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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

普段着のパヴィアもなめちゃいけない。(サン・ミケーレ1)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その6

特別公開を楽しむついでに、勿論、おなじみさんにもご挨拶です。




サン・ミケーレ聖堂Basilica di San Michele。

訪ねる度に、この立派なファサードとたたずまいに、うっとりしてしまいます。
ローマ時代に創建された教会ですが、ロンゴバルドの時代に、今ある姿の基礎ができたとされています。とにかく長い歴史がある教会で、パヴィアの町の栄枯盛衰をずっと見てきたわけで、それだけで、ちょっとしみじみしてしまいます。

実は、このパヴィア記事を書きだしてから、先に言及した、ロンゴバルド人パオロ・ディアコノが記した「ロンゴバルドの歴史」を読み出しました。買ったきり、ぱらぱらと斜め読みしただけだったので、おお!という感じで…。
ビザンチンとは関係ないなんて、いい加減なことを先の記事で書いてしまったと思いますが、とんでもない大ウソで、しっかり関係があります。そういや、同時代に並行してるんだし、関係ないわけもないんですよね。
そして、読んでいて、カロリングとの関係性とかも、かすかに記憶によみがえってきましたよ。確か、ロンゴバルドの王女様が、人身御供みたいな形で、カール大帝に嫁いだのではなかったか。
で、数年前に、確かパリで購入した、地図付き中世年表などを引っ張り出して、あやふやな歴史を確認したりして、こうなると、もうダメ。

それにしても、まぁ、試験があるわけでもないから、必死に覚えようとかそういう気持ちがないってことなんでしょうが、自分の記憶力のひどさには、毎度あきれてしまいます。好きなことなのに、さっぱり記憶できないんです。
特に、欧州の歴史というのは、今とは比べ物にならないくらい多くの国や民族が入り乱れて、それぞれが絡み合ったり同時に存在したりして進むので、記憶力が悪い私には、どうしようもないんですよねぇ。日本の歴史だと、勿論いろいろ都市国家的な歴史というのはあるのだけど、なんせ国土が限定的な上に、民族の数も限定的で、それほどもつれ合ってないから、私の貧しいシナプスでも、何とか許容できるんですけれど…。
それで、いつだって、ビザンチンとかロンゴバルトや西ゴートなどの、いわゆる「蛮族」達の歴史、神聖ローマとかカール大帝のカロリング朝とかの横並びの歴史を理解するのが、本当に大変。でも、面白いですけどね~。

春に訪ねた時に、比較的最近(2015年)出版された、薄いけれど、内容が濃いサン・ミケーレ読本のような冊子、ぱらぱら見ていると、かなり面白いので、これは、「ロマネスクのおと」で、すでに陳腐化しまくっているパヴィア編、更新しなければ、とすごく思っています。
実際はパヴィアどころか、この二年ほど、まったく手を付けられないでいますので、いつになることやら、というところではありますが。

いずれにしても、何もイベントがなくても、このサン・ミケーレ教会を訪ねるだけでも、パヴィアに行く価値はある、ということを、今回、改めて感じました。

このファサードだけでも、見どころ満載ですが、まずは、内部から。




レンガと石が、程よく混ざった内装は、とってもイタリア的な気がします。特に、ロンバルディアやピエモンテでは、レンガが多く使われますね。そして、それを、石板で覆ったりせずに、鮮やかな色を活用することが多いです。

結構壮大な作りなのですが、その割には、比較的低い位置にある柱頭の愛らしさで、壮大さが軽減される印象です。




ダニエルさんにも見えますが、動物が、ライオンというよりも、キメラやグリフォン的な柱頭。




今は、一般のアクセス不可となっているマトロネオ、つまり二階部分の柵部分に置かれた二股人魚は、魚部分が異常に立派で、遠目にも、何か気になるオーラを発散しています。
この、グリフォン的なお花しっぽのキメラも、同様。




激しくかわいいです。きもかわってやつかな。




しっかりとした彫りの植物モチーフ柱頭。多くの再建ものが混じっていると思われますが、全体の雰囲気がよくて、違和感がありません。

愛するサムソンも、千年の間ずっと、ライオンの口をこじ開けています。




ちょっとアップにしちゃおうかな。




細かい繊細な彫りをする石工さんですよね。すっごく考えて彫っている感じがします。
アップで見ると、どうやら彩色があったようだという様子も見えます。
それにしても、サムソンはいいですねぇ。長髪が何ともいいです。




立派なグリフォン。
地面をしっかりとつかんでいる爪足が、好きです。

天上高さを考えると、比較的には低い場所にあるとはいっても、やはり高いし、それに、暗いので、撮影は結構至難です。残念ながら、有料の灯りサービスもないんですよね。

でも、クリプタに降りると、本当に近くで、柱頭を楽しめます。




若干修復しすぎじゃないの、というようにも感じないでもないですが、でも、素敵な柱頭だから、許せます。それにクリプタは、本堂と違って、明るさふんだんなのも、柱頭を楽しむには、ありがたいことです。雰囲気は損なわれるかもしれないんですけれど。

色々なモチーフがありますが、こういうのが結構お気に入り。




本体は、普通のつる草モチーフですが、副柱頭的な位置に、細かくドラゴンペアが彫られているのが、なんか石工さんの遊び心を感じるっていうか。こういうの、好きですね~。




こういう正当タイプも、やはりいいです。これが、目の高さのちょっと上くらいで、肉眼で細部まで見られちゃうんですから、嬉しいです。葉っぱのしっぽ、すっごくかわいくて、どれを見ても、趣味の消しゴムハンコモチーフに転用したくなります。




これなんかは、物語的。寓意的な意味が入っているのかな。三角帽子の人物フィギュアは、誰を何を表しているのかしらん。耳ではなく、肩をかまれていますね、ドラゴンに。

ここは、いつまでいても、楽しくて、離れがたい空間です。




祭壇側に、ずらりとランプのようなものが並んでいて、よく見たら、聖遺物入れのようでした。何かいろいろ保有しているらしいですね。

続きます。

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  1. 2017/09/28(木) 05:41:12|
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インディ・ジョーンズもびっくり、学習室の足元は、墓所だったり、レリックだったり(サン・フェリーチェ)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その5

前回訪ねたサン・ジョバンニ・ドムナルムから、今度はかなり近い場所にある大学施設に向かいました。パヴィアの大学は、古い歴史を誇っており、一部専門課程のレベルはかなり高いようで、ミラノで働くこの大学出身者も多いのです。




何があるかというと、この入り口がそうなんですが、なんと、今、勉強室となっている場所に、ロンゴバルドのクリプタが隠されているのです。
といっても、上の写真でもわかるように、もともと修道院だったところが、大学に転用されているので、イタリアのように歴史が集積している土地では、さほど驚くべきことでもないんですけどね。

修道院の施設というのは、使いやすいんでしょうかね。そういえば、ミラノ大学も、修道院の建物を活用していますね。

そう考えると、石の文化というのは、ある意味効率が良かったりもするのかな。数百年前の建物を、現代に転用できちゃうんだから。でも、当然、老朽化していますから、不具合も多いとは思いますけれども、でも、無駄がないよね。
もちろん、地震が少ないから可能なことではありますが。

でも、入場してびっくり。




サン・フェリーチェ教会跡Chiesa di San Felice。

そのまんま、学習室。自分がどういうものを見に来ているのか、わかっていないので、この眺めには、戸惑いました。
そして、いきなり、目の前に穴が開いているので、びっくりしました。




ちょうど、一階分地下、というレベルに、このようにぼこぼこと、ロンゴバルド時代の石棺がむき出しに展示してあります。

ここは、「女王の修道院」と呼ばれる8世紀に創建された修道院があった場所だそうです。ロンゴバルド最後の王デジデリオの妻、つまり女王アンサによる修道院。
その後、ロマネスクに当たる時代に、栄えたようなのですが、名残は、トップの写真にある、もともと教会の南壁だった部分のみ。そこさえ、勿論後代の修復がしっかりと施されているため、古び感は、まったくありませんけれど。

あ、一つ見つけました。




内部の壁の一部に、この柱だけ、ポツンと。
この高さは何だろう。この低さから、ヴォルトが出ていたのかしら。とすると、まるでクリプタのように背が低い建物になりますね。

さて、最初に目についた、石棺の観察に戻ります。
パッと見、とっても地味で、え、これだけ?とがっかりしたのですが、よく見ると、何とも興味深い絵が、石棺の中に見えるのです。




右の石棺の奥、わかりますでしょうか。素敵にロンゴバルド的な装飾的十字架。
アップにしてみます。




オリジナルは、きっとかなり鮮やかな色だったのではないでしょうか。

女王が創建しただけあって、ここは、女子修道院だったようなのですが、その修道院長であったアリペルガという女性の墓だそうです。アリペルガ、またまた名前萌えしちゃいそうな響。
なんと発見されたのは、1996年と、かなり最近なんですね。それまでは、学生さんたちの机の下で、ずっと千年以上、閉ざされていたんですね。ふぅ。
石棺ですから、勿論埋葬されていた骨も見つかっています。この十字架は、足元の方で東向きだそうです朝日に足を向けているのか。ふーん。
頭の方には、オークルの縁取りで背景がエジプト・ブルーの円の中に、手が描かれています。これは、祝福する神の手。




そして脇には、何とも不思議な、まるで落書きのようなごちゃごちゃした絵があります。
福音書や福音書家の名前の碑文が描かれています。




細かいところはわからないのですが、マルコとかマッテオとかは、私でもわかりました。




色がすごくきれいで、モチーフも面白いんですが、いかんせん見にくい!
上から見下ろしているのですが、石棺のフォルムが、上部がちょっと狭まっているので、逆斜めって感じで、相当ひしゃげた感じでしか見えないし、一部は見えないし、比較的最近、見学用に作るなら、もうちょっと何とかできなかったかね?と、若干逆切れの気分になりました。少しでも視線を下げて、石棺を覗き込むように見たり、撮影するために、ほぼ、腹ばい状態にはいつくばってしまいましたよ。

あちこちに散らばって描かれている花の絵が、この春にプーリアの洞窟教会で見た、花の絵と、雰囲気が似ていて、あれ?と思いました。あっちはビザンチン起源なので、直接的な文化的共通項はないはずですが、そこここに、素朴な赤い花が咲き乱れていた風景は共通するのかもね~。

さて、この教会には、もう一つ見るべきものが。
といって、全然わかっていなかったのですが、クリプタとうたっているからには、石棺を上から眺めるだけ、ということはなかろう、とは思っていたのです。そしたら、隅っこの方に、下に降りる階段、ありました。




こちらこそ、クリプタですね。何があるんだろう、とワクワクでおりました。




まさかの石棺!それも、超立派な巨大棺、三個並べ!

説明を読んだら、石棺ではなく、聖遺物入れだと。なるほど。現場では、石棺と思い込んでいたものの、どうも、構造が不思議で、悩みながら、細部を確認していたんです。




この扉が、どうにも不思議で。だって、棺を中に入れるにしては、小さすぎだし、のぞくと、内部にも、箱が組み込まれている様子が見えるんですよ。だから、そもそも、この扉の意味は、分からないな。中のものが、出し入れできるような、秘密のからくりでもない限りは。

それにしても、立派。これは、カロリング時代のもので、大理石製なんだそうです。表面に、いろいろな形が逆エンボスになっているんだけど、ここには、色エナメルや、金銀宝石が、はめ込まれて、燦然と光り輝くものだったようです。そうだと思ったよ~!




このクリプタ、この、聖遺物入れにピッタリな大きさになっているので、こちらが先にありき、という場所のように思われます。誰の聖遺物が入っていたのかね。これだけの大きさに、髪の毛だけとか、指一本とかは許されない気がするので、なんか、すごいもんが納められいたんだろうね。

いやはや、面白かった。
ここで学習する学生さんたちは、たまには、ほぉ、とか思ったりするのかな。クリプタは、いつも開いているとは思えないから、まったく知らない人もいるんだろうな。
なんかすごいことですよね。千年以上前の墓の上で、ITの勉強とかしちゃってたりするっていうのは、なんかすごい。

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  1. 2017/09/26(火) 04:45:47|
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2メートルの階段が、タイムマシンってことだ(サン・ジョバンニ・ドムナルム)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その4

サンテウセビオSant'Eusebioのクリプタを訪ねた後、地図を確かめながら、次の目的地に向かいました。パヴィアは小さな町で、旧市街はかなり狭い範囲となるのですが、生来の方向音痴のため、初めての場所を本能で訪ねあてるなどということは、はなから期待していません。

事前に、住所を調べておいて大正解。展覧会でくれたフライヤーには、一応、協賛企画のクリプタ特別公開についての情報も出ていましたが、クリプタの名前と、とっても雑な地図が出ているだけで、方向音痴の人には、その地図で訪ねあてるのは、絶対に無理。
実際、調べておいた住所を頼りに、通りにたどり着いても、行き過ぎて、後戻りしたくらいです。
で、後戻りしながら、塔を発見し、あそこに違いないとわかった次第。




しかし、入り口がわからず、またうろうろして、裏の方からアクセスすることになりました。というのも、住所を頼りに行くと、実に普通のお宅みたいな入り口なんです。




帰る時には、入り口に看板が出ていましたが、公開開始の15時に着いた時には、まだ何も出されていなかったので、ここから入るのは、躊躇してしまったんですよね。

しかし、ここを入っても、思わず目を疑います。




サン・ジョバンニ・ドムナルム教会Chiesa di San Giovanni Domnarum。
ファサードだけが、教会だと識別できる様子となっていますが、全体が住宅に埋もれていて、普通に歩いていても、絶対に教会があることすら気付かないようなロケーションです。

でも、実はすごい教会です。以前購入した資料によれば、まさにロンゴバルド時代の教会が元となっていて、それも普通の教会じゃないんですよ。

ロンゴバルドに関しては、ロンゴバルド時代最後の頃の人、パオロ・ディアコノという人が書いた「ロンゴバルドの歴史」という書籍があり、大変重要な資料となっています。それを知った時には、そういう書籍があることに驚いたのですが、ローマ時代の書籍もあるくらいなのですから、考えたら、不思議なないのですが。
私も、勿論持っていて、買った時にさらりと読んだのですが、ちゃんと読み返さないと、というところです。
で、その書物の中で、パオロが、「母にテオドリンダ、父にアジルルフォをもって生まれたグンデペルガ女王が、モンツァに母が教会を創建したように、ティチーノの町に、洗礼者ヨハネ(サン・ジョバンニ・バッティスタ)に捧げられたバジリカを建設し、金銀で飾り立てた。そして自らの墓所とした」と書いているそうなんです(覚えていない)。
その教会が、この教会ではないか、といういうことなんですよ。
この、今では、探すのも大変な上に、教会本堂は、すっかり別物となってしまった教会が。
それほどのものだったとすると、かつては、周囲に何もなくて、サン・ミケーレ(別記事で、改めて紹介します)のように、外も中も飾り立てられた立派な教会だったのかもしれないんです。
このファサードからは、想像することすら難しいですが、歴史って、すごいですね。




その、グンデペルガの教会は、7世紀のものですが、10世紀には嵐で損壊し、10世紀から11世紀にかけて再建、その後ロマネスク時代にも、建設が続けられたそうです。そしてもちろん、その後も教会として使用され続けた結果として、今のような姿に、変容してきたものです。
しかし、ありがたいことに、クリプタだけは、当時のものが残されたのです。

本堂の左側にある、かなり狭くて急な階段が、クリプタへの道。




ドキドキしますね。
この、距離にしたら、せいぜい2メートルの階段が、2017年から700年代へと続くタイムマシンですよ。




おお!




おお!

目玉はフレスコ画なんですが、まずは、全体のたたずまい、雰囲気に、おお!という感じで、それだけでワクワクしちゃいましたね。
で、落ち着いて、フレスコ画。




サンティンベンツィオ。




サン・テオフィロ。




サン・グレゴリオとサン・シーロ。




キリスト。

どれも、1150年ごろのものだそうですが、とにかくかわいい!
褪せた彩色も、ちょうどいい具合。
ただ、置かれていたフレスコ画人物一覧を見ると、相当ボロボロの時代の写真になっていたので、近年丁寧な修復が行われた結果なのだと思います。
きれいな時代の模写や、同時代のフレスコ画を参考にするのでしょうが、かなり作られている部分もあるのかと思います。違和感はないし、好みでしたけれども。




ロンゴバルドの時代の柱頭に、ロマネスクの時代のフレスコ画。
私の好み的には、かなりツボです。

そこに、テオドリンダとか、アジルルフォとか、グンデペルガとか、ロンゴバルドのエキゾチックな名前が絡んできたら、なんかもう最強っていうか。ロンゴバルド時代の名前って、なんかすごく好きなんです。北方から来た人たちだから、北の言葉や神話に根差した名前なんでしょうかね。

ちなみに、このクリプタ、普段でも、事前に電話で予約すれば(ルイジさん)、訪問可能のようなので、情報として、貼っておきますね。




チャンスがあれば、超お勧め。

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  1. 2017/09/25(月) 02:04:02|
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いかにものシンプル柱頭、うっとりです(サンテウセビオ)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その3

展覧会会場でのロンゴバルドを堪能して、いざ、町に向かいました。
共催企画であるクリプタのオープンには、まだ間があったので、その間を利用して、サン・ミケーレを目指しましたが、つい引き寄せられるものが、この町にはあります。




中世の塔。
この時代栄えた町には、どこにも塔がたくさんありますね~。やはり富の象徴的な意味もあったのでしょうねぇ。トスカーナのサン・ジミニャーノなど、今でも複数の塔が残っている町村が、観光的に有名ですが、パヴィアも、地味ながら、なかなかのもんです。
大学のある地域に、これこのように、3本も、にょっきりと建っていて、毎度ふらふらと立ち寄ってしまいます。

このすぐ先にも、いきなり道端に。




こういう、街並みのコンテクストにしっかりすっかり組み込まれてしまっている場合、中世の塔、というくくりは意味を成しませんね。ここでも、地上部分は、お店になっていたりして、完全に、現在の町に溶け込んでしまっています。ただ、道にはみ出ているサイズ感だけが、妙に、中世の街並みを残しているという面白さ。

実は、トップの塔が並び立っているところに、今回共催でオープンしているクリプタの一つがあるのです。




サンテウセビオのクリプタCripta di Sant'Eusebio。

この、非常にプリミティブな柱頭が、まさにロンゴバルド時代のもの。




こういう素朴さ、うっとりしてしまいます。ここは、柱頭のみならず、全体の雰囲気が、いかにも7世紀とか8世紀の名残を感じさせるので、もうね、黙って佇んでしまいますよ。




上物がない分、外光が入りやすくなっているので、適当に明るいのもよいのです。




若干残念なのは、床面のほとんどが、新しくのっぺりとなっていることですね。唯一、後陣部分だけ、オリジナルとされるものが、むき出しになっています。




床面の古びって、私のツボにはまるんですよね。ここの床、全体がこういう感じだったら、かなりうっとり感が高まり、寝そべって、なでなでしたい誘惑に刈られるはずです。

ここ、現在は、クリプタだけが独立して残っているという特殊な状況なので、その外側も楽しむことができます。そのクリプタを形作っている壁に、歴史の集積が見られるのです。
ちょっと写真がぼけてますが、この、クリプタを囲む外壁の下部には、ヘリンボーン積みがあり、この部分は、ローマ時代のものと考えられています。




そして、不規則な石積みは、ロマネスク時代を含む中世の仕事。




なぜ、中世は、こういうカオスな石積みなんでしょうねぇ。過去のものを真似して、その通りに積むことができなかったのは、なぜなんでしょうか。
整理整頓が苦手な私としては、この点だけでも中世にシンパシーを感じてしまうんですが、笑。

小さい建造物ながら、多くの歴史が集積しているため、時代の特定は難しいそうですが、間違いなくロンゴバルド時代のもの、と特定されているのが、後陣側に並んだ、石棺。




スタイルが、ロンゴバルドらしいです。
実は、ロンゴバルド、墓に関しては、まったく興味がなくて、あまり注目してきてないんですけれど、埋葬品とか多かったようです。エジプトやエトルリアなどからの流れで、ロンゴバルドでも、死後の世界がある、というのが基本だったのかもしれず、とすると、墓は非常に重要なものであり、副葬品が多く見つかっているのも、うなずけます。

そういえば、ロンゴバルドのアート・テイストは、エトルリアに通じるものがあり、そして、ひいては、ロマネスクに通じるので、その流れが、私の好み。ローマって何だったんだろう、と私内部の歴史感では、ローマは相当軽いです。




このクリプタ、今はこういう姿になっています。
このお饅頭のようなクリプタの構造物だけが残っていて、上物なし。その代わりに、屋根覆いが付けられているわけです。
今は、ロンゴバルドの展覧会と共催ですから、ちゃんと展覧会のロゴ付き。




ここは、普段でも、事前に予約すれば、訪問することができますが、電話して、予約を取って、当日も博物館に行って、とかなり面倒な手続きが必要となるので、この展覧会中は、そういう手間が省けるだけでも、価値があります。

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  1. 2017/09/23(土) 07:13:38|
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悶絶の可愛さ、無料なり。(ヴィスコンティ城)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その2

さて、一年ぶり、正確には1年と4か月ぶりの、と言っても、この町には、割と定期的に行っているので、久しぶり感は、今回は特にあまりないんですけどね、まぁ、何はともあれ、時間的には久しぶりのパヴィア散歩です。
まずは、今回訪ねた展覧会から行きたいところなんですが、残念なことに、撮影厳禁でした。ソーシャルが盛んな昨今、全面禁止というのも珍しいくらい。おそらく盗難被害などを恐れてのこととは思いますが(撮影資料を基に、綿密な犯罪が行われるケースが、多々起こっている国なので)、でも、それほどのものがあるわけでは、というか、こういうものの需要は、近現代絵画などに比べれば、圧倒的に狭いマーケットだと思うので、撮影厳禁にするほどの理由があるのか、というと、ちょっと疑問。
もしかすると、宣伝の割には、どっちかというと地味なので、実態がわかると、訪問者が減るかも、という危惧が理由だったりして?とか、意地悪なことまで考えてしまいました。

会場は、今となっては、ちょっと町はずれになってしまったヴィスコンティ城です。




Longobardi – Un popolo che cambia la storia
Castello Visconteo
01 September 2017- 03 December 2017

パヴィアのあとは、ナポリに巡回し、なんと、その後はサンクトペテルブルクの、それもエルミタージュに行くらしいです~!これはすごいことですね。エルミタージュ、一度は行ってみたい美術館ですが、広大な入れ物だと思うので、とっても限られたスペースでの開催なんでしょうけど、それでもエルミタージュで開催って、なんかすげえ。

地味とはいっても、ロンゴバルド好きには、なかなかたまらない浮彫が、結構頑張って集められていましたよ。ブレーシャのヴィッラ・ジュリアから、有名なクジャクの浮彫が来ていたのは、結構びっくりしました。
ミラノにいれば、ブレーシャも日帰り距離なので、何度も見ているものですが、素晴らしい浮彫なんです。




(以前、ブレーシャで撮影したもの)
ブレーシャでは、この春くらいから、現代アーチストの作品を町中で展開していて、このクジャクが置かれているサン・サルバトーレ教会もその会場の一つとして使われているため、ちょうどよいタイミングだったのだと思いますが、これを目的にブレーシャに行ったら、がっかりするでしょうねぇ。

他にも、いろんな美術館から、いかにもロンゴバルド的な浮彫が複数持ち込まれていました。ただ、展覧会そのものは、ロンゴバルドの歴史を追う的な教育的な展示で、美術目的の私には、若干物足りない、というところはあったんですけれどね。
それでも、ロンゴバルドの遺構は、ロマネスク同様、現地に行かないとみることのできないものが多いし、かなり広範囲に散らばっていることから、こういう風にまとめて体系的に見ることができるというのは、やはり得難い機会に違いないのです。

さて、ここは、常設の展示もありますので、せっかくですから、昨年見学したものも合わせて、紹介しておきたいと思います。

まずは、関連のロンゴバルド系。
昨年撮影したものを見ていたら、その多くの展示物が、今回の展覧会の方に並べられていたのが、わかりました。この市営博物館の入場は無料なので、ここで見れば、無料で半分くらいの展示品が見られるということがわかり、苦笑いです。ま、いいんですが。

目玉は、なんと言っても、この、完璧に残っている、二枚の浮彫。
ペアのクジャク。




そして、グリフォンのペア。と思ったら、有翼のドラゴンと説明にはありました。




これはもう、ロンゴバルド浮彫ファンには、どの細部も、たまらない愛らしさですよ。
いつだってかわいらしい花形おしっぽ。




下の方に置かれた魚の不細工さも、何ともいいですよね。これ、二頭の怪物が向かい合っていますが、細部が、完全なシンメトリーじゃなくて、お魚も、右と左で違うタイプだったりするのが、またいい感じなんですよねえ。




この浮彫では、主役がAlbero della vita、つまり生命の樹の方らしいんですけれど、やはりドラゴンに目が行きます。そして、あらゆる細部に。




可愛さでは、クジャクも負けてません。




ちりばめられた花モチーフや、ねじりん棒、周囲に置かれたつる草をデザイン化した植物モチーフなど、もうどれをとっても、かわいさに悶絶しそうです。




これは、常設展の方に、置かれたままでしたが、会場には、また違うかわいらしさの間抜けなライオンや、変な動物が種々並んでいました。




ロンゴバルドものって、なんかクリンクリンした装飾的なモチーフが、本当にツボにはまるんですよね。趣味の消しゴムで彫りたいと思うのですが、これが、図案を描こうと思うと、見た目とは裏腹に、かなり難しくて、なかなかものになりません。

さて、中世期のもので、今回発見した展示は、回廊の内壁に展示されていた石もの。




これらは、相当朽ちていたり、一部しかなかったりで、かなり無造作に置かれている状態です。外して持ち帰りたくても、重くてとても無理なんですが、こんなの家にあったら嬉しいなぁ、という代物がずらり。
展覧会には人が押し寄せているのですが、ここまで来る人は、いないも同然です。私も、まったく気づかなくて、去年はここまで来なかったしなぁ。

面白かったのは、横並びになっていた同じモチーフの柱頭たち。




このゼンマイ化した極限の単純化植物モチーフ、結構いろんなものに見えて、好きなんですが、まずは、本当に超シンプルにした線描状態の柱頭。
そして、線が細かくなって、彫りも繊細になって、葉っぱまで表現されるように。




さらに、線が立体化してふさふさ化して、ボリューム感が出て、ずいぶんと進化したタイプ。




最後に、葉の部分が完全に彫刻化して飛び出したり、花とか他のモチーフが追加された別のものになっています。




全部同じ場所にあるものかもしれないけれど、ちょっとそういう進化過程という風にも取れて、見入ってしまった次第。進化が逆で、最後が超単純化、というのもありですけどね。

まぁ、そんな感じで、地味な展覧会ですが、無料部分も含めて、12ユーロ、払った分は、堪能したかな。
で、お城を後にして、さらなるロンゴバルドを求めて、町へと移動です。




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いつも忘れているけど、ロンゴバルドの王国だったんだよ~(パヴィア1)

ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その1

いきなりの寄り道をお許しください。
この週末、ミラノ近郊のパヴィアで開催中の展覧会に行って来ました。




ロンゴバルディ―歴史を変えた人々Longobardi - Un popolo che cambia la storia
Castello Visconteo, Pavia
01/09/2017-03/12/2017

あえて、寄り道するのは、一応展覧会で、期限があるため。というのも、この展覧会開催中、共催企画で、普段は見学するのが難しいクリプタが二つ、簡単にアクセスすることができるんです。
まぁ、イタリア在の日本語ネイティブで、こういうことに興味があって、このブログに来てくれる方は、いないも同然とは思いつつ、そういう方だったら、訪れるチャンスも多いし。また、日本にいる方でも、もしかして、この時期に、イタリアに来る人がいるかもしれないし。

それよりなにより、実は、昨年、パヴィアは訪ねているんです。それも、今回特別公開となっているクリプタの一つを訪ねるため。でも、それっきり、写真の整理もできていない状態なので、忸怩たる気持ちもあったわけなんです。

という、いろいろの思いで、ちょっと寄り道して、久しぶりにイタリア中世にフューチャーしてみたいと思っているのです。

約一年前に訪ねた時も、ちょっと駆け足ではありましたが、いい町だなぁ、と思いを新たにしました。




展覧会は、ヴィスコンティ城にある、市営博物館で。
展覧会場では、残念ながら、写真は一切許可されていませんでした。結構イタリア各地から来ていましたから、盗難対策としても、わからないではないですが、今どきの展覧会としては、ちょっと残念。盗難対策とか、かなりしやすいロケーションでもあったしね。

でも、この特別展以外は、すべて普段通り、撮影オウケイ。




誰でもアクセス可能な常設の方に、かなり貴重なもの、あるんですけどね。
また、常設の方に、あ、こんなのも並んでたんだ、というような石ものに気付いて、独り占めで楽しめたりね。




展覧会の共催として、週末だけですが、以下、三つのクリプタが、事前の予約等なしに、見学可能です。
サンテウセビオSant'Eusebio(金14.30-17、土日11-17)
サンフェリーチェSan Felice(日14-18)
サンジョバンニドムナルムSan Giovanni Domnarum(土日15-17)

昨年訪ねたのは、サンテウセビオのクリプタですが、事前にアポを取ったうえで、博物館に立ち寄り、時間を打ち合わせ、結局1時間くらい待たされて、といろいろ大変でしたが、今回は、上記のオープン時間に行けば、開いているので、大変貴重なチャンスだと思った次第。




中でも、サン・ジョバンニ・ドムナルムは、教会そのものが見つけにくい場所にあり、クリプタにアクセスするのは、かなりハードルが高そうでした。その上、クリプタに隠されたフレスコ画は、とても印象的で、嬉しかった~!




また、サンフェリーチェは、大学の図書館として、現役で使われている場所に、堂々とロンゴバルドの石棺が展示されているという特異な場所で、アクセスは、もしかしてしやすいのか、よくわからないんですが、ロンゴバルドの石棺というのは、初めてのご対面だったかも。




資料として、春に訪ねたマテラの原罪の洞窟にあるフレスコ画が提示されていたり、ちょっとまだ関連がよくわかっていない部分もたくさんあるんですが、この石棺内部のフレスコ装飾の花、確かに原罪の洞窟にある装飾モチーフに共通するものがあるんですよねぇ。ビザンチンとロンゴバルト。何か新たな発見があるのかなぁ。ワクワク。

そして、おなじみのサン・ミケーレやチエルドーロも訪ねて、久しぶりに、パヴィア・コンプリート。




パヴィアは、ミラノから車で1時間くらいで、すごく近いイメージがあるし、実際何度も行っているから、ありがたみが薄いんですが、中世的には、本当に重要で、行く度に感動する町でもあります。特に、サン・ミケーレは、本当に毎度感動するくらいに素敵なもの満載。

今回は、チエルドーロでも、こんなの、過去に見てたっけ?という発見がありました。




過去に見ていても、すっかり忘れているケースもありますが、過去に来たときは、見ることができなかったとか、修復中だったとか、そういうケースもいっぱいあります。チエルドーロの床モザイクは、どうだったかな。いや、記憶ないんだけど~。

そんないろいろを、さらりとまとめてみたいと思います。
一部は、昨年6月の写真となるので、オーベルニュより、さらに古い、ということで、寄り道、お許しくださいね~!

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  1. 2017/09/19(火) 05:57:25|
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勝手に退室不可の回廊、初体験。(ラヴォデュ2)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その15




ラヴォデュLavaudieuのサン・アンドレ教会Eglise de Saint-Andre、続きとなります。
本来の目的である回廊に、いよいよ入場となります。




左手が教会、そして、写真の中央部にある、納屋の入り口のような地味な扉が、回廊へと続く場所になり、ガイド・ツアーの集合場所。早めに行ったところ、ほとんど誰もいない状態だったので、よかった、と思ったのですが、時間が迫るにつれ、思った以上に大人数が集まってきました。
と言っても、しょせんフランス語のツアーなので、何人いようと、まったくどうでもいいんですけどね、わからないから、聞く気もないしね、笑。




鉄柵の中は、こういう、ちょっとそそられる通路となります。
滑り込みで入ってきた人も含めて、鉄柵が中から再び閉ざされた時には、20人近くになったかなぁ。
で、いよいよ、ご対面、です。




おお。




二階建てにはなっているものの、全体に、すごく古びた空気が漂う、何とも言えない、素朴で、静謐で、田舎風なのに、洗練された風もある美しい空間。驚きました。
残念なのは、ちょっとざわざわしてしまう大人数のツアーであるということですね。写真で見るよりは、実際は、かなり狭いスペースだけに、うっとうしさは、正直ありました。




でも、どうですか、このたたずまい。よくないですか~?

すでに、ガイド始まっていますけれど、私を含めて数人のフランス語を解さない外国人は、勝手にふらふらしています。ガイドさんは、ずいぶん経ってから、あ、忘れてた、という感じで、それぞれに、リクエストした言語の説明版を配布。遅いんだよ!

でも、説明版も、とってもシンプル。つまり説明少ない…。私はイタリア語を所望したのですが、柱頭の説明などは一切なくて、寂しい内容です。

「ここは、フランス革命時に、破壊行為にあったものの、幸運にも回廊は、その被害にあわなかった。16x10メートルのスペースに、31の半円アーチが並び、二階部分を支えている。柱は、1本と2本タイプがあり、それぞれ、単純な円筒形、八角形、ねじりタイプ名が多様で、柱頭(植物モチーフ、人魚、キメラ、祝福する天使、ライオン、吝嗇、姦淫を表す)を支えている。南側にある柱頭の一つは、現代芸術家によるものである。」

この説明で、いりますかね。私は、こんなのなら不要、と思いました。バカにされてる気がするっていうか。

実際に、あるものを見て、ただ感じた方がいいです。

祝福する天使。




祝福されようがされまいが、これは、思わずにっこり、を引き出す、幸せな彫り物です。ピースにしか見えないし、何ですかね、この、元気もらいました、感。




ライオン。彫り物は、結構傷んでます。
植物モチーフは種々ありましたが、どれもとっても単純で、可愛くて、好き。相当古いんでしょうね、時代。




ここでは、ここのディテールというよりも、この構造的な全体を楽しむ方がいいのかな。アーチと、柱頭と、そして柱と。




特に柱の装飾の違いが、とっても素敵なリズムになっています。




見ても見ても、ずっと先を見て、また元に戻るみたいな、そういう眺め。飽きません。

回廊から、修道院部分に入ることができて、そこにフレスコ画があります。




説明書によれば、12世紀のフレスコ画ということでしたが、私には、もうちょっと時代が下ったものに見えました。でもそれはきっと、イタリアやスペインの基準で見てしまうからで、フランスだと、きっと12世紀なんでしょう。




これは、写真で見た方が、よく見える気がします。
ツアーの人々がひしめいていて、ゆっくり見る状態じゃなかったからかな。

実は、このころから、ツアーがかなり面倒になってきてたんです。1時間近くたっており、説明がわからない私には、時間長すぎ。




最後の方は、一人回廊に出て、ぼーっと眺めていて、アーチの大きさが違うなぁ、とか、普段は気づきもしなそうなところまでじっくりと見て、それでもツアーが終わらないので、さすがに、次の予定もあることだし、イラっとしてきたんですよね。やですね、常に時間に追われる日本人的な。

勝手に出ようとしても、入り口がカギで閉ざされているので、出ることができないんですよ。もう出てもよいか、ガイドの人に聞いても、もう少しだから待って、と取り付く島なし。
やっと扉が開放されたときは、一番に走り出ました。
何あの人、興味ないのかしらね、云々、思われたかもね。そこにいた誰よりも、ロマネスクが好きで、わたし以上に苦行状態で歩いている人はいないと、ほぼ確信がありますが…。

でも、今になると、いくら美しい回廊でも、あれだけじっくり見ることはないくらいにじっくりと対面することができたのは、よい経験だったと思うのです。

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でべそのアダムとイブ(ラヴォデュ1)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その14

全部立ち寄っていたら、とても目的を果たせない、という、はなからわかっていた事実に、前回のサン・シルゲでダメだしされて、一気に北上し、かなり有力有名どころを目指しました。




ラヴォデュLavaudieuです。
ここは、村の入り口に大きな駐車場が整備(というほどでもなく、スペースがある、という程度ではありますが)されていて、アクセスがしやすい村でした。運転や駐車に自信のない、私のようなタイプには、うってつけ。




駐車場からも見える塔を目指していけば間違いなし。方向音痴にも優しい村ですね。
ワクワクしながら、目的に近づいていくとき、まさに至福の風景。と言いながら、とっても地味ですけど。




村の風景のみならず、目的の教会も、実はとっても地味。




ラヴォデュ修道院Abbaye de Lavaudieuのサン・アンドレ教会Eglise de Saint-Andre。
これは、人んちの裏庭みたいなところに侵入して、側壁を撮影したものです、確か。

まずは、教会へ。




ここは、観光客も多くて、なんだか狭い村の中を、結構な数の観光客が行ったり来たりしているんです。
今ではそんなになった村ですが、11世紀半ばに建てられた小さな礼拝堂、というか、隠遁所が起源。その「神の家」というラテン語が、フランス語の古語に置き換えられたのが、このラヴォデュという村名の起源でもあるそうですよ。
その隠遁所が、ベネディクト派の修道院になって、フランス以外の土地にまでその名声が広がるくらいになったとか。周囲も、門前町として発展したはずなので、もしかすると往時は、今よりももっと活気のある村だったのかもしれませんよ。

それだけの歴史を持っている修道院としては、教会はかなり小ぶりです。




でも、壁面がフレスコ画に覆われているのは、財力のあかしと言えるのかもね。
今残っているフレスコ画は、創建当時よりは後のものと見受けられ、私の興味は、柱頭の方。




なんだろう、これ!どう見てもモチーフはアダムとイブだけど、このうにょうにょとした不思議な表現…。好きか嫌いかというと、好きではなくて、でも面白いか面白くないかというと、面白くて、でも…。でべそだし…。

植物モチーフを基本にした柱頭も、なんか、独特。




このとき、なぜか覚えてませんが、ほとんどすべての写真がぶれていて、残念です。




構造的には、かなり地味目な感じです。




さて、一通り、教会を見学した後で、あれ、目的の回廊はどうなっているんだっけ、と慌てて、はす向かいにあるインフォメーションセンターに向かいました。




アワアワしないで、最も見るべきものを見ることを優先するようにしているんですが、このときは、教会の扉が開いているのを見て、とるものもとりあえず、衝動的に飛び込んだ、という状況です。開いているときは、とにかく入る、というのも、鉄則の一つですからね~。そもそも、インフォメーションが、そこにあるとは、一息つくまで気付かなかったわけで。

で、危ないところだったんです。回廊の見学は、ガイドツアーのみ、というのは、事前に知っていたんですが、その情報は正確で、インフォに飛び込んだのが15時40分、次回のガイドツアーは16時でした。有料なので、チケットを購入し、16時にそこの入り口に集合、ということで、半端な時間を利用して、改めて教会に戻り、フレスコ画を観察した次第。




でもやっぱり、どれも、あまり好きなタイプではなかったんです。




こればっかりは、好みの問題なので、どうしようもないですね。




次回、回廊訪問です。

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ど田舎の道端で鉄瓶を発見(サン・シルゲ)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その13

このアリエ河流域には、実にたくさんの教会があります。起源は古くても、どれもが創設当時のままということもないのでしょうが、走っていると、びっくりするくらいたくさん、「Eglise XII(教会、12世紀)」といったような看板に出会います。
それがXI世紀とかだと、ついふらふらと引き寄せられるように、変な山道にも入りかねない私なんですが、それをやっていると、本当にきりがないのは、もうわかっているので、ここでも、まずは事前にピックアップしたものだけを目指すことにし、さらに、道が大変そうだったりする場合、特にマイナーな教会が目的な場合は、躊躇なく、ばっさりとカットすることにしました。
かなり泣く泣く、ですけどね、でも先は長いので。

一通り見るべきものを見たら、いつかは、あまりカリカリせずに、気の向くまま走り、そういう看板を見たら、さりげなく立ち寄るような、そういう旅をしてみたいものだと思います。見るべきものがまだ沢山ありすぎるので、そういう気まま旅程にたどり着く日は、おそらく来ないものとも思いますが。

さて、そういうアリエ川流域をさかのぼり、次に立ち寄ったのは、サン・シルゲSaint-Cirguesという小さな村にある教会です。




サン・シルゲ教会Eglise de Saint-Cirgues。
端折ってもいいくらいのマイナーな教会ですが、この村は道沿いにあったため、停車しないわけには行かない気持ちになってしまいました。ちょっとでも、脇道に入り込むようだと、あきらめよう、とも思うのですけれど。
それに、駐車した村の入り口に、教会の写真が掲げてあり、「11世紀の鐘楼」と書かれていたので、やはり無視できません。

それが、トップの写真となります。
八角形で、何とも不思議なたたずまいです。それも、ふもとというか根元にはアクセスできず、撮影もうまくできないロケーション。




例によって、火山岩系の石です。開口部は、見えにくいですが、前回の記事のシャントージュの教会の側壁のアーチ同様、クローバー形ですね。装飾的で、好まれたのでしょうか。でも、11世紀にクローバー型、あったのかな?

掲げられていた説明版が、妙に読みやすいので、ちょっと翻訳してみますと、サン・シルゲというのは、サン・シルSaint-Cyrの別名で、殉教者だったようです。それもなんと、3才で!
西暦304年に、お母さんとともに、殉教したということです。その殉教者に捧げられたのがこの教会で、村の名前も同様です。
で、読んでいたら、塔はやはりゴチックとあるじゃないですか。そりゃそうだ~!
看板に騙されましたよ!

ま、根元の方が、11世紀かもしれないけどね。教会の創建はロマネスクの時代ということなので。




教会は、全体にすっかりと変容していますので、ロマネスク的魅力はありません。それも、上の写真でわかる通り、教会に思いっきりくっついて、住宅が密集しているので、とんでもないって言うか、なんだろう。
でも、大切にされているのは、よくわかるんですよ。

内部ももうこんな感じで、いろいろごった煮状態で、ただロマネスクだけが欠けているのでは、という状態。




でも、せっかく立ち寄ったからには、何かほしい!と、目を皿のようにして、じっくりと見ていきます。
天上のヴォルトの交差部分とか。




おしい!ちょっと違うね。
こっちも、発想的にはロマネスク的名残があるけど、実際の製作は後の時代だよね~。




なんか細かいことにいちいち文句付ける、ただのうるさいおばちゃん…。
これは、ギリギリ受け入れられるかな。




おっと、何してんだかわからなくなってきますね。

後陣には、うっすらと、フレスコ画。14世紀くらいかな。うっすらの色の残り方が、きれい。こういう時代が好きな人には、結構訴えるものかもしれない。




私はこの時代苦手なので、うへぇ、と思いましたが、でも、小さいながら立派な教会だったのでは。これだけのフレスコ画はなかなかないですよね。もともとは、壁や天井前部にあったぽいし。




正直、ちょっとがっかりしつつ、また町を抜けて、車まで戻りました。
でもこういうことは、よくあること。
こぎれいな村を歩けて、よかったかもな。




建物が迫って、実に狭い道が、くねくねしていて、時間があったらこういうお散歩は楽しいはず。見通しのきかないこういう道を恐る恐る歩き、ぽかっと開けた空間に出た時の開放感とか、結構好き。




で、普通のお宅が、道端にテーブル出して、自分ちのテラス状態にしてて、そのテーブルに載っているのが鉄瓶だったりするのは、なんか、おフランスだな、と思いましたね。
鉄瓶は、今欧州全体で流行っているアイテムだと思いますが、イタリアでは、こういうシチュエーションで見ることはないと思うんです。




夏の夕涼みにピッタリな木陰と石のベンチ。
なんか、お洒落だ~!

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いけてる教会いけてない教会(シャントージュ2)

2016.08.オーヴェルニュの旅 その12

前回、半端に切ってしまいましたが、シャントージュChanteuge、サン・マルスラン教会Eglise-Saint-Marcellin続きとなります。




ファサード側の入り口から、入場します。
扉周りはとっても地味。




ここでも、石色の遊びが見られますね。
ちなみに、同じカメラで同じ設定で撮影しているのですが、写真によって色が相当違いますね。おそらく、日差しの入り方の問題だと思うんですけれど、二枚目の写真の方が、石色がよくわかると思います。
以前紹介したサン・クリストフよりは、ずいぶん落ち着いた色合いですが、やはり色のバリエーションはかなりありますよね。

さて、入場すると、いきなり。




かなり背高の三身廊で、ちょっとひるむタイプですが、そんな必要はなくて、ここは柱頭が楽しめます。ちょっと高いですけどね、位置が。




素朴系の彫り物は、全体が素朴で、線もすっきりとしていて、フィギュアが人も動物も植物も、何はなし、愛らしいです。




私の好みって、やっぱりこういうヘタウマ系みたいですね。どうしても好き。
これなんかは、人の彫りが、ちょっと細かいですが。

で、ここで面白いのは、手が違うタイプの柱頭が並んでいることなんです。
ほら~。




いきなり違いすぎませんか。
柱頭全体のデザインも違うし、子供のいたずら書きから、プロのデッサンになっちゃった、みたいな。
ほらほら~。




これはモデルさんがいる感じですよね。愛人系?いや、男の子だけど、そういうムードもあるって言うか。不謹慎か。
時代も違うのかな。
でも、明らかに好き嫌いも別れる感じ。私は断然、最初に掲載したようなかわいい素朴系が好みです。




改めて見ても、楽しい柱頭の数々。他は、ほとんど何もないですが、これだけで訪ねる価値大です。

すっかり堪能の後、もう一度ぐるりとして、ふと気づくゴシック。




南壁の方は、こうやって、アーチ装飾がずらりと並んでいるんですが、並んでいる中の一部が、ゴシック的な窓になっているんです。




アーチ三つごとにつけ柱、というリズム感のある壁装飾ですが、それぞれ真ん中が、窓になっているんですよね。私、本当に建築素人ですが、これは、真ん中だけ、後付けでゴシック的にされているんじゃないでしょうか。

北側を確認したら、真ん中はやはり窓にはなっているので、本当のところはわからないですけれど。




それにしても、フランスでいつも感じさせられるのは、ゴシック旋風のすごさですよね。とにかく吹き荒れたですね~。ファッションでもあったんかな。全体変えられないなら、窓部分だけでもゴシックにしたい、って、ちょっと悲壮感漂うような。
そういうところ、どうだったのか、というのが、実はすごく興味があります。
やっぱり時代の先端を行く教会に、巡礼がより集まったかもしれないし、経済的な側面って、芸術にはつきものですもんね。
それに人々の感覚だって、今のファッションと同じで、時代遅れなものはちょっと恥ずかしいような、そういうことがあったんでしょうしね。隣町の教会、すげーな、おれたちのは、ちょっといけてないよな、みたいな。

ああ、レベル低い。でもそういう妄想、結構楽しくて。

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