カポディポンテCapo di Ponteその4
サン・シーロ教会Chiesa di San Siro続き、素敵な扉を抜けて、中に入ります。神様に近づこうとしているわけでもないけれど、でも、祝福は嬉しいかもなぁ、などと不遜に考えながら。
月並みですが、息を呑みました。 こういう石の質感がドカーンとしている教会の雰囲気って、圧倒されると同時に、やった~!という嬉しさが一気にこみ上げてくるというか、誰もいない場所だったら、思わず、声が出てしまう状況です。 このとき、午後のオープンを待って、結構人が集まっていたので、オトナなわたしとしては、息を呑むしかないんです。
扉が開けられた途端に一番乗りして、お目当てのクリプタに直行しました。だって、クリプタは狭いと相場が決まっているし、出来れば一人で浸りたい場所ですから。
おお!
これは、すごい! 何だろう。狭いし、装飾も少ないし、それなのに、強烈にインパクトがあります。 このクリプタ部分は、ロンゴバルド時代の教会ではないか、とされているんですが、その時間や歴史が、何か語りかけてくるものなんですかね。何かありますよ。 床面の石なんかも、スリスリしたくなるような風合い。
うっとりしながら、本堂に戻り、ゆっくりと見学。
トップの写真で分かるでしょうか。段差だらけです、この教会。バリアフリーの対極。 下の写真は、左身廊の突き当たりにある脇後陣から、祭壇部分を撮影したもの。
まず、左右両身廊のレベルがあり、中央身廊は、二段分上になっていて、内陣は、左右の後陣部分が、中央身廊のレベルからさらに二段、中央後陣は、そこからまた二段上がるレベルになっているのが分かるかと思います。 内陣は、下にクリプタ、というより、今の建物を建てる際に既に建物があった状態だから、上げざるを得なかったもの。 他は、地形の問題なのか、または全体の段差を、平均化して、アクセスしやすいように、ということなのか。 中央身廊と、祭壇レベルは、身長160センチのわたしが寄りかかると、ひじをついてあごを支えるにぴったりな、そういう高さです。
祭壇のおかれたレベル、思わずなでなでしてしまいました。
この地域の岩山の岩と同じですよねぇ。大きいまま使っています。先史時代から岩山に囲まれて暮らしてきた人々の土地ですから、石の扱いには優れていたのかなぁ、と考えました。 祭壇も、もちろん立派な一枚石で、足に、小さな柱頭。
これまたドラゴン風。有翼で、うろこがかなり怖い。四つとも同じモチーフですが、それぞれ顔が微妙に違いました。
祭壇側から全体を眺めると、反対側、つまり西側の本来ファサードが置かれる方は、完全に岩に阻まれていたのだろう、という様子が分かります。
十字架のキリストが壁に置かれていますが、その下側は、岩が階段状になっているのです。オリジナルは、ただの岩だったかもしれませんが、椅子代わりということなのか、一応階段状に加工されています。
左身廊には、立派な洗礼用の浴槽が置かれています。
五右衛門風呂的な大きさと形で、おそらく全身浸かる形態だった時代のもの。この素朴さからも、古さが想像できますね。 今は閉ざされてしまいましたが、この洗礼桶のすぐ脇に、扉が開いていました。北側面の扉です。洗礼が行われていた当時、洗礼を実施した人が、そこから外に出て、お日様の下身体を乾かすための扉だったと言われているそうです。 ということは、扉の外には、わずかながらでもスペースがあったのでしょう。扉が閉ざされたのは、その後、立地が不安定となり、危険が増したからということ。
扉が閉ざされて以来、おそらく誰もそちら側にはいけないのでしょうから、きっと緑が侵蝕して、教会脇までびっしり、ということになっているかもしれません。外からは、スペースのあることはまったく分かりませんね。
本堂に戻り、柱頭のチェック。 左右両方に角柱円柱があり、フィギュアの彫られた柱頭は二つ。
右側は、直物モチーフにお顔。
この、お顔がとってもかわいらしい。特筆もの。
左の方は、またドラゴン系。
これは、洗礼桶のすぐ脇にある円柱に乗っているものなので、洗礼者に対する意図があるのかと思います。どこまでも試されるってことで。
それにしても、あまりに好みで、立ち去りがたい雰囲気でした。 と言ってても仕方ないので、去りましたが。つい何度も振り向いて、その素晴らしい姿を撮影してしまうのでした。
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2015/08/30(日) 20:19:04 |
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カポディポンテCapo di Ponteその3
サン・シーロ教会Chiesa di San Siro、いよいよアクセスします。
町から見あげる姿は、実にドラマチックで美しいのですが、近寄るとこんな感じ。なんせスペースがこの南側しかないし、全体に地味だし、あれーって感じです。 でも、この南側には、入り口がありまして、その装飾には、どよめき感があります。
注目すべきは、リュネッタ、アーキボルト、アーキトレーブ、側柱装飾、そして両脇に立つ円柱二本。
リュネッタ。
石の色がはかなくて、まるでアラバスターのようなやさしい色合い、質感です。結構高いところにあるので、見上げる感じになるのですが、彫りが浅いのか、日の加減か、最初、印刷した写真でも貼り付けてあるのかと思ってしまいました。
天使と鷲がいることから、黙示録を描いたものともされ、また、一方で、天使と鷲は福音書家マタイとヨハネのフィギュアではないかという説もあるということで、要は、本当のところは分かっていない彫り物です。 そもそも、他のものとあわせて、もともとあったらしいこの場所に置かれたのは、20世紀初頭のことらしいです。詳細は不明ながら、確かにアーキボルトも、継ぎ接ぎになっているので、壊れて崩壊したなどだった状態を、何とかきちんと組み合わせて元に戻した、ということなのだと思います。
福音書家が二人だけ、というのも変だし、左側にはドラゴンがいらっしゃるので、黙示録説の方が、説得力はありますね。でも、入り口にいきなり黙示録かぁ。 チヴァーテで、確かファサード裏側(つまり教会の内側)に黙示録のフレスコがあった記憶があります。置き場所としては、突飛というわけではないんでしょうかね。
下の方の文章は、「神よ、あなたへ近づくためにここへ入る者に祝福を」とか何とか。
わたしが、より好きだったのは、下の方、アーキトレーブの装飾彫り物です。
ところ狭し、スペースを目一杯つかって、ドラゴンが自由気ままに炎を吐きまくっています。
それも嬉しげだし、一頭ずつ、微妙に身体の模様が違ったらり、炎が花みたいだったり、バラエティー豊か。そして、全体を見ると、おお、あそこにもここにも、ドラゴン満載! 側柱。お尻尾ハデハデの方。
お二人仲良く、小さな炎を試し吐き、みたいな。
そして、リュネッタを取り巻くアーキボルトにも、その外側の円に押しつぶされるような位置で、やっぱりけなげに尻尾をくるりんして、炎を吐いていました。
これだけたくさんのドラゴンを一堂に見ることは、そうないですよね。わたしは、他に知りません。
さらにまた、扉両脇に立つ円柱上の柱頭モチーフも、珍しく思われました。 左が、二股人魚。
相当磨耗が激しいのですが、この特徴的な姿は、間違いようがありません。 この前に見学した、カポディポンテのもうひとつの教会、サン・サルバトーレにも、似たような二股人魚がいて、タイプが非常に似ていますので、このぷっくり体型、間違えようがありません。 女性と魚の混じった姿は、二重性を現すものとされています。
右は、蛇と有翼のドラゴン(また!)の混じった怪物が、自分自身を食らうというモチーフの柱頭。
こちらも傷んでいますが、おどろしい雰囲気は伝わってきます。怪物は悪を表し、自らを食らう姿は非建設的で、自ら滅びるという否定的な意図を表現するとか。 信者を試す感が強いですね~、この教会。
試すといえば、これもそうかしら。
扉の取っ手。どうみても、悪の象徴、蛇ですよねぇ? 変に今風で、わたしにはかわいらしいだけでしたが、蛇をつかむって、試してません? 古そうではありましたが、ロマネスク時代というほどの古さはなかったかな。 それにしてもかわいらしいです。
外観で、もうひとつ注目すべきは、石です。 地域で産出する砂岩や石灰岩が、正確な切石となって積まれているのですが、その中に、ちょっと変わったものが混じっています。
石に、ジグザグ文様が彫りこまれています。何かからの再利用品かと思いましたが、結構あちこち入れられています。 こういったジグザグ文様、どこかで目にしたかどうか、まったく思い出せないのですが、イタリアのみならず、多くのロマネスク教会にみられるものなのだそうです。
ジグザグが、キリスト教にとって非常に意味深な「水」を表す、という説、人生の変遷における善悪を図像化しているという説、教会の建築に従事した人のサインという説、など、いろいろあるようですが、もちろん、本当のところは分かっていません。
下の壁に、いくつもはめ込まれています。上の壁にはないということにも、意味があるような気がしますね。おまじないのような、そういうものかもしれない。
次回、内部です。
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2015/08/29(土) 01:32:21 |
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カポディポンテCapo di Ponteその2
カポディポンテは、ヴァルカモニカ、カモニカの谷にある小さな町ですが、町の規模を考えるとびっくりするくらい立派な教会が二つもあります。 そのひとつが、このロンゴバルド起源のサン・シーロ教会Chiesa di San Siro。
駅前から旧市街への道沿いに車を停めたのですが、その道の先に、すぐ姿が認められて、びっくりしました。一瞬、目を疑い、ズーム。
間違いなく、ロマネスクの後陣です。 事前に、ロケーションなど調べていましたが、ここまでドラマチックな様子であることは、想像もできませんでした。
町を通り抜けて近づいていくと、川があり、その小さな橋からも、実に美しい姿を眺めることが出来ます。
通り抜けていく町は、鉄道が通ってから出来たのではないか、というような新しい町並みですが、橋を渡った先は、古い山間に村のたたずまいが、そのまま残っています。
急坂の石畳の両側は、覆いかぶさるような石の住居。外壁などは新しくしていますが、構造は古そうで、石と木の混ざった、山によく見られる建築です。 そういえば、教会のたたずまいにしても、なんとなくスイス中部の中世の村を彷彿とします。ジョルニコとか、イメージ的に似ているような。
建物のあちこちに、とても立派なサイズの祭壇(こういうのってなんて呼ぶのでしょうか。お社というか、日本だったらお地蔵様感覚で、マリア様などが祭られているものです)が置かれているのも印象的でした。
この急坂の先の右手に、さらに急な階段があります。
階段を無視して先に行くと、丘を大回りするように、なだらかな坂道でアクセスできる道もあるようなのですが、やはり本来の道を行きたかったので、階段にアクセスしました。階段でなければ、絶対に上れないような急角度の土地です。 幸い、階段部分はわずかで、すぐに、美しい緑のなだらかな坂になります。
これはまた、うっとりするくらい美しい道です。教会にアクセスする道は数あれど、これほど美しい道は、そうないのではないでしょうか。
もうすぐに、緑の合間に、教会の姿が見え隠れし始めるのですが、その手前に、古い城壁があります。
中世にあったお城の跡のようです。北からまっすぐミラノに向かう道ですから、ここは交通の要衝でもあり、防御的には重要な拠点だったのだと思われます。今では、こんなわずかな痕跡しか残っていません。 そして、この城壁の先に、いよいよサン・シーロ教会が見えてきます。
階段を登ってきた道をまっすぐ行けば、そのまま南壁に出るのですが、あえて、城壁の方に回りこんでみました。
登り道になっています。教会が下になっていきます。 びっくり。15世紀に建てられたという鐘楼の基部に出ました。 この写真で、サン・シーロが、いかにとんでもない土地に建てられたかが、よくわかると思います。この場所は、本来なら西側ファサードが作られる場所ですが、スペースがなく、岩山に、建物がドッキングしている状態なのです。教会のスペースはもちろん平地ですが、おそらく岩山を相当削って作られた平地なのではないでしょうか。崖状態の岩山に、これだけの平らなスペースがあるとは、考えにくいんです。 それにしても、西側は、こうやって崖と接触していて、東の後陣側は、崖の上という立地で、どうやって工事が行われたのやら。大規模な重機もなかった中世初期の工事だと思うと、呆然とする立地です。
上から近づいたので、軒送りにある垂れ下がりアーチの装飾をよく見ることが出来ました。
アーチの先には、人の顔や動物の顔などのシンプルでデザイン的な彫り物装飾がおかれています。とてもすっきりしたスタイリッシュな彫り物で、泥臭さがなく、新しい時代のものみたい。扉口の装飾や、本堂内の柱頭彫刻とは、かなり感じが異なります。
でも、崖状態の上にいるので、実はびくびくしていました。教会のある地面からの高さは結構なものだし、ちょっと足を踏み外したらまっさかさまです。ドキドキ。
それにしても、美しい景色。お天気も上々で、気持ちのよい午後でした。 続きます。
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2015/08/27(木) 05:16:51 |
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カポディポンテCapo di Ponteその1
夏休み最後の週末、久しぶりに、ミラノから日帰り旅をしました。
実は、いまだに行けていない「日帰りで行ける距離にあるロマネスク」って、割とあるんです。その中でも、ロマネスク病になった相当初期の頃から気になっていたのが、このカポディポンテという町です。
まだ、ロマネスクにはまっていない昔、そして、まだ免許も持っていない時代に、友人の車で、この辺りまで足を伸ばしたことはありました。なぜかというと、この辺り一帯、ユネスコの世界遺産となっている先史時代の岩絵があるので、それを見に行ったのです。
岩絵と言っても、フランスのラスコーや、スペインのアルタミラのような、色彩のある絵画ではなく、岩の表面をこすって、というか、薄く削った絵です。それをまとめて展示してあるオープン・エアの博物館が二つ三つある地域です。
こういうの。 世界遺産というからには、大きな期待があったのですが、思いっきり地味で、気が抜けた記憶があります。かわいいんですけどね。
今回は、博物館は行かなかったのですが、目的の教会近くに、絵のある岩があるというので、そこは訪ねてみました。
マッシ・ディ・チェンモ国立考古学公園PARCO ARCHEOLOGICO NAZIONALE DEI MASSI DI CEMMO。
岩山を背景として芝生が整備された、とても美しい場所です。小路を辿ると、大きな岩がごろり。
なんてことのない岩山の風景なんですが、岩に近づくと、一面に、彫りこまれた絵があるんです。
びっくり。
びっしりと、同じ動物が彫られています。 面白いことに、動物のフィギュアは、とても写実的で特徴を捉えていて、まるでスケッチのように自然なさりげない表現が、さらりとしていて、デザイン的でもあるんですが、人のフィギュアは、こんなん。
えーって感じですよね。 でもそういえば、アルタミラやラスコーでも、絵の対象は動物ばかりだったように思います。人間の姿には、興味がなかったのでしょうかね。 動物は、こんなに素敵なのに。
紀元前2400-2800年ごろに遡るものらしいです。すごい。見つけた人は、さぞや、びっくりしたことでしょうねぇ。 このカポディポンテ中心としたヴァルカモニカ(カモニカ谷)VALCAMONICAおよび、ひとやま北の方に行ったヴァルテッリーナの谷で、このような岩絵が、いくつも見つかっています。 川の流れる美しい谷ですから、先史時代にも、暮らしやすい土地だったということなのでしょう。
中世から話がずれましたが、カポディポンテってそういう土地です。 つまるところ、山深い土地なので、自分の運転でいけるのだったかどうか、自信がなくて、なんとなく敬遠していたというわけです。
でも、7月のスペイン旅行で、かなりアップダウンの激しい土地を1500キロ走ったばかりだったこと、つい先週、日本から遊びに来た姉とイタリア中部までドライブ旅行をした際に、車の調子がすごくよかったことなどから、若干運転に自信が感じられていたので、思い切って、行ってみようという気になったのです。
行ってよかったです! 小さな町に、二つも立派なロマネスク教会があり、どちらも、片道2時間のドライブの価値がありました。
次回お楽しみに。
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2015/08/25(火) 05:40:24 |
ロンバルディア・ロマネスク
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今年は、さくさくと毎月更新、を目指していたのに、気付いたら、既に前半はとっくに終了している今、更新したのは、二つだけ?いやはや、ひどい有様です。 この夏休み後半、家にいる時間が多かったので、何とか、シチリアはパレルモの後半を、やっとこさで仕上げました。
今回は、パレルモ市内の有名観光地、マルトラーナ、サン・カタルド、カテドラル、加えて超がつきそうにマイナーなマジョーネ、そして、パレルモの郊外に位置するツィサとなります。
現地で本を購入するなど、資料があると、読む時間がかかるものの、でも比較的きちんとした考察が出来るので、楽しいのですが、資料がまったく見つからない場所については、本当に困り果ててしまいます。パレルモのマイナー教会の多くで、そういう状態でしたから、資料的価値は低く、ただ、写真を見ていただくような体裁になってしまっています。とはいえ、写真そのものもさえないのが、情けないです。
更新ページにアップした写真の旅は、なんと2010年。既に5年、いや、そろそろ6年前のこととなってしまいます。当時絶賛修復中だったマルトラーナも、きっと今ではぴかぴかに修復なっているのではないでしょうか。
それにしても、字面で知っている地中海の文明の交差点シチリア。中世をキーワードに眺めていると、交差点である姿が、結構見えてきます。人の動きもダイナミックで、また文化的にも柔軟。好き嫌いは置いといても、やはりここは押さえておくべき土地であると、改めて思いました。
さて、この次は、フランスに手をつけてみようか、またはリグリア、南チロルか…。エミリアやロマーニャもずいぶんと細かいものがたまっていて、迷うのは楽しいものですが、本格的にサイトにまとめるとなると、これまた結構大変なところばかり。 どうなることやら。
では、以下リンクから、よろしかったらご訪問お願いします。
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2015/08/24(月) 02:00:38 |
シチリアの中世
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カンタブリア・ロマネスク、その8
シリオSilio'、聖ファクンド・イ・プリミティーヴォ教会Iglesia de Santos Facundo y Primitivo続きです。
この教会、西側と北側は、ただののっぺらぼうで、石の種類も違って、廃屋のような雰囲気となっています。 一方で入り口のある南面は、石積みも構造も立派で、また後陣は、前回の記事にあるように、非常に華やかな装飾があり、かつては、地域でも相当立派な教会のひとつであったと想像できます。西北面は、後代の修復や再建の結果の姿か、とも思いましたが、もしかすると、経済的な問題で、北面西面は、装飾が出来なかった、というような可能性もあるかもしれません。
おなじみの軒送り装飾も、後陣にはずらり。
一方、南面には、なぜか西側の端っこに、一個だけ。
ズーム!
悪魔っぽいお顔です。とすると、ストーリーの続き?でも、一個だけぽつんとあるのが、まったく解せない。これも、もしかしたら意味をなしているのかしら。
では、後陣の軒送り。
食われちゃってます。
穏やかな顔した馬。こういう普通な感じ、ほっとします。民芸品っぽい。
動物の背中見せ。これは、向きが逆の場合もありますが(お尻が上を向いている)、よく見られるモチーフ。 でも、「背中見せ横顔にやり」は、珍しいかも。
一方でこちら。
ちょっと角度が悪くて、手に持っているものがよく見えないのですが、先の記事ジェルモYermoでも、似たようなものを持っている人がいました。これ。
これを見ると、武器か、または農具かと思いましたが、シリオの人を見ると、楽器っぽい?それとも、全然別物かなぁ。 それにしても、シリオの人は、やはり怖い。なんでしょう、この無表情。
軒送りモチーフは、共通性が高いのですが、おそらくかかわった石工さんの得意不得意が関係していて、同じモチーフでも、レベルが全然違います。全体に高いところはともかく、場所によって、動物はすごくかわいいけれど、人フィギュアは激ヘタウマ、とか、そういう。
実はこの教会、内部がとてもよさそうで、事前調査でも、見るべきものについては、「内陣、洗礼盤」などとしていました。それなのに、お約束的に扉は施錠されています。でも、鍵を探して、再び戻る、という気持ちは、まったくありませんでした。
というのも、教会にたどり着いたとき、周りをうろうろしている若者(見た目は、若干浮浪者風ながら、至って普通)がいて、「君、水を知らないかい?ぼくはずっと水を探しているんだが」と話しかけられたのです。 確かに「水」と聞こえたんですが…。
日本だと家に閉じ込められちゃうような、ちょっと普通と違っている人も、悪さをする危険がない場合、普通に町をうろうろして、町の人々も、それをなんとなく見守っている、というのは、イタリアの田舎で経験していましたので、おそらくそういう人なのでは、とも思ったのですが、でも、やっぱりなんとなく怖くて、見るものを見てさっさと引き上げよう、という気持ちになっていた、というわけです。
なんだったんだろうなぁ、水。
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2015/08/23(日) 17:40:23 |
カンタブリア・ロマネスク
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カンタブリア・ロマネスク、その7
急坂にぜえぜえしながらも、中に入れなかったので、さっさと見学を終えたジェルモの後に向かったのは、モリェードMolledoという村です。 この辺りは、比較的狭い地域に、小さなロマネスクが点在しているのですが、地形にアップダウンがあるために、細くて、時として行き止まり、などという道も多く、土地勘がないと、効率よく回るのはとても難しい土地だと思います。
モリェードを目指して走っていて、ナビでは、もう少し先となっているときに、右側に、かなりの細い道があり、そのすぐ先の木立の中に教会の姿が見え隠れしていましたので、わたしにしては珍しく機敏に道に入ることが出来ました。
しかし、どうみても、ロマネスクよりあとの時代の教会です。ちょうど、近くのベンチで読書している女性がいたので、目的のサン・ロレンツォ・デ・プヤジョ教会San Lorenzo de Pujayoを尋ねると、あっさり、知らない、と言われてしまいました。
あとから、資料や地図を見直すと、そこから、ずいぶん山の方に入った、まさに行き止まりの小道の先に、Pujayoという村がありましたので、おそらく管轄はMolledoながら、実際に教会があるのはそちらの村だったんだと思います。教会の名前にも村の名前が付いているし。でも、土地勘がないと、なかなかそういう当たり前のことが思いつかないんですよね。
結局、モリェードの村も分からないまま走っていると、「ロマネスク教会」の表示が道端にあったので、山道だったらどうしようと一瞬迷いつつも、街道を逸れてみました。何のことはない、そこも、目的地としていた村、シリオSilio'でした。そして、幸い、道も村も、ちゃんと平地でした(ここ、わたし的にはとても重要です)。
平地だけに、全体がだらだらと広がった村で、適当に駐車して、教会の所在も分からないままに歩き出すと、町外れに、それらしい姿が見えてきました。 聖ファクンド・イ・プリミティーヴォ教会Iglesia de Santos Facundo y Primitivo。
地味ですが、このたたずまい、わたしは好きです。 ここも、後陣は東向きですが、メインの入り口は、南側にあります。 扉回りは、アーキボルトも側柱も、ほとんど装飾がないに均しいほどシンプル。アーキボルトは五重になっていますが、一番外側の輪が、市松模様になっているだけ。側柱には、植物モチーフの簡単な彫り物があるだけです。
ちょっと気になったのが、側柱の角の部分に施された筋彫りみたいな装飾。
ここのは側柱というより、建物の角を削った程度のつくりだから、少しでも装飾的にするための工夫でしょうか。上の方だけ、くりん、としているので、装飾的彫り物であることは確かだと思うんです。 そういえば、アストゥリアスのプレロマネスクの教会に、同じような彫り物があったかも?そういえば、プレロマネスクでは、浮き彫りというよりも筋彫りみたいな、超浅い彫り物、多かったですね。影響あり? 本格的な彫り物はできないし、という中で、オヴィエドに行ったことのある職人さんが思いついた、苦肉の策だったのかもね。等と考えるのも楽しいもんですね。
これらに比べると、後陣の装飾は、びっくりするくらい充実しています。
ということは、ほとんどのっぺらぼうの北壁とか、西側ファサードなどは、後の時代のものかもしれません。 後陣には、窓が三つ開けられていますが、そのどれもに、柱頭装飾が見られ、なかなか面白いのです。
向かって右側の窓の右側柱頭。
猿みたいだけど、多分人のフィギュアで、上にいるのは、意地悪な猫科の動物みたいだけど、悪魔なのではないかと思いました。分からないけれど。 よく見ると、ちょっと色があります。 ロマネスクの時代に、多くの場所で、オリジナルでは石に彩色されていたことは、既に知っていますが、もちろん、何でもかんでも彩色されていたわけではないと思うんですよね。でも、その違いはなんなんでしょう。彩色が本来の姿だけども、当然余計なコストや手間がかかるから、お金の問題でやる、やらないがあったのか、それとも、伝播の問題で、どこでもベースが彩色、ということではなかったのか。 ちょっとだけ彩色のあとが残っているものは多く目にするので、そこのところは、結構気になっています。現代のわたしの感覚から言えば、もちろん石のままの方が、圧倒的にいいと思うのではありますが。
左側。
こっちでも人が襲われちゃってます。ライオンのモチーフは、かなり普通ですけど、下にかかっている爪先が、リアルに鋭そうで、怖いです。 真ん中の窓。こちらは、趣向が違います。
果物、ですよね?ザクロ系?図像学入ってきますかね。左の方は、イチゴとか、一部パイナップルに見えるので、やはり葡萄のデザイン化でしょうか。
そして、左側の窓は、また全然違います。
聖職者っぽい衣の人々。左側では、働く農民風もいますね。 それぞれの窓ごとに、テーマがあるので、これはストーリーというか、トータルで何かを言わんとしているのかな、という気もしますが、さて、どうなのでしょうか。
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2015/08/22(土) 01:26:24 |
カンタブリア・ロマネスク
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カンタブリア・ロマネスク、その6
さて、前回の村では、とうとうロマネスクに出会うことなく終わってしまったのですが、次は、絶対に訪ねなければいけない場所です。カルテスから30分足らずの距離にあるジェルモYermo。
これが、小さな丘の天辺にある村で、本来のわたし的には避けるべき、細くて急な坂。でも、そんなことは知らないので、いったん登りだしたら、途中で止まることも引き返すことも出来ない運命です。村にたどり着いて、ちょっとした平地を発見するなり駐車して、対向車のなかったことを感謝しました。
サンタ・マリア教会Iglesia de Santa Maria。 実に小さな村が、周囲の緑と交わる境界の辺りに、村の規模から考えると、かなり立派な教会が建っています。西側に、つましい鐘楼にアクセスするためなのか、階段が取り付けられた変則建築(このタイプ、他でも見られますから、普及していた時代があったのでしょう)で、ファサードは南側となります。
いろいろな石が使われて、全体に赤っぽい印象となっていますが、後代の修復も相当されているので、このグラデーションの石がオリジナルかどうかは不明です。階段の部分は、普通にグレーの石なんで、本体とそこの時代が違うのか、本堂の方が高価な石を使っているとかの理由なのか、興味あります。
わたしが訪ねたのは、月曜日だったために、残念ながらクローズ。急坂を思うと、本当に残念でしたが、でも、外観だけでも相当楽しいので、たどり着けただけでもよし、とします。 ちなみに、他の日は、午前と午後ちゃんとオープンするようで、扉に時間が明記されていました(到着したのが、普段なら午後のオープン時間である16時直前だっただけに、悔しさが倍増しましたが)。
どこから見たらいいのか、一見して装飾があちこちにある場合、例によって、あわあわと舞い上がってしまいます。まずはやはり扉口でしょうか。
この教会の紹介には、まずこのタンパン浮き彫りの写真が使われることが多いようです。 真ん中の部分がかけた変則タンパンに描かれているのは、騎士と巨大ドラゴンの戦い。善と悪の対比を表す図像ということです。
扉口脇の側柱の柱頭には、ライオンがたくさんいます。これも善悪つながりなんでしょうか。
ちょっと狛犬系。ここのライオンも、腰に尻尾がまきついてほっそりになっていますね。 顔は、相当狛犬系です。あまり愛嬌とかなくて、デザイン的な風もあります。
左側にも、ライオン風とキメラ風の戦いの図がありました。あと、相当傷んでいるけど、騎士と何か。やっぱり善悪系みたい。
アーキボルトと、その上部に水平にある軒送りは、ほとんど地味になっています。軒送り部分は、オリジナルには、いろいろとフィギュアがあったのではないかと想像しますが。
最初の写真だと、ちょっと小さくて見えにくいかもしれませんが、扉の上の方、屋根にも近い部分に、左右二つ、浮き彫りの石版がくっついています。これはちょっと不思議。どこかにあったのを、あとからつけたのか、もともとサンティジャーナのようなスタイルなのか。 左が、聖マリーナ、とあります。
そして、右は聖母子。
こう言っちゃなんですが、聖マリーナ(どういう聖人なのか、残念ながら調べないと分からないわたしですが)は、楚々とした美人な感じで表されているんですが、聖母は、ちょっとどっしりした田舎の素朴なオバサン風じゃないですか?なんか、普通にいそうな感じっていうか。
で、やっぱり一番面白いのは、軒送り浮き彫りです。様々なタイプのが、たくさんあります。
後陣の方にもぐるりとありますが、なんといっても、この南壁部分のが面白いですね。
まずは割りと普通のタイプ。
ホルンみたいのを吹いてて、傍らに動物がいます。図像学的な意味があるのか、または農民の日常なのか。
こちらも、楽器演奏中。
でも、全然楽しそうじゃないのが、特徴的。やはり、これは図像学的な意味はないですよね? こちらは、マント風衣で、聖職者でしょうか。
または切石運びの肉体労働者?いや、違うだろうけど、やっぱり深刻な顔してますねぇ。 宙返りの人。
エロチック系二つ。もっとありますけど。
何でしょうねぇ。エロチック系テーマは欠かせないって感じ。アストゥリアスでもそうでしたが、きっと原始宗教的なものが、色濃く残っていたんだろう、と思っています。マリア信仰が強いというのも、もしかすると、そういうことがあるのかもしれない、と最近思ったりします。
不思議な動物フィギュアもありました。
楽しい…。いや、浮き彫りされている皆さんは、あまり楽しそうに見えないんだけど、こういうものがあると、わたしは楽しくなっちゃう。中に入れなかったけど、もう満足。
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2015/08/21(金) 02:58:20 |
カンタブリア・ロマネスク
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カンタブリア・ロマネスク、その5
前回まで紹介したサンティジャーナの町には、変則的な訪問をしていました。空港に到着した日、アストゥリアスに移動する前に、半端な時間があったため、まず立ち寄って、ざっと教会の見学。そして、旅の最後、空港に向かう前に滞在し、改めて、じっくりと訪問したのです。 ですから、アストゥリアスとの旅の合間に挟まって、わたしの中では、ちょっとカンタブリアから切り離された感じになってしまっています。
実際の旅のルート的には、アストゥリアスから直行した、この村が、カンタブリアの旅の皮切り、ということになります。
Cartesという町で、幹線を直角に曲がった道が、町のメインストリートになっているという、妙にきっぱりと分かりやすい構造になっていました。
しかし、ナビに町名を入れると、Cartesだけでは出てこず、Santiago de Cartesという名前が出てくるのみ。目的の教会の名前はサンチャゴIglesia de Santiagoだから、これでいいのかと走っていると、その地域では比較的大きな町Torrelavegaを出てすぐに、Santiago de Cartesに入りました。 でも、あっという間に通り抜けてしまい、どこが実際に町だったのかも分からないような感じで、次に、このCartesにたどり着きました。
とるものもとりあえず、町の入り口にあった定食屋さんでランチ。有無を言わせず、自動的にメニュが出てきました。強烈な量だったので、印象深いです。 一皿目が、グリンピースをベーコンでいためたものだったのですが、日本人的な感覚では、少なくとも四人分。メインは、小さい赤ピーマンに、クリームコロッケの中身みたいのを詰め込んだ冷たいお皿で、これも3人分くらい。味は、そこそこおいしかったのですが、なんだか山盛り過ぎて、食欲が減退するという矛盾な状態に陥りました。
写真も撮ってないのに、よく覚えていると感心されそうですが、いや、あきれられそうですが、こういうこと、結構日記に書いとくんです。そうすると、意外と周辺のこととか、芋づる式に思い出せることも多いんです。 ちなみに、お値段は9ユーロ。安っ! あ、ここで、懐かしいデザートに再会。クアハーダ。 フレッシュチーズに、蜂蜜や胡桃を混ぜ混ぜしたさっぱりデザートで、あれば必ずいただくものですが、きっと、アストゥリアスでは出会わなかったのですね。
すっかり満腹して、町に向かうことに。 レストランの人に確認したものの、奥のほうに古い教会はあるけれど、サンチャゴ教会だったかどうかは不明、ということでした。
道は、ただまっすぐです。
すごく立派な門。中世の市壁または城壁の一部だと思われます。二重になっている間には、こんな入り口。
こういう扉って中世っぽい!指輪物語(映画)に出てくるホビットのお家の扉が、こういう木の丸いのでしたよね。 この辺、やはりお城の一部だったみたいで、中に、名残がありました。
そして、歩き進めば、タイム・スリップ気分満載。
基本、すごい石の質感が迫ってくる町並みなんだけど、木製のバルコニーなどがうまく挿入されていて、威圧感を取り除いてます。そして、建物が低いので、覆いかぶさってくる感じがないのもよいのだと思います。
写真の腕が悪いので、絶対に伝わらないと思うのですが、わたし的には、この町、「スペインの美しい村100選」とかランキングがあれば、必ず上位に入る町だと思います。本当に美しいのです。町並みが美しく、また掃除が行き届いているような清々しさがあるのです。 多分、観光的にはまったく無名だと思うのですけれど、それでもこの美しさって、びっくりしますよねぇ。いや、何らかの有名なものがあるかもしれませんが、でも、ナビでも出てこないし、有名だったら、あの定食屋はないでしょうしねえ。
東京の下町のように、家の前にずらりと植木が並べられているのも、おそらく見た目の潤いになっているんでしょうね。ヨーロッパの町は、普通、中庭式で、正面には緑がないものですが、景観上の取り決めなのか、何らかの習慣や文化的なものなのか、この町、珍しいですね。
古いと教えられた教会の前も、まるで花園(または花屋)のようになっていて、おばあさんが熱心に箒を使っていました。
サンチャゴ教会を尋ねてみましたが、ここは、サン・マルティーノだし、それはおそらく、サンチャゴ・デ・カルテスのほうにあるのではないか、ということでした。教会のお世話をしている人が知らないというのも、不思議なことです。おそらく、あまりたいしたものは残っていないということだと思います。
おばあさんに勧められ、道の先にある警察まで行き、尋ねてみたけれど、やはり誰もわかりません。 どっちかといえば、先を急ぎたかったので、潔くあきらめました。 いずれにしても、このような美しい村に立ち寄れたことは、大変嬉しいことだったし。
戻り道は、純粋に町並みを楽しみました。立派なお屋敷がいくつかあり、例によって、立派な紋章が掲げられています。
細部まで細かく彫られた立派な紋章です。 こんな愛嬌のあるものもありました。
紋章の内容は、割とありがちな意匠だと思うのですが、両側から支えるライオン君がね、とってもチャーミング。
特に、この右側、えへへ~!って感じで、全然怖くないですよね。かわいい…!
というわけで、とうとうロマネスク的収穫ゼロでしたが、でも楽しい散策でした。この後、超過酷山道となります。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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2015/08/20(木) 00:42:40 |
カンタブリア・ロマネスク
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カンタブリア・ロマネスク、その4
サンティジャーナ・デル・マルSantillana del Mar、サンタ・フリアナ参事会教会la Colegiata de Santa Julianaの続き、いよいよ回廊です。
以前記しましたが、サンティジャーナの町は、いまや一大観光地と化し、小さな村はどこもかしこも観光客であふれていますが、このサンタ・フリアナへの入場口の辺りなど、中心部を一歩外れると、意外にもシーンとしています。そして、教会への入場者も実に少なくて、びっくりするくらい静かに、中世に浸れるスポットとなっています。これは、予想外でした。
ただ芝生がしいてあるだけのシンプルな内庭を囲むのは、二連の小円柱とそれぞれの柱頭。通常二連の柱だと、ほっそりとして優美な雰囲気がありますが、ここのは、ちょっと太めな感じでびっしり、重量感があります。柱頭の雰囲気も含め、どっしり。
ぐるぐる装飾系は、時代が若干違うのか、石が違うのか、たまたま保存がよかったのか、再建も混じっているのか、よい状態です。
でも、再建を示すRマークは入っていないので、やはりオリジナルなんでしょうかね。
一方で、聖書エピソードや寓話系のストーリー性のある柱頭は、全体に傷みが激しいです。
こちらは、比較的状態のよいもので、ライオンの穴のダニエルさん。わたしの好きなエピソードですが、ダニエルさんが、ちょいとおばさん風だし、ライオンの腰に尻尾がまきついてくびれていて、変に怖い。
ライオンつながりで、わたしの好みと来たら、欠かせないのが、こちら。ちょっと珍しい後ろ向き。
前の方からの撮影は、ほとんど失敗。
小雨だったので、レンズが汚れている上に逆光。 回廊柱頭の撮影は、結構難しいものです。ここは、位置が低めなので、最低の望遠で撮影できる分、ましだと思うのですが、内庭には入れないために、結構無理な角度にならざるを得なかったり。 ちなみにこれは、ライオンと戦う、ダビデまたはサムソン。長髪なので、サムソンぽいのですが、ワイルド感が薄いのでダビデかも?
ドラゴンと対峙する天使。
ってことは、ミカエル?解説では、そういうことでもなさそうです。黙示録系なのかしら? こちらでは、騎士もドラゴンと戦っています。
このドラゴン、結構えぐいです。
結構怪獣系というか、容赦がない姿かたちして、柱頭に巻きついている意匠が、なかなかの迫力。戦い系が好みだったんですかね、誰かの。
こっちでも、ケンタウルスとバシリスクが、怪しい森でどろどろやってます。
で、ちゃんと天国がある。
回廊は、東西南北に意味もあるし、なるべく順番にきちんと撮影して入るのですが、それでも、回る方向を間違えたり、いろいろあります。それにしてもこちらの柱頭の内容は、新旧約聖書、植物モチーフや寓話など、かなり混ざっているようにも思えますが、そんなはずもないので、きちんと調べないといけないと思っています。解説本がスペイン語なので、時間がかかって(昨日と同じ愚痴…)。
回廊には、軒送り彫刻もいくつか並べてありました。回廊と、教会をつなぐ扉装飾の一部らしいです。どれも愛らしい。
その扉は、今も健在です。
こういう屋根の付いた扉の上にまで、軒送りプラス彫刻装飾をするって、この軒送りへのこだわりは、すごいですね。 アーキボルトは市松モチーフ。大好きです。これも、スペイン全土にわたり、相当好まれたモチーフなのですね。
改めて写真を見ていると、この教会、実に装飾的で楽しい発見がたくさんあることが実感できます。町の立派な様子、それもおそらく中世期から既にそうだったと考えられることから、修道院の権威や経済力など、容易に想像できます。
観光客の増加に伴い、高速道路から直接町にアクセスする国道も出来(わたしのナビでは出てこなかったので、少なくともこの5年内に作られたもののはず)、もしかすると中世期以来、どっちかといえば衰退して縮小さえしていたかもしれない村が、今、発展をしつつあるような、そんな気もしました。
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2015/08/19(水) 00:05:06 |
カンタブリア・ロマネスク
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