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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

さらば、ミラノの冬。春の宵状態のオルビアで憩う。

サルデーニャ、ミニミニ修行旅、本編その1 

昨年12月に四連休を利用して、サルデーニャを急ぎ足で回ってきたのは、以前に記事にした通り。あまり気に入ったので、イースターに再び行こうかと、考えないでもなかったのですが、記憶も新しいうちに同じ場所を訪ねるのも、なんとなく面白くないような気がして、結局、イースターには、ちょっとひねった行き先を選びました。
再訪するなら、それを待ってまとめてアップ、と考えていましたが、再訪は当面なくなったので、今回いつになく早いタイミングで、記事にする次第です。

そもそも、サルデーニャってどこにあるか。




長靴の形のイタリア半島の西側、カリアリCagliariを州都とするのが、サルデーニャ州であるサルデーニャ島。
これはイタリア領だけの地図で、本来は、サルデーニャの上に、ほぼお互いの端っこをくっつける感じにして、フランス領コルシカ島があります。
それにしても、こうしてみると、結構島としては大きいのですね。正確な面積はわかりませんが、本島の多くの州やシチリア島と比べても、遜色ない広さですね。
島というイメージから、どうしてもこじんまりとした印象を持ってしまっていました。そういうイメージで、旅の計画を立て、実際、島中を駆けずり回り、3日で走行距離千キロともなってしまったわけですが、週末ミニ旅行で制覇など、本来なら無理、と思うべき土地だったのですね。今更ですが、あきれてます。




サルデーニャから、誰もがイメージするのは、紺碧の海。
世界レベルでも、トップレベルの美しい海、そして、ファシリティー的にもトップレベルのリゾート地があります。そのため、観光産業的には、なんと言っても夏のリゾートという位置付け。
夏は、そういった旅行客のために、飛行機やフェリーがピストン操業して、島の各地に観光客を送り込んでいるわけですが、それ以外のシーズンは、アクセスがぐっと限られます。

今回は、ミラノから格安エアが飛んでいるオルビアにアクセスすることとしました。地図では、島の右上の、港ともなっているサルデーニャの北の玄関口となります。
ちなみに今回、海にはほとんどアクセスしないで終わりました!修行旅では日常茶飯事ですから、驚くことでもありませんけれど…。

到着は夜の9時近く。夏だったら、うっすらと日が残る時間でしょうが、12月ですから既に真っ暗。空港でレンタカーの手配をして、町に向かいました。

余談になりますが、自分の戦略(?)に、われながら感心したのが、レンタカー会社の選択でした。
格安エアのサイト経由だと、提携レンタカー会社の料金が若干安くなるのですが、こんな時間に、こんな空港に到着する飛行機は、これだけに決まっています。フライ・アンド・ドライブの人の多くは、自動的にエアと合わせてレンタカー契約する可能性が高い。とすると、ヘタすると、飛行機を出るのに手間取ったりして、レンタカー手続きの行列の後ろになってしまったりすると、とんでもなく時間を無駄にすることになります。レンタカーの手続きって、結構な時間がかかるので、侮れません。

なんか、修行旅のときって、特にこうやって短期間の場合は、時間が勝負、みたいなところがあるので、いろんなこと想定しちゃうんですよね。

そういうわけで、色々チェックして、違うレンタカー会社を選んだのです。少しは高かったかもしれないけれど、この際、時間の方が重要。
結果、大成功でした。そこの窓口に直行したのは、わたし一人。一方、格安エア提携のレンタカー会社の窓口は、あっという間に長蛇の列。
いずれにしても、手荷物だけで身軽なわたしは、かなり早く到着したのですが、トップには並べなかったから、大きな違い。
その上、今でもレンタカーに対しては、若干の恐怖があり、できれば最低限の説明(ライトやウィンカーの位置など)をしてほしいわたしとしては、お客が他にいなかったので、車のところまでついてきてもらえたのは、大変ありがたかったです。

おっと、長々となってしまいましたが、時間のない方には参考になるかと思い、綴った次第です。

空港から町までは、15/20分程度、だったのですが、高速的な道の降り口を間違えたために、結局30分くらいかかってしまいました。しかし、道を間違えたために、本来とは逆方向から宿にアクセスすることとなり、そのために、オルビアの唯一最大の目的地の脇を通過することが出来ました。




サン・シンプリーチョ教会Basilica di San Simplicio。

この町での目的はこれだけだったので、教会に徒歩で簡単にアクセスできる宿を選んだのですが、その甲斐がありました。
ホテルにチェックインして、宿の人が、安全も保証してくれたので、すぐ、ライトアップの教会を楽しみに出ることにしました。なんと、公共の駐車場が、この教会の下にあるのでした。




ロンバルディア様式ばりばりの、実に美しい教会です。サルデーニャのロマネスクのイメージは、ピサ様式だったので、いきなりのロンバルディアに戸惑いましたが、ともかく、このアーチと付け柱という、大好物の組み合わせにわくわくです。

ファサードも地味ですが、石の質感がうっとりものです。




修行旅のメインは、夏なので、いつまでも日が残ることもあり、ライトアップされた夜の姿を拝めることは、めったにありません。町の教会でも、必ずしも、近所に宿泊することもないし。そういう意味でも、旅の始まりに、こういう素晴らしいたたずまいの教会に出会えたのは、まさに幸先がいいというのか、自分、ナイス!って、自画自賛状態です。

北側壁も、同じように美しいです。ライトアップ効果もあるかな。




周囲を舐めるように、何度もぐるぐるしてしまいました。
上の方には、レンガ積み部分もあるみたいですね。




ホテル到着直後、宿の方、「まだ早いから、町の方に行ってみるといいよ」、と勧めてくれたのですが、まずはサン・シンプリーチョに行く、と言うと、目を丸くして、「なぜ?なにもないよ?」。驚くこともない、ありがちな反応ですが、こんなに近く、というより、同じ通りにありながら、教会の価値をまったくわかってないんですねぇ、多分。観光業やっているなら、自分的に興味がなくても、せめて、価値はわかってほしいもんだと、ちょっと寂しく思いました。

とは言え、ライトアップを堪能したあと、町の中心部方面へ散歩。
既に10時半過ぎですが、寝る前に、ちょっと一杯引っ掛けようかな、と。

線路を渡った先が、旧市街中心地となるようです。




遠くに明かりがついているのが駅のホームだと思いますが、ここ、列車が走っているのかしら、というような雰囲気。
サルデーニャは、一応列車網があるのですが、運行は相当少なくて不規則らしいです。島内を車で走っていると、びっくりするような田舎の、素晴らしい景色の中、線路に出くわすことがあり、こんな路線なら乗ってみたいと思うことがしばしばありましたが、実際に列車が運行している姿には、一度もお目にかかれませんでした。
まぁでも、明かりがついているということは、この時間でも、一応列車の運行がある、ということなんでしょうねぇ。

旧市街の中央部にあった広場のひとつ。




いくつかのお店をのぞいたのですが、なんか落ちつかなそうだったり、サッカーの国際試合を大音響でテレビ放映していたり、どうも入りたいようなバールがなかったため、結局、広場のベンチに腰掛けて、のんびりスマホをいじったり、くつろぎました。
ミラノはぶるぶる冷え込んでいたのですが、ベンチに座ってぼんやりしていても、全然寒くない!ミラノで言えば、3月くらいの陽気でしょうか。まだ子供も遊んでいたりして、気持ちのよい春の宵、という感じでした。
基本的に、暖かい土地でリラックスしたい、というのも、旅を計画したときの目的のひとつだったので、大正解。
ただし、このあと、冷え込みましたので、ちょっと予想外でしたが。

次回、朝の教会です。

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  1. 2016/02/29(月) 03:54:39|
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千年前の風景を見ながら暮らすっていうのは。ガッリアーノ2

カントゥCantu'郊外にある、サン・ヴィンチェンツォ教会Basilica di San Vincenzo、そして、サン・ジョバンニ洗礼堂Battistero di San Giovanni、続きです。




前回の記事、または、ロマネスクのおとの記事を見ている方は気付いたと思いますが、この教会、フレスコ画が充実しています。
それも、すごく古いものが残っているんです。

初めて訪ねた頃は、ロマネスク探訪超初期で、ロマネスクも初期キリスト教も、ロンゴバルドもカロリングも、あまり、というか、ほとんどわかっていなかったんで、ここのフレスコの重要性というのも、全然理解していなかったのです。

フレスコ画の多くが、10世紀の超初期、1007年のもの。北イタリア地方における、神聖ローマ帝国オットー1世時代の壁画として、最も重要なもののひとつとされています。




なんとなく想起したのは、フェレンティッロのサン・ピエトロのフレスコとか、ミュスタイアのフレスコ。色の感じとか、表現が、何か。
とは言え、色彩は、かなり後退しているわけで、オリジナルは、相当しっかりした派手な色使いだったように思えますので、今見る感じとは、おそらく、全然違うものだったんでしょうねぇ。




とはいっても、ずいぶんとよく残っているものだと思います。
中央に、祝福するキリスト。これは、残念なことに、顔部分が完全に剥落してしまっています。
足元両脇にいるのは、預言者のエレミアとエゼキエルらしいです。それから大天使。

ここ、誰もいなければ、手前にある階段を登って、近くに寄ることは出来るんです。ただ、階段の途中に置いてある、「内陣には入らないでください」という注意書きに気付かない、またはわからない振りをすれば…。
しかし、訪ねたとき、ちょうど、愛想のないおじさんが、ミサの準備に余念なく、内陣を行ったり来たりウロウロされていて、とても知らん振りして足を踏み入れる勇気がありませんでした。残念!

この、勝利の門の内側のフレスコは、幾何学模様の中に、小鳥がちりばめられています。




モチーフとしては、ラベンナのモザイクを彷彿とさせrもの。そういえば、絵も、ビザンチン風だったりしますので、そういう影響もあるんですね、きっと。

キリストたちのいる下側の帯には、横長に、この教会が捧げられた聖ヴィンチェンツォの生涯が描かれています。
こちらは、その帯の最後の部分に描かれた、教会の寄進者であるアリベルトさんが、バジリカをキリストに差し出している図。




側壁の部分も、隙間なくフレスコで覆われていたようです。




こっち側は、薄れ方が激しくて、これ以上修復も無理だったんでしょうが、残念な状態です。それでも、ところどころ、物語的な場面を読み取れる場所があります。




ちょっとした冊子を入手できたので、ロマネスクのおとのを、きちんとアップデートしたいものです。先述したように、右も左もわからないときに作ったページで、かなり内容が薄いと思いますので。

そろそろミサの時間も迫ってきて、信者の方々が三々五々、教会に入ってきましたので、洗礼堂に移動します。




味のある建物ですよねぇ。
そして、ここ、すごいんです。
入るとすぐ、両側に、壁をくりぬいた階段があって、今でもちゃんと、二階に登ることができるんです。




こういう構造にしている洗礼堂は多いですが、今でも、ちゃんとアクセスできる場所は、限りなく少ないと思います。勿論ここも、近年の修復の賜物だとは思いますが、そもそも基礎がきちんとしていないと、無理なので、状態が、相当よかったんだと思います。
とっても、わくわくする階段です。

ちょっと登って下を見ると、こんな感じ。




二階到着。
あつーい手すりから身を乗り出して、下を見下ろしてみます。




真ん中にある洗礼盤は、全身が浸かれる深いもの。でも、階段もなくて、どうやって入ったのだろう、というつくりです。床面よりも、洗礼槽の床の方が深かったような気がします。
あれ?
でも、ここも11世紀初頭とすると、もう全身水に浸かる洗礼はなくなっていたはずだから、ということは、オリジナルの構造ではないのかな。洗礼槽そのものは、確かに新しい感じですけれど、場所や構造は、オリジナルを再現しているのか、と自動的に考えていたのですが。

下は、表面を漆喰で覆ってしまっていますが、二階は、石むき出しになっています。




でも、もともとは、こちらもフレスコが施されていたのだと思われます。
一部に、ちょっとだけ痕跡があります。




教会のクリプタにあった星と同じ模様、わかりますか。

洗礼槽のレベルから、トップを見た図。




個人的には、これは漆喰塗りよりも、石むき出しの方が好みですけどね。でも、この上に、きっとフレスコ画が施されて、絢爛とした内装だったのか、と思うと、こっちの方が、想像の一助にはなるのかも。

いい洗礼堂です。
うっとりした気分で、周囲を一回り。




ファサード側は、広々とした草原を確保しているので、素晴らしい眺めですが、後ろは、家々が迫っていて、余裕のない状態になっています。すぐ後ろに、高級マンションが建っているのは、ちょっとびっくりしました。10年前も、ここまで迫って、住宅があったかしらん?と過去の写真を漁ってみましたが、不明。何もなかった、ということはないはずですが…。

それにしても、11世紀の建物を見ながら生活できるなんて、素敵ですねぇ。一方通行の、石畳の細い道しか侵入路がなくて、実際はとても不便なことも多いと思うのですが、それでも、この美しい眺めをいつも見られるなんて、ちょっと夢みたい。

次回からは、スペインとイタリア、迷いましたが、久しぶりにイタリアに集中しようと思います。お楽しみに。

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  1. 2016/02/26(金) 07:05:22|
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約十年ぶりに再会!意外とよく覚えているもんだ~。ガッリアーノ1

ご近所ふらりシリーズ、っていうシリーズ、今勝手に作りましたけど、今日は、ロマネスクふらり編。

お天気もいいし、車あまり乗らないでいるとバッテリーへたるし、タイヤは傷むし、ということで、ガッリアーノGallianoを訪ねる気になりました。




カントゥCantu'郊外にある、サン・ヴィンチェンツォ教会Basilica di San Vincenzoと、サン・ジョバンニ洗礼堂Battistero di San Giovanniです。

ここは、ロマネスクを意識して訪ねだした、かなり初期の頃に、相当苦労して探し当てた場所。ナビもなく、スマホもなく、教会の住所もわからず、ひたすら紙の地図だけが頼りだった時代。わたしも、車に乗りだして数年目で、常にびくびくしながら運転していた時代でもありました。

このあたりの土地は、アップダウンも激しく、カントゥの町に行っても、全然わからないし、もうあきらめかけた頃、この、町郊外にある丘に、なぜかたどり着けたこと、今でも鮮明に覚えています。

今では、ナビの言うとおりに走っていけば、それなりに着いてしまうんですから、便利な時代になったものです。
と言っても、わたしのナビは、買ってから5年ほどたちますが、全然アップデートしていないので、実は、今日は新しいSuper Strada(高速道路に準じる道路)を認識してくれなくて、ずいぶん遠回りをする羽目になりましたけど。

それはともかく、相変わらず美しいたたずまいで、嬉しくなりました。




丘の麓に車を停めて、この草原の縁を、登っていきます。車道ではありますが、素敵なアプローチ。

教会側からだと、こんな感じ。町の遥か向こうの方には、雪をかぶったアルプスの山々が見えます。




ミラノからだと、コモ方向になるので、結構北で、アルプスも近いのです。

それにしても、かつてはどういう環境だったのかな、と考えてしまいます。
最初の教会が建てられたのは、カロリング朝の時代とされていますが、そういった場所は、おそらく古代から神聖な場所だった可能性が高いので、昔々は、森だったのではないかと思うのです。
今の町を見下ろすように森が広がる神聖な場所。脳内トリップです。

今は、教会と洗礼堂が並んでいますが、もともとあったのは、教会だけです。




超地味なファサード。装飾らしいものはほとんどなし。オリジナルから、こういうスタイルだったようです。
それも、右側の身廊が、ありません。
これは、19世紀に、取り去られちゃったもの。その当時、ここは、地元の農家が家畜用の小屋に使っていたらしいんです。使い勝手をよくするために、身廊を取り払って、建物をオープンにしていたのではないでしょうか。

5世紀後半に建てられたという最初の教会の痕跡は、内部にちょこっと残っていますが、外観は10世紀の建物がベースです。




横も地味なのですが、窓の部分が、開口とアーチのみの交互並べ、その間に、ひし形のくりぬき模様があるのが、珍しいです。ロンゴバルド起源ではないか、と解説書にありますが、さて。
あ、ちなみに、北側の方が、装飾的というのは、珍しいですね。10世紀に、古い教会を改築改装した際に、同時に洗礼堂が作られたのではないか、と考えられている理由のひとつかもしれないですね。洗礼堂側は、南側の身廊があったとすると、ほぼくっつくくらいに近いので。
身廊があったはずの基礎が、敷石で、示されています。




後陣。




超ロンバルディア!いいなぁ。
シンプルだけど、実に正確なアーチ、付け柱。このスタイルが用いられた、ほぼ最初の例とされているようです。すっごく貴重ってことですよね。




先述したように、19世紀初頭に、この教会は民間に払い下げされてしまい、その期間に、南側の身廊および、鐘楼も取り払われてしまいました。20世紀初頭に市が買い上げて、1970年代から大規模な修復を実施して、今の姿が取り戻されたもの。鐘楼まで壊されてしまったとは、まったく残念なことですが、そういう時代があったのですよね。

さて、中に入りましょう。




家畜小屋とかに使われていたらしいのに、よくぞ残ってくれました、というフレスコ画たくさんあります。それに加えて、好物のクリプタも。
まずは、クリプタ。

高く持ち上げられた内陣部分の両脇にある階段から降ります。




今の本堂の床は、全部新しいタイルになってしまっているのが、残念。ところどころ、古い床面が見えるようにガラス張りになっていますが、しかし相当深いので、床面よりもっと低い場所かな。説明がなかったんですよねぇ。




ほっそりした優美な円柱に支えられたヴォルト構造、三身廊で祭壇ありのスタイル。

柱頭は、シンプルなアーカンサス・モチーフですが、カロリング時代の再利用品らしいです。9世紀の大理石製。雰囲気ありますよね。古い教会の時代にも、このクリプタはあったようです。壁に残されたフレスコ画は、13世紀らしいです。




ヴォルト部分に見られる、星型のモチーフ、覚えておいてくださいね。洗礼堂の方でも見られます。モザイクのモチーフ風のような気もしますね。
実は、後陣フレスコにも、ビザンチン風が見られたり、特に幾何学的な部分は、モチーフがモザイク風なのですよ。

この、掌を広げた祝福スタイルも、もしかするとビザンチン?




それにしても、これ、マリアですよね?違うのかな。なんで、ピエロみたいな縞々衣装?
続きます。

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  1. 2016/02/22(月) 01:45:52|
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お買い物前にちょいと展覧会。ハンガー・ビコッカ。

車で買い物に出た際、ちょいと近所の美術館に寄り道する気になりました。




以前にも何度か記事にしたことのあるハンガー・ビコッカHangar Bicocca、ピレリ財団の持つ、現代美術向けの美術館。我が家からだと、車で10分弱という近さで、その上入場料無料ですから、折に触れて、立ち寄ります。
前回、11月のときは、常設のキーファーを記事にしただけで、結局展覧会の記事は書けないまま、展覧会は終了してしまって、残念でした。あれは本当に面白かったんですけれど。

最近、展覧会といえば、年に一度ベネチア詣でをするくらいに成り下がってしまった情けないわたくしにとって、この、近所の美術館というのは、とてもありがたいものです。お買い物のついでに最新現代美術のインスタレーションに、気軽に触れることが出来るって、なんかいいですよ。しつこいですが、ただですから、本当に気軽なんです。

さて、今回は、コソボ出身アーティストの、イタリア初の展覧会をやっていました。




Space Shuttle in the Gardenというタイトルで、アーティストは、Petrit Halilajという方。1986年コソボ生まれということなので、若手です。コソボ、イタリア、ドイツを活動の拠点としているということです。

この、木製の宇宙船状の物体、土の上に建てられていますけれど、反対側から見ると、実は鳥小屋。後ろ側に並んでいるレンガ積みの建物が、美術館本体になりますが、このスペースシャトルの後ろにある扉は開いていて、鶏がうろうろしています。

They are Lucky to be Bourgeois Hensというのが、鶏たちも含んだ作品名。
60年代の終わりに、イタリアを中心に流行ったアルテ・ポーヴェラArte poveraにインスピレーションを受けたオブジェクト。
オリジナルのシャトルは、内部がクライン・ブルーに塗られていて、実際に鶏が入ることも出来るようになっていたらしいです。こちらは、そういう仕掛けはなし。ブルジョワな鶏でよかったね~、というタイトルですが、「誰でもアクセスできるアート」みたいなコンセプトがあったみたいです。一木一草、みな平等ですっていう、仏教的な?

建物の中には、本当に立派な鶏が何羽かうろうろしていて、時々雄鶏が時を告げるのが、面白かったです。




過去に、ベルリンのビエンナーレに出展されたときは、実際に会場に鶏が放し飼いになっていたとありました。今回は、金網の中。係員さんが、今朝は臭かったから、扉をいくつか開けたのよ、と言ってました。生き物を作品の中に置くことが結構多い作家さんらしいので、美術館も大変です。

会場のほとんどのスペースを占めるのは、家の骨組み。




コソボ紛争時に、家族で住んでいた家が破壊されてしまったことに、インスパイアされているインスタレーション。

The Place I'm looking for, my dear, are utopian places, they are boring and I don't know how to make them real, 2010-2015

先述したように、ベルリン・ビエンナーレの出展地は、地面から二階建ての家のようになっていて、そこに鶏が放し飼いにされていたということですが、ハンガーでは、宙に浮いた構造になっています。鶏を放し飼いにすることに、再生や再建という意図をこめたらしいですが、今回の構造では、下部にレンガを使うことで、建設を牛耳るマフィアの世界を表現するなど、当時との違いを打ち出しています。うう。よくわからない。

現代美術の解説って、実はあまり興味ありません。勝手に感じたい方です。

これまた、変なもの。




薪によさそうな木がぎっしりしたもの、反対側に回ると、これ。




農作業で使うようなものとか、生活品的なものが、ケースに収められています。
26 Objects

作家さんのおじいさんが使っていたもののレプリカだって。土や木や使い古しの金属など、このアーティストが好んで使うマテリアルを象徴した作品とか何とか。
この作品を作ったとき、彼は既にコソボの家族と離れて、ベルリンに暮らしていて、その距離をあえて形にしたと。ふーん。なんかちょっとわかるような。手紙っぽいの。パタンって閉じそうだし、このケース。

これは、なんか好きだった。




ぱっと見、なんだかわからないんだけど、全体を見ると、イヤリング!巨大!100倍サイズだそうです。
こっちはネックレス。




ちょっとわかりにくいけど。
奥にあるのは、腕輪。

どれも、メタルに砂が載ってる。




砂や炭。




もともと住んでいた家がだめになるとき、お母さんが、宝石やアクセサリー、子供の絵なんかを土に埋めたんだそうだ。結局失われちゃったみたいなんだけど。そのイメージを形にしたってことらしい。自分の中では、100倍にも膨らんじゃったイメージ。

コソボって、ひどい紛争があったところ。それも最近のことだから、86年生まれの彼は、もろに影響受けちゃってるって言うか、戦争状態の中で育っているのかな。それってすごいことだと思います。

ビデオ作品がありました。




Who does the earth belong to while painting the wind?

かつての家のあった場所を、虫くらいの視線でずっとカメラが走る。映像も、ちょっとぼやけてて、虫が花を探してとまろうとしてる的な、そういう感じになってます。間に、自身の子供のときの映像があります。確かにここに住んでたけど、今は草と花と虫と蝶しかいないよねって。
これは、なんか、うんうんって感じだった。

大きなアクセサリー、巨人だな、何倍くらいの背の人になるかな、なんて漠然と考えたりしてたけど、なんか、そういう縮尺にした気持ちがわかるっていうか。

全然よくわからないんだけど、やっぱり現代美術って、感じる。意図や意味を考えるっていうより、感じるから考えるって感じかな。

この美術館は、無料にもかかわらず、必ず詳細解説冊子を用意してくれていますので、あとからざっと読んで、なるほどって思うことも出来て、それもまた楽しい。
まったく自分とは宴もゆかりもない事柄を、純粋に考えるって、いいですよね。日常ではなかなか出来ないことです。
また行こうっと。

Petrit Halilaj
Space Shuttle in the Garden
Pirelli Hangar Bicocca - Via Chiese 2, Milano
until 13/03/2016

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犬好きに捧げる、暗闇の柱頭。サン・ヴィセンテ・デ・ラ・バルケーラ

カンタブリア・ロマネスク、その33(最終回)

サン・ヴィセンテ・デ・ラ・バルケーラSan Vicente de la Barquera、サンタ・マリアまたは、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンヘレス教会Iglesia de Santa Maria / Nuestra Senora de los Angeles、続きです。

この、外観はほぼゴシックという教会では、かすかに残るロマネスクを求めて、宝探しをする必要があります。
前回の門をさらに回り込むと、現在、教会の入り口となっている、もうひとつの門があります。




教会の南側になるこの門は、村の人々の門La Puerta de las gentes de la villaという名称になっています。
リュネッタの部分には、後代、16世紀のもののようですが、(わたしにとっては大いに)余計な飾りがついていますし、その下には、入場料とかが大きく掲げられていて、げっそりしますが、門そのものは、とても立派な構造で、装飾的にはシンプルですが、アーキボルトの積み重ねに迫力があります。こういうのが流行ったことがあるんですね、きっと。

側柱の柱頭彫り物は、時代が入り混じっている印象ですが、かわいらしいです。
右側。




そして左側。




好みでは、右側はこの、にょろにょろに取り込まれた顔の人。




左側では、得体の知れない物の怪風満載のこれかな。




アーキボルトにも、ちょっと面白い人たちがいます。




なんか!この手の素朴系フィギュアに出会うのって、すごく久々感がありました!
角っこにつつましく佇む、聖職者風。胸の前で自分を抱きしめるように巻いた手が、すごく大きくて、印象的。目力も半端ないですよね。
衣が短めで、出ちゃっている足の感じもかわいい~!

お向かいにいる人は、ほぼ完璧お地蔵様!




内側アーキボルトの大きなジグザグも、結構好きなモチーフです。

有料ですが、ここまで来た以上、勿論入場。
いきなりこんな感じなので、ちょっと気持ちが引けます。




でも、ありがたいことに、古い時代のものが、ちゃんと薄闇の中で待っていてくれるんです。
ほれ!




いやん、ただ、かわいい!




あれ~?わたしは、犬か猫かといえば、完全に猫派ですが、それにしても、この子達かわいいし、でも、かなり明らかに犬?ちょっとびっくり。上のも犬っぽい。ライオンが犬に見えるっていうのはあっても、犬そのものって、モチーフとして、出てこないよね?猫もないけど、ライオンが猫っぽいっていうのは多いです。
ってことは、モチーフとして、かなり新しい?それとも、犬って、ロマネスク装飾にありましたっけ?




動物モチーフ、それもよくある幻獣系というよりも、現実派系が多い柱頭満載。
単に手がつたないから、時代が古いような気がしてるのかな?




そういわれれば、そうなのかな?という気もする彫り物。
とは言え、なんとなくかわいくて、そういうものがあるというイメージがなくて意外な発見だったのも面白くて、結構じっくり観察してしまいました。

結果、この町でランチを取る時間がなくなって、空港に直行することになってしまいました。が、それはそれ。最後まで好きなものにどっぷり浸れてよかったです。ちょっぴりだけど、海も見られたしね。

というわけで、最後は地味ですが、カンタブリアの旅、これでとりあえずの終了。とりあえずというのは、おそらく次回があるという気持ちをこめてです。
アストゥリアスと合わせて、1週間で合計53の教会めぐり。がんばったな~と、今更ながら感心しています。
いずれにしても、長丁場、お付き合いください、有難うございました。

次回以降は、引き続きスペイン特集にするか、たまにはイタリアに戻るか、思案中です。最近怠け癖がついて、お休みも多いですが、どうぞ、あきれずにお付き合いくださいね~。

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  1. 2016/02/20(土) 07:03:27|
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ゴシックに埋もれた宝を探せ!サン・ヴィセンテ・デ・ラ・バルケーラ

カンタブリア・ロマネスク、その32

いよいよ、長丁場となってしまったカンタブリア編、最後の訪問地サン・ヴィセンテ・デ・ラ・バルケーラSan Vicente de la Barqueraです。
この町の名前って、なんだかそれだけで、海の童話みたいなイメージが湧いて、わくわく感を覚えます。名前フェチって訳ではないんですが。

さて、まずは、町の作りもよくわからないなりに、旧市街から橋を渡った側に出てしまいました。
駐車場の目印があったので、すかさず入場、停車。この日は時間に限りがあることから、駐車場ごときでうろうろ悩む暇がないのです。
幸いにも、橋を渡ってすぐだったので、旧市街に戻るのは、ちょっとした足慣らし程度で、ちょうどよかったです。




赤い目印のあるのと、反対側の袂から、ちょっと先に行ったところの水色が、わたしの利用した立体駐車場。手前の方にも水色がありますが、こちらはほぼ満杯だったのでした。

車で動いていると、歩くことが少なくなり、土地勘が鈍ります。こういうように、ちょっと離れた場所に車を停めることで歩かざるを得なくなり、ほんのわずかでも、町の雰囲気がつかめるようなところがあるので、時間があまりなくても、個人的には、ちょっとでも歩ける方が嬉しい。

橋から、旧市街の様子が見えます。と言っても、このときは、緑の向こうの高台が旧市街だとは、まったくわかってなかったんですが。




旧市街は、丘にへばりついているような町で、橋をわたりきるとすぐ、結構な坂道が始まります。
道脇のところどころには、こんな岩肌が見られます。




丘ではなく、岩山なんですね。
岩の上には、お城があります。時間的に余裕のある旅だったら、第一の観光スポットは、このお城なのかもしれません。城壁に登ったら、美しい海の風景が広がりそうです。




わたしが目指すのは、こちらです。




サンチャゴ北部巡礼路。
この辺りからだと、サンチャゴ・デ・コンポステラも、かなり近づいてきた感じがあるかも。巡礼路も相当多くのルートが入り乱れています。この北部ルートは、美しい海の眺めも広がりますが、アップダウンも激しく、岩山が途切れ途切れにつながり、内陸と比べても、決して楽な道ではありません。でも、内陸だと、ピコス・デ・エウローパが立ちはだかったりするので、こっちのルートも開発されたのでしょうかね。

坂道を登りきった先に、目指す教会がありますが、その前に、これ。




教会のすぐ前に位置しますが、巡礼救護所Hospital de la Concepcionの門だけが残っているのです。14/16世紀頃に栄えたようですが、様式はそれ以前のものですから、古い建物を再利用していたのかもしれません。

いよいよ目的地に到着。




サンタ・マリアまたは、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンヘレス教会Iglesia de Santa Maria / Nuestra Senora de los Angelesです。




うっ!?これは何?と思いますよね。どう見てもロマネスクじゃないし。
実は、今ある教会建物全体は、ゴシック時代のもので、外観的には、ほぼロマネスクは感じられないたたずまいになっているのです。
でも、せっかくはるばる、坂まで登ってきたのに、とがっかりするのは早い。一応、一部、古い遺構もあるのですよ。

それが、こちらの門。ポデール門La puerta de Puder。




明らかに門とその周囲の装飾だけ、建物から浮いてしまっています。
気になる側柱の柱頭。右側。




騎馬の人がいたり、何かやってる人がいたり、残念ながら摩滅が激しいですけれど、間違いなく、わたしの大好きな時代です。
左側。




チェッカー帯まで傷んでいるのは、痛々しいです。
右側の一番奥。手前に騎馬の人がいて、門の方は町の姿ですから、エルサレム入場だったりしますかね。

一方、左側の一番奥は、なんだかとても面白いんですが、意味が分かりません。




扉の上にあるひさし部分に施された持ち送りにも、好ましい奴らが並んでいます。




猫科二連。どっちも口をあけて、何か加えていますが、ライオンとは思えない。どう見ても猫。
間に置かれた花の浅浮き彫りもいい感じです。

地味だけど、こんなところにね~、という発見の喜びがあって、結構満足。
扉の先は、小さいテラスになっていて、眼下には、海とつながる湿地帯が広がっています。




もう一回、続きます。

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  1. 2016/02/18(木) 06:53:31|
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猫額でも夢のようなプレ・ロマネスク教会。カボ・レドンド。

カンタブリア・ロマネスク、その31

カンタブリア最終日は、午後早い飛行機で出発だったので、あまり時間がありません。悩んだ結果、せっかくここまで来ていながら、ほとんど見ていない海を見てから帰ろう、と思いつき、行き先を決めました。




目的は、サン・ヴィセンテ・デ・ラ・バルケラSan Vicente de la Barqueraです。遥か昔に、通り過ぎたことはあると思うのですが、記憶なし。空港とは反対方向ですが、でも、高速に乗ってしまえばたいした距離でもないので、余裕です。うまくいけば、お魚ランチにもありつけるかも…。

ということで出発。サンティジャーナから出発なので、高速(写真下の赤白の道)ではなく、海側の国道を使うことにしました。
がらがらのきれいな道を、快適に走っていると、10キロも行かない地点、道端に、またもや、目立つ看板発見!




いったん通り過ぎたのですが、後戻って確認。道端に教会があるわけではなく、街道沿いの村に入り込む必要があります。でも、好物のプレロマネスクとあっちゃ、知らん振りは出来ません。
というわけで、カボ・レドンドCabo Redondoという村の住宅街に入り込みました。
ちょっとの間、さして広くもない住宅地を行ったり来たりして、たどり着いたのは、こちら。サン・バルトロメ礼拝堂Ermita Prerromanico de San Bartolome'。9世紀起源です。




かわいらしい後陣!
本来あるはずのファサード側、つまり西側は、のっぺらぼう。




おそらく、こんな小さな建物ですから、もともとファサードのようなものはなかったと思いますが、いずれにしても、後付の壁のようですね。
一帯は小さな児童公園になっていて、脇を小川が流れ、実に小さな土地ではありますが、夢のようにきれいな場所でした。

南側に扉。勿論開いていませんでしたけど。




こんな小さくても、持ち送りには、ちゃんと彫り物が飾ってありますね。北側もずらり。ただし、ほとんどは傷んでしまっていて、原型がわからないものの方が多いのは残念。




こういう教会では、きっと地元の石工さんが働いていたのでしょうから、いずれにしても、シンプルなモチーフだったのだと思います。それも、かわいらしい村の教会には合っていますよね。
なんだか、人知れず、大切にされていて、ちゃんと往時の姿をとどめている教会に出会うと、無性に嬉しくなります。わたしだけが出会った、みたいな希少な気持ちになったりしてね。

気を取り直して、再発進。国道を順調に飛ばし、サン・ヴィセンテに近づくにつれて、海も近付いてきて、時々絶景が広がります。




でも、写真が撮りたい~、と思う場所では、なかなかうまく停車できず、やっと停車できる場所では、こんなつまらない絵しかとれないといういつものパターンで、残念。

サン・ヴィセンテは、予想より面白くて、教会の見所も多かったので、次回じっくり。

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  1. 2016/02/17(水) 05:54:39|
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芳しい?牛糞臭漂う教会の、不思議な生き物たち。アルゴミジャ。

カンタブリア・ロマネスク、その30

元気なときだと、まだまだこれから、という17時近くでしたが、やはり旅も後半になると疲労が押し寄せてきて、ホテルに向かおうと思う時間が早くなる傾向にあります。この日も、正直、サンタ・マリア・デ・カジョンから直帰したい気持ちだったのですが、せっかく通り道にあるものはやはり無視できません。身にも心にも鞭打つ感じで停車したのは、アルゴミジャArgomillaという村。




こういうときに限って、すごく探しているわけでもないのに、道端にこんなわかりやすい表示があって、ますます「無視するなよ」と言われている気分になります。
0.6とあるので、幹線から入ってすぐの道端に車を置いて、歩き出しました。

ところが、その辺は普通の住宅街で、教会の影も形もなし。100メートルほど歩いて、結局車に引き返して、改めて目指すこととなりました。600メートルなら徒歩でも10分もかからないし、と思ったのですが、実は、町をはずれた丘の上にあったので、すぐに引き返して大正解でした。丘の上だから、直線距離にしたら600メートルくらいのもの?




でも、丘の上から町のほうを見るとこんな感じですから、600メートルは間違っていると思います。マイル表示だったり?謎です。

丘には、牧畜農家があり、牛がたくさん。そして、例の田舎のにおい(牛糞系)が激しく漂っています。緑は美しく整備されており、においさえ気にしなければ、美しいたたずまいの教会、サン・アンドレスIglesia de San Andresがありました。




見るからに、いろんな時代に、いろんなものがくっつけられてしまった結果、こんな形になっちゃいました、というような複雑な建物になっています。
手前にどーんと建っている塔も、基部は教会創建時12世紀のものですが、上部は、15世紀以降に付け足されてもののようです。

この教会の向かいに、その頃の貴族の館のような建物があり、今はすっかり農家となっているのでびっくりですが、その貴族が、プライベートな教会のように使っていた時代があったのかもしれません。「丘の上にお館」って、まるで童話のようなたたずまいでしたが、今は、牛糞に取り囲まれて、ちょっと荒れた雰囲気でした。
というのも、酪農なのか肉牛農家なのかわかりませんが、泥と牛糞で辺りがぐちゃぐちゃで、正直言って、もう少し清潔に保てるのにそうしていないのではないか、という様子なんです。せっかく建物が素晴らしいのに、落魄というか、寂しい雰囲気っていうのかな。ここのミルクは飲みたくない、と思うような。

塔の下に隠されたポルタイユ。




ここも、アーキボルトへの気合は相当入ってますね。ここでは、柱頭彫り物があり、サンタ・マリア・デ・カジョンよりは、かなり装飾的です。




赤味がかった石と、白い石を、混ぜて使っているのが面白いです。彫り物はかわいらしいのですが、残念ながら、ちょっと放置されている様子が寂しいですね。それでも、雨風が直接当たらない場所だから、何とか完全磨耗を免れているような感じです。
しかし、ここ、鉄柵があり、近づけないのは残念でした。
後ろの方も、ポーチのようになっている場所に鉄柵があり、中には入れません。が、一部見られるようになっています。




何かしら心惹かれるものがあったので、入れるものなら入りたいと思い、向かいの貴族の館を訪ねてみたのですが、誰も出てきてくれませんでした。車があったので、人はいたはずなんですが、面倒だったのでしょうね、きっと。

さて、見るべきは、後陣側の装飾です。




後陣側が斜面となっていて、全体をうまく撮影できる場所がなかったので、こんな半端に姿。シンプルな付け柱三分割で、装飾が施された開口部あり。




大好物なチェッカー帯があります。これだけで嬉しくなっちゃうわたしですが、ここの持ち送り彫刻、楽しいですから、さらに嬉しかったです。










動物モチーフが多いと思うのですけれど、個性的です。動物以外のモチーフも、なんだかとっても不思議。チェッカー模様のお化けみたいなの、初めて見ます。
ライオンも、各種並んでいて、楽しい!




人もいます。




後陣の方向から考えると、理論的には北壁、そちらの持ち送りも面白いです。




普通、装飾は南壁に施されることが多いので、もしかすると後陣の方向が違うのかも。

それにしても、まさかの楽しさ。鞭打って来た甲斐、大いにありました。
この日は、数はあまり見られなかったのですが、終わりよければすべてよし、というのはあります。かなり満足して、ホテルに向かうことが出来ました。

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  1. 2016/02/14(日) 22:13:03|
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まさか鼻つまみ者?ってことか?サンタ・マリア・デ・カジョン。

カンタブリア・ロマネスク、その29

とてもステキなランチに大満足して、次に向かったのは、サンタ・マリア・デ・カジョンSanta Maria de Cayonという村にあるサンタンドレス教会Iglesia de San Andresです。




住宅地にあります。まん前にバールがあり、外のテーブルには、地元のオヤジ鈴なり。例によって、アワアワした感じで視界に飛び込んだであろうわたしに、視線が突き刺さります。
このあたり、基本的にみな親切で人懐っこいですが、無遠慮にべたべたするような文化はないので、特に声をかけてくるような人はいないのですが、ラテンの人たちは、興味のあるものを、遠慮なく凝視しますよね。
日本の、日本人の旅行者すらめったに来ないようなど田舎に、金髪碧眼とか、ブラック・アフリカ系の人とかが、アワアワやってきたら、やっぱり注目されちゃうと思いますが、日本だったら、きっと見て見ぬ振りをする人も多いように思います。

さて、一見、ちょっとがっかりした、というのが正直なところ。結構わざわざ来た、という気持ちだったんですが、どう見てもクローズだし、来た甲斐がなかったかも、といきなり意気消沈。視線が痛い。

正面扉、近寄ります。




すごい~。きれいさっぱりすっきり、装飾ゼロ!いっそ潔い清潔感です。何連ものアーキボルト、気合を感じますが、それで気合と石工の技量、使い果たしちゃったかな。
実際、シンプルだけど、ここまでアーチを重ねると、単純な美しさが産み出されるものですね。目からうろこ。

後付で残念感が高まったのは、ガイド本で、内部の写真を見たときです。




中も、すっきりさっぱり系ですが、こういう石だけ系アーチ多用、かなり好み。素敵ですよねぇ。この現場で写真を見ていたら、少なくともバールの人には、鍵のありかを尋ねたと思うのですが、この時点では、中はたいしたこともなかろう、と決め付けちゃったんです。だめですよ、こういう思い込みは。

何はともあれ、入れませんので(例によって、ミサのときだけオープンするようでした)、周囲の見学はきっちりしてきました。




後陣の方に移動しつつ、嬉しい発見!(シンプルもいいですが、やっぱり、何かあると嬉しい。)
円筒形じゃない角々のある変則後陣ですが、こちらは、ちゃんと装飾があるんです。特に持ち送り彫刻、かなりの数が目視で楽しめます。




ズームすると、軒送りにご丁寧にチェッカー帯まであります。これも好みです。
彫り物は、磨耗も激しいのですが、一目見て、怪しい感じがありあり。




付け柱の柱頭ですが、二羽の鳥に、鼻をつままれているようです。初めて見るモチーフ!

こちらは、教会の入り口で、人や羊を抱え込んでいるライオンと同じモチーフですが、それを数百倍かわいらしくしたバージョンで、その上、ライオンは猫にしか見えないし、抱え込んでいるものも、人ではなく獣、それも子猫にしか見えないっていうのは、不思議っていうか、かわいすぎ~!




これも、一見すると、普段はあまり目に留めない鳥モチーフなんだけど、足が発達してペンギン化してるバージョン!




こちらも、面白いのが並んでいます。




真ん中の三人オヤジぎっちり寄り添い系は、マギかな?と一瞬思えますが、でも、一人バージョンもあるんですよねぇ。




手の彫り方が一緒で、顔も似ているし、同じ石工さんだと思うけれど、単に持っているものが違うから、やっぱりマギかしらん。

これも、すっごくなぞ。 




顔が、水のようなうねうねなんですよね。よく、洗礼をするキリストを表すフレスコ画やモザイクであるような表現方法で、顔に水のうねうねが走ってるのです。だから、アップで見ると、ただの荒削りの石みたいな。こうやって遠めにすると、やっぱり顔ですよね。




面白いし、こうやって見ると素敵な後陣。がっかりして悪かった~!

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  1. 2016/02/13(土) 23:52:52|
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スペイン飯!たまには、ご飯写真で一休み。

カンタブリア・ロマネスク、その28

サントーニャSantonaの次に、プラヴェスPravesという村に向かいました。ここは、不思議でした。
街道からちょっと入った場所に、民家が点在しているだけの村。その一番奥に、それらしい建物が見えます。




多分、目指している教区教会Iglesia Parroquial de Praves。
でももう、遠めにも、見るからに「違う」。
とは言え、はるばる来たのですから近づいていきます。事前情報の見所は、「ポルタイユ」。




正面扉にして、この簡素さは驚きです。
確かに完全半円アーチだし、ロマネスク時代の構造であることは間違いないと思いますが、それにしても、見所というにはあまりに…。
うーむ。ここを訪ねる場所のひとつとしてメモしたのはわたしなので、文句も言えませんが…。
かすかーに、何かのあとはありましたが…。




そしてかろうじて、軒送りに、こんなものは見つけましたが…。(…、多すぎ。)




実際、現地で仕入れた、かなり小さな教会まで網羅しているカンタブリアのロマネスク本にも、出ていませんでした。どこで拾ったんだろう?

気を取り直し、西部に戻ります。地図を眺めて、ランチをいただけそうな、という観点で向かったのが、リエルガネスLierganesという町でした。

ここからは、ロマネスク修行、一時停止で、旅行記となります~。

いきなり、割と繁華な場所に出てしまい、アワアワしていると駅前広場に出ました。どうやら地元の祭り(日本だったら盆踊り的な)の片付け最中。労働者に、ランチできる場所を尋ねてみると、地元の人だったようで、適切な駐車場所も含め、実に詳細な情報を教えてくれました。
で、教会は多分、目指しているものと違うようだったので、完全に方向転換。ここではご飯をいただくことに目的を絞りました。

駐車して最初に出会った風景がこちら。




これは、ローマ橋と呼ばれているものの、今ある姿は、16世紀に作られたもののようです。でも、きっとローマ時代から橋があったのでしょうね。美しい眺めです。
この橋を渡り、旧市街にアクセスします。




いきなり、中世そのままの町並みが展開するので、びっくりしました。
だって、車ではいきなり新市街にアクセスして、かなりごちゃごちゃとしていましたからね。




とても美しい町だし、その美しさを自覚して、メンテナンスして、観光客を呼んでいる様子で、好感度高し。
そして、事細かに教えてもらったレストランがまた、素晴らしかったのです。
外観は、安っぽい海の家的な大味な雰囲気だったので、半信半疑で入ったのですが、内装はシックで、なんで?っていうくらいオサレ度高かったのです。
やっぱり、山のリゾートみたいなことで売っている町なのかも。

El Ojo del Abrego - Lierganes

メニュー15ユーロで、ランチにはちょっと高いと思いましたが、十分価値がありました。
コシーダ(盛りだくさんのスープ)、メルルーサのフライ、そしてデザートはタルト・タタン。










家庭料理的ではあるのですが、お皿や銀器、グラスがオサレなこともあり、余計においしく感じました。実際、タルト・タタンは、絶品でしたが。

ついでに、カンタブリアでいただいたものを、ちょっと並べてみようかな。どうせ今日は、観光記事に成り下がっちゃったし。

友人と過ごしたサンティジャーナ・デル・マルでは、一人じゃなくて3人で食卓を囲むというのが、とっても嬉しかったですね~。
というのも、スペインは全般的に飲み文化がありますから、つまみ複数でのんびり飲む、という食べ方が出来る居酒屋系のお店も多いのです。が、一人だと、あまりたくさんのお皿を頼めないですからね。

そういうときに食べるもの。
山盛りサラダ、ガリシア風の蛸、ガンバス(海老)!










そういえば、サンティジャーナでもシードルに出会ったのですが、ここでは、店員さんが1メートルも上から一杯ずつ注ぐ、などという非生産的なことはしておらず(あれ、楽しいですけどね)、自動的に泡立てながら注げる器械的なものが、テーブルごとに置いてありました。




食後には、あれば必ずクアハーダ。これ、大好き~!




カンタブリアでは、レイノーザReinossaという内陸の町に二泊、サンティジャーナに二泊しました。サンティジャーナでは、友人と落ち合ったこともあり、楽しくおいしい夕食を、時間的余裕も持っていただく機会を得たのですが、レイノーザでは、かなりしょぼい夕食をいただいていたことを思い出しました。
歩いていける場所にレストランがあることを条件に、それなりの規模の町を選んだのですが、一日修行を終えてホテルに戻ると、疲れが激しく、結局二晩とも、ホテルにあるレストランでいただくこととなってしまったのです。
宿泊客には、激安でメニューが供されていたと記憶しています。10ユーロとかそういうレベル。多分、レストランのアラカルトでいただいても、たいした金額じゃなかったと思うのですが、それすら面倒で、自動的に出してくれる激安メニューを食べていたんですよねぇ。今考えると、もったいなかったなぁ。

でも、いいホテルでした。駐車も、ホテルの前に停め放題でらくちんでしたし。
Hotel San Roque
Avenida Cantabria 3, Reinosa

ついでに、サンティジャーナの方も、かわいらしいホテルでした。
Posada de la Abadia
Calle Revolgo 26, Santillana del Mar

ということで、わき道にそれてしまいましたが、カンタブリア・ロマネスク、もう少し続きます。

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ロマネスクのおと

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  1. 2016/02/12(金) 06:42:50|
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