アストゥリアス・ロマネスク17
ヴァルデディオスValdediosのサン・サルバドール教会Iglesia de San Salvador、そのお隣に、ロマネスク、ぎり、位の年代にたてられた修道院の名残があります。ガイド・ツアーは、そちらもみっちり訪ねるようになっています。
修道院の方に移動しながらの途中に、その頃やってきた人々がジョインして、ツアー人数がふくれました。小学生くらいの子供もいて、かなり騒がしくなってきました。
基本的に、子供好きなわたしですが、こと中世となると、子供とは相容れなくなってきます。
ラテン系は子供大好きで、ちやほやします。普段はそれを微笑ましいと思って眺めているわたしも、ここでは、「甘やかすんじゃないよ!」と心の中で悪態をついていました…。
修道院の方のツアーが始まる前に、外観で中世を探しました。
サン・サルバドールは、プレ・ロマネスクですから、後陣が、こんな感じで、ロマネスク・ファンとしては、あれ?っていう感じです。
でも、修道院の方の教会は、この教会から300年たっていますから、まさにロマネスク全盛期を経ているわけで、おなじみのスタイルに出会えます。
ね。ロマネスク。
かなり、後代の修復が激しいとは言え、しっかりと当時の面影を残した後陣。
円筒状の付け柱、そして、軒送りの装飾。こっちも結構いけるじゃん~、と嬉しくなった瞬間でした。
入り口は、そっけない状態になっているけれど、古い碑文が彫られたリュネッタは、なんか時代を感じさせて、おお、って気持ちが盛り上がりました。
でも、興奮はここまで。
中に入ると、もう時代が下りまくりで、ガイドも内容も、すみませんが、わたしの興味の範疇外。
というわけで、迷惑を顧みず、勝手に、うろうろと自分の好きな時代を求めて彷徨いました。
名残は、それなりに目に付きます。高い位置にある柱頭だったり、祭壇を支える小円柱だったり。
でも、ガイド・ツアーは、歴史を追っていきますから、どうしても、祭壇前の小円柱ではなく、祭壇を装飾する、いかにもスペインらしい黄金の装飾に関しての話になります。
まったく興味がないので、ますます、一人で勝手にうろうろしつつ、時々、ツアーに戻って、話を聞く、という、ツアーにとってはかなり迷惑なお客になってしまったかも。
時代が違っても、なんとなく好き、って言うものはやっぱりあるからね。
赤いほっぺの天使とか、木彫りの聖母子像とか。
そういう意味で、全体として自分にとって興味のないガイド・ツアーでも、面白さがあったりもするのですが、時間もたってきたし、実は先に進みたい気持ちの方が強くなってきました。
程よい区切りで、ガイドの人に、一足先に離脱したい旨伝えたものの、ガイドなしでは外に出られない、ということで、結局最後まで、ツアーにとどまるしかないのが、かなりストレスでした。
そんな状態で、最後にたどり着いた回廊。
もうね、ほとんど、みるべきものはないのです。
で、ここでお許しが出たので、出口目指してまっしぐら。観光旅行の一環として、ガイドさんとのおしゃべりも含めて、ツアーを楽しんでいたスペイン人の皆様にとっては、「この場を一緒に楽しめない、楽しもうとしない無粋な東洋人」という烙印を押されたと思いますが、そんなのかまっちゃいられない。だって、午後は始まったばかりで、訪ねるべき場所目白押しなわけですから。
というわけで、一人アワアワとツアーの終わりをはしょって、次の目的地を目指したのでした。
- 2014/10/11(土) 06:48:09|
- アストゥリアス中世
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アストゥリアス・ロマネスク16
ヴァルデディオスValdediosのサン・サルバドール教会Iglesia de San Salvador続きです。本堂に入ります。
すぐ気付くのが、中央身廊の背の高さ。
両脇に側廊のある三身廊構造ですが、側廊に比べて、中央部の天井は、比例がおかしいほど高いんです。これは、上部に開口部を設けて、光を入れるためらしく、オリジナルの構造です。
背が高い分、建物全体を支えるために、必然的に、とても狭いです。
ファサード側を、裏から見たもの。
後代に手が入って、内壁全体が漆喰で塗られてしまって、それが半端な形で残っているために、とっても廃墟状態に見えます。ただ、漆喰が塗られたおかげで、おそらく各所にオリジナルのフレスコ画が残ったのだと思います。
祭壇。
なんだかいろいろ入っちゃっている感じがあります。三連窓が開けられているのですが、ちょっと馬蹄形。これはイスラムの影響があるのかと思ったりしましたが、そういうことではなく、西ゴートの特徴らしいのでした。
窓の両脇にある小円柱には、植物モチーフの浮き彫り柱頭が載っていますが、そこにもやはり縄目模様が見られました。
各種フレスコ画の名残。
幾何学モチーフが中心。やはりちょっと異教的な感じもします。驚いたのは、オリジナルはこういう状態ではなかったか、という再現の絵。
ハデハデ~!でも、今残されているわずかなフレスコ画の色合いを考えても、決してありえない再現図ではないことが分かります。アストゥリアスの人たち、色彩が好きだったのね。って言うか、中世って、ロンゴバルドでもそうですが、かなり派手な色彩を、浮き彫りに施していたようだし、オリジナルは、どうやらこういう傾向なんです。
顔料も高価なものだったでしょうし、それをふんだんに使うことが、神聖な場所を飾ることとイコールだったのでしょうか。
もちろん、田舎の小さな教会では、そんな資金がないから、きっと色までは無理だったんでしょうけれど、ここは、王様の私的な礼拝所だったわけですから、もう湯水状態で、お金をかけたのでしょうかね。
とはいっても、今こういう状態だったら、プレ・ロマネスク、どうよ、という感覚かな。
上の再現図で、よく見えますが、身廊を分割する柱には、やはり筋筋が見られますね。
今はこんなです。
ということは、オヴィエドのサン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会のケースのように、フレスコ画で筋筋を描いていたのでしょう。
柱や柱頭は、ローマ時代のものの再利用が多いようです。でも縄目模様は、ローマ時代のものには、見られないような気がするんだけど、どうなんでしょう。
柱の一部には、刻み目があります。
再現図で見ると分かりますが、内陣を区切る障壁があったのでしょうね。きっと、サンタ・クリスティーナ・デ・レーナに残されているような、素敵なプレ・ロマネスクのモチーフ浮き彫り満載の石版があったのでしょうが、どこかに持ち去られてしまったのでしょう。これは残念です。
それにしても、今回の写真、超地味。ロマネスク病の人以外には、なんのこっちゃ、ですね。
- 2014/10/07(火) 05:43:09|
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アストゥリアス・ロマネスク15
いよいよ、このページのトップ写真にも使っているヴァルデディオスValdediosのサン・サルバドール教会Iglesia de San Salvadorを訪ねます。アストゥリアスのプレ・ロマネスクの中でも、重要度や著名度から、確実に五指に入る有名サイトです。
ここの見学は、ガイド・ツアーのみであり、オープンが11時から、という情報は事前に得ていましたので、何が何でも最初のツアーに参加すべく、道を急いだ次第です。
幹線を外れて、どんどんと谷底に下りてゆく道で、少し不安になりながらも、急いだ甲斐あって、11時よりずいぶん前に到着することができました。一番乗りです。
駐車場は、教会のある広場と高い塀で区切られており、すぐには教会が見えないのですが、一部鉄柵になっている場所から見えた教会の美しさに、息を呑みました。
神々しいまでに気高くて、地味な色の石積みなのに、まさに宝石のような…。
教会そのものの姿は、写真でも見ていたのですが、実際のたたずまいというのは、やはりその場に行かないと分からないですね。
周辺を、芝生にして、完全に整備しているので、ちょっとやりすぎ感がなきにしもあらずなのですが、非の打ち所ない、完璧な一幅の絵と化しているレベルなので、やりすぎ感を超越しています。ただ感心してしまいました。
いくつか現地で仕入れた資料があったのですが、スペイン語、話すのはともかく、読むのは難しく、斜め読みなんて無理。でも、辞書を引きながら読むのは時間がかかりすぎるので、詳細は、いつかサイトにまとめるときに、ちゃんと勉強することにして、さらりと歴史の方をチェックしました。
最近、斜め読みしている「西ゴート王国の遺産」(鈴木康久/中公新書)で、今更アストゥリアス王国の歴史部分を確認。
西ゴート王国がイスラムに占領されたあと、西ゴート王国の近衛兵だったペラヨが、アストゥリアス地域に逃げてきたときから、アストゥリアス王国の歴史が始まります。その地域で、ペラヨは、キリスト教徒の一団に出会い、西ゴートの継承となるキリスト教国再建を目指し、718年、彼らはコバドンガの戦いでイスラム教徒に勝利し、ここで、アストゥリアス王国の基礎が築かれます。
しかし、ペラヨ以降は王位をめぐる争いが続き(かなり血なまぐさい感じで、とっても中世)ますが、アルフォンソ2世王が、52年の長きにわたる統治に成功することで、王国が安定します。その時代、サンチャゴの遺骨が発見され、エルサレムへの巡礼が難しい時代、サンチャゴ・デ・コンポステーラは巡礼地として、あっという間にキリスト教徒の人気スポットになります。巡礼が行きかうことが、王国の繁栄に一役買ったのは間違いないですね。
アルフォンソ2世王の後は、ラミロ1世、オルドーニョ1世と短期間の統治が続き、その後、14歳(18歳という資料もあり)で王位についたアルフォンソ3世王の時代に、アストゥリアス王国は、その領土を最大にし、建築や芸術などの文化も最高潮に繁栄したということです。
さらりと書いてあると、なるほど、とそのまま流しそうになりますが、なんか全体に嘘っぽさが漂い、面白いなぁ、と思いました。
ペラヨがアストゥリアスに逃げたというのは、おそらく、アストゥリアスは、イベリア半島に置いては、イスラム世界から最も遠い位置にあることから、もともとイスラムの影響が少なく、隠れキリシタンがたくさんいたせいだろうと想像はできるのですが、コバドンガの戦いまで、あまりに簡単に進み過ぎって気がします。
また、サンチャゴの遺骨発見というのは、どう見ても怪しい。これは、やらせではないかと。あの場所でなければならなかったんだろうな、と思います。
この現代でも、巡礼は相変わらず盛んで、スペインの観光収入の一助になっていることを考えると、いやはや、当時の人びとが、強奪略奪違法取引やりまくりで、レリック集めに狂奔したのも、無駄ではなかったということです。
レリックというものについては、一度ちゃんといろいろ調べたいものだよなぁ、と思っていますが、やはり興味深いです。
話がそれましたが、アルフォンソ3世王。彼こそが、今、アストゥリアスにあるプレ・ロマネスクの多くの建造物にかかわった王様です。
このヴァルデディオスの教会は、彼が晩年暮らすために選んだ土地、ボイデス谷Valle de Boidesまたの名を神々の谷Valle de Diosに、自分の宮殿とともに建てたもの。宮殿の方は、いまや跡形もないのですが、教会は、後代の付け足しなどがあるとは言え、ほぼオリジナルの形で残っているのです。
893年9月16日に奉納されたということなので、ほぼ正確に、1121年前に完成した建造物。千百二十一年って、鳥肌ものと言うか、ありえないというか、ただ呆然、想像すらできない年月です。
奉納から300年たって、お隣にシトー派サンタ・マリア修道院が建てられました。
修道院の方は、後代の改変がかなり激しく、今ある建物は、全体にほぼゴシック以降のスタイルとなっています。
さて、11時前に到着したところに話を戻します。
教会のある芝生の敷地は、柵で仕切られていて、自由にアクセスできませんので、その前のスペースをうろうろとしました。ここには、巡礼のための宿があるようでした。
「オープンするのは16時半」とありました。もう11時ですから、勤勉な巡礼者は、とっくに出発しているわけです。ちなみに、宿泊料は一人5ユーロでした。
11時過ぎに、やっとガイドの女性が到着。見学者は、私以外にスペイン人の4人グループ。外人はわたしだけ。ガイドの女性は、スペイン語が分かるかどうか一応尋ねてくれましたが(この点は、フランスよりマシ)、彼女は英語はほとんどできないようなことを言い、簡単な英文の説明書(と言っても、A4の紙一枚)を渡してくれました。ゆっくり話してくれれば分かるので、よろしく、と頼んだのですが、結局、ほとんど普通のスピード(つまり超早口)でやられてしまい、かなり厳しかったです。ナランコのガイドさんが、いかに外人慣れしているか、よくわかりました。
それにしても、スペイン人グループが、すごくおしゃべりでうるさく、スタート前から頭痛がするようでした。
いよいよ、スタートです。
ファサード。
シンプルですが、全体の石の色合いがやさしくて、いい感じ。入り口は、ポルティコ状になっています。装飾は、付け柱と二連窓、その周辺に地味な彫り物があるだけ。
窓の上部の朝浮き彫り縁取りと、十字架の浮き彫り。
この十字架は、アルフォンソ2世王の印だそうです。十字架にアルファとオメガが図像化してあるとか。十字架の本で見ると、コンスタンティヌスの十字架という古いタイプの十字架に似ているようです。
一方、二連窓の装飾には、ここでもまた、お得意の縄目モチーフが使われていることが分かります。
側面にも、後陣側にも同様のタイプの窓が開けられていて、装飾も似ています。が、多くは実は再建で、再建している装飾には、「R」と刻まれていました。修復のRということらしいです。親切ですね。
続きます。
- 2014/10/06(月) 01:49:10|
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ベネチア、建築ビエンナーレ2014、その8
ジャルディーニをぶらついてます。
昔は、北欧三カ国(ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド)が一緒だったはずの、平屋で、建物の中心に樹木が突き抜けて育ってしまっているパヴィリオン、なんか、アフリカ三カ国(ザンビア、ケニア、タンザニア)が同居していた。ま、広いんだけど、それにしてもとりとめがない組み合わせって言うか。
その前に置かれていた、なにやら”ランド”的な、派手なもの。
クウェートの出品した、70年代に砂漠に多数建てられていた、巨大給水塔のレプリカらしい。
置かれていた説明板によれば、クウェートと、上記アフリカ三カ国との共通項は、かつて英国統治下にあったということらしい。そして、どの国も西欧主導の建築を取り入れた点。
この給水塔は、ひとつが3000立方の水を蓄えるもので、スウェーデン主導の下、クウェートシティ各所に林立していたらしいです。というわけで、この場所に置かれていたわけ。なるほど。アフリカと北欧と中東が、微妙に交差。
実際の給水塔も、写真で見ると、こういう白と青の縞々だったりするけど、砂漠と青空背景だと、しっくり。実際に見たら、なかなか壮観な風景だろうね。
アメリカ館。
全然わからんかった。
スペース中央に、円形の椅子があったので、デジカメのバッテリーを取り替えつつ、ちょっと休んでいたら、目に付いたステンレス扉。
どう見ても、冷蔵庫。でもまさか。
と思っていたら、人が来て、トマトやきゅうりを取り出して、去っていったのでした。間違いなく冷蔵庫。それも稼動している…。
思わず彼の去った方へ進むと、先の部屋で、料理が始まっておりました。
全体、オフィス仕様の内装(それも、まさに営業中の事務所状態で、紙が散乱、開いた本が伏せて置かれてあったり)で、一角に台所。黙々と料理しているのは、ユダヤ人とかちょっと中東的というか、要するに米国においては移民系の人。そういうことか?いや、どういうことなんだろう。
すぐ近くのイスラエル館。入るといきなり砂がしかれていました。
そして、上に置かれた器械。なんと、砂絵器械でした。説明を意訳すれば、イスラエルは、言うまでもなく歴史に翻弄されてきた国で、だから建築的なアイデンティティもないままにただその場しのぎ的にきたことなんかを、象徴するってことなんかな、と理解しました。
理由や意味はともかくとして、これすごく面白かったです。何種類も置いてあるんですが、多分コンピュータで図形を取り込んで、それをコンパスの先っちょのような筆が、砂の上に正確に再現。全部完成すると、ザーッと一気に消されて、また一から、というのを繰り返しています。
器械が、自動制御で図を描くなんてのは、別に今さらたいしたことじゃないにしても、砂の上に、というのがミソですね、きっと。見入ってしまうのでした。
会場内を流れる小さな運河をわたって、ブラジル館へ。
各地の斬新な建築の写真が、年代別に並べられていました。とても斬新。ブラジルって、これまた分からない国です。オリンピックとかサッカーのワールド・カップとか、今後も激しく変貌していく国のひとつかも。
見学当日は駆け足で見ていたものも、改めて写真を見ていると、何か見えちゃうものもあって、なかなかさらりと行きませんね。ま、どうせ自分の記録目的だし、じっくり行きますか。
- 2014/10/04(土) 19:25:49|
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ベネチア、建築ビエンナーレ2014、その7
ジャルディーニ、続きです。各国パヴィリオンを急ぎ足で回ります。
日本館の次は、すぐ後ろにある韓国館。今回賞を取ったことは知っていましたけれど。
うーん、近代を語るテーマに沿って南北分断の歴史を表現していたんだろうけど、北朝鮮のプロパガンダ的なポスターが印象的だった以外は、あまり感じられなかったかな。
ドイツ館。
透明なとか、現代的とか、そういう形容詞のついたロッジ。透明なパーティションで、ロッジっぽい空間を演出。ふーん。建築学的にどうこうって分からないけど、そういえばドイツ館の展示が印象的だったことって少ない。ミニマリズムが好きなんかね。そういえばオペラとかでも、ドイツ演出はそういうのは多いよね。あれって、はずれると、超痛い。
イギリス館。
入り口両脇に、中世の教会だったら獅子が置かれる場所に置かれたホルスタイン。それも、めちゃくちゃヘタウマ、いや、ただヘタなだけの造形で、なんだ、こりゃ?でした。
そして入場すると、ピンクの築山…。
説明のパンフレットには、ごちゃごちゃとやたら説明あり。哲学的な展示なんだな、どうやら。タイトルは、A Clochwork Jerusalemって、それだけじゃ何にも分からないでしょ。
A Clockwork Jerusalem is a story about how history, science fiction and social reformmerged to imagine new visions of Britainin response to modernitym and how these newlandscapesbecame sites of popular imagination.
分かるような分からないような。エルサレムはウィリアム・ブレークらしいんだけど、英文学に疎いわたしには、なんのこっちゃさっぱりです。
そして、パンフレットも、実はとってもダサい。それすらも企画のうちなのかしら。
フランス館は、大型テレビで、ジャック・タチの映画を流しておりました。
ジャック・タチ「わたしのおじさん」。二十数年前、日本でちょっとしたブームがありましたねぇ。当時は映画やたら見ていた時期で、リバイバル上映で見ましたが、何が面白いの?っていう映画で、フランス人の感性の分からなさに、びっくりした記憶があります(フランス人には、今でもびっくりの連続だから、これは永遠の謎)。
映画の中でも、当時、モダンと考えられた住宅が映るような場面中心で、そういう家の様相がパヴィリオン内に再現されているとかそういうもんだったような。
フランスは、スペースが広いこともあり、いつも、展示の仕方がちょっと印象的なんですよね。フランス人って、あまりたいしたものでなくても、見せ方がうまいと常々思うことが多いのですが、ビエンナーレでも本領発揮、というか。
チェコ館の前に置かれていた遊具。
ちゃんとぐるぐる回るんですが、残念ながら、Art, don't useって注意書きあり。ここでは、撮影自由で、体験型が基本なのに、遊具に「触るな」は、ちょっとがっかりですね。
続きます。
- 2014/10/02(木) 04:44:06|
- アートの旅
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