今に始まったことではないのですが、物覚えが悪い。見たもの聴いたもの、端から忘れていく。海馬に問題があるのか、シナプスに問題があるのか、なんかいろんなタイプの記憶力がすべて悪いんですよねぇ(人の顔や名前や声を、なかなか覚えられない、とか)。
唯一の例外がロマネスク探訪で、これは結構時間がたっても忘れない。結局、集中しているかどうか、という問題なのかもしれません。
というわけで、結構本を読むのですが、読んだ端から内容を忘れる、読んだことを忘れる、持っていることすら忘れる、という有様。ということで、二重に買うことを避ける意味でも、ちょっと記録してみようかと思い立ちました。ま、「忘れる」という事実は変わらないとは思うんですけれども、少なくとも同じ本を買う愚は減るかもね。
5月に読んだ本。
「グリュフォンの卵」マイケル・スワンウィック(ハヤカワ文庫)=SFの短編集。久しぶりに本格古典的SF。うっとりするお話、複数あり。
「こどもの一生」中島らも(集英社文庫)=らもさんの小説は楽しいけど、最速で忘れる…。
「凍える牙」乃南アサ(新潮文庫)=先日、遠方の友人に大量の古い本を譲る際に、つい読み返してしまった乃南さん小説。やっぱり読ませるけど、この人の本も、最速で忘れ、何度も楽しめちゃう。そういうのって、作家としてはどうなんでしょ。
「地下街の人びと」J.ケルアック(新潮文庫)=路上にてのケルアック。懐かしい青春小説です。
「血統」ディック・フランシス(ハヤカワ文庫)=彼の競馬シリーズは大好き。久しぶり。
「大盗禅師」司馬遼太郎(文春文庫)=司馬さんの歴史小説は、基本苦手。読ませるけど、のめりこめない本が多い。
「蟲」坂東真砂子(角川ホラー文庫)=締めが甘いかも。
「手紙」東野圭吾(文春文庫)=この人は、本当にうまいです。すらすら読めすぎて、すぐ忘れるけど。
「美しきもの見し人は」堀田善衛(新潮文庫)=美術評論もの。ふーん。この人は好きですけどね。
「楠正成」北方謙三(中公文庫)=楠正成のことなんて、まったく知らなかったので、面白く読みました。北方さんは、あまり合わないんだけど、読ませる。
「罰金」ディック・フランシス(ハヤカワ文庫)=競馬シリーズ。
「ポンペイの四日間」ロバート・はリス(ハヤカワ文庫)=ポンペイのドラマですが、最後は飽きてしまったかも。
5月は、ミラノ恒例の「本の市」というイベント(在住者の寄付した日本語本を、非常にお安く購入できるイベント)があり、日本語の本を新規にごっそりと入手したため、若干読書量が多かったかも。その上、先述したように、友人に譲る前に、名残惜しく、貧乏くさく、読み返した本も多数あり、時間がないといいながら、つい読書にどっぷりの週末も。
忘れると、同じ本も何度もおいしく読めちゃう利点もありますが、なんだかね。
- 2014/06/11(水) 06:21:44|
- 読書、備忘録
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ルシヨン・ロマネスクその17
カニグーを堪能し、散々楽しんだ後、うっとりと余韻を楽しみながら、下山開始。
実は、いつも欲張りな予定を立てるわたしのこと、この日も時間が許せば、午前中12時まで開いている近くの教会へ詣でたかったのですが、カニグーがあまりに楽しかったので、無理ならいいや、とも思いつつ、もしかして間に合うかも、と気が付いたら、あとはもうハイキングを楽しむ余裕もなくなり、がむしゃらな小走りとなりまして、運転も小走り気分。
目指す教会はすぐに分かったものの、駐車できる場所を探して若干、うろうろとせざるを得なかったので、車を置いてからは、小走りどころか、真剣に走って、教会に向かいました。
訪ねたのは、コルネイユ・ド・コンフランCorneilla-de-Conflentの村にある、サント・マリー教会Eglise Sainte Marie。
事前の調査では、午前中のオープンは12時までで、その後昼休みとなり、午後は15時から、ということですから、ここで、見られるかどうかは大きな違いとなります。カニグーのガイド・ツアーが終了したのは、既に11時を回っており、下山して、運転で移動して、という時間ですから、全部が小走り。
幸い教会は街道沿いにありましたので、すぐに分かり、適当に駐車して、小走りで教会へ。
ぜえぜえしながら教会に入ろうとしたら仕舞っています。しばらくがたがたと扉をいじっていたら、中から開きました。ガイド・ツアーの最中だったようです。ガイドのオバサンが、入場券を、斜向かいにあるインフォメーションで買ってくるように、というので、小走りで道を横切り、インフォメーションの人をせかして入場料を払い、再び小走りで教会に戻ります。
おばさんガイドは、わたしの前にいたスペイン人カップルのガイドをしていたのですが、わたしの持っていった入場券を見て、なんかつぶやきながら、インフォメーションに戻れとか何とか言っています。
意味が分からず理由を訪ねたところ、どうやら、インフォメーションの人が勝手に二人分の入場料を徴収したらしいのです。で、あなたは一人なんだから、お金を返してもらいなさい、ということらしく。でもね、一人分ユーロで、二人分払ったところで2ユーロだったんです。わたしとしては、1ユーロを返してもらうよりも、とにかく教会を見たかったので、「もう時間がないから、いいです、教会見るほうが重要なので、気にしないで!」と、ほとんどイタリア語のスペイン語風で訴えたところ、何でそんなにあせるのかしら、という感じで、結局おばさんは、手近に会った献金箱から1ユーロ取り出して、私にくれました…。これでは、なんか、ただの自己中のわがまま女って言うか。12時に閉まるところ、既に11時55分くらいだったから、自分としては申し訳ない気持ちが先にたったのでしたが、どうも空回り…。
とりあえず一件落着で、スペイン人カップルと一緒に、教会の見学開始。
でも、教会内部は、かなり新しくて、あれ?こういうところだったっけ?なんか違うよね?と思っていると、ゴシック時代の浮き彫り装飾とかそういうもののガイドが始まりまして。これはいかん!もしかして間違えたかも?本当にここが来るべき場所だった?と疑惑がぐるぐる、しかし、既に大騒ぎしてしまったので、素直にガイドを拝聴。スペイン語なので、フランス語よりはちょっとだけ理解できますが、やっぱりわたしに興味のない時代の話が続いていました。
ガイドさんは、撮影はオウケイなのよ、どんどん撮っていいのよ、と言ってくださるので、興味のないものまで撮影したりして。
でも、よく見ると、古いものがあったり。
ゴシックやそれ以降の装飾品を自慢したいオバサン的には、そんなもんじゃなくて、こっちを撮ってよ、と言わんばかりに、わたしの苦手な装飾品をガイドしてくれます。
わたしの事前調査では、キオストロ(回廊)があるはずなんだけど、と尋ねると、慌てないで、これから行くから、と。でも、スペイン人カップルのガイド・ツアーは終わったし、既に12時回っているし、当然わたしも追い出されると思っていましたから、慌てないでって言っても~、という不満満載だったのですが、まるで問題ないという感じで、わたし一人だけのツアーが始まりました。びっくり。
わたしが調べていたキオストロというのは、多分、これ。
教会の北側に、一部だけ残っています。この村って、今でも街道沿いにある村なんですが、おそらくかつては、修道院と、お城だけがある場所だったんだと思います。それが村になり、街になっていく過程で、修道院も衰退して、教会周辺のものが、どんどんと壊されてしまって。
教会南側にも、どうやら小さな回廊があったようです。そっち側も、街道を通すために、多くの部分が削られてしまったんだと言うお話でした。
その話を聞いたときは、最近の話だと思って憤慨したのですが、後から考えたら、多分創建からさほど時間のたっていない時代の話だったんだと思います。せいぜいルネッサンス期くらいの。歴史の中の時間の流れが、現代にたって実際にあるものを目の当たりにしている自分の感覚と、あんまり違うんで、戸惑うというか、時々わけが分からなくなります。
右側が教会、左側奥に丸い塔が見えますが、あれはお城のあと。これだけの村です。
教会本堂の扉口の装飾や、後陣の窓周囲の装飾、鐘楼のたたずまいが、この教会では最も中世のテイストを残した場所。
ぱっと見、地味ですが、鐘楼のアーチとか、窓上部のぎざぎざ文様とか、そういうのがとっても好ましいです。
タンパンは、アーモンドの中の聖母子。
硬そうな石に、きっちりと彫られた深めの浮き彫り。後期になるんでしょうねぇ。もしくは、もうゴシックがかなり入っているのかな。天使の手がすっごく小さいんですよ。
扉脇の柱頭も、ちょっとそういうテイストです。
後陣の方が、浮き彫り的には、味があったかも。
でもやっぱり、カベスタニー系の、とってもうまい浮き彫りです。11世紀から12世紀と、時代は混じっているものの、ロマネスクのもの。ふーん。
いやはや、空回りで、本当に失礼なやつだったと思います、わたし。ガイドのオバサン、本来のクローズより30分近く余計に働いて、でも全然はしょらず、全部説明してくれて、それも苦手だって言うスペイン語で、本当に親切な方でした。感謝感激。無理無理のスケジュールだったけど、とにかく押しかけて正解でした。
- 2014/06/09(月) 06:51:01|
- ラングドック・ルシヨン
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
ルシヨン・ロマネスクその16
カニグーのサン・マルタン修道院Abbaye Saint Martin du Canigou、続きです。
いよいよ、教会に入場し、まずは地下へ。
前回記事にしたように、上物の多くの部分は、20世紀の再建ですが、ここは、創建当時の姿をそのまま残した貴重なスペース。
とにかく石の質感そのものが迫ってくる構造で、息を呑みました。
ここは古くて、プレ・ロマネスクと言っていい時代の建築ですが、ロマネスク時代に、この建物の上に教会が建てられたために、初期構造の柱では重量に耐え切れず、補強工事が施されています。こんな風に。
オリジナルの柱、こんなにほっそりしていたんですね。
それにしても、補強の際には、全体を包み込んでしまいそうなものですが、こういう風に、もともとの柱を一部見えるようにしたというのは、オリジナルの美しさを残すという発想だったのでしょうか。
祭壇前の二本の柱だけは、補強されていないままです。重心がかなり低い位置にあること、柱が比較的太いから大丈夫だったということなのでしょうかね。
このスペースが、破壊されることもなく創建当時のままに残されたのは、フランス革命間近まで残っていた最後の修道士五人が、修道院を去るにあたって、しっかりと塗りこめて仕舞い、どうやら略奪者たちには存在すら気付かれなかったということらしいです。すごいドラマがあったのですねぇ。
今度は、上の教会へ。
ここを訪ねたとき、祭壇近くに跪いて、熱心に祈っている修道士さんが一人おりました。ガイドの修道女さんから、「今祈っている方がいるので、どうぞここだけは、写真撮影を遠慮してくださいね。お祈りの方の邪魔をしないように、お願いします。」と釘をさされました。言われなくても、あまりの敬虔な空気に、歩くことさえはばかられます。
まるで超早朝の空気のような張り詰めたものがありました。もう10時半とかそういう時間なのにね。考えたら、ガイド・ツアー開始の10時まで、外部の人は誰も入ってこられないし、この日も夏休みで結構観光客の多い時期だというのに、10時からのツアー参加者はわたしだけでしたから、この修道院の朝は、結構遅いのかもしれません。
本音を言えば、本堂の隅々まで観察したかったし、祭壇の方まで近寄りたい気持ちがありましたが、この、信仰の場のあるべき空気に触れることができたことはまた、素晴らしい経験だったとも思います。
とか言いながら、つい後ろの方に行って、こっそりと一枚撮影してしまったんですけれど…。
本堂は、真ん中で区切られている構造になっています。古い教会は内陣が障壁で区切られている構造になっていることがよくありますが、ここは障壁どころか本当の壁で区切られている珍しい構造ですね。後ろ側が信者席なのでしょうね、きっと。
修道女さんは、入り口に佇み、祈っている方に寄り添うような感じでお祈りを捧げられていました。神々しいお姿でした。
教会のファサード。
鐘楼は、11世紀初頭のもの。教会に比べると、ずいぶんとずんぐりむっくりですが、もともとは四層で、もっとすっきりとプロポーションのよいものだったようです。15世紀に地震で上部が崩れ、20世紀の再建時には資金不足で、結局三層までしかできなかったと言うことらしいです。
これでおしまい。
修道女さんとは、最後に羽根に触るような握手をして分かれました。また、次のツアーが待っているのでしょう。結局1時間強。外に出たときには、もう次のツアーが始まっていました。
何語のツアーかは分かりませんでしたが、相当の人数でした。自分の幸運に、改めて感謝しつつ、名残惜しい気持ちで、くだりに向かいました。
また訪ねてみたい気持ちも大いにありますが、同時に、こんな素敵な体験は二度とないと思いますので、この思い出を大切にしたい気持ちもいっぱいです。とにかく、改めて思い出を記していたら、このルシヨンも含めたフランス編も、いつかきちんとサイトにまとめたい気持ちになってきました。いつになることやら、分かりませんが…。
- 2014/06/06(金) 06:20:34|
- ラングドック・ルシヨン
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
ルシヨン・ロマネスクその15
カニグーのサン・マルタン修道院Abbaye Saint Martin du Canigou、続きです。
イタリア語をしゃべる素敵な修道女さんのガイド・ツアー開始まで、先日記事にしました。どうしてイタリア語を話すのか、などというおしゃべりのついでに、彼女の来歴も少しだけ聞いて、「実は、カニグーに来て、今日で三日目。」という衝撃の告白(?)がありました。何でも、夏季は観光客が多く、ガイド・ツアーも複数開催されるための応援要員として呼ばれて、二週間強滞在するだけだというのです。
うへぇ、二週間?それはどうだろう?と疑惑が湧いたのが正直なところ。
まず、最初の回廊。
回廊と言っても、廊下が通っているだけ。なんといっても山ふところというロケーションである以上、平地がありませんから、普通にあるような四角い回廊は作れず、変形になっています。全景で見ると、手前左側に、崖に面してある面で、外側を見ていることになります。
全体で見ると、あたかも中庭を囲んで回廊のようになっていますけれど、この部分は、中庭より一段低くなっているので、他の面と続きの回廊という感じがないのです。
一面だけですから、この場所にある柱の数は多くないのですが、こころひかれる柱頭が目白押し。
そして、件の修道女さん、滞在三日目というのに、驚くほどの流暢なガイドぶりで、本当にびっくりしました。聴きたいことを、こちらから質問する必要もなく、どんどん話してくれるのです。
修道女さんですと、どうしても歴史とか教会やキリスト教の話中心になりがちなケースが多いと思うのですが、彼女は、わたしの目的である美術的なお話なども、催促を待つこともなくしてくれるのです。
それぞれの柱頭のテーマの話も面白かったのですが、わたしが最も興味を持ったのは、彫刻のあちこちに開いている小さな穴に関するお話。当時は、そこに光る石やガラスがはめ込まれていて、夜間に、蝋燭を持って回廊で瞑想をする際、蝋燭の光を反射して輝く効果があったということなんです。
幻想的な雰囲気に、瞑想がますます深まったのか、または、上のようなテーマで、胸が光ったら…。瞑想というより妄想が膨れ上がりそうな?とか邪推してしまいますが。
最も心ひかれたお話は、この修道院の近代史。なんせ、まったく知らなかったし、考えたこともないストーリーだったので、琴線に触れました。
ここは創建が1009年と古く、盛衰を繰り返しながらも、なんとフランス革命前まで修道院として活動が継続したのだそうです。衰退が続き、病人や老人だけが5人残された状態になって、とうとう放棄され、フランス革命で、建物は国に接収され、その結果として、略奪が横行。柱頭等も含む芸術品や金目のものは洗いざらい奪われてしまい、その後は荒廃する一方となって朽ち果てようとしていました。
20世紀初頭。あるスペイン人詩人の詩に歌われたカニグーの姿に感動した司教が、立ち上がります。絶対に再建しなければいけない、という使命感のようなものに取り付かれた司教が、地域を巻き込み、普通の人々が石を一つ一つ運び上げて、少しずつ積み上げていって、今の姿があるのだということなのです(ちょっとプロジェクトX風)。
その当時の写真が掲げられてあったのですが、瓦礫のようになっている建物に向かって、普通の人々が工事のために一列になっているものでした。
これら、素晴らしい柱頭のほとんどは、当時あちこちに散逸していたものを、司教の働きかけにより、買い戻されたり、またどこかの庭に置かれていたものが自主的に戻されたり、寄付されたりしたというにも、本当に驚きました。どうやらオリジナルはここにあったものらしいけれど、実はすべてのものが確実にそうだったかはわからず、また置いてある場所についても、もちろん正確にはわかっていないわけです。
こういう歴史から、情報から全景を見た時のイメージどおり、建物の上屋の多くの部分は、20世紀の新しいものだったということが分かりました。
一段さがったこの回廊の一面部分から、階段を上ると、こじんまりとした中庭。
そしてさらに上に登った場所に、教会の本堂があります。
反芻していたら、なんか再びおなかいっぱい。あまり素敵なツアーだったもので。
引っ張って申し訳ないですが、もう一度だけ続き、ということで。
- 2014/06/05(木) 05:20:58|
- ラングドック・ルシヨン
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
落語に三題噺というのがありますが、ご存知でしょうか。寄席で、お客様から全然関連のなさそうな三つのお題をいただいた噺家が、その場でその三つをテーマにした落し噺を即興で披露するという芸ですが、ちょいとこれは、二題噺的なタイトルかも。
何かと言えば、これ。
なんだか分かるでしょうか。直径5センチくらいのフェルトの円盤。
われながらあきれます。こういうことをしているから、時間がない毎日になるんですよねぇ。ふと思いついちゃったんで作ってみた、簡易(載っけるだけ)グラッパ・グラス・カバーなんです。
フリウリおよびヴェネトで、大量のグラッパを仕入れてきた後で、運よく素敵な棚を見つけて、我が家自慢のグラッパ・コーナーができたことは、先日記事にしました。ついでに、グラッパ用のグラスをいくつか仕入れたことも。
グラスは棚に仕舞いこまずに、こうやって置いときたい。でも、一回に使うのはグラス一個だし、ほこりとか気になりますよね。仕方なく、刺繍の小さなハンカチをかけていました。
でも、やっぱりダサい。で、以前もらった大量のフェルトの存在をふと思い出して、ほこりをよけるだけなら、こんなんでいいかも?と思いつき、早速バイアス・テープを買いに行きました。
それにしても、バイアス・テープって優れもんですよね。「自分でも作れるけれど、手間隙を考えたら間違いなく買った方がお得」という製品カテゴリーがあるとすれば、バイアス・テープって絶対上位に来ると思います。手芸や洋裁をやらない人は、バイアス・テープの存在自体知らないかもしれないですが。
手持ちのボタンとか、ビーズを駆使して、最後はバイアス・テープで閉じて、完成!いつもの無計画いい加減縫いなので、細部は見せられませんが…。
置いてみる。
あ~、馬鹿みたいだけど、かわいいじゃん。
いや、ほんと、何これって感じだけど、かわいいわ~。自画自賛。
ついでに、旅行中のかばんの中の整理用のフェルト・ポケットも作っちゃいました。
装飾を考えるのが面倒だったので、円盤の端切れと、ボタン、ビーズ、バイアス・テープ、とカバー同様の品物を有効利用。
あ~、ちくちくは楽しいな。何かが完成すると充実感もあります。でも同時に、ああ、こんな作業で、午後が暮れちゃったじゃん、という焦りのようなものも。ま、グラッパ・グラスは毎日使うので、毎日の喜び、ということで。
- 2014/06/02(月) 20:53:06|
- グラッパ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:8
ルシヨン・ロマネスクその14
カニグーのサン・マルタン修道院Abbaye Saint Martin du Canigou、続きです。
ガイド・ツアーの初回開始より、1時間も前に現地に到着してしまったわたし。まずやりたいのは、修道院の全貌を上から見下ろすスポットへのアクセス。でも、どこから?
戸惑っていたところに、あたかも通りすがり、というような風情のオバサンが(こんな場所で、通りすがりはありえないので、いずれ修道院関係者なのでしょうが)。
「あら?教会の見学?どうなのかしら、しまっていても、きっとベルを鳴らせば、誰かが対応してくれると思うわよ」というようなことをフランス語でおっしゃいます。ここはかなり整備された観光地で、ベル云々で対応してくれる場所ではないはず、と思うのですが、残念ながら、わたしのフランス語ではとてもそういう表現は不可能。なので、いい加減にかわし、パノラマをみたいんですけど、と尋ねた所、「あ、それなら、この道を先にいくと、素晴らしいわよ!」でも、よく聞くと、カステイユの村が、とか言ってるので、多分違う。そうじゃなくて、修道院の全貌が見える場所のことなんですけど、と一所懸命言ったところ、やっとわかってもらえて、道を示してもらえました。
示された山道を登ること5分強。おお~!
これは、やはり感激しました。
これほどの山の中に、よくもまぁ。
回廊に、修道士の姿がちらりと見えたので、ますます感激。今も、修道院として機能しているんですねぇ。だからこそのオーラなのかもしれません。
実際、感激しながらも、あまりの新しさにびっくりもしたんです。屋根はともかくとしても、全体が、とっても新しいでしょう。このなぞ、ガイド・ツアーで解けたんですが。
時間はたっぷりあるし、後続の人も来る気配はまったくなかったので、朝飯前のわたしは、ここでこっそりと至福の一服。いやはや、これは幸せでした。
ゆっくりと下って、到着時点に戻り、先ほどオバサンが教えてくれた他のパノラマ・スポットなどを訪問。
オレンジ色がにじむように見えるのが、多分カステイユの村。高度はたいしたことがないかもしれませんが、本当に山奥。今だってこんなに何もないけれど、修道院のできた当時は、カステイユの村すら、もっともっと小さい集落に過ぎなかったのではないでしょうか。孤高の場所の重要性も理解できますが、それにしても、そんな場所に、石を積んで修道院を作る、という実際的な仕事を考えると、気が遠くなるような思いです。
ほんのちょっと離れただけなのに、修道院の場所は、こんもりと緑に埋もれてしまいます。分かるでしょうか、中央部にぽっつりとある茶色の塔。修道院の塔です。
パノラマを見ても、まだ時間はたっぷりあるので、教会の外観を撮影することにしました。
ロンバルディア風の後陣、意外と小さいですね。
こうやって、外から見ているときは、全体構造が不明でしたが、見学後だと、なんとなく分かりますね。教会、確かにこじんまりしていました。普通の教会に比べても小さいたたずまいです。
手前の城塞のような扉が、見学コースの最後の出口になっていましたね。教会よりは後の建物と思われます。
今見るべきものは全部見たな、と見学の受付になっているらしい建物の前にあるベンチに腰掛け、自動販売機のココアをいただいていると、修道院の方から、修道女が一人やってきました。彼女は、受付の人。受付=お土産屋さん。つまり店開きにやってきたのですね。もうすぐガイド・ツアーの修道女が来ますよ、とにっこり。確かこのときに、入場券を購入したんだったと思います。修道女の方は、入場券販売と同時に、再び、足早に修道院の方に戻っていきました。
さらにしばらく待つと、確かほぼ定刻10時ごろ、違う修道女の方がやってきました。
年齢不詳、物腰からは三十代?と思われる、全体に白い儚いイメージの美しい女性です。まるで、待ち合わせでもしていたかのように、一人で待っているわたしを目指してまっしぐら。ニコニコと、妖精のような笑顔を浮かべて。
「見学される方ですよね?何語がいいのかしら?」最初の会話は、確か、英語だったと思うのですが、いかにも非英語圏の分かりやすい英語。わたし「英語がベターで、スペイン語は、少しは分かります。カタラン語はまったくだめです。」「そうですか。(かなり小声で)まさか、イタリア語はだめですよね…?」即座に、(多分イタリア語で)反応するわたし。「イタリア語?イタリア語、オウケイですよ、オウケイどころか大歓迎ですよ!」「イタリア語、大丈夫なの!?え~!嬉しい~!」
いきなり手を取り合って、イタリア語で大盛り上がりです。
何でも、ロシア人の彼女は、スイスのイタリア語圏ティチーノで4年間過ごしたため、ロシア語の次に得意な言葉はイタリア語なんだそうです。ガイド・ツアーは、何人かの修道士が順番にやるんだけど、それぞれの得意言語もあるので、参加者によって決めるところもあるそうで、今朝は、東洋人が一人ということで、まずは英語の得意な彼女が出てきたということらしいのです。そもそも、イタリア語が必要になることはないため、彼女自身、東洋人相手に、イタリア語でガイドができる可能性は、予想もしていなかったということでした。そりゃそうだ。
ちょうど10時。イタリア語、かつ、マンツーマンのガイド・ツアーは開始しました。彼女もわたしも、他に誰も来ないことを祈りつつ。
でも実は、開始して10分もたたないうちに、フランス人の3人グループが、ぜえぜえとしながら、ツアー中のわれわれのところにやってきました。まさに今、山道を登ってきたところで、3人ともかなりの息切れ状態。装備から見て、カステイユからの車道ではなく、本当の山道を歩いてきた人たちのようでした。
フランス語で、ガイド・ツアーに参加したいということを、われらが修道女に訴えたのですが、彼女は慌てず騒がず、「問題はないですが、既に、10時のツアーは開始していますし、まずはチケットを購入してきてもらわないとならないですし、いろいろ考えると、次の11時のツアーに最初から参加された方がよいのではないでしょうか」というような感じで、やんわりとお断りしてくれて、イタリア語マンツーマン・ガイド・ツアーは、そのまま続行となりました。
え~、それってまずくないの、いいの?と思いましたが、フランス人たちもぜえぜえしているから、それもやさしさ?とか納得しつつ、自分の幸運に呆然とし、やっぱり早起きは三文の得なんだなぁ、としみじみ思いました。
写真は撮影オウケイだけど、わたしは撮らないでね、と言われたのに、つい画面に入ってしまっていたもの。ごめんなさい。雰囲気が素敵なので。
- 2014/06/01(日) 06:46:52|
- ラングドック・ルシヨン
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
前のページ