カスティーリャ・エ・レオン、その33
アルマサンAlmazanのサン・ミゲールIglesia de San Miguel教会、続きとなります。 内部で、最も重要なクーポラを堪能した後は、柱頭をチェック。
素敵な植物モチーフ。彫りも細かいしなかなかのレベルだと思うのですが、ガイドさんから手渡された説明版には、柱頭に関する記述は一切なし。クーポラ以外は、後代の構造物や彫刻などについてばかりで、ちょっと寂しかったです。つまり、どっちかというと、中世以降のものを観光資源とみなしているわけで。なんでかなぁ。
おなじみのスタイルのフィギュアもあるのに。
いや、おなじみというか。これ、一見グリーンマンのバリエかと思ったのですが、よく見ると、もしかするとダニエルさんだったりするのかな。だとすると、お座りスタイルのライオンも新鮮だし、グリーンマン状態または楳図かずお的に糸はいているようなダニエルさん、新しい!
ダニエルさん的には、やっぱりこっちか?
かなり素朴な葉っぱモチーフも、愛らしいです。これは、古そうな感じ。
話題にはならないけど、でもいいですよね。
ということで、半時間ばかりのガイド・ツアー、言葉には不自由したものの、有益な情報もいただけて、楽しかったです。なにより、開いているはずがなかった教会に、ほとんど時間に無駄なく入れた、という事実だけで、非常に嬉しかったです。
外観を、改めて見学。
後陣はロマネスクのスタイルですが、塔は、しっかりとムデハル様式ですね。 でも、そのロマネスクらしい後陣も、やっぱり装飾は違っていて。
これって、イスラム風な感じがしますけれど、どうでしょうか。
こんなのがこっそりあるところを見ると、もとは、ロマネスク的に軒持ち送りの彫り物が並んでいたのではないか、と疑っています。だとしたら、ロマネスク・ラバーとしては、残念なイスラム風軒送りかな。遠目には、デザイン的できれいですけれど。
開口部も、スタイルはすっかりとロマネスクですが、アーキボルトに施されたモチーフは、イスラム風です。
何はともあれ、見学終了。
アルマサンには、この他、二つの教会をチェックしていました。割とどうでもいい感じもあったのですが、小さな町だし、地図もらったし、せっかくなので、と訪ねてみることにします。
街はずれにあったのは、ヌエストラ・セニョーラ・デ・カンパナリオ教会Iglesia de Nuestra Senora de Campanario。
日差しを遮るものもない住宅地の坂道を、えっちらおっちらと歩いて、たどり着いた高台にあったこの教会。正直、がっかりの状態ではありました。全体は、かなりのっぺらぼう状態になっていて、ロマネスクの魅力は極薄。 こりゃいかん、とこの後陣が見えるベンチに腰かけて一休みしながら眺めていると、幸いにも、軒送りが。
すべてのモチーフが非常に記号的だったので、地味で、最初気が付かなかったほど。これだけ記号的なものばかり並べているのは、ある種の主張があるんだろうと思います。いや、石工さんが、こういうシンプルなものしか彫れなかった、という可能性もゼロではないですが。
いやいや、これだけ記号だと、やはり何かあるはず。でも、何かはわかりませんが。こういうマイナーな教会の情報を探すのは、結構難しいでしょうねぇ。
もう一つは、町中、サン・ミゲールにも近く、住宅地に埋もれていました。
サン・ヴィセンテ教会Iglesia de San Vicente。 今は、市のカルチャーセンターとして使われているようです。
後陣と、南側の扉周りだけ残して、ほとんど新しい建造物になってしまっています。
寂しいけれど、こういう形で再生されているのは、半壊していたり、放棄されてしまう教会より、建築としてはラッキーなのかとも思います。 しかし、教会は小さくても、これだけ立派なアーキボルトを持つ扉があるということは、往時は、中にも立派な柱頭があったことだと思われ、残念ではありますね(今、どうなっているのかは、中に入れなかったので不明ですが、説明版には、後陣と扉口のこと以外は言及されていませんでした)。
というわけで、駆け足ながら、三つの教会を訪問して、アルマサン中世見学、終了です。 次の町に向かいます。
スポンサーサイト
2016/10/28(金) 05:52:03 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:4
カスティーリャ・エ・レオン、その32
ソリアの東方面を訪ねた後は、ソリアをかすって、南方向へ向かいます。本来は、到着の日に、訪ねるべきロケーションだったのですが、他との兼ね合いで、端折ることになった村、アルマサンAlmazan。
ここは、事前にグーグルで状況を確認しておいたので、駐車もスムーズにできました。旧市街は、高台となっているので、その周囲の道路脇が駐車場となっています。ちょうど、教会を見上げる位置に駐車できました。
今は、全体にずいぶんと整備されていて、すっきりとした斜面となっていますが、本来は、旧市街は、ぐるりと壁に取り囲まれていたはずで、その壁の下は、急斜面で、外敵を防いでいた険しい風景だったのではないかと思います。 今でも、このあたりの斜面はかなり激しく、下を見下ろすようにして、展望台などが作られています。
こうやって見ると、たいしたことない感じですが、実際にこの展望台の先っぽの方に行くと、高所恐怖症ではない私でも、ちょっと足がすくむ構造です。アパートのテラスなども同様ですが、支えのないこういう突き出し構造って、何か信用できないものがあって、高所恐怖症の人の気持ちも、ちょっとわかる気がします。
教会を大きく回り込むような感じで、旧市街に入ります。中央は大きく開けた、その名もマジョール広場。その一角に、広場全体を睥睨するような感じで、目的の教会、サン・ミゲールIglesia de San Miguelが。
塔など、一部新しくなっているものの、たたずまいは素敵。なにより、広場を前面においているロケーションがすがすがしい教会です。
到着したのは、正午にならんかという時間で、鉄扉も含めて、扉はぴったりと閉ざされておりました。この日は月曜日で、そして事前に調べた際、月曜日は休み、となっていたので、まったく期待しないで訪ねており、残念ながらやっぱりクローズか、と納得はしました。しかし、同じ広場の一角にツーリスト・インフォメーションを発見したので、一応確認してみることにしました。
地域のロマネスクについて尋ねた後(紙の情報はわずかでした)、サン・ミゲールは、今日は開かないのですね、と確認したところ、「あら、今から開けますよ」と、サプライズ。 私の前にも、訪ねてきている人が数人おり、隣室で観光案内のビデオか何かを見ていたようでした。 もともと正午が、ガイド・ツアーとなっていた様子で、では行きますよ、とインフォメーションの方に先導されて、ほとんど無駄な時間もなく、教会に入ることができました。
これはついていましたねぇ。ここは、外から見るだけでも、それなりに得るものがある教会ですが、中を見られるかどうかによって、印象はずいぶんと変わるからです。
移動中や、中に入ってから、意外と人々が集まり、最終的には十人以上のツアーとなりました。しかし、スペイン語オンリーでしたので、私はほとんど最初から最後まで、ガイドを無視して、勝手に動き回っていました。
この教会での、最も重要な見どころは、クーポラの構造です。
パッと見もそうですし、実際イスラムの影響があるようです。ここだけは、一所懸命ガイドを聞いてみたんですが、このような構造は、スペイン全土で四つ。 ここと、去年訪ねながらも中に入れなかった、ナヴァラにあるトッレ・デル・リオTorre del Rio、サラマンカ、そしてもう一つは、残念ながら聞き逃しました。トッレ・デル・リオは、外観をじっくりと見学したので、想像がつきます。こんなことなら、やはり昼休みの終わるのを待って、中に入るべきだったなぁ、と一年遅れの後悔をした次第。
なんだろう。すっきり作りたい意図が感じられるんだけど、どうしてもごつごつしちゃう、みたいな?すごくどっさり感があります。でも、ちょっと引いて、周囲と一緒になると、どっさり感が薄れて、全体の調和が美しいの。
どうですか?どっさり感を生み出しているリブ構造的なものが、デザイン的なアクセントになるんです。ただ何もないクーポラだと、たぶんクーポラ構造の面白さはあまりないはず。面白いなぁ。
何か構造的に、あれ?と思わされたのが、説明版を読んでわかりました。後陣と身廊部分が、ねじれているんです。
これは、教会の置かれた位置の問題で、こうなったようです。つまり、旧市街を取り巻く壁の位置との関係により、こういうねじれた構造にならざるを得なかったということらしいんです。広場の形状にもよったようです。なら、もうちょっと内側に作ればよかったようなものなのに、と思いますが、ここでしかダメ、というもともとの建てるべき場所だったんでしょうねぇ。
構造的には、極狭の側廊も、面白かったです。
ヒト一人がやっと通り抜けられるような狭さです。ちょっとおデブだと、つっかえてしまいそうな。
あまり多くの写真はアップしませんが、いくつか見ていただいて、気付いたことがありませんか? アーチの形が、実に様々なんですよ。完全な半円アーチ、先端のとがった尖頭アーチ、馬蹄形っぽいアーチ…。普通は、一つの場所では、その建設当時の様式のアーチしか見られないものだし、たまに混じっていても、これほど多様にまじりあっていることはあまりないような気がしたんです。 自分のあまりにつたないスペイン語で、わかってもらえるかどうか自信がなかったのですが、思い切って、ガイドの方に尋ねてみると、よくぞ聞いてくれました!と、嬉しそうに説明してくれました。 そして、同時代に、多くの様式のアーチが混生しているのが、まさにこの地域この時代の特徴なんだというんです。それが、最もよくわかるのが、ソリアのサン・ファン・デ・ドゥエロだから、あそこはぜひ訪ねてほしい、と。
時間的に難しいし、パスしようかとも考えていたサン・ファン・デ・ドゥエロ、そういうわけで、この翌日、どうしても訪ねよう、という気持ちになったというわけです。少し前に記事にしていますので、よろしかったら、多様なアーチ、改めて確認してみてくださいね。
中央身廊部分では、とがったアーチ。
この写真だと、後陣が曲がっている様子がわかると思います。
柱頭装飾も面白いのですが、次回に続きます。
2016/10/26(水) 05:51:38 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:0
カスティーリャ・エ・レオン、その31
同じ国道をさらに東に進むと、さらにマイナー教会があるのはわかっていたのですが、まだ回りたい場所もわんさとあることだし、この辺で、後戻りすることとして、最初に見逃した場所へと西に向かいました。 向かったのは、フエンサウコFuensaucoのヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンへルス教会Iglesia de Nuestra Senora de los Angelsです。
このあたりでは、実は最も期待していた教会だったのですが、意外にも、前二つに比べると、地味で、ありゃ、という印象でした。
たたずまいはいいですが、周囲が石畳になっちゃっているのが、若干雰囲気を損なうというか。ロマネスク教会は、緑の中にあるのが似合うと思うんですけれど、どうでしょうね。
南側にある地味な扉。
一見、無装飾ですが、側柱の柱頭には注目です。
意外にもかわいらしい柱頭が並んでいました。詳しくはわかりませんが、建物全体は、後代にかなり手が入っている様子ですね。この扉周りの柱頭だけ、ちょっとだけ時代がさかのぼる感じがします。
向かって左は、三つまでが植物モチーフですが、一番扉寄りは、人物フィギュアになっています。
普通の人々にしか見えないのですが、ここでも手が印象的に大きくてごつくて、何か物語っている感じ。 副柱頭の装飾的な彫りも、よく見るととってもかわいくて、好みです。
ビスケット文様にも通じる植物モチーフですよね。日本語でなんていうんだったか、クッキーを作るときに、生地を絞り出すやつ。あれで、ニューって絞り出して描いたようですよね。 そして、よく見ると、無装飾にしか見えなかったアーキボルトにも、幾何学装飾が、究極の浅さで彫られているんです。オシャレ~!
アーキボルトには、縁取りのギザギザ模様も、彫りこまれています。無装飾、地味、とか言ってごめんよ~!
そして右側の柱頭たち。
こっち側はヒト型フィギュア四連発で、どれもすっごくオリジナリティの高い内容です。っていうか、かわいい!
なにこれ、なにこれ?!変形キメラ?グリフィン?すっげーかわいくて、びっくり。
同じ柱頭の、扉側には、大きな頭部がドカン!
これはまた、異な感じ。だって、お隣キメラ風で、こっちは、ドカンと頭。誰、これ?
これって、メドゥーサにしか見えないんだけど、そんなのあり?それに身体はハーピーみたいだよ?こんなフィギュア、初めて見た! そのうえ、ここもクッキー絞りの副柱頭。
その手前は、手の印象的な天使。
翼の形が、妙にデコボコしているのが、素朴でいいなぁって思います。このあたりに古さが漂う。でも、ここを施工した石工さん、すっごくセンスあるしオリジナリティ高い。びっくりするなぁ。この前に訪ねた小さな教会でも、どこも彫り物はすごいから、地元にすごい人がいたのか、流れ者の石工さんが流れつつ、残していったのか、地域でまとめて、それなりの人を呼んだのか。ソリアという大都会が近いから、石工さんはそれなりにいたんだろうけれど。 こういう夢想をするのって、すごく楽しいですねぇ。特に、今は、かなり寒村的な、小さな村ばかりだけにね。
一番手前は、一人の天使が大きく彫られています。
なんとなく傾いたポーズに、情緒的な意図も感じたり。手は、やはり身体の前に置いていて、印象深いです。
その内側。
これは、摩耗が激しくて、よくわからない。とすると、前面部分は、ずいぶんと修復が施されているんですね、どうやら。
そういや、一歩引いたら、確かにかなり傷んでいる様子です。
教会全体はそんなことないので、やはりこの部分だけ古いんだろうね。よく残ってくれたもんだ。 ほら、全体、改めて。
扉以外にも、細部に注意してみると、古い名残が散見されるのでした。
唯一残された軒送り彫刻。
上に報にある窓脇の、素朴な植物モチーフ柱頭。
実際に訪ねた時は、全体の地味さにかなりがっかりしたんだけど、改めて見ると、扉周囲の柱頭は、なかなかのもんでしたね。ここだけ見ていたから、やっぱり期待して行ったんだと思いますけれど、現地で若干がっかりしたにも関わらず、再訪したくなっています。なんだろ、これ。
2016/10/23(日) 23:43:21 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:2
カスティーリャ・エ・レオン、その30
国道をさらに東に向かい、途中で右の農道に入った先にあるのは、オメニャカOmenacaという村です。
ラ・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・コンセプション教会Iglesia de la Nuestra Senora de la Concepcionです。 この村は、本当に畑のただなかにあり、田舎のにおい(牛糞)が漂っています。村にたどり着き、整備もされていない凸凹の道の路肩に駐車して、ドアを開けたとたんに、犬が待っていて、手をなめられたので、飛び上がりそうに驚きました。
犬、苦手なんですよねぇ。というより、怖い。どんな小さな犬でも、基本避けてしまいます。犬好きな飼い主も、苦手です。彼らは、犬が怖いとか犬が苦手という人もいる、という事実を認めない人たちなので、自分たちの犬を平気で放置するんですよねぇ。そこにいるだけで、避けて通らざるを得ない人に事など、気にしちゃいません。 犬や子供との関係って、お互いさまで、こっちが苦手とか嫌いと思っていると、そういう気持ちが、どうやら通じるんですよね。私の苦手度は、比較的低い方だと思うのですが、もっと重症な人で、本来はとてもおとなしいはずの犬に、かまれた人もいます。 もっとも、「本来はとてもおとなしい」というのは、飼い主のいい分ですから、本当のところはわからないわけですけれども。 そういうもんなので、飼い主だって、もっと注意した方がいいと思うんですけども。だって、自分の犬が、他人を傷つけたりしたら、賠償問題にもなりかねないわけですからね。 でも、犬好きの人は、自分の犬が、そんな問題を引き起こす可能性なんて、まったく考えてないですよね。最近は減りましたけれど、ピットブルの殺人事件も、一時はよく起こりましたけれど、そういうケース、犬がかわいそうだと思ってしまいます。
おっと、話がそれてしまいました。
このとき、手をペロリした犬は、飼い主にとても忠実で、いい子だとはわかりましたけれど、やっぱり怖くて、すぐクルマに引きこもりました。そしてあとからやってきた飼い主が犬をそばに引き寄せるまで、固まっていました。
でもこの飼い主さん、いかにも地元の農民というおじいさんでしたけれど、とても感じの良い方でした。こっちの気持ちもわかってくれて、こういう飼い主さんなら、こっちも安心できます。そして、犬もかわいくなります。
おじいさんに道を聞いて、教会に向かいます。と言っても、距離は100メートルもありません。
ぼうぼうと勢いよく茂る夏草に埋もれるようにして、ポルティカーダ発見! 草がすごくて、いい加減放棄されているようにも見えるのですが、近づいてみると、そんなことはなく、結構きちんとケアされているのがわかります。夏は、おそらく、刈っても刈っても、あっという間に茂ってしまうんではないでしょうか。
入り口に向かって、うっすらと草が踏みしめられている様子があります。
小さくて地味だけど、とっても素敵なポルティカーダです。村の様子にもピッタリな大きさで、装飾もなんか素朴でかわいい。
山奥で、若干朽ちた状態であるようなたたずまいも、結構好みです。
実際は、村の中にあるし、このポルティカーダと向かい合うようにして、運動場みたいな設備があったりもしたので、深奥な雰囲気は全体としてはないんですけれど。
様々な植物バリエが中心ですが、よく見ると、グリーンマン、というほどの目立ち方でもなく、人の顔が垣間見えたりして、愛らしいです。
すっごく重量感のある植物モチーフ。
フィギュアものは、摩耗が激しくて、内容まで理解しようとすると、ちょっと難しかったり。これはハーピーのようです。これも、ケンタウロスに並んで、この地域では、かなり多く目につくモチーフです。翼の細かい彫に、シロスの石工の影響が感じられるような気もちますが、如何でしょうか。
ポルティカーダの中にある扉。これまたすっごく地味。
ところで、今写真を見直していて気付いたのですが、この教会の扉は、ポルティカーダの入り口と、ほとんどずれがないようです。
これまで見てきた多くの教会では、ほぼ必ず、ポルティカーダの位置と、教会扉の位置が重なりませんでしたけれど、ここ、重なっていますよね、ほとんど。
さて、扉ですが、三重のアーチで囲まれているだけで、無装飾。このすっきり感は、思い切ったな、という感じもしますが、単に、もうこれ以上は予算ないし、とかそういうことなんではなかったかと想像します。 唯一の装飾は、扉の上方にある軒送りの彫り物たち。合計六つのフィギュアが並んでいます。
右から、腕を組んでいるカップル。性別も何もわかりません。そして、宙返りのフィギュア。
女性らしい姿と、人の頭部。
そして、野兎と、一番左のは、よくわかりません。
説明に書いてあるから、そうなのかな、と思いますが、野兎、こういう風に表現するんだとすると、これまで見てきた軒送りで、変な怪物と思ってみていたフィギュア、意外と野兎なんか、混じってたんですね。怪物じゃなかったのか、と思って、驚きでした。
教会はしっかりとクローズでした。先の犬連れの村人に尋ねたところ、カギは、村にはなくて、ソリアの教区で管理しているということだったので、あっさりとあきらめました。 村で管理しない教会というのも、昨今増えているように思います。鍵を探す楽しみもないし、サプライズもないし、ちょっと残念な傾向ですね。
そんなわけで、見学は若干物足りなさが残ったので、ポルティカーダの側からは見えない後陣を求めて、道なき道をちょっと分け入ったのです。
野の花が咲き乱れていましたが、同時に、とげとげ植物などもたくさんあって、道なき道をほんの僅か歩いただけで、靴に入り込んだりして、この後しばらくチクチクが続きました。
やっと見えた姿は、トップの写真。なんてことのない、私にとってはあまり魅力のない後陣だったので、がっかりしながら、またチクチクの道を戻る羽目になった次第。
クルマに戻ると、先ほどの犬が、またうろうろしていましたが、今度はおじさんがすぐに気づいて、抑えていてくれましたので、助かりました。その上、地域の歴史の話などをしてくれて、半分もわかりませんでしたが、大変楽しかったです。
こういうことがある度に、もうちょっと話せれば、と思いますが、のど元過ぎれば、で、ミラノの日常に戻ると、忙しさに紛れて、あっという間に時間がたって、また旅をしたときに、あ!しまった!というようなことを、この数年、何度もやっていて、我ながらあきれます。 とは言いながら、この秋は、フランス語を地味に独習していますけれど。さて、いつまで続くことやら。
2016/10/21(金) 05:54:33 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:6
カスティーリャ・エ・レオン、その29
トサルモロTozalmoroの、サン・フアン・バウティスタ教会Iglesia de San Juan Bautista、続きです。今回は、本来の目的をチェック。
それは、この南側に開いている扉周りの装飾です。 この距離でも、すでにワクワク感が募ってくるような扉です。
タンパンに、一気にズームイン!
優しい石色、どのフィギュアも丸みを帯びた柔らかい表現、とってもほんわかとします。 中央には、聖母子です。変形だけど、周りを取り囲むのは、アーモンドなのかしら。
石の強そうな聖母。そして、まるで紅茶のポットカバーのような、どすこい的体系が、非常な安定感で、すっぽりと幼いキリストを守っていますね。 そして、ここでも、キリストの手に、聖母が手を添えています。前回の記事では、後陣の腕組み彫刻を三つアップしましたが、同じトレンドなんですよね。 アップにしたら、キリストが、何か挟んでいます。
それにしても、左手の位置、絶対無理!
聖母子の右側。天使二人と、聖人二人?いや後輩がないから、一般聖職者?
みんな、胸の前に手を置いています。一様に、何か持っている感じです。手のひらを外向けだったら、祝福ポーズなんでしょうけれど、内向きで抱え込む様子は、やはり意味があるんでしょうねぇ。ビザンチン的な? それにしても、この翼!オレンジピールのような重量感と、それでいてとても固そうな…。
聖母子の向かって左側。
こっちも構成は同じで、二人の天使と、二人のフィギュア。あ、こっちの人たちは、後背を背負っているから、聖人ですね?ということは、右側にいる人たちは、やはり一般人か?
あ~、もう!絶対意味ある!すっごく訴えられている気になってしまいます。
ところで、この左側の写真で、タンパンを取り囲むアーキボルトの変な姿、気になりませんか?
にょろにょろっとね。軒送りに比べれば、そこらのトカゲとかヤモリを参考したフィギュアっぽくて、比較的普通な感じですけれど、聖人たちの上に置かれているから、やはりちょっと目立っています。
タンパンの下に並ぶ柱頭も、ちょっとウォーってなります。
右側のは、摩耗してます、結構。タンパンに比べると、ちょっと新しいテイストを感じますが、いかがでしょうか。ベースは同じだけど、何かちょっと違うみたいな。手は違うのかな。 左側。
こっちはもっと新しい感。でも、一番手前のは、やはり手を交差したり組んだり、後陣柱頭を模倣しているモチーフなのは明らかですよね。 なんといっても、ここで彫り物を施されている石色が好き。うっすらピンクで、本堂の建材とは違います。砂岩系ですかね?
この扉周りに加えて、どうやら内部にも素敵な柱頭があるようだったので、村の方に行き、玄関先のお掃除をしていた女性に、カギのありかを尋ねてみました。 その先の家よ、と簡単に教えてくださったのですが、いるかどうかわからない、と。ちょっと不思議でした。 その一角には、家が、彼女の自宅を含めて4,5軒隣り合っていて、そもそも村全体でもその三倍程度の家でしょうか。目と鼻の先の住人が、いるかいないかって、わかりそうなもんだと思うんですけれど。 ま、どうでもいいけど、と思いながら、教えられた家の玄関に回り込むと、犬が道端に~!犬は鬼門~!基本、怖い。こんな住宅地なんだから、大丈夫だろうけれど、怖いから仕方ないです。近づいてきたらお手上げなので、なるべく気づかれないよう、挑発しないよう、玄関口によりましたが、ぴっちりと窓も扉も閉まっているので、不在なのは明らか。 犬のこともあるので、思い切りよく、あきらめました。 実は、チャーミングな後陣と、想像以上に素敵なタンパンで、朝一番で見る教会としては、予想以上の収穫という気持ちだったんで、仲が見られないことがさほど辛くはなかったんです。
いないようでした、と先の女性に挨拶をして教会に戻り、別れの一瞥。
端から一つ一つ軒送り彫刻を確認して、村を後にしました。
2016/10/19(水) 05:45:42 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:4
カスティーリャ・エ・レオン、その28
ベネチア寄り道のおかげで、かなり間が開いてしまいましたが、スペイン、カスティーリャ・エ・レオン地方のロマネスク行脚、再開します。
中世がびっしりの町ソリアで二泊する間に、町中にある教会の見学に加え、周辺部も、駆けずり回っておりました。 まずは、ソリアから東方面に向かった土地にあるいくつかの小さな村巡りです。
町を出ると、かなりすぐから田舎そのもの、という風景が広がります。牧草地なのか麦とかそういうもんの畑なのか、なだらかな農地をまっすぐに突っ切って東に向かう国道を走ります。 ソリアに最も近い村から順番に訪ねる予定にしていたのですが、道があんまり単調な上に、小さい出口表示が、突然出てくるのでわかりにくくて、最初の村は通り過ぎてしまいました。 クルマの数は少ないものの、そういう道ですから、みなかなりぶっ飛ばしてきます。そもそも、地元の人しか走っていないだろう道ですしね。だから、Uターンも厳しくて、結局、最初の村をスキップして、次の村へと進みました。
トサルモロTozalmoroの、サン・フアン・バウティスタ教会Iglesia de San Juan Bautista。
田舎の小さな村は、駐車の心配も、迷う心配もなく、ほっとします。村に乗り入れて、路肩に車を止めて、一歩歩き出したら、すぐに上の後陣が視界に入りました。
たった一つ、サイズもミクロな後陣ですが、青空に映えて、なんて美しいんでしょう。そして、遠目にも、すぐわかる軒送りの保存状態の良さ!たちまち興奮してしまいました。ソリアのいくつかの教会のように、ある程度有名であれば、事前に、若干なりと見るべきポイントを押さえているわけですが、小さくて、マイナーな教会は、わずかな情報をもとに訪ねているだけなので、ここの教会も、軒送り情報は一切なかったんです。
期待して訪ねたら、実はたいしたことなかった、というのもありますが、ここなどは、まさにその真逆。
ずらずら行きます。 まずは、つけ柱の柱頭。
なんだろう?みんなして胸のところで手をクロスさせていますね。意味深。右の角っこの人は、お隣の人の腕を抑えています。ちょこんとした足もかわいらしいですねぇ。 相当摩耗しているにも関わらず、シンプルなお顔の様子が残っているのも興味深い。そして、上部にある市松チェッカーモチーフ、大好物なので、こういう素朴な形できれいに残っていると、それだけで感動しちゃいます。
もう一つの柱頭も、まったく同様のモチーフです。
こっちは、コケ状のものが張り付いていますが、彫は、よりよく残っていますね。それにしても、なんだろうなぁ。教会が捧げられている洗礼者ヨハネにも関係なさそうだけど?
軒送りの方は、遠目にも面白そうな様子が分かったのですが、近づくと、その素朴さと変な様子には、思わずにんまり。
にょろにょろは、やはり永遠を表すシンボルなんでしょうかね。あまりに変な顔の蛇なんで、永遠、なんて高尚さとは結びつきません。 右側のリーガン的180度後ろ向きモンスターは、これまた気弱そうなお顔がねぇ。
スペインではおなじみの、エロチック系。
柔軟な体で思いっきり見せてます。右側のは、ゴシック・テイストも感じられるハーピーさんですかね。
180度首回転モンスター、バリエが豊富でした。この子は、お茶目で、気が強そうな感じ。足先もふさふさして、大きくて、末は大型犬、的な足つきです。
ハーピーの体と同じ身体つきのまるまるとした鳥は、首筋のうろこみたいなとことか、羽根の様子が、とっても丁寧に彫られています。近くから見ると、かわいいというより、若干不気味。
ヒト的なフィギュアもあります。おなじみ二股人魚。そして、右の方は、蛇を巻き付かせています。
人魚、胸はないし、変に知的な顔つきで、ちょっと変わっています。このモチーフのバリエってすごいですね。いつか、あちこちの二股人魚を並べて、ベストテンとかやってみたいもんです。
うろこの彫り方、やっぱり不気味。でも、顔だけ取り出すと、素敵な彫刻の人になる感じ。 右の人も大き目で。
これはやはり、性的なものへの戒めでしょうかね、二つ並んで。
こんな、スターウォーズに出てくる異星の人みたいなフィギュアもあります。
すごいなぁ、この想像力。 先史時代の岩絵とか、ギリシャ・ローマ時代の彫刻とか、古代の人たちは、現実を写す描写力に優れていたと思うけれど、中世の人は、想像力に優れていますよね。
で、こんだけ変なもの並べといて、窓脇の柱頭は、普通に葉っぱだったりするの。
も一つの窓の方には、柱頭と同じ、腕組みの人たち。
この人たち、足が纏足みたいに小さい!デフォルメがかわいい。 実は、この腕組みさんたちは、実は、写真を見ていて気付いたんです。ここまでしつこく彫るっていうのは、強いメッセージですよね。ちょっと調べてみよう。
続きます。
2016/10/18(火) 06:26:54 |
カスティーリャ・エ・レオン
| トラックバック:0
| コメント:0
2016ベネチア建築ビエンナーレ、その8(最終回)
なんか、疲れてきたな~、のころに、入ったスペース。ここの展示は印象的だった~。
薄い素材が、微風でフワフワしているのが、とっても優しい雰囲気を醸し出しているんです。 なんだろう、とよく見て、驚いた!
スーパーとかで使う薄手のポリ袋!それが、何百枚か何千枚かつなぎ合わされて、カーテンみたいになってるの。だからって、これが、実用建材にはならないんだろうけれど、でも、発想の転換みたいのがあるよね。
ずらずら系(?)では、これもきれいだった。
Christina Kim Textile collection 2016 4 fields of color - ancient art, yellow, indigo, caracol/tyrian purple
お洋服のカバーが、まるで多色の色鉛筆箱のように並んでる。近くから見ると、どれ一つとして、同じ色、同じモチーフの布がないので、またびっくり。これだけの数を集めるだけで大変だろうなぁ。そして、色名が素敵。エインシェント・アートとか。
その先には、がらりと違う展示。
THE WORK OF SHIGERU BAN AND JAEEUN-CHOI EXPANDING THE FIELD OF ARCHITECTURE Humanitarian crisis, unconventional materials, and structual mastery.
日本人建築家、坂茂さん、お名前は知っているけど、たぶん、ミラノのフオリ・サローネとかで、何か見ていると思うけど、具体的なお仕事が浮かばない。
キャプションによれば、建築を災害復旧的分野に広げていることで、非常に著名で、災害時シェルター、避難所、倒壊家屋復旧、災害時プロジェクトなどで活躍している、とあります。 きっと、緊急時に、あるだけのもので、何をどうできるのか、というようなことを、建築視点からやられているんですね。東北以前からきっとされていたんだろうなぁ。 確かに大型災害時に、建築の果たす役割って、大きいし、重要ですよね。後もそうだし、もちろん、前もそうだし。 東北後に作られた、みんなの家のプロジェクトで、確か日本館は賞をもらいました。あれも建築の一つの力だけど、災害直後の住む場所がなくなった人々の住まいの問題というのは、本当はもっと深刻かつ必要なことなので、建築や建築家にできることは、きっとまだまだたくさんあるような気がします。 この夏、イタリア中部で地震が起こりましたが、避難所の様子を見ていると、どうしてもいろいろ考えてしまいます。 そういう意味で、そういった部分に注力されている建築家って素晴らしいです。
これで、ほぼアルセナーレのおしまい部分まで来ました。上の写真も、展示です。運河に開けた、ある意味一等地。
AN IMMIGRANT MARKET IN BELGIUM BY ALEXANDER D'HOOGHE AND ORGANIZATION FOR PERMANENT MODERNITY Addresing immigration's civic (not residential) dimention
大量に押し寄せてくる移民難民の宿泊をどうするのか、という提起。これは、ヨーロッパの多くの国における、切実な問題です。 プレハブの簡易住宅的な構造物を提案しているようなんですけれど、この展示だけでは、具体的な居住性までは、よくわかりませんでした。
災害とか、難民問題とか。建築って、社会と、現在進行形ですごくかかわる分野なんですねぇ。視野が広がる気がします。
この先に、造船所時代の小ぶりなドッグがあり、その奥がイタリア館。
地味で真面目な展示が展開されておりました。 そのため、ほとんど写真も撮っていないのですが、これはかわいかったかも。
ピクトグラム的なものなのかな。無表情なのが、やけに愛らしい~。
というわけで、今回の建築ビエンナーレ、終了です。 帰りは、やはり歩きで、サンタ・ルチア駅に向かいました。いつもの習慣で、サン・マルコの前を通りながら、おなじみにご挨拶。
この子たちのいる一角は、中世初期の空気濃厚で、いつ立ち寄っても、観光客の巣窟でうっとうしいことを除けば、本当に好きな場所です。
観光客を避けるために、アップで撮影していて、ふと、頭に開いている穴に気付きました。
この子たち、もともとここにいたわけじゃないのは、確かですが、それにしても、この穴は…?今までも見ていたはずだけど、特に疑問に思ったこともなかったと思う。 みんな開いてるし、よく見ると、耳も不思議だね~!
何度も見ていても、ある日突然気づくことってあるもんだぁ、とちょっとびっくりでしたわ。 そういう意味では、こいつも。
サン・マルコ寺院の扉ですけれど、これも、ちゃんと見たことなかった~。 なんて、間抜けなの~?! それも、四連発~!
かわいすぎやろ?(なぜか関西弁に~)
この人は、記憶にある。
でも、よく見たら、双頭どころか、四頭、ってか、なんつうの、これ?でも頭一つに身体四つだよねぇ。それは認識してなかったわぁ。
というわけで、次回はロマネスクに戻りますので、そのプロローグとして。 こんないろいろに今更気づいて、久しぶりにベネチア中世巡りもしたくなってきました。冬の間に、日帰りツアー、しようかなぁ。
では、次回からのロマネスク、お楽しみに。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
2016/10/16(日) 06:08:52 |
ヴェネチア・ビエンナーレ
| トラックバック:0
| コメント:2
2016ベネチア建築ビエンナーレ、その7
ごみの山のてっぺんから見えた、かわいい一角。
何つながり?と思ったら、こういうことだった。
ROCK GARDEN / ANUJ SAINI 「廃品自転車のハンドル再利用で作られた熊、廃品自転車のハンドルから作られた人形、廃自動車部品で作られた狼」
上の写真の、犬とも何ともつかない、タイル張り状のが、その狼だと思うんだけど、めっちゃくちゃかわいい。
民芸品にも、プリミティブ・アートにも見えます。 ロック・ガーデンというプロジェクトで、インドに、こういう造形を並べたスペースがあるらしいのでした。超有名建築家ル・コルビジェがかかわったもんらしいです。 ヨーロッパ的なモダニズムをインドに移植する的な、若干押しつけがましい感じもありますが、そういう時代かもね。
この辺は、なんとなくエコ的な?そういう展示が続いた。
あと、限られたスペースを、「限られた」ではなくて、「十分な」と捉える発想の転換からのデザインみたいな? そしてまた、そういう土地の足りない都市空間で、いかに自然と共存していくのか、というような? そうすると、やはり上に伸びるしかないのか、と。
どうしても、疑問符付きになってしまうのは、実際に見学しているときは、キャプションがあっても、タイトルをざっと見るくらいで、展示物に集中してしまうので、実は、コンセプトもわからずに、ふーん、という感じで流し見しているんですよね。 で、改めて、キャプションを読みながら見ていると、なるほど、とも思うのですが、どれがどうなんだろうということが、実はよくわからなかったりしてね。 でも、通してみていると、全体のトレンドみたいなものが、少しわかるような気はしている、という意味での疑問符。いい加減ですみません。
また、ジオラマ的な!
これ、楽しかったな。外見はこんななんですよ。
大きく開いていて、全体が見えるようになっているところと、こちら側の、小さな穴からのぞき込むようになっているところがあって、この小さい穴からののぞき込みが、楽しいんです。
街並みが見えたり、部屋の中だったり。細かい切り絵のようなのが、かわいいし、楽しい。どうしても、こういう細工物には、惹かれちゃう。建築云々を忘れて。 でも、建築って、モデルづくりとかするし、手先の器用さも重要なんでしょうね。大御所になれば、自分でやる必要はないんだけど、でも、やはり図面だけでは、素人は説得できませんもんね~。足りないから、引っ張って無理やりくっつけちゃえ、的ないい加減な作業しかできない私には、絶対無理な世界だな~。 と言いつつ、上の門扉のゆがみは、わざと?デザイン?
こんなのも、緻密な設計に基づいているのかな?ちょっといい加減さも漂うんですが。 これ見て、そういえば、子供の時、図工の時間に、こういう木のきれっぱし、要は割りばしみたいなもの使って、ミニ建築物作りをした記憶が、かすかに湧き上がってきました。
日本の学校教育はダメ、みたいな理論、近年常にあるけれど、でも、義務教育の中で、きちんと、体育も図工も家庭科もあって、それなりにいろんなことのベースを教われるって、すごいことだと思うし、こんなことまでやってたんだな、っていうのは、改めて、感心しました。イタリアなんかは、教科以外のことは、プライベートでやるしかないんで、だから、突出した専門家は出るけど、平均点は低いっていうか、そういう感じ。結果はいいけれど、つまり、本当に好きだったり、経済的に恵まれていたりしない限りは、なんとなく出会って、こういうこと好きだな、ってことが希薄な社会。 日本人にゼネラリストが多いのは、そういう結果でもあるかもね~。
こういうの、絶対ダメ。そして、こういうのを作れる人って、粘着質な感じがして、それもだめ。失礼ですが。 これが何だったか、まったく覚えてないけど。
このあたりが、ちょうど中間くらい。
一旦外に出て、一息。 この、前にある建物は、数年前から改装して展示室にしている場所ですが、毎年、展示スペースが広がっています。今回は、さらに広がっていたようですが、時間切れでパスしてしまいました。残念。
改めて会場に戻り、ふと見上げた天井。
すごい梁ですね。ここは相当何度も修復されているのでしょう。それでも、石の壁は、びくともしない。地震がないからこそではありますが、それでも老朽化する建物を、壊さずにずっと使い続けることで生かす、というのは、素晴らしいことだと思います。
ゆらゆらするメタルの針金状の上に、木片がたくさん。揺らして、木片同士が触れ合うと、木琴的なかすかな音がします。 お家の模型も並んでいるので、これもプロジェクトなんでしょうね。水上とかそういう特殊な土地のイメージなのかなぁ。
これはたぶん、Losing Myselfという展示だと思うのですが、実は、キャプションを読んでも、よくわからなかった。アイルランドはダブリンでの、アルツハイマーの人たちの居住ということでのプロジェクトなんだそうですが、過去も未来もなく、現在だけに生きているアルツハイマーの人たちの記憶を云々、というような説明が、なにかアルツハイマーについて、よく知らない私だからなのか、ちょっと違うのではないか、そういうもんではないのではないか、という気がして。 この、展示されているものが、いったいどういう役割を持つのかもわからないんですが、上から、ぶら下がっているスピーカーから、何か聞こえてきていました。何か、としかわかりません。 www.losingmyself.ieというウェブサイトに行くと、いろいろわかるらしいので、ご興味のある方は、どうぞ。
もう一回だけ続きます。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
2016/10/15(土) 23:31:44 |
ヴェネチア・ビエンナーレ
| トラックバック:0
| コメント:0
2016ベネチア建築ビエンナーレ、その6
アルセナーレ、続きです。
昨日は、こんな美しいアーチ構造の紹介まででした。さらに進みます。 次のスペースは、かなりの暗闇になっていて、素敵なスポットライトが。
L'OPERA DI TRANSSOLAR E IL SUO CONTRIBUTO ALLA SOSTENIBILITA' L'ingegneria d'avanguardia al servizio di buon senzo
なんか、すごく訳しにくい。Sostenibilita'にぴったりする日本語って、多分ない。Transsolarだって、 新語。英語に直訳すれば、The opera of transsolar and its contribution to Sustainability、Transsolarと、その持続可能性への寄与、みたいな?
技術が、経済的側面は置いといて、場所にかかわらず、いかなる環境も手なずけることができて、どんなプロジェクトも実現可能にする、という前提で、Transsolarのことを語るということらしいけど、Transsolarって、そもそも何?あるものと言葉から考えるに、太陽光をエネルギーに変える技術みたいなことかしらん。
なんだか技術のことはよくわからないわけですが、とっても美しくて印象的だったので、好きなスペースでした。 光の中の模様まで、とってもきれいだったんです。
これも、すっごいきれいだった~。
いつか、アートのビエンナーレのときに見た、キーファーの大型作品を髣髴としちゃったな。建築展は、技術や実現可能な考えに裏打ちされたものが並べられているはずなのに、時々そうやってアート作品と交わりかねないものが作り出されるっていうのが、やっぱり面白い、と思うポイント。
また、ジオラマ的モデル~!それもベネチア。
プンタ・デッラ・ドガーナPunta della Dogana。
昔の税関倉庫の建物を、安藤忠雄さんが、現代美術館に再生したとこです。サン・マルコ広場と運河を隔てた対岸にあり、渡しゴンドラで、アクセスができますよ~。 この、プンタ・デッラ・ドガーナのあたりは、観光客も比較的少なくて、好きな地域です。ちょっと戻ると、グッゲンハイム美術館があるところでしたね。
思い出したように、建築材が並べられていて。
竹って、改めて見直されているとか?やけにあちこちで目にしました。
そういう空間で、いきなり、くつろいでビデオ鑑賞できるスペースなんかもあります。
こういうのを全部、じっくり見ようと思ったら、このアルセナーレだけで一日必要かも。でも、そういう風に楽しむのも、悪くないなぁ。クッションに寝そべって、展覧会鑑賞も、とっても自由。こういうのが、大型の展覧会の楽しさかもね。どんな見方もオウケイっていう自由さ。
イギリス館にあったような、コンパクト居住空間がいくつか。
人口過密都市への提案なのかな。考える方向性の一つとして、具体化している感じ。でも、日本人にとっては、かなり身近なコンセプトなので、妙な親しみ感じるっていうか。
このあたりは、エコをコンセプトにしたものが並んでいたんだったか。
ペットボトルをどうにかするっていうのは、一時流行ったコンセプトですよね。これで、アート的な作品を作るっていう展示、数年前、旅先のヴェンティミリアかどっかの町でやってました。 あ、この辺、インド・ゾーンだった。
IL PROGETTO DI TESI DELL'ARCHITETTO POLACCO HUGON KOWALSKI A MUMBAI Parliamo di immondizia
ごみについて語ろう、というテーマ。だから、ごみがどさっと積まれた一角となっていたんですね。ちょっと前に、ハンガー・ビコッカで見た、紙もの廃棄物を固めて押しつぶしたものを素材にした家状のスペースを思い出しました。同じ人の作品かも。作品とか、ではないか、これは。
山ほどのケーブル廃棄物の上から、お隣の、妙にかわいらしい展示が見えます。すごい落差。 こっちは段ボールの山。
こういう廃棄物から何かできんもんか、と考えるのは、やはり当然の発想ですわね。でも、なかなかうまくできてないような。できてるんですかね。
もう少し、続きます。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
2016/10/13(木) 06:37:49 |
ヴェネチア・ビエンナーレ
| トラックバック:0
| コメント:2
2016ベネチア建築ビエンナーレ、その5
アルセナーレArsenaleに移動します。
こちらの会場に向かう途中で、チケットをなくしたことに気付き、短い道中、友人とのおしゃべりもそこそこ、ずっとカバンを探っていました。 落ち着いて探せば、きっとある、ということで、今年から新設となった会場脇のチケット売り場兼お休憩所、というようなスペースで、リュックの荷物を全部引っ張り出して、カバンも全部ひっくり返して探したのですが、やはりなくて、意気消沈しながら、再度買う羽目になったわけです。はぁあ。
ま、仕方ありません。ということで、気を取り直して、サクサクと見学!
ここは、入場してすぐのスペースが、全体のイメージを代弁することが多くて、ここでの印象がいいと、全体に楽しいことが多いので、私にとっては、重要な場所。
おお! 非常に、プリミティブなマテリアルが、本来の姿から逸脱して、素敵な展示になっています。
これは、幸先いい感じで、実際、今回のアルセナーレは、結構好きでした。この時点で、チケットを失くしたこと、ダブルで買わざるを得なかった痛さが、かなり軽減されました。だって、二倍払って、面白そうじゃないじゃん…、と思ったとしたら、本当に痛手ですもんねぇ。
THE WORK OF AL BORDE ARQUITECTOS IN ECUADOR Architecture against all odds.
エクアドルのアル・ボルデという方の作品のようです。 戦いに勝つために必要なのは、お金だけじゃなくて、モチベーションや、やる気、組織力だぜ、というのが、テーマの作品らしいのですが、あれ、なんか、コンセプトが、建築というよりもアートっていうか、哲学っていうか。
解説は、必ずしも全部見たわけじゃなく、ほとんどは、見て感じたまま、という状態で、見学していました。例によって、です。 結構好きなマテリアル展示。
竹という素材のバリエーション。
竹のパルケ(フローリング材)なんて、ちょっと面白い! 竹ってことは、きっと、アジアのどこぞのものでしょうねぇ。
こちらは、瓦だったか、タイルだったかの釉薬の色見本だと思います。
これも、とてもアジア的。それにしても、色の種類、多様でびっくりしますね。
家を買ったとき、内装を全部やり直したのですが、とにかく時間がなかったし、同時に資金も不足していたので、内装業者の勧めるままにやるしかなかったんですが、それでも、パルケ材やタイルは、業者向けのお店(と言っても、倉庫のようなところ)に行って、制約のある中で、一応選ばせてはもらいました。もっといろいろな余裕があれば、こういう素敵な内装材も含めて、吟味することができて、きっと内装工事も、もっと楽しかっただろうなぁ、なんて、思わず通り目をしながら歩いた一角。
パオっていうんですっけ、遊牧民の大きなテントみたいな家。これも竹? 上に、皮なのか、羊毛なのかをかぶせれば、こんな立派なおうちスペース誕生。
今ってGPSでモバイルだし、衛星だし、もしかして、遊牧民も本当にこんなビデオ生活してたり?しようと思えばできるよね?
ずらずらっといきます。
アルセナーレは、空間が特殊なので、どんなものが置いてあっても、まるでアートになっちゃうのが、何とも非日常スペースで、ただぶらぶらしているだけで、面白いんです。
お、好物のジオラマ系。
都市計画的なものを、大雑把に作っているジオラマだから、細部を見る面白さはないけれど、つい見ちゃうんだよね~。
本日最後は、アーチ構造建造物。
メーキング・オブ・アーチとでもいったようなビデオ作品も流れていて、中世建築で常にアーチに親しんでいる身としては、かなり面白かったです。
The Tentativo di Ochsendorf, block e dejong di risparmiare materiale ed energia realizzando strutture solo in compressione La guerra alla curvatura
イタリア語の説明版しか撮影してこなかったのですが、「圧力だけをもってなしうる構造を作ることで、マテリアルとエネルギーを節約する素材でのトライアル―カーブとの闘い」とでもいった意味になりましょうか。 「現代建築を考える時に人がイメージするのは、四角い箱、まっすぐな線を持った立方体で、水平と垂直からなる図形だ。実際、我々は歩くためには平らな床が必要だし、よりシンプルな部屋スペースが必要なので、それも当然ではある。そうはいっても、建物の梁は、カーブせざるを得ないのが現実であり、平らな面の陰には、カーブが常に見え隠れしている云々」と言ったことが書かれていました。
この夏、スペインはセゴビアを、何円ぶりかで訪ねまして、目的とは外れるのですが、有名なローマの水道橋を、端っこから見学するチャンスを得ました。高低差を見事に活用した、その技術。そして何より、連続するアーチの美しさに、感心するとともに、改めて、アーチ、つまりカーブ構造の堅牢さに、驚いたものです。 実際、天井が落ちた中世建築は結構あるのですが、多くの場合、アーチ構造はそのまま残っていたりしますね。アーチ構造って、圧力の賜物なわけですが、実に堅牢なこと、常に実感として見ておりますので、この展示、面白かったんです。
ローマ人は、水道橋にこのアーチ構造を使いまくりますが、神殿等の巨大建築には、水平垂直構造を前面にした構造を使っていますね。もともと美術史も建築史も勉強していない人間ですから、体系的な知識がない分、ある日突然、あれ?と思って、いろいろ考えちゃうんですけれど、この夏のスペインでは、まさにアーチ構造について、いろいろ考えていたわけです。
薄いレンガでアーチを作るビデオ、じっくり見ちゃいました。まさに職人技。面白かった~!
続きます。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
2016/10/12(水) 05:41:58 |
ヴェネチア・ビエンナーレ
| トラックバック:0
| コメント:2
次のページ