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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

だめなときは、本当にだめ…

アストゥリアス・ロマネスク14

本日の予定は、オヴィエドから北東方面、Villaviciosa周辺です。
スペインの朝は遅いので、目的の教会に、程よい時間に到着する必要があり、旅程を立てるのが本当に難しい。必要以上に早起きする必要がないので、必然的に朝はのんびりできるのですが、どうしても午後、押せ押せになります。




左側にあるオヴィエドから、写真のちょうど中心にあるポーラ・デ・シエロPola de Siero辺りを経由して、先にあるヴィラヴィシオーザに向かう予定でしたが、時間の調整もあるので、オヴィエドとPola de Sieroの間にある小さな村に立ち寄りながら、先へ進むこととしました。
まず目指したのは、地図上では、オヴィエドから程近い場所にあるコリョートColloto。幹線沿いの町だし、なんとなく分かるのではないか、と思っていましたが、甘かった~!気が付いたら町に入っているのですが、中心部への行き方も、旧市街があるのかどうかも分からない有様。
そのまま進んでいくと、あっという間に町を出てしまいます。何度も戻り、わき道に入るも、ただ住宅が並んでいるだけの通りが続き、勘も働きません。
仕方なく、路肩に駐車して、バールの人に尋ねてみることにしました。
古い中世の教会があるはずなんだけど、と言っても、バールの人も首をひねるばかり。パパなら分かるかも!と年配の男性まで連れてきてくれたのですが、状況は変わらず。ここは、新しい人工的な町だし、そんな古いものはないよ、あるとしたら、この先をどうしてこうして、と。
とりあえず、言われた道を進んでみました。

実は、目的の教会、サンテウラリアIglesia de S.Eulaliaは、住所も確認していたのですが、ナビが「到着」とする場所は、まったく何もない場所なんです。

教えられた方面で、なんとなくナビにも導かれた辺りに降りてみると、芝生のひろばる美しい公園になっていました。そして、あちこちで目にしていたこの辺り特有の、古い高床式の倉庫が、芝生の真ん中に建っています。




どっかから移築したのでしょうか。遺跡公園みたいな趣で、なかなか素敵な眺めでした。でも、教会がありそうな場所は見当たらず。困って、申し訳ないと思ったのですが、ジョギングしていた女性を呼び止めて、改めて教会について尋ねてみました。
しばらく考えて、あ、あそこのことかしら、とすぐ近くの教会を教えてくれました。
やっぱり、あるじゃん~、とルンルンしながら、示された場所に行ってみたら…。




え?こ、これ…。
いや、びっくりでした。ビルの地上階が教会になっています。もしかして、中に何かあるのかしら、と本堂ものぞきましたが、もちろんまったく新しい建物。はぁぁ。掲げてある名前も違うし、まったく違うものでした。コリョートであることは間違いなかったんですけれど。
町のずいぶん手前、幹線沿いに、見た目はバロック以降っぽい、それでも、このビルの教会よりはよほど歴史のありそうな教会がひとつあったので、まさかあれじゃないだろうと無視してしまったのですが、このビルを見た後では、あれの可能性が高いな、と思いました。でも、気持ち的に疲れてしまった上に、時間を使ってしまったし、また引き返すエネルギーなし。先に進むことにしました。

しかし、だめなときは何をやっても、どこへ行ってもだめなんですよね、この世界。
このあと、やはり道沿いにあるはずの、アルゲレスArguellesのサン・マルティン教会Iglesia de S.Martin、そしてアラミルAramilのサンテステバン・デ・ロス・カバリェロスIgtlesia de S.Esteban de los Caballerosを探しながら走ったのですが、いずれも片鱗もかすることができず、すごすごとあきらめました。
アラミルの方は、幸い、帰り道に無理やりたどり着けましたが…。

とにかく、最初のちゃんとした目的地であるヴァルデディオスValdediosに11時に到着する必要があったので、あまりゆっくりと探している時間もなく、仕方なかったのですが、立て続けに3つも、それも朝っぱらからふられると、気持ちが萎えます。

それにしても、この日はこのあとも道に迷うこと多数。この辺りは、とにかく同じ名前の町村が、小さい地域に何個もあるせいで、ナビが役立たず、全体に苦労する土地と思います。
上記、わたしがまったく見つけられなかった教会に、行かれた方がいたら、是非どういう場所にあるものか、教えていただきたいものです。

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  1. 2014/09/30(火) 04:50:33|
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「世界の車窓から」ファン向け?

アストゥリアス・ロマネスク13

サンタ・クリスティーナを堪能したあと、オヴィエドへの途中にある村、ウフォUjo(読み方はこれでいいのでしょうか)に立ち寄ることにしました。地図上では、まさに途上なのですが、毎度のことながらナビの指示が変で、いったん入ったはずの町から外れていくばかり、という感じだったので、鉄道駅のある場所に停車して、道を尋ねることとしました。

古い教会なら、駅の反対側にあるあれじゃないかな、と指差してくれましたが、車での行き方を説明するのは面倒だったのか、徒歩で線路を超えた方が絶対に早い、というので、車は停車したまま、徒歩で駅の鉄橋を超えることとしました。




おお、多分駅関連だろう白い建物の向こう側が、目的の教会、サンテウラリアIglesia de S.Eulalia。まさに線路隣接。「世界の車窓から」にばっちり。車窓からだと、残念ながらファサードは見えませんが、後陣はちらりと見えそうです。

最近は減ったものの、鉄道で移動していると、突然ロマネスクらしい教会が見えたりして、ドキッとすることがあるんです。大体は、名もないマイナーな田舎の小さい教会ですが、でも車窓に見える場合のたたずまいというのが、もういかにもこじんまりとした聖堂って雰囲気で、ドキッとするとともに、今すぐ列車を飛び降りたい!という衝動に駆られるんですよね。
ここも、ちょっとそういう衝動を起こさせそうな。

駅前広場は、「教会広場」となっていて、その一角に堂々と。




全体に修復臭が相当濃いですが、たたずまいはロマネスク様式そのもの。
不思議だったのは、教会前に置かれていた歴史的建造物としての教会の説明版。
まず、教会の名前が、サンタ・オラヤSanta Olayaとなっていたこと。そして、スペイン語の下に、似て非なるラテン語系の言語での説明があったこと。雰囲気としてはバスク語っぽいけれど、もしかしてガリシア語とか、この辺の言葉?

それはともかく、やはり20世紀初頭に大きく再建修復された結果で、オリジナルは一部しか残っていないというようなこと、また、ここがサンチャゴへの巡礼路のひとつの通過点であることなどが書かれていたと思います。

再建ながら、往時の雰囲気をよくなぞったファサードのポルタイユ。




左側の柱頭は、オリジナルっぽい摩滅ぶりで、雰囲気ありました。




相当傷んでいますけれど、なんでしょう。なんか、ふんどし巻いた力士がどすこい状態、に見えちゃうけど。相変わらず教養のかけらもない解釈で恐縮です。

内部は、何もないけれど、それなりに雰囲気を持っていました。




結構よかったのが後陣。




新しいんだけど、やっぱりオリジナル忠実な再建なんで、付け柱とか、中間部にあるチェッカーモチーフが好き。軒送りも、結構凝っています。





ところどころに古そうなものがはめ込まれていて、ちょっといい感じが出ています。とは言え、全体は、ま、すっごく苦労して来なくてもいいか、というところ。
この頃から、雨が降ってきて、いきなりざぁざぁ状態だったので、さっさと退却です。

帰りは難なく国道に戻れたのですが、オヴィエドに向かう道は、まさにバケツをひっくり返した状態の雨となり、雨脚の激しさにワイパーも間に合わず、他の車の跳ねもすごくて、本当に怖かったです。こっちはせいぜい50キロくらいで走るのがやっとなのに、他は地元の人ばかりらしく、かなりの勢いで飛ばしていきます。イタリアかよ!
相当緊張して、ハンドルを握り締めつつも、冷や汗が出て困りました。
でも、ホテルに到着するころには、すっかりあがって。

やっぱりかなり晴れ女。見学中は大丈夫で、移動のときだけ降るって、結構すごい。今回の旅、全体にお天気は悪いのに、そういうことが多かったです。

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  1. 2014/09/28(日) 02:28:54|
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安藤忠雄さんって…。

ベネチア、建築ビエンナーレ2014、その6

だらだらとビエンナーレ見学続けます。ちなみに、わたしの訪問からは、既に1ヶ月ほどたってしまいましたが、ビエンナーレは、まだまだ絶賛開催中ですよ。

さて、アルセナーレをゆっくりと見て、いよいよジャルディーニ会場です。




第一印象、空いてる~。
会場入ってすぐ、先に日本館のあるこの通りがこんなにがらがらなんて、びっくりでした。正直、ちょっと寂しい。
そういえば、展示場所のあちこちに置かれるマスコットも、今回はないな~。あれって、もうないものだったですかね。過去には、亀とか、壊れた自転車とか、なんか変なフィギュアが置かれているもんでしたけど。で、結構好きだったんですけど。
その代わり、ということもないのでしょうが、目に付いたのが、これ。




スポンサー、ロレックスの置時計。
かなりたくさん置かれていたんですが、結構盗難されそうな物件…。被害はなかったのでしょうか。それとも、ロレックスと言っても、置時計では、魅力がないのでしょうかね。

最初の方に触れましたが、今回、ビエンナーレ全体についての基本テーマに加えて、各国パヴィリオンに対して、「近代化の吸収absorbing modernity 1914-2014」というお題が与えられました。1914年、世界大戦勃発の年から現在までの100年を近代と捉えて、その間の各国の建築の歩みを捉えるといったようなコンセプト。多分…。

最近、美術でも建築でも、斬新で面白いロシア館。





ふーん…。事前に誰かの記事で読んだときは、また面白そうなことを、と思ったのですが、なんだか期待はずれでした。館内を見本市会場に模して、架空の企業のブースが林立、あちこちで商談が展開されるといった感じなんですが、なんか。なんか。

途中はすっ飛ばして、日本館へ直行。
いつも使っていない地上階で、ビデオが流されていました。





おなじみ、安藤忠雄さんが、しゃべっていました、確か日本語。今の日本人建築家の中で、海外では最も有名な人かも知れないですね。大学にいってないとか、荒唐無稽な人生には感心するし、あちこちで実際に多くの建築を実現している事実は、すごい人だと思いますが、個人的にはあまり…。
なぜ、「あまり…」と感じるのかは考えたことなかったのですが、会場の展示に彼の作品の写真があり、こういうところが、わたしにそう感じさせるのか、と思いました。




住吉の長屋。
これで一躍、コンクリート打ちっぱなし=安藤忠雄となった作品では。さらに、トイレに行くのに、屋根のない中庭を通る必要があり、雨の日は傘が必要とか、住人に住みにくさを与えてしまうような、とんでもない発想が盛り込まれた家ということも、有名だったと思います。
そういうことは知っていたわけですが、上の写真を見て、びっくりしたんですよねぇ。すっごく古い地域、それも隣家と軒を接して建てられた家だったんです。
奥も手前も、レトロな和風建築だけど、町並み一切無視で、灰色の打ちっぱなし、ドカン!
なんか、わがままー。

そういえば、東京の実家の近くにも、安藤設計の劇場があるんですが、同じ。周囲の環境無視、あくまで打ちっぱなし。ここが、多分、わたしの中での「なんかなー」です。納得。

安藤さんはともかくとして、日本館全体は、雑然とした事務所風の展示で、そのディテールが面白かったのです。




昔の地図や、青焼き(って言いましたよね~、コピーが普及する前、昔大学とかで使っていたもの。若い人、知らないか?)の器械とか青焼きでとった設計図。建築家の人の、旅ノートとか、トレンディな雑誌とかが、所狭しと、そして雑然と並べられています。





こういう展示について、自分がはまるつぼ、というのが正確にはわからないのですが、この展示は好きだった~!

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  1. 2014/09/27(土) 20:07:02|
  2. アートの旅
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CJさんのこと。

夏休みが終わった頃、彼女のブログが消えていることに気付きました。

彼女は、もうずっと長い間、子宮頸がんの再発に苦しんで、それでも前向きにいろいろな治療をしたり、美しいお庭の花々をケアしたり、辛い中でも日々の生活の喜びを追求されている様子が伺え、感嘆していました。
以前ヨーロッパに滞在されたことがあるとのことで、そんなことから、わたしのブログも熱心に訪問してくださり、よくコメントも下さって。わたしの方からも、病気のことも気になるし、同時に彼女の前向きな生活を見たくて、それでお互いに、結構頻繁にコメントをやり取りするようになったのです。
特にスイスを愛されていて、病気が辛そうなときなどに、いつかスイスで待ち合わせて、わたしの暮らすミラノを一緒にお散歩しましょう、と将来を期待するやり取りなどもしていたんです。

そしてこの春頃、彼女が記事で、友人からお手紙がきたことが嬉しかったというようなことを書かれていてので、是非文通をしましょうという申し出をしたばかりでした。

以前にも書いたかも知れませんが、わたしはお手紙が大好きです。
デジタル環境も活用していますが、友人とのやり取りは、本当はお手紙が一番好き。今は、
イタリアの郵便が高いので、以前ほど頻繁に書けないでいるのですけれど。

彼女には、快く承諾してもらい、住所のやり取りもして、まずはわたしから書いたところ、大変喜んでいただいたのです。自作の便箋も気に入っていただき、お手紙好きとは聞いていたけれど、ここまでとは、とお褒めの言葉、そして、本当は自分も返事を書きたいけれど、今ちょっと大変なので落ち着いたら絶対に書きます、待っていてください、というようなことを、メールでいただきました。

夏休み前に、また書きましたが、その後、冒頭にあったように、彼女のブログが消えていることに気付き、この1ヶ月弱、気にしていたのです。そして今日、ご家族の方からお手紙をいただき、彼女が、7月に逝ってしまったことを知りました。おそらく、わたしからの二通目のお手紙は、間に合わなかった。

そうかもしれない、でもそうでないかもしれない。びっくりするような奇跡みたいなことが起こって、忘れた頃に返事が来るかもしれない、って、すがるような気持ちでいたのですが、奇跡は起こらなかった…。

わずかなわずかな縁だったけれど、確かに何か通じるものがあったから、すり抜けてしまった縁が、本当に残念です。もっと早く、文通を申し出ていればよかった。だからどうってことでもないにしても、彼女のことを、もっといろいろ知りたかったです。

CJさんが飲みたがっていたグラッパをちびちびいただきながら、ご冥福をお祈りします。



  1. 2014/09/24(水) 05:50:54|
  2. ミラノ徒然
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蓮の花って、美しい~!

ベネチア、建築ビエンナーレ2014、その5

アルセナーレ、入り口への戻りの道で、まだ立ち寄る場所がありました。




この辺も、前回ビエンナーレくらいから整備された場所で、昔は、近寄ることもできないような廃屋だったはず。
そういう場所に、メキシコとかペルー等、これまでマイナーだった国のパヴィリオンができていました。





それぞれの展示では、特に興味を引かれるものがなかったのですが、その隙間にあった、こういうものに、ちょっとぐっと来ました。




撮影が悪いんですけどね、全体を捉えられてない。
鉄道好きの人にはわかると思うんですけれど、おそらく、このアルセナーレがアルセナーレ、つまり造船所として機能していた時代の名残、鉄道なのか、トロッコなのか、とにかく、線路、そして、それがクロスして、方向転換する場所の名残が、今、一休みするためのベンチに変身。
線路の一部は、今も機能するようで、ベンチの位置は、移動できるみたいです。

様々なポイントを楽しみながら、アルセナーレを後にして、各国パヴィリオンの並ぶ、ジャルディーニに向かう道へ。

ベネチアではおなじみの、猫ちゃんに出会ったり。




いつも通り過ぎて、そのたびに、ベネチアもなかなかイタリアだよなぁ、と思わせられる、洗濯物満載の小路を通ったり(ちなみに、左下に伸びているのが、上の猫ちゃん)。




この道は、いまやビエンナーレ詣での人にはおなじみ。多くの人が、イメージとしてはまるでナポリのような洗濯物満載風景に感心して、撮影しておりました。
わたくしは、既にこの道そのものは既知ですが、これには初めて気付きました。




小路の入り口というか、出口に当たる部分、このような鉄扉が、壁に沿って置かれておりました。鍵もあるし、うーん、どういう風に役立っているのか、正直分からず。

そして、ジャルディーニ会場に入る前に、本物の公園になって、その池に、このように美しい花が。





蓮って、夏の花だったんですね。
ビエンナーレに来るのは、いつも10月以降なので、いつもこの同じ場所を歩いているのに、ここで出会う池で、蓮の花に出会ったことはなかったんです。そもそも日々の生活で、蓮の花に出会うことなんてないので、これはすっごく感動しました。きれいですよ~、蓮。

そのあと、いよいよ、ジャルディーニです。




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  1. 2014/09/23(火) 05:23:31|
  2. アートの旅
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男は黙って!だろう~?やっぱり。

アストゥリアス・ロマネスク12

サンタ・クリスティーナ・デ・レーナIglesia de Santa Cristina de lena、続きです。
事前に立ち寄った手前の町のインフォメーションで、開いていないときは、近所の家が鍵を持っているから、と言われたのですが、近所に家などありません。近所とすれば、おそらく駐車した辺りの場所に並んでいる数軒の家のどれかということ。




開いていなかったら、この登りを繰り返すってこと?それも嫌だな~、とどきどきしながら、ファサードの方に回りました。




開いてる!しかし、大型犬が寝そべっている~!

わたし、犬は基本的に苦手。乗馬をやっているときに、クラブには複数の犬がいて、どの子もすごく人懐こくて、だから、その一時期だけ、ずいぶん苦手意識が改善したのですが、その後チュニジアの田舎で野犬に襲われて、再び、というより、前以上に苦手になってしまいました。
犬好きの人は、犬が苦手な人もいる、ということを理解しようとしないタイプが多いので、こういうとき、とっても困ってしまいます。
この子が、とてもおとなしくて、怖い犬ではないことは分かるのですが、それはそれ、なんですよねぇ。正直すごく迷惑でした。

こわごわと、脇をすり抜けるように、中に入りました。
そして、息を呑みました。




いつもより、ちょっと大きめのサイズで貼り付けますが、これが内陣部分となります。
薄暗い中、グレーの石積みなので、全体が暗いのですが、それにしても、時間が遡るっていうのか、なんともいえない空気に包まれた感じでした。
入るなり、いきなりトリップできるスペースって、そんなに経験ないです。あるとすれば、クリプタ。本堂で、こういう、なんというのか、包まれるような場所に出会うことはめったにないです。

すぐに目に付いたのが、縄目模様の柱と、その柱頭です。




これ、まんま、ナランコのサンタ・マリアですよ。ガイドまたは鍵の管理人またはチケット販売のオバサンに尋ねたところ、まさにそうで、同時代に同じ職人さんが作ったのだろうということでした。オバサンはスペイン語だけだったので、細かい話が聞けないのが、残念でした。どうやら、この土地は、古くから神聖な土地であったことから、王がこの地にこの教会を建てることを決め、職人さんたちも送られたような話でした。詳しくは、購入してきた本を紐解かないといけません。

またこの祭壇が、素敵…。




一見したら、ロンゴバルド、と思ってしまうの確実。よく見れば、意匠的にも、なんとなう技術的にも若干違うように思えるのですが、傾向は似ています。やはり同時代の共通性が、何かあるのですね。ゴート起源だし。




内陣部分は、階段5段分、上に上げられています。かつてはクリプタがあったようですが、今は埋められちゃっています。残念。上ものがこれだけ素敵なんだから、クリプタも素晴らしいものだったでしょうねぇ。




天井のトンネル・ヴォルトは、あとの時代のもののようです。壁のアーチ、結構高い位置にあります。すべての石の質感が、とにかくうっとり。

内陣と反対側、つまりファサードの裏側は、こうなっています。




右側の階段で、上まで上れます。何もないですけれど、どこでもアクセスできるのは、妙に嬉しい。この構造は、王族礼拝用のマトロネオと理解しましたが、本当のところは不明。

ところで、わたしの先客が、上写真の右の方にいる、比較的若いカップルでした。左側は、教会側の人。
もしかしたら、彼らが鍵を取りに言ってくれたのかもしれないので、感謝はするのですが、しかし!
カップルの男性の方が、もうびっくりするくらいおしゃべりで、とっても閉口しました。ガイドまたは鍵の管理人またはチケット販売のおばちゃんと、ひっきりなしに会話。教会の話も、世間話も、とにかく止まることなく。同行の女性は、たまに相槌を打つくらい…。

なんせ、この教会、外観からも分かるように、とても小さい。一人が大声で話していたら、反響もするし、非常にうるさいんです。それに、こういう場所、静謐の中で佇みたいですよ。正直な気持ち。でも、教会の人もいるので、気の弱い私は、出てけ、とも静かにしろ、とも言えず、かなりストレスフルな見学だったんです。最後の方は、ちょっと頭痛を感じるほどでした。

おばちゃんに、聞きたいこともたくさんあったけど、おばちゃんも、わたしとしゃべるよりスペイン人としゃべる方が楽だろうし、質問に答えると、すぐに兄ちゃんとの会話に戻ってしまうんです。あきらめて、教会を出て、自然の静けさにほっとしました。




名残惜しいし、せめてほんのわずかでも、一人で佇んでみたくて、しばらく周囲をうろうろしたのですが、彼らは出てくる気配もないし、18時半のクローズまでもう時間もないので、あきらめて、帰ることにしました。




もう一度来よう…。

それでも、満足した気持ちで下り。途中の農家で、猫が仲良くお昼寝中。




こっちまでゆったりと幸せ気分。

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  1. 2014/09/22(月) 03:06:47|
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山道の行き着く先は。

アストゥリアス・ロマネスク11

大騒ぎしたあとで向かったのは、サンタ・クリスティーナ・デ・レーナIglesia de Santa Cristina de lenaです。
修行事前の調査では、訪ねるべき場所のひとつではあったのですが、かといって、他の同様の場所と比べて突出していたわけではなかったのです。でも、ここ以前に訪ねた複数の場所で、プレ・ロマネスクとしていくべき場所を尋ねたときに、必ず、ここは必見、と勧められる場所だったので、なんとしても行きたいと思ったのです。

今回の修行旅のネックは、スペイン時間でした。
スペインは、ラテンの国の中でも、特に時間が難しい。位置的な問題もあるのでしょうけれども、朝が遅くて、夜が遅い。
普通の生活でも、朝早い割には、昼休みをしっかりと取って、午後の活動時間の始まりが遅くて夜が遅いので、そこに暮らしていない人間にとっては、ご飯の時間だけでも、結構適応するのが難しかったりします。お昼は2時過ぎだし、夜は、9時過ぎだし、みたいなね。
で、教会も、そういう生活時間に準じていますので、教会も、朝オープンするのが、10時とか11時、というのがざら。その替わりにクローズは比較的遅かったりはするのですが、昼休みが長い。そういうわけで、このサンタ・クリスティーナのように、朝は11時から13時、午後は16時半から18時半、というようなスケジュールだと、どういうタイミングで訪ねればいいのか、本当に途方に暮れます。

というわけで、疲れた一日ではあったものの、ここで訪ねない限り、時間的な余裕がなかったために、無理やり出かけました。

スタートはよかったのですが、途中で、ナビがわけのわからない状態になりました。人に尋ねたり、行ったり来たりを繰り返した挙句、教会手前の町のメイン・ストリート沿いで目に付いた観光局に立ち寄って、道を尋ねる羽目になりました。

すごく親切な女性がいて、苦手だという英語を駆使してくれ、異なるタイプの地図をくれて、事細かに、どうやってアクセスするかを教示してくれました。本当にありがたかったです。その人の言うとおりに進んだら、あっという間に、ちゃんとたどり着いて、そして、教えてもらえてなかったら、どうやってアクセスすればいいか分からないような状況だったので、ますますありがたかった!

その村ラ・ポーラLa Polaで高速を降りて、高速沿いの道なりに進んで、表示に従ってすぐ、車を停めて、そこからは徒歩で、ちょっと山道を行くのよ、という指示だったんですが、駐車場が分からず、ちょっと先まで行って、引き返しました。
ここが駐車場。




今回レンタカーした黄色のマイカー。もらったときは、正直その派手な色にぎょっとしましたが、遠目にもすぐわかって便利でした。本当に自分の車だと、なかなか派手な色って手が出ないと思うので、レンタカーでこういうのは、結構いいかもね。

さて、こういう地味な道端に車を停めて、この陸橋の向こうが、目的の教会のある村となります。村と言っても、民家が数軒、道沿いに肩を寄せ合っているだけ。




何もない場所なのに、教会の表示がしっかり。いきなり、かなりの登り道です。




マジ、結構。




え…?本気っすか、という激しい坂道。





正直、ここでこのような山道を登ることになるとは予想外だったので、かなりびっくりしました。たいした距離ではなく、時間にしたら、15分とか20分程度でしたけれど、先行きが分からないときって、妙にどきどきしますよね。だから、教会が見えたときは、すっごくほっとしました。




下を見ると、おお、こんなに登ってきた!と。




丘の向こうに続いているのが、オヴィエドからの高速。そういえば、お天気も回復していて、なんかすべて順調。
丘を回りこんで、より教会の全貌が見えたときは、本当に嬉しかったです。




歩きでアクセスする教会は、たたずまいがいいですよね。特に、こういう山にある教会は、全体の雰囲気がとってもよくて。ここなんて、歩きの部分はわずかなのに、このエフェクト!感動です。

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  1. 2014/09/21(日) 06:17:35|
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恐ろしい勘違い

アストゥリアス・ロマネスク10

ロマネスク修行旅の前には、移動の計画を立てます。
ロマネスクは、不便な場所にあることも多いし、一人旅で、行き当たりばったりにホテルを決めるのは、逆に時間のロスになるので、連泊を基本に、事前にホテルの予約をします。合わせて、おおよその目的地をピックアップして、移動の流れを決めることにしています。
すべての教会について、事前に多くの情報を得られるわけではないので、あくまで流れにとどめますが、それでも、町村の名前と教会の名前はチェックして、自分なりの虎の巻を作っていきます。
今回の旅は、アストゥリアスにしても、カンタブリアにしても、調べれば調べるほど、ロマネスクやプレ・ロマネスクの教会が出てきて、途中で調べるのをやめざるを得ないほど、収拾がつかない数見つかってしまいました。そうやって調べた星の数ほどの教会を、インターネットで情報を収集して、絶対に行くべき場所、時間や体力に余裕があれば行くべき場所、などと、さらに絞っていくのです。

それにしても、いつもの旅同様、いや、訪ねたい場所の数や、いつもより若干余裕のある時間を考えると、最低限訪れる場所については、いつも以上に厳選、多くの場所を切り捨てました。

最後に残ったのは、地域で著名な場所中心になってしまいました。特にアストゥリアスのプレ・ロマネスクについては、情報も少ない上に、やはり、まず見るべき場所は見ておかねば、ということで、調べた割には、結局、そんなに一生懸命調べなくても分かったよね、というような普通なラインナップになってしまいました。

とは言え、オープン時間や行き方等は未知の場所も多く、訪ね当てるのに、結構苦労しました。
この、サンタ・マリア・デ・ベンドネス教会Iglesia de Santa Maria de Bandonesも、まさにそういう場所のひとつです。




オヴィエドから、東南方向で、地図で見る限りでは、たいした距離ではないし(5キロほど)、そんなに難しい様子はありません。ところがどっこい!

もう冷や汗の連続でした。途中からいきなり、すごい狭くて、それもかなりの下り坂の連続になります。そもそもそういう土地だという事前知識がなく、先がどうなるのかも分からないだけに、さらに怖かったのですが、引き返すこともならないような細道ですから、先に進むしかありません。
最後は、さらにがくんと谷底に降りていく感じで下り、たどり着いたのは、民家が数軒建つ集落。その真ん中の丘上になっている場所に、教会がありました。




人がいる気配もないどん詰まりの村。その上、空が俄かに掻き曇ってきて、強風が吹き出し、今にも嵐になりそうな不吉な様相です。帰り道を考えて憂鬱になっているのに、その不安をさらに掻き立てるような…。

そうは言っても、とにかく来てしまったので、見学開始です。

外観は、いかにもプレ・ロマネスク。角ばっていて、遊びがないって言うか、古いなぁ、と思わせる素朴なたたずまいです。




方向がまったく分からないのですが、入り口があるのが南で、手前側は本来のファサード、西側になるのでしょうか。だとすると、東西が同じような作りになっていて、南に入り口で、北側が後陣めいたつくりになっています。ということは、上の写真の手前側が、北側で、入り口が西にあって、東側(トップの写真)が後陣、と考えた方がしっくりしますかね。
入り口部分はポルティコになっています。




確実に再建も混ざっているでしょうが、ナランコでも、ロス・プラドスでも見られた、窓の装飾が特徴的で、美しいです。ここは特に、どの開口部もそれぞれ異なる装飾となっていて、興味深かったです。






脇に、本堂とは離れて建つ塔。




一応鐘楼となっていますが、もしかすると、これはもともと教会の塔というよりは、物見の塔だったかもしれません。または遠距離連絡用の狼煙用の可能性も考えられます。この教会の建つ丘の先は谷となっていて、近隣の山並みがずっと見晴るかせるようになっているロケーションなので、そういう気もします。上部は削られたようになっています。建築資材として流用されたのか、本来はもうちょっと背が高かったのでしょうね。

とにかく地味ですが、なんともいえない上品なたたずまいなんです。




窓装飾に加えて、唯一装飾らしい、情報にある三連窓。よく見ると、ここにも縄目モチーフがありましたよ。




縄目、よほどはやりだったんですね、この時代。ちなみに、これまで見てきたプレ・ロマネスクは、みな、ほぼ同時代です。

残念なことに、扉は固く閉ざされていて、張り紙を見ると、ミサのある日曜11時にしか開かないらしいし、どうやらオヴィエドの町の管轄になっている様子。でも、こんな小さな集落なんだし、絶対鍵があるはず、と思い、裏にある家の扉をたたいてみました。

しばらく待っても、誰も出てくる様子はないし、今にも嵐状態のお天気はひどくなる一方だし、あきらめて車に乗り込もうとしたときに、おじいさんがよろよろと出てきてくれました。「教会の鍵」というのは、どうやら通じたのですが、オヴィエドの教区で管理していて、この集落では預かっていない、ということのようでしたので、残念ではありましたが、あっさりあきらめました。とにかくお天気がひどいし。

二度と来ることはなさそうなベンドネスの集落をちょっと眺めて、車に乗り込みました。





しかし、なんと言うことか、車の鍵が回りません。
何度も何度もトライするのですが、鍵が回らず、エンジンがかからず。強風、曇り空、谷の底、ああああ!と泣きそうになりました。
半狂乱の体で、何度もトライした挙句、ふっと冷静になり、いったん車を降り、乗りなおして、いつものように、と落ち着いてやり直したところ、ぶるるん、あああ、やれ嬉や、でした。

実は、自分の車にはイモビライザーがついていて、鍵の電池が切れるとエンジンがかからなくなるんです。電池を交換していずに使っていたある日突然、何度鍵を回しても、エンジンがかからないことがあり、もしかして?と予備の鍵を使ったらオウケイだった記憶があったので、このとき、すぐ、鍵の電池切れ?と思い込んでしまったんです。
よく考えたら、エンジンがかからなかったのではなく、鍵が回らなかったのに。

この谷底から這い出して、同じことが起こったら怖いので、ガソリンスタンドとかありそうな道を選んでさらに田舎に向かいましたが、スタンドって探していると絶対にないんですよね。相当進んで、ここも訪ねたいと思っていたな、という教会を通り越して、結局そのまま、オヴィエドの町にいったん戻り、さらに結局ホテルに戻る羽目になりました。

ホテルの人に窮状を訴え、電池の買える店を探してもらいましたが、土曜の午後は、普通お店が半ドンということで、せっかく見つけてもらったホテルの近所の店はお休み。道端で呆然としましたが、すぐに気を取り直し、道端で一服していた作業員風のおじさんたちに尋ねたところ、あの店なら開いているだろうし、あると思うよ、とさらに近くのお店情報をゲット。行ってみると、中国人の雑貨屋さんがあり、そして、目的の電池、ゲット~!
このときほど、普通は半ドンなのに、堂々とお店を空けている中国人に感謝したことはなかったほど、ありがたく思いました。
そして、これまたホテルの人に頼んで電池交換してもらった次第。
なんとたくさんの人にお世話になったことか。

余計な時間がとられてしまったものの、何とかきちんと問題が解決できたし、その上お日様まで出てきたので、時間ぎりぎりだけど、もうひとつ何かみよう、と闘志が湧いてきて、改めてオヴィエドの町から田舎方面へ。

しかし、その途上、特に探していないときにはいくらでも見つかるガソリン・スタンドにて、給油した際に、やっぱり鍵が回らなかったんです!
呆然として、スタンドの人に訴えたところ、「鍵は、まずこのメモリまでまわして、それから、次のメモリまでまわすんだよ」と哀れむように教えられたのでした…。
あ、そういえば、自分の車だって、なんかそういう感じだったかも知れない…、とそのとき気付いたのでした。いやはや。なんというか、すごく無駄な空騒ぎをして、1時間半くらい無駄にした上に、無駄走りでガソリン消費して、大汗かいて。
気持ち的には、穴があったら入りたい、でした。

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  1. 2014/09/18(木) 05:34:05|
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ミラノ・エキスポ2015、本当にやるらしい

ベネチア、建築ビエンナーレ2014、その4

アルセナーレ、続きです。
次々と、各国パヴィリオン。印象深い展示だけ、さくさくとまとめてみます。
バーレーン。




円形に作られた書棚の内側は会議場みたいになっていて、アラブ世界の粋を集めたカルチャー・センター構想を形にしたもの、というようなコンセプト、らしい。なんかかっこよかった。っていうか、壁中が本棚って、うっとり。これだけ置く場所があったら、本の整理もつくよなぁ、と変に生活観あふれる感想を抱くわたし。ずれてます。

ベネズエラ。




色鮮やかでとってもきれいなふわふわ絨毯。小さな子供が嬉しそうに歩き回っているのが、愛らしくて、印象的。メインは、スクリーンに映されている会議場とかの計画図らしかったんだけども。
そして、やっと、アルセナーレの先っぽ、入り口から最も遠い位置になるドッグのところまでたどり着きました。





ここは、雰囲気があって、とても好き。何度きても、やっぱりいいなぁと思います。この先、イタリア館と中国館。
まずは、ミラノ・エキスポ2015に向けられたスペースがありました。




ミラノ・エキスポ、開催は来年5月から半年ですが、正直言って、現地では、全然見えてきません。仕事の関連で、今現在日本館建設中とか、内装工事が11月頃から始まるとか、そういう話はもれ聞こえてきますが、では、今後どういうスケジュールなのか、段階的にイベントとかあるのか、まったく見事に不明。
つい最近、ニュースで、「既に入場券が発売中。順調な売れ行き」、という話が出ていたのですが、どこで売っていて、誰が買っているの?という感じです。なんか変。まぁしかし、入場券まで売っているというのなら、間違いなく開催はされるのでしょうけどねぇ。日本は、参加国中で最も大規模なパヴィリオンを作るとか言う話は聞いていますけれども。
ま、そういうわけで、一応ミラノのスペースがありました。

ミラノの、立体白地図。




これは、かつて町を縦横に走っていた運河(ナヴィリオNaviglio)を表したもの。今は、そのほとんどが暗渠になっています。しかし、工事に不備があるのか、わたしが暮らしている北部では、大雨が降ると、暗渠から水が溢れ出して、洪水になります。ひどいときは、駐車している車の半分くらいの高さまでの水かさで、この夏は雨が多かったので、数回そういうことがありました。翌日は道がどろどろになっています。自分に直接被害がないと、ベネチアのアクア・アルタみたいで、ちょっと面白いんですが、地下鉄が止まっちゃったりすると大変。
この他にも、20世紀以降に建設されたビルだけが浮かび上がったり、中世の町の様子が示されたり、と、ありがち、かつ、ちょっと子供だましレベルですけれど、立体地図ってなんかそそられてしまいます。全部のパターンを見てしまいました。
ドゥオモ周辺の、結果的には実現されなかった都市計画の展示なども、結構面白かったです。

そして、イタリアのスペースでは、世界各地の印象的な建築が、美しいスライドとなって、並べられていました。ただきれいだったし、面白く、建築とアートは、やっぱり分けられないものであるよ、と感じました。




イタリア館のお隣は、中国館。




中国館、軽くショックでした。
このスペースって、もともとは使われていなかったのを、無理やり使うようになって、途中から中国館になったんですけれど、上の写真にある鉄の釜らしいもの、おそらく造船所時代に使われていた古い機器が、びっしりと並ぶ薄暗い怪しい空間だったんです。この装置のために、使えるスペースは限られていたんだけど、その雰囲気が、なんとも気に入っていたんですよ。それが、今回、この一基を残して、他は取り払われていた…。ただのオープンスペースになってしまったら、とってもつまらないのになぁ。
ちなみに中国館は、とてもつまらなかったです。残念ながら。

今は造船設備はなくなりましたが、辺りの一部は、今でも軍の施設になっているようで、それらしい船が見えました。




朝から歩き詰めなので、ここらで一服。サンタ・ルチア駅に9時ごろ着いて、それからずっと立っているのですね。ビエンナーレはいつもこんな状態だから、そりゃ疲れる。
ランチにはちょっと早いせいか、すいているバールで、パニーノの簡単ランチとしました。
ビエンナーレの会場内には、あちこちにカフェやバールが設けられていて、これが意外と良心的なお値段。わたしのお口が貧しいのかも知れませんが、パニーニは結構おいしいし、カフェはイリーだし。
時間がもったいないので(この辺、ロマネスク修行同様の精神状態)、そそくさと食べて、また行動開始です。

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  1. 2014/09/16(火) 05:48:37|
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飲みまくり、オヴィエドのご飯

アストゥリアス・ロマネスク9(番外)

ここらでちょいと、修行一休み。もしかしたら、今後ご旅行される方への情報として、お食事など、オヴィエドの観光要素を振り返ってみたいです。

今回宿泊したのは、オヴィエドの西のはずれにあるホテル。真ん中の赤茶色の建物です。




Nap Hotel Oviedo
Calle Jose Ramon Zaragoza 6, Oviedo

住宅地と市街地の狭間というような立地で、周囲には商店やレストランが並び、旧市街に頻繁に行く必要がない旅ならば、それなりに便利と思いました。ただし、駐車場はホテルからちょっと離れた場所にありました。と言っても、徒歩5分程度だし、ホテルの前には、常に車を一時停止して置けるようになっているので、問題なし。その上駐車料金は、一日5ユーロということだったのに、ホテル料金を現金払いするなら無料にします、というので、現金を持っていたわたしには、お値段的にかなりお得感がありました(三泊=15ユーロ)。

滞在中に受付の人は何人か代わりましたが、どの人も英語オウケイだし、とても感じがよかったです。
外観から分かるように、ちょっとモダンなデザイン・ホテル風で、内装もがんばっている風、だけど、完全には成功してないみたいな。




洗面台の水が、ガラスのお皿を伝って流れるようなデザインだったり(でもガラスが欠けていたりするし、顔を洗う際にすごく邪魔だったりするし)、シャワーもジャグジー・システムみたいのがついていたり(でも水流弱いし、ラジオは鳴らなかったし)、うん、デザイン・ホテルだよね、と笑っちゃいました。
朝食のお部屋なんかもミニマリズムでスタイリッシュで、食べ物の並べ方もお洒落。それでいて、あるべきものはちゃんとあるって言うのはよかったです。手作りのヨーグルトとかね。




旧市街までは、徒歩で15分。ビルが立ち並ぶ新市街の面白くない道ではありますが、碁盤目状なので、分かりやすい(ちなみに上の写真を撮影したのは、夜の10時過ぎですが、なんとまだ夕方状態。オヴィエドがいかに北にあるか、ってことですね。びっくりしました)。

旧市街に入る手前には、素敵な公園があります。




この公園の一角にツーリスト・インフォメーションがあり、その先が旧市街。わたしは一度しか行きませんでしたが、びっしりと商店街が並び、活気がありました。

ホテルの近所に、びっくりするくらいたくさん、レストランがあるので、わざわざ旧市街方面に行かなくて済むのは助かりました。
初日は、大西洋沿いの道で工事渋滞に巻き込まれてしまい、予定を大幅に遅れ、到着したのが21時半過ぎだったと思います。かなりお腹もすいていたし、荷物をほうり込んですぐ、受付の人に勧められた近所のお店に行きましたが、考えたら、22時くらいって、ばっちりスペインの夕食時間でした。

Calypso
Avenida de Galicia 50, Bajo, Oviedo





水気のあるものがいただきたくて、サラダと、そして蛸を頼みました。サラダは、レタス系の上に、どっさりと熱いラタトゥイユが載っていて、周囲にはホタテがどっさり。ああ、この辺って海近いんだよな~、と納得しましたが、それにしても、これ一人分じゃないだろう、という量です。といいながら、あらかたいただいてしまいましたけれど。
サラダは前菜と思っていたので、蛸も頼んだのですが、はっきり言って、量的には、一皿で十分でした。
蛸は、いわゆるガリシア風ってやつです。パプリカがかかっていて、すごく柔らかい。ガリシアはお隣の州ですが、食の文化圏は同じようなもんらしいです。または、この店がガリシア料理の店だったか。蛸は少々塩がきつかったですが、野菜をたっぷりといただいて、生き返った気持ちでした。グラスにたっぷりの赤ワイン二杯つけて、26ユーロ(二人分、と言ってもよいでしょうから、お安いです)。

さて、行って初めて知ったのですが、ここらの名物のひとつがシードル酒。りんごの発泡酒です。イタリアにはあまりないと思うので、イメージが湧きませんが、近くに、シードルのお店が並ぶ通りがあるよ、とホテルで教えてもらって、二日目はシードルを飲むぞ!と意気込んでいました。

時間がちょっと早かったので、まずは食前酒かな、と思い、レストランのテラス席に座って、シードルを頼んだのです。
そしたら、いきなり瓶が一本。慌てて、いや、グラスでいいんだけど、と言うと、シードルは瓶売りだ、と言うのです。それも別にこの店だけでなく、どこに行ってもそうだ、と。一本は食前酒には多すぎる、でも、せっかくの名物、やっぱり飲みたい!
まだ時間が早いけれど(と言っても、20時半回っていましたけどね)、夕食できるか尋ねたところ、できるということなので、落ち着ける店内に入りました。
そして、料理を選ぶ前に、早速シードル。これは、受けました~!




毎回、こうやって注いでくれるんですよ~。





何でこんな馬鹿でかいグラスなのかが、分かりました。
で、毎回、このくらいのちょっぴりの量しか入れてくれません。シードルは発泡酒なんですが、どうやらここのシードルは発泡が非常に軽くて、このくらい空気を入れないと泡が立たないみたいな、そういうことみたいです。そして、少量ずついただく。
瓶は70cl、もちろん完飲しましたが、一体何回注いでくれたことになるのか。時々もどかしくなりました。でも、なんか自分でついじゃいけない的な空気だったんで、おじさんを待つ…。主に注いでくれたおじさんは、意外とヘタで、実はこの70clの、かなりの部分は、お店の床に飲まれてしまったような気もします。
ちなみに、アルコール度は、6.5%ですから、ちょっと強めのビールくらい。それをちびちびですから、ほとんど飲んだ感じなしです。あ、味は、ぼんやりしていて、表現が難しいんですが、ポカリスウェットとかのスポーツ飲料に似ているような。

食事は、完全な居酒屋状態で、たんぱく質ばかりいただいてしまいました。





チョリソと、アンコウのフライ。アンコウ、だったと思うんですけど、熱々で、本当にうまかった~。アンコウ好きだけど、こんなにたっぷり食べたのは初めてだな~。ここもやっぱり、複数で行ったほうがお得~。

La Cuadra de Anton
Calle Leon y Escosura 5, Bajo, Oviedo

最後に、ちょっとさっぱりしたくて、スイーツまでいただいてしまいました。プリンとういろうを足して二で割ったような味わいの冷菓、口当たりがよくて、あっという間にいただいてしまいました。
さて、お会計は、大体心積もりしたより安かった(28ユーロ)ので、明細を確かめて、びっくり。シードル、一本2.4ユーロだった…!あれだけのサービス付きで~!いやはや。シードル、恐るべし。
ちなみに、後日、他の町で、自動注ぎ器を発見。やはりさすがに毎回人手ではできないってことですな。

もひとつ、特に記録しておきたいのが、最後の日の夕食にしたお寿司のこと。ホテルの近くを歩いたときに、お店を発見したので、夜行ってみたところ、カウンターだけの小さなお店で、予約で満員だと。で、お持ち帰りならできるというので、握り盛り合わせを注文、スーパードライの小瓶を立ち飲みしながら、出来上がりを待ちます。




Kaisen Sushi Bar
Comandante Vallespin 53, Bajo, Oviedo

これ、絶品でした。ネタも豊富な江戸前で、ご飯が小さいんです。ひょいひょいっと、食べられちゃう。添えられていたわさびが、昔ながらの毒々しい着色料ものだったこと以外は、日本のヘタなお寿司よりおいしかったかも。お値段、12ユーロは、ここの物価からすると、安くないと思いましたけれど(なんせ、量が少ない)。お店には、日本人の職人さんは見当たりませんでしたが、ヨナヨナペールエールとか置いてあったから、絶対、日本人は絡んでいると思います。

結局、飲み足りないし、食べたりないので、前日のシードルのお店に行き、テラスで赤ワインとつまみをいただくことになってしまいました。




ワインの量がたっぷりで、嬉しくなりますね。スペインって、飲兵衛には天国。今度は、飲む人と行きたいなぁ。

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  1. 2014/09/15(月) 02:21:19|
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