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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ありとあらゆるアーチそろい踏み!(ソリア8)

カスティーリャ・エ・レオン、その26

ソリア編の最後を飾るのは、こちらです。




サン・ファン・デ・ドゥエロ修道院Monasterio de San Juan de Duero。
名称はともかくとして、この写真を見れば、なんとなく知っている人も多いのではないかと思うくらい、中世的にはかなり著名な場所だと思います。

とはいえ、このときの私のスケジュール的には、ここも訪問時間が若干きつかったので、やめようかなぁ、と一瞬思ったりもしていました。到着した日曜日は午前中のみ、月曜はクローズで、火曜日は、ソリアを出てしまう予定だったからです。
でも、月曜日に訪ねた、ある教会のガイドさんと、アーチの形状の話となり、その際に、この地域には、厳密に時代に忠実ではないアーチの形状が混じっているケースが結構あり、その最たる例がサン・ファンであるという説明を受けて、これはやはりどうしても行かねばなるまい、と思った次第。

お仕着せのガイドは好きではないのですが、こちらの疑問に答えてくれる、また、それ以上のことを親切に解説してくれるガイドさんは、本当に貴重ですね。そして、わずかでも言葉が通じる喜び。
もともと語学そのものには興味を持ったことのない人間ですが、現実に必要になれば、少しはやる気になるのは、こういう経験の積み重ねです。今、何度目かの三日坊主になるだろうフランス語を独学中ですが、せめて最低限の旅行者会話ができれば、旅がずいぶん楽しく、また何よりも楽になると思ってのことです。

というわけで、ソリアを出発する前、火曜日の朝一番で訪ねました。

10時オープンなので、時間を無駄にしないために、ずいぶんと早い時間に現場に到着しました。宿泊したホテルから、遠目に探したものの、木が多くて、正確な所在が分からなかった旨、以前の記事に記しましたが、実際に来て、よくわかりました。

修道院は、町の低い位置に流れるドゥエロ川のほとりにありますが、川の浅瀬は水草やアシのような植物がびっしりです。




川沿いは、緑の中の遊歩道として整備されており、ずいぶんと長く続いているようでした。修道院のオープンまで時間があったので、ちょっとだけお散歩しました。
見上げると、緑の中に、宿泊していたホテルが見えました。




一番右端に、ぽっちりと小さく見える茶色いのが、展望台だと思います。向こうから、この辺までは見えても、確かに修道院は、すっぽりと緑の中だったはずです。
その反対側の方の、丘の上にあるのは、パラドールでしょうか。




旧市街とは町を挟んでいますが、川にかかる橋も、オリジナルは相当古いもののはずです。もしかすると、基部は当時の石が残っているのかも。
正式な入り口の鉄扉の前で待っていると、10時より10分ほど前に、係員がやってきました。




この鉄扉はおかしくて、ちゃんと鍵で閉まっているんですが、実は、左側の方は、川沿いの遊歩道で、仕切りも何もなく、修道院の敷地とつながっているんです。つまり、この鉄扉を抜けなくても、左に回り込めば、修道院の建物の入り口にアクセスできるんです。
でも、こんな立派な門があるということは、一時は、塀で囲んでいたのかもしれないですね。

こちらが、入り口となります。手前の木製の犬小屋みたいなところが、チケット売り場。




係員の人は、チケット売り場を開ける前に、修道院をオープンしています。どうしようかとのぞき込むと、入っていいよ、と言うので、ではチケットは後で、ということでどんどん入りました。




完全に貸し切りですから、まずは、全体をゆっくりと見ることができました。目を邪魔する余計なものがなくて、実にすがすがしい時間を堪能しました。
それにしても立派な回廊です。
今は、建物がほとんどなくなっていて、回廊の屋根もないので、非常に開放感にあふれていますが、これ、全体が当時のままだったら、印象が相当違うでしょうね。

なんといっても、そのために来たわけですから、アーチに注目です。

上の写真、西側になるかと思いますが、このあたりは、ロマネスク的な小ぶりの半円アーチで、柱頭にも彫り物が施されて、ロマネスク的には典型的と言える構造です。

でも、教会に沿った面、北側となりますか、そちらは、アーチが、ちょっとだけとんがった感じになっています。そして、装飾も、すっきりとすべての部分が同様で、様式的には、ちょっと時代が下る感じ。




一番面白くて、おそらくこの回廊で最も有名な部分は、こちらかと思います。




これは、南側になります。東側にも並んでいます。いろんな形の定規を使って書いてみた図形みたいな、幾何学的な形の連続で、すごく面白い。モダンな感じがします。
もっと面白いと感じるのは、構造は同じでも、バリエーションがあること。




こちらはトップは同じ構造ながら、柱頭付きのタイプ。柱もすっきりと細い円柱で、かなり優美さの勝ったスタイルと言えます。

南東側の角っこから全体をパチリ。壮観です。




角っこを内側から。




馬蹄形アーチで、柱頭の透かし彫りも美しいです。
ほんと、ガイドさんの言葉に間違いなし。この時代に考えられるアーチが、すべて披露されている感じ。

ここだけは、現場でガイド本を買えたのですが、スペイン語なので、斜め読みができません。修道院の歴史も、こういう建築となった経緯も、大変興味があるので、おいおい読んでいきたいと思いますが、ざっと見る限りでは、13世紀以降の建築のようです。入って最初に遭遇する、いかにもロマネスク、という西北部分が、やはり最も古い部分であると。
でも、回廊の部分部分が、建築時期がすごく違うというのも考えにくいし、興味津々。




この部分は、アーチの上部に、軒送りまでしっかりとあるの、気付かれましたか。




それが、結構かわいかったり。




長年風雨にさらされていますから、傷みの激しいのは残念ですが。それで、ロマネスク部分の柱頭は、かなり摩耗しています。
若干時代が下るゴシックテイストも感じられる部分の柱頭に、植物モチーフがあり、結構好みでした。保存状態も良好。




これなんか、ちょっとテンプル騎士団的な。




続きます。

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  1. 2016/09/30(金) 06:22:43|
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開いててよかった~!ジャクジーをあきらめ、修行続行!(ソリア7)

カスティーリャ・エ・レオン、その25

川の方向に向かい、どんどん高度が下がります。
もう旧市街を出てしまって、結構大きな道路沿いに建っているのが、こちら。




サン・ペドロ大聖堂Concatedral de San Pedro。
道に面した今ある建物の姿は、まったくそそられるものではなかったために、この一枚しか撮影していませんでしたが、比較的新しい建築の中にあっても、相当大きなものです。

12世紀創建の教会ですが、もともとの建物は12世紀に崩壊してしまい、16世紀に、ゴシック様式で再建されたものが、今ある建物のようです。その際に、カテドラルと並ぶ教会という位置づけで、Co-Cathedralと呼ばれているようです。

しかし、ここには、ロマネスク時代の回廊が残されているので、ソリアのロマネスクの中では、一二を争う重要度を持っているのです。が、私がソリアの町をうろうろしていた日曜日の午後はクローズで、様子が全くわかりませんでした。

時間の余裕もあるし、なんだか悔しくて、どこかから、その様子がわからないものか、と、後ろの方まで回り込んでみました。




教会を挟んで、大きな道路の反対側は、私が宿泊したホテルへと続く谷になっています。
下は、ホテル側からの写真ですが、右下の方に見える建物群の一つが、この教会の、一部だと思います。




この建物部分が、臭いな、と思いました。上の方の三連窓が、ロマネスクなんですよね。それに、全体に、古そうで、今の本堂とは、作りが違うんです。




なぜ、こんなにこだわったかと言うと、翌日は月曜でクローズだし、いつ開いているかよくわからなかったので、たぶん、件の回廊を訪ねることはできないだろう、とほぼあきらめていたからなんです。

しかし、実は、思わぬ幸運に恵まれました。
翌日月曜日は、このあと記事にしていきますが、周辺の町村を回りました。例によって、時間に追い立てられるようにすごい勢いで回ったために、疲れ切って、普段よりは若干早めの時間、確か18時半過ぎごろに、ホテルに戻ったんです。

ホテルのフロントには、ソリアの町の主要観光地のオープン時間をまとめたものが置かれていたのですが、もともといい加減な性格なので、そして、いつもアワアワしているので、到着時に落ち着いて、ちゃんと見てなかったんですね。それに、ラバネラ教会が、19時のミサのときにしか開かない、というのとも、どうも混同してしまったらしく、よく認識してなかったのですが、なんと、このサン・ペドロも、19時のミサのときにだけ、回廊が公開される、ということだったんです。それを、早めに帰った月曜日の夕方に、なぜかこのときは、きちんと目についたんです。
きっと、他の教会を、すでに見学してしまったために、無意識に、見ていなかったところに注目したということなんでしょうが。

で、すっごくへとへとに疲れていて、とにかくお風呂に入りたい(ここのホテル、ジャグジーがあって、身体に優しい)、そして、ゆっくりとワインをやりたい、と思い詰めているような状態だったのですが、修行ですから、そんなことは言ってられません。修行道具一式(と言うのも変ですが、地図とか双眼鏡とかもろもろです)を担ぎなおして、フロントから、そのまま車に引き返して、サン・ペドロに向かいました。

歩くと結構な距離ですが、幸い車なら、旧市街に入らずに、外側の道を通って、5分程度で到着です。首尾よく入場したときには、19時5分前くらいという、計ってもここまで正確には来られなかっただろう、というようなタイミングでした。




おお!なんだか荘厳な、大げさな内装です。
それにしても、19時からミサ、という割に、信者は誰もいないのが、不思議でした。鐘もなってなかったし、ここ、すでに檀家はいないのか?
ちょっとうろうろっとしましたが、私の他にも回廊を見学に来ていたカップルがいたので、入り口はすぐわかりました。
入場料2ユーロと有料のため、係の方がいらっしゃいました。

この薄暗い本堂の、入り口と反対側にある扉をくぐると、そこに回廊が広がっていました。




思ったよりも、ずっと大きな回廊です。今の本堂の規模に釣り合うくらい。ということは、12世紀の教会も、きっと大規模なものだったのでしょうね。回廊があるということは、修道院だったのですから、前日に裏山の方から見た建物は、その修道院当時の建物の一部ということになりましょうか。




より古いところと、比較的新しいところが入り混じっているようでした。とにかく立派で、全体に保存状態は良いです。
このあたりが、ちょっと古そうな柱頭。




受胎告知らしいです。
背景のあみあみ装飾が、摩耗しています。もっとシャープだったんじゃないのかな。

これも、私には古いものと思われるのですが、サン・ペドロとサン・パブロとありました。




本くらい、売っててほしい場所だよね。あれば絶対買ったのに。
ここにも、ケンタウロスがいました。鹿を狩っている場面。鹿の堂々ぶりが目立ちます。




これなんて、すっごい摩耗ぶり。




なんか、川を何千キロも旅して、角の取れた石状態ですよね。ものによってこうなるということは、石の種類が違うのだろうか。

回廊の一片の内側の壁に、こういう構造が並んでいました。




係の方によれば、修道士のお墓とか。12世紀ごろのものと言っていましたが、どうなんでしょうか。アーチとんがってるし、修道院繁栄時代のものだろうし、感覚的には13世紀以降のものではないかという気もするのですが。
でも、素朴な石積みの様子は、魅力的です。




こういうテイストって、すでにゴシックの感じがしてしまいます。グリフィンの羽根というか、毛というか、すじすじがシロス石工系ですね。

洗練された連続アーチ。




ソリアには、おそらく優れた石工や優れた建築家がたくさんいたのだとは思います。ただ、この後の旅、フランス、オーベルニュで、多く目にした、素朴で古い回廊の様子と比較すると、やはり時代は下るのではないかと思います。11世紀と12世紀の差って、相当激しい。そして、12世紀でも、前半と後半ではずいぶん違うし、終わりごろになると、技術の進歩が著しくなりますよね。古いものは、連続アーチが、形がずれていたり、径が違っていたりします。

係の人が、わざわざ教えてくれた柱頭。




女性の乳房に噛みついている動物。痛そう…。誘惑を戒めるというやつですかね。

摩耗の激しい柱頭も多いですが、数がたくさんあるし、内容は多様なので、結構楽しめます。結局、見学者は私と、もう一組のカップルだけだったので、のんびりじっくりと見ることができました。フロントの情報に気が付いて、本当によかったです。

返す返すも悔しいのは、ソリアで本屋を見つけられなかったことですね。周辺も含めて、ロマネスクの宝庫なのに、とうとう何もゲットできなかったのは、痛恨。

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  1. 2016/09/28(水) 06:18:41|
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経済効率より土地の歴史を残すこと優先(ソリア6)

カスティーリャ・エ・レオン、その24

ソリアの町、続きとなります。
前回紹介した場所からさらに川に向かって、緩やかに下り坂になっている、住宅地とも商店街ともつかないような半端な通りの中ほどに、いきなり、変にスタイリッシュに修復された遺構があるんで、びっくりしました。




サン・ニコラス教会跡地Ruinas de Iglesia de San Nicolasです。

道に面した部分は、ガラス張りとなっていて、素通しなんですが、こんな風に説明版を兼ねていたりして、妙にオサレ感がある展示となっています。




12世紀から13世紀にかけて、その当時のソリアの町の中心部に建てられたロマネスク教会、とありますので、やはり、このあたりが、もともとの町の中心地に近かったことがわかります。
最初にアクセスしたラバネラ教会は、おそらく当時は街はずれだったのであろうという予想が、ばっちり的中した感があります。

この教会は、今世紀に入ってからは、カルチャーセンターのような機能を持つようになったようなので、つまり、教会として保存されているわけではなく、カルチャーセンターとして、利用している以上、休日はクローズである、ということだったようです(実は、今、わかったです)。

ガラス越しなので、うまくは取れないのですが、後陣部分。




本堂の、天井が、すっかり落ちてしまっていて、外郭の骨組みの一部が残っている、という状態なのですね。
ここは、外側は、ガラスなしで、アクセスできます。というか、撮影は可能。むき出しになっているので。




地味だけど、でも、ラバネラ教会とも共通する後陣スタイルという様子です。石の色味が同じだし、すっきりしたスタイルは共通性が感じられます。窓装飾も、ここでもビザンチンの風味があるのかも。
アップにすると、こういう感じ。




ブラインドにしている部分の装飾は、やっぱりそういう感じかも。
側壁の方も。南側の側壁で、北側は屋根とともに、なくなっています。




こんなじゃ、本堂は相当暗かったのではないでしょうかね。
全体は、こういう感じ。




こんな町中に、よく残したもんだよね。
ちょいと素敵な柱頭とか、うっすらと残っているフレスコ画なんかもあるんだけど、それにしても、半分も残っていない建物と、わずかな芸術品だけだったら、そして、それが、商業的には結構一等地だったら、芸術品だけこそげて、整地しちゃうよな、と思いますけれど、それが、こうやって、堂々と残されている。




そういうところが、スペインらしさでもあるのかな。
それほど、経済効率優先でやってこなかったということなんだろうけど。

その上、その、半端に残った部分を、カルチャーセンターのようにして、再利用している。なんかすごいなぁ。こういうところ、日本は大いに見習わなくちゃいけないと思います。
石の文化だから、壊すよりも残す方が効率が良いとかどうとか、そういうことではなくて、何に優先順位を置くのか、という話だと思うからです。

違いますかね?

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  1. 2016/09/27(火) 06:16:54|
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高低差をものともせず(ソリア5)

カスティーリャ・エ・レオン、その23

ラバネラ教会のミサの時間まで、他の教会の見学をしました。緩やかに下る道を東に進むと、ちょっとした広場が広がり、そこに面して、ロマネスクを目指していると、危うく見逃しそうな教会があります。




ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・マヨール教会Iglesia de Nuestra Senora de la Mayor。

ここもまたロマネスク起源の教会、サン・ジルSan Gilの上に建てられた教会で、一部にそのサン・ジル教会の遺構が見られるのです。つまり、私が見るべきは、ヌエストラ・セニョーラ教会というよりも、サン・ジル教会、ということになります。
今の姿は、16世紀以降のものです。

ロマネスク時代の遺構の一つがこの、南側の扉です。




建物から飛び出したスタイルで、上部に軒送り、そしてタンパンなしのアーキボルト構造と側柱に柱頭、と全体にスペインらしく、またこの地域らしくもある扉です。
全体にはかなりすっきりとした装飾のイメージですが、柱頭にはぎっしりと彫りが施されています。
向かって左。




摩耗の激しいのは残念ですが、ストーリー的なものと、奥は非常に装飾的なあみあみスタイルです。副柱頭も、アラベスク的な繊細な帯彫りです。

右。




より装飾的な感じです。扉に最も違い柱頭は、グリーンマン、いや、動物のようですが、角っこにライオン風が置かれて、つる草をはいていますね。真ん中のは、ハーピーっぽいですが、フクロウにも見えます。
でも、私には、鶏肉に顔がついているように見えちゃう。もしかして、羽根をむしった鳥を参考に彫ってないかしら、なんて…。

幸いにもここはオープンしていましたので、内部も見学しました。しかし、ほとんどは、後代のものとなっていて、面白みはありません。
ただ、確か右側の後陣だったと思うのですが、サン・ジルの遺構がありました。




例によって、床はフローリングになっています。水盤は、違うと思いますが、アーチと柱頭は古いですね。何もなさそうな中で、こういうものに出会うと、すごく嬉しく感じます。

右は、あみあみ組紐。




左は、アカンサスっぽいです。




傷んでいるけど、それだけに、よくぞ残りました、と、すりすりしたい気持ちになります。

実は、いま説明を読んでいて、鐘楼もロマネスク時代のもの、とありましたが、撮影をしていないようです。ただ、下の写真に、鐘が写っているので、建物の一部全体が鐘楼になっているような構造だったのかしら。記憶が…。




この教会のあたりから、また町は一気に高度を下げます。下がりながら、ドゥエロ川へと続くのです。
限られた時間を無駄にせず、オープン時間を逃さないよう、こういう階段や坂道の上り下りをものともせず、行ったり来たりしてたということで、なんだかあきれつつ、自分に感心しつつ、写真を見ています。

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  1. 2016/09/25(日) 01:38:55|
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会話の成り立たない日本人 < 一人遊びのちょい悪おやじ(の方がマシ、という意味です)(ソリア4)

カスティーリャ・エ・レオン、その22

サン・ファン・デ・ラバネラ教会Iglesia de San Juan de Rabanera続きです。




ソリアでは、ロマネスク時代の教会が、6つもあるということを、すでに記しました。そして、だからこそ、二泊することにしたのですが、日曜から火曜まで、というスケジュールで、多くの観光地がクローズとなる月曜日を挟んでいるため、見学のスケジュールを立てるのは、結構大変でした。
事前にクローズやオープンの時間がわかっていた場所もあるのですが、でも、教会の場合、ほとんどは実際に行ってみないとわからないのです。
そしてまた、時間的に余裕のある旅ではない、というより、隙間時間すら活用して、一つでも多くの教会を訪ねたい、という修行旅ですから、無駄な時間が許されません。いや、これは自分ルールなわけで、誰に強要されているわけでも、義務でもないわけですが、まぁ、そういうことです。わけわかりませんが。
というわけで、ソリアの町では、ほとんどがクローズしてしまうであろう月曜日は、ソリアの周辺を見て歩く予定にしており、二泊もする割には、町にいる時間は少ないのです。

幸い、ホテルのレセプションに、主だった教会のオープン時間が記されていましたので、自分で調べておいた事前情報とそれを参考に、到着後、町に出たという次第です。

で、この教会は、19時のミサのときしか入れない、ということは、ホテル情報でわかっていました。最初にたどり着いた夕方は、情報通り閉まっており、そのため、他を見学してから、また戻ってきたのです。
小さい町とはいえ、行ったり来たりで、本当にご苦労なことです。

18時半過ぎに戻ってきて、無事、本堂にアクセスできました。




全体に、修復の跡が著しく、良くも悪くもすっきりと美しく整えられています。嫌味はないですけどね。
ところどころに、オリジナルの教会の名残らしいものが見られます。




もともとは柱頭と思われますが、聖水盤として活用されているもの。よくありますが、このように、いかにもロマネスクの柱頭の使いまわしです、というタイプは、意外と少ないかも。

ここも、床がフローリングになっています。ソリアの前に訪ねたブルゴス県の教会も、一様にフローリング床になっていましたが、これは土地柄なのでしょうか。ブルゴス県は、確かに山の中森の中、という環境なので、なんとなく理解もできますが、ソリアは、そういう感じでもないので、ちょっと不思議。イタリアでは、修復があっても、フローリング床にすることは、ないような気がします。

ラテン十字の中心となる場所の、クーポラ構造。




ビザンチン風、と説明版にありましたが、そういえば、パレルモの教会をちょっと髣髴とさせますね。
下が、パレルモの中心地にある、サン・カタルド教会Chiesa di San Cataldoのクーポラです。南イタリアにはビザンチンの遺構も多いので、ご興味があれば、比較のためにも、下の方でリンクしている「ロマネスクのおと」のシチリア編やプーリア編へどうぞ。




また、ソリアに戻りますが、クーポラの周辺にも、細かい彫り物が見られます。




動物フィギュアなどが並んでいるかわいらしい帯ですが、ゴシック的なフィギュアで、12世紀末以降のものだと思われます。
柱頭も含めて、内部の装飾は、いまある教会になった時代以降のものみたいです。




後陣の、こういうアーチ装飾、その内側の帯装飾などは、やはりビザンチン的、ということになるのかな。装飾的ですよね。でも、フィギュアどさどさではなくて、幾何学的というか、数学的というか、そういう方向性の装飾。




私の好物は、大体、隠されているみたい。
これなども、きっとサン・ニコラス教会の名残ではないかと。




というわけで、この教会は、やはり外側の装飾が見どころだと思いました。

前回の記事で、ちょっと面白い出会いがあったと記しました。
それが、こちら。




旧市街の小路を行く、白いジャケットにハンチング、ちょっと年の行ったちょい悪おやじ風の後ろ姿、わかるでしょうか。
後陣を見上げて、夢中になって軒送りの撮影をしていて、声をかけられました。教会の名前の由来とか、本来は、南側に扉があったこととか、真面目にいろいろガイドしてくださったので、面白かったんですよね。もちろんスペイン語ですが、とてもわかりやすく話してくださいました。

上の写真は、さんざんガイドしてくれた挙句、さらりと、じゃあねと立ち去るその後ろ姿。記念に一枚、撮らせていただきました。

おかしかったのは、そのあと、他の教会を求めて、町のあちこちをうろうろしたのですが、どこに行っても、このおやじ、目につくんです。時として、やはり観光客風の人と話していたり、地元の友人らしい人と話してたり、とにかくうろついて、誰かにとっついては話をしている様子だったんですよ。
おそらく暇な年金生活者とか、そういう方なんでしょうねぇ。
そういえば、昔イタリアの田舎でイタリア語の勉強をしている時も、こういうタイプのおやじって、必ずいました。時には、この人やばいんじゃないか?という雰囲気の人もいないことはなかったですが、ほとんどは、善意だったり、暇つぶしだったり、そういう感じで。
そういう暇つぶしって、日本の老人には、なかなかできないことじゃないかと思うんですけど、悪くないですよね。もしかしたら、ただ色気や何らかの下心のある、ちょい悪おやじかもしれないですが、でも実害がなければ、オウケイですよね。

という、面白い出会いのあった一方で、もう一つは、ちょっと疲れる出会いでした。
最初に教会前の広場に着いた時、なんと、日本人の女性二人連れがいたんです。

私の修行旅は、時たま、一般観光客も来る修道院など訪ねる以外、ほとんどは、普通の人には興味がないだろう山奥とかど田舎ばかりなので、日本人と会う確率は、大変低いのです。夏休みは、1週間から10日程度歩くことが多いですが、その間、一回日本人と会うか会わないか、まったく会わないことの方が多いくらいです。
このソリアは、今回歩いた土地の中では、比較的大きい町とはいえ、日本人がわざわざ訪ねる町ではありませんから、かなりびっくりしました。

海外だと、やけに日本人を避けようとする日本人が多いように感じますが、私は、少なくとも挨拶等はするタイプです。こういう旅で出会う人とは、できれば情報交換などできれば、と思っていますので、基本的にはお話をしたいと思うタイプ。
このときも、先方は二人連れでしたので、日本人であることはすぐわかり、声をかけました。で、ちょっと立ち話をしたのですけれど…。
やはり、日本から来た人たちではなく、一人がマドリッドにお住まいで、もう一人は他の国から遊びに来たお友達だということだったのですが、何が疲れたって、会話が成り立たない…。
会話って、言葉のやり取りじゃないですか。しかし、彼女たちは、私が聞いたことには答える、それも、自分たちのことについては、必要以上に語るのですが、最初から最後まで、ひたすらこっちの質問に過剰な答えを返してくるだけで、向こうから、私への質問は一切ありませんでした。
話している段階で、すでに疲れ、後からなぜこんなに疲れたんだろう、と考えて、そういうことか、と納得した次第。

なんでしょう?会話ではなく、一方的な自己主張みたいな不思議なものでした。別に、自分のことを他人に話したいわけではないですが、会話って、適度に聞いたり聞かれたりじゃないと、成り立ちません、やはり。
いや、びっくりした。

そのあとで、先のおやじに会ったので、不自由なスペイン語でも、おやじとの方が会話が成り立っていて、安らぎました。
せっかく、たまにしか会えない日本人なのに、実は、こういうケース、少なくないです。芸術家の人とか、楽しい出会いも、会ったりしましたが、どうも、行く場所が特殊だからか、変わった人に会う確率が高いのか。

ミサの時間に戻った時、再会しましたが、目礼だけで。
なんだろなぁ。
これなら、話したくないオーラびんびんの人の方が、一貫性があって、いいのかもしれないですねぇ。

そして、この後は、もっと観光的な町にも立ち寄ったのですが、とうとう日本人とは出会わずじまいでした。

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サン・ファンのくせに、どちらの二コラさん?(ソリア3)

カスティーリャ・エ・レオン、その21

ソリアSoria、続きです。
サント・ドミンゴ教会あたりから始まる旧市街に、足を踏み入れます。
地図を見ていても距離感がわからなかったのですが、この辺で、町の大きさがわかってきました。
商店街を横切って、いきなり開けた広場の中心に、思いがけず、もう一つの教会がありました。




サン・ファン・デ・ラバネラ教会Iglesia de San Juan de Rabaneraです。

この日は日曜日だったので、こうやって、広場然としていますが、教会前の、柵で区切られた広場の周囲は、車道ですから、平日は、結構な交通量になる場所(と思います)。
そこに、こうやって佇んでいるロマネスク教会、というのもなんだか不思議な感じ。

歴史も何も、きちんと調べていない状態なので、完全な推測ですが、おそらく、過去とは、町のあり方が変わってしまったのではないか、と。
ホテルのある場所から比べると、標高(と言うほどではないにしろ)は下がりますが、でも、こうやって見ても、高低差がありますよね。この教会の裏の方から、ホテルの先の展望台からも見えたドゥエロ川に向かう道は、緩やかな下りになっており、細い道が続きます。明らかに下る手前に、やはり広場があるのですが、どっちかというと、そっち方面が、昔は栄えていたのではないか、と思うわけです。

この教会の名前となっているラバネラは、地域の名前とも民族の名前とも言われているようで、12世紀ごろに、この地域に移り住んできた人々を表すものらしいです。ということは、やはりそのころ、このあたりには何もなかったということなのでしょうね。彼らが定住したことで、ソリアの町が拡大した模様です。

それにしても、そういう場所にありながら、いや、だからこそ、教会としての機能を保って、ここまで来たのですかね。後代の手が入っているとはいえ、全体がよく残っているな、と感心する姿です。

ここも、最初に見るべきは、ファサードの入り口周りの装飾。




残念ながら、扉回り以外は、面白みのないスタイルになっちゃってます。

タンパンにしっかりとした彫り物があるだけで、アーキボルトはすっきり。




わたし的には、こういうすっきり系の方が好みかな。あんまりごちゃごちゃしていると、どうも、気が散ってしまうし、疲れます。
衣の彫り方など、サント・ドミンゴに共通する手を感じますね。テーマは、現地の看板にあった簡単な説明によれば、司教サン・ニコラス、とあります。現地で、解説本を買えなかったのは、返す返すも悔しいです。

なぜサン・ニコラなのかと言えば、もともとこの地にあった教会が、サン・ニコラにささげられたものであり、その名残が、これらの彫刻らしいのです。今、教会はサン・ファンにささげられているのに、正面にはサン・ニコラス。仲良く共存。

側柱には、立派な柱頭彫刻があり、一方がキリストの、他方がサン・ニコラスの人生を表す内容になっているとあります。
たぶん、左側がキリストのパート。




とすると、右側がサン・ニコラスになります。




サン・ニコラスって、バーリのサン・ニコラと同一人物ですかね。でも、バーリのサン・ニコラは、今のトルコあたりの出身で、その人生はあまり知られていなかったような。ということは、違う二コラさん?




摩耗も激しくて、エピソードをたどるのは、至難の業です。
写真を改めて見ていて、目に留まったのが、これ。




衣、というか、マント?スっごく細かい。そして、杖を持つ手が、がっしりと、すっごく高くて、写実的。
12世紀よりはずいぶん前の彫り物のはずなのに、なんか、超しっかりしてる。

扉の上の方には、おなじみの軒送り彫刻。ここは、いかにもロマネスクらしい、例によって変なものがたくさん。




これなんかは、まぁまぁありがちな、「愛らしい」と言えないこともないタイプですが、こっちなんかは、相当やばい!




でも好き~!




左側、つまり教会北側の方に回り込むと、後陣側は、古い構造が残っているのがわかります。翼廊の壁みたいな面。




小さな開口部の、柱頭が、棕櫚の葉っぱモチーフなのか、ただのギザギザ幾何学モチーフなのかわかりませんが、結構好み。
そして、後陣。ファサード側と違って、かなりオリジナル構造そのままなので、びっくりしました。これ、サント・ドミンゴと逆パターンです。




こちら側は、高低差がある場所なので、ファサード側よりも、地面が低くなっている分、地面から見上げる高さがあり、迫力です。それでいて、とっても優美な姿。
窓の部分は、ビザンチン風と言われています。




横から見ると、こんな感じで、さほどの高さを感じませんよね。この位置から、右側、後陣の真後ろに向かって、ぐっと下がっているのです。




ビザンチン風とされる窓の装飾。確かに、こういうのって、見たことないかも。それがビザンチン風と言われても、そうなんですか?と思うだけなんですが。

軒送り彫刻は、かなり遠いのですが、ちょっと面白いもの、あります。




傷んでいるものも多いのですが、土台が大きい割に、置かれた彫刻がやけにこじんまりしていて、変に目立っているというか。上の方につけられた帯の模様も、装飾的で好き。

ほら、変な姿の動物も、変に小さい。




この教会では、変な出会いがあり、ちょっと面白かったので、記しておきたいと思います。ということで、もう一回、続きます。

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粘着質系ファサード(ソリア2)

粘着質系ファサード(ソリア2)
カスティーリャ・エ・レオン、その20

ソリアSoriaの旧市街で、最初に訪ねた教会は、サント・ドミンゴ教会Iglesia de Santo Domingoです。




宿泊したホテルから、最も近い場所、つまり、旧市街の北のはずれにある教会です。オリジナルは、サン・トメにささげられた、今よりはずいぶんとこじんまりした教会だったそうですが、12世紀終わり頃に、全体が拡大されて、ほぼ今ある姿になったようです。
サン・トメの名残は、教会のある通りの名前に残っています(Calle de San Tome'=サン・トメ通り)。

今のところ、歴史などはきちんと調べていませんが、どうやら、もともとそれなりの規模であったソリアの町が、さらに繁栄をした時期に当たるのではないかと考えられます。




実は、後陣側からアクセスしたのですが、こちら側は、すでにロマネスクを通り越した時代のスタイルとなっています。




そのため、いきなり期待感が萎えたのですが、ファサード側に回り、ちょっとびっくりしました。




スタイルとしては、ロマネスク的というよりは、ゴシックへの移行期であることも感じられるような構造と思うのですが、連続したブラインド・アーチや柱頭など、ディテールは、完全にロマネスク。
この、正面扉の、タンパンとそれを幾重にも取り囲むアーキボルトの、執拗なまでの彫刻、すごい粘着質~!




テイストとしてはゴシック臭も強いのですが、これだけびっしりしていると、つい宝探し的に見てしまう面白さ、あります。
中央部に置かれたアーモンドの中の、あれ?普通は、キリストが祝福している姿なのに、ここでは父子なんですね。変わってる~。

それも、なんか両側頭の変な怪物、たぶんドラゴンの上に、どっしりと腰かけています!




普通だったら、アーモンドを支えるポーズの天使も、なんか変な怪物を抱えているように見えます。
あ、よく見たら、右側の天使も、どっかりと狛犬状の怪物の上に座ってる~!狛犬系ドラゴン~!




なんだろう~?
最初のアーキボルトには、黙示録の老人が並んでいるような気もするので、黙示録的な?こういう時、知識が薄いもんで、想像の範囲が狭くて、情けないですねぇ。

そうそう、ソリアはこんなにたくさん見どころがあるのに、残念ながら、現地で何らの本もゲットできなかったんで、今更残念になります。

それにしても、どの人も、衣のひだひだの細かい彫り、すごいですね。

両脇柱頭には、聖書エピソード満載です。

左側。




そして、右側。遠目にも、なんとなくお話が見えてくるようなわかりやすさです。




無知な私にでも容易にわかるいくつか。
アダムからイブが作られたとこ。ちょっと出産状態に見えますけど。




アダムとイブが、リンゴをいただいちゃってるとこ。




顔は、どっちかというと不細工なんだけど、足が長くて、やけにスタイルがいい、イケてる二人。

それにしても、一見もろそうにも見えるこの石で、よくこれだけ残ったものだと感心します。そして、一体何人の石工さんがかかわっていたんだろうかと、気が遠くなるような。
実際、ここを訪問したとき、夕方5時過ぎなんですが、スペインの夏の夕方5時って、まだ真昼間の日差しで、とにかく暑くて、あっという間に集中力が溶け去っていくような状況で、また、日差しがまぶしくて、細かいところまでよく見えない状態だったので、こんなにすごいのに、あまり写真が撮れてないんです。その時は精一杯だったのですが、今、見ていると、ちょっと惜しい。

アーキボルトの、内側から三つ。
ちなみに、一番外側のアーキボルトには、網がかぶせられているので、よく見えません。




やっぱり、一番内側は、黙示録みたい。二番目は、聖書かな。幼児虐殺みたいな感じ?子供、突き刺しちゃってるよね。ひえ~。どうやら、基本は、聖書エピソードらしい。字を読めない人にも、こうやって展示されれば、わかりやすかったんだろうね。

テイストとしては、なんか、インドとかカンボジアの、彫り物びっしりにも通じるものがあるっていうか。本当に語りたかったのね、だれか。

立派なバラ窓の方も、かなり粘着質的に、装飾が激しいです。




周りをぐるりと取り巻いている帯に、面白そうなフィギュアがぎっしり並んでいるのですが、ここも、網がかぶせられているので、詳細がよく見えません。ハト除け、ですかね。

とってもプリミティブな植物モチーフの、このあたり、好みです。




すべて、ねちねちした彫りかと思うと、ちょっと隠れた目立たない場所には、こんなのもあって。




私は、こんなのの方が好み。これは、古い時代のものが残されているということなのかな。

この教会は、外側をじっくり堪能すれば十分ですが、一応中も。




彫りの細かい柱頭もありますが、目新しさはなく、ロマネスク的な面白さがあるものもなく、というところです。
つまり、中に入れなくても、特にがっかりすることもないんですが、そういう教会に限って、昼休みもなく、8時から21時まで開いています。

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たまには観光情報。ホテルの話(ソリア1)

カスティーリャ・エ・レオン、その19

わざわざ足を延ばしたブルゴス県で、大変満足のいく教会巡りをした後、半端な田舎をうろうろしていても、おそらく、ランチにはありつけまい、と思い、時間的には若干厳しいものの、一気に、その日宿泊予定のソリアへ向かうこととしました。




ソリアは、さして大きくはありませんが、小さな町村ばかりのこの地域では、相対的には、かなり大きな町と言える規模です。そして、一つの町に、見学目的としている教会が、6カ所もあるというのは、ちょっと他に類を見ないロマネスク集積地と言えますね。
しかしこの町、宿泊もすることだし、事前に地図をチェックしていたのですが、どうも、町のつくりを把握しかねました。

というのも、宿泊することにしたホテルは町の外れ、谷を挟んで、パラドールもありますが、そこも、はずれ。旧市街までは徒歩でも行けるとあるけれど、地図を見る限りでは、結構遠そうだし…。
いずれにしても、6つもの教会を、限られた時間で、すべて回れるのかどうか、まったく覚束ないまま、到着です。

トップの写真が、ホテルの裏側に広がる谷底。
ホテルは、町の北東部のはずれにありました。駐車が自由にできることが気に入って、二泊滞在しました。
パラドールも考えたのですが、ここよりもさらに旧市街には距離がありそうだったので、断念したのですが、谷を挟んで、ほぼ真向いだったので、同じようなものだったのかもしれません。

ホテルへの、ちょっとこじゃれた並木道。




両側は、芝生が植えられて、テーブルなども置かれていて、町の人々の憩いの場所となっています。年配の方々がカードに興じていたり、親子連れがピクニックをしていたり、と、和やかなムード。
その突き当り左側に、私の目的からは外れる時代の教会があります。




教会にはまったく興味を持てませんでしたが、教会前も芝生になっていて、誰でもアクセスできるのが、開放的でとてもよかったです。
そして、その向かいに、ホテルがありました。




Hotel Leonor Miron
Paseo del Miron s/n, Soria

結構老舗のホテルらしかったです。
クルマで移動している場合、駐車の問題がないし、駐車無料なのはお勧め。ただし、レセプションの人々は、妙に他人行儀というか、よそよそしいというか、人が変わっても、一様に、暖かみに欠ける傾向を感じました。
レストランも併設なので、私のように、常にへとへとになって宿にたどり着く向きには、便利。旧市街まで歩いて10分程度とはいえ、坂道でもあることなので、夜わざわざ出かける気にはならない場所でもあり、結局、ここで済ますことになるケースが多いのではないかと思います。

でも、ホテルのレベルにしては、レストランは、ちょっと…。
昼食も夕食もメニューがあって、確かワインも込みで20ユーロだったかと思うのですが、作り置きしたもので、まずいとは言いませんが、もうちょっと高くてもいいから、もうちょっとおいしいものがいただきたいなぁ、と思うような代物でした。

到着した日の遅いランチと、翌日の夕食、二回メニューをいただきましたが、満足したのは、大好物のクアハーダくらいでしょうか。




夕食をいただいた日など、飲み放題のはずのワインのボトルを持っていかれてしまい、さらに不満が高まった次第。

ちょっぴり面白かったのは、どうやらオーナー家族らしい人たちが、毎回大テーブルについて、ごはんを食べていたこと。かなり高齢の女性と、現オーナーっぽい派手な中年女性とその連れ合い風の男性、そして若いご夫婦と幼い子供。四世代家族。
勝手に飲み物を取ったり、ウェイトレスさんに指示を出したりしていたので、オーナーだろうと思ったのですが、それにしても、自分たちで食べているなら、レベルもわかるはず。もうちょっと改良しようとは思わないのか、とますます不思議になりました。
まぁ確かに家庭料理的ではあるから、それでいいと思っているのか。
しかし、毎回オーナー家族が来るレストランなんて、働いている人たちは嫌だろうなぁ。

ホテルの先は、展望台となっていて、そこからの眺めは、実に気持ちよかったです。
きっと、昔は雑木林にでもなっていたところを、切り開いたんだろうな、と思わせる、林間の小道。




そこをちょっと行ってから振り返ると、ホテルの全貌が見えます。




こういう場所に、あえてホテルを作るのが流行った時代があったのではないか、と思いました。こういう立地のホテルって、たまにありますよね。で、そういうホテルって、一様に古びている感じがします。
テラスからの眺めもなかなかなんですが、今はほとんど喫煙所としてしか使ってない状態で、燕のフンで汚れまくっていたのが残念でした。
後ろの方に見えるのが、旧市街です。

行き止まりになっている突端まで行くと、ドゥエロ川が見え、どこかに、目的地の一つであるサン・ファン・デ・ドゥエロ修道院Monasterio de San Juan de Dueroが見えるはず、という風景が広がります。




かなり古ぼけた昔の写真が置かれていたので、それで検討を付けようとしたのですが、修道院、まったく見えません。




この古い写真の時代は、ずいぶんと緑がやせていたんですね、どうやら。
後日修道院を訪ねてわかりましたが、今は、修道院の周りの樹木はうっそうとしているし、川辺にも素敵な遊歩道ができていて、湿地の緑を楽しめるようになっています。おそらく、さほど遠くない時代に、そういう整備をしたのだと思われます。昔の写真では、川辺は砂があるだけの、しけたわびしい場所にしか見えませんね。

そういえば、この町では、燕がすごくて、ちょっとびっくりしました。
というのも、ミラノだと、燕の子育ては、もっと早いからです。

夕食後、部屋の窓のカーテンを全開にしたら、軒下に巣があるのでしょうね。多くの燕がすごい勢いで、窓に向かってくる感じで、びっくりでした。
まるで、水の中で、魚の泳ぎを眺めているような気分。




あんまり感動したんで、何枚も写真を撮ったのですが、反射神経が悪いもんで、燕が近づいた瞬間を撮ることはできませんでした。
一番近いので、このくらい。




燕は、飛んでいるというより、空を泳いでいる鳥ですね~!

ソリアの教会群、じっくりと紹介していきますので、お楽しみに。

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同じダニエルも、たった5キロでこんなに違う(ヴィスカイノス・デ・ラ・シエッラ2)

カスティーリャ・エ・レオン、その18

サン・マルティン教会Iglesia de San Martin、ヴィスカイノス・デ・ラ・シエッラViscainoz de la Sierra、続きです。外側のお楽しみです。




ここのポルティカーダは、この直前に訪ねた、より山奥のハラミリョの教会に比べると、かなり地味ですね。あちらの方がより高度もある山奥であることを考えると、この、クローズ感が強い、開口部が少ないスタイルが、こちらにあるのが、ちょっぴり不思議。

まずは、ポルティカーダの下に隠された、本堂への扉口。




重なりの数はすごいですが、アーキボルトの装飾は、ゼロです。すっきり。側柱柱頭には、彫り物が見られますが、結構地味で、時代も下っていて、あまり私の好みではなかったです。




ポルティカーダの柱頭彫り物についても、一部、若干ゴシック・テイストが感じられましたね。でも、保存状態、なのかまたは修復状態が、大変良いです。石色も、興味深いです。




この、小さなアーチを支える、うにょっとしたスタイルの二人、いや、二匹?二頭?うにょっとしたポーズで向き合ってるのが、かなり好き。




そして、軒送りの観察にうつります。




うわ~、なんか、いきなりやばい人に会った、みたいな。




ひゃぁ、こっちも!なんか、そこはかとなく、現代美術の巨匠カッタランの、不気味な作品を髣髴とさせるフィギュア。引きこもり的な?




弓矢で、一瞬、得意のケンタウロスかと思ったら、普通に人だったフィギュア。




動物フィギュアも、独特の表現力。豚かな、イノシシかな。背中にずっと、鬣みたいのが見えるから、野生っぽくて、やっぱりイノシシ系かな。ポーズが、何とも楽しいよね。




後陣の方は、顔というか、頭部が多くて、ケルトの影響とかある?と思ったり。




で、この、地味構造な中の、地味つけ柱の上の柱頭に注目。




ダニエルらしき姿がいるんですよ。




すっごく力強いダニエル!せっかくのスペースを使いきれていないなってのは、あるんだけど、この、ふむっ!みたいな力のこもった顔つきと言い、踏ん張っている足といい、身体に比べると、かなりでかい手で、むんずとつかんだ綱で、力いっぱいライオンを押さえつけているポーズと言い、これほど、力強いダニエルって、そう、いない気がします。

でも、スペースを使いきれていない、全体のデザインとしてどうよ、という技量的には、先のハラミリョの石工さんと、五十歩百歩的な部分もあるのかも。




これが、ハラミリョのダニエル。
こうやって見ると、構造は一緒でも、熱が違うねって感じ?技量なのか、スタイルなのかはわからないけど…。

ハラミリョとこのヴィスカイノスの距離は、車で10分。えっと、5キロもないくらいだと思います。だから、どう考えても、同じ工房かどうかはわからないけれど、石工同士は知り合いであったはずなんだよね~。どういう感じで、彫ってたのかな、お互い。
「俺はスタイリッシュに行くぜ」ってハラミリョの人は言いそうだし、ヴィスカイノスの人は「彫ってみなきゃわからんぜ」とか思いつつ、黙って彫る、みたいなスタイルかな。

そんなことを想像すると楽しい。何を鑑賞してるんだか、ですが。

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ふすまに隠されたレタブロ(ヴィスカイノス・デ・ラ・シエッラ1)

カスティーリャ・エ・レオン、その17

ハラミリョの装飾にすっかり満足して、再び山を下り、直前に立ち寄っていたヴィスカイノスへと戻りました。ちょうど12時ごろにハラミリョに向かい、そちらの教会をしっかりと見学してから、再び戻ってきて、12時50分。まるで、細かく計画したかのような奇跡の時間配分で、びっくりです。




サン・マルティン教会Iglesia de San Martin、ヴィスカイノス・デ・ラ・シエッラViscainoz de la Sierra。

13時からと言われたミサの時間も近づいてきており、村の人々が、三々五々と教会周辺に集まってきています。ハラミリョでの風景のデジャヴを感じつつ、扉をのぞき込むと、開いてました!




扉の正面のこれ、実は、閉まっていた扉の鍵穴からのぞいた時、このふすま状のものが見えて、なんだろう、といぶかしい気持ちでいっぱいだったんですが、まさにふすまだったんですね~。
そして、後陣。




おなじみの黄金のレタブロもなく、すっきりして、好ましい姿です。
ミサの準備で、教会守らしい方がいらしたので、少しお話ができたのですが、実はこの教会でも、以前は、黄金の祭壇で、今の姿はなかったのですが、近年の修復で、ロマネスク当時の姿を取り戻すために、レタブロは取り除かれて、この、素朴なロマネスクらしいスタイルがよみがえったということなんです。
おそらく、そのレタブロに置かれていた像が、今は、小さなオリジナルの開口部を祭壇のようにして置かれています。




では、そのレタブロはどうなったかというと、扉入ってすぐ左側、つまり、南壁の後ろの方に、置かれています。




上部の方の壁龕が空っぽですから、今、簡易祭壇に置かれている像は、きっともともとそこにあったのでしょう。
よく、これを動かす決心をしたものですよね。スペインでは珍しいことだと思います。
内部は、壁は漆喰でぬりぬりだし、天井も床も、新しく板張りとなっていて、相当の修復をしたことが認められます。
かつて、木造だったという鐘楼へのアクセス階段も、しっかりとメタルのものに変えられています。




そういった近代化を図りつつ、肝心なところはロマネスク時代に戻す、というのは、すごいことです。

それにしても、先ほどのふすまの奥に鎮座したレタブロもあるわけですから、あれが流行った時代、17世紀あたりと思うのですが、この村には、そういうものを複数寄進するようなお金持ちがいたということなんでしょうかね。ちょっとびっくりです。だって、山の中腹にある、民家が数軒あるだけの村ですからね、今や。

ところで、この階段の下に、この教会にもまた、洗礼盤があります。




ポルティカーダのある構造だと、扉がポルティカーダのある南側壁にあり、スタンダードな教会だとあるはずの、西側扉がありません。そして、多くの教会で、その場所に、洗礼盤がおかれていることが多いですね。
ということは、まさにそこがオリジナルの洗礼スペースだったということになるのでしょう。
大胆な浅浮彫が施された、デザイン性の高いものです。




サボイアルディ状のうねうねが愛らしくて、また、下の部分まで、しっかりと帯が入っていて、完成度の高いすっきり系。
あれ、なんというお菓子でしたっけ。シャルロット?とか何とか、容器にビスケットを並べてムースを流し込むババロア系のお菓子。まるで、あの型をさかさまにしたような。

おっと、レタブロに引きずられて、いきなり後ろの方に行ってしまいましたが、ロマネスク当時の姿となってよみがえった後陣、もう一度戻ります。
先ほどのハラミリョ同様、勝利のアーチの根元に、立派な柱頭が見られます。

右側は、騎馬で剣を合わせている騎士っぽいです。




そして、左側は、これ。




巡礼を表す衣を着た人たちに見えますが、どうでしょうか。

ミサの直前で、せっせと準備をしながらも、質問に熱心に答えてくれる教会守の方のお話を聞きながらの見学だったため、実は、あまり何枚も写真を撮れなかったんですよね。
実は、窓の側柱の彫り物なども、素朴でかわいらしいものだったんですが。




ね、なんかすっごく愛らしいです。
次回、外側の愛らしいやつらを紹介します。

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