今年もまた、無事に暮れようとしています。 仕事納めの今日は、やはりばたばた。それなのに、メールを出せば、相手は既に休暇中で、不在通知の山。昼過ぎから夕方にかけて、同僚が次々と年末の挨拶にやってきて、そうこうするうちに、気付くと、誰もいなくなっている、というような中で、一人アワアワ。なんだよ~、何で、一人でこんな時間まで~、と泣きそうになりながらも、でも、もっとひどい年もあった、われとわが身を慰めながら、何とか一段落つくまで、やってきました。 あとは、野となれ山となれ、半分薄暗くなっているオフィスを駆け出して来ました。ああ、本当は終わってないけど、とりあえず、終わらせた~! 引継ぎだけは、結構得意。笑。
今年は、諸事情あり、例年よりちょっと少ないスケジュールではありましたが、それでもまた、ロマネスク修行は充実でした。 2月早々にカタルーニャで幕開け。
そして、待望のスペイン北部アストゥリアスで、西ゴートの遺産にも会えました。 お隣のカンタブリアでは、数十年ぶりのサンティジャーナ・デル・マルを訪問し、フランス在住のロマネスクのお仲間にお会いするという、素敵なおまけもありました。
はたまた、グラッパ修行の方では、春にフリウリ。
そして、秋にはピエモンテの再訪もかないました。
その間、日本からの友人のアテンドで、とっても日本人的なイタリア旅行を堪能したり。
思うようにいろいろ出来なかったと思うけれども、こうやって振り返ると、なんかいろいろやってるし、いろいろ出かけてるなぁ、とも思えるのが不思議です。
自分の記録に過ぎない拙いブログを、いつもやさしく見つめてくれて、お付き合いくださる皆様には、本当に励まされます。有難うございます。最近は更新も滞りがちだったので、いつもの皆様のアクセスには、感謝感謝の連続でした。 来年は、そういうプレッシャーを生かすべく、さらに修行に邁進!の予定にしておりますが、まずは、今年中にアップできなかったスペイン関係を、一気に片付けたいものでございます。
といいながら、この年末年始も、恒例の一時帰国で、明日出発で2週間、東京を堪能、というか、日本酒回帰してくる予定です。今年はそういえば、やっと世間のレベルに追いついて、スマホなるものを購入し、デジタル環境も、一方進んだものの、旅の間は、ブログはお休み予定です。
実は、まだ旅の準備、途中でございます。11時35分でございますが…。何とかなるのでしょう、きっと。 では、皆様、どうぞよいお年をお迎えください。そして、来年もまた、よろしくお願いします。
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2014/12/31(水) 07:41:49 |
ミラノ徒然
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アルメンノのロマネスク その2
ガイド・ツアーは、サン・トメのあと、各自が車で、ほんの3分くらいのところにある教会に移動。それぞれで移動って、立ち往生とかして、迷惑をかけたらいやだなぁ、って感じがして、わたし的には徒歩で移動したいところでしたが、仕方ありません。結局、本当に近い場所だったし、問題なく到着できました。
田舎ですが、一応ここは村はずれで、駐車した手前の道には、民家も並んでいました。教会へと続く道は、きっと昔からこんな小路だったのではないかと思います。今は草原(牧草地?)となっている左側が、もしかするとうっそうとした森とかそういう感じだった可能性は高いですが。 目的は、看板にもある、サン・ジョルジョ・イン・レミネ教会Basilica di San Giorgio in Lemine。
ファサード。 地味だし、修復も激しく、残念ながら、あまり感動もありません。 実は、以前この土地を訪ねた際、ここはまったく場所が分からず、訪問を断念しました。その頃に比べると、修復も含めて、表示とかずいぶんと分かりやすくなったのではないかと思います。
ところで、この土地。ミラノの東方50キロくらいの場所にあるベルガモから、かなり近いのですが、今は本当に静かな田舎です。それなのに、とても狭い場所に、中世の教会がひしめいているのは、不思議じゃないですか。 今ある建物の起源は、多くがロンゴバルドです。ミラノから東側一帯の、かなりの地域にわたって、ロンゴバルドが定住していた町村の名残がたくさんありますが、この辺は特に多く住まっていたらしいのです。 というのも、ここは、イタリアとアルプス方面を結ぶ道の途上であり、特に、ロンゴバルド時代に繁栄した、今で言うフリウリ等東方(アクイレイアなど)からやってきた道が、北上するという交通の要衝だったんだそうです。
中世が起源とは言え、今では多くの教会が、当時の面影をほとんど残さない形になってしまっていますが、それは要するに、この長い時代の中でも、常に教会として稼動してきて、周辺の人口も、常にそれなりにいたと言うことでもあるので、やはり土地の重要性というのは、すごいものだと思います。
で、このほかにも、クリプタに見るべきものがある教会などもありますが、さすがに二千年越えした今日この頃、ほとんどの教会は、今回訪ねた二つの教会同様、常にオープンしているわけではありませんから、見学は容易ではありません。特に、クリプタの教会は、週に一度、夕方のミサのときのみ、見学可能とか。それも、主のような教区司祭のご機嫌次第とか。ハードル、高いです。
さて、話をサン・ジョルジョ見学に戻しましょう。
ここでもガイドさんが説明してくれますが、やはり歴史中心で、すぐ飽きて、側壁の方なども勝手にうろうろするわたしでした。 この、建物の下側の切り石が、古い時代のもので、上の方は、川石などを並べたもので、ちょっといい加減な感じになっています。今ある建物は、ロンゴバルドの時代よりはかなり下るもので、ロンゴバルドの時代のものは、残っていないようです。
後ろの方も、一人で回りました。ガイドは歴史中心なので、後陣なんて、興味ないのでしょう。
地味な後陣がひとつあるだけですが、雰囲気はロマネスクで、美しい形状です。周囲に何もない時代には、印象的な建物だったと思います。 今は、結構近くまで民家が迫っていて、この後陣の脇では、村人が何か拾い集めていました。 卑しいわたしは、つい気になって、尋ねたところ、胡桃拾いでした。 遠くにいたおばさんは、袋に一杯拾い集めていましたが、わたしが尋ねたおじさんは、ぼくはあまり得意じゃなくて、とちょっぴししか見つけていませんでした。生の胡桃が拾えるなんて、考えたこともなかったな~。ちょっとうろうろしましたが、ひとつも見つけられませんでした。
おっと、気が散りすぎ。胡桃拾いにきたわけじゃないので、慌てて、ガイド・ツアーに戻りました。
内部。
構造は、古いですね~。天井も木製で、これはオリジナルではないのでしょうが、オリジナルの雰囲気がよく残っています。なんとなく、がらんとした寂しい空気が漂っていたのは、なんでしょう。隣接の墓地も含めて、現役、ではないからかな。
壁には、13世紀以降のフレスコ画が、場所によってはかなりよく残っています。
わたしの好みではないので、さらりと見学。好みではないけれど、修復もうまいのか、適当に色あせた感じが、なかなかよかったです。フレスコの一部に描かれた乙女の顔が、サン・トメの二階部分にあるフレスコ画と同じ手と感がられる相似形なので、多くが、サン・トメのフレスコ画と同時代のものらしいです。ということは、13世紀以降に、これだけの金を複数の教会の装飾につぎ込む豊かさが、この土地にあったということです。
ここでも、ガイドさんの説明をそこそこに、勝手にうろつきまわりました。後陣の入り口付近に、古い柱頭が見られました。
こういう風に、忘れられた状態なのに、しぶとく生き残っている柱頭には、いとしさを感じてしまいます。よくぞ、一人でがんばってきたね、みたいな。
でも、ツアー参加者のほとんどは、「現場検証」よりもガイドさんの薀蓄話を聞くほうが楽しいようで、いつまでも集っておりました。
つくづく、団体行動の出来ないやつ…。 とは言え、何はともあれ、よい機会に出会えて、満足なガイド・ツアーではありました。出版ほやほや、刷りたて状態の、中世からルネサンスまでのこの土地の歴史を説明する美しい本も購入できましたし。このガイドもやっている協会は、かなりまめにイベントを実施しているようなので、また機会があれば、参加してみたいものです。
サン・ジョルジョ、全景。サン・トメは、この写真で辿れば、左下の方になります。 というわけで、久しぶりのアルメンノ・ロマネスク短編でした。これも、アルメンノとして、いつか、まとめないといけないですね。いつか…。
2014/12/30(火) 06:59:24 |
ロンバルディア・ロマネスク
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アルメンノのロマネスク その1
ある秋の一日、たまたま見つけたガイド・ツアーに参加して、久しぶりにアルメンノのロマネスクを訪ねました。
サン・トメ教会Chiesa di San Tome'です。 ここは、ずいぶん昔に訪ねて以来。当時はカーナビもなく、相当迷いながら、ヘロヘロになってたどり着いた記憶があります。町外れで、目印は教会そのもののみ。今回カーナビでもかなり複雑な道だったので、当時、よくもたどり着けたものだと感心しました。
ここの管理は、Antenna Europea del Romanicoという有志団体が行っていて、昔訪ねたときも、その団体の方がガイドをやっていました。今回も、同じ団体の方がガイドさん。一番乗りしたわたしを、お隣にある団体管理棟のバールに誘ってくれて、エスプレッソをご馳走してくださいました。 こういうところ、イタリアってとても気さくです。
それにしても、どういうところでガイド・ツアーのお知らせをしていたのか知りませんが、ずいぶんと人が集まったので、びっくりしました。例によって、ほとんど年配の人ばかりで、一部歴史オタク系、多くは、なんとなく観光気分で来ました、というグループです。
ツアー開始前に、勝手に入って見学。さりげなく撮影したところ、監視員の方が、「撮影禁止だけど、少しならいいや。」と許可してくださるのみならず、いろいろとガイドをしてくださいました。 ガイドのおじさんが中をのぞき、「ぼくの仕事を取らないでよ~。それにしても、いつの間にか、あんたそんなに覚えたんだよ~」と冗談を言うくらい、ほんの数分ながら、面白い話をしてくださいました。
昔も撮影禁止だったので、そういう次第で、今回初めてちょっと写真が撮れて、嬉しかったです。だって、素敵な柱頭があるんです。
ガイドの方のお話は、歴史中心で、この土地における中世全般の流れや、教会の成り立ちみたいなことをさらりと。中世のガイド・ツアーとか講演会って、大体そういうパターンで、美術に特化したお話というのは、まずないんですよね。ここはいろいろ面白いものがあるだけに、ちょっと不満でしたけれど、仕方ないです。
構造が興味深いです。円形の建物は、もちろんどこも似通ってはいるんですけれど。ここは、二階部分があり、マトロネオとされているようです。最近は、二回部分にはイベント以外は、上がらせてくれないようです。昔はどんどん上がれたのですけれど、残念でした。
祭壇。
上部に、十字架状の開口部が見えますが、反対側、つまり入り口の方にも、同じように十字架状開口部があります。でも、微妙に位置がずれています。春分のときに、そこから光が入り、まっすぐに祭壇の部分に届くような位置になっているという話です。
建築的には、アーチのサイズとか、この円形部分の対角線の長さとかに様々な幾何学的な意味がこめられているようなお話もされていて、下世話な面白さもあったのですが、一番感銘を受けたのは、人工的な明かりを落としてくださったとき。 扉も閉めて、本来かなりの闇になりそうな状態なのに、天井部に開けられた非常にわずかな開口部の明かりだけで、内部は薄ぼんやりとした、闇とは程遠い明るさがあるんです。すごく、考えられているということですね。
ここでも、逆さの柱がありました。
こういう柱や柱頭は、異教のものの再利用と決まっていますね。入り口部分にあるので、魔よけのように置かれたとか、そういう解釈も、大体同じ。
外観についての美術的考察は一切なかったので、結局、他の教会の見学を終えたあとで、一人戻り、改めて外部の撮影をしました。 正面入り口。
とてもシンプルで、両脇に、浅浮き彫りの施された柱頭、というより、帯状の装飾があります。
どちらも傷みがかなり激しいのですが、石が違うのが気になります。もしかすると、再建なのかも知れません。というのも、南側の扉装飾が、再建だからです。
こちら、かわいくて大好きな浮き彫りですが、今回立派な解説本を購入して初めて、再建ということを知りました。19世紀のものだそうです。もちろん、こういう浮き彫りを施すからには、元になる何かが若干はあったのだと思いますけれど。 ちなみに、中央に置かれた人物は、サン・トメ(=サン・トマソ)。かつては蝋燭を抱えた修道士、と考えられていたそうですが、これはトマソの印となっているらしい槍なのだそうですね。どうも、槍で突かれて殉教したようですね。棕櫚の木も、トマソを象徴するものとか。どうも、キリスト教については、知らないことが多すぎて。
そんなわけで、久しぶりの対面、とても充実しました。 いつまでも、美しい姿を保ってほしいものです。
この全景を撮影していると、やはり撮影をしているご夫婦がいました。なんとなく話始めると、午後のガイド・ツアーに参加しようと、様子を見に来ていた方でした。失礼ですが、両者とも、中世史とか美術に造形があるようにも見えず…。実際お話していると、だんなはバイク乗り、奥さんは民族舞踏に入れ込んでいらっしゃって、それもまた見た目とあまり結びつかず、ひどく面白かったです。 お互いの趣味を求めて、田舎へのタンデム・ツーリングをされる中で、中世の教会に出会うことがあり、興味が出てきたというようなお話でした。
わたしが、最近はロマネスクのために、フランスやスペインまで足を伸ばしているんです、というお話をしたところ、奥さんが、「あなた、そういう時って、一人?誰かと行くの?」と質問をされました。「たまには友人とも行きますが、本気の旅(=修行)では、一人の方が充実するんですよ。」と正直に答えると、わが意を得たり、という感じで、「分かるわ~。私もね、そうなのよ~。」と言われたのには、びっくりしました。イタリア人でそういう人って、周りにいないものですから。 やっぱり、はまると修行になるし、ひとりで追求したいっていう気持ちになるのは、ありなんだ~。
昔まとめたサン・トメ、以下ロマネスクのおとにあります。今回の写真と資料を基に、きちんとアップデートしないといけないです。
2014/12/29(月) 02:02:10 |
ロンバルディア・ロマネスク
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ピエモンテ・グラッパ合宿、番外
最近どの旅でも、一気にまとめてアップして、というのが出来なくて、だらだらやる方も鬱陶しいけれど、いつも見てくださる方には、ますます鬱陶しいだろうなぁ、と思いつつ、グラッパ合宿の番外編で、ホテル+レストランです。
トリュフの季節が始まると、アルバ近辺の宿は、あっという間に満杯になってしまいます。といいながら、酒関係だと、アルバ近辺が便利ではあるのですが、トリュフはほとんど関係ないので、今回は、アルバとアスティの中間くらいにあるアグリ・ツーリズモに二泊しました。
まだカーナビもない時代、ホテルもネットより電話で探す時代に、友人を連れてきたのが、このあたりではなかったかと言う場所だなぁと思いましたが、そもそもそのときのアグリがどこのなんというものかの記憶もなく…。
そういう記憶を彷彿としてしまうような、古きよき時代風アグリ・ツーリズモ。あんまり伝統的な感じで、普通の農家の風情だったせいか、建物の写真を撮影してなかった、ということに、今、気付きました。びっくり。
ワイン農家さんで、家の前一帯の斜面に、葡萄畑が連なって、とても美しい眺めでした。遠くには、立派なお城も見えるんです。
Azienda Agrituristica Vitivinicola Costa dei Tigli di Barbero e Marengo Strada Asti 38, Costigliole d'Asti (AT) www.costadeitigli.net
ロケーションが便利なことと、夕ご飯がいただけることが決め手。お部屋は古いながらも清潔感があり、お値段とのバランスはよかったと思います。
結局二泊とも、ずいぶん遅くまで動きまくったので、ご飯つきは正解でした。 素朴なメニューですが、がんばって作っているな、という印象です。
ピエモンテらしく、前菜は多種少量を出してくださり、それがドサドサ系なので、実はすぐにお腹が一杯になってしまうのでした。ドサドサ系って言っても、おいしいんですよ、とっても家庭料理で。
だから、結局メインは、どっちかの日に、サルシッチャをちょっとだけいただくことが出来ただけ。デザートも同じく。ワインは、自家製で、やはりお値段と味のバランスのよいものでした。そういえば、お土産に1本持たせてくれたのも、古きよき時代風で、嬉しかったな。今って、変にお洒落で外人向けで(その上高い)、みたいな本来の姿を忘れたアグリも増えているしね。 もちろん家族経営で、みんな感じよくって、好感度の高い宿です。そして、一番の好感度は、こいつら~!
犬が一匹と猫複数が飼われているのは、まぁ農家なら普通なんだと思いますが、どの子も異常に人懐っこくて、かわいいんです!その上、本人たち同士もすごい仲良し! 宿にたどり着くとみんなで出迎えてくれて、朝から一緒に遊んでくれて、本当に別れがたいやつらでした。
本来猫派のわたしですが、この子はかわいかった~!
さて、レストラン編は、ちょっとだけ。お昼、一回はバールになっちゃったしね。 でも、このアスティのランチは、なかなかでした。
Ristorante Campanaro' Corso Alfieri 36, Asti www.campanaro.it
ミラノから来て、アスティの町に入ってすぐの道です。外からは地味なんだけど、こじんまりしていて雰囲気があって、何よりお店の人たちがとても感じいいの。
ランチだし、前菜を分け合って、パスタを各自いただき、ワインもグラスという軽いものでしたが、すごく満足感がありました。大好きな生肉タルタルは絶品、そして友人が愛するヴィテッロ・トンナート、わたしは特別ではなく、普通程度の好き、なんですが、それにしてもここのツナ・ソースは、おいしかった。そして、薄切りのお肉がこれまた絶品でした。お肉のよい店なのかな。ピエモンテだって、どこでも必ずお肉がおいしいわけじゃないからね。 そして、こちらは、さすがトリュフ祭りの季節。
こぶし大のトリュフがごろごろと置かれておりました。香りがすごかった!わたしはもうこの香りで十分。
もうひとつ行ったレストランは、実は前回、一度夕食をいただいたレストランです。
Osteria Bun Ben Bon Strada Vecchia D'Asti 66, Nizza Monferrato (AT) www.bunbenbon.com
変な名前なんで、忘れられない。目指したわけではないのですが、何か縁があるのかな。
結構込んでいたせいか、サービスが若干遅かったけれども、ここもお肉、おいしかった。サラミの盛り合わせは突き出しで、メインに、タリアータ。確か去年もタリアータ食べて、おいしかった記憶が。やっぱりおいしかったです。そして、ジェラートに、トッカサーナという薬草酒を混ぜたデザート。これは大人の味で、おいしい、やっぱり。消化にもよさそうで。
ということで、秋のグラッパ合宿も終わったんです。この合宿最中は、ほんと、よく食べ、飲み、幸せなことです。いつまでもこういう合宿が出来るように、普段は自炊に運動を心がけないと!
既に来春の計画を開始しています。春は、東方面ですが、さて、どういう方向になることやら、今から楽しみ。
2014/12/27(土) 02:58:45 |
グラッパ
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ベネト・ロマネスク5
やっとの思いで山を下って、次に訪ねたのは、サン・ジョルジョからヴェローナ方面への途上にある、こちら、サン・フロリアーノ教会Pieve di San Floriano。
ここは、検索したら、珍しく住所が出てきました。Via delle Pieve 49で、グーグル・ストリート・ビューでもばっちりと全景を見ることができます。 しかし、マイ・ナビは、ピエーヴェ通りの手前で村に入り込み、結局、一方通行だらけの村の道で立ち往生する羽目に…。半分気付きながらも、抜けようがなくなって、一方通行の逆送を、10メートルくらいしてしまいました…。どうしてトムトムってこういうことになるんだろう?(多分買って以来、データ更新していない自分のせいですが…)。
最近修復が終わったばかりらしい、立派な鐘楼が堂々とそびえたっています。
でも、修復しすぎ感が漂う。 教会も、起源は古いようなのですが、保存状態がいまひとつだったのか、または、ある意味常に現役のせいなのか、半端に新しくなってしまっています。こういうのって、わたしの場合はキリスト教信者じゃないので、微妙…。 すっかり新しい建造物となっている、後陣側。
おっと、鐘楼、縮尺が変。ということは、本堂と時代が違うか、または本堂が、もっと巨大だったのか。で、南側に回ると。
回廊の名残。ということは、ここ、元は修道院だったのですね。構造的には13世紀以降の感じですが、いずれにしても、大きな修道院だったのでしょう。 今は、周辺が居住地になっていますが、昔は何もない山間の修道院だったのかな。ヴェローナにはずいぶん近いから、繁栄した場所ではないかと思われます。周囲は、畑などに向く平地も広がっているし、湖も近い穏やかな気候で、収穫も期待されそうな土地だし。
回廊部分に、若干古い時代の名残がみられます。
ずいぶんと傷んでいますが、教会のほかの場所にあったであろう装飾彫り物を、回廊の壁にかけてあります。
壁は漆喰塗りと思いますが、石も黄色がかっています。凝灰岩かな。
ここは、日曜日のミサのときしか開かない教会のようで、中は見られませんでした。まぁ、外がこういう感じって言うことは、中はどうせピカピカきらきらの可能性が高いし、どうでもよかったんですけどね。でも、何かないと、せっかく来た甲斐がないと思う貧乏性なもので、せいぜい外観をよく観察しました。 新しくなっている中にも、そこそこ古い部分を残しています。
そして、サン・ジョルジョ同様に、ここでも、ローマ系らしい、それも墓石系っぽい石の再利用が。
ファサードの扉両脇にある付け柱の根元。堂々と。それも逆さま。 「異教(ローマ)のものだから逆さまに使った」という円柱をヴェローナで見たことがありますが、同じ発想なのか、それとも、職人さんの単なる横着か。いや、ファサードですから、横着って言うことはないですね。それにしても、こういう場所に、何も再利用品を使わなくても、と思ってしまいますけれどもね。
ということで、ヴァルポリチェッラの小さな旅、終了です。 ヴェローナおよびその周辺の重要な中世は、かなり見てきたようなので、そろそろきっちりとまとめたいものです。という思いは大いにあるんですが、なかなか出来ないまま、今年も、暮れようとしていますねぇ。
2014/12/24(水) 23:53:11 |
ヴェネト・ロマネスク
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ベネト・ロマネスク3
サン・ジョルジョ教会Chiesa di San Giorgio、続きです。
結婚式も終わり、本来の空気が戻ってきた教会。やっと中に入ることが出来ます。 全体に、かなりきれいにお化粧されちゃっているんですが、それでも古い時代の雰囲気をよく残した、素敵な本堂です。
三身廊で、身廊それぞれに、後陣がついています。中央後陣の左右両脇の、小さな後陣は、それぞれフレスコ画で飾られているので、おそらくかつては、壁という壁に、フレスコ画があったのかと思います。
でも、13世紀以降の作品のようで、一部をのぞき、わたしの好みではありませんでした。その一部というのは、この祝福するキリスト。
傷みが激しく、修復でも取り戻せなかった色彩ですが、でも、ビザンチンっぽいお顔の感じが、12世紀以前の雰囲気で、これだけはよかったです。
わたしが堪能したのは、中央後陣部分に置かれた、小さなチボリオ。
併設博物館で、イタリア語英語併記の、ちょっとしたガイド本を購入できたので、これらの由来も、ちゃんと読めば分かるのかな、と思いますが、今のところは積読。というわけで、由来も出自も不明なままで、見たそのままを楽しみたいと思います。
状態が、場所によって違うので、再建部分も混ざっていると思いますが、大好きなロンゴバルド系の浅浮き彫りが、大好きでした。ここ、北と南を結ぶ線上にあるし、古代から、交通の要衝。それで、歴史が集積しているんでしょうね。
なかなかよいでしょう。 こんなものにも、目を惹かれました。
1本の円柱の基部に使われているのは、ローマの墓石じゃないかと思いました。碑文が刻まれているし、四角い感じがいかにも。こういう風に、過去のものを、それが墓石だろうとなんだろうと使いまわしちゃう感覚って言うのは、石文化ならでは、です。 美しい結婚式用の花が生けられている石の大きな花瓶も、どう考えても、古い何かで、この一帯が墓地だったことを考えると、やっぱり墓地関係のものであったのではないかと。いい加減って言うか、おおらかって言うか、不思議ですよねぇ。木と紙の文化で育った人には、なかなか理解しにくいことです。
というわけで、思わぬ長居となった見学も、無事終了です。 美しい眺めを楽しみながら、丘を下り、車に向かいます。
で、車にたどり着いたところ、駐車したときに、坂道発進しないですむように、わざわざ下り方面に鼻先を向けといたというのに、なんと、その鼻先ぎりぎりに駐車した奴が~!縦列駐車ですから、そこから出るには、バックの坂道発進という、わたしにとっては、さらにハードルの高い操作をしなければならないじゃ~ん!がっくり…。 乗り込んだものの、多分無理、と、思わず、通りすがった若いカップルに声をかけていました。
坂道発進が下手、ということを分かってもらうのは、イタリアでは結構難しいのですが、この人たちはすぐに分かってくれました。わたしとしては、代わりに操作をしてもらおうと思ったのですが、「オウケイ!大丈夫!じゃあ、ぼくが前を押さえているから、君は彼女の言うとおりに操作をして!」「は?」 なんと、青年が、こうすればさがらないから大丈夫、と私の車の鼻先を支えるようなどすこい姿勢を取ったんです~!いや、私の車小さいといっても、車ってそもそもすごい重量だし、どう考えても、あなた支えられないと思います…! 彼女は、「ハンド・ブレーキ入れて、エンジンかけて、ふかして、ふかして、ふかして~!ハンド・ブレーキ、下ろして~!」と絶叫状態かつ、優しく指示してくださいます。汗だらだらながらも、青年を轢いたら困る~、という危機感でしょうか。一発でエンジンがかかりましたわ~。
いやはや、いい若者たちだった~。そして、本当に恥ずかしかった~。やれば出来るんじゃんねぇ。 実際、このあと他の場所でも、友人が一緒だったので、自然といいカッコしようとしたのか、割と気張ることなく出来たんですよね。やっぱり怖がりすぎで緊張しすぎなのかな。 何とかしないとねぇ。情けないことです。
2014/12/23(火) 05:15:31 |
ヴェネト・ロマネスク
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ベネト・ロマネスク2
サン・ジョルジョ教会Chiesa di San Giorgio、続きです。
結婚式のミサが終わるのを待つしかない、という状態になってしまったので、外観を見学することとなりました。まずは、こじんまりとした回廊です。 回廊があるということは、かつては修道院があったということなんでしょうが、それにしても、教会本堂と、鐘楼の立派さに比べると、びっくりするくらい小さい回廊。
でも、しょぼいか、と言うと、まったくそんなことはなくて、小さいけれど、存在感はばっちりで、すっごく素敵なんです。
でもそれは、明らかに、修復の賜物でもあります。なので、この教会の、現代も含む歴史には、かなり興味がありますねぇ。幸いにも、教会の脇に考古学博物館併設で、週末にはそちらもオープンしていますので、今回、教会がらみの本もゲットできました(まだ全然読んでいませんが、将来的にはきっちりと読んで、ちゃんとサイトにまとめる、という前向き姿勢はあります、ハイ)。
こちらがオープンしている際には、教会後陣を確認するためには、必ず、入る必要があります(ちなみは、入場無料)。博物館がクローズしているときは、この回廊の場所から、後陣側にアクセスできるようになっているようですが。
後陣。なかなか趣があります。ファサードまたは側壁に一見して感じられるようなインパクトとは違うかも知れないのですが、実は、歴史の集積は主にこちら側にあるので、そういった思い入れからみると、この後陣はなかなか奥深いのです。
というのも、この後陣の下部に、先史時代の遺跡が発掘されているからなんです。
もともと、古い歴史が好きだったりしたものの、でも現実、紀元前とかの遺跡に出会っても、余りにもわけが分からなかったりすることが多いもんで、「だから?」と思っちゃうシーンも多かったりするわけなんですけれど、中世をやってよかったと思うのは、自分の中の歴史に、ワンクッション出来たって言うか。現在からいきなり先史時代、って言うのは難しくても、現代から中世、中世から先史時代、みたいな一区切りができて、若干意味が見えてきた、って言うか。 いや、この辺、感覚的で、説明難しいんですけども。
要は、ここなんかも、歴史で言えば、先史時代から、定住がある場所です。だからって、穴ぼことか、焚き火の跡、とか見せられても、自分的には「ほぉ」で終わりかねない場所なんですが、気持ち的に、自分としては既に、無理なく遡れちゃう中世からアプローチすると、そこから先史時代に遡ればいいので、現代から遡るよりは、ずいぶんと近いって言うか。近いって言っても遠いのですが、でも、先年から節約できるわけで~。
いや、なんか、多分説明しきれてないですが。 いずれにしても、中世をやる前に見た先史時代の遺跡と、中世をやるようになってから見る遺跡は、全然別物なんです、いろんな意味で。
いずれにしても、この場所は、本当に古い時代から、常に定住地であり、神聖な場所であったというお決まりのお話です。博物館のガイドさんは、ボランティアの方だったようですが、中世、特にロンゴバルド系のオタク系で、かなり低レベルって言うのか、あそこ行ったのここは行ったの、で面白かったのどうだったの、というような旅行者会話で盛り上がって、ひどく面白かったです。 博物館は週末だけのオープンですが、そして蚊が多かったのが相当辛かったですが、時間に余裕あり状態で訪ねる方にはお勧め。
村の中心に建つ教会の場所からは、ファサード側からはガルダ湖方面が、そして、後陣側からは、ヴェローナ方面に続く一帯が、どちらもびっくりするくらいの広範囲、見渡せるのですよね。 重要な土地というのは、一方で、どれだけ歴史に蹂躙されてきたか、とか思っちゃって、しばし、瞑想。
2014/12/21(日) 07:57:07 |
ヴェネト・ロマネスク
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ベネト・ロマネスク1
最近ずっとスペインばかりだったので、久しぶりにイタリア・ロマネスクの紹介です。 この夏に訪ねた、ベネトはヴァルポリチェッラValpolicella地域にある教会で、ずいぶん前から気になっていた場所をいくつか。
ヴァルポリチェッラは、ワインの産地として有名です。ということは、丘がちの土地で、ということは、わたしの苦手な坂道満載…。ということで、以前ガルダ湖周辺は回ったことがあるのですが、ついつい避けてしまっていました。
ミラノからベネチアを目指して東に向かう高速を、ヴェローナの手前で降りて、北上していきます。最初は国道で快適な道だったのですが、一般道になると、カーブ連続の登り坂となり、「これだから嫌だったんだよぉ」と汗をかきながらのドライブです。 怖いときのグーグル・マップ、ストリート・ビュー頼みで、事前に何度も村の入り口の様子を確かめておいたので、とりあえず、迷うことなく村には到着。村の中心、すなわち教会は、村の一番高い場所にあるようなことも分かっていたので、これまた事前にチェックしておいた村の入り口に駐車することも、了解済み。
でも、駐車場は意外と小さくて、既に満杯。左側の路肩にある駐車場に停めざるを得ませんでした。ここでも、後の坂道発進を避けるために、停車が登り方向とならないよう、一度ユーターンして、車の先頭を、下り向けに駐車する辺り、事前の学習が行き届いています。われながら、よしよし、と感心。 しかし、ここまで注意したのに、戻ってきたら、結局とんでもないことになっていたんですけどね。トホホ。それは、また後ほど。
さて、行動開始。坂道を徒歩で登ります。 高台なので、景色が美しいのですが、まずは、目的に一直線です。
しかし! 黙々と歩くわたしを追い抜く一台のクラシック・カー。一瞬ですが、何か白い花をつけていたような…?嫌な予感~!
ビンゴでした…。たいした距離ではありませんでしたが、教会にたどり着いたときには、既に出席者が中にも外にもあふれていて、まさに、通り過ぎていったクラシック・カーから、花嫁さんが降り立つところでした。そう、結婚式の時間にあたっちゃったんです。
せめてもう少し前だったら、中を見学する時間があったでしょうけれど、今更入ることは出来ないような状況になっておりました。まぁ、仕方ないです。
それにしても、素敵なたたずまい。これは絶対に内外見学せねばなるまい。ということは、結婚式のミサの終わりを待たねばならないのだから、すっごく時間がある…、ということで、本当にとてもゆっくりと見学することとなりました。
サン・ジョルジョ教会Chiesa di San Giorgio、サンタンブロージョ・ディ・ヴァルポィチェッラSant'Ambrogio di Valpolicellaという村です。
まずは、のんびりと、美しいヴァルポリチェッラの景色を。
8月半ばでしたから、収穫を1ヵ月後くらいに控えている葡萄は、美しい緑に輝いていました。うねうねが美しいです。
葡萄産地は、ほとんどが丘のある土地ですが、山がちであればあるほど、日照を考えて斜面を無駄なく使うために、モザイク模様のように美しいうねうねになるのですね。ここも、丘としては割りと高い部分もあるので、なかなかに美しいことになっています。
写真ではちょっと分かりにくいのですが、一番遠くには、ガルダ湖の湖面が輝いているんです。
では、まずは、こんなところから。
ローマです、こういう壮大系は。 この土地の歴史はとっても古いんです。こんな高台のちっぽけな村ですが、高台だからこその歴史があるのです。
教会の外壁に掲げられた、歴史を物語る、簡便な説明版。
上に載せた巨大な石の柱は、どうやらローマ時代の墓所の建物の一部だったようなのです。教会はロマネスク時代のものですが、その周辺には、ローマ時代の建物の基礎や、墓所、中世から近世の墓所跡が見つかったそうです。今は埋め戻されて、広場になっています。
教会の裏側は、ちょっとした考古学博物館のようになっていて、お話も聞けましたが、次回。奥の方に見えているのは、回廊?とわくわくされている方もいるかと思いますが、次回。よろしく~。
2014/12/19(金) 04:13:54 |
ヴェネト・ロマネスク
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ピエモンテ・グラッパ合宿、その6
レヴィさんの火入れ祭りを楽しんだ後、まだちょっとだけ時間の余裕があったので、もうひとつ、訪ねてみることにしました。ちょっと遠いし、行ってみたら閉まっていた、というのは嫌だったので、一応電話したところ、ちょっとばたばたしてるんだけど、でも、1時間後位だったら大丈夫、ということだったので、やはり行ってみることに。 それが、こちら。
Distilleria Pietro Mazzetti Via Conte Calvi 31 Montemagno (Asti) www.mazzettipietro.it
モンテマーニョという、小高い丘の斜面に張り付いたような小さな村の一角に、かなり昔からあるんだろうな、というような蒸留所でした(1816年かららしいです)。 しかし、訪ねたところ、「悪いけれど、半時間後くらいに、もう一度戻ってこられないかな」というので、ちょっと村の散歩をしました。
なんていうこともないけれど、ずっと昔から変わっていなそうな町並みで、中世のお城があったり、廃屋がいっぱいあったり、同時に、きれいに改築した家もあったり。なんだかちぐはぐな感じで、こういう村に住んでいる人は、何で生計を立てているんだろう、とか、つい考えてしまうような。丘からの眺めは美しかったです。
しばらくして戻ると、入ってすぐの間には、まだ人がいましたが、すぐあとからわかったのは、オーナーさんのご両親、要は先代さんだったんです。 男性は、きっちりとスーツを着た背の高いご老人で、なんだか映画の登場人物のような雰囲気がありましたから、まさかオーナーさんご一家とは思わず。
上写真の奥にいらっしゃるのがお母さん。 結局、またしばらく待たされましたが、やっと現役オーナーさんが登場しました。工場や試飲スペースの壁塗りのために、職人さんが入っている、ということで、入り口の狭いスペースでの試飲でごめんなさいね、ということでした。 こちらにしてみれば、そんな忙しい最中に押しかけて、相手をしていただけるだけでも嬉しいことです。
現役オーナーさんは、中年のシングル男性で、登場するなり、「あー、疲れた疲れた、お待たせしてごめんね~」という気楽な感じでしゃべりだし、それっきり、もう止まらない…。マシンガン・トーク状態。 とにかく、全力で仕事を楽しんでいて、業務拡大に一生懸命いそしんでいて、製造にくわえて宣伝活動にすごく力を入れているようで、それが忙しさに拍車をかけているようでした。見本市や展示会は、イタリア中に出店しているし、近々、ミラノにエノテカのような店を、他製造業者と共同で出店するとか何とか。とにかくすごいやる気。 こういう業種で、こういう場所にお住まいで、一人息子でシングルって、珍しい方ですねぇ。 もちろん、どこのオーナーさんとも同様、自分たちのグラッパには自信をもたれていて、あれこれと試飲させてくださいました。
わたしは、2本購入。
バルバレスコのビアンカと、ちょっとバリックの入ったモスカート。お値段も大変良心的で、前者が15ユーロ、後者が18ユーロというお買い得値段で、デイリーのグラッパにぴったりでした。
それにしても、楽しい方でした。 こちらに日本人がいるとわかると、「今、うちの若い子がマルケの方の見本市出店のために出かけているんだけど、彼女は日本語を勉強してたんだよね。あ!今、電話するからさ、ちょっと日本語で話してみてよ~。彼女の日本語がどういうもんか、教えてよ~!」等と、本当にその場で電話して、いきなり携帯を渡されてしまいました。 何を話せと言うんだ~! とりあえず、日本語で、いきなりすみません、みたいな話をしてお茶を濁しましたけど、笑っちゃいますよね、能天気なイタリア人のこういうとこ。 ちなみに、その従業員の方は、いきなりの電話にもかかわらず、それなりにキチンと日本語話していました。 そんなこんなで、17時半ごろお邪魔して、結局1時間くらい、話し込んじゃいました。 グラッパ製造業の方は、総じてお話好きです。そして、家族経営的な蒸留所だと、こういう面白い方がよくいらっしゃいます。楽しかったな~。 来年は、きれいになった試飲ルームにお邪魔しますね、と約して辞去しました。
最後にもうひとつ。日曜日も午前中は開いていることを知ったので、帰る前に、寄ったのがこちらです。
おお、盛大に煙が出ています。やはり製造中に伺う臨場感は圧倒的です。工場には、ちょっと迷惑なのかもしれませんが、ほのかに漂う葡萄粕の香りも、いい感じ。
Distilleria Beccaris Piazza Cora 1 Boglietto di Costigliole www.distilleriabeccaris.it
ここは、前回トップバッターで立ち寄った蒸留所ですが、今回、改めて感動しました。
割と早い時間で、他のお客さんがいなかったこともよかったのですが、対応してくれた若い女性が、押し付けがましさのない程よい情熱で、実にうまく試飲をさせてくださったんです。前回は、何を飲んだらよいのか、よくわかってなかったのですが、今回はビアンカ中心、という方針も、やはりどこに行ってもよいようで、ここでもビアンカ中心に、ずいぶんとたくさん、試させてもらうことになりました。
何種類試させてくれたかな。わたしは、これなんか一押しと思っているのよ~、みたいな勧め方が、とってもよかったんです。本当に好きで、このお仕事やっているんだって言う感じ。 最終的に、ここでも2本いただきました。
お姉さん一押しの、アルネイスのビアンカと、試飲で一番気に入ったPelavergaという、こちらもビアンカです。これまたとてもコスパ高くて、前者が14.50ユーロ、後者が18.50ユーロ。これは本当にお買い得と思いました。次回も絶対に行く! 前回は、素晴らしく滑らかなリゼルバをいただいて、これはもったいなくて、まだ開栓していないのですが、結局、リゼルバがおいしいということは、ビアンカがおいしいということなんですよね。一年で、少しはわたしのグラッパ舌も成長したかな~。
そうそう、最後にもう一ヶ所。 地元の甘いものをお土産に買いたい、と同行者が言うので、立ち寄ったのは、お城の中にある地域のエノテカ。
Castello Grinzane Cavour Enoteca Regionale Piemontese Cavour
地域のワインを売っている場所で、有料の試飲コーナーがあります。確か2杯分くらい買ったのですが、カウンターの人が親切で、少量ずつなら、全部試飲してください、ということで、ほぼ総ざらい状態で試飲してしまいました(と言っても、なめる程度ですよ)。 Villa Rosatiなど、訪ねたけれど、開いていなかった蒸留所のもの等もあったので、満足感高かったです。まだまだ、訪ねるべき蒸留所があるって言うことで、今後の楽しみです。
というわけで、今回のグラッパ合宿も、おしまい。〆て、12本プラス小瓶2本、ですか。どひゃあ。いつ飲むんだろう。試して見たい方、今がチャンスですよ。フリウリ・ベネトのグラッパも、まだ結構あるしね。 正直、これほどの品揃えのお店もないって言う状態ですからね。
2014/12/18(木) 07:34:29 |
グラッパ
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ピエモンテ・グラッパ合宿、その5
前回、まさかの生産者さんにお会いして、予定が若干狂ってしまったのですが、ランチをはしょることで、元通りに。 で、訪ねたのは、ピエモンテでグラッパめぐりをするといえばおなじみ、と言ってもいいかと思いますが、ロマーノ・レヴィです。
Distilleria Levi Serafino Neive
昨年訪ねたときに、「来週火入れだから、よかったから来てね」、といわれたのが気になっていて、今回、合宿の日程決定に当たっては、ここの火入れ儀式にも立ち会いたい、という気持ちが若干入っていました。というわけで、事前にスケジュールを調整して、火入れに向かったというわけです。
火入れ、って、なんだろうと思うかとは思いますが、ここは、蒸留を、直火でがんがんやっている、いまや、おそらく唯一の蒸留所。で、毎年、その年始めの火入れの日が、この蒸留所のあるネイヴェの町のお祭りにもなっているというような、そういうことなんです。
それにしても、イタリアらしかったのは。 われわれは、ここ、ネイヴェにたどり着く前に、バレストリーノじいさんの蒸留所で、思わぬ時間をとられてしまって、火入れの儀式予定となっている14時には、間に合わないかも、という状態でした。 といいながらも、とりあえずランチ抜きで、急いで向かったところ、14時ごろに、レヴィさん蒸留所に到着したんです。でも、さすがにイタリア。思いっきり準備中。
ということで、近所のバールで、軽いランチをいただいていたら、窓越しに、ブラスバンドご一行様が到着していました。バールの店主と話していたら、あれはレヴィさんのとこの火入れ儀式のためのブラスバンドだと。
それから、バールでお会計して、レヴィさんとこに戻ったところ、ほぼちょうど、ブラスバンドの演奏が始まるところだったとさ。笑。
それにしても、この火入れ儀式、かなりきちんとした地域の儀式になっていて、びっくりでした。村の人たちが大勢やってきているし、食べ物も、かなり豊富(これなら、わざわざバールで、パニーノなど食さなくても大丈夫だった、と思うくらいの量が用意されていました)、そして人々は、何があるかということをよくわかっている人ばかり。 レヴィさんって、戦後、大変苦労して、この蒸留所を立て直した方のようですが、本当にその甲斐のあったことと思いました。
ブラスバンド演奏後に、火入れとなるようで、火入れがうまくいくと煙が出るはずの煙突をみなが注目。そのときに、去年は気付かなかったドンナ・セルバティカに気付いて、嬉しくなってしまいました。
ロマーノ・レヴィさんは、自分の作るグラッパのボトルに貼るラベルを、手書きで描く方で、それが素晴らしいために、グラッパの品質とともに、メーカーとして有名になったのですけれど、彼の描いた絵のメイン・キャラクターが、ドンナ・セルヴァティカDonna selvatica(じゃじゃ馬?)。そのフィギュアが、風見になっていました。
そして、みなが注目している煙突。
うんでもすんでもなかったのに、しばらくすると、モクモクと煙が出てきて、火入れが無事に終わったことが分かりました。 なんだか、バチカンの新法皇選出を待つような気持ちで、集中して煙突に注目していたね、と友人たちと笑ってしまいました。
一応、火入れの現場を、見学。
ここは、昨年、火入れの前に訪ねたときに、今でも現役、ときいて、びっくりした場所。だって、本当に年季が入っていて、およそ現役とは思えなかったんですよね。でも今回、まさに現役なことを、確かめることが出来ました。 左側、青いシャツの人が抱えているのが、乾燥した葡萄粕で、これをストーブのようなとこにほうり込みます。
上に、ほうり込んで、下で燃えている炭で、がんがんに燃やされるわけです。すごい原始的。これで、裏側に蒸留器械があって、蒸留しています。
ちなみに、こちら、葡萄粕を溜めとく井戸のような施設。
前回来たときは、当然がらんどうの穴でしたが、今回は、結構溜められていました。そして、葡萄粕のにおいがすごかったです。
儀式にも参加して、ちょっと並べられたつまみをいただいて、グラッパの試飲までさせていただいて、それで買わずに辞去するのも心苦しいものがありましたが、なんせ、ここのグラッパはお高いです。40ユーロ以上しますからね。そして、昨年買った1本は、まだ栓も開けていないですからね。 ということで、儀式参加のみで、逃げました…。すみません~!
2014/12/15(月) 07:29:26 |
グラッパ
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