アストゥリアス・ロマネスク4
いよいよガイド・ツアーの始まりです。グループは10人強。まずは、サンタ・マリア・デル・ナランコSanta Maria del Naranco。
ファサードに集められたグループは、まずは北側にある階段から二階にアクセスです。
おお、なんていうのか、外から見ていた感じそのままの内部。想像以上に狭いかもしれないです。 何か、新しいものに出会う感じで、気持ちそぞろに、視点もうつろな状態。 そんなおろおろ状態、どうせ分からないし、と思っていたスペイン語ガイドが、途中から耳に入ってきました。 というのも、男性ガイドさん、相当外人慣れしているようで、ゆっくり明確な話し方で、実に聞き取りやすかったんです。 自分にとってなじみのない言葉でのガイド・ツアーは、たいてい聞き流して、目で楽しむ方に注力してしまうことが多いのですが、そんなわけで、ここではガイドさんの説明に耳集中しましたね。とはいっても、やはりイタリア語ほど分かるわけではないので、どうしても、目にいってしまうところも多かったのですけれど。
長方形の部屋。天井のヴォルトにぴったりと合うように柱があって、柱間はアーチになっています。そのアーチが、このスペースを実際よりもさらに広く見せるために、中央から両端(長方形の短い方の東西の辺)に向かって、徐々に小さいスケールになっているとか、実際に見ているからこそ分かりやすい話を、たくさんしてくれました。こういうのは、目で見ても気付かないことなので、その場にいて、教えてもらって、嬉しい話でした。
前回もちょっと触れた、柱の縄モチーフ。
これについては説明がなかったので、自分から質問しました。縄と考えられているけれど、装飾モチーフという他の理由は不明、という答えでした。ガイドさんには、わたしがイタリア語圏の人だとはばればれで、「自分はイタリア語はうまくないけれど、あなたの言うことは分かるから」と言ってくださいましたので、隙を見てはイタリア語で質問しまくり。
柱の縄目も気になりましたが、それ以上に気になるのは、やはり柱頭のモチーフと、メダリオンですね。
かなり浅彫りです。メダリオン、その上に柱頭彫刻のような彫り物。モチーフの図像学的意味は、今でも分からないそうなんですが、意味より何より、わたしにとって疑問だったのは、「コピー」です。
たとえば、これは外壁のアーチ間に置かれたメダリオンですが、建物の内部におかれているものと、まったく同じモチーフ。 柱頭も、ほとんどすべての柱頭に、動物モチーフと、杖を持っている男性の姿のフィギュア、という同じものが、延々と並んでいるんですよね。
で、こういうモチーフが、他の土地の他の神聖な建物でも見られるんです。と言うことは、よほど大切にされたということだと思われますが、杖を持つフィギュアの意味など、分からないらしいのです。は…?分からないって? (この点については、それ以上追求できませんでした。残念ながら、専属ガイドさんではないので。)
この建物は、狩のための離宮と言われているものの、本当のところはよくわからないというのも、不思議ですけれども、実際、後代に教会に転用されたからって、東向きのテラスに、祭壇置いて、教会です、って言う感覚も分かりにくいし。
この祭壇は、近くにあるサン・ミゲルから運ばれたものらしいけれど、テラスに祭壇を置くってどういう感覚か(サン・ミゲル教会が、一部破損して、教会として使用不能になった結果としても)。 で、そもそも論として、この建物の、隙間加減、疑問だったんです。
長方形の狭い方の辺が東西でテラスになっているのですが、どちらも開けっ放し、雨風吹きっさらし。 どうなっていたか尋ねたところ、もともとは、テラスも柱間にブラインドみたいなものがあったということでした。確認すると、確かにテラスの柱には、窓というかブラインドみたいなものがはさまれていたらしい溝が彫られていました。
今は、吹きっさらし。それもどうかと思いますが。後代には、テラスに出る場所に、扉がつけられた時代もあったようですね。
ガイド・ツアーとは言え、自分がふと疑問に思った点を、つたない言葉にもかかわらず、意図を理解してくれて明確に答えてくれて、実に素晴らしいガイドさんでした。とってもプロフェッショナルで、余計なお愛想とかそういうの一切なかったですけれど。
このあと、サン・ミゲル教会に移動します。
ところで、前回、よくわからないまま記事を書いてしまいました。西ゴートとアストゥリアス王国の違いは明らかで、今ご紹介しているサイトは西ゴートではなくアストゥリアスである、というご意見をいただきました。 まさにその通りで、いい加減な記事につき、反省です。
ブログについては、旅の記録、というよりそのときの感覚を中心に綴っておりますので、間違いは日常茶飯事的にあると思います。自分の記憶のよすがとして綴っているために、詳しい事実よりは、感覚優先。要は、自己中の覚書。 なので、間違いは間違いとしても、記事の訂正は特にしませんが、各種ご指摘ご意見コメント、大変ありがたく、今後ともよろしくお願いします。 いずれにしても、ネットの情報は、せんみつ(死語?)程度のもんでしょうから、その感覚で…。
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2014/08/31(日) 06:59:50 |
アストゥリアス中世
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アストゥリアス・ロマネスク3
サン・ミゲル教会に向かったものの、扉はしっかりと閉ざされており、掲示板には、オープン時間と注意書き「見学はガイド・ツアーのみで、ガイド・ツアーは有料。チケットは、ツアーの開始されるサンタ・マリア・デル・ナランコで。」とありました。 本来、見学時間は10時と思っていたし、ここでは、9時半となっているし、よくわからないまでも、この時点で9時55分。もしガイド・ツアーが10時に始まるとしたら…。 考えている暇もなく、アワアワして山道スタート地点に引き返すことに。 激しい下り坂を引き返さずとも、もっと楽にナランコに行ける車道があったし、もうちょっと冷静になっていれば、きっとそれに気付いたと思うんですけれど、あと5分、と思った時点で、そういう冷静な考えは吹き飛ぶんですよねぇ。
というわけで、息せき切ってナランコへ向かいました。 で、ネットなどでさんざん見て、いつか本物を見たいなぁ、と夢見るように思っていたこれに、いきなり、ぜえぜえ状態でご対面、という情けない状況になってしまいました。
思い入れのある場所は、一歩一歩踏みしめながら近付きたい、みたいな思いってあるんですが、結局、こういう、なんだか、取るものもとりあえず状況でアクセスって、多いような気がします。不徳のいたすところ。情けないなぁ。
正面入り口内部に、小さい事務所があり、まずはチケットを購入。ガイド・ツアーは、10時半から、ということでした。なんだろね?すべての情報が微妙に違うっていうこの感じは。とりあえず、よかったですが。 おかげで、ツアーの前に、外観をじっくりと撮影する余裕ができました。
トップは、西側、言ってみればファサード、そして、南側面の写真となります。 ファサードを反対の北側に回ると、そちらには、こういう階段がついています。
そして、東側。
縦長の四角形。サイズは、20メートルx6メートルということですから、かなり縦長の長方形になります。 ファサードとか便宜上言っていますが、でも、この建物って、いわゆる教会とは見えませんよね。そうなんです。本来は、アストゥリアス王国の王の夏の離宮。
前回も触れましたが、実はこの地域の中世時代についての知識、ほとんどなし。それも、実際に現地を訪ねる前も、西ゴートとかアストゥリアスとか、かなり表面的にさらったのみ。旅のあとも、まだちゃんと勉強していない状況。 そんなわけで、ブログごときに記事をアップするにも、あまりの知識のなさに、今更ながら付け焼刃状態で、「西ゴートの歴史」とか、「中世史」とか、現地で購入してきたスペイン語の本などを斜め読みしている情けなさです。
簡単に言ってしまえば、イスラムによる長い征服後に、キリスト教徒がじわじわと盛り返すその拠り所ともなったのがこの地域で、アストゥリアス王国というのは、レコンキスタ後のキリスト教徒の王国だったと、まぁ、そういうわけなんです。で、王国当時は、これは離宮だったらしいのですが、ロマネスク時代くらいに、近所の教会が破損した結果として、教会に転用されたりもしたことから、ちょっと教会的な要素も持ってしまった、という建物になっているわけです。
東側のテラスには、もともと近所の教会にあったという祭壇が置かれています。確かに、教会機能を担わされていた時代があった、ということです(テラス内にある白い四角いのが祭壇)。
ぱっと見、地味ですが、付け柱とか、柱頭とか、ちょっとしたレリーフなど、中世初期におなじみの装飾はしっかりあります。そういうものって、地味ながら、図像学的な意味とかすごくありそうで、興味深いものです。
柱に刻まれた線とか、絶対に意味があると思うのですが、今でも誰にも分からないんですよねぇ。そういうミステリアスな古代的な図像って言うのも魅力かも。
石に縦線が刻まれているのが分かるでしょうか。これが、建物中あちこちにあるんです。人為的なのは明らかで、でも装飾的というよりは、なんかナスカの地上絵的な、違うものを感じてしまいます。 柱のほとんどが、このらせん状の彫りこみなのも、気になりました。
これは、内部の柱もそうですし、全部、円柱でのっぺらぼうでもいいのに、というところ、こういう状態でした。ガイドの方に尋ねたところ、縄目模様だけど、意味とかは分かっていない、ということでした。これ、地域の他の教会でも多く見られたんですよ。元はこの王宮で、どこでも王宮の意匠をまねたもの、という理由付けがされていました。 確かに、ここの柱はすべてこのモチーフ。
一人の石工が考え出して、やってみたところ、なんかいいじゃん、ってな感じで、全部やっちゃったとか、他の人たちもいいと思ったとか、そういうこと?でもそれほどよくないしね。意味があってやるならともかく、全部同じってね。
という感じで、起源が古いだけに、突っ込みどころ満載の割りに、答えはないんですよ。そもそも王の離宮って言うけど、せまぜましいし、実のところはどうやって利用していたかすら、わかってないらしいです。 プレ・ロマネスクってその辺の古代風がよいのかもね。 ガイド・ツアーは次回。
2014/08/30(土) 06:52:53 |
アストゥリアス中世
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アストゥリアス・ロマネスク2
この地域は、少し前からとても気になっていました。正確には、ロマネスクのためではなく、プレ・ロマネスクの遺構のためです。 今度はどこに行こうかなぁ、と考えている際に、オヴィエド郊外にある、西ゴート時代の建造物の写真に出会ってからです。 正直、スペイン中世の歴史は表面的にしか知らず、特に中世初期、イタリアで言えば初期キリスト教時代からロンゴバルドの時代、スペインがどうだったかということはほとんどわかっていなかったのです。西ゴートの民族や文化についての認識はないも同然でした。改めて調べてみると、素朴な彫り物とか、大好きなロンゴバルドにも通じるにおいがあります。 というわけで、西ゴートに出会うために、何はともあれ向かったのが、オヴィエド。
オヴィエドは、サンタンデールをひたすら西に向かって、ちょっと南下したところにあります(サンタンデールから約180キロ)。上左地図にあるように、カンタブリア海からも近く、しかしまた海以外の方向はすべて山深い土地でもあり、スペイン北部には典型的な、自然に恵まれた、緑の美しい土地です。 そんな町の北西に、立派な西ゴートの大規模な遺構が、それも二つも、かなりよい状態で残っているのです。 サンタ・マリア・デル・ナランコSanta Maria del Narancoおよびサン・ミゲル・デ・リッリョ教会San Miguel de Lillo。
どちらも、オヴィエドを見晴るかす、丘の中腹に建てられていますので、車で、向かいます。
10時から、とあったので、それに合わせて向かいましたが、丘の麓にある立派な駐車場には、一台も車がありませんでした。
あとで分かりましたが、行こうと思えば、教会のすぐ近くまで車でアクセスする道はあるようで、多くの人が上の方まで車で来ていました。でも、とても美しい場所だし、建造物が緑に見え隠れする様子など、ここは絶対徒歩で行った方がよいと思います。
駐車場から、徒歩用の道が整備されています。
最初は、平坦で、林間の気持ちよい散歩道。このあたり特有の、高床建築に出会ったり。
こういう高足の建築は、ここよりもっと西のガリシア地方名物と思っていましたが、ここアストゥリアスでも、この後もよく眼にしました。歴史的には、このあたりも同じような気候なので、おそらく同じような建築様式が普及しているのでしょう。今でも残されている建築は、多くの場所で現役でした。下が駐車場で、上はきっと倉庫みたいに使っているのでしょうが、それにしても、建物を支える石の柱の先端が細いので、とっても不安定な感じがしてしまいます。
そして、異常に人懐こい猫に会ったり。
途中に、ビジター・センターがあります。
ここも10時からのはずですが、わたしが通過した9時47分には、人の気配すらありませんでした。こういう場所の職員さんって、皆さん、見事にぎりぎりにやってきますから、きっと10時にはオープンしたのでしょうけれどもね(ちなみに、帰りに寄りましたが、英語もうまいとても親切な女性がいらっしゃって、ここのみならず、地域の中世の遺構にかんして、いろいろと情報をいただけました。ただし、書籍などの資料の少ないのが、残念でした)。 そして、分かれ道になります。
左に行くとリッリョ、右に行くとナランコ。時間もあったので、より山道風のリッリョへの道を進んでみました。
結構、山道ですよ。坂は厳しいし、道は石がごろごろ。短い距離ですが、サンダル履きのわたしには、結構きつい道でした。 木々の隙間から、ナランコが垣間見えます。
そして、リッリョの建つ平地に到着。
駐車場から、のろのろ歩いて10分強ですけれど、意外と疲れて、ぜえぜえしました。そしてこの後、さらにぜえぜえする事態になりましたよ。 修行の旅って、どうしていつもこうなるんでしょうねぇ。車で回っているのに、なんでぜえぜえしちゃうんでしょうねぇ。
2014/08/29(金) 07:14:02 |
アストゥリアス中世
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アストゥリアス・ロマネスク1
お待たせして申し訳ありません。やっと、本業のロマネスク再開です。
といいながら、まずは修行の厳しさ(?)のお話からです。
今回の旅では、数年ぶりに、欧州での格安航空の雄のひとつ、ライアン・エアを使いました。ライアン・エアのミラノ本拠地は、ミラノとは言いながら、実はベルガモの空港(オーリオ・アル・セリオ)。で、「心理的に遠い=面倒」、となっていました。同時に、安さに引かれて使った過去、あまりの田舎空港ぶりに、疲れるなぁ、という印象が強くて、この数年、意識的に避けておりました。 しかし、まずここでびっくり。 ミラノから空港へのアクセスは、マルペンサ行きに劣らない豊富なバス便がある上、数社競合の賜物か、マルペンサ行きの半額!そして、空港は、すっかり美しく機能的になっていて、WiFiもばっちり!いやはや。 しかし、飛行機は遅れ気味でした。 そして、到着したサンタンデール空港は、びっくりするくらい小さな、まさに田舎空港…。
今回、レンタカーも、ちょっとお安い会社を利用してみました。 というのも、いろいろ検索していて、これまでよく使っていたハーツがかなり割高なことに気付いたんですよね。今回利用したレンタカーは、ハーツの3分の2くらいのお値段かな。 でも、窓口に行って、大後悔しました。
カウンターに人がいない…! どのブースでも、複数の人がいて、どんどん人がはけていくのに、誰よりも早くカウンターに着いたわたしに対応してくれる人がいない。虚しかったです…。 相当の時間を待ち、やっと人が戻ってきて、手続きをしたものの、待ってくださいね、ということで、後からのろのろ来る人たちがどんどんといなくなっていく間、ひたすら待たされて、結局1時間近く、カウンター近くで待つ羽目になりました。 田舎空港のせいか、WiFiもまったく機能しない。 到着の時間が夕方なので、もともと観光的には時間はぎりぎりだったのに、飛行機も若干遅れたため、今出なければ、もう今日はホテルに向かう以外何もできない、という状況になってきたため、バカンスというのに切れました、わたし。
いい加減にしろ、と。予定があるのに、既に、どんどん時間がずれ込んで、今日の予定が消化できなくなっているんだ、と。そもそも16時に予約しているのに、既に17時過ぎているだろう、と。
窓口のお姉ちゃんは、たどたどしい英語で、分かっているけれど、あなたの予約した小型車は、まだ準備段階で云々。とは言え、最後は切れているわたしに押されて、彼女もがんばってくれました。 それでも、それからさらに20分ほどは待ちましたかねぇ。やっと来た車は、変に派手な黄色のコルサで、アワアワしているので、ほとんど何一つ確認する暇さえなく出発しましたが、結局安いってこういうことなんだなぁ、とうなだれました。貧乏が悪い…、みたいな。 でも、お姉ちゃんは、最後までとっても感じがよくて好感持てたし、車もよかったし、終わりよければすべてよし、ですねぇ。この会社へのイメージは、意外とポジティブ。
小雨降る中、いよいよ出発。 当初は、サンタンデールから150キロほど走って、いきなりアストゥリアスのヴァルディオスを目指していたのですが、もう教会の開いている時間には間に合わないので、急遽予定変更、空港から程近いサンティジャーナ・デル・マルに立ち寄ってみることにしました。 サンティジャーナは、旅の終わりに泊まることにしている町だったので、何もここで行くことはなかったんですが、なんせ、修行旅初日、どこも何も見ずにホテル、というのは、気持ち的に許せなかったんです。
いや、びっくりでした。 サンティジャーナは、ずいぶんと昔に訪ねたことがある町なんです。もちろん当時から観光地ではあったはずですが、どうも当時の面影が見出せず。夕方だったせいか、観光客の数も半端ありません。 当時は、村の中を放牧帰りの牛の群れがのんびりと歩いていたし、これほどのお土産屋さんはなかったし、そもそも、だだっ広い(有料)駐車場に呆然(便利ですが)。
大急ぎで、観光客をかき分けるようにして、まだ開いているはずの教会に直行。
旧市街のたたずまいは変わっていないはずですが、おそらくより観光地化が進んでいるでしょうし、村の周辺のホテルを初めとする施設も、異常に増えている気がします。かつては草原だったような場所に、ホテルがごまんと立ち並んでいる、みたいな。
それでも、やっぱり、村のたたずまいは美しいのです。でもやっぱり、かつて訪ねたときの風景が思い出せず、首をひねりながら歩いていて、目に付いたのが、いかにもスペインらしい、これ。
お屋敷のファサードに掲げられている、石彫りの紋章。当時はスケッチもよくしていて、紋章も描いた記憶があり、それは、このサンティジャーナだったかどうか…。
頭のどこかで、さわさわと記憶回路が大騒ぎしているような気が、ちょっとしました。
教会については、後日、カンタブリアの項で、レポートしたいと思います。
この村には、旅の最後に戻ってくるので、大急ぎで回廊だけ見学して、先に進むこととしました。この日の宿泊は、ここから約150キロほどのオヴィエド。 小雨の中、改めて高速に乗りましたが、右手に海を眺める高速は、大工事中で、一般道を迂回させられたり、のろのろの渋滞にはまったり、結構なロング・ドライブとなってしまいました。 結果的には、トラブルなくレンタカーをもらえたとしても、おそらく当初予定していたヴァルデディオス見学は無理だったので、まずサンティジャーナに寄り道、というのは、大変優れたアイディアだった、ということとなりました。 空港で切れて損した。 っていうか、無理な計画は立てるなよ、という教訓となりました。
というわけで、次回より、本格的にアストゥリアスの中世めぐり、開始します。
2014/08/23(土) 06:44:46 |
アストゥリアス中世
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フランクフルト、弾丸ツアー3
フランクフルトが目的地(と言っても、本当の目的地は、フランクフルトのサッカー場)だったので、一応フランクフルトの町も、そぞろ歩きました。っていうか、かなり歩きました。同行者が飲まない人なので、どこぞでのんびりアペリティフ、っていうアイディアもなく、なんだか夕食まで、ひたすら歩いてしまったのでした。
宿泊した郊外の、ホテルの窓から見えた旧市街。 フランクフルトの町って、ほとんど新しいんですね。商業都市だし、想像はしていたけれど。でも、ドイツの町って、フランクフルトくらいに、誰でも知っているような町でも、だからこそ大都市だと思い込んじゃっている町でも、実はとてもこじんまりとしているっていうケースが多いですね。中心部はほとんど歩ける範囲に収まっているので、住みやすい町かもしれないと思いました。
タクシー乗り場に並んでいるタクシーは、さすがドイツ!軒並み大型のベンツ。それもクリーム色なんですねぇ。 そういうところも含めて、なんか、わずかの差でダサさが同居しているみたいな、そういう感じ。人びとのファッションとか、ショーウィンドーとか、なんかすべて、ちょっとそういうテイストなんです。 それで、現代的なのか、田舎っぽいのかよくわからないイメージになってしまうんですよねぇ、なんか。
現代的なガラス張りの高層ビルの前に、かなり古そうなガラス張りのベンツのビル。この古いビルの雰囲気、レトロな感じがとっても好きなんだけど、なんかバランスがダサいって言うか…。しつこいですね。
ま、そんな旧市街なんですが、ほんの一角、昔のドイツが残っています。
いきなり目に入ってきたから、びっくりでした。木組みの家の一並び(左側にちらりと見えるのは、ゴシックのカテドラル)。この広場だけ。この並びの向かいは、市庁舎で、こちらも時代のかかった建物です。
実は、フランクフルトの町は、第二次世界大戦で、古い町並みのほとんどは壊されてしまったらしいのです。この一角だって、わずかに残っていた木組みの建物を、執念で再建したという話らしいです。ドイツ人、そういうのも好きだよね。 だから、よく見ると、かなり新しい作りになっています。
こういう木組みの家のオリジナルは、やはり中世なのでしょうね。建物のあちこちに木彫りとか石彫りの飾りがあって、こういうのってロマネスク時代から引き継がれていたんだろうなぁ、と思われるようなものがたくさん。興味深かったです。
夕食後も、夜景を楽しみながら、延々歩く。どっちかと言うと、ビールでも飲んだくれたかったのですが、皆さん飲まないもので…。
ライトアップで、何か面白い眺めになっていた古い建物の屋根。
マイン川。
この川があるから、フランクフルトの正式名称って、フランクフルト・アム・マインなんですね。初めて知ったわ~。 それにしても、町が暗いんで驚きました。 ミラノでも、町外れの我が家の家のあたりはこんなもんでしょうが、ドゥオモのあたりは、かなり照明があると思います。ここでは、週末だし、人出もすごいのに、全体が暗い。目の悪い人とか老眼で暗闇がきつい人には、多分怖いくらいだと思います。みんな目がいいんでしょうか。暗闇に慣れているんでしょうか。
話はまったく変わりますが、フランクフルトで特筆すべきは、おいしかったラーメンかも。
いたって普通の定食屋さんみたいな和食店で、経営も中国人がやっている、ミラノでもおなじみのタイプのお店だったんですが、安いし、おいしい。香港人のお姉さんは、英語もばっちりだし。このくらいのレベルのラーメンが、ミラノでも食べられるようになるといいなぁ。8ユーロ程度でした。
ついでに、帰りに泊まっただけの村。確かフライブルグから近い田舎です。
典型的なドイツの田舎町ですね~。とても美しい家並み。周囲は、ワイン畑で、緑もきれいでした。あと100キロほど南下すると、スイスとの国境バーゼル、という位置ですから、ドイツとしてはかなり南部となり、ワインも作れるということなのでしょう。 ガストホーフに泊まり、そこで夕食をいただきましたが、取れたての季節のきのこ、ピンフェルリが、とってもおいしかったです。
ステーキを覆う大量のきのこ。そして、大量のポンフリ(ポテトフライ)。盛りすぎだろうよ。ポンフリは、ほとんど食べられませんでした。グラスの赤ワインを頼んだのですが、大きなグラスになみなみと注いでくれたのも、驚きでした。基本的に、人びとの摂取量が違うらしい。
あ~、つくづく弾丸でした。でも、イタリアとは違うお食事もできて、週末旅行としては、それなりに面白かったかも。週末だけで、地上移動を1500キロって、初めての経験だし。 ということで、この項おしまい。 そろそろ本格的にロマネスク再開します。
2014/08/20(水) 06:29:08 |
旅歩き
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フランクフルト、弾丸ツアー2 どこに行こうが、そこがヨーロッパである限り、わたしの好きなロマネスクに事欠くことはありません。それを幸いというのか、なんというのか。
だって、一人ならともかく、同行者が、そういう場所に行くことを喜ぶ人たちばかりでもないので、目的が違う場合は、あくまで控えめに、「ついで」で立ち寄れる状況を求め、押し付けがましくないようにしないといけません。 って、なんか、変ですが、まぁ、他の人と動く場合は、自分の好みを押し出さずに、無理のないように目的地に訪れる状況を作るっていうか、そういう戦略も必要っていうか、結構苦しい。
今回は、ミラノからフランクフルト一直線で、週末弾丸ツアーだったのですが、そういう状況でも、本音は何か見たい。ちょっと調べたところ、途中、世界遺産に認定されている一群の遺構発見。 その中で、目的地への動線をなるべく崩さない直線上で見つけたのが、ロルシュLorschでした。
フランクフルトから60キロくらい南にある世界遺産で、ロマネスクというよりはプレ・ロマネスク、カロリング朝の時代の遺構。 同行者たちに諮ったところ了解を得まして、とりあえず、立ち寄ってもらえることに(運転手は自分じゃないので、立場が弱いんです)。
ミラノを出てから、通過するスイスはかなりの雨模様。車窓の山は、霧やもやで覆われて、時々大粒の雨が降ってくる陽気です。
これはどうなんだろう、と心配していましたが、目的地ロルシュに着いたときには、トップの写真にあるように、青空で、暑いくらいの陽気に恵まれました。やっぱり、日ごろの行いかな~(誰のかはわかりませんが)。
ロルシュの修道院は、その周辺にある他の同時代の遺構と合同で、ユネスコの世界遺産に登録されているものです。インターネット等で写真を見たりしたのですが、実は、修道院と言っても実態があるようなないような。一体何が世界遺産?という感じだったんですが、行ってみて分かりました。 要は、起源が古い。カロリング朝の遺構である。 そして古いだけに、当時のものはわずかしか残っていない。
その、わずか残っているものが、この王の門。
これが、しかし、思いっきり派手な修復が施されちゃっていてピカピカ。多分ちょっと前までは、両脇にある円筒の小さな塔状の部分も、石積み状態だったのが、いまや漆喰で真っ白。レンガ色と白の石での装飾的な外壁も、妙にきれいだし、屋根も新品状態だし、一見して、これがカロリングの何か、とはとても思えない眺めで、にわかには認識不可能でした。
インフォメーションでもらった簡単なガイドによれば、「2014年に、大規模な修復が終わったばかり」、とあったので、まさに修復直後の姿だったということです。以前に行かれた方には、驚きの姿ではないでしょうか。
修復にも、お国柄っていうか、好みが出ますよね。やっぱり持っているもののおかげとその結果としての修復技術のせいか、個人的にはイタリアの修復はいい線いってると思うんですけれど。ドイツって、そういえば、家屋の外壁も、汚れを嫌って、数年ごとにペンキでべったりぴかぴかに塗りなおす人たち。いつも新品状態が好きな感じが、修復にも出ているような…。 いや、大体寺なんてものは、元来そのオリジナルは、ピカピカできらきらで毒々しかったりするもんですが、でも数百年とか千年近くとか過ぎた現代で見るときには、そういうものが古びてしなびて落ち着いて、それがいい、っていうことがほとんどと思うのに、あえてオリジナルに忠実にぴかぴかにしちゃうって言うのはどうか、っていう話になりますが…。どうか?
ここの修復は、かつて修道院があった場所全体を、美しく整備した、ということらしいです。確かに、村のはずれ一体が、丘のようになっていて、その一体が世界遺産の修道院跡ということらしいのです。
雰囲気はよくわかります。 王の門と呼ばれる、カロリング朝時代唯一の以降の、地上部分から、村。
そして、180度向きを変えると、修道院教会の建物が、さらに小高い丘の上に建っています。
この教会は、今ではファサードの部分しか残っていませんが、それは既にして、ゴシック以降のスタイルで、その上、まだ大規模修復中でした。 この丘一体が、美しい緑で、自由にアクセスできる公園になっていて、それはそれは美しい緑。これも、今回の修復の結果のようです。
これは、ファサードを後ろ側から見たところ。要は、このあたり、本堂だったり、回廊があったりしたはずの場所。以前は木があったり、土むき出しの部分があったりしたようなんですが、今はすべて美しい芝生。ただ、段差がつけられていて、本堂のあった場所がわかるようになっています。
土が盛り上がって土手のようになっている部分が分かるでしょうか。 後陣部分は丸くなっています。 本当にこの盛り上がっている部分が本堂の外壁だったのだとしたら、とんでもなく大きな教会です。南側には回廊があったのでしょうから、そちらは一段さがった場所に、やはりそれらしい段差が設けられていました。
ちょっと面白かったですけれど、別に、説明版とかあるわけでもないので、ただ市民の憩いの場(特に子供たち)で、ごろごろ転がっている子供なんかがたくさんいました。
緑と、平壁、赤い屋根、青い空、とにかく美しいですね。ドイツのイメージそのまま。この建物群も、修道院の宿舎の場所を基礎に建てられているようなんですけれど、今、どうなっているのか、よくわかりません。 まぁ、変にガイド・ツアーじゃないとアクセスできないというのも嫌ですが、ここまで変に開放的で、説明版ひとつつけないっていうのも、なんかよくわからないシステムです。今は修復直後だし、ファサードはまだ修復中だし、これから、もう少し親切になるのかもしれませんけれどね。
いずれにしても、漆喰塗り塗りは、拒否反応でした。
ちなみに、この村、こじんまりとしてかわいらしく、ツーリスト満載でした。
でも、村の中心にあったインフォメーション・センターは、まったく愛想がなく、英語のパンフレットも、頼まないとくれない有様でした。ちょっとがっかり。中世の世界遺産だというのに、有料無料ドイツ語英語含め、そういう資料が一切ない、というのもがっかりでした。 考えたら、わたしにとっては、記念すべきはじめてのドイツ・ロマネスク(正確にはプレですが)だったんですけどね~、感動薄かったなぁ。
2014/08/19(火) 06:07:38 |
イタリア以外のロマネスク
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エミリア食い倒れ7、最終回
もう一度、最後のランチで食い倒れを完遂する予定でしたが、実は、バルサミコ醸造所のガイド・ツアーが予想外に長引いてしまったために、予約していたレストランをキャンセルする羽目になってしまいました。結局、醸造所の人に聞いて、その近所のレストランでランチをいただきました。 そこは、もう実に本当に、地元のカジュアルすぎるレストランで、そこそこおいしかったのですが、紹介するようなご飯でもなく。
というわけで、食い倒れ旅は、既に終了。最後に立ち寄ったのが、せっかくだから、ということで、近くにあったヴィニョーラの町。 ヴィニョーラといえば、さくらんぼしか知りませんでしたが、こじんまりとした旧市街には、立派なお城があるんです。
ヴィニョーラの要塞Rocca di Vignola。 中世には群雄割拠で、狭い地域にお城がひしめいていた地域。だから、要塞なんですね。戦う城。 今は立派な観光地として整備され、内部は博物館的な展示などもあり、なかなか面白かったです。
戦う城だけに、入り口のつくりは複雑。実は西洋の城のことはほとんどわかってないんですけれど、日本の城を考えれば、まずは入り口付近で敵をたたく工夫があると思うので、この複雑さも分かるし、複雑であればあるほどわくわくするものがありますね。
写真では分かりにくいと思いますが、かなり急で狭い階段です。 居住目的をメインに作られた城だと、もっとゆったりとした、馬でかなりのところまで登れる階段なんかもあるように思いますが、城塞ですから、とにかく守り重視って言うか、見通しの聞かない通路や階段にあふれています。
でも、居住スペースには、このようにほのぼのとした感じの緑の壁画が。
お城には、意外と緑系の絵がありますね。考えたら、お城内には緑がないし、外をゆったりと見られる環境にもない。でも、やはり目は緑を求めるということなのかな。 そういうのって、ちょっとした発見ですね。いや、そういうことかどうかは分からないけれど、要塞であると思うと、なんかそんな気が。緑=癒し、みたいな。
だって、中にこもっていたら、せいぜい中庭に面した、こんな風景しか見えないんですよ、いくら空はあるって言っても。
ちょっとそれますが、わたしは、家を買うときに、とにかく見晴らしのない家だけは嫌だったんですよねぇ。ミラノはそれなりに都会ですから、アパートが立て込んでいるという物件がほとんどで、せっかく広いベランダがあっても、そこから見えるのは前に立っているほかのアパートのベランダだけ、というようなケースばかり。 長く賃貸で住んでいた家は、ベランダの前が、昔ながらの平屋だけの、広い工場だったので、前をさえぎるものがなかったし、自分で買う以上、目の前に他の建物、ということだけは避けたかったんですが、不動産屋さんには、ここはミラノですよ、無理ですよ、と散々言われました。 でもめげることなく探して、最後には、目の前に緑の公園の広がる、つまり、見晴らしのある今のお家をゲットしたのです。エレベーターとか、倉庫とか、本当はほしかった多くのものをあきらめたけれど、見晴らしだけは譲れなかった。
ま、そんなわけで、緑がない、仕方ないから壁を緑で覆う、という発想が、なんかわかるっていうか。
本来物見の場所、トップは屋根付きの回廊になっていて、そこからの眺めはなかなかです。
今は穏やかですけどねぇ。ワイン用の葡萄棚とか、果樹園とか、いかにものどか。 でも、これだけ平地だと、戦時には、立てこもるしかないわけですよねぇ。この物見の回廊にしたって、うかうか出てきたら、いきなり弓矢が飛んできて、みたいな場所ですからねぇ。
回廊の四隅は、まさに物見塔のようになっていて、そこから、このような城の外につながるような構造も見えました。今は、つながっていないしよくわからないんですけれど。 この緑の部分は、かつてはお濠だったものでしょう。こうやってみると、お濠の重要性っていうのがわかるような気がします。
これが四隅の部分です。
中世のお城は、面白いですね。 エミリアには、お城街道みたいな感じでお城がたくさんありますが、これまで、教会ばかりでお城は特に見学することもなくスルーしてきましたが、今後は、機会があれば、きちんと見学しよう、と思いました。 歴史に思いを馳せるには、教会以上に効果的です。
ということで、寄り道、エミリア食道楽メインの旅、終了です。そろそろ本堂のロマネスクに戻らないと、ロマネスク・ファンに怒られそうです。
2014/08/18(月) 06:04:50 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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エミリア食い倒れ6
もう一度、食い倒れ方向に戻りまして、今回初めて経験したバルサミコ醸造所見学です。
友人と出かけるとき、行き先と観光の企画を立てるのは、大抵わたしの役目となっています。というのは、中世やロマネスクをキーワードにすれば、いつでも行きたい場所があるものですから、そこから一般の人向け観光も考える、という方法をとると、結構それらしい企画ができやすいんです。 と言っても、緻密な計画をするわけではなく、今回も、せっかくエミリアなんだから、と思い、地域のワイン醸造所、チーズおよびバルサミコ・メーカーの名前と住所一覧だけ、印刷して持参した次第。
で、ランチまで半端な時間があるために、まさにこの地域ならでは、のバルサミコ醸造所を訪ねることにしたのです。そう決めた場所が、さくらんぼで有名なヴィニョーラという町の近くでした。印刷していたリストで探すと、比較的近くに醸造所は二つ。 たどり着いたのがこちら。
Ca' dal Nonという、由緒正しそうな醸造所。土曜日の午前中でしたが、門扉は固く閉ざされています。醸造所が、ワインと同じで、こういう不意の訪問者を受け入れてくれるかどうかも分からないものの、こういうとき観光気分のグループ(たった3名とは言え)だと、強気になれます。とりあえず呼び鈴を鳴らしてみたら、ちゃんと応答があり、受け入れてくれました。
すっかりくつろいでいた様子の当主が出てきて、まずはレクチャー。 わたしは、ワイン酢が苦手で、酢を使う際は、和食系なら米酢かりんご酢、イタリア系ならバルサミコかりんご酢を使っていますから、バルサミコはデイリーユーザー。でも、もちろん、スーパーで一瓶300円程度の安物ユーザーで、それが、いわゆる本物のバルサミコとは似て非なるもの、ということは知っております。
こうして改めて作り方の説明を聞くと、まぁなんて気の長い作業なんでしょう、と感心してしまいました。そういう伝統的なやり方で作るメーカーさんは、今ではとても限られていること、品質検査がとても厳しいこと、本物のバルサミコは、ジウジャーロ・デザインのこの瓶に入っているものだけ、などなど、はぁ、なんだか大変だ。
しかし説明は非常に面白く、友人共々、質問攻め。後当主の説明も、熱を帯びてきました。工場の方も見てく?というので、是非に、とガイド・ツアーが始まりました。
今は作っている時期ではないのですが、建物の中はバルサミコの香りでいっぱい。 いよいよ、貯蔵庫へ。靴にビニール・カバーをかぶせます。雑菌防止なんでしょうね。それほど厳しくなかったけれど。でも、ワインでは、こんなことしたことないですね。
結構せまぜましいスペースに、様々な大きさ、形状の樽が、ぎっしり並んでいて、壮観です。
生ハムがそうであるように、きっと自然の気候が適しているんですね。建物は、空調していません。ただ風通しがいいようにはなっていたようです。そして、明かりは基本つけず、つけても、薄暗い感じ。
狭い螺旋階段で、3階ほどあり、上に行くほど熟成が進んだ小樽が増えていきます。
どの樽の上にも白いハンカチがかかっていますが、そこには穴が開いているからなんです。ハンカチの上に蓋(文鎮みたいなの)が置いてあります。その穴から、目視で様子を確認するようです。ちょっと見せてもらったけれど、あ、入っている、というくらいしか分かりません、素人には。香りはすごいですけどね。
奥の方に数個だけ並んでいた、このおにぎりのような樽。これは、今ではもう作れる人がいなくなってしまったフォルムなんだそうです。もう何十年とたつけれど、まだ使えると。ただ、遅かれ早かれだめにはなるし、修理はできないだろうと。 そもそも、樽も、イタリアではほぼないそうです。ワインの小樽も、ほとんどはフランス製だし、バルサミコの世界でも、いまやほとんどフランス製とか。イタリア、だめじゃん。多くの世界で必要とされている樽を、自分とこで作らんでどうする?と思いますが、世の中、そういう風になっちゃってるんですねぇ。職人の技がどんどん細っていくのは、もうどうしようもない流れなんですね。だからと言って、今から樽作り修行は無理だし、残念なことです。
まぁそんなわけで、熱の入ったツアーが約1時間ほどもかかってしまい、最後は当然直販…。高いのは分かっていましたが、最も安いバルサミコで45ユーロ。 「わたし無理。っていうか、味見もしたしおいしいけれど、私の場合、バルサミコはサラダにジャブジャブとかけるのが好きな方で、こういうこってりした年代ものを一滴、という使い方はしないんで、買っても絶対使わない…。でも1時間もツアーしてくれたのは、この販売の儲けを期待しているからだし…。」 一瞬悶々と考えましたが、なんと同行者二人がそろって購入してくれたので、わたしは、バルサミコ派生のSabaという甘味料と、そのサバで作られたイチジクのジャムを購入して、お茶を濁しました。
ヴィニョーラなんて、バルサミコ的には辺境じゃないの、とちょっと思って(見下して?)いましたが、このメーカーさんのこのサバ、ミラノの高級食料品店で発見。先日のアメリゴの瓶詰めも発見したし、このメーカーさんも、結構流通しているらしく、びっくりでした。今回、予想外に、”イケテル”企画続きだったかも(ここも行き当たりばったりだったけど…)。
2014/08/17(日) 00:34:08 |
イタリアめし
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エミリア食い倒れ5 ミラノへと戻る道すがら、バッツアーノBazzanoという村に立ち寄りました。一応、わたしの専門のロマネスク教会があるということだったので。
小さな村に、今は博物館になっているお城と、その向かいに、目的の教会がありました。
教区教会サント・ステファノChiesa Parrochiale di Santo Stefano。 でも、教会にはかつての面影はほとんど見られない上に、修復中で、思いっきりクローズ。わずかに目を留めたのは、ファサードの地味な装飾。
ほとんど修復で、中世の面影が見られるのは、オリジナルの構造を生かしたアーチ部分くらい。そのアーチの根元に、小さな柱頭があります。
柱頭、なんか再建ぽいですし、特に興味を引かれるものではなかったので、小さく。どっちかと言うと、アーチの下に置かれた小さな円形装飾が、好みでした。ポンポーザに見られるような、レンガの遊び。考えたら、地域としては同州だし、あのあたりから持ち込まれた様式だとしても不思議なありません。
教会からはなれたところに建っている時計塔。中世時代は、塔だったようです。
これも、修復激しく、あまり風情を感じられません。中世初期の部分は、下部だけで、上部は13世紀以降の感じですね。町の門と並んでいるので、かつては、城壁の一部にある党だったのでしょう。門の上も、ツバメの尾の形になっていますから、やはり13世紀以降と思われ、同時期に、手が入ったということなのでしょう。または、近現代の再建。
なんとなく物足りないので、お城の博物館に入ってみることにしました。誰か見学者が来るんだろうか、というような地味な博物館ですが、ちゃんと録音ガイドがあるのにはびっくりしました。
中世のお城というのは、再建や改築があっても、基本構造は残していますから、どういうものでも、いきなり往時の空間に彷徨いこむ感じがあるので、結構好き。ここも激しく修復されているのですが、雰囲気ありました。ベンティヴォリオ城塞Rocca dei Bentivoglio。考古学博物館になっているので、考古学的な展示が主でしたが、フレスコの残った部屋などもあり、お城そのものの見学もできるのでした。
当時、紋章をやたらに並べるのがはやっていたらしくて、壁中にベンティヴォリオの紋章がリピートされていたり。録音ガイドの説明はとても丁寧で、聞いているときは面白くふんふん、と結構夢中になってしまったのですが、メモも取ってないし、すでにほぼ忘却の彼方です。情けない…。
考古学的なものでは、こんな素敵な浮き彫りのある古いお墓とかがありました。
エトルリアっぽかったです。そういえば、ボローニャ周辺にも、エトルリア人は居住していたんですね。考えたら、ずいぶんと広範囲にわたっていたんです、彼らの居住地は。ローマがことごとく破壊しちゃったから、びっくりするくらい残ってないので、どうしても点でしかなくて、全体のイメージが捉えにくいんですよねぇ。ローマ人、憎いなぁ。
というわけで、どんなところに出かけても、ついつい中世に走るわたし。同行者はみな、わかっていますから、何もいわずに付き合ってくれますが…。 それにしても、歴史の一部なんだから当たり前ではありますが、どこに行ってもみるべきものが必ずある、というのは、ありがたいことです。 こんなマイナーな教会ですら、見るまでは本当のところが分からないケースも多いので、こういう風に「ついで」状態で、とりあえず訪問できるのは、結構貴重なんですよね。
2014/08/16(土) 06:28:15 |
エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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エミリア食い倒れ4 この旅の目的は、食い倒れ。というわけで、宿泊は、ロカンダ(レストランつきの旅籠)というカテゴリーを中心に探しまして、見つけたのが、ダメリゴD'Amerigoです。
泊まるのを決めた後で、ボローニャ在住の友人に、あそこのレストランはおいしいって評判だよ、という話も聞いたので、かなり期待していました。
ロカンダのある村に到着したものの、場所がよくわかりません。村の中心道路をゆっくり走ったところ、レストランは、すぐに分かりました。
ちょっと先に車を停めて、戻ってきたところ、宿がある様子がありません。困ってレストランの中を覗き込むと、人がいますので、ノックをしたところ、出てきたのは、コックさんの格好をした東洋人。 まさか、こういう場所で日本人に会うとは予想外だったので、一瞬戸惑ったものの、すぐに日本人であることが分かったので、日本語で会話しました。 でもこれが。日本語なのに、埒が明かない。 宿の場所を尋ねているだけなのに、その説明がまったく要領を得ない。 心底びっくりしました。 われわれ三名、各自20年以上イタリア在住という面子ではありますが、それでも、聞かれたことに対して、日本語が変だよね、といわれるような対応をする人はいない。でも、このとき対応してくれた、おそらく当地で修行中の日本人シェフは、日本語も変だし、コミュニケーション能力にも若干問題あり、本当にびっくりしました。
それでも何とか、このレストランの場所にはロカンダはなく、もう一度町の入り口に戻って云々、ということは分かったのですが、そのあと、ロカンダを探すのにはやっぱりてこずり、村のオヤジたちに尋ねて分かった次第。オヤジたちの方言なまりのイタリア語の方が、コミュニケーション能力のない同胞人よりも、圧倒的に分かりやすかった事実は、少々悲しい現実でした。
で、たどり着いたロカンダ。
外壁にはつたがからまっちゃたりしてるし、一見すごくいい感じだったんですけどねぇ。猫ちゃんがあくびをしてたりね。でも、部屋に入って、がっかりしました。
なんというのか、調度は全体にアンティーク風だったり、デザイン家具風だったり、凝っているのは分かるんです。部屋の内装全体が、ちょっとそういう感じを目指しているんだろうなっていうのも、よくわかるんです。でも、成功してない…。どうしても貧乏たらしい古い部分が消えてなくて、がんばっている分、そういう落差が哀しいって言うのか。 シャワーだけは、とってもよかったんですけどね。 でも、ロカンダって、レストランで食事するのが前提だから、宿泊料金は結構勉強しているのが普通だと思うんですが、ここは、普通のホテル並みのお値段だったんですよね。それでこれかよ、という納得できない感、というのもあったと思います。だって、レストランは、当地では決して安くないんですから。そして、このロカンダで泊まる人は、ほぼ確実にレストランでお食事を取る人たちなんですから。 その上、ロカンダのサイトの写真は、一番いい部屋の写真だけが掲載されていて、当然そういうお部屋だと思うわけで。 実は、夏休みの旅でも、ここを使おうと考えていて、そのお試し気分もあったのですが、夏でも冷房がないということも含めて、まったく納得できなかったので、この旅の直後に、夏の予約は取り消しました。
ま、目的はお食事だし、と気を取り直して、レストランへ出かけました。
一部、ちょっと変でしたけど、おおむね、普通の内装。そして、サービスは、なかなかによかったです。そして、お食事は、うわさにたがわず、おいしかったです。
パルメザン・チーズとかが入ったクリームのお皿。友人が頼んだアスパラのラザニア。前菜は、少々手をかけすぎな感じがありました。お値段も、前菜やパスタは、ちょっと割高感あり。
一方で、メインは、逆に割安感。
バルサミコ煮込みとか、カルチョーフィ(アーティチョーク三種)とか。これはおいしい上に、お得感もありました。わたしは、バルサミコ煮込みのウサギを頼んだんですが、おいしくて~。正直ランチを消化しきれず、かなり厳しい食事だったのですが、辛いと思いながらも食べてしまうおいしさでした。 ワインも、お食事がこのお値段レベル、と思えば、リーズナブルなお値段設定が並んでいて、これはイタリアならでは(フランスでは、こうは行きません)。
このダメリゴD'Amerigoというお店、自分ブランドで、瓶詰め多種作っていて、レストラン脇で販売しています。先日、ミラノのちょっとお洒落な食料品店で、何か見たことのあるような瓶があるな、と思ったら、アメリゴの製品で、びっくりしました。結構幅広く売っているらしいですね。 だから、日本からもシェフ見習いが、来ちゃったりするのか。 そうそう、最初に出会った日本人シェフは、既に数ヶ月いるという話を、後でお店の人に聞きました。うーん、数ヶ月いてあれ?打たれ弱そうだし、今後どうなんだろう?と、ひとしきり話題になりました。
というわけで、ダメリゴに行かれる方は、同ロカンダには泊まらない方法で行くことをお勧めします(ちなみに同じ村に、他にもホテルがあります)(なぜそんな村に何件もホテルがあるかと言うと、実はこの村、トリュフで有名らしいです。ダメリゴも、トリュフ料理で定評のあるレストランらしいです)。
2014/08/14(木) 06:56:20 |
イタリアめし
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