サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その28(最終回)。
帰りの時間も迫って来た中で、最後に、立ち寄りやすい場所にあった、超マイナーなサイトを二つ。 まずは、こちら。
ギラツルァGhilarzaのサン・パルメリオ教会Chiesa di San Palmerio。 事前に住所はわかっていたので、比較的容易にたどり着いたものの、最後は、とんでもない行き止まりの住宅地に入り込んでしまい、通りすがりのおばさんに助けてもらうことになりました。やっぱり、完璧にスムーズにいくことは、なかなかないもんです。
教会は、町はずれ、というより、おそらく中世期にはこちらの方が町の中心であっただろうと思われる場所ですが、今は、草原に道路が横断する殺風景な場所となっています。
教会の並びには、15世紀の塔らしい、なんだかごつい真四角の建物があります。
13世紀初頭に、もっと古い建物、おそらく聖パルメリオのお墓が礼拝堂となっていたものの上に建てられたそうです。時代が下る分、すっきりとしたスタイルになっているのかもしれません。 その当時、ここは、ベネディクト派の修道院となっていたそうです。
それにしても、パルメリオさんという聖人の名前は、初耳のような気がしました。案内してくれたおばさんは、7月の日曜日に、聖人のお祝いのお祭りがあって、その時には、教会も開くのよ、と言っていたので、この地域では、それなりに有名な方らしい(場所によっては、教会の名前、つまり誰にささげられたか、地元の人すら知らないケースは、よくあります)。
現場にあった説明版によれば、一つの伝説では、パルメリオは、ディオクレツィアーノ(ディオククレティアヌス)皇帝時代のローマの軍人で、キリスト教に改宗したことにより、むち打ち刑を受けたうえ、殺された殉教者だったと。もう一つは、パルメリオは、ペストで全滅した村の出身者で、その村のほかの人々同様にキリスト教に改宗し、軍役を捨てて、信仰に生きたことにより、殺されたというもの。 いずれにしても、ローマ時代の軍人だったことは、間違いなさそうですね。ただし、本当にこの場所に埋葬されたのかどうかは、不明。18世紀に、ある信者が夢に見て、掘り返したところ、教会地下にクリプタがあり、墓所があったので、パルメリオの墓であることになったらしいです。
それはさておき、今ある教会のほとんどは、後代に手が入っており、ほぼ唯一当時の姿を残しているのは、ファサードの石積み。グレーとピンクの石ですが、これは火山岩のようです。
どちらもとても優しい色合いで、好ましいです。そして、微妙な石積みの組み合わせ。センスを感じますね~。
オープンは先述したように、毎年7月だけということらしいです。残念。内部には、何があるということもなさそうでしたが、ただ、石積みの感じを見てみたかったです。
現地にあった写真ですが、やはり石色が、内部も美しそうですよね。
あっという間に見学終了で、次に向かいます。 このあたりは、緩やかな起伏の丘が続いているので、美しい風景も楽しめます。
何度も書いてしまいますが、旅をしたのは12月なのに、これでは紅葉狩りの写真ですね。気候的には、このころが紅葉狩りということになるのかな。改めて、美しい風景に感心しています。
さて、もう一つ。サルデーニャの修行旅、最後に訪ねたのは、本当にマイナーもマイナー、大きさもミクロなノルベッロNorbelloの、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデ教会Chiesa di Santa Maria della Mercede。
ひどい山奥にあるような見えますが、実は、村をちょっと降りたところで、村の車を置いて、徒歩3分程度の場所です。
こんな感じ。この石の門をくぐって、ちょっと上った先は、村の中心になっています。 この石の門や石垣は、おそらく後付けで作られたものなのだと思いますが、もしかすると、もともと残っていた石畳などをリスペクトした結果、こういう構造物をあえて作ったのかもしれません。 また、教会は、放置されていて、相当痛んでいたのを、修復したのだろうと想像します。そういうたたずまいなんですよ。
かなり小さい礼拝堂レベルの建物ですが、村も相当小さいので、土地には合った教会だったと思います。谷底へ向かう途中の斜面にひっそりあるんですが、教会の場所だけ、ちゃんと盛り土して、平地にしたんですね。
そこまで手をかけるなら、村の中心にちゃんと建てる場所があったはずなのに。ということは、もとは隠遁所みたいな場所だったのかな。 説明版には、残念ながら、そのあたりの説明はゼロ。残念ですが、今後、ちゃんと調べたいと思います。 ちなみに、サンタ・マリア・デッラ・メルチェーデという名前も、私には耳慣れないものでした。スペインでの女子の名前にメルチェデスって名前があるから、なぜスペイン語?と思っていたのですが、普通に聖母を表す名称なんですね。ただ、メルチェーデという単語は、スペイン語起源と思われるので、かつてアラゴン王国が入っていたサルデーニャだからかな、という感じもありますね。 どうせすぐに忘れちゃうんですけれど、自分の無知を知るというのも、修行旅の醍醐味。よくわかりませんが。
この後、夜道をオルビアの空港に向かいました。ちょっとした山越えコースがあり、何と霧の中を走るという恐ろしいおまけ付きとなりました。サルデーニャで霧は、予想外でした。霧はできる限り避けるようにしているのに、走るしかないという辛さ。半分泣きそうな気持で走りました(泣いちゃうと、道が見えなくなってもっとやばいので、ぐっと…)。
というわけで、サルデーニャ、急ぎ足のミニ修行旅、これで終了です。 ピサ地域をじっくりと歩いて以来、ピサ様式のファンになった私ですが、サルデーニャでは、新たなピサ様式に出会えて、大満足でした。見残しや、冬季であるが故のクローズも多かったので、再訪は約束されています。いつになるかはわかりませんが(また、冬季になる可能性大なのが、考え物ですが)。
お付き合いありがとうございました。サルデーニャに興味がわき、訪問を考えられる方がいれば、とても幸せです。何なりと必要な情報など、照会くださいね。 (番外、ごはん編、別途アップします。)
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2016/05/29(日) 20:08:55 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その27
シラヌスSilanusでは、再び石垣をよじ登って無事車に戻り、空腹ではありましたが、今更、町を訪ねる気もなくなったので、次の目的地に移動することとしました。 向かったのは、今回の短い旅の、最後のハイライトとなるべき町、オッターナOttanaです。
サン・ニコラ教会Chiesa di San Nicola。 事前に、町の中心の丘にそびえる教会、とあったので、坂道だったらやだなぁ、と相当ドキドキと用心して町に入ったのですが、実物を目にして、気が抜けました。 というのも、確かに町の、というより、村、といった方がよいような規模の集落ですが、その中心がちょっとした丘になっていて、その天辺にあるのですが、その丘はとっても小さくて、村のレベルから歩いても1分程度のものだったんです。 気が抜けると同時に、ほっとしました。
到着したのは、14時ごろ。当然という感じで、扉は固く閉ざされていました。 事前調査時に、関連の電話番号を控えてあったので、電話してみると、毎日午後は、15時半から開きます、今日も同様です、ということだったので、心穏やかに、まずは腹ごしらえに出かけました。 ランチについては、別途番外編に書くことにします。
のんびりと戻って、まずは外観をチェック。 ここは、本当に楽しみにしていた教会ですが、確かに美しいです。
丘の上にあるため、見た目がかっこいい!ファサードも、地味ながら、ロケーションにピッタリな印象的な作りです。特に、石色の並びがいい感じです。
ピサ様式のバリエーション。アーチの感じも、陶器のお皿がはまっていたであろう穴も、ひし形も、ばっちりあるべきようにあるっていう感じ。そして、こういう色石の使い方は、このときは、まさにサルデーニャの特色、と思っていましたが、実は、春先に訪ねたピサ近郊のモンテピサーノ地域でも、同様に、色石を多用している教会を多数目にして、大きな枠組みで、ピサ様式の特色なのだと理解しています。 おそらく、ピサ地域では、石の種類が豊富なんでしょうね。大理石のカッラーラCarraraもあることだし、火山岩やらなにやら、地質学的に、面白い土地なのだと想像します。
グレーっぽい石中心のベースに、オレンジやピンク系の石が、ちょん、ちょん、とアクセントのようにはめ込まれて。なんとも言えないセンスを感じますね~!
北側の壁。
大好きなつけ柱がありますが、ここでは、つけ柱よりも、石に目が奪われます。装飾的な要素は、ほとんどないのに、華やかです。 南側には、不思議な構造物が付いていました。
壁の奥の方(後陣側)ですが、つけ柱があったであろう場所が、変に凸凹しています。
後付けの構造物が崩れたのでしょうか。不明です。 それよりも何よりも、閉ざされている南側の扉に、野良猫がのんびりとくつろいでいるのが、目に留まりました。
いやん、かわいい! 気づくと、教会周りの塀のところにも。
こちらに、積極的に寄っては来ないので、人に慣れた家猫というわけではないと思うのですが、逃げることもないので、村の人々と付かず離れず、共存している半野良半家猫というところでしょうか。ランチの後、くつろいでいる感がありました。 そういえば、どこでも結構猫を見たように思います。ロマネスク教会には、猫が似合いますね~!
15時半には開くということだったのですが、結局鍵の人が来たのは、16時半ごろ。ミサのために開ける、ということだったようで、三々五々、村の人々も集まってきました。慌てて、内部に突入です。
外部構造そのままに、一身廊背高縦長構造です。
かなり地味ですが、目的は、右側にある説教台。
近づいても、やはり地味です。よーく見ると、柱頭に、かなり稚拙、といってよい、このような彫り物はありましたけれど…。
見逃しがないように、一応指さし点検しましたが、ミサの準備も始まっているし、何となし落ち着かないので、早々に退散。もう一度外部をぐるりと点検。 見ても見ても地味ですが、やはり、ここは、構造や石の美しさを楽しむ教会なのだと実感。
地味なりに、ピサ様式の良さが迫ってきませんか。
とてもいい建築だと思います。 とにかく、ロケーションが素晴らしいですからね。そして、こういったディテールのち密さが、全体の完璧なプロポーションになっているんだと思うのです。
いくら見ても、なお後ろ髪を引かれる思いですが、そろそろ先に進まないと、という時間になりました。
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2016/05/26(木) 05:57:23 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その26
ボザBosaの町でそろそろランチの時間だったのですが、なんといってもボザは、陸の孤島的な場所でもあり、帰りを考えると、ここで時間を使っている場合ではない、と思い、町に立ち寄ることもなく、内陸方向へ向かいました。目的は、シラヌスSilanusです。 とりあえず町に向かい、簡単ランチをしてから、教会を探そう、という目論見で、走り出して、約1時間。町にたどり着く前に、見つけてしまいました。
サン・サビーナ教会Chiesa di San SabinaとヌラーゲNuragheが並び立っている、歴史が視覚化した一角が、幹線道路から、すっかり見えるんです。これは、見逃しようもないし、ランチどころではありません。 幹線道路を外れて、歴史地区の入り口近くまで、車で入り込みます。
午前中のオープン時間は、13時半までとなっていますが、この時、13時25分。 この看板が目に入った時、小躍りする気持ちでした。たとえ5分しかなくても、何とかアクセスできる!と思ったんです。 ところが、門は、固く閉ざされ、屋台のような受付には、誰もおりません。 誰もいないときは、こちらに電話してください、と手書きの紙に携帯電話の番号。躊躇なく電話したのですが、むなしくベルが鳴るだけで、誰も出ません。
まぁ、よくあることですが、どうにも悔しいです。この、閉ざされた門扉から教会までは結構な距離があるので、ここから見ても、およそ訪ねた、とは言えないんです。 かといって、門扉を乗り越えるというのも…。
門扉の先の方は、教会を取り囲むように、ぐるりと石垣になっています。それも、背は低い。
1メートル程度ですかね。 どうしようかなぁ、と思いながら、ずっと石垣沿いに先に行ってみました。そして、ここなら、という場所で、一応周りと見まわしてから、おもむろに石垣をよじ登り、囲いの中に無事、入り込みました。 一応確認したのですが、侵入禁止などの看板はなかったはず。いや、明らかに、入るな、という意味の石垣ではありますが、でも、開いているはずの時間に開いてなく、いるはずの受付が不在で、電話までしたんだから、私にも理はある!と自ら言い聞かせながら…。
アクセスは、サン・サビーナ教会の後陣から。
いかにも古い構造です。 横から。
なんだか、古代の美しさにワクワクドキドキします。 そして、正面。
横っちょの構造は、後付けの感じもありますね。それにしても、時代も不明な感じの古さ、いいですねぇ。草原のただなかに建っているのも、実に印象的です。
このシンプルさ。 こういうところは、装飾が全くなくても、もうこの石積みやアーチ構造だけで、うれしくなってしまいます。 地味ながら、石色が、相変わらず多様で、きれい。そして、サイズや形が微妙に違う切石の感じも素敵~!
後代の修復によるところもあるのでしょうが、白石の中の黒石の帯などは、やはりオリジナルでしょう。 それにしても、中に入れなかったのは、本当に残念。中には何もないはずで、ただ、丸天井を見ることができるだけなのかもしれないんですが、それでも、入りたかったです。
すぐお隣に、ヌラーゲがあります。
ヌラーゲは、サルデーニャ先史時代の遺跡で、今でも、用途がよくわかっていない構造物なんです。サルデーニャ中あちこちにあり、「先史時代の遺跡を巡る旅」の方が、コンセプトとしては、「中世を巡る旅」より、メジャーな気がするくらいです。
ヌラーゲには、門があるわけではないので、ちょっとのぞいてみます。
なんだか、石の舞台的な。
一歩入ったら真っ暗。何千年と建っているものですから、ここで崩れるはずもないのですが、いるべきではない場所にいることもあって、ちょっと怖くなって、ちゃんと入り込むことなく、引き上げました。蝙蝠とかいそうだったし。
それにしても、古代から、遺跡が集積しているということは、ずっと神聖な場所だったんでしょうねぇ。今のシラヌスの町からは、相当離れているので、おそらく、かつては、もっと近くに集落があったのではないかと思います。石垣も、古いものだと思われますし。 そこここに、大きな石がゴロゴロあったりするのも、いかにももっといろんなものがあったのではないか、と考えさせるものです。
それにしても、見事に何もなくなって、そして、この二つの建造物だけが建っているというのは、実に不思議。シビオラでもそうだったように、かつてあった集落が、すっかり消えてなくなったということなのかしら。 サルデーニャって、歴史のロマンが、そこかしこに、はいて捨てるほどありますねぇ。
ああ、それにしても、ウィンドウズ10になって、日本語入力も、写真の取り扱いも、異常に不便になっています。 そして、インターネット・エクスプローラーが見つからないのも、イライラのもと。慣れるんだろうか、これ。 最近のさぼり癖を助長するような、悲しいアップグレードです。
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2016/05/25(水) 05:44:52 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その25
さぼり癖もあるんですが、それだけじゃなくて~! 先日、下書きしていたら、いきなり、ウィンドウズ10のインストールが始まってしまって、いやでも応でも、ブログの更新はアップデートせざるを得ず。 特に10にしたかったわけではなかったので、毎回、ポップアップのインバイトが来るたびに無視していたんですが、なぜか、いきなり更新になってしまったのですよねぇ。
というわけで、今回からウィンドウズ10。いきなり、インターネットのお気に入りは全部消えているしね。何も変わらないって、大ウソ。 日本語入力も、なんか、うっとうしいことになってるしね。
それはともかく。先を続けます。
ボナルカードBonarudacoの次のあて先につき、選択肢はいくつかあって、迷ったのですが、最終的には、修行の鉄則、「最初の訪問地では、とにかく著名教会を優先する」に従って、ボザBosaを目指すこととしました。 実は、ちょっと距離があるし、最終的にオルビアの空港を目指す道筋からは、相当はずれる場所なので、迷いはあったのですが、次にいつ来られるかはわからない以上、やはり著名地を見ておかないと、確実に後悔するのがわかっているので、がんばりました。
実際、1時間以上かかって到着。教会を訪ね当てるのは、ちょっとてこずりました。 というのも、例によって、アップデートしていないわたしのナビは、かつてあったであろう道を示して、従わないと、完全に止まってしまったからです。 結局、これまた例によって、古典的方法に切り替え。通りすがりの人に聞きまくって、なんとかたどり着いた次第です。
実際、相当予想外のロケーションでした。 ボザの町から完全に離れた、「人里離れた」場所に、取り残されたような有様。こんな道でいいのか?と思いながら走っていくと、いきなり開けた空き地に現れたので、びっくりでした。
サン・ピエトロ教会Chiesa di San Pietro。
毎度、いかにたどり着くのが大変だったか、というストーリーを披露するのがお決まりみたいになってしまっていますが、実際にこれまで訪ねられた方たちは、苦労せずにアクセスできたのでしょうか。ナビがあって、さらに、現地語に問題がないにもかかわらずの、この苦労を思うと、ナビのない時代にイタリア語も不明で歩かれた方々は、さぞや大変だったのでは、と思うのですが、もしかすると、わたしの方向音痴と勘の鈍さが問題なんでしょうかねぇ。
それはともかく、なんとか辿りつけて、ほっとしました。 冬季は、クローズしており、最低5人のグループに対して、事前リクエストでしか、対応しないと事前に調べておりましたので、クローズしていることには、特に気落ちもなかったのですが、一見して、ロマネスクというよりもゴシック臭というのか、期待していた姿ではなかったことに、がっかりしたのは確かです。
とは言え、人里離れている分、緑滴る美しい風景です。何度も繰り返すようですが、12月なのに、この緑、そしてこの青空!
教会の周りは、畑や牧草地になっているようで、オリーブもきらきらと、春のような眺め。
とりあえず、ぐるりと一巡。
ここでも、多様な石色が美しいです。それで、つい石積みにも注目してしまいます。やはり、下部が大きくて、上部は小さい切石ですね。石が小さくなると、色の遊びが面白くなります。 凝灰岩っぽい黄色が入っていますね。
美しいたたずまいの後陣。
かなり修復している様子ですが、おそらくオリジナルの石積みに忠実なのではないかと思います。どうでしょうか。 それにしても、やはりちょっとさっぱりしすぎですよね。思わず、目を皿のようにして、お宝探しです。 いた!
こういう子がいると、それだけでにっこりです。かわいい。 建物が、妙にすっきりしちゃっている中で、ロマネスク満載のこういうフィギュアがあると、やはり、修復しすぎなのではないかという気もしてきますね。 もひとつ!
いずれも、飾りアーチの根元にある彫り物で、他は、幾何学模様で、古いものと再建ものが混ざっています。こういうフィギュアを残して、全体は13世紀に再建しているとか、そういう教会なのかな。 と思ったら、17(XVII)と彫ってある石があったので、17世紀の再建なのかな。
改めて、ファサードへ。
スタイル的には、ゴシックですよね。 でも、最初に目に付いたまま、ちゃんと見なかった扉上のアーキトレーブへ。
ここだけ、石が違います。凝灰岩かと思いますけれど、どうだろう。 そして、なんと、かわいい!
バックのアーチが既にゴシックだから、13世紀以降の彫り物と思いますが、ちょっとヘタウマ系の人物フィギュアは、なかなかいい味です。聖母子と司教?持っているのは十字架だから、教会が捧げられているサン・ピエトロじゃないですねぇ?
これは、もっと誰だかわからないです。 樹木がやっぱり、ちがうな~って感じします。もっと浅浮き彫りで、カーブだらけのタイプが好みですね~。 左側の人物は、剣を持っているようです。
扉は、大きなアーチで囲まれていて、その付け根に、おそらくライオンだったであろう姿が、半身だけ残っていました。
ちょっと残念ですね。もしかして、あまりかわいくなかったかもしれないけど…。 見学、ものの10分。
遠くにボザの街が見えて、建物の色とりどりの外観が、ちょっと面白かったのですが、なんだか、わざわざ行こうという気にもならず、結局、やってきた山道を、そのまま引き返して、内陸に向かうことにしました。
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2016/05/23(月) 06:17:39 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その24
次に向かったのは、ボナルカードBonarcadoのサンタ・マリア教会Chiesa di Santa Mariaです。このあたりも、かなり狭い地域に、ロマネスク教会がたくさんあります。このボナルカードは、その中心的な教会で、サルデーニャ・ロマネスクを語る際、必ず取り上げられているようだったので、期待度は高かったのです。
それにしても、山、までは行かないまでも、坂道の連続で、町も全部坂道。特にこの教会は、町の高い場所にあるので、馬力のない自分の車だったら、たどり着く前にやめていたか、または町の低地に駐車して、歩いてアクセスしたかも。
そうやって苦労してたどり着いた教会ではありますが、第一印象は、結構ながっかり感。
こうして写真を見ると、立派だし、なかなかに美しいたたずまいではあるんですが、現場では、地味な色合い、地味な建築、苦労したのにこれかよ~!何で、そんなに評価高いんだよ~!という気持ちでした。
入り口のある南側も、なんだかとっても地味。
山が迫っていて、スペースに余裕のないファサード側。
この辺から、若干風向きが変わります。 微妙な色合いの石積みが、ちょっと魅力的だし、単純明快なアーチ使い。上部に行くにつれて切石の大きさが変わる工夫。これは、建築上の工夫である可能性が高いと思いますが、見た目の面白さや美しさもありますよね。 そして、北側の壁。
南側に比べると、ごつごつしていて、素朴さが際立ちます。そして、レンガではめ込まれた大きなアーチ。なんだろう、これ?修復の印でしょうか? むくむく興味が湧いてきます。 で、入場。
あ、やっぱりめちゃめちゃ地味だった~! 天井が木製のままなのが、往時の雰囲気をよく残していますが。
気が付いたのが、構造の不思議なこと。側廊がありそうなのに、後陣側だけあって、ファサード側は、ないんですよねぇ。上の写真でも、手前は、アーチが壁で閉ざされているのがわかると思います。 後陣からファサード方向を見ると、ほら、右側、壁になっています。
これが、外の、埋め込みレンガアーチと呼応しているのかな。 後陣側は、普通に三身廊が期待される構造で、確かに内部もそうなのですが、ファサード側は、側廊がカットされているという構造なんですね。
こんなの、珍しいですね。 今更、現場に建てられた説明版を読んでいると、この教会、元は修道院の教会で、12世紀なったばかりの頃の創建ですが、今の形になったのは、13世紀のこと。このときに、ファサードと反対側が伸ばされたので、今ある後陣は、13世紀のものなのだそうです。元の教会は、おそらく手前側の、つまり三身廊になる手前だけの小さなものだったらしい。よく見ると、石も全然違うんですよ。13世紀部分は、より黒っぽい石で、それ以前はピンクとか強いんです。なるほど~。
一帯の、全体構造は、こういう感じ。
教会の上に描かれえた四角部分に、修道士たちの生活場があったようです。今でも一部残っているらしいですが、わからなかったです。って言うか、気にしてなかったんですけど。右側の方にある小さいのは、この後、紹介します。
こういうこと、ちゃんと現場で読めば、もっときちんと写真も撮れるのに、どうも、現場でじっくり落ち着いて読むことが出来ない…。これは改めないと、損しますよねぇ。
さて、その小さい構造物。これはかわいらしかったです。
ボナルカードのサンタ・マリア礼拝堂Santuario della Madonna di Bonarcado。 オリジナルは、真ん中の十字型部分で、6世紀の建物です。もともと、2/4世紀、ローマ時代の浴場のあった上に建てられた礼拝堂で、そのあとが、今の後陣部分に当たるようです。8/9世紀に、既に崩壊しつつあったその構造物が、他構造をくっつけられて、屋根もつけられて、再使用されるようになり、最終的には、お隣の教会と同じ13世紀に今の形になった模様です。
頭をどっかに打ち付けないように、身を縮めるようにして、中に入りました。 中央部のクーポラ。
小さいけれど、ちゃんとクーポラ構造で、とてもかわいらしいです。石色もきれいです。 こちらが、後陣的な場所となるのかな。
解説に寄れば、おそらく、ローマ時代熱い湯が満たされた浴槽。 なんとも不思議な構造物。浴場があったというけど、浴場、すごく小さかったんですかね。いや、こんな丘の中腹みたいな場所に、わざわざ平地があるのは、もしかすると、ローマ人が浴場を作ったからかも?だって、この教会の敷地以外は、相当の坂道なんです。ここだけ、こんな平地があるって、勿論自然じゃなくて、切り開いているはずなんです。 テルマエ・ロマエじゃないですが、あの人たちの浴場への執着は半端ないですからねぇ。
屋根に使われているのは、サン・ジョバンニ・ディ・シニス同様、ピンクのパステルみたいな素材ですね。
実際の位置関係は、こんな感じです。
手前の樹木の陰に見えているのが、礼拝堂の入り口となります。
修道院があって、その教会が独立して、それよりずっと以前からある建物が礼拝堂になって。つまり、神聖な場所だったりするし、水が沸いていたということでもありますね。神聖は場所って、そういえば、水がある場所なんですよね。なるほどなぁ。
などと妄想しながら、ボーっとしていたら、地元の小学生または中学生くらいの女の子がやってきて、通りがけに礼拝堂に一礼して、ちょっと中に入って、すぐに出てきて、もともと向かったであろう方向に去っていきました。 なんか、ドラマみたいでした。近所のお地蔵様やお社に、挨拶するのが日々の習慣みたいな?すっごく古い時代みたいな?そういえば、わたしに気付いて、はにかんだ笑顔で挨拶してくれて、あ、日本の田舎も昔はこんなじゃなかったかな~(田舎は今でもそうかな~)なんて、微笑ましい気持ちになりました。
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2016/05/17(火) 04:19:48 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その23
朝から、千年もの歴史を妄想したのも、いきなり今は昔状態で、次への途上でまた、ナビがおかしくなって、しばし、現実にばたばた。アップデートしてないわたしが悪いとは言え、何とかしてくれ~! 結局、例によってのマニュアル走行。紙の地図を見て、人に聞き、訪ね当てたのが、こちら。 ミッリスMillis, サン・パオロ教会Chiesa di San Paolo。
町外れにある、墓地教会でした。
というわけで、どなたかをお参りするわけでもないけれど、必然的に、墓地に入ることになりました。
ファサード側は、典型的なピサ様式で、白黒二色使いですが、後陣側は、ロンバルディア様式で、とっても墓地。 こういう時って、なんとなくメンタル的に、ごめんなさい~、気分で一杯になってしまいます。 だって、わたしの興味は後陣。
おお、美しい!と、どうしても自然に鑑賞してしまいます。 でも、現役の墓地教会って、文字通り、足元まで墓地。
鑑賞気分で近づいても、どうしても、おぉっ!ってか、戸惑ってしまいます。 とか、言いながらも、鑑賞してるんですけどね。
次元も立場も全然違うんですけどね、ただ、ミーハー的にロバート・キャパが好きである、それも、「ちょっとピンボケ」(多分、文春文庫)が好きであるという限定的な好きだけで言うと、写真ってさぁ、なんか不思議ですよね。いまだに、その立ち位置って、あいまいな感じが。 だってね、写真という芸術分野が確立されている現代にして、やはり、絵画的な内容と、写りこんでいる内容の意味や意図と、どっちに重きを置かれているのかわからないわけです、本人の意図が明らかでないと。
写真の本質は、きっと、写真家の意図なんだと思うけれど、でも、見た目のインパクトが大きい分、わたしなど素人は、写りこんでいる映像に、簡単に動かされちゃって、見えているものだけしか見なかったりします。
おっと、何をえらそうなことを。 なんか、後陣足元まで墓地になっている現役教会を目の当たりにして、ちょっと考えるものがあったかと、そういうことです。
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2016/05/16(月) 06:41:30 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その22
早朝、出かけたのは、宿泊していたオリスターノから、海方面に向かい、まさに海に突き出た土地にある教会です。
この、大雑把な地図では、名前が出ておりませんが、左下にあるオリスターノOristanoの左側の、オリスターノ湾Golfo di Oristanoの上側に突き出た、小さな半島の、ほぼ先っぽに位置するサン・ジョバンニ・ディ・シニスSan Giovanni di Sinisという村にある、その名もサン・ジョバンニ教会です。初期キリスト教時代、つまり、ロマネスクどころか、という古い時代の教会があるのです。
この辺りでは、観光的には、どちらかというと、サン・ジョバンニ・ディ・シニスよりさらに半島の先っぽにあるタッロスTharrosという土地にあるフェニキア遺跡の方が有名なんですが、今回は時間が足りない状態なので、残念ながら、そちらの見学は端から断念。 紀元前8世紀の、フェニキアの遺跡。つまり、その時期、彼らは北アフリカから、ここまで進出していたのですねぇ。地中海は狭いとは言っても、良くぞここまで。
その遺跡が生きていた時代の方が、この土地は絶対に栄えていたと思います。今は昔で、遺跡と、おそらく夏の間だけ、リゾートとして人が訪ねるリゾート村があるだけで、冬季は死んだ土地となっているのです。驚きました。
村の入り口に、バス用のスペースまで取っている立派な駐車場があるのですが、わたしの訪ねた12月には、村全体が、完全に無人で、ちょっとエスエフ的な空気を感じました。
表示に従って、無人の家の間を、数十メートル。 いきなり。
こ、こりは~!なんかすごい! 一瞬にして、時代も土地も雰囲気も吹っ飛んだ感じ。6世紀の建造物です。 この時期だし、早朝だし、開いているわけない、と確信して行ったのですが、一応、メンテナンスのためクローズ、という張り紙があったのはご愛嬌でした。多分、海水浴客が来る時期までは、いつもクローズなんだろうな。
それにしても、ただただ魅力的な建物です。
朝日に輝いています。 この、屋根を彩るピンク色は、シチリアの屋根と同じ色をしていますね。あそこは、イスラムの影響が大きいので、イスラムの関係があるのかな、と思ったりしますが、ここも、フェニキア起源の土地ですから、何かマグレブ系、関連しているのかしら。大好きな、オレンジの入ったやさしいピンクです。
それにしても、ファサードのこの変形振り。
サルデーニャはカリアリで、見逃した、やはり同時代の教会も、ちょっと似たような形をしていたような気がしますが、いくら初期キリスト教時代と言っても、これはあまりないですよね。
素朴な石積みにも、目を引かれます。
しばらく見入っていると、小鳥と目が合いました。
これだけ人気がないと、小鳥も人見知りしなくなっているのかも。
さて、後陣側へ。
おお~! 青空、緑、そして屋根のピンクと石色。なんて美しいんでしょう。 そして、この独特のフォルムと来たら。
唯一無二。 これは、入れなかったのが、実に悔しかったですね~!
6世紀の建物は、ラテン十字型の中央部分で、ロマネスク時代に、周囲に増設があったということらしいですが、それにしても、全体のバランスはいいんですよね。 今は、夏のリゾート地の真ん中に建っていますが、フェニキアの時代から、きっと神聖な場所とされていたのではないかと想像します。そして、当時は、間違いなく、もっとずっと海に近い場所にあったはず。 今は、海との距離、半端なく広がってしまっています。
海の方を見ても、水も見えない遠くになっています。 離れてみると、ちょっと周囲は盛り上がっているようです。
もしかすると、往時は、もうちょっと小高い感じだった可能性もありですねぇ。こんな海の土地だから、相当砂が積みあがっているのでは。 そして、神聖な場所として、周囲には何もない。これよりもっと小さなかわいらしいラテン十字の神殿。 ウワ~、魅力的です。
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2016/05/14(土) 06:32:13 |
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その21
ドリアノーヴァDoglianovaで出会ったガイドさんに勧められ、もう終了したかった一日が、さらに延びてしまいました。向かったのは、セルディアーナSerdianaです。地図で見るとわかるのですが、この二つの町は、とっても近いんです。
普通に行けば、多分車で15分くらいの道のりだと思います。 実際、ナビに従って走っていたら、あっという間に町にはたどり着いたのです。その上、ありがたいことに、町に入ってすぐ教会の表示があったので、それに従って進んで、あと数分、というところまで超順調。でも、わたしのことですから、それで終わるわけもなく、いきなり不具合発生!
まっすぐ進みたいのに、なぜか警官が、わたしの行きたい道を封鎖していたんですよ~。ちくしょ~、と思いましたが仕方ありません。日暮れも近く、とにかく時間がないので、理由を聞いている暇もないんです。 で、左折して、そのまま大回りすれば、元の道の先に出るだろうと思ったのに、町が小さいので、外に出てしまい、幹線を走る羽目に。 なんとか路肩に停止して、旅のお供であるメモ帳を取り出し、事前に調べたデータをひっくり返して、目標となる道をナビに入力。 多分、5分程度のうろうろだったと思いますが、日暮れがひたひた近寄ってくるのが肌でわかる時間ですから、焦っていて、感覚的には30分も迷っていたような気分でした。
幸いにも、なんとかまた、教会の表示に出会い、道なりに進むと、あっという間に町を出て、オリーブ畑に突入です。もう17時近く。日暮れたら、灯りひとつない真っ暗闇になりそうな道です。
実は、この前日、宿に向かう道が真っ暗闇となってしまい、それなのに、おそらく地元民の車にばんばんにパッシングされて、とても怖い思いをしたものですから、日暮れが非常に怖かったんですよね。大体、ミラノに暮らしていると、いくら遅くなっても、灯りひとつない真っ暗闇の道を走るなんて事はないですからね~!
しかし、一本道ですから、そこを進むしかありません。ひたすら進む。ひたすらオリーブ畑。入り口に、教会の表示があったのですから、間違えであるわけはないのですが、5分も走ると不安になります。もう少し、もう少し、と祈るような気持ちで進んでいくと、やっと、視界が開け、それらしい場所にたどり着けました。
こんなそっけない表示が、地獄に仏状態、後光がさしているような…。大げさでもなかったです、このときは。 そんな必死の思いでたどり着いたのは、サンタ・マリア・ディ・シビオラ教会Chiesa di Santa Maria di Sibiolaです。
表示のある場所に車を置いて、小走りで駆けつけました。 当然のようにクローズですが、もう出会えたことが嬉しくて、開いてようが閉まってようが、そんなことは二の次です。
ぜいぜいしながら、改めて、ファサード。
か、かわいい! なんでしょう、このかわいさ。 何で水色の石なんかがはめ込まれているんでしょう。レンガ色の入り方も、妙に現代アートっぽくて、おしゃれだし!本来なら、イスラム世界からたどり着いたお皿がはめ込まれていただろう穴ぼこすら、お皿はなくなっているのに、いいアクセントになっています。
それにしても、よく見ると不思議な。ほぼ真四角状態のファサードで、でも、シンメトリーな構造じゃない。 二つある扉は、大きさが違うし、扉上の窓も、一連と二連。
唐突な感じではめ込まれた石のはめ込み細工的な装飾。
後付なのかなぁ。でもこの花モチーフは、最近訪ねたモンテピサーノのピサ様式教会で多く見られたもので、ピサっぽいのかと思えます。 遠目では水色に見えた石色が、結構黒い御影石みたいな石であることもわかりますね。
気持ちは焦っているのですが、とにかく最低限の時間で、余すところなく見なければ、と落ち着こう落ち着こう、と言い聞かせながら、周囲を観察です。
左に回りこむと。
ファサードとは違う石なのか、または処理が違うのか。サイズが小さいから、違うものになっちゃうんですかね。 そして、壁にくっついて、小人用みたいな小さい階段が!
これは、登りたかったです!柵も何もないし、気持ち次第でした。でも、とにかくまずは全体を見ないといけないし、時間がないんです~!もう17時ですから~!そして、この教会を取り囲む、灯りひとつないオリーブ畑を、結構な時間走らないと、幹線に乗れないんですから~! とは言え、この写真を見ると、改めて、残念だったと思います。
アーチの根元には、地味ながらフィギュア装飾が彫られています。
これも、じっくり見ている暇ないので、一通り撮影しただけです。 そして、後陣。
そりゃ、ファサードに二つ扉だから、論理的ですが、それにしても二つ後陣とは、珍しいですよねぇ。 ファサードでは、向かって右側の扉が大きかったのと呼応して、大きい扉側の後陣が、若干大きいですね。内部は、二身廊になっているんでしょうかね。見たかったな。
現在は、ファサードの扉ではなく、南側にある扉が、使われているようでした。
そこに、簡単な説明版が置かれていて、構造がわかるようになっていました。確かに二身廊です。
ちなみにこの教会の最寄は、セルディアーナという町ですが、教会の名前は、シビオラのサンタ・マリア教会。この教会創建当時は、実際にシビオラという町があったそうなのですよ。今はオリーブ畑だけで、町があったという痕跡は、この教会だけ、というあまりにきれいさっぱり状態。サルデーニャは、特集の最初の頃にちょっと触れましたが、本当の中世時代とは異なり、小国が群雄割拠ではなく、島全体が、比較的大きな州のような地域に分割され統治されていたので、たとえばドリアノーヴァとセルディアーナが戦う、というような構造ではなかったと思うのですが、ではなぜ、ひとつの町が、教会だけを残して、痕跡ひとつなく失われてしまったのか。ちょっと興味深いものがありますね。 自然災害なども、ありそうもない土地ですよ。
不思議な気持ちになりますね。 夢の跡的に、豊かな緑に囲まれて、一人ぽつんと建つ教会。
12世紀からずっと、ただ一人、地域の歴史を見てきたのですね。うっとりします。 ロマネスクが好きな理由は、一杯ありますが、古木を愛でるような、千年前に、あなたは既にそこにいたのね、歴史をずっと見ていたのね、という視点への憧れみたいなものも、そのひとつです。 先史時代や古代は遠すぎて、わたしの貧しい想像力ではついていけないところがあるのですが、今の時代にもつながるものが多くある中世くらいって、教会を取り巻く環境というのも含めて、ちょっとは想像しやすい分、うっとりできるというか。
まぁ、そんなわけで、非常によい教会、そしてロケーションで、今からなら間に合うから、とにかく急いで行きなさい、と勧めてくれたガイドさんに大感謝、ということとなりました。 幸い、幹線道路にたどり着くまで、日は続き、暗闇のオリーブ畑ドライブは避けることが出来ましたが、宿に戻りついたのは前日同様で、またもや暗闇の田舎道を恐る恐る辿ることとなってしまいました。
冬の旅は厳しいですね~。
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2016/05/13(金) 06:07:05 |
サルデーニャ・ロマネスク
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サルデーニャ、ミニミニ修行旅、その20
サボリ癖って、あるんですね~。どうも最近、その傾向強くて、一旦とまってしまうと、再開が大変です。それにしても、まさか途中で中断していたとは、と驚きましたが、例によって、何事もなかったかのように、ドリアノーヴァDolianova、サン・パンタレオ教会Chiesa di San Pantaleo続きです。
前回は、内部を紹介したと思いますが、今回は、外観探索。面白いですよ、ここの装飾は、本当に。 一番楽しいのは、なんといっても、現在入り口のある北側の彫り物だと思います。
サルデーニャでは、スペインで多く見られる軒持ち送り的な部分の装飾も特筆すべきものがありますが、このドリアノーヴァでは、まさに、そこ。一瞬、スペインにいるんだっけ?と錯覚をおかしそうになります。軒持ち送りとは、また違うんですけどね。
なんですかね、これ?フォルム的には、まるで、イスラムかノルマンを髣髴とさせる馬蹄的な。そこに、超浅浮き彫りで、ロンドバルド的なモチーフ。
ね?びっくりですよねぇ、この素朴さと、なんだろう感。
その上、全然関係ない場所に、いきなり他の浮き彫りがはめ込まれているし。 そういう意味では、扉周りなんて、本当にびっくりです。
ぱっと見、かなり地味ですよね。ところが、この扉周りの浮き彫り系、信じられないくらい面白いんです。 まず、右側の付け柱の浮き彫り。
この素朴さ~!なんなんだろう! 最近、消しゴムはんこにはまっているんですが、わたしのつたない消しゴムはんこでも、もうちょっと、努力するぜ~、というようなモチーフではないですか、これって。 そして、扉の側柱柱頭位置にある、一連の顔モチーフ。
これはね、結構細かいんです。石も硬そうで、彫るのも大変そうだから、技術力高い人が彫ってると思うんです、上の消しゴムはんこにも負けるような浮き彫りに比べればね。でも、なんか、意味が、分かるような、わかんないような。そして、実際技術力的にどうなのよ、といえば、どうなんでしょうねぇ。
でも、何はともあれ、独特の雰囲気があります。上部には、イラスト化している文字も盛り込まれています。多分、文字…。
扉左側にはめ込まれた、やっぱり意味の不明な怪しい浮き彫り。
怪しくても何でも、わたしにはかなり魅力的です。
鐘楼も、同じように帯装飾が施され、そこには、同じように怪しい感じに浮き彫り装飾が施されています。
磨耗も激しかったりしますが、基本、わたしの愛するヘタウマ!
後陣も、いかにも再建風な高い部分はともかく、装飾的には、同じ~!
見れば見るほど、愛らしかったり、楽しかったりするフィギュアが浮かび上がってきて、離れがたい教会です。
一見、かなりまじめな顔したファサードにも、よく見れば、色々。
やめられない。
ファサードに行っては、また北側に戻ったりして、丹念に眺めていると、いきなり日本語で話しかけられました。 カリアリ中心に活動しているツアコンを生業にしているイタリア人女性の方で、日本人ツアーのガイド兼通訳もこなしているので、片言の日本語を知っているということでした。その日は、知人を先導して、この地域を観光ツアーしているところで、声をかけてくださいました。 観光の日本人には多く接しているものの、一人でうろうろしている日本人を見ることがそうそうあるわけでもなく、びっくりされたようです。わたしが、移動用にまとめているノートを見せたところ、その書き込みぎっしりぶりに、驚愕されました。ちまちまきっちり的な日本人へのありがちなイメージを、強化しちゃったかも。
立ち話の際、あそこは行った?と、時間的にもう無理だな、とほぼあきらめていた場所に言及されました。時間もないので無理かと思うと行った所、今からなら、まだ日があるから大丈夫、でも、早く移動しないとまずい、それに、あそこは絶対に行く価値があるから、ロマネスクめぐりをしているあなたなら、行くべき!と思いっきり背中を押されました。
名残惜しいドリアノーヴァでしたが、そんなインプットをされてしまえば、ロマネスク病が黙ってはいません。後ろ髪なんて一気に断ち切られ、足早に車に向かう自分がおりましたとさ。 結果的には、この方に大感謝することになりました。
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2016/05/12(木) 06:02:23 |
サルデーニャ・ロマネスク
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ミラノ・フオリサローネ2016その11(最終回)
最後に訪ねたのは、近所のハンガー・ビコッカHangar Bicocca、おなじみ、ご近所美術館。
エントランスに堂々と建っているメタルの作品周りが、なんだか草刈直後状態に、すっきりしているので、びっくり。その周囲に並べられた大きい植木も、実は作品です。
Garden Ground - Michel Desvigne Paysagiste
307ほんの若木が、きっちりと計算されたスペースに、計算された等間隔で並べられているもの。このデザイナーさんは、Landscape architectという肩書きの方なのだそうです。そういうお仕事があるんですね。公園などの公共建築とかをやる仕事みたいです。
前回訪ねたときから、ちょっと時間がたっているので、ちょうど、新しい展覧会も始まったばかりという、ナイスなタイミングですが、まずは、目的であるフオリサローネの展示を見学です。
XXI Triennale di Milano International Exhibition Architecture as Art concept and direction Pierluigi Nicolin curated by Nina Bassoli with Patrizia Rossi Pirelli Hangar Bicocca
元工場というだだっ広いスペースを十分に生かす展示で、大型の作品が、10個超、適度な感覚で並んでいます。「芸術のような建築」または「芸術としての建築」というタイトルぴったりの展示だと思います。 いつも、ベネチアの建築ビエンナーレで、建築や工業デザインと、芸術の境界や交わりに思いをいたす身としては、大変なじみのある世界っていうか。
スペースの真ん中に置かれた展示。
Sidewalk by El Equipo di Mazzanti 薄く、すけるような白い壁に囲まれた細い通路です。 例によって、訪問者も少ないので、らくらく体験可能。
人一人がやっとの幅ですから、一方口。 体験型は、やはり体験しないとだめよね~、と、体験して改めて思いました。 中に入ると、床に、英語で指示が書いてある。
最初の、「壁をけれ」で、なんだろう、と思いつつ壁をけって、驚いた!壁って、見た目から、壁だと思い込んでいるわけですよ。それが、けると、足の形にへこむ!つまり、固い素材だと思い込んでいた壁は、実は布をきっちり張り巡らしたものなんです。
しかし!「壁にキスしろ」と描いてあるからって、キスするかな。
お隣にあった、寺の鐘状態の作品。
Meeting by Joao Luis Carrilho da Graca ポルトガルのデザイナーさんの作品。 絶対に日本の寺の鐘にインスピレーションを得たに違いない!とか、外観からは思っちゃいました。 なぜミーティングかというと、中にもぐりこむと、穴が二つ開いていて、そこから鏡張りの内部で、二人、顔を突き合わせることになるからです。あ、二人で入れば、ということですが。訳の分からない世界が広がりますが、あまり驚きもなく、新鮮さはなし。
その先にあるレンガ壁を越えます。
Bricolage by Amateur Architecture Studio さらりと通過するくらいしか見てないし、説明版も読んでないのですが、いずれも、大型で、家サイズですから、ヘタな美術展よりも迫力あります。
そういう意味で、最も迫力あったのは、こちら。
Sharing by Rural Studio これ、ほとんどお家状態の建造物ですが、マテリアルは、紙です。ダンボールとか、事務所の廃棄紙、あらゆる廃棄される紙なんです。ダンボール・ハウスも真っ青の量と丈夫さです。
でも、やっぱり紙。 内部は、さらに圧倒的な印象です。
下段は、白い紙になっていて、三段作りで、上まで登れるようになっています。 体験大好きですから、勿論、恐る恐る登りました。紙の床は、ふかふかしていて、頼りなくて、キシキシして、なんともいえない踏み心地でした。
表面部分だけではなく、内部までぎっしり紙なのですから、一帯どれだけの量の紙、ひいては、紙の素材であるパルプ、樹木の墓場となっているのか、と気が遠くなるようでした。
日本では、ペーパーレスが、会社ベースでは結構進んでいると思うのですが、イタリアなどではまだまだで、無駄な印刷物が、毎日山のようにプリントアウトされてきます。 一部で済む書類を、二部も三部も印刷する人がたくさんいます。社内郵便に使う封筒も、毎回新しい封筒を使って、受領した人はそのまま廃棄しています。 わたしは、そういう現実を見るたびに、めまいがしそうな気持ちになるのですが、多くの人は、いまだに、そういうことが当たり前の世界に生きています。
ペーパーレスどころか、連日無駄紙生産中の現場から見れば、この程度の廃棄紙って、実はたいした労力もなく集まるものなのかもしれない、とこの展示を見て思ってしまって、背筋がぞっとしました。展示の意図が、どこにあるのかはわからないのですが。
もうひとつ、好きだった展示。
Entrance by Maria Giuseppina Grasso Cannizzo これはもう、意図などどうでもよく、楽しめる超体験型! 展示スペースに入ったときから、カランカラン、とメタルな、正直言って、かなりうるさい音がずっと響いていて、気になっていたのですが、音の出所がこの展示でした。
長いメタルのパイプ(1152本)が、ひたすら等間隔に並んで、すだれ状態で、ぶら下げられているだけ。
それが、4/5メートルの正方形状スペースにびっしり。そして、そのパイプのすだれをかき分けて中に入ると、中心に、小さな円形のスペースがあります。作りは、迷路状ですが、勿論、かき分けさえすれば、誰でも、その中央部にアクセスできます。
何が面白いかというと、パイプそれぞれ、太さが違ったりするからだと思うのですが、お互いにあたって、音が出るわけです。自分がかき分けて歩くと、自分のまわりすべてが、メタルの奏でるうるさい音になるんです。 うるさい!でも歩くごとに音色が変わって面白い! それも、メタルなんですが、自分が中心にいるときの音は、決して気に障る音じゃないんですよ、不思議なことに。外にいて、人が鳴らしている音は、かなりうるさい感が強いんですが。 人が少ないこともあって、何度も出たり入ったりして、仕舞いには、耳がおかしくなりました。子供か!
外に出たら、もうひとつ。 休憩所かと思ったのですが、これも展示でした。
Sustainability by Studio Albori いや、これはやっぱり休憩所みたいです。ベンチで、展示を反芻しました。
ということで、今年のフオリサローネは、こちらで打ち止め。 思わず、例年になくまじめに見学してしまいましたが、見れば見るほど、さらに見たくなる麻薬的な魅力があるイベントなんですね、これ。自宅近所も含めて、あちこちに多様な内容の展示が、基本、無料でされている、ということが、アクセスしたくなる大きな要因だと思います。そして、本来、家具や工業デザインをフューチャーした見本市であるにもかかわらず、アートを前面に押し出した内容が多いというのも。 堪能いたしました。また、来年が楽しみになります。
長々とお付き合い有難うございました。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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2016/05/05(木) 06:03:43 |
ミラノ・フオリサローネ
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