くと壊れそうな感じで、怖かった、ということでした。聴いている方が楽しませてもらったようです。

ツアーの最後に、大運河側の玄関にも案内してもらえました。




当時は、ゴンドラに乗って、こちらから乗り付けたのでしょう。
裏側は地味ですが、表は大運河に面しているだけあって、実に立派な建物です。




建物の横は、小さな庭になっていて、ベネチアでは非常に貴重な緑の滴るスペース。ワグナーはそういうささやかな空間にも、気持ちを癒されていたようです。石と人造物ばかりのベネチアにいると、緑って、実に癒されるんですよね。

建物の壁に、ワグナーのプロフィールの入ったプレートがありました。




ツアーに参加した方々は、それぞれに何らかの思い入れがある様子でした。そうですよねぇ、こんな場所、思い入れがないと、気が付きもしないし、来ないですよ。
それにしてもワグナー協会のおかげ。ガイドの女性は、初老の、元学校の先生風の方でしたが、英語も堪能で、慣れていらっしゃるご様子で、ガイドをするのが楽しそうでした。そしてなんと、見学料は無料です。まさにボランティア。もちろん寄付は大歓迎というので、心ばかりの寄付を置いてきましたが。
愛好家であれば、見学者が来るのも喜びかと思いますので、どうぞご興味の向きは、お訪ねしてみてください。

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  1. 2014/04/24(木) 05:29:49|
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フオリサローネ、祭りの後…

フオリサローネ、その3

今回は、他の忙しさが重なってしまったため、フオリサローネの見学は、かなり限定的になってしまって、撮影もほとんどできませんでした。
先になって、こんなのあったな、と振り返るのは結構楽しいので、やっぱりもうちょっと記録しておきたいと思い、サローネ見本市が終わっても、しばらく展示が続いている大学に寄り道してきました。




見本市初日に行って、足早に見学した場所ですが、びっくりしました。誰もいないんです!かろうじて、このイベントのアイコンみたいな看板は並んでいたけれども、既に普通の大学に戻っていて、大学生が、普通に放課後を過ごしている、という空気しかないのでした。

正門を入ってすぐアクセスする、一番大きな中庭。




ここは、いつもインパクトのある作品が並べられる場所ですが、今回は、芝生の真ん中に建てられた、このスクリーンの集積みたいなオブジェクト。全部モニターで、全体でいろんな画像を流していました。とてもきれいで、古い建物を背景に、デジタル異空間。




それでいて、意外としっくり溶け込む。
実はもうちょっとでかくてもいいんじゃないの、と思ったり。

お仕事の絡みがありそうで、だからちょっと気になっていたけれど、結局なにもなかったYKK APの展示。




トンネルみたいな建物内部に、ほんの短い通路。乱反射の鏡面。ふーん、よくあるようなもので、新しさ、ないよね。建築建材としてどうかって言えば、こんなの自宅にはほしくないよねぇ。応用次第で面白くなるのかしら。

下は、初日は、われもわれも、と多くが昇っていて、壊れないのかしら?と心配するような建造物でした。




エッシャーのイラストの不思議な階段みたいな変な構造ですが、実際登ってみると、別に~、という感じ。イベントは、人がいてこそイベントで祝祭なのであるな、と思います。いや、これは見本市であって、商売であって、お祭りではないとは言え。

隈研吾さんの作品。竹中工務店とか鹿島、大林組など大手建築会社の共同制作みたいでした。




木製で、ばたんと折りたたみができそうな構造ですが、実は大理石の棒でできているんですよね。いろんな組あわせでいろんな形ができるようになっているとからしいのですが、なんと言うか、郷愁みたいなイメージを感じてしまって、それで好きでした。
このとき撤収が始まっていて、ほんの一部片付け始めていたので、危ないところでした。





二階に上がる階段入り口は、いつもいろんな素材で装飾されます。今回は布製の玉。いつもかわいいな、ここは。




今回、来年に迫ったミラノ・エキスポ関連の展示も併設でした。
来年、なんですが、まだ何もできてないし、まったく盛り上がっておりませんよ、ミラノは。日本も、かなり大規模パビリオンを作るそうですが、どっかで盛り上がっているんでしょうか。せっかくミラノに住まっている以上、人生初のエキスポ(長い人生、日本では何度か開催されておりますが、どこも行ったことがないです)、楽しみたいと思いますが、本当に開催できるんでしょうか。




なんか、今回地味な感じ。アートに傾いていた感のあるこの数年の展示が、原点回帰した、みたいなところもあるのかな。わたしにとっては、ちょっと、面白味が…。本来、商売の世界ですから、建築、建築資材、インテリア、家具、という具体的な方向性に向かうのは正しいですが、イメージや新しいトレンドを模索する中でのアートという側面は、やはり忘れてほしくないですよね。

それにしても、閑散とした会場は寂しく、やはりアートと商売の違いを感じてしまいました。現代アートなど、ビエンナーレでもない限り、人はそうそう集まるものではなく、美術館は閑古鳥のケースも多いのですが、それはそれ、全然オウケイ。でも、フオリサローネはやはり見本市で、人がいないと寂しさが増幅されます。
実質6日しかない会期、短すぎると思っていましたが、商売はその程度じゃないとペイしないんですね。なるほどね。
来年は、うまくスケジュールをあわせて、もっと広く見学したいものです。

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  1. 2014/04/22(火) 02:49:36|
  2. ミラノ・フオリサローネ
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イータリー大型店、ミラノにオープン

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その3

正確な日付はわかりませんけれど、多分3月下旬、ミラノに、イタリア人もそうでない人も大好きなイータリーEatalyの旗艦店がオープンしました。




もはや説明する必要もないほどの知名度、と思いますが、一言で言えば、スローフードともリンクしたイタリアの食文化を推進する食のデパート。
これまでミラノには、デパートの一角とか、とても小さいスペースのお店しかなかったのですが、知らないうちにこういうことになっていたのですねぇ。たまたま開店を知って、本当にびっくりしたのです。
だって、もともと、劇場としてよく通っていたテアトロ・ズメラルドTeatro Smeraldoの跡なんて。

ズメラルド劇場が、ずいぶん昔からクローズしていたのは知っていました。そして、長年、劇場前の広場に大穴が開けられて、さぞやでかい地下駐車場ができるんだろうなぁ、という大規模工事も、何度か目にしていました。でも、イータリーができるということは、まったく知らなかったんです。

というわけで、日本でも有名なイータリーですから、観光の一環として、友人をお連れした次第。すぐ近くのコルソ・コモとも連動して、まさに今、ミラノで一番いけてる場所かも、と思いつつ。




それにしても、テアトロの上部は、普通の住宅だったのですね。今更びっくりです。ここにお住まいの方々、イータリーができて、さぞや便利ではないかと、うやらましく思います。

さて、内部は、劇場の空間をそのまま生かした造りとなっています。




天上までのオープン・スペース。客席のあった場所に、様々な食材ブースが並び、イート・インが、各階に設けられています。正面の、もともと舞台があった場所に、小さな演奏スペースが置かれ、夕食時間等に演奏会も催されているのでした。
ちなみに置かれていたのは、日本のピアノでした。音楽関係の友人、目ざとくチェック。

スローフード系ですから、とにかく新鮮、産直、が売りで、野菜も魚も肉も、見るからに新鮮で、パンもその場で焼いていますし、ワインの量り売りもやっています。




お魚、ぴかぴかで、思わずお刺身におろしてください、と頼みたくなる状態です。
野菜売り場には、白アスパラも並んでいました。イチゴもいいにおいで、とてもおいしそう。




モッツァレッラも、その場で作ったフレッシュなものを売っています。この現場は楽しくて、相当長い間、見てしまいました。チーズ職人さん、写真を撮られるのもまんざらじゃない感じ。




ちなみにこういう食材、イート・インでいただくことができるんです。
地上階は、パスタやリゾットなぞのプリモ・ピアットのお店。1階(日本の2階)は、肉や魚の食材を、あまり手をかけずにグリルしたり揚げたりという、お手軽なお店、2階(日本の3階)は、ちょっとお料理っぽいメニューを出すお店、というようになっていて、今回、1階と2階のお店を試しました。

2階でいただいた、本日のお皿。




お肉のタルタルと、ロシア風サラダ、つまりポテト・サラダ。12ユーロだったと思いますが、かなりの量で、完食辛かったランチ。グラス・ワインもたっぷり。パンも胚芽のしっかりもっちりパン。全体に食べ応えあり、お値段とのバランスはナイスです。

夜、ちょっと遅くなって行ったときは、1階の方で、入って分かったのですが、こちらは、奥行きがあって、かなりスペースが広い。2階は、奥の方が、ちゃんとしたレストランになっているので、狭いんです。ちなみにレストランは、結構いいお値段のちゃんとしたお店っぽいですね。
こちらでは、アランチーニとか、カプレーゼとか、鳥のグリルとか、とても素朴で、その辺のお惣菜屋さんの食的なご飯をいただきました。





素材がいいからおいしいし、場所を考えると、お値段もよい感じです。手早いお食事には最適かな。今回はいただかなかったけれど、お魚のフリット・ミストもおいしそうだったので、しばらく海にいけないときは、ここでささっといただいてみようかとか思いました。サローネ時期の混雑もあったし、開店して間もないご祝儀混雑もあったと思うので、今後は普通になるのでは。

実は我が家からは、メトロで1本、メトロの駅からちょっとあるとは言え、30分はかからないし、なかなか便利なので、これは嬉しいお店です。一番気になるのは、ワインの量り売りですが、これは瓶を持参しないといけないし、最低1リットルなので、歩きで買うのはハードルが高いのが、残念!いつかトライしたいけどね~。目の前の広場の地下駐車場は、イータリーで買い物をすれば、1時間は無料らしいので、人が少ない夏の一日でも、試してみましょうかね。
ところで、夜は24時までオープン。コンビにもない国で、これはすごいことです。夜中近くに無性にモッツアレッラが食べたくなったら、ここに行けばいいということで…。いや、それはないか。

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  1. 2014/04/20(日) 06:14:15|
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墓地の現代アート

日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その2

ミラノ記念墓地Cimitero Monumentale続きです。
とにかく、でかさにびっくりするとともに、それぞれの墓の個性が面白くて、みんな妙に競っちゃったのかなぁ、と不思議な気持ちになるお墓の連続。

がんばっちゃっている人たち。身体を不思議な形にしていたり、無理無理状態の姿勢でいる人、実に多数。ご苦労様です。





癒し系。





左は、墓碑を見ると、お母さんがとても若くしてなくなったご家族のようでした。それにしても、このかわいらしいお嬢さんたちに対して、お母様の写真(墓石に張ってあったのですが)、眉毛のつながったいかつい女性で、びっくりしたりして。
右の男の子も、やっぱり早くに親を亡くした、という図なのでしょう。見えないけれど、天使が慰めてくれているんだね。

すっごいインパクトあったのが、この最後の晩餐図。




これ、カンパリ家。あの食前酒にいただく赤いカンパリのカンパリだと思うんですけれど、食つながりなのか、最後の晩餐。
こうやって写真で見るとなんてことはないと思われるでしょうが、この一人ひとりは、実際よりも若干大きめの縮尺の実物サイズなので、かなりの迫力です。細部までしっかりと作られている、おそらくブロンズ製。重厚さもすごいんですよ。ロケーションも、並木道の突き当たりで、遠近法もばっちり、的な。

墓にここまでやるか?という意味では、小さな教会をかたどったようなお墓の数々にもびっくりしました。





ピサのドゥオモ、意識してる?みたいな、建物だったり、サンタンブロージョの浅浮き彫りのレプリカをはめ込んだりね。かわいらしかったり、中も立派だったり。ロマネスク風は、結構人気だったです。ミニ・ロマネスク・レプリカ、かわいくて、ちょっとうっとりしました。





どれひとつ取っても面白いです。どれが一番か、というと難しいのですが、トップに来るお気に入り、そのひとつはこれ。




生前、パン屋さんだったことが明らか過ぎるほどに明らかな、製パン組合のトップも勤めたらしい人のお墓。
そして、もうひとつは、イタリアのアーティスト、フォンタナさんの作品。




フォンタナさんは、キャンバスを切り裂いた作品で有名で、作品を見れば、これ知ってる、と思う方が多いと思うのですが、このようなテラコッタの作品も作られていたのですね。
やっぱり、造形も色彩も新しくて、知らなくても目を引かれる作品でした。こういう墓を作った家族は、すごいな、と感心しました。この一帯だけ、かなり近代芸術、当時としたら完全な現代アートですから。

今更ガイドを見ていると、ポモドーロさんの作品を見逃していたことが分かりましたので、また訪ねてみたいと思います。

昨日よりいきなりアレルギー勃発。今日は、くしゃみ、鼻水、辛いので、早々に寝ることにします。せっかくのイースター四連休、アレルギーで終わるのだとしたら辛いな~。

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  1. 2014/04/19(土) 05:10:11|
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日本からの友人と、イタリア王道(?)旅の巻、その1

ミラノ記念墓地Cimitero Monumentale

日本から友人が遊びに来て、10日余り、我が家に滞在しておりました。彼女は長い人生で、初めての海外旅行、初めてのヨーロッパ、初めてのイタリア、という初めてづくしで、どうなることかと思っていましたが、事前の企画も功を奏して、行きたい場所に行くことができ、食べたいものを食べることもでき、それなりに充実した滞在になったのではないか、と思っています。
また私自身も、中世修行ばかりしている普段の旅とは違う経験ができて、なかなか面白い日々でありました。
ということで、せっかくなので、ここで初心に戻って、この旅の日々を記録しておきたいと思います。

ミラノでも、非日常体験をしました。
ミラノ在住歴、既に二十数年となりますが、その間、いつか行こうと思いながら、今まで足を踏み入れるチャンスがなかった「記念墓地Cimitero Monumentale」初訪問。




この、正面からの眺めは、これまでに、何度目にしたかわかりません。そもそも、マルペンサ空港からのバスは、この前を通過しますし、この近所にある中華街には、日本食系の食材購入で、ずいぶんとお世話になったもんですからね。

以前からこうだったのかは知りませんが、いまやすっかり観光地となっていて、オープン時間もしっかりと記され、入り口には案内所も完備。地図をくれるし、見所のガイドまでしてくださるので、びっくりでした。そして、われわれ以外にも、訪問しているのは、外国人観光客ばかりです。

受付のある建物の回廊。




19世紀後半に作られた墓地なのだそうですが、全体にロマネスク・テイストがあって、だからなのか、親しみやすい雰囲気が漂います。
とは言え、地図を見ると広大そうで戸惑いますが、受付の人に、端から端まで歩いても10分足らず、と言われ、安堵して、いざ出発です。

入ってすぐにあるのが、ナチの強制収容所に倒れたミラノ人へのオマージュであるモニュメント。




地味ですが、こういうものを、誰もが通る一番の場所に置いたところは、偉いです。収容所でなくなったミラノの人々の名前が記された墓碑が、周りにずらりと並べてあります。
ダッハウ、アウシュヴィッツ、ビルケナウなどの収容所の名前の下に、ずっと、延々と名前が記されています。




無念な気持ちで倒れた人々、ミラノに戻ってくることができたでしょうか。ぐっと来ました。

気を取り直して、いよいよ、本来期待していた記念墓地見学に向かいます。




すげぇ…。
いきなり等身大の人々がずらずらと並び、ヘタなお家よりでかいんじゃないかレベルの家族墓が並び、なんじゃこれは?!と唖然としてしまいます。




もともとは、ミラノの名家のために作られた墓地ですから、貴族様とか有名人とかいろいろいるんでしょうけれど、実はミラノの名家、あまり知らない。とりあえず、まずは音楽関係者である友人の目的である芸術家のお墓を参ることにしました。
トスカニーニ家のお墓。




清楚な白いお墓。歴代のトスカニーニさんが眠っています。指揮者で有名なトスカニーニさんは、ニューヨークで客死したそうですが、こちらに運ばれたそうです。実は、彼の娘婿であるアーチストも、こちらに眠っていらっしゃいます。




鉄扉の間から、無理やり超ズームで撮影したけれど、横過ぎて、一部しか取れませんでした。ピアニストのホロヴィッツさん。
無理やりこういう写真を撮るのもどうよ、と思いつつ、お参りの彼女も、墓地前で買ってきた花を捧げつつ、やっぱり無理無理撮影していたので、そうよね、いいのよね、と言い聞かせつつの撮影でした。トスカニーニさん、こちらに眠っていたんですねぇ。

この他、比較的著名な方では、クレスピ家(なんだか覚えてないけど、何かで有名ってことは知ってる…)、ボッコーニ家(ボッコーニ大学創設者)、カルロ・エルバ家(製薬会社)、カンパリ家(お酒のカンパリ)、モッタ家(あのモッタかな)、などなど、ミラノ人だったら知っているに違いない名家のお墓が目白押し。そして、どれもが、縮尺無視だったり、超有名芸術家の作品を使っていたり、なんだかびっくりの風景なんです。
ちょっと面白いので、次回も。

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  1. 2014/04/17(木) 05:07:55|
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シチズンの「光は時」

フオリサローネ、その2

今回は、会期中の自由な時間が限られていたので、一ヶ所しか行けそうにありませんでした。初日にすぐ大学へ行き、ガイドをゲットして、通勤の地下鉄でチェック。面白そうな場所を求め、結局美術館の展示に行くことにしました。
本当は、町をぶらぶらして、いろんな展示にばったりと出会うのが楽しいのですが、時間がない以上、インパクトのある展示を見たかったのです。

で、選んだのが、こちらの会場、トリエンナーレ・ディ・ミラノTriennale di Milanoです。




通常はデザイン中心に、現代アートの展示を行っている美術館で、スフォルツェスコ城のある公園の一角に建つ近代的な建物。サローネの時期は、多くの企画を展示しているので、効率よくいろいろな作品に出会うことができます。
今回、面白そうだと思ったのが、フオリサローネ初参加の、日系企業の展示です。




シチズン。過去に大手家電メーカーなどが使用した、入り口すぐの、大規模インスタレーションに最適なスペースでの展示です。写真で見た限りでは、なかなかすごそうだったのですが…。




実際もすごかった!
入ると、いきなりこんなきらきらで、嬉しくなってしまいました。
このきらきらが何かというと。




これ。ピアノ線みたいな細いワイヤーに、無数の時計の部品がビーズのネックレスのように取り付けられていて、光を反射しているのです。分かりにくいかもしれませんが、一つ一つは、こういうものです。




それが重なると、こうなる。




周囲にスペースを残して、この光のカーテンが壁の役目を果たして、その内側に、記念碑的な腕時計の数々が並べられ、ミクロな部品が、まるで現代アートのように展示されています。





今では販売していない時計だけど、そして販売当時も、きっと高価で買うことはできなかっただろうけど、ほしいな~、と思った時計。





どちらも女性向けの、まるでアクセサリーのようなお洒落な腕時計です。左は、世界時計で、世界各地の異なる時間表示ができるようになっているデザイン。Tokyo、Paris、New York等と刻まれているのも楽しいのです。2007年に売り出した作品だそうですが、世界最小の時計で、ねじねじのひとつからすべて開発したのだそうです。ミクロですよ、とんでもなく。ギネスブックに、世界最小の時計として、登録されたそうです。
右側は、アメジストを使った時計。色もフォルムも美しいです。
他の方々に説明していたので、お話を直接うかがうことができなかったのが残念でしたが、デザイナーの方もいらっしゃっていました。業界人でもなんでもない素人が、デザイナーとお話できるチャンスをもてるなんていうのも、このイベントの嬉しいところです。

そうそう、ここでびっくりしたのは、コンパニオンの女性すべてが、かなり流暢な日本語を話す人だったこと。われわれを見ると、すかさず日本語で話してくれて、素晴らしかったです。でも、今更日本人に売り込んでも仕方ない気がするのですが、いったい何を意図して、そういう人たちを揃えたのかなぁ。単に展示を準備するシチズン側の、出張者の言葉の問題なのかしらねぇ。
それにしては、皆さん、実にかわいらしく、日本的な控えめな方ばかりで、感心しました。説明も的確で素晴らしかったし。

この展示は、もうひとつサプライズがありました。




タップダンスのステージがあったんです。光の渦の中で踊るダンサーの姿は美しく、時を刻むかのようなタップのリズムと光、引き込まれました。




タップの世界は、まったく未知で、ダンサーがどういう方かまったく知りませんが、素晴らしかったです。ちなみに、こういうお名前の方でした。




期待以上の展示で、自分の選択に大満足。

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  1. 2014/04/16(水) 04:52:36|
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