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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

坂道から階段へ。巡礼の道は厳しい(ル・ピュイ・アン・ヴレその2)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その2

前回は、前置きが長くなってしまいました。
初めてのオーヴェルニュで、初めて訪ねたロマネスクは、ル・ピュイ・アン・ヴレLe Puy en Velayのカテドラルとなります。




ノートルダム大聖堂Cathedral Notre Dameです。
前回の記事で記したように、山にへばりついているような地形の町で、その天辺に建っているいます。と言っても、孤立しているわけではなく、旧市街の建物に囲まれて、教会全体を捉えることは、ほぼ不可能といった立地。
そもそも、教会本体は、建て増しや改築や追加や、長い時代で、オリジナルの姿はとどめていませんので、全体を捉える意味も、あまりないと言えばないのですけれど。

正直、転げるような坂道を登って、カテドラルに着いた時、いったいどうなっているのやら、その構造が全くわかりませんでした。

トップの写真は、観光局のある新市街のアクセス口の方から登ったときに出会う、本堂からの入り口となります。




この外壁の装飾、実に美しいですね。装飾的過ぎて、個人的には、若干過多かな、という印象でもあるのですが、これは、このあたりのオーベルニュ建築の特色なのだと思います。かなりあちこちの、規模の大きい教会では、必ずこういった石の寄木細工(矛盾した言い方ですが…)みたいな装飾が見られるのです。
柱頭などの彫り物のレベルの高さや、こういった外壁装飾技術を見ると、この地域におけるロマネスク時代というのは、何かすごい職人技が横行していたのですね。

フランスでは、すでに何度も書いていることかと思いますが、ゴシックの勢いがすごくて、多くのロマネスク教会も、その多くの部分がゴシックになってしまっているケースがほとんどと言ってもよいくらいです。他の地域では、例えば13世紀になっても、まだロマネスクどっぷりという土地もあった中で、フランスの多くの地域では、ロマネスクは、12世紀の終わりにはゴシックにとって代わられる感じがあります。
そう考えると、フランスにおけるロマネスクの時代は、実に短期間で、パ~っと広がって、一気に先に進んだっていうのか、一気に高い技術に到達して、次につながるステップ的な一時期だったのではないか、などという気もしてしまいます。

おっと。
フランスは、つい最近、また行ったばかりなもので、改めてロマネスクの歴史などを考えているところで…。




好き嫌いは置いといても、面白いのは間違いなしです。

ファサードを求めて、周囲をうろついて、やっとそちら側に出た時は、またもや驚愕しました。
なぜって、すごい地形であること、目の当たりに突き付けられたから。




こちらも派手なファサードですが、まず目にしたのは、このファサードではなく、後ろの方から回ってきたため、ファサードから見る風景が目に飛び込んできたので、息をのんだのです。




わかるでしょうか。長い石段があり、階段の先も、石畳の坂道がずっと続いて、すごい高低差がダーッと続いているんです。
階段を降り切ったところ。




見るからにすごい坂道です。これを降りれば、新市街になるのでしょう。つまり、カテドラルにアクセスするには、どの道を来ても、とにかく登らない限りは無理、ということなのですね。
巡礼の人たちは、この坂道を来て、さらに心臓破りの階段を上らないとお参りできないって、かなりの苦行ですよ。
でも、そうやって歩いてきて、階段を一歩一歩踏みしめて、途中で一休みで見上げたこの風景に、辛さと同時に、心が洗われる気持ちになったかもしれません。




この部分は、12世紀の名残が多く残っているようです。ただ、傷みも激しく、暗くて、じめじめした感じでした。




柱頭などが、12世紀のもののようです。一部、ちょっとビザンチン風のフレスコ画がありましたが、正確な時代は不明。




巡礼が最初にたどり着く場所だけに、全体にウェルカムな雰囲気を形作っていたスペース、と説明にはありましたが、朽ちた装飾の名残に、その様子がちょっとうかがえる感じですかね。




これ、木製のドアと思いますが、浮彫があります。かなり大きな扉の上の方にしか残っていないし、現場ではかなり薄暗かったので、よく見えなかったのですが、改めて写真を見ると、素敵な浮彫です。




オリジナルでは、しっかりと彩色されていたはずですから、今の感覚だとけばけばしいかも、ですが、当時では、輝くような印象だったのかもしれないですねぇ。

いつものことですが、写真を見返すと、改めて、現場に戻りたくなります。どこでもドアがほしい!

おっと、これじゃいつまでたっても先に進めないパターンに入りつつありますが、エンジンがあったまってないので~。しばらくは忍耐強く、よろしくお願いします。

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  1. 2017/08/31(木) 05:41:22|
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山の天辺にたどり着くまで(ル・ピュイ・アン・ヴレその1)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その1

嫌になるほどたまっている写真の整理。どこから手を付けようか、しばし悩みましたが、今年の旅との比較もできるので、昨年夏のオーヴェルニュに手を付けることとしました。
長丁場になりそうですが、そして、一年もたってしまっているので、情報的にもちょっと古くなってしまっているかと思いますが、今更…、と言わずに、お付き合いいただけると嬉しいです。

目的ごとに分けた写真と、旅の間のメモや日記を参照しながら、進めたいと思えますが、さて、どれだけ覚えておりますか。自分の記憶力の悪さを再確認することが多くなりそうで、怖くもあります。

さて、外国でのロマネスク巡りの足は、フライ&ドライブが基本の私ですが、このときは、トレイン&ドライブという変則でした。というのも、足を探した際、フランス国鉄が、格安の早割りチケットを発売していることを知ったからなんです。
ただし、当初、出発点として考えていたリヨンまではちょっと遠いので、リヨンより100キロほどミラノ寄りの、シャンベリーChamberyという町まで、ミラノから4時間のTGVの旅ですが、なんせ、往復で50ユーロもしなかったと思います。
そのシャンベリーの駅でレンタカーして、オーヴェルニュを目指すこととしたのです。レンタカーも、フランス国鉄と連動して割安だった上に、とても行き届いたサービスでした。




上が、フランスにおけるオーヴェルニュの位置、そして、オーヴェルニュ州の区画となります。このときの旅では、リヨンからオート・ロワールへ向かい、そこからピュイ・ド・ドーム、アリエまで北上するルートを取り、左下のカンタルは、割愛しました。
そして、この夏、カンタルを訪問しましたので、二年越しで、オーヴェルニュの主だったロマネスクについては、ほぼ訪問できたということになります。

旅は、シャンベリーの駅で、レンタカーするところから始まりました。このときアサインされたのは、日産のミクラ(日本名マーチ)。実は、日産には嫌な思い出があり、何とか他の車に変更できないかと交渉したのですが、結局ダメ。そんなことをしていたために、出発前に余計な時間がかかってしまい、大後悔しましたが、後の祭り。そして、そんなに嫌だったミクラが、最後には大好きになっていたという…。
毎年、いろんな車をレンタカーすることで、私の運転適応能力は、確実に上がっている気はします。運転技術は上がらないけれども。

本当は、数カ所寄り道をしてから目指すつもりだった初日の宿泊地、ル・ピュイ・アン・ヴレLe Puy en Velayは、シャンベリーからは2時間半ほどの行程なので、見るべきもののリストを考えると、寄り道どころではなくなり、ひたすら道を急ぐこととなりました。

町の近くまでは順調に来たのですが、あの辺だな、と思ったあたりで、いきなり道を間違えます。
ル・ピュイは、比較的大きな町のようだったので、駐車場の目星はつけていったのですが、ナビの調子がおかしくなったのです。で、方向転換して、とかうろうろしていると、いかにも地元民、という感じのおやじが、わざわざ車を降りてきて、どこに行きたいのか、尋ねてくれました。
駐車場の住所を言うと、フランス語で説明を始めたのですが、一年前の私のフランス語は、本当に使い物にならなくて、おやじもそれがわかったようで、「よし、私についておいで」と、なんと、非常にゆっくりとした運転で、とても丁寧に先導してくださったのです。




多分、一方通行が多いからでしょうね。思ったよりもぐるぐる回って、やっと目的の駐車場のある広場に到着。路肩に寄って、おやじは、駐車場を指さして、去っていきました。シャンベリーの駅でも親切に会いましたが、ル・ピュイでも、ここまでの親切は予想外で、フランスにしては、よもやの展開だなぁ、とびっくりでした。

この写真見ると、雰囲気としては結構都会。実際このあたり、新市街は、結構な都会です。でも、一歩旧市街に足を踏み入れると。




すごい坂道。すごい石畳。
旧市街は、盛り上がった場所にしがみついたような土地なんですね、どうやら。目線で行くと、こういう手をついて登りたいような坂道ですよ。




旅が始まったばかりで、気持ちがふわふわしている中、いきなり中世に引き込まれるというのか。一見都会に見える町だけに、衝撃でした。
そういえば、このときは全く認識してないけれど、ピュイPuyという町の名前自体が、山という意味なんですね。先日、カンタルで、知らずに1500メートルの峠越えをしてしまったのですが、その峠のある山が、Le Puy Maryマリー山でしたわ。

ところどころ、新しい建物もある中で、出会う古い建物の、味のあること。




この、坂の途中にあった家は、中でも印象的で、しばし立ち止まって、しげしげと眺めてしまいました。微妙に斜めについている入り口の階段の、なんと素敵なことか。
見ていたら、ちょうど、人が出てきたので、思わず声をかけたくなりましたが、フランス語が不自由なことを思い出して、自粛しました。
ミラノに暮らす前は、中世の町で、相当古いアパートに住んだこともあるせいか、妙な懐かしさというのか、ノスタルジーというのか、そういうものを感じてしまったようです。

おっと、こんなことをしていては、ロマネスクの旅が、いつまでも始まりそうもないですね。と言いつつ、今夜は時間切れ。

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  1. 2017/08/30(水) 06:14:00|
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来年までさようなら~、夏休み(涙)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュ、カンタルの旅、プロローグ

残暑お見舞い申し上げます。
夏休み第二弾も、いよいよ今夜で終了で、切ない気持ちでいっぱいです。が、よいお休みだったので、充実感や達成感もいっぱいあり、またこうやってお休みを満喫するために、仕方ない、また頑張って働きますか、という気持ちもちょっぴりは感じられるのが、長期休暇の良いところ。というか、このままお休み続けていると、廃人になりかねない、という危惧も出てくるんですよねぇ、易きに流れるタイプなんで。

さて、今回は、昨年に引き続き、フランスのロマネスクを巡る旅でした。




ミラノから直行便でトゥールーズに入り、ミディピレネーの町村を巡りました。




一番暑い時期からの旅だったかもしれません。到着日のトゥールーズは、夜になっても30度以上の気温だったと思います。しかし、山間部に入ると、朝晩10度まで下がるという恐ろしい気温差を体験しました。




例によって、事前調査は、詳細に踏み込めず、という状態でしたが、この時期は、通常よりも開いている確率が高く、またフランスでは、イタリアやスペインのように昼休みが長いこともないので、目的的に訪ねた教会のほとんどで、中に入ることができたのは、幸いです。




ミディピレネーから、昨年行けなかった、オーベルニュのカンタル地方も回りました。地味ですが、珠玉のロマネスクに出会える土地です。




10日間のドライブで、約1800キロの走行距離。60余の教会を訪ねることができました。
写真は、4000枚ほど撮影したようなんですが、昨日、パソコンに取り込んで、眺めたところ、残念ながら、失敗作の方が多い…。




というのも、暗いところが多く、フラッシュは届かない高さですから、やはりコンパクト・カメラでは限界があります。でも、今回は、オペラ・グラスを駆使して、肉眼できっちり見る、ということは頑張りました。それでも、これだけの数を見ると、片っ端から忘れていくから、恐ろしいことです。

事前準備で、唯一成功したのは、訪ねる予定の町村の地図を、グーグルマップからプリントアウトしていく、という新機軸。事前にストリートビューをじっくり見て、山道度を確認するなどはよくしていましたが、この、マップ印刷は、非常に役立ちました。




そうは言いながら、全体を把握していないので、ある日など、まさかの1700メートル峠越えとなりました。これは怖かった。

そんなこんな、記憶が薄れないうちに、書き留めておきたいものですが、さて、いつになることやら。どうぞ、気長にお楽しみにお待ちくださいね、フランス・ロマネスク・ファンの皆様。

もし、ミディピレネーの西側及びカンタルを訪問しようとされている方には、どうぞご遠慮なく、必要に応じてご照会ください。今なら、かなりホットな情報がお届けできると思います。

さて、次回からは、昨年のオーベルニュですかね?
昔過ぎると、鬼が泣いちゃったりするのかな。

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  1. 2017/08/28(月) 02:17:39|
  2. フランス・ロマネスク
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ラ・リオハのお勧めホテルと、そうじゃないやつ。

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、番外

今回わかったのは、ラ・リオハのロマネスク=超地味、ということでした。そして、行く先々の町村が、実にミクロで、人の暮らす土地としては、全体としてこじんまりとしていて、どっちかというと自然が勝っている地域、という印象です。
だから、田舎のマイナーなロマネスクを目指す向きには最適。というか、一部、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダなどを除いては、ロマネスク病、またはワイン通でもない限りは、あまり足を踏み入れない方がいいかもしれない土地かもね。

そんな中、一番感銘を受けたのが、実は、同地で二泊した宿だったかもしれません。




Hotel Rural Las Aguedas
Plaza de Santa Coloma 11, Ventosa

ヴェントーサという村の中心の小さな広場に面して建つ1800年代のお屋敷をホテルに改装したものです。
この村は、ロマネスク的には何もありませんが、巡礼の通り道で、午前中は、多くの巡礼が通過していきます。それ以外は、のんびりとした、何もない村。




アストゥリアス出身の女主人が経営しています。彼女は英語も堪能なので、結構おしゃべりが楽しかったのもあります。
宿を経営するのが長年の夢で、この物件に出会ったとき、運命的なものを感じて、取得したはいいが、歴史的な建造物のため、改修許可を取得するのに3年。そして、実際の改修工事に、また3年。都合6年をかけて、3年前にオープンしたのだそうです。

旦那は、普通にサラリーマンをしているらしく、ホテルの経営にタッチしているのはほとんど奥さん。相当の資産家なんでしょうかね。ご夫婦で、お住まいは別にしていて、ここは、ちゃんとしたホテルの扱い(要は、民宿のような形態ではない)。すべてに関して、相当のコストがかかると思うのですが、ご夫婦ともゆったりのんびりしていて、それがまたとても好ましいのでしたよ。

お部屋はかなり地味なのですが、共有スペースが大変ゆったり取ってあり、書斎には素敵な本がずらり。




入り口のスペースも、すべての調度が選び抜かれている様子です。




これだけの建物を改修して、内装して、大変なお仕事ですが、その間、楽しかったろうな、と想像がつきます。

サロンもまた、素敵な色彩です。




到着したとき、狂気しちゃいました。こんな素敵な宿とは想像もできませんでしたしね。こんなに素敵で、お値段もとってもリーズナブルなのに、この二泊の際、他のお客さんがいなかったのは、大変残念なことでした。
巡礼の人が多く、8月はフルだということでしたが…。まぁ、冒頭に書いたように、なかなか旅の人が来る土地ではないので、難しいでしょうが、でも、ログロニョからなら、車で30分もかからないと思いますので、あのようなごみごみした町に滞在するなら、ここまで来る価値大です。

夕食を提供する、ということだったので、事前に申し込んでおいたのですが、一人でも大丈夫か、心配になりました。でも、もちろん用意してますよ、ということで、こんな立派なテーブルに一人。




フランスでいうところのTable d'hoteという形態なんですね。スペインではこういうところ、初めてです。
ごはんも、奥様または旦那さんの手作りです。家庭料理で、普通の食材なんだけど、盛り付けはおしゃれだし、どれもおいしく、すっごくたくさんいただいてしまいました。ラ・リオハだけに、黙っていても赤ワインが供され、おそらく500ミリリットルとか、含めて間食です。




初日の夕食は、アスパラガスの冷静。白アスパラは、このあたりの特産ということだったと思います。そして、鶏肉のパエリャ。




結構な量だったんですが、おいしくてもりもりいただきました。デザートはアイスクリーム。

そして二日目の夕食は、山盛りサラダで始まり。




元気が出る色ですよね~。オレンジとリンゴが敷いてあるうえに、ニンジンどっさり。
そして、奥さんの出身地アストゥリアス料理、イカの墨煮。




これ、よく缶詰を買って帰りましたが、ちゃんと食べたことなかったお皿かも。おいしかった~!

ごはんの後は、お庭に出て一服。お年寄りのシェパード、デルマちゃんと遊んだり、旦那とスペイン語でおしゃべりしたり、なんだか、知り合いのお宅にお邪魔しているようなくつろぎ方ができる宿です。




朝はあまり早くできないというので、巡礼御用達の近所のバールで済ませましたが、それにしても、夜ご飯込みでも、びっくりするくらいお財布に優しいお値段でした。ブログで紹介するから、と言っときましたが、とうとう2年もたっちゃって。でも、開業するまで長年我慢をした人たちだから、そんなこと何でもないですよね。
これを見て、実際に行ってくれる人がいたら嬉しいなぁ。日本人なら、絶対感激するはずなので、強力にお勧めです。

あとから、ここに三泊すればよかった、と強烈に後悔しました。
というのも、最後の日は、ちょっと奮発して、中世の塔を改装した、というホテルに泊まってみたんです。




Casa Rural Medieval Torre Fuerte S.XIII
Mayor 8, Banos de Rioja

13/14世紀の塔らしいです。田舎の荒涼とした感じの、何もない村で、この建物も、外からは、さほど魅力を感じられません。
ただ、中は、確かに相当の手をかけて、改修しています。3階建てかな。各階が一部屋になっています。

天蓋付きお姫様ベッド。




窓のコーナー。




内装は、問題なく、小物も含めて、本当に素敵です。
各部屋には、それぞれカギを持っている人しかアクセスできないエレベーターがあります。オーナーさんは、裏にあるらせん階段で行ったり来たり、大変そうでした。




このらせん階段で、屋上にアクセスすると、近辺のパノラマが楽しめます。




何が気に入らなかったかというと、事前に確認した際、レストランはある、ということだったのに、それは隣町に行かなければならなかったこと。車で5分という近さですが、一日運転して、疲れていると、できれば運転したくないと思うので、歩いて行けるかというと、大丈夫だと。
で、歩いて行ったんですが、帰りは真っ暗で、本当に怖かったのです。時折通過する車のヘッドライトがなければ、右も左もわからないという道。そういう道を、大丈夫というオーナーさん(ここも、女性のオーナーさんでした)は、どうかと思いますよね。




やっと村の明かりが見えた時は、心底ほっとしました。

それも、勧めてくれたレストラン(と言っても、おそらく隣町のレストランは二つだけで、その、最もホテルに近い方)は、すごく普通の超大衆的な食堂で、あの中世の塔のホテルに宿泊する人が喜ぶような店ではなくて、なんだかがっかり度もすごかったんです。

極め付きは、超質素な朝食。




焼きたてパンすらなし。オレンジジュースもグラスに半分。宿泊代が私としては高価だっただけに、これはイラっと来ました。
加えて、クレジットカード拒否。これは本当にありえなかったですね。
それでいて、到着時と出発時は、こちらをファーストネームで呼び、ハグ状態の愛想の良さで、かなり不快感を覚えてしまいました。

まぁ、当たりはずれはあるということですね。オーナーホテルは、泊まってみないとわからない。旅の楽しさではありますが、ホテルがいいと、そのホテルに泊まるために、また行きたいと思うこと、結構ありますね。
リオハは、次があるかどうかわからないのですが、最初のホテルには、いつかもう一度行きたいように思います。

長い旅、お付き合いありがとうございました。
実は今夜から夏休みで、10日ほどお休みします。このところ、異常な頻度でアップしていたので、ちょうどよいお休みかと、笑。
旅の間は、インスタグラムで、移動中の写真をアップする予定ですので、ご興味のある向きは、下記リンクからどうぞ。
では皆様も、よい夏休みを。

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  1. 2017/08/13(日) 19:14:29|
  2. ラ・リオハ・ロマネスク
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ジャンキーにもアル中にも負けず、最後まで(バニョレスとログロニョ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その18(最終回)

あ~、びっくり。まさかボルト、こういうことになるとはね~。それにしても、日本のリレー力、すごいな。感心しました。

さて、若干端折り気味になっていますが、何とか、夏休み前に、区切りが付けられそうですね。今回、ラ・リオハ、そして、2年前の夏休みの修行旅、最終回となります(番外が少しだけ、ありますが)。
当日、宿泊していたホテルへの帰り道にある教会に立ち寄りました。




バニョレスBanoresという村にある、サンタ・マリア・デ・ラ・アンティグア教会Iglesia de Santa Maria de la Antiguaです。
村の入り口、幹線道路沿いにあるため、遠目にもすぐわかり、迷いようのない、という点では、大変気に入りました。

オリジナルは、12世紀の教会だそうですが、20世紀に再建してしまっていて、往時のものは、浮彫などの装飾品だけのようです。




要は、この入り口部分だけがオリジナルということなのです。よくも残してくださいましたっていうところですね。

タンパンには、立派な彫り物。テーマはエピファニア。




左の三人がマギみたいですね。相当痛んでしまっていますが、凛とした聖母が印象的です。

装飾を含む、扉全体の構造は、あまり面白みがないです。




タンパン以外では、扉上部に遺された軒持ち送りでしょうね。やはり、最後は軒持ち送りです。
やはり、傷んでいるんですが、愛らしさ健在のやつも、ちゃんといました。




愛らしいとは言いにくいやつも…。




ヨーダ度、かなり高いですね。




奥にあるのが、今の教会。あまり立派すぎて、この小さな教会の扉を置くには、そぐわなかったのでしょうし、時代が、きっと欲していなかったのでしょうね。
土地があるから、残されたのでしょうが、でも、よく、全部壊されちゃわなかったな、とこの現在の教会との近さを見て、改めて思いました。壊すどころか、おそらく、教会の建物がダメになっちゃっているのを、ちゃんと再建して残したんだから、この村の人たち、見どころあるじゃん。と上から目線。

さて、ラ・リオハ、最後に訪ねたのが、州都であるログロニョLogronoです。

深奥に入る前に、立ち寄りはしたのですが、あまりに都会だったため、どうでもよくなって、立ち寄らずに去ってしまったのです。しかし、たまたま宿で、町の地図を入手できたので、駐車場の場所がわかり、それなら帰路にどうせ近くを通るのだから、と挑戦してみることにしました。

地図をじっくりと研究しただけあり、町中にある地下駐車場には、比較的簡単にアクセスできました。で、なんとなく、町の中心部に向かいました。




久しぶりに都会にドキドキします。
あの塔はどう見ても教会、と、何の疑いもなく、そちらへ進みました。都会では、まったく感も働かないし、それでいて地図も見ない、方向音痴の悪いところどりです。

かなり近くに行ってから、明らかに目的の教会ではないことがわかり、そこで初めて、自分の目的の教会を記したメモと、地図を確認。あほですよね。
なんとなく目指していたのは、カテドラルでした。バリバリのバロックで、私が見るべきものは、一つもありません。

で、全然違う場所にあるのが目的地でした。




アポストル・サン・バルトロメ教会Iglesia de Apostol San Bartolome。

すごく地味な上、なんだか不穏な空気が漂う一角なんです。ジャンキー、またはアル中みたいな人たちがたむろしていて、どちらかといえば避けたい…。

でもここまで来て、引き返すのもなんだし、と思い切って、目的のファサードへ。




なんか、時代下っちゃってますね、このファサードは。
ロマネスクの名残は、かなり僅か、朽ち果てつつある柱頭にとどまるのみ。




この、下の柱頭など、天使の動きのある感じがとてもよくて、完璧に残っていたら面白い仕事だと思われるんですが、この状態は残念です。




入り口に張り付いている人が怖かったけれど、思い切って中にも入りました。




構造はオリジナルが残っていますが、全体には後代の手が入っていて、面白みは少ないです。かすかに残る、スペインに多い市松モチーフの帯に、ちょっと嬉しくなるくらい。

置かれていた写真を見ると、相当傷んでいた部分があったようです。特に鐘楼は、激しく修復されたようです。




下部にある小さな窓には市松モチーフ、上部の区切り帯にはムデハル系の装飾が入っていますが、完全な再建疑惑です、笑。
とはいえ、この柱頭の遊び心は、なかなかのものです。




というわけで、最後はちょっとしょぼい感じですが、とりあえず、やっと、2年前の修行に、片を付けることができました。ほっ…。

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おいしい水の湧く(らしい)教会でした(オチャンドゥリ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その17

次に向かった町も、村よりは町といった方が合うような、それなりの住宅街が広がっているのですが、やはり店などが目につかない、やっぱり村なのか、というオチャンドゥリOchanduri。




サンタ・マリア・デ・ラ・コンセプシオン教会Iglesia de Santa Maria de la Conception。

だらだらっと広がる住宅地のはずれの、ちょっとした高台にあります。
暑い日でしたが、高台を上った場所だけに、教会の前は、風の通る木陰が大変気持ちよかったことを、よく覚えています。

ここもまた、南側に正門があります。




正門前に水道があり、おいしい水なのか、近所の子供たちが、入れ替わり、水汲みに来ていました。なんか、田舎だなぁ。

立派な門構えです。




どうやら、かなり最近、それが認識されたようで、こんな廂が置かれていました。でもちょっと遅きに逸した感、否めません。相当溶けちゃってますんで。

アーキボルトは、シンプル無装飾と、植物帯の組み合わせで、とても品があります。一番内側と中が葉っぱで、外はお花の彫り物。植物は、とてもデザイン的で、面白い表現になっています。




柱にも、それぞれ意匠が異なる彫りが施されていたのでしょう。今、のっぺらぼうなのは、あとから入れているものと思います。彫りが残っているものも、相当摩耗しており、残念な状態です。




大柄な感じではありますが、それぞれにこういう彫りがあったら、なかなか印象ですよ。柱の間にも、お干菓子入りのつる草文様が一部残っていますが、これも、完全にあったら、プーリアのカテドラル状態。それにしても、この半端な一部って、試し彫りとか?彫りだしては見たものの、これ大変すぎるから、やめとく、とか?

柱頭も、もうかなり意味不明ですよね。
比較的よく残っているものを見ると、技術のあった石工さんの作品と思われます。




羽根の彫が、とても細かい。衣のひだひだも、頑張っていますよ。

ここも、当然という感じで、閉まっていましたので、後陣の方に回ります。




ここも、地域の外の教会同様のスタイルで、立派な開口部と、大好きなつけ柱、そして、欠かせない軒持ち送りです。

窓のところの柱も、入れ替えられてしまっていますが、もしかすると、ここにも、彫りが入っていた可能性、あります。




教会は、12世紀後半のものらしいのですが、アーキボルトの植物帯など、ちょっとイスラム入っているのかな、と思わせるような、空間恐怖的な緻密さがあります。時代のせいでしょうか。
軒持ち送りのモチーフにも、若干ゴシック臭を感じました。




動物も、ロマネスク全開の面白さよりも、明らかに馬だろう、という描写力が勝るものが多くて、私の好みではないかも。




これなんか、ちょっと面白いけど、デッサン力ある感じですよね?




これも、ストーリー性が感じられる柱頭。




右側の人の手が、何ともチャーミング。
あっという間に終了。中に入れないと、見学は本当に早いです。

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サンダル履きで登山的な。(トレヴィアーナ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その16




ラ・リオハって、おいしいワイン産地なので、ちょっとイメージ違うかもだけど、基本、こういう平地がずっと続く土地。美しいです。
2年もたって、改めて写真を見直して、懐かしいというか、よくもまぁ、これだけ地味な教会の連続、覚えているもんだわ、とちょっとほっとしたりしています。

今回の村も、面白い記憶満載。行き当たりばったりだったり、親切に感涙したり。
まずは、村に向かう途中、いきなり出会ってしまったので、立ち寄らざるを得なかった教会。




トレヴィアーナTrevianaのヌエストラ・セニョーラ・デ・フンケーラ隠遁所Ermita de Nuestra Senora de Junquera。

ナビの行き先を、トレヴィアーナにしていたところ、道端に、すごくわかりやすい感じで表示があって、ちょっと入るとすぐ教会が目についたので、停まらざるを得なかったんです。
パッと見、全然面白くなさそうだったのですが、後陣は、これまでの教会にも似た、要は、この地域に共通する様式の、れっきとしたロマネスクの美しさが見られるものでした。




これだけなんですけれどね。
でも、この窓の装飾に、これを見つけたのは、結構嬉しくて!




かなり素朴ですが、これは、やはりあれ、私の好きなモチーフの一つ、ダニエルさんでしょうよねぇ。いやはや、これは、本当に飛び上がりたくなるくらい素朴でかわいらしいです。停まってよかったよ~!

ただし、向かいの柱頭のモチーフは、こちら。




これを見ると、もしかして、前者はダニエルではないのかも、と思いましたけれど。
これは、どちらかというと、コルシニャーノ系の、悪魔的なものにかまれて、悪魔的なものの言葉がわかるようになったとか、そういう寓意的な彫り物かもしれません。

さっさと見学を終え、村に向かいます。この後が傑作です。

当初、このトレヴィアーナという土地については、Ermita、つまり隠遁所というか礼拝所を、4つほど、メモしてあったんです。詳細はわからず向かったわけですが、まずは、このダニエルさんで、一つクリアしました。

そのあと、村に向かったものの、まったくナビが役に立たないのです。行ったり来たりした挙句に、そのあたりにたむろしていた老人グループに尋ねると、ああでもない、こうでもないと大騒ぎの挙句、墓地にある教会がそうではないかというので、行ってみると違う。

初心に戻って、道をゆっくり走っていると、ロマネスク教会、という表示があったので、近くの道端に駐車。
そのあたりにも老人がたまっていたので、尋ねたところ、またひとしきり大騒ぎとなりました。村の中心にある教会は美しいから、あそこだろう、といわれましたが、いやいや、バロックは興味がないし、先ほど、近くまで行って、私が探しているのはあれではなく、ConceptionというErmitaみたいなものらしいのです、というと、一人のおばあさんが、では、この奥のあれだろう!と、誇らしげに叫びました。

いや、これ大げさじゃないんですよ。本当に誇らしげに。
すべての会話がわかるわけじゃないんですけれどね、要所はわかります。
で、あそこだったらカギはないだろう、市庁舎に行かないとだめだろう、などなど、老人たちが協議しています。
最後に、最初のおばあさんが、よし、わかった、わかりにくいから、私、連れて行くから、と夫らしいおじいさんを制して、先導してくれたのです。

そこから、5分程度の林間の道を進むと、パッと開けたところに、いきなり、後陣が。




ラ・コンセプシオン・デ・トレヴィアーナ隠遁所Ermita de la Conseption de Treviana。

ひゃぁ、これはわからんわ~。ありがとうございます!とお礼を言うと、おばあさん、カギないしな、ちょっと大変だけどついてこい!と、サンダル履きで、この石垣をよじ登っていくではないですか!
それも、慣れた感じで、超素早い。って言うか、サンダル履きで登れるような場所じゃないので、マジ、毎日のようにやってるなって感じでした。
こっちは運動靴なのに、ついていくの精いっぱい。かなりの段差ですよ。

この高台、今は墓地になっていて、その一角に、この礼拝所が置かれている状態になっています。もともと、神聖な場所で会ったということなのでしょうね。
ただ、今は村の公共の墓地というステイタスであるため、この礼拝所のある一角も含め、カギがかかって、柵があるのです。鍵は、役所が管理しているため、常に開いていないので、こんな場所からよじ登るような感じで、アクセスすることが、実際に多いようなのです。

このおばあさんの先導なければ、まず、場所の特定も大変だったし、そもそも柵を乗り越えようと思ったか…。いやはや、ありがたい助けでした。

今は、この後陣だけが残っていて、前部はオープンになっています。ちょっと前の記事で紹介した湖沿いの隠遁所以上に、残っている部分が少ない遺構ですね。




この全部の方、および内部は、再建色が濃くて、せっかく不法侵入させていただいたのですが、面白みは薄いです。やはり、見るべきは後陣外部の装飾。
あ、ちなみに、この全部の右側が墓地になっています。




美しい窓部分。小さいけれど、珠玉の彫り物が残っています。

ハーピーっぽいフィギュアなんですが、ぷっくりしていて子供っぽくて、すごくかわいい柱頭の彫り物。




歯並びを見せびらかすような猿っぽい軒持ち送り。




おばあさんは、私がやたらを撮影しているのを見て、あきれていました。そして、村中の教会(バロック)が立派だからさ、あそこの方が、撮影の価値があると思うよ、というようなことを最後までつぶやいていました。

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軒持ち送りは裏切らない(ガルバルリとフォンサレチェ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その15

極小マイナー教会を、サクサクっと回ってみます。




ガルバルリGalbarruliのサン・エステバン教会Iglesia de San Esteban。

田舎だけに、ナビもうまく作動せず、変な道を行ったり来たりした挙句、なぜかうまく発見できた教会ですが、近づいてディテールを確認するまで、本当にこれが目的の教会か、確信できませんでした。

近づいて、看板があったので、やっぱりここだ、ということになったのですが、それでも、どうもほんとかいな、って感じのたたずまいですよね。
でも、この、南側にある門の上部を見て、確信できました。




やっぱり、スペインは、軒持ち送りに限りますね~!
こんな、全体新しくなっちゃっている教会でも、軒持ち送りだけは裏切らないって言うか、笑。




なんだろう、この人。腰蓑状態で、ラジオ体操ですかね。
かと思うと、埴輪的な方がいたり。




よくある性的なモチーフとまったく対極の、何か得たいがしれないけれど、神聖なシンボリズムを感じるフィギュアです。
といった端から、これは、どうでしょう。




まったく得体がしれないのですが、もしかすると、まさに性的なものだったりするかも?

おなじみの、楽しいやつらもちゃんといます。




扉から中をのぞくと、ちょうどミサの真っ最中で、内部に入ることはできなかったのですが、ちらりと見えた内装は、すべて新しくなっていて、私が興味を持てる者はなさそうだったので、よし。心残りなく、すっぱりと見学を終えることができました。

次は、フォンサレチェFonzalecheという村です。




ここは、事前に見た写真で、どうしても実際に見てみたい彫り物があったので、訪ねたのですが、村の中心にある教会は、上のようなたたずまいで、これまた、本当にこれ?と情けない気持ちになったのを覚えています。
このあたり、本当に地味で、事前に多くを調べ切れていないので、わざわざ行く価値があるのかどうかも、よくわからないで、回っているもので、こういうケースの連続でしたね~。
でも、だからこそ、行って、紹介する価値もあるかもしれませんね。私は、比較的気楽に行ける場所に住んでいるから、落胆も少ないけれど、万が一日本から訪ねるとすると、ちょっとどうかなって場所、ありますからね~。いつか誰かの情報源になるといいなぁ。

お目当ての後陣の方へ、回り込みます。




多分、もともとつけ柱があって、その上の柱頭だと思うんですが、不思議なフィギュアがありました。




つけ柱ラバーとしては、柱がなくなってしまっているのが残念ですが、それにしても、この柱頭の彫り物、とっても不思議。三面に顔があって、角っこは、鳥っぽいフィギュア。その足を、後ろからにゅっと出ている手のようなものが、押さえているように見えるんですけど。




押さえているというよりは、その手に、鳥が留まっているのかな。それにしても、不思議で独創的な柱頭です。
でも、私が見たかったのは、これではないんです。
日差しが強くて、見えにくいこともあり、この地味な後陣、改めて端から確認。

で、発見しました!




月と太陽のレリーフ。
これって、ありそうで、意外とないモチーフだと思うんですが、どうでしょうか。それも、こんなわかりやすい形で。いや、もしかすると、時代が下るのかな。こういう半月って、ちょっと今風ですよね。

これ以外にも、ちょっと不思議なフィギュアが多かったです。




エイリアンですよね~、かわいいけど。
これも、おなじみといえばおなじみ系ですが、ちょっと河童入った感じで、またかわいい!




ここも、建物は、全体に新しくなっちゃっているので、ロマネスク時代のものは、こうやってわずかしか残っていないのですが、きっとかつては建物中に、こういう面白い軒持ち送りがあったのだと想像します。




地味すぎるくらいに地味な教会二つで、遠方から無理していくことはない場所と思いますが、でも、それぞれの個性的な軒持ち送りを見ると、個人的には、行っといてよかった、と思います。この感覚こそ、おそらく病膏肓に入るってやつ。笑。

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認めた住人、わんこ一匹(カステルセコ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その14

勢いで、次に進みます!




いきなり、やばそうな写真で失礼!
ここは、村の入り口に教会があって、迷うこともなかったのですが、教会の脇に、とっても大きなグミの木があり、ちょうど実がたわわになっていて、もうそれはすごいことになっていたのです。
教会の説明版も、これこの通り、木に隠されている状態な上、殺人事件に巻き込まれたように、グミの実の汁でべったべたでした。地面にも、実が折り重なるように降り積もって、全体にべたべたした感じでした。

グミの木であること、今だからわかったようなもので、このときはブラックベリーのようなものだと思っていました。最近、ウォーキングすることで、植物に目が向くようになったおかげです。




カステルセコCastelsecoのサン・フリアン教会Iglesia de San Julian。
前回の、ヴィリャセカの教会と、大変似たスタイルの教会です。ここも、見るべきは後陣と、そして多数の軒持ち送り。

ヴィリャセカに比べると、傷みが激しいのですが、田舎の教会の雰囲気は、逆に強く感じられて、ひなびた様子が、好ましかったです。




この扉口、アーキボルトは、ただアーチが複数並んでいるだけのスタイルですが、根元の柱頭には、地元の石工さんレベルかなっていう感じではありますが、ちゃんと彫り物がしてあります。




でも、全体に、うっすらという感じで、見えにくいかも。彫りが甘いのと、摩耗が入っているのと、石色が陰影持ちにくいせいです。




素朴でかわいらしいモチーフです。
実はよくわからないけど、笑。

柱頭は、これまたヴィリャセカと似ています。
ここにもいましたよ、持ち上げ君!




顔を上げて、かなり前向きな様子です。

一方で、悩んでいるっていうのか、キュビズム的というのか、そういう表情の人がいるかと思えば。




悟ったような微笑みを浮かべる方もいらっしゃいます。




美しいスタイルの後陣。




でも、ここのディテールは、かなり再建ぽいです。窓部分も、軒持ち送りも。かなり新しいものと思われ、やりすぎ感満載。
それに引き換え、オリジナルの味は、やはり素晴らしいです。




グミの木と並び、素敵な後陣の全体像。
青空に映える石色ですね。




ここもクローズです。工事中的な看板が貼られていたので、中は修復中または修復待機中とかそういう状態かもしれません。いずれにしても、村には人っ子一人見当たらず、死んだような空気でした。
唯一出会った方。




犬は苦手な私ですが、この子にはほっとさせられました。飼い犬らしく、まったく怖い行動をとることはなかったし、人っ子一人見当たらず、人の気配も感じられない村って、ちょっと怖いんですよ。逆に、教会しかない土地の方がすっきりするっていうか。
というわけで、民家が並んでいても、カギを探そうという気には、まったくなりませんでした。

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地域唯一のバールに裏切られる(ヴィリャセカ)

2015.07.スペインの旅、La Rioja編、その13




このあたり、こういう風景が続きます。わずかに起伏のある土地で、合間合間に小さな村があるのですが、どこも激しく田舎です。
でも、こうやって改めて写真を見ると、実に美しい風景ですねぇ。現地では、愛でる時間も気持ちも、ほとんどそういう余裕がなかったこと、少々残念に思います。それが修行旅たる所以とはいえ。

小さな村ばかりなのですが、教会はなかなか愛らしくて見ごたえのあるものが多くて、取りつかれたように、駆けずり回ってしまいます。
次に訪ねた村でも、やはりうれしくなるようなアイテム満載です。




ヴィリャセカVillasecaのサン・ロマン教会Iglesia de San Roman。村の一部、高台になっている場所に建っています。こういう立地というのは、もともと緩やかな丘とかだったのを、削って町の地面と整えた結果とかなんでしょうかね。ここだけボコッとしているのも、なんか不自然。

ここの見どころは、やはりこの後陣でしょう。
前回のティルゴにも通じるスタイルで、品がありますよね。




アーキボルトの帯装飾が、ちょっと大柄なんですが、やはり美しいです。柱頭は、やけに単純で、再建のにおいもします。

入り口は、南側面にある、スペインらしい構造です。




ファサードと、北側側壁は、ほとんど見るべきものもなく、実際村とは反対側で、打ち捨てられている感がありました。これだけ表と裏がはっきりくっきり、という教会も珍しいと感じるくらい。




ここも、中には入れなかったのですが、建物中にちりばめられた軒送りや柱頭の彫り物だけで、結構お腹いっぱいな感じで、十分でした。




いろんなモチーフがあるんですが、どれも、わたし的には愛らしくて、大変気に入りました。




上二つは、どちらも、何かを抱え上げている同じモチーフです。ちょっと苦しそうな顔をしながら、何を持ち上げているんでしょう。




これがまた、シュールな…。太鼓上のものを、抱えているようにしか見えないんですが、顔、ないしね、腕じゃないんでしょうかね、これは。




この、シンプルさがいいのかも、ある意味現代美術的で。
こうして見直すと、顔が多いですね。

これも、顔ですよ、たぶん、どっちも。




手前は動物系。鼻の孔、開いてますしね。奥は、ぬらりひょん系の方が、樽を抱えているのかな。これはたまりませんわ。

かなり地味ですが、楽しいのがわかっていただけると思います。

ちなみに、ここまでかなりノンストップで駆けずり回っていたので、食物飲み物トイレを求めていました。で、嬉しいことに、教会の先に、もしや、という、まったく期待していなかった建物を発見したのです。




道を隔てた向こうの角っこにあるのは、どう見てもバール~!
ほとんど小躍り状態で、小走りです。
しかし、期待むなしく、なぜかクローズ。いくら夏だと言っても、バールは開けてろよ、と情けない気持ちになりました。そもそも、たまたま閉まっている感満載だし、これだけの町であれば、開いていても不思議はないんですよ。

なんて言っても仕方ないので、トボトボと車の方に向かったのですが、道端で地元のおじさんと行き会いましたので、未練がましく、バールのことを聞いてみたんですよね。
そしたら、おかしいな、開いているはずなのにな、と。
実は結構切羽詰まっていたので、この近所で、最も近いバールはどこか訪ねると、うーん、と考え込んでしまいました。え~、考え込むほどないんだ~!
ああでないこうでもない、としばしつぶやいた後、バールで何が買いたいの?と聞かれたので、素直に、いや、実はトイレが…、と打ち明けると、破顔して、ああ、それなら、家に寄っていきなさい!
なんと、教会の目と鼻の先がご自宅で、親切にもトイレを貸していただけました。

昼前のひと時、自宅で近所のおばさん数人がおしゃべりに花を咲かせている中に入ると、一瞬シーン、としましたが、ほんの一瞬で、お借りしているときも、辞去するときも、ずーっと、何事もなかったかのように、おしゃべりしていました。すごく親切だけど、他人に対する興味はないんですね。

この先も、ずっとこういう感じで、お店など一軒もありませんでしたので、ここで用を足すことができたのは、実に僥倖でした。

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