ラングドック、ルシヨン、番外編1
ついでなんで、一応自分の記録として、ホテルと食のことも書いとこうかと思います。 まず、ラングドック。 宿泊ホテルは、世界遺産のカルカッソンヌから、車で20分程度、というのが売り、って言うか、それくらいしか売りがないって言うか、の、カイア・コルビエール(で、いいのかな)Cahihac Corbieresという田舎町のホテルでした。
Auberge Cote' Jardanという、街道沿いにある、一見しょぼい外観のLogisグループのホテルです。
そういえばこのホテル、住所を頼りにカーナビで目指したものの、どうもうまくたどり着けず、村の中に入り込んでしまって、通りすがりのおばあさんに訪ねたんですよね。そうしたら、とっても親切なおばあさんで、「口では説明できないから、ついて来い!」と、どう考えてもご自分も、何か用事で道を歩いていたはずなのに、それをほっぽりだして、車を先導してくれたんですよね。それも、かなりのご高齢のご様子なのに、車を先導している、という意識があるせいか、とっても早足で。
もう、何と言っていいのか、ありがたいし申し訳ないしで、汗ダクダクでした。 小路を通り抜けて街道に出たら、「ここは信号がないから、ちょっと待て!」と言って、自ら道路に出て、車を停めてくださって。ちょっと漫画みたいなおばあさんだったな、今思うと。それにしても、フランスでも、田舎に来ると、こういうとんでもなく親切な方がいらっしゃったりはするんですね。いやはや、感動しました。
で、ホテルですが、外観のしょぼさに反して、中が素敵だったらよかったんですが、ここ、中もかなりしょぼかったです。一見は、こぎれいでかわいらしいお部屋の振りをしているんですが、お値段が決して安くないのに、バスルームは、信じられないくらいに小さくて、いまどき、こんなの、かなりの安宿でもないんじゃないの、って言うレベルだったんで、本気で驚きました。それに、すべてのスタッフが、フランス語以外は一切だめなのも、驚きでした。 一応、レストランで売っているらしく、レストランのレベルは、そこそこ。でもお値段はかなりいいんです。内装に比べると、ちょっと納得できないレベルです。それも、3泊以上の宿泊客には、割安メニューを提供するのに、2泊までのお客さんには一般客向けのメニューしかなくて、それも割引一切なし。これは驚きました。
確かに、お皿はどれもきれいで、いかにもおフランス料理。
でも、なんつーか、ちょっと時代遅れ感もありました。こういう風にきれいに並べればいいってもんじゃない、的な。
ボリュームはたっぷりでしたけれどもね、とにかく高いよ。
フランスの場合、ワインも結構高い値段設定しているので、さらに割高感。同じようなメニューを、三泊以上の人が半額以下で食べられると思うと、それも割高感をアップさせますね。 ここ、おなじみのブッキング・コムで予約したんですが、そういう文句をコメントしたところ、同様意見が多数書き込まれていました。それでも変えようとしないんだな~。
そもそも、一人で二泊で予約したのに、チェック・インのとき、二人で三泊になっているし、二日目の朝、出かけようとしたら、スタッフの一人が息せき切って車のところに走ってきて、「しゅ、出発するなら(ぜえぜえ=息が切れている)、ちゃんとお会計してください…っ!」と鬼のような顔でのたまったくらいですからねぇ。はぁ?でした。ひどいホテルだよねぇ。 あ、高い高いといっても、もちろんわたしの泊まるホテルですから、宿泊代は70ユーロくらいだったのかな。でも食事を入れると、軽く100ユーロ超えました。朝ごはんは、もちろんついていないし、頼むと10ユーロとかするんで、頼みませんでした。これも、フランスではノーマルですが、この値段で、この田舎で、信じがたい。
村にレストランはないものか、とぶらぶらしたのですが、他に、やはりかなりしょぼいホテル・レストランがあるだけだったように記憶しています。 何もなくて、静かな空気が流れている、穏やかでいい村でしたけれど。
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2014/07/31(木) 05:40:29 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその34(最終回)
夏休み前にきっちり終わるはずが、ほんの少し残ってしまいましたので、忍耐強く続けます。 旅の最後、後は空港に向かうだけ、という状態で、せっかく通り道だから、と立ち寄った町がここ、エスピール・ド・ラグリEspira de l'Aglyにあるサント・マリー教会Eglise Sainte Marie。
正面は、びっくりするくらい平面的な四角で、愛想も何もあったもんじゃありません。かなり街中なのに、この教会の周りは広く開いたスペースになっていて、それも妙なアンバランスです。車が停め放題で、それはありがたかったですが。 それにしても、ここ、みるものあるの?という感じ…。 元修道院とありましたが、そういう雰囲気は皆無。もしかすると、元回廊や住まいのあった場所が、今はただの空き地になっているとか、そういうことなのかもしれませんが。
ここで見るべきは、扉装飾。ファサードには扉はありませんから、側面ですね。右側、つまり普通に扉がある南側。
何もなし。では反対側。
これのようですね。 では、のっぺらぼうの側が、もしかすると後陣? 元来が方向音痴なので、太陽の位置で方向を確認するとかそういうのが苦手なのですが、ここを訪れたのは午前中半ばで、ファサードと思っていた側にサンサンと日が当たっていますから、トップの写真が、東向きで、ようは後陣みたいですね。 塔もあるし、勝手に後陣、と思っていた側は、こんな感じ。
さて、肝心の扉装飾です。
かなり地味ですが、よく見ると、面白いものが並んでいます。 柱頭のひとつ。
こけしのような愛らしいフィギュア。性別不明ですが、子供のようにも見えますね。なぜ胸を触られているのでしょうか。
アブラハムとかイサクとかそのあたりの旧約の話なのかなぁ、とか思ったり。こういう感じって、多分、見たことないモチーフですから、よくわからないんです。すごく緻密に彫ってあって、面白いですよね。
こんなにマイナーらしい教会にも、わずかとは言え、意味のある面白い柱頭があるって言うのが、やっぱり本場おフランス、かな。
このところ、こういった集中した旅が中心で、日々の生活でふらりと近所を訪ねる機会がなくて、聖書に触れることが減った分、いろいろなエピソードも忘却の彼方。自分の記憶力が怖いくらいです(ザルすぎて)。
ということで、とりあえずルシヨン編、終了です。 本年は、スペイン・ツアーを既に二回実施していて、やはりフランスとの違いを大きく感じます。スペイン各地で、素朴な、わたし好みの不思議な彫り物に多く出会っていますが、ふと、フランスのこういう緻密な彫り物を見れば、やはりこれはこれでいいなぁ、ともう次第で、フランスへの再訪も、またすぐありそうな気がしています。
長らくお付き合い有難うございました。本当に長かった~。
2014/07/30(水) 05:29:52 |
ラングドック・ルシヨン
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ずいぶんとご無沙汰してしまいました。
7月18日から25日まで、ちょうど1週間に渡り、スペイン北部へでかけ、プレロマネスクおよび、おなじみのロマネスクをめぐる修行旅に出ておりました。
具体的には、スペインのアストゥリアスおよびカンタブリア州となります。 オヴィエドに三泊、レイノザに二泊、そしてサンティジャーナ・デル・マルに二泊という旅程。ミラノからは、ライアン・エアで、サンタンデールにダイレクト・インしました。
今年は、春にカタルーニャを訪ねて、スペイン・イヤーかな、と漠然と考えていたこと、そして、アストゥリアスのプレロマネスクが、とても気になったこと、さらには、ミラノからダイレクトで入れるエアラインの航路などから、行き先が決まりました。
スペインは、言葉がなんとなく通じるし、ラテン系という意味では、フランス人より全然分かりやすいし、物価が安いし、いろいろな意味で旅しやすい土地で、楽しかったです。
さらに、ネットで知り合った同病(ロマネスク病)の方々と、途中で合流するというプラスアルファの楽しみもありまして、本当によい旅となりました。
アストゥリアスもカンタブリアも、基本的には超地味地域であり、観光地としての成熟度はいまひとつ。だから、不具合もありましたし、むっとする対応にも多々出会ったのですが、逆に言えば、観光的にすれていないための、素朴な出会いや優しさというものもある地域。様々な意味で、忘れがたい、いろいろなシーンがありました。
7日間、1300キロの旅、じっくりと紹介していきたいと思います。まずは、他を片付けてから。 気を長く、お待ちくださることをお願いします。
2014/07/28(月) 05:41:28 |
スペイン・ロマネスク
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ルシヨン・ロマネスクの旅が、このお休み前に、ちょうど終わりそうだな、とホクホクしていたのですが、ブログどころじゃないような状況がいろいろとありまして、結局わずかを残して、アップできないまま、明日から夏休み第一弾に突入です。 早速旅に出ます。 旅はちょうど一週間なので、今しばらく、ブログにもお休みをいただきます。 いつも来てくださる方には、もしかして、アップのない状態にご心配いただいたかもしれませんので、取り急ぎ。 行き先?それは内緒。いや、もうどっかで言っちゃったかもしれないけれど、プレロマネスクを訪ねてきますよ。報告をお楽しみに。
2014/07/18(金) 04:28:11 |
ミラノ徒然
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ルシヨン・ロマネスクその33
ルシヨンも、ほぼ終わりに近づいています。帰りがけに立ち寄った場所のひとつが、このトゥルージェToulouges。
すごく、本当にとっても普通の田舎の小都市という感じの町で、ミラノ近郊の町めぐりの旅でよく出会うような、そういう雰囲気。 旧市街の一角はとても美しく整備されていて、そこに教会が見えました。
こんな地味な場所ですけれど、一応事前に、チェックは入っていて、このサント・マリー教会Eglise de Sainte Marie、11世紀のクリプタもあるということなので、ちょっと期待。
でも残念ながら、教会はクローズ。というわけで、もうひとつの注目ポイントである、南側の扉口装飾に集中です。
多くを期待してなかったのですが、ここ、面白かったです。
ぱっと見、これだけかよ、という印象なのですが、数少なく残っている中世の名残の中に、なんか来歴を感じさせる要素がたくさんあるんですよ。
まずは、摩滅の激しい柱頭装飾の中で、比較的よく残っているひとつにあるフィギュア。
ホビット!お髭をつかんでいるフィギュアって、確か何か意味があったはず。というか、誰?もぉ~、自分の記憶力とか勉強の浅さを情けなく思います。 そして、装飾的なライオン。
これ、ちょっとオリエンタルな感じもあるんですよねぇ。ルシヨンは海も近いし、地中海経由のトスカーナとの交流とか、ひいてはオリエント。なんかあったかもしれないわけで。今は、感覚だけで書いているんですが、海に近いって言うのは、それだけで、外界に近いって言うことなんですから、たくさんの可能性、文化交流の歴史の可能性があるわけで。
タンパンとかは摩滅も激しく、写真で見ても、よくわからないくらいなので、肉眼では、本当に分からなくて。他に面白かったのが、アーキボルトにはさんだようにはめ込まれた獣の頭部フィギュア。
分かりにくいと思うのですが、いくつも重なるアーキボルトの、一つ目と二つ目のヴォルトの間に三つ、頭部がはめ込まれているんですよね。
なんだろ、これ。こんな形、初めて見たな~。 同時に気になったのが、柱の螺旋筋彫りこみ。
分かりにくいかもしれませんが、柱をぐるぐると取り巻くように、らせん状の筋が刻まれていて、これが、アーキボルトの一本にも、同じように刻まれているんですよね。その上に、アーキボルトの方は、その刻まれたらせん状の部分に、さらに浮き彫りの装飾があるんですよ。
この教会、建物そのもののほとんどの部分が再建で新しくなってしまっていますが、この扉部分だけでも、その筋の研究者だったら、面白い研究ができるような要素満載!クリプタに入れなかったのがつくづく残念になりました。 これも含めて。
柱が、もう機能していない~! ちゃんと修復して、柱がこの状態でも大丈夫なようになっているんでしょうけれど、なんかここの扉口って、この感じに象徴されるって言うか、とっても繊細かつ主張があって、そのまま通り過ぎられない強さ。 特に期待もせずに立ち寄った場所ですが、びっくりしました。
2014/07/13(日) 06:16:57 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその32
修道院のガイド・ツアーで、思った以上にじっくりと見学ができたもので、予想外に時間がたってしまいました。そのままホテルに戻っても、よさそうな時間ではありましたが、結構距離もあるし、前日に立ち寄れなかった場所に寄ってみようと目指したのは、Brouillaブロウワルとかブルールとか発音するんでしょうかね。こうなるとお手上げですわ。サン・ジェニとかブールーなど、狭い地域にロマネスクが密集している場所にあります。
事前に調べたとき、住所まで分かったので(教会通り135番)、とてもスムーズに村に到着したものの、あまりに小さい村で、村に入ったらすぐ教会があり、すぐに村が終わって畑が広がるというロケーション。そのために車を停める手ごろな場所がなくて、同じ道を、何度も行ったり来たり、つまり村を出たり入ったりを繰り返す羽目となりました。
村だと、教会の周りに置き放題だったりするものですが、ここは、教会も含めて全体が新しくなってしまっている再開発村ってたたずまいで、地面もとってもきれいに舗装されているのです。そして、教会周辺は車が入れないし、村の人びとが駐車している脇道の入り口はポール(村の人は、多分コマンドで地下に引っ込められる)で遮断されていて、入り込めない。びっくりでした。 結局畑の方に向かう道の路肩に停めて、教会に戻りました。
サント・マリー教会Eglise de Sainte Marie。スタイルは、往時の面影をとどめているようですが、実際にはかなり新しいマテリアルに代わっているような感じです。
そういう村で、良くぞここだけは残したものだ、と感心するのが、南側にある扉。たたずまいからは、オリジナルも、扉はここにしかなかったのでしょうから、それでちゃんと装飾が施されているのでしょう。側壁にある扉としては、プロポーション的には、大きすぎるような扉ですよね。
地味ですね。この部分は大理石っぽい石で、これも全部新しくされている感じです。部分的には磨いているだけなのかしら。 でも、柱頭に発見しましたよ。カベスタニー。 左。
ダニエルさんかしら、と思わないでもないのですが、摩滅も激しくて、確信なし。 そして、右側。
面白いのは、どちらも、ライオンと人のフィギュアというモチーフが同じなんですが、ライオンのスタイルが異なり、そして左側は柱頭が全方向から見られるタイプと同じ様な構図になっているのに対して、右側のは、二面しか見られないことを認識した構造になっています。この場におけるあり方としては、右の勝ち、って思いました。いや、勝ち負けではないんですが。 でも、手が違うようにも見えますし、地元の石工さんが、それぞれ担当して出来を競ったなんてことがあったかもしれないとか想像するのも面白いです。
アーキボルト部分は、新しそうなすべすべの石の間に、古いものが置かれている感じになっています。
別の場所にあったものを転用した可能性もあります。上の方の角っこには、こんなフィギュア。
本堂はクローズだし、ここしか見るものがないから、見落としなく見ることができます。別に見落としてもいいのですけれども。
見学、あっという間に終了。 そして一日が終了。この日は5ヶ所しか訪ねられなかったとはいえ、かなりの距離を移動したので上々の結果でした。
2014/07/11(金) 05:30:56 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその31
この修道院教会で注目すべきは、ファサードにある扉口の装飾です。
一部激しい修復があるものの、オリジナルに忠実な再建が志されて、本当に大変な作業の結果、ロマネスクの雰囲気を残す装飾となっています。 というのも、20世紀の再建工事時、この扉部分はかなり破損が激しくて、そのままでは修復すらできない有様だったようなのです。
実はこのあたり、説明を聞いたものの、あまり流暢な英語だったので全部は分からなかったこと、その場ですぐにすべてを書いておかなかったために忘れてしまったことが多くて、もしかすると、ちょっと嘘になるかもしれませんので、ご注意ください。
一度すべて解体し、昔の写真なども活用して、周辺部分から装飾品も探し出し、一つ一つ丁寧に修復を施して組み上げた、と。
それはもう、気の遠くなるような丹念な作業の賜物らしいのですよ。 結果がこれ。
両脇にある柱頭。
アーチを取り囲むように作られた装飾的アーチと、その根元にあるフィギュア。
こういう四角い狛犬状って、どっかで見た気がするな~。 地味だけど、愛嬌があるし、嬉しくなる装飾なんですよ。
そして、気になったのが、木製の扉に開けられた穴。
これは、巡礼の宿泊所として本堂が使われていたときに、あまりに空気がよどむために、開けられた穴という説明だったと思います。 これが、昔の写真。すごくたくさん開けていられたようです。上の方に集中しているのは、やはりセキュリティーのためなんでしょうかね。
この扉装飾に加えて、中世的に重要度の高いのは、本堂後陣にある11世紀のフレスコ画。
確かここ、撮影禁止だったんだと思います。一生懸命見たのに、すっかり忘れていて、あれ?見てない?と、今書きながらしばし悩んでしまったのですが、確かに見た記憶が浮かんできました。撮影禁止だから、葉書をお買い上げしたことも思い出しました。でも、本堂の様子など、詳細は覚えていないんですよね。情けないけれど、特に数多く見て回っていると、写真なしには、一つ一つ覚えているのは難しいです。
本当に一部だけしか残っていなくて残念ですが、それでも、残っていた部分、修復されて、プリミティブな感じがなんともいえません。孔雀は不死のシンボルですが、西ゴートの異教の影響なんかもあったかもしれないですね。色彩といい、アーチの幾何学装飾といい、古い時代のモザイク的な雰囲気を感じさせるものです。
ということで、1時間超のゆったりとしたツアーで、堪能しました。修道女さんがガイド役のツアー、すっかりはまりました。カニグーではイタリア語、ここでは英語、とフランスの他の地域ではありえない言語環境で、お得感もばっちり。 ずいぶんと雨にぬれましたが、大満足でお別れです。
2014/07/10(木) 03:29:17 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその30
毎度のことですが、駆けずり回っています。 アルル・シュル・テックの後は、また海の方に戻り、時間の制約のある教会を目指しました。 ヴィルロング・デルス・モンVillelongue-dels-Montsにある、サント・マリー・デル・ヴィラール修道院Prieure Sainte Maria del Vilar。 オープンは午後15/18時だけで、それもガイドツアーのみ、と事前情報を得ていましたが、アルル・シュル・テックの見学を終えたのが、15時過ぎ。時間的には間に合いそうとは言え、ガイドツアーは1時間毎とあったので、できれば16時のツアーに参加したいと思いました。 というわけで、気持ちもはやり、かなり飛ばして村までは、順調に到着しました。16時前だったので、これなら余裕~、と思ったのは一瞬。修道院なら絶対にすぐありかが分かるはず、と思ったのに、大いに甘くて、全然分かりません。村も、小さい丘の斜面に張り付いているような立地で、見通しもききません。 とりあえず、街中に入り、それらしい建物の先にあった駐車場に車を乗り入れ、急ぎ足で、目に付いた建物に戻りました。
家の建てこんだ街中にぽっかりある立地そのものが、既に修道院じゃない、という予感。でも、丸い後陣には軒送りもあり、再建らしいとは言え、ロマネスクの雰囲気があります。でも!何の看板すらないのは、どう考えても怪しいし、長年、開いた様子もないんです。
途方に暮れて、通りがかりのおじいさんに尋ねてみました。何とか意思の疎通ができた結果分かったのは、修道院は、村を通り抜けて、細い山道をずっと登っていった先らしい、ということでした。 今から思えば、余裕を持って17時の回に参加する、という選択肢もあったのに、なぜあんなに大慌てに慌てて駆けずり回っていたんだか不明ですが、やはり現場にいると、少しでも多くの場所を訪ねたい、という強迫観念のようなものに取り付かれてしまって、16時、に執着していたのでしょう。
その興奮状態の中、普通だったらしり込みするような、先の分からない細い登り道を、何のためらいもなくぐいぐいと進み、行き止まりが、修道院でした。16時5分過ぎ。
路肩に車をいい加減に停めて、とにかく受付に飛び込みました。文字通り、ぜえぜえ状態で、受付にいた上品な修道女さんが、不思議そうな表情で、わたしを見つめていたのを覚えています。
それも当然。 確かに午後しか開いていないようでしたが、別にガイド・ツアーの時間が決まっているようでもなく、訪問者が来たらそれにあわせて流動的にツアーを組む、というスタイルだったんです。大汗で息が上がっている状態で、このような静謐な場所にばたばた飛び込んで、一人雰囲気を壊しまくりの自分、恥ずかしかったですね~。
そのときは、フランス語のツアー中で、それが終わり次第、わたしのために英語ツアーを組むので、しばらく待っていてくださいね、ということだったので、幸い、呼吸を整え、平静に戻ることができました。
待っている間に、ちょっと観察したところ、多くの部分が再建されている建物でした。上の写真の手前のアーチなど、各所に古い時代のものが残っているという状態。
15分ほどしてきてくださった修道女さんは、英語が堪能な方で、ちょうどその頃にやってきたお父さんと子供の二人連れもジョインして、3人のツアーとなりました。考えたら、あの父子も、こんな場所に観光に来るには、ちょっと不思議な組み合わせでした。
最初に、この場所についての、簡単な歴史のレクチャーがありました。 再建と思ったのは間違いではなく、この修道院、今ある建物の元は、11世紀と古いのですが、16世紀前半には住み人もなくなり、荒れ果ててしまって、19世紀初頭以降は、地域の農民が農作業に使っていたそうです。1993年に、篤志家の女性が、全域を買い上げ、サント・マリー修道院再建協会と行った組織を結成し、今ある姿にまで再建したということなんです。 1993年と言ったら、さほど昔のことではないんですから、驚いてしまいました。再建工事が完了したのは2004年。ついこの間のことですよね。 今ここにいらっしゃる修道会は、国境をはさんだスペイン側のカタルーニャはフィゲーラス郊外にある、Vilabertranという村の修道院の会派(アルメニア系)ということで、びっくりしました。もう何年も前になりますが、ロマネスク探訪を始めた頃、わざわざタクシーで訪ねた場所です。向こうは、既に美術館化してしまっていて、寂しいたたずまいでした。 でも、かつて訪ねたことを修道女さんに告げたら、大変嬉しそうでした。もしかして、わたしのことをすごく信者と勘違いされたのかもしれません。
これが、このあたりの教会のある地図。点線が国境で、3番がこの修道院で、下の方に見える5番が、ヴィラベルトランになります。スペイン側のカタルーニャのこのあたりも、今後再訪しないといけないなぁ、と思います。
さて、展示されていた古い写真で、再建前の、びっくりするような姿。
これを再建しようなんて思った人は、お告げでも受けたのでしょうか。 ただ、確かにこの場所は、ずっと古代より神聖な場所であり続けたことから、自分が守らなければ、という使命感に捉われる人がいたのも、わからないではありません。 実際、今の修道院の敷地内には、プレロマネスクや、ローマ時代の建物の礎石が、形のまま残されています。
7世紀の西ゴートの石棺。さすが、スペイン領に近いだけのことがありますね。
8世紀、プレロマネスク時代の教会の礎石。
これは、忘れちゃったんですが、多分、紀元前1世紀頃の、泉のあとじゃなかったかと。
もちろん、わたしが訪ねたロマネスク的なものもちょっとあるんです。続きます。
2014/07/08(火) 05:58:40 |
ラングドック・ルシヨン
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ルシヨン・ロマネスクその29
次に向かったのは、スペインとの国境にも、ほんとに近いアルル・シュル・テックArles-sur-Techにあるサン・マルティン修道院教会Eglise Abbatiale de Saint Martinです。
ここは、免許取立てにもかかわらず、長年の夢だから、と思って、ミラノからカタルーニャまで地中海沿いにドライブした帰り道に、確実に立ち寄った記憶のある町。そういう意味でも、記念碑的、というか、思い入れがあったのですけれど。そして、だからこそ、わざわざここまで行かなくても、と思いつつも行った町なんですけれど、でも、町のたたずまいについて、覚えていることは一切なく、なぁんだ、って感じでした。
町外れの無料駐車場に車を停め、旧市街へ。 どうやら、修道院は町の観光名所で、サント・マリーというらしいですね。要は、この町そのものが、修道院の寺町。昔立ち寄ったときは、もちろんそんな知識もなく。
いまや美術館のようになってしまっている修道院へいざ。
超立派な回廊。ここは既にロマネスクの名残はなく、ゴシック期またはそれ以降の再建。美しく整備されているけれど、わたしの興味の範疇ではないので、すぐに本堂に向かいます。ここの第一の目的は、ファサード。
今は、美術館みたいになっていて、有料で入らなければアクセスできないファサードだし、地味ですけれど、ここの扉周りの装飾には興味がありました。これ。
びっくりするくらいに地味ですね。 でも、扉の上にあるタンパンに置かれた十字架上の浮き彫り、アーキボルト上のアーチの根元に置かれた浮き彫り、そして、扉上にある小さな窓の周囲の浮き彫り等、教会本堂が後代にいろいろと手が入ったことを考えると、よくもまぁ残ったものよ、というような素敵なものがあるんですよねぇ。 十字架内の、アーモンドの中で祝福するキリストと、四福音書家のシンボル。
キリストのアップ。
変なデフォルメもなくて、妙に丹精でキチンとしたキリストですねぇ。変なデフォルメ・ラバーなわたしとしては、ちょっと淡々すぎんじゃね?って印象。 福音書家も、アーキボルト脇のライオンも、基本、淡々、です、ここは。
ということで、本堂に戻り、フレスコ画を探します。 11世紀のフレスコ画があるはずなんですが、見当たりません。本当に真剣探しましたが、見当たらない…。 わたしの、情報間違い?とも思い、あきらめて、ショップに行くと、やはりフレスコ画のグッズもあるので、間違いではないらしい。ショップの人に、このフレスコ画はどこにあるのか訪ねてみたところ、フランス語オンリーでいろいろ言ってくれるので、本堂に戻ったものの、やはり分からず。もう一度ショップに戻り、分からなかった、と言うと、だから、どうたらこうたら。 説明してくれるということは、絶対に見えるところにあるんだな、と思い、改めて本堂に戻り、宝探し。
正直、不親切と思いました。これは分かりにくいよ。 あちこち、開かない扉にも手をかけた挙句、発見したのは、ファサードの裏側部分の上方でした。
この位置、正面入り口のトップ、照明がついていないとほぼ暗闇で、何も見えない状態。小銭を入れると照明がつくタイプなんですが、そのシステムが、すごく分かりにくい場所にあるんです。そもそも、11世紀のフレスコ画がある、という知識が事前になかったら、もちろん探さないし、探さなければ、絶対に見つからない場所なんです。それってどうよねぇ?
それが、ろくでもないフレスコ画だったら、なんとも思わないんですが、残っている部分は少ないとは言え、色もきれいだし、かわいい絵だし、本当に見ることができてよかった、と思うような絵だっただけに、不親切、と思ってしまった次第。
ショップの人は、何度も戻っては訪ねるわたしに対して、嫌な顔をせずに、何度も教えてくれたんですが、でもそもそも、こういう素敵に重要なものに対して、尊敬がないって言うか、だからこそ見に来る人がいるっていう認識がないって言うか。お土産やで、散々11世紀のフレスコ画、というようなものを売っていて、なぜもっと分かりやすく展示方法を考えないんだろう。なぞでした。
2014/07/07(月) 06:16:01 |
ラングドック・ルシヨン
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「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」田口ランディ(幻冬舎文庫)=一体この本は、どっから湧いたんだろう? 「モダンタイムス(上・下)」伊坂幸太郎(講談社文庫)=この人の本は結構読んでるけど、桜庭一樹化している感じで、飽きたかも。 「森に眠る魚」角田光代(双葉文庫)=今時の”友情”ってこんな感じかも。 「巷談辞典」井上ひさし(文春文庫)=かなり昔のエッセイ集だけど、面白かった~!つくづく言葉の人なんだなぁ、と思うのでした。 「真田太平記1-4」池波正太郎(新潮文庫)=久しぶりの池波節。やっぱりざかざか読み飛ばしちゃうよね、この人の時代物は。 「行人」夏目漱石(岩波文庫)=古典は時々読み返すけれど、だからなんだよ、とついつい突っ込みたくなりますねぇ。 長いこと友人に貸していた漫画が大量に戻ってきて、久しぶりのご対面だったもんで、つい読み返してしまいました。漫画ってお気軽に読めちゃうけど、深かったりするのがすごいな~。 「海街ダイアリー1-5」吉田秋生(小学館)=吉田さんを最初に好きになった、「カリフォルニア物語」が読みたくなります。余韻がいいなぁ。 「ちはやふる1-22」末次由紀(講談社)=ガラスの仮面状態で、読み出すと、つい全部読みたくなってしまう漫画…。 「銀の匙1-8」荒川弘(小学館)=乗馬を再開したくなります。 「チェーザレ1-10」惣領冬実(講談社)=これは本当にすごい。 「西洋骨董洋菓子店1-4」よしながふみ(新書館)=大奥とは全然違うのが面白いけど、この人って料理とゲイの世界が、本当に好きなのねぇ。 というわけで、漫画のおかげで、書籍は少なめな一ヶ月でした。 おなじみのロマネスクは、こちらへどうぞ。 [http://www.geocities.jp/notaromanica/ ロマネスクのおと] ブログ・ランキングに参加してます。よろしかったら、ポチッとお願いします。 [[img(https://art.blogmura.com/img/art88_31.gif )]] [https://art.blogmura.com/ にほんブログ村 美術ブログへ(文字をクリック)] ブログ村美術ブログ [[img(https://overseas.blogmura.com/img/overseas88_31.gif )]] [https://overseas.blogmura.com/ にほんブログ村 海外生活ブログへ(文字をクリック)]
2014/07/04(金) 05:38:40 |
読書、備忘録
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